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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第一話 勤労学生の懐事情
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勤労学生の懐事情3

 人がいつの頃から〈迷宮(ダンジョン)〉に潜り攻略を行うようになったのか、正確なところはわかっていない。そもそも迷宮(ダンジョン)とは魔境だった。この“魔境”という言葉は、なにも迷宮(ダンジョン)の内部だけを指し示した言葉ではない。迷宮(ダンジョン)のすぐ外、その周囲一帯を含めて魔境であり、元来人の寄り付かぬ場所だったのだ。


 迷宮(ダンジョン)の周囲は、少なくとも人間にとって住みやすい場所ではなかった。植物が巨大化しており開墾もままならない。強力な〈魔獣〉が跋扈しており、大変に危険な場所であったのだ。


 ちなみに〈魔獣〉と〈モンスター〉は異なる存在である。魔獣はれっきとした動物であり、通常の生殖活動によって誕生しまた子孫を残す。そして死ねばその躯は腐り大地へと帰っていくのだ。魔獣と普通の動物との違いは体内に〈魔石〉を持っているかであり、それが魔獣の高い身体能力と強靭な生命力、そしてなにより普通の動物には見られない特異性を生み出している、と考えられている。


 迷宮(ダンジョン)の周囲を魔境化している原因、それは迷宮(ダンジョン)の内部から漏れ出す〈マナ〉である。


 ――――この世界は〈マナ〉で出来ている。


 少なくとも世間一般ではそう言われているし、そう考えたほうがなにかと理解しやすいのも事実である。「〈マナ〉とは一体なんぞや?」という根源的な疑問はさておくとしても、〈マナ〉と名付けられたモノは確かにこの世界に存在し、そして人々の生活に密接に関係しているのだから。


 〈マナ〉はいわゆる“力”だと考えられている。そもそも魔石とは〈マナ石〉が凝縮されたもので、つまり魔獣は体内にマナの結晶体を持っているがゆえに他の動物とは異なっているのだ。


 ほかにも、〈マナ〉が薄くなれば土地はやせ細って恵をもたらさなくなり、逆に濃すぎれば植物が巨大化したり異常繁殖したりする。


 迷宮(ダンジョン)の周辺がまさにそういう環境であった。そのような魔境にすき好んで住まう人間はよほどの物好きであろう。大多数の人間はそのような魔境は避け、もっと住みよい環境を探すものである。


 逆に言えば、迷宮(ダンジョン)の周辺に生活の場を求めなければならなかった人たちにはそれ相応の事情があった、ということになる。迫害から逃れてきたのか、あるいは追放されてきたのか、なんにしてもすき好んでそこにたどり着いたわけではない。


 最初に迷宮(ダンジョン)の周辺で暮らし始めた人たちは、そういう人たちであった。彼らがなぜ迷宮(ダンジョン)に潜り攻略を行うようになったのか、詳しいことを記録した資料はほとんど残っていない。記録を残すだけの余力は無かった、ということであろう。しかし、そうやって迷宮(ダンジョン)を攻略していくうちに彼らはあることに気づくようになった。


 まずは魔獣が姿を消した。ついで巨大化した植物もまるで自らの体を維持できなくなったかのように、腐ったり倒れたりして次々と消えていった。つまり、大気中の〈マナ〉の濃度が下がったのである。


 魔境であったはずの迷宮(ダンジョン)周辺は、一転して住みよい環境に変わったのである。そうなれば、後の展開は速い。


 人々は土地を開墾して食料を生産し安定した生活基盤を手に入れた。迷宮(ダンジョン)から〈ドロップアイテム〉という形で回収された資源は、村を発展させていくのに大いに貢献した。そして村は町となり、町は都市となり、現在のような都市国家の形態が出来上がっていったのである。



▽▲▽▲▽▲▽



 迷宮(ダンジョン)で巨人と激闘を繰り広げた次の日、午前の座学を終えたルクトは武術科棟を肩を落としながら歩いていた。当たり前のことだが、迷宮(ダンジョン)に潜る際の装備ではなく武術科の制服を着ている。


「はあ………。また出費が………」


「どうしたんだい、ルクト。ため息なんてついてさ」


 後ろから軽く肩を叩きそう言ったのは、同じく武術科で同級生のロイニクス・ハーバンである。亜麻色の髪の毛をした優しそうな好青年だが、こう見えて結構腹黒いことをルクトは知っている。


 ルクトは彼と他の四人で一時期だがパーティーを組んで迷宮(ダンジョン)を攻略していたことがある。現在ルクトはパーティーを抜けてソロをやっているのだが、抜けた事情がパーティー内の問題ではなかったため、今でも友達として付き合いがあるのだ。


「ロイ、昼飯おごってくれ」


「やだよ」


「ちっ………」


「こらこら、舌打ちしない」


 この辺りはじゃれ合いである。二人は軽口を叩きながら廊下を歩く。そして午前の講義が終わったこの時間に弁当を販売している場所へと向かった。


「ルクト、君またそれ?」


 ルクトが迷うことなく手にしたのは、最も安い300シクの弁当である。入学以来、彼が最も多く食べ続けている弁当でもある。内容は日によって少しずつことなるが、パッとしない中身であることには変わりない。


「お前がおごってくれないからだ」


「えー、僕の責任?」


 苦笑しつつロイが選んだのは、ルクトのよりも少し豪華な350シクの弁当である。会計でルクトは銅貨を三枚支払い、ロイのほうは銅貨を四枚渡しておつりとして真ん中に穴が開いている銅銭を五枚受け取った。銅貨が100シクで銅銭が10シクだ。


 都市国家連盟アーベンシュタットにおける通貨は、下から銅銭・銅貨・銀貨・赤金貨・金貨、となっている。それぞれ十枚で次の硬貨と等しく、例えば銀貨十枚で赤金貨となる。ちなみに“赤金貨”というのは銀の代わりに銅を混ぜた金貨のことだ。普通、金は柔らかい金属なので単体で用いられることはない。それで金貨には少量の銀が混ぜてあるのだが、銀とて高価な金属だ。そこで銀の代わりに銅を混ぜた金貨が作られたのだが、これは時間が経つと赤く変色するため“赤金貨”と呼ばれるようになったのである。


 それぞれ弁当を買った二人は、武術科棟一階のエントランスホールに設けられたテーブルに着く。周りを見れば同じようにここで食事を取る学生でエントランスホールは溢れていた。


「そういえば他の四人はいいのか?」


 ルクトの言う“四人”とは、ロイとパーティーを組んでいるメンバーたちのことである。パーティーメンバーたちは迷宮(ダンジョン)内で死線を共にするため自然と絆が強くなり、そのため一緒に行動することが多い。直前の講義にはその四人もいたはずなのだが、しかしここでルクトと昼食を食べようとしているのはロイ一人である。


「ま、それぞれ勝手にやってるでしょ」


 なにも攻略パーティーだけが集まりだの括りだのってわけでもないんだから、とロイは無責任に答えた。若干ドライな気もするが、こういう気風のパーティーだからこそルクトは抜けた後も付き合っていられるのかもしれない。


 それから二人は先ほど買った弁当に手をつけ始めた。互いに半分ほど平らげた頃、おもむろにロイが口を開く。


「それでさっきはどうしたんだい?ため息なんてついてたけど」


「昨日、迷宮(ダンジョン)で亜人タイプのモンスターと戦ったんだけどな………」


 弁当を食べながらルクトは昨日戦った巨人についてロイに話す。迷宮(ダンジョン)の攻略に関係する情報は、秘匿するものもあれば交換するものもある。そしてモンスターに関する情報は交換すべき情報だ。知っていれば対策できることがあり、対策ができていれば生還の確率を上げることができるのだから。


「………迷宮(ダンジョン)の床から大剣を作り出した、か」


 一通りの話をルクトから聞いたロイは指を顎に当てて考える仕草をした。白い床からというよりは、迷宮(ダンジョン)内に充満する〈マナ〉から作り出したといったほうが正確だろう。あの巨人が床に手を突っ込んでいたのは、大気中よりも物質である床のほうが〈マナ〉の濃度が高いからなのかもしれない。


迷宮(ダンジョン)の中で武器を持ったモンスターが突然に現れることを考えれば、そう驚くようなことではないのかもしれないけど………」


 それでも自分で武器を作り出すモンスターなど今まで聞いたことはない。プロのハンターたちの間では知られた話なのかもしれないが、少なくとも学園内で聞いたのはこれが初めてだ。


「その巨人がポップしたのはどのへん?」


「階層で言えば第九階層。でも第十階層に近い魔石だった」


 ルクトのいう〈階層〉というのは、迷宮(ダンジョン)を攻略していく上での一つの区分けだ。ただし、迷宮(ダンジョン)内には階層を区分する上で目印となる階段などはない。ただ、迷宮(ダンジョン)を深く潜れば潜るほど出現するモンスターは強くなり、また倒した後に残す魔石は大きくなる。そこでモンスターがドロップする魔石の大きさでおおよその階層を定めているのだ。


「うわ、じゃあエンカウントする可能性有り、か………」


 ノートルベル学園武術科の卒業要件を満たすためには、迷宮(ダンジョン)の第十階層あたりまで攻略しなければならない。ルクトが戦った巨人が第九階層に属するモンスターならば、この先ロイたちも戦うことになるかもしれない。


「ま、なにはともかく、君がブルーになってる理由は、よーく分かったよ」


 そう言ってロイはニヤニヤと少し意地悪な笑みを浮かべた。それを見たルクトは「ほっとけ」となげやりに応じる。


「ダメになった太刀って、幾らしたんだっけ?」


「75万」


 おかげで大赤字だよ、とルクトは嘆く。はあ~、とことさら大げさにため息をつくルクトにロイは苦笑した。


「そりゃ、昨日の攻略に限れば大赤字かもしれないけどさ。全体で見ればその大赤字を帳消しにできるぐらい稼いでるじゃないか、君は」


「バカヤロウ。全体で見れば壊滅的な大赤字だ、オレは」


 そうだった、とロイは内心で自分の発言を後悔した。ルクトが莫大な借金を負っていることを、ロイは知っている。黒鉄(くろがね)屋のメリアージュに金を借りているのだ、と以前に彼が言っていた。詳しい経緯や具体的な金額は知らないが、誰だって自分が借金を負っていることに触れられたくはない。


「で、新しい武器も買わなきゃいけないから、こうして安い弁当を買って節約してるってわけだ」


 ロイが言葉に詰まっていると、沈黙を嫌うかのようにルクトがあっけらかんとした声でそういった。


「………あんまり節約になってないと思うよ、それ」


 話題を変えてくれたことに内心で感謝しつつ、ロイはそう応じた。するとルクトは少しむきになったように「なんだと」と言い、具体的な計算を始めた。


「いいか、仮に年間で300日、350シク弁当の代わりに300シク弁当を買ったとすると、だ………」


 一日につき50シクの節約で300日だから、とルクトは計算する。するとその結果は………。


「たったの、1万5000シク、だと………!?」


 その計算結果にルクトは大仰に目をむいて見せた。その仕草はどうにも芝居がかっていてロイは苦笑してしまう。


 年間で1万5,000シクの節約をどう評価するかは人それぞれだろうが、こと〈ハンター〉に関して言えばその額は微々たるものである。なにしろ装備を一つ新調しようと思えば数万数十万、ともすれば数百万の単位で出ていくのだ。ルクトの“たったの”という感想も頷ける。


「チクショウ、明日からは400シクの弁当を食ってやる………!」


「………なんでそんな壮絶な決意を固めるんだい?たかだか100シクじゃないか」


「うるせぇ。100シク違うと随分違うんだよ!主に肉の量が!!」


 それはロイも知っている。


「ところで巨人がドロップしたっていう大剣、どうだった?」


 重くなりかけていた空気が完全に払拭されたところで、ロイは気になっていたことを聞いた。巨人が作り出した黒い大剣はいわばイレギュラーな武器だ。それが消えてなくならずにドロップアイテムとして残ったというのであれば、どれほどのものなのかやはり興味が湧く。


「ああ、それなら昨日、迷宮(ダンジョン)からの帰りにダドウィンのおやっさんの店によって鑑定を依頼してきた」


 午後からは講義もないしこれから行ってみるつもりだ、ルクトは言った。過剰な期待を抱いているわけではないが、これから太刀を新調しなければならないので少しでもその足しになれば、とは思っている。


「お前はどうするんだ?」


 食べ終わった弁当を片付けながらルクトはそう尋ねる。午後から講義がないのはロイも同じだ。他学科の学生であれば遊びに繰り出したりもするのだろうが、武術科の学生がそうすることは少ない。他学科の学生に比べ、良くも悪くも彼らは必死なのだ。


「次の〈遠征〉に向けてパーティーメンバーと打ち合わせ」


 その後は連携の確認と個人鍛錬かな、とこちらも弁当を食べ終えたロイがそう答える。〈遠征〉というのは泊り込みで行う迷宮(ダンジョン)攻略のことだ。


 この世界にテレポート的瞬間移動手段は存在しない。よって迷宮(ダンジョン)攻略を行う場合には入り口から入って徒歩で進み、そしてまた徒歩で戻ってこなければならない。そしてそうなると、おのずと日帰りで攻略できる範囲は限られてしまう。階層で言えばだいたい第二階層くらいまでだろうか。しかしその範囲は決して広いものではないし、得られるドロップアイテム(資源)も大したことはない。自然、ハンターたちは迷宮(ダンジョン)のより深い層を目指すようになった。


 そこで行われるのが、〈遠征〉である。つまり迷宮(ダンジョン)内で寝泊りしながらより深い層へと潜っていくのである。


 ただし、普通の攻略に比べて遠征の難易度は桁違いである。まず持っていく荷物が増える。迷宮(ダンジョン)内で自給することはできないから、遠征に必要な食料をすべて用意して持っていかなければならない。また簡単な調理道具や怪我をした場合の医療品、休むときに用いる寝袋など必要になるものはどうしても多岐にわたる。そして荷物が増えればそれだけハンターの動きは阻害され戦い辛くなることは容易に想像できる。


 なによりも、遠征を行うハンターたちは荷物を最優先に守らなければならない。特に食料を失えば迷宮(ダンジョン)から生還することさえ危うくなるのだ。


 また迷宮(ダンジョン)という環境の中で寝泊りするということそれ自体が神経をすり減らす。迷宮(ダンジョン)の中ではいつ何時モンスターが出現するのか分らないのだ。つまり常に備えをしていなければならず、そのような状況ではきちんと体を休めるということそれ自体が難しい。パーティーメンバーが疲れ果て、遠征を途中で切り上げて引き返さなければならなくなる、という事態も珍しくないのだ。


 迷宮(ダンジョン)における一回一回の戦闘というのは、実はそれほど難易度は高くない。迷宮(ダンジョン)において最も難易度が高いのは、そこで戦い続けそして生還すること、それ自体なのである。


「ホント、君の個人能力(パーソナル・アビリティ)がうらやましいよ」


「そのおかげでオレはソロだけどな」


「まあ、君の能力はパーティーを堕落させるからね」


「堕落って……、ひどいな」


 しかし否定はできない。そしてロイのいう“堕落”を避けるため、ルクトはパーティーを組むことを禁止されソロで活動しているのだから。


「じゃ、オレそろそろ行くわ」


 そういってルクトは立ち上がった。ロイのほうは昼休みが終わるまではのんびりするつもりなのか立ち上がる気配はない。


「ん~、ダドウィンさんによろしく~」


「………お前、おやっさんの店、使ってないだろうが………」


「使うときが来るかもしれないじゃない」


「その時に改めて紹介してやるよ」


 呆れながらそう言い、ルクトはエントランスホールを離れてそのまま武術科棟の外に出た。一度寝泊りをしている学生寮に戻ってからダドウィンの店に向かうことにする。


(新しい太刀のことも相談しなきゃだな………)


 ダドウィンの腕は信頼している。ダメにしてしまった太刀を作ってくれたのも彼だし、品質や出来栄えについては特に心配していない。


(い、幾らかかることになるのか………)


 迷宮(ダンジョン)攻略に用いる武器は、ソロであるルクトにとっては命を預ける相棒も同じである。ケチって粗悪品を使うようなことはしたくない。できればダメにした太刀以上のものが欲しいのだが、そうなるとお値段のほうも75万以上になる公算が強い。


(あの黒い大剣がレア物でありますよーに!)


 割と本気でそう願ってしまうルクトであった。


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