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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第四話 移り気なジョーカー
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移り気なジョーカー7

 五階層の地底湖で狩り(ハント)と採取を終えたルクトが迷宮(ダンジョン)から戻ってくると、すっかり夕方になっていた。日はすでに落ち、ただ西の空が赤く輝くのみ。珍しく雲の少ない空を見上げれば、天上では今まさに昼と夜が入れ替わろうとしている。


 いわゆる、黄昏時である。別に何があったわけでもないのに、昔からこの空を見ると妙に物悲しい気分に浸ってしまうから不思議だ。


 迷宮(ダンジョン)の上に立つ〈会館〉から出て、少しだけ足を止めて空を見上げていたルクトはすぐに視線を水平に戻して歩き始める。そんな彼に声をかける人影があった。


「すまないが、君がルクト・オクス君だね?」


 声をかけてきたのは見知らぬ男だった。歳は五十くらいだろうか。顔にはシワができ始めオールバックにした髪の毛にも白いものが混じり始めている。ただ、顔のシワと頭の白髪はストレスのせいで、本当は五十よりも若いのかもしれない、とルクトは心の中で少し失礼なことを考えた。


「なぜオレがルクト・オクスだと?」


 若干の警戒を滲ませて尋ねる。目の前の男とルクトは直接の面識はなく、顔を合わせるのはこれが初めてのはずだ。なのになぜこうも断言するのか。


「君の年代で会館から一人で出てくるとなれば、真っ先に思い浮かぶのはルクト・オクスの名前だよ」


 ルクトの警戒を感じ取った男は、苦笑を滲ませながらそう答えた。その答えにルクトは一応納得する。確かに周りを見れば会館に入る者も、そして逆に出てくる者も、ほとんどがパーティー単位で固まっていた。


 ただ、警戒は解かない。この場で話しかけてきたということは、恐らくこの男はルクトが迷宮(ダンジョン)に潜っていることを知った上で会館から出てくるのを待っていたのだろう。下手をすれば遠征で数日出てこないこともありえるのに、ご苦労なことだとルクトは内心で呆れる。それほどまでに接触を急いでいるのだろうか。


 しかしルクトが警戒しているのはそれが理由ではない。なぜこの男はルクトが迷宮(ダンジョン)に潜っていることを知りえたのか。ルクトは結構な頻度で迷宮(ダンジョン)に潜っているので、まったくの偶然という可能性もないわけではない。ただ、それを期待するほどルクトは楽観的にはなれなかった。


 となると、可能性は一つ。「ルクト・オクスが迷宮(ダンジョン)に潜った」と言う話が、彼が出てくるまでの間に広まった、ということだ。それはつまり、ルクトの行動がかなり高い注目を集めている、という意味でもある。


 その、「注目している」のが男とその仲間たちだけなのか、それとも程度の差はあるだろうがカーラルヒスのハンター全体なのかはわからない。ただどんな意図があるにせよ、そういう監視じみた注目のされ方と言うのは、決して気持ちのいいものではない。


「……それで、あなたは誰なんです?」


「私はギルド〈アルペシオン〉に所属している者で、アガッシュ・デニスという」


 一応幹部職を得ている、とアガッシュは淡々と付け加えた。ギルド〈アルペシオン〉。ルクトには聞き覚えのないギルド名だ。学生の勧誘にわざわざ幹部を送り込むのだから、そう大きなギルドではないのかもしれない。逆に「それだけ本気だ」という意思表示かもしれないが。


「……〈アルペシオン〉の幹部さんが、学生に何のようですか?」


 分かりきったことではあるが一応聞いておく。それに対しアガッシュは、やはり予想通りに「君をスカウトしに来た」と答える。


「色々と話したいこともある。一緒に食事でもどうだ?」


 もちろん奢らせてもらおう、とアガッシュは提案する。「奢り」と言う単語にルクトの心は揺れた。攻略を終えて帰ってきたばかりで、腹もいい具合に減っている。正直、結構魅力的な提案だった。


「……今回は遠慮させてください」


 しかしルクトは揺れる心を何とか押さえつけてアガッシュの提案を断った。それから「部屋に戻って着替えたいので」と付け加える。


 ただルクトの着替えは〈プライベート・ルーム〉の中に片付けてあるから、着替えるためにわざわざ寮の自室まで戻る必要はない。それにルクトの装備は比較的軽装で、地味ではあるが物々しい感じはしなかった。太刀と胸当てや籠手などの装備は、それこそ〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んで置けばよい。戦闘服の上にロングコートを羽織っているだけなら、レストランに入店を断られるほどみっともないということはない。


 つまり、ルクトなりに警戒している、ということだ。


 なにもアガッシュが食事の席で低俗な策略をめぐらす、と思っているわけではない。むしろ、学生相手にそこまで手の込んだことなどしないであろう。仮に仕掛けたとしても、それは彼がそれと気づかない程度のもののはずだ。


 強いて言うなのならば、“勘”である。その“勘”に無理やり理由をつけるのであれば、「準備万端整えているはずの相手と、不意打ち気味のこの状態でさしあわない方がいい」と言ったところだろうか。


「ふむ、着替えるくらいなら待っていてもいいが……」


 アガッシュは顎を右手でなでながらそう呟く。彼はルクトが自分のことを警戒し、理由にもならぬ理由で食事の誘いを断ったことを十分に理解している。理解したうえでそ知らぬ態度を決め込み強引に話を進めようかとも思ったが、そこまでする必要もないかと思い今回は引くことにした。そもそも食事の席で契約を結んだり言質をとったりしようと考えていたわけでもないのだ。


「まあいい。食事はまた別の機会にしよう」


 アガッシュがあっさり引き下がってくれたことで、ルクトは胸をなでおろす。ルクトは内心の安堵を表に出したつもりはなかったのだが、アガッシュからすれば緊張が解けたのが丸分かりだった。


「一応、こういうモノを用意してきた。後で目を通してほしい」


 そう言ってアガッシュが差し出したのは一通の手紙だった。〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の話はすでに知っているはずで、それに倣ったのかもしれない。


「その中身の説明を食事でもしながらと思っていたのだが、まあいい。分からない点があれば、ギルドホームまで来て欲しい」


 手紙をルクトに手渡すと、「いい返事を期待している」と言い残しアガッシュはそのままきびすを返して人ごみの中へとまぎれて行った。


 アガッシュの背中を見送ったルクトは、ひとまず受け取った手紙をコートのポケットに捻りこみ歩き始める。


(〈アルペシオン〉……。〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉に続いて二つ目、か……)


 そして恐らくは“まだ”二つ目。この先、他のギルドも競ってルクトに接触してくるだろう。確証はないが確信はある。ただの学生がこんなことを考えていれば自信過剰を通り越して夢想家といわれるだろう。だがルクト・オクスはただの学生ではない。少なくともカーラルヒスのハンターたちはそう評価している。


(面倒なことにならなきゃいいけど……)


 ルクト自身、自分がどうするのか態度を決めかねているのだ。自分の望む道が決まれば、多少騒ぎが大きくなってもそれ自体を忌避しようとは思わない。自分で収拾を付けられるかは別にしても、まあ色々とがんばることだろう。


 しかし今のルクトは、自分がもっとも望んでいることが一体なんなのか、それがよくわからないのだ。


 借金を減らしたいとは思っている。そして、できることならば在学中に完済してしまいたいとも。その気持ちは変わらないし、そして間違いなく強い。


 ならばギルドに入ってしまえばよい。そうすれば能力に応じ相応の報酬が得られるであろう。パーティーを組むようになれば、攻略中のリスクも減らすことができる。


(いい事ずくめ、のはずなんだけどなぁ……)


 胸のうちでルクトはぼやいた。どれだけメリットを挙げてみても、「よし、やろう!」という気にならないのだ。


「ソロに拘ってる、とか?」


 そんな独り言を呟く。確かにドレスをまとい扇を片手にヒールを鳴らしながら迷宮(ダンジョン)を闊歩するメリアージュの姿はルクトの脳裏に焼きついている。ヴェミスにいた頃はその背中についていくだけで精一杯で、おそらく二人の実力差は今もさして変わってはいないだろう。ただ、そのことが分かるようになったのは成長と言えるかもしれない。


 超越者。それが迷宮(ダンジョン)でのメリアージュの姿だ。もちろん彼女の本気などルクトは見たことはないが、それでもメリアージュの実力が他のハンターたちと比べて隔絶しすぎていることは明確に理解できる。


 そんなメリアージュをルクトは近くで見続けてきた。憧れることさえもおこがましいかも知れないが、しかし憧憬の気持ちは否定できない。


「まあ、それでも……」


 憧れと現実を混同しないくらいには、大人になったつもりだ。実際、プロのハンターたちとではなく、もう一度ロイたちとパーティーが組めるならそうしたいと思っている。その点、どうしてもソロに拘っているわけではない。


「引き止められたとしても、考えてみれば強硬手段なんていくらでもあるしな……」


 話を聞いた最初の頃、直感的に「故郷に帰れなくなるかもしれない」と思った。しかし強引に引き止められたとしても、カーラルヒスから脱出する手段などいくらでもある。学園を頼ってもいいし、なんなら夜逃げしてもいい。〈プライベート・ルーム〉は夜逃げにも役立つ能力なのだ。


「ああ、もう……!」


 一体何なんだ、と苛立たしげにルクトは呟く。ギルドに入ってプロのハンターたちとパーティーを組むことは違法でもなんでもないし、また学園側も黙認してくれる。加えて高収入だ。ルクトは自分のことを、その手の話があれば喜んで引き受けるタイプの人間だと思っていた。しかし現実はこうして悶々としている。それが自分でも意外だった。どうやらこれを機に自己評価を改めなければならないようである。


(やめた!)


 心の中でそう言いきり、それ以上考えるのをやめる。我ながら優柔不断だと思うが、考えれば考えるだけ分からなくなっていくのだ。結局、自分の心こそがこの世で一番理解不能なのかもしれない。


「さて、今日の夕食は何かな……」


 せっかくアガッシュが奢ってくれるというのを断ったのだ。それが正解だったと思えるような内容を期待したい、とルクトは努めて思考を別の方向に向ける。


 それでも、頭の一部では理解している。これでは問題の棚上げにしかなっていない、と。しかもこれはいつまでも棚上げしていられる問題ではない。そして自分なりの答えを出さなければ、後は状況に流されていくだけだ。


 それではいけない、と頭のどこかが叫んでいる。叫んでいるが、今はそれに気づかないふりをするルクトであった。



▽▲▽▲▽▲▽



 次の日から、ルクトのもとには各ギルドからの「お手紙」が続々と届くようになった。どうやらアガッシュの食事の誘いを断ったことで、一線を引いたと思われたらしい。つまり「手紙なら受け取るが、直接話を聞くことはしない」というのが、ルクトの対応だと彼らは考えたのだ。


(そんなつもりはなかったんだけどな……)


 手紙の束を目の前に、ルクトは苦笑した。彼はそこまで意味深な理由があってアガッシュの誘いを断ったわけではない。ただ、寄越された手紙の量を見ると、すべてから詳細な説明を聞いていては大変な時間がかかったであろうと簡単に予想できる。煩いごとが減ったという意味では、この勘違いはルクトにとって都合が良かった。


(いや、時間がかかるほうが、都合が良かったか……?)


 時間がかかれば、その分考える時間を確保できる。ただその時間さえあれば自分で納得のいく答えを出せるのか、ルクトは自信がなかった。


(全部目は通してみたけれど……)


 貰った手紙は全て目を通してある。そしてそれらの 手紙の内容をまとめると、おおよそ次のようになる。


 一つ、学業を妨げないよう、最大限配慮する。

 一つ、ソロでの活動は控え攻略はギルドのメンバーとパーティーを組んだ上で行うこと。

 一つ、連携を確認する必要があれば、迷宮(ダンジョン)に潜る前に行うこと。

 一つ、大規模な遠征を計画した際には可能な限り参加すること。

 一つ、契約期間は卒業までとし、その後のことは相談に応じる。


 このほかに、報酬などについて具体的な数字も挙げられていた。当初それらの数字を示していなかった〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉も、追加の手紙でそれらの情報を補完している。

 各ギルドから貰った手紙の内容には、計ったわけではないだろうがさほど大きな差はなかった。同じ人間の同じ能力を目当てに勧誘を行っているのだから、当然と言えば当然かもしれない。


 だからこそ、というのは変かもしれない。しかしそれがルクトの正直な感想である。今の彼には、二つの選択肢しかなかった。


 すなわち、「受ける」か「受けない」か。あまりにも単純な二択であり、そして変化のない選択肢である。そして変化がないからこそ、ルクトは相も変わらず頭を悩ませる羽目になっていた。


 もちろん、まわりに相談してはいる。


『デメリットはないと思うよ。少なくとも気をつけなきゃいけないようなデメリットは。それでも気が進まないっていうのなら、それこそ気分の問題だね』


 これはロイの答えだ。もともとが腹黒である彼は、こういう契約ごとには鼻が利く。そのロイをして「デメリットがない」と言うのであれば、やはり破格の好条件であることは間違いない。


『難しいわね……。プロと学生じゃ、同じ攻略でも目的が違うと思うの。その差が、決定的にならなければ良いけど……』


 これはルーシェだ。彼女の言うとおり、プロのハンターと学生では攻略に対する意識が若干異なる。学生が「卒業要件の達成」を目標にするのに対し、プロは「いかに効率よく稼ぐか」に主眼を置く。それは決して大きな差ではないが、しかし同一の目的でもない。そしてパーティーを組んで遠征を行うための前提条件は、「少なくとも迷宮(ダンジョン)内では無条件に信頼できること」。小さな差異であろうとも、この前提条件を崩すことになりえないかとルーシェは心配していた。


 もっとも、ルクトの場合は多少事情が異なる。何しろ彼はすでに卒業要件を達成している。となれば迷宮(ダンジョン)に潜る目的は、やはり「金を稼ぐこと」である。ただ、それでもプロと学生という立場の差はなくならない。いわば「稼ぐためにいいように使われる」のはルクトもお断りだ。


『いいじゃん、受けちゃえよ! そして女の子たちと遊びに行こうぜ! お前の奢りで!』


 自分の欲望全開でそう言ったのはソルだ。場を和ませようとする冗談だったのか、それとも本気なのか。とっさに判断できなかったのは、彼の日ごろの行いのせいだろう。さらに何か言おうとするソルをルーシェが実力行使で止めていたが、すでに日常の風景と化しているそれを気にするメンバーはいなかった。


『わたくしなら受けないと思いますわ。わたくしが学園にいるのは、ここで学んだことを故郷の都市に還元するため。お金を稼ぐためではありませんもの』


 これはテミスだ。彼女とルクトの事情は異なるが、それでも「金を稼ぐために学園にきたわけではない」というのは同じだ。ルクトの場合、金を稼ぐだけならヴェミスにいてもよかったのだから。ただその一方で、彼自身が「金を稼ぎたい」と思っていることは否定できない事実である。


『受ければいいと思うぞ。その方がお前も得るものが多いだろうに』


 最後にそう答えたのはイヴァンだった。彼の言う「得るもの」とは決してお金だけの話ではない。パーティーを組むことで得られる「安全」や「経験」もルクトにとっては得難いもののはずだ、と彼は指摘した。


 安全については重々承知しているが、“経験”と言われて思わずルクトは考え込んだ。卒業後、普通に考えればルクトもパーティーを組むことになる。しかしこれまでずっとソロでやってきた彼が、いきなりパーティーを組みその中で上手くやっていけるかどうかは別問題であろう。


 パーティー内での振る舞いと言うのは、やはりパーティーを組んで覚えるしかないのだ。しかしルクトは学生同士でパーティーを組むことを禁止されている。彼がパーティーを組むためにはいずれかのギルドにお世話になるしかない。


 ルクトが相談したのはかつてのパーティーメンバーだけではない。気の引ける部分はあったが、それでも背に腹は変えられぬと思い武術科長であるゼファーにも相談した。


『武術科長として言えることはそれほど多くない。ただ何か問題が起これば、学園は全力で君の味方をする。そこは安心して大丈夫じゃ』


 それからゼファーは表情を緩め、思いがけず優しい目をルクトに向けてさらに言葉を続けた。


『ただ君より少し長く生きている先達として言わせて貰えば、答えが出ないのであればまずは動いてみることも一つの手じゃ。動くことで心の整理がつく場合もあるからのう』


 動いてみて相応の結果が出れば「これでよかった」と納得できることもある、ということだろうとルクトは解釈した。ただ今の彼は、その“動くこと”に二の足を踏んでいる状態だ。


 答えは出ず、決意は固まらない。しかし決断は下さねばならない。それも近いうちに。そう思うと焦りが募った。


「それで、ワシのところに来たのか」


 相談したいことがあると言ってきたルクトに対し、ダドウィンは少々呆れ気味にそう応じた。


「門外漢のワシが言えることなど、もうないだろうに」


 自分が思いつく程度のことならばすでに誰かに言われているはずだ、とダドウィンは言う。


「ですよねぇ……」


 その言葉にルクトは苦笑する。彼自身、そう思いながらここに来たからだ。相談して答えを出すというよりは、答えを出そうとしている様子を見せて時間を稼ぐことが目的になっているのかもしれない。つまり棚上げ、先送りだ。優柔不断なことこの上ない。


「ただ、そうだな……」


 剣を一振り砥石に当てながら、ダドウィンは独り言のようにして話し始める。


「最近、ハンター連中の空気がピリピリしているようには感じるな……」


 ちょっとした言葉の端々。態度や表情。そういったものが少し刺々しい、ように感じる。昨日も飲みに行った酒場でハンター同士の喧嘩があっという。もちろんこれはダドウィンの個人的な意見でしかないが、門外漢である彼にすら分かる、という意味では問題かもしれない。


「言っとくが、問題なんぞ日ごろから起きているぞ」


 ハンター社会というのは存外狭い。常日頃から顔を合わせ、しかも競い合っているのだ。大なり小なり問題が起こらないわけがない。ギルド同士の問題が所属しているハンターたちの関係に影響したり、それが原因で喧嘩にまで発展したり、ということは決して珍しくないと言う。


「だからお前さんのことだけが原因、っていうわけじゃないだろうよ」


「だけど、まったくの無関係と考えるのは、都合が良すぎますよねぇ……」


 ため息交じりのルクトの言葉に、「まあそうだろうな」とダドウィンは苦笑気味に応じた。自分のことが治安の悪化の一因になっていると思うと、さすがに気が重い。


「堂々としていればいいと思うぞ」


 剣の刃の研ぎ具合を確かめながら、ダドウィンはそう言った。


「どんな決定をするにしても、周りがどれだけ騒ぐとしても、誰に何をはばかるわけでもないんだろう?」


 だったら堂々としていればいい、とダドウィンは鋭い視線を剣の刃に向けたまま話した。それから剣を砥石にもう一度当てて研磨しながらさらに続きを話す。


「……変に申し訳なさそうにして負い目を見せれば、そこを突こうとするのが大人だ。汚いと思うだろうが、まあ世間は汚いことのほうが多い」


 顔を上げて視線をルクトのほうに向けたダドウィンは、そう言って苦笑を浮かべた。彼自身、大人だ。そして商いをしている以上、そういう“汚い”事柄を目にしたこともあるであろう。


「まあ、お前さんなら心配はいらんだろうがな」


 なにしろワシが見てきた学生の中でもダントツでふてぶてしい、とダドウィンは遠慮なく笑った。


「……褒め言葉だと思っておきますよ」


 ルクトは苦笑気味にそう応じた。それから話を聞いてくれたことに礼を述べ、彼は〈ハンマー&スミス〉を後にする。


「これから迷宮(ダンジョン)にでも行くのか?」


 帰り際にダドウィンからそう尋ねられたルクトは、しかし首を横に振った。


「今は迷宮(ダンジョン)に寄り付きたくないんですよね……」


 少し困ったようにしながら、ルクトはそう答えた。決して迷宮(ダンジョン)攻略が怖くなった、というわけではない。ただそこに行けば必ずハンターたちがいる。ルクトが顔を出せば勧誘の話になるだろう。答えが何も出ていないのにあれこれ言われても困る、というのが彼の本音だ。


(ホント、早めに決めないとだなぁ……)


 迷宮(ダンジョン)に行かないと言うことはすなわち攻略をしないと言うことであり、それは収入減に直結する。儲け話が来ているはずなのに収入が減るというのも変な話だが、実際にそうなってしまっているのだから異常事態であろう。早急に解決せねば悲惨なことになる。主にルクトの経済状況が。


(ああもう本当に……! なんでオレごときにここまで騒ぐんだよ……)


 メリアージュ並みの武芸者がカーラルヒスにいれば自分がここまで注目されることはなかっただろうに、とルクトは思う。メリアージュがいるヴェミスでも彼はそれなりに注目されていたのだが、子供だったこともあり彼自身はそのことをあまり意識したことはなかった。留学して故郷を離れているせいもあり、ヴェミスでの自分の評価をルクトは知らない。


 それはともかくとして。カーラルヒスの武芸者の質が低いから自分ごときに注目が集まるのだ、とルクトは珍妙な不満を抱くのだった。



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