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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第四話 移り気なジョーカー
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移り気なジョーカー9

「……あの時ばかりは、さすがに私も悩んだものです。このままハンター業を続けていいのだろうか、と」


 およそ四十年前当時のことを思い出し、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉のギルドマスターであるフェルナンド・リーバイは懐かしそうにそう語る。


「愚かなことじゃ」


「ええ、愚かなことです。貴女を基準にして物事を考えるなど……」


 ただあの頃は私も若かった、とフェルナンドは少し恥ずかしそうに笑う。


「たった四十年で小僧が爺になる。人の世の時の流れは早い」


「本当に。あれだけ大騒ぎしたというのに、貴女のことを覚えている者はもうほとんどいないでしょう……」


 寂しさの中に申し訳なさを混ぜてフェルナンドはそう言った。


 四十年前のあの冬、カーラルヒスはメリアージュの話で持ちきりだった。「その熱気たるや、まるで都市全域から湯気が上がっているようだった」と、とある作家が日記に書き残している。


 魔石やドロップアイテムの相場が落ち着いているのは彼女のおかげであると、都市の住民全てが理解していた。もちろん、彼女一人がそれら全てを供給しているわけではないが、それでも彼女一人で大手ギルドを上回る働きをしているのも事実だ。


『この冬に3000人が凍死する危険性がある』


 そんな恐ろしい予測も聞かされていただけに、メリアージュはまさに救世主のような存在だった。


 そのころからだろうか、メリアージュは「〈闇語り〉の再来」と呼ばれるようになっていた。無論、その由来は〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の創立秘話に出てくる「〈闇語り〉のメリアージュ」だ。


 名前、容姿、そして個人能力(パーソナル・アビリティ)。二人には驚くほど多くの共通項があった。誰が最初に言い始めたのか分からないが、それでも〈闇語り〉の二つ名はこうして今のメリアージュのものになったのだ。


 しかしながらこの「〈闇語り〉の再来」という呼び方は、二人は同一人物ではない、という無意識の現われでもあった。実際、この時点で創立秘話に出てくる〈闇語り〉は160年前の人物だ。普通に考えれば、同一人物であるはずがない。


 だから、その問いかけはほんの冗談のつもりだったのだ。


『なあ、メリアージュって、実は本物の〈闇語り〉なんじゃないのか?』


 酒の席で酔っていたのだ。「そんなはずなかろう」と笑い飛ばしてくれるものだと思っていた。だが、彼女はいつだって期待を飛び越えていく。


『そうじゃよ。ようやく気づいたかえ?』


 メリアージュのその一言で、騒いでいた酒宴の席が一気に静かになった。


『……マジで?』


 その一言こそが、その場の総意の代弁だった。それに対しメリアージュは面白がるようにしてこう答えた。


『なんじゃ、疑っておるのか? そうじゃな……』


 そう言ってメリアージュは〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉創立当時の話を秘話よりもさらに詳しく話し始めた。その話を黙って聞くことしかできなかったことを、フェルナンドは今でもよく覚えている。


 普通に考えるならば、これはメリアージュの冗談だ。今話している思い出話も、ウソではないだろうが人づてに聞いた話だと考えるほうが普通である。


 しかし、まったくのでたらめだと否定することはできなかった。なぜなら、そうであったとしてもおかしくはない存在が、確かにこの世にはいるのだから。加えてメリアージュの人間離れした実力を考えると、「もしかして本当のことではないのか」とも思えてくる。


 ただ、この夜からしばらくたっても、彼女は「〈闇語り〉の再来」のままだった。その場にいた者のほとんどが、その席でのことを人に話すことはなかったからだ。いや、話した者はいたのかもしれないが、信じる者はいなかった。話した側も信じてもらえるとは思っていなかったであろう。酒が抜けて酔いからさめてみれば、やはり「酒の席での冗談」と考えるほうが常識的だったのである。


 メリアージュもまた、自分が160年前の〈闇語り〉と同一人物であると吹聴したりはしなかった。信じてもらえないと割り切っていたのか、あるいは吹聴することに意味を見出さなかったのか、はたまた本当に冗談だったのかもしれない。


 四十年後の今、こうして再び〈闇語り〉のメリアージュと向かい合い(実際は彼女が操る“黒い鳥”だが)話をしているフェルナンドも、彼女が本当に創立秘話に出てくる「〈闇語り〉のメリアージュ」なのかどうか、確信は持てない。ただ、そうであってもおかしくはないと思っていた。


 いずれにしても今フェルナンドの目の前にいる〈闇語り〉のメリアージュが、四十年前にカーラルヒスを救った人物であることは間違いない。フェルナンドにしてみれば、それで十分であった。


 ちなみに四十年前の話についてだが、メリアージュはおよそ二ヶ月の間カーラルヒスで迷宮(ダンジョン)を攻略し続けた。そしてベヘモス討伐戦において負傷して療養していたハンターたちが復帰し、魔石とドロップアイテムの供給量が以前の水準に戻ってくると、彼女は現れたときと同様にふらりとその姿を消した。そして以来四十年、メリアージュがカーラルヒスに姿を現すことはなかったのである。


「……私も、もう二度とお会いすることは叶わないだろうと思っておりました」


「実際に顔が見れずに残念かえ?」


 からかうようにしてメリアージュが尋ねる。四十年前の、まだ小僧であったフェルナンドならば、顔を真っ赤にして否定していたであろう。しかし今の彼には、少しは大人になったという自負がある。


「ええ、残念ですなぁ。良い目の保養になったでしょうに」


「くっくっく、どうやら歳相応に世辞を身につけたようじゃな」


 メリアージュが笑い、つられてフェルナンドも笑った。まるで四十年前に戻ったような気分だった、と後にフェルナンドは語っている。


「……それで、このたびはどのようなご用件でしょうか?」


 まさか思い出話をするために来たわけではあるまい。フェルナンドはギルドマスターの顔に戻ってメリアージュに来訪の用件を尋ねた。


「ふむ。ルクト・オクスという武術科の学生を知っておるか?」


「それは……、もちろん存じておりますが……」


 思わぬ名前が出てきたことにフェルナンドは戸惑う。もちろん彼はルクト・オクスのことを知っている。なにしろ今まさにその学生を勧誘している真っ最中だからだ。しかしなぜ〈闇語り〉のメリアージュの口からその名が出てくるのか。


「そのルクトじゃが、実は妾の養い子でな?」


「なんと……!」


 フェルナンドは驚きを示す。〈闇語り〉のメリアージュ相手に思惑や感情を隠しても無意味なのでそもそもそういう努力はしていなかったのだが、それでもこれほど驚いたことはここ最近彼の記憶にはない。


 いや、ルクト・オクスは留学生。カーラルヒスの出身であるよりは、〈闇語り〉のメリアージュと関わりがある可能性は高いだろう。


(しかしなんという偶然……)


 フェルナンドとしてはそう思わずにはいられない。〈プライベート・ルーム〉という稀有な個人能力(パーソナル・アビリティ)を持ち、カーラルヒス中のギルドが獲得を目指しているルクト・オクスが、よりにもよって〈闇語り〉のメリアージュの養い子であるという。


(いや、これはむしろ必然か……)


 あの〈闇語り〉がただの子供を手元において育てるとは考えにくい。ならばルクトが稀有な能力を持っているのは、むしろ必然的なことかもしれない。俗っぽい運命願望が混じっていることを認めつつ、フェルナンドはそう思った。


「アレの近況はすでに知っておる。というより、本人から聞いた」


 それで少しおせっかいを焼いてやろうと思ったわけじゃ、とメリアージュは意外なほど優しい声でそう言った。


 メリアージュは借金を含めたルクトの今の状態に決して同情はしていない。しかしながら、同情しなければ手を貸してはいけないということもあるまい。手助けと施しは決して同義ではないのだから。


「ひとまず、これに目を通すが良い」


 そう言うやいなや“黒い鳥”が解けてただの闇に戻り、そして次の瞬間にはすぐに寄り集まってもとの鳥の姿に戻る。元の姿に戻った“黒い鳥”の足元には一通の封筒が置かれていた。目を通せ、というのはこれのことであろう。


「拝見させていただきます」


 フェルナンドは封を切って中身を確かめる。なかに書かれていたのは、メリアージュの考えたルクトとの契約条件であった。


「その内容に不満がないのであれば、それをヤツに見せて交渉してみるが良い」


「……つまり、我々の提示した条件では不足であると?」


 ルクトか、あるいはメリアージュかが、不足があると思ったからこそこうして直々に条件を伝えに来た。普通に考えればそういうことになる。


「不足はなかろう。少なくとも一方的な内容ではなかったと妾も思っておる。だが、それだけでは決心がつかぬこともある。そういうことじゃ」


 それはつまり心の問題ということか、とフェルナンドは思った。それから「そういえばルクト・オクスはまだ学生だった」と、どこか納得する。


「……いやはや、打算ばかりを考えていると相手が人間であることを忘れてしまう」


 お恥ずかしい限りです、とフェルナンドは“黒い鳥”に向かって頭を下げる。


「ならば……」


「ええ。これをもとにしてルクト君と話をさせていただきます」


 実際、これは〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉のギルドマスターとして考えても、かなりありがたい話だった。これはルクト・オクスを勧誘する上で切り札になるだろう。


 現在、ルクトは答えを明確にはしておらず、状況としては各ギルド横並びと言えるだろう。そんな中で養い親であるメリアージュが用意した条件を提示できれば、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉は他のギルドに一歩先んじることができる。


 また、仮にこの条件で駄目だったとすれば、この先どんな条件を用意しても無駄であろう。引き際を見極める、と言う意味でもちょうどいい。


「……しかし、幸せなことですな」


 受け取った封筒を大事に懐にしまいこむと、フェルナンドはポツリとそう漏らした。


「なにがじゃ?」


「いえ、ルクト君ですよ。貴女に目をかけてもらえるとは幸せなことだ、と……」


 フェルナンドはしみじみとそう言う。実際、彼にしてみればカーラルヒスという都市国家よりも〈闇語り〉のメリアージュのほうに畏怖を感じる。そんな強大な存在が後ろ盾になり、さらにこうも思ってくれているとは、どれだけ幸せなことであろうか。


「ふふ、妾は誰かを幸せにできるなどと思い上がってはおらぬよ」


 少々自虐的な声音でメリアージュはそう言った。それから、どこか遠くを見るような声で「ただ……」と話を続ける。


「力を持つ者は、他人の人生をいともたやすく狂わせる」


 そう語る言葉の途中から、“黒い鳥”は解けて闇へと戻っていく。そしてその闇自体も部屋の暗がりの中に溶け込んでいき、次第に存在が希薄になる。


「……じゃからせめて、『これでよかった』と思える関わり方をしたい。そう、願うのじゃよ」


 そこにあったはずの気配がだんだんと薄くなっていく中、そんな声が部屋の中に響いた。そしてついに気配が完全に消える。


(帰られたか……)


 そう理解する。そして理解と同時に、まるで部屋の中が空っぽになってしまったかのような喪失感を覚えた。だが一秒二秒と時間が経つにつれ、その喪失感は充足感に塗り替えられていく。


 まるで夢のような時間だった、とフェルナンドは思う。そして古いアルバムを閉じるときのように、「ふう」と一つ息をつくのだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 メリアージュから「待て」といわれたその二日目。その日は休日で、燃料費節約のためにルクトは寮の談話室で時間を潰していた。いつもならば迷宮(ダンジョン)に潜っていることが多いのだが、今日は一日寮にいるつもりである。


 メリアージュはルクトに「待て」といった。それはつまり、「なんらかのアクションが起こるから、それまで結論を出すのは待て」という意味だ。そしてそのアクションは今日起こるのだろう。ならば迷宮(ダンジョン)に潜るよりも、見つけやすくて話をしやすい場所で待っているのが正解だ。


 寮の談話室には調度品をかねて暖炉が設置されており、今もまたくべられた薪がはぜて赤々とした炎が燃えている。その暖炉から程よい位置に一人がけのソファーを移動させて陣取ったルクトは、「一体なにが起こるのか」と少々ビクビクしながらすごしていた。


(いや、信頼はしてますよ? 信頼は……)


 それゆえ何か起こるであろうと思っているのだ。ただメリアージュはこちらの予想だの期待だのをいつも飛び越えていく人なので、なにか企んでいると思うと落ち着かなくなる。加えて、また楽しそうに企むのだ、あのメリアージュと言う女性は。


(まあ、それでも……)


 困ったことは数あれど、それでも基本的にためになることのほうが多かったのは事実だ。決して全てとは言わないけれど。それにしなくていい苦労をさせられた、気もする。


 ソルから借りた流行本をパラパラとめくって見てもどうにも落ち着かない。座り心地のいいソファーに腰掛けているのだが、しかし居心地悪そうにルクトは何度も足を組みかえる。


 そしてついに、その時がやってくる。


「すまないが、この中にルクト・オクス君はいるかな?」


 ルクトは反射的に顔をあげ、その声のしたほうに視線を向けた。見れば二人の男が談話室の入り口に立っている。一人は四十代半ば、もう一人は六十代に見えた。


 余談だが、学園の学生寮は決められた時間内であれば万人に解放されている。ただし入り口で入場者名簿に時間と名前を記入する必要があるが。また外の人間が入れるのは共用スペースだけで、個人の部屋にはそこの住人が招いた場合のみ入ることができる。


 談話室にやって来た二人の男のうち、片方にはルクトも見覚えがあった。実技講義に外部講師として来ていた男で、講義が終わった後に勧誘の手紙をくれた人だ。名前はたしかベルムート・アドラー。ギルド〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉に所属している、と言っていたはずだ。


 さてそのベルムートだが、もう一人の六十代に見える男の後ろに立っている。年齢とその立ち位置からして、その男のほうがギルド内での役職が上であることは容易に想像できた。


「……ルクト・オクスはオレですが」


 随分大物が来たらしい、と思いながらルクトは立ち上がる。談話室には彼以外にも数名の学生がいたのだが、今はその全員の視線が二点間を行ったり来たりしていた。すなわち、入り口に立つ二人の男と、ルクトの間を。


「私は、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉のギルドマスターで、フェルナンド・リーバイという」


 さも当然と言わんばかりに(いやフェルナンドにしてみれば当たり前に当然のことなのだが)身分を明かし、フェルナンドはルクトに対して右手を差し出した。その手を、ルクトは内心に混乱を抱えながらもなんとか握る。


 ギルドマスター!!


 その称号がなにを意味するか、さすがにルクトだって分かる。つまりギルドという組織の頭だ。トップだ。一番偉い人だ。今までに勧誘された経験は数あれど、ギルドマスターが直々に出張ってきたことなどさすがにない。


(あまりにも大物過ぎる! メリアージュ、あんた一体なにやらかしたんだ!?)


 メリアージュが関わっていない可能性は考慮しない。タイミングが良すぎるからだ。なにより、これ以上のことが起こるなど勘弁して欲しい。


「……ルクト・オクスです」


 内心の動揺は必死に隠し、何とか平静を保ってルクトは自己紹介をした。ただ、本人の努力とは裏腹に緊張していることは誰の目にも明らかであったが。


「うむ、よろしく。ベルムートはもう知っておるな?」


 フェルナンドの紹介にあわせてベルムートが軽く頭を下げる。それを見てルクトもまた慌てて頭を下げた。


「今日は君に、少し見てもらいたいものがあってな」


 そう言ってフェルナンドは懐から一通の封筒を取り出した。受け取ったルクトはすぐにその封筒に違和感を覚える。すでに封が開いているのだ。


(つまり別の誰かから受け取ったものを、中身を確かめた上でオレに見せている……?)


 そうとしか考えられない。そしてその“別の誰か”とは……。


(やっぱりか……)


 中に収められていた手紙の、筆跡とサインは間違いなくメリアージュのもの。もちろん驚きは大きいが、その反面納得と安堵も感じる。


「我々としてはそこに書かれていることを叩き台に、君と契約を結びたいと思っている」


 ルクトが中身を確認し終えたと思ったのか、フェルナンドが彼に声をかける。言葉こそ穏やかな調子だが、眼光は鋭く本気の度合いが伺えた。


「……わかりました。お引き受けします」


 フェルナンドが拍子抜けするほど、ルクトはあっさりとそう答えた。彼の後ろでベルムートもまた目を見開き驚きを表している。


 例の噂が流れてからこのかた、カーラルヒス中のギルドがルクトのその答えを引き出さんと奔走してきた。もちろん、彼は学生の身分であったからそのために騒ぎがある程度抑制された面はあるだろう。しかしカーラルヒス中を巻き込んだ騒ぎであったことは間違いない。


(なんというか……、幕引きとしては盛り上がりに欠けるな……)


 苦笑気味にフェルナンドはそう思った。もちろん「盛り上がる」ということは、つまり「騒ぎが大きくなる」ということで、目の前の青年はそれを望みはしないだろう。しかし今回の騒動はルクトの近辺よりもむしろ、ギルド間でのほうが騒ぎは大きくなっていたのだ。それを知っている身としては、予想していたような“壮大な”幕引きではなかったことを、さて喜ぶべきか否か。


 まあそれはともかくとして。ルクトのこの一言で、今回の事態に一応の幕引きがされることは確かだ。


「……そうか、ありがとう。では、詳しい内容を詰めようと思うのだが……」


 どこか落ち着いたところで話がしたい、とフェルナンドは言った。周りを見渡せば好奇心に満ちた視線が談話室のあちこちから無遠慮によこされている。


「……適当な場所を知らないので、お任せしますよ」


 これはまた妙な噂が広がりそうだ、とルクトは内心で苦笑する。


「そうか。では、いい店を知っているのでそこに行くことにしよう」


「……上着を取ってきます」


「ああ、では寮の前で待っているよ」


 談話室から出たところでルクトは二人と別れて自室に向かう。学生寮の廊下を出口に向かって歩くフェルナンドの後ろで、ベルムートが呟くようにして言葉を漏らした。


「……正直、ここまで簡単に話が決まるとは思っていませんでした」


 感無量というよりもなんだが化かされた気分です、とベルムートは内心の戸惑いを口にする。彼の戸惑いも分かる。それくらいルクト・オクスは、これまでどこのギルドの勧誘にも食いついてこなかったのだ。


「そうだな。私も驚いている」


 口ではそう言ったものの、フェルナンドは言葉ほど驚いてはいなかった。なるべくしてなった。そんなふうに思えるのだ。そして断られたとしても、また同じように思ったのだろう。


「それよりも、本当にあの条件でよかったのですか?」


 ベルムートが少し残念そうな声でそう尋ねる。先ほどルクトに提示された条件は、簡単に言えば「遠征の行きと帰りだけルクトの〈プライベート・ルーム〉を利用し、その分の料金を支払う」というものだ。


 つまりフェルナンドが、いやメリアージュが用意した条件は、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉がルクトを雇用するためのもの、ではない。いうなれば“依頼”とでも言うべきものなのだ。そしてその“依頼”は、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉でなくともできる。つまりルクトを(言い方は悪いが)独占することはできないのだ。


「かまわんさ。そもそもあの条件でなければ、彼をその気にさせることさえできなかったろうからな」


 いや、そもそもの話をするならば、そもそも条件云々の問題ではなかったのだ。いうなれば信頼の問題である。メリアージュのあの口ぶりからすると、そういうことだろうとフェルナンドは思っている。


「それにな、どのみち独占などできんよ」


 仮にルクトが〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉に入ったとして、それで他のギルドが引き下がるかといえばそうではない。次は「合同遠征」のような形で接触してくるであろう。なにしろフェルナンドもその手を考えていたのだ。他所が同じことを考えていないはずがない。


 そして「合同遠征」を提案されれば、受けないわけにはいかないであろう。なにしろハンター社会というのは存外狭い。断り続ければ無用な軋轢を生むことになる。


「落ち着くべきところに落ち着いた。私はそう思っているよ」


「それは、そうですが……」


 ベルムートはまだ少し不満そうだ。確かにルクトが完全に〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の所属になれば、他所のギルドに対してアドバンテージをもてるだろう。ただ、アドバンテージそれ自体はルクトとの交渉を一番最初にまとめることでも得られる、というのがフェルナンドの考えだ。


「考えてもみよ。この先、依頼が殺到することは目に見えている。学生である彼にそれを捌くことができると思うか?」


「それは……、無理でしょうな……」


 仮にできたとしても学生生活に支障が出ることは明白である。であるならば別に窓口を作って依頼を受付け、そこで「合同遠征」の計画を立てることが望ましい。


「それをウチでやる、と……」


 ベルムートの言葉にフェルナンドは無言で頷いた。もしその通りにできるとすれば、確かに〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉は他のギルドに対して一定のアドバンテージを得ることができるだろう。そして先ほどのルクトの様子からすれば、その方向で話をまとめるのは難しくはないはずだ。


「もちろん、ルクト君の意向は最大限配慮しなければならないだろう」


 もしルクトの都合を無視した計画を立て続ければ、彼は窓口を別のギルドに移すだろう。また学生生活に支障が出るようならば、学園からストップがかかることもありえる。


(それに……)


 それに、ルクトが〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の苦情をメリアージュに漏らしたとしたら、その時彼女はどんな行動を取るであろうか。


(ギルドが潰されるだけで済めばよいがな……)


 フェルナンドは大真面目にそう考えている。それに単純な戦力を比べてみても、ギルドとしての〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉は〈闇語り〉に及ばない。四十年前の彼女の戦いぶりを知っているフェルナンドには、その事がはっきりと分かるのだ。


 つまり〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉は二重の首輪を付けられているのである。メリアージュはそのことを見越してこの話を持って来たに違いない。


「やれやれ、とんだジョーカーを引かされたものだ」


 フェルナンドは苦笑した。このジョーカーは手元に置いておけば確かに切り札として作用する。ただしこのジョーカーは自分の意思で持ち主を選ぶから、いつヘソを曲げて出て行ってしまうか分からない。その上、鬼札に変化することさえありえるのだ。


「ははあ、では我々はその〈移り気なジョーカー〉を宥めすかして手元に置き続けなければならない、ということですな」


 ベルムートは冗談めかしてそういった。彼はメリアージュについて詳しくは知らないから、フェルナンドの考えすべてを理解しているわけではないだろう。それでもフェルナンドは心の底からこう応じた。


「いや、まったくだ」



▽▲▽▲▽▲▽



 自室である403号室に上着を取りに来たルクトは、内心でまだ少し戸惑っていた。なにしろ今まで散々迷ってきたというのに、先ほどああもあっさりと承諾の返事をしてしまったのだから。


 ただ、戸惑いはあれど、不思議と後悔はなかった。


『これでもやる気がしないなら、止めておけ』


 メリアージュのサインを見たとき、彼女にそう言われた気がしたのだ。


 彼女は決して、「この条件できりきり働け」と、そういう考えではないだろう。それならばルクトにも一言釘を刺しに来るはずだ。きっと「こういう条件ならば働きやすいに違いない」と考えてくれたものに違いない。


 契約云々よりも、ルクトにとってはそちらのほうが重要で、大切だった。なにしろ、彼は先ほど、条件の中身などほとんど読んでなどいないのだから。


 つまるところ、メリアージュの直筆のサインがあったから頷いた。そういうことになってしまう。


「ま、なるようになるさ」


 不意に感じた気恥ずかしさを隠すようにしてルクトはそう呟いた。


 もちろん、分からないことはいろいろとある。だがメリアージュがすべての疑問に答えてくれるわけではないのはいつものことだ。


 教える必要がない、と思われている事柄もあるだろう。だが、教えなくとも大丈夫、と思ってくれている部分もあるはずなのだ。たぶん。


「断定できないのが、我ながら情けない」


 苦笑しつつも、ルクトの表情は晴れやかだった。


 かつて彼は、「自分は何に一生をかけるのだろうか?」と考えたことがある。彼ならずとも、誰もが一度は同じことを考えるだろう。そして誰もが同じように一度で答えを出すことなどできはしない。


 ルクトもまた、そうだ。自分が何に一生をかけるのか、その答えはいまだに出ていない。ただ一つ、方向性のようなものは見えた気がする。


「心配されるのではなく、信頼されたい」


 誰に、という部分はあえて言葉にしない。


 ふと、思う。そこに入る固有名詞が決まったとき、自分はちゃんと大人になれているだろうか、と。


 そんなことを考えながら、ルクトは403号室を後にした。



そんなわけで。

「移り気なジョーカー」、いかがだったでしょうか?


今回はタイトルをつけるのにすごい悩みました。

実際、一回タイトル変えてますしね。

新月としてはこのタイトル結構気に入っているのですが、どうでしょうか?


今後も気長にお付き合いいただけるとうれしいです。

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― 新着の感想 ―
「移り気なジョーカー」 気に入ったよ。 どこかの映画に出ていたジョーカーも牢屋で渋面を作って拍手しているに違いない。
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