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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第四話 移り気なジョーカー
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移り気なジョーカー6

「いや~、初めて食べたけどやっぱ違うな、400シク弁当は」


 主に肉の量が、とルクトは満足げにのたまった。


 あの後、ルクトは絡んできた四年生に400シク弁当を買わせることに首尾よく成功した。その代わりに四年生たちは〈プライベート・ルーム〉に閉じ込められていたメンバー三人を無事に助け出したのだが、去り際に向けられた忌々しげな視線を思い出す限り、そのことをありがたく思っていることは無いだろう。


「絡んできた先輩たちに逆に弁当を奢らせるとは、呆れたものだね、まったく」


 350シク弁当を平らげたロイは、満面の笑みを浮かべているルクトに対し苦笑と共にそう言った。


「先輩相手にあそこまで図々しくなれるのは、一種才能だと思うよ? 僕は」


「そうか? たかだか一歳違うだけじゃん」


 ルクトはそういうが、十代におけるその一歳の違いというのは、普通は果てしなく大きいものだ。学年と言う明確な区分で区切られている場合は特にそういえる。学年が一つ上と言うだけで、大抵の学生は萎縮してしまうものだ。


 ルクトが例外的に萎縮しなかったのは、やはり彼が育ってきた環境のせいだろう。彼の周りには同年代の友人よりも大人のほうが多かった。そのため年齢よりも彼は早熟だ。それにメリアージュの威圧で鍛えられてきた彼にとって、半人前のハンターがどれだけ凄んでみても滑稽にしか感じないのだ。


「……というか、さっさと見捨ててくれたよな、お前」


「いや~、あっはっはっはっは」


 ジト目で睨むルクトを、ロイは笑ってごまかす。彼は優しげな好青年という外見のわりに腹黒で、そんなロイの鉄面皮を貫くことはかなわずルクトは大げさなため息をついた。


「ところで、さっきの先輩たち。『最近稼いでる』なんていっていたけど、例の噂は本当なんだ?」


「例の噂って?」


 ロイが話した“例の噂”は、ルクトが想像していたのとまったく同じ内容であった。曰く「ルクト・オクスはプロのギルドに雇われて荒稼ぎしている」。


「今はまだウソ」


「ということは、この先真実になりえるかもしれない、と?」


 可能性としては、とだけルクトは返した。そんなルクトにロイは不思議そうな視線を向ける。


「傍観者としての意見だけどさ、なんでさっさと受けちゃわないのさ?」


 ロイがそう尋ねる。実際、客観的に見てプロのギルドに雇われるというのはいい話だ。待遇は良いだろうし、学生という立場も考慮してくれるはず。学園側も積極的に黙認するのであれば、この上なにを渋ることがあるのか。


(……オレが完全に身寄りのない孤児なら、確かに悩むことなんてなかっただろうな)


 しかしルクトには身寄りがある。恩人であり、育ての親でもあるメリアージュ。カーラルヒスに残ることになるかもしれないと思うと、どうしても彼女のことが頭をよぎる。


「……まあ、君は君の考えがあるんだろうけどさ。君が答えを出さないままぐずぐずしていれば、その分君の周りは騒がしくなると思うよ」


 さっきの四年生たちみたいに、ロイは続けた。その言葉にルクトは露骨に嫌そうな顔をした。


 ルクトがカルミから聞いた話では、“例の噂”はそもそも一年生の間で流布されていたという。それがここ最近になって他学年の間でも流れ始めたようだ。さらに、ギルドが実際にルクトに接触していることが噂に真実味を持たせている。


(目下騒ぎは順調に拡大中……、かな?)


 勘弁して欲しいものだ、とルクトは胸のうちで苦笑した。


 目立ちたいとか、有名になりたいとか、そういう願望をルクトは抱いていない。いや、そういう欲望がまったくないわけではない。実力は正当に評価されたいし、世捨て人になりたいわけでもない。ただそれは願望と言うより自尊心の問題だ。


 名が知られると言うのは、面倒事が向こうからやってくるということなのだ。有名になって向けられるのは尊敬や敬意だけではない。擦り寄ってくる者や利用してやろうと考える者、嫉妬ややっかみ、中には憎悪の感情を持つものもいるだろう。


 そういう諸々は、煩わしくて面倒くさい。ルクトの気力とやる気は借金の返済だけでいっぱいいっぱいである。


 まあそれはいいとして。今のこの状態はどうなのだろうか、とルクトは考える。果たしてこの騒ぎは、ルクト・オクスという人間を勧誘するのに必要で、正当な騒ぎなのだろうか。


 その通りだ、と自分で結論してしまうのは過大評価なように思える。実際、ルクトは自分の実力について「大したことはない」と思っているのだから。


(まあ、なんにせよ……)


 なんにせよ、決断だけは下さねばなるまい。結論をいつまでも先延ばししていては、ロイの言うとおり騒ぎばかりが大きくなる可能性もある。


「〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉以外のギルドから、直接勧誘されたりは?」


「まだない」


 だからこそ、勧誘はこれからされるのであろう。つまりもっと騒がしくなる、ということである。


「あ~、めんどくせ」


 ちょっと迷宮(ダンジョン)に行ってくる、と言ってルクトは立ち上がった。決断は下さねばならない。それも近いうちに。だが本格的に勧誘されているわけではない今は、結論を出す段階ではないのも確かなのだ。


「ん、気をつけて」


 ヒラヒラと手を振りながらロイはルクトを見送る。パーティーを組んでいた頃と変わらないその態度に、妙に安心するルクトであった。



▽▲▽▲▽▲▽



「よう、ルクト。相変わらずソロか?」


 ルクトが迷宮(ダンジョン)に潜るための受付のために列に並ぶと、すぐさま近くにいた顔見知りのハンターが話しかけてきた。


「ええ、まあ。っていうか、オレは卒業するまでソロですよ」


 ルクトはいつもどおりに返す。いつもであれば、この後は「確かにな」と遠慮なく笑われて終わりだ。しかし今回はちょっと流れが違った。


「でもよう、それは学園内での取り決めだろう?」


 その問いかけにルクトは苦笑を返した。つまり学園の外のくくりであればパーティーを組んでも良いのではないか、ひいてはどこかのギルドに入る気はないのか、と聞いているのだ。


「今この場で勧誘する気はねぇけどよ、お前さんと組んでみたいって気持ちはやっぱりあるぜ」


 それからその顔見知りのハンターは「勘違いするなよ」と付け加えてから、さらに言葉を続けた。


「別に楽して稼げるから、ってわけじゃない」


 もちろんそれも理由の一つではある。生きていく以上、お金は必要だし稼ぎは重要だ。けれどもルクトとパーティーを組んで一番魅力的だと思うことは別にある。


 安全。それが何よりも重要で魅力的な要素だ。


「お前さんと組めれば、俺も五体満足で引退できそうだからよ」


 顔見知りのハンターはそんな風に表現した。それから少し気恥ずかしかったのか、目を逸らしてまたぽつぽつと語る。


「……ハンターは、確かに高収入だ。けれど、それ以上の危険が付きまとう」


 実際、五体満足で現役を引退できるハンターは全体の五割にも満たないと言われている。そして後遺症を残してハンターを引退した者は、その後遺症ゆえに満足に働けないことも多いのだ。腕の一本、足の一本でも失ってしまえば、それだけで日常生活にすら支障が出る。


 ハンターとして働き通せた者は、いい。ただそれだけで成功者だ。だが失意のうちに引退しなければならなかったハンターのその後は、惨めである。


「……自分のことで悪いけどよ、俺にだって家族がいる。養っていかなきゃいけねぇ。路頭に迷わすわけにはいかねぇんだ」


 そう語る男の目はいつになく真剣だった。


「……で、そのためにもハンターの仕事は長く続けなくっちゃいけねぇ。お前さんと組めればそれが叶いそうだからな」


 最後のセリフだけは冗談めかして顔見知りのハンターはそう言った。実際彼の言うとおり、ルクトとパーティーを組めれば無事に生還できる可能性は大幅に上がるだろう。


 普通、六人パーティーが迷宮(ダンジョン)で戦闘を行う場合、その戦闘に参加するのは一般的に三人、多くとも四人である。では残りは何をしているのかと言えば、荷物の番をしているのだ。荷物を失っては遠征どころではないのだから、これは当然と言える。


 だが全ての荷物をルクトの〈プライベート・ルーム〉に収めてしまえば、番をする人員を割く必要はない。場所にもよるだろうが、六人全員で戦うことができるのだ。単純に考えて、戦力は二倍。連携如何によってはそれ以上の戦果を挙げられるだろう。


 それはつまり、「戦闘のリスクを下げられる」という意味だ。迷宮(ダンジョン)における最大の危険とはモンスターとの戦闘なので、そのリスクを下げられれば生還率は跳ね上がると言っていいだろう。


 加えて〈プライベート・ルーム〉の中はモンスターが出現(ポップ)することのない安全圏だ。そこで十分な休息を取ることができれば、遠征はさらに安全なものとなる。かつてロイは「堕落させる」などと言っていたが、それほどまでに〈プライベート・ルーム〉がある遠征というのは、他と図太い一線を画しているのである。


「言っとくが、俺と同じようなことを考えてるヤツは結構いるぞ」


 なあ、と男が同じパーティーのメンバーに話を振ると、振られた相手は肯定の返事を返す。


「……それを聞かせて、オレにどうしろと?」


 少し困惑気味にルクトはそう言った。苦笑を浮かべてはいるものの、頭の中の困惑は本物だ。男の話は、彼も自分で言ったようにかなり自己本位なものだ。しかしそれゆえに生々しいまでの説得力がある。


 利を説かれたことはある。そしてルクト自身もそういう考え方には慣れている。だがここまでストレートに願望を説かれたことは、あまり記憶にない。


「ま、変な遠慮をする必要はない、ってことだよ」


 男と同じパーティーのメンバーがそんな風に言った。違法なことをするわけではないのだ。求められる能力を持っていて、なおかつ求める人たちがいるのだから、正々堂々胸を張ってその能力を利用すればいい。


「上には上の思惑があるだろうけどよ。俺らは俺らで来てくれれば助かるし歓迎もするからよ、そこは心配すんな」


 そう言って顔見知りのハンターは豪快に笑いながらルクトの肩を威勢よくバシバシと叩いた。どう答えればいいのか迷ったルクトは、ただ曖昧に笑うだけだ。


 そうこうしている間に、男たちのパーティーに受付の順番が回ってくる。それじゃあな、と簡単な挨拶を交わしてから彼らは受付へと向かった。そしてすぐに、その後ろであったルクトにも順番が回ってくる。


 身分証代わりの学生証を提示し、これまた顔見知りの受付のお姉さんが内容を確認し名簿に記入している間に、ルクトは「どう思います?」と聞いてみた。普通それだけでは何のことやらさっぱり分からない質問だが、幸いにも受付のお姉さんは色々と察して的確な答えをくれた。


「……おせっかいかもしれないけど、私はギルドに入ってパーティーを組んだほうがいいと思うわ」


 パーティーを組めれば、ソロでやるよりも格段に危険を減らせる。そもそもどれだけ便利な個人能力(パーソナル・アビリティ)を持っていようとも、ソロで迷宮(ダンジョン)に潜ること自体が非常識なのだ。学園側がストップをかけることもないようだし、組織上というかシステム上というか、ともかくそういう問題は存在しない。


 ハンターというのは基本的に高給取りだから、周りからは成果至上主義と思われがちだ。しかし彼らは何よりもまず無事の生還を優先することを、受付に勤める彼女は知っている。ならばルクト・オクスというハンターは、ソロを止めてパーティーを組む方がいい。そう受付のお姉さんは考えていた。


「まあ、最終的にはあなたが決めることだけど……」


 記入を終えた受付のお姉さんはそう言いながらルクトに学生証を返す。


「心配してくれる人を、悲しませないようにしなさいな」


「……ご忠告どーも」


 気恥ずかしさを苦笑でごまかしながら、ルクトは学生証を受け取る。迷宮(ダンジョン)の入り口に向かって歩きながら、彼は先ほど顔見知りのハンターや受付のお姉さんに言われたことを頭の中で振り返った。


(ギルドに入ること、雇われることには、みんな肯定的なんだよなぁ……)


 それは当然のことかもしれない。ルクトとて、デメリットよりはメリットのほうが多く浮かぶ。ヴェミスに帰れなくなるかもしれないと思って躊躇している部分はあるが、それにしたっていざとなれば夜逃げ的な強硬手段をとることも可能だろう。


(オレは、それ以外のなにに躊躇っているんだろうな……?)


 すぐには思いつかない。自分のことながら、それが無性に不思議だった。


 借金返済のことだけを考えるなら、ギルドに雇われるという選択肢はアリだ。ソロでやるよりもはるかに安全で、そして稼ぎも多いだろう。


(迷う理由なんてないはずなのに……)


 しかしルクトは迷い躊躇っている。


(ああ、くそ! 止めた!)


 ルクトはそれ以上考えることを止める。どのみち、自分から条件を提示しないと言った以上、それぞれのギルドが動くまで今は待つしかない。つまりまだ時間はあるのだ。


(今は迷宮(ダンジョン)攻略に集中しよう)


 迷宮(ダンジョン)は人間のことなど気にかけない。そこは人が住む社会とは別世界なのだ。人の世の問題を迷宮(ダンジョン)で延々と考え続けるなど、無意味すぎる。


 ルクトは攻略に向けて意識を集中する。少なくとも今はソロなのだ。余計なことを考えていれば、それはそのまま死に直結するだろう。


(この先、また悩むためにも……)


 今は攻略のことだけ考える。そう改めて決意し、ルクトは迷宮(ダンジョン)のエントランスに降り立った。



▽▲▽▲▽▲▽



 迷宮(ダンジョン)に乱立する巨大な岩の柱、〈シャフト〉をつたってルクトは下へ下へと降りていく。こうやってシャフトを使って移動するのは、ルクトが知る限り自分ひとりだ。それゆえ、当然のことながら周りには誰もいない。


 無限とも思える広さを持つ迷宮(ダンジョン)の中でただ一人。もちろん視界に入らないところに他のハンターたちは沢山いるのだろうけれど、こうやってシャフトを移動しているとそんな錯覚に陥る。


 もっとも、それでさびしいと思っているわけではない。ソロでの攻略に慣れてしまったというのもあるのだろう。その上、今は気楽ささえ感じていた。


(たく、迷宮(ダンジョン)に入ったら攻略に集中しろっての!)


 ルクトは内心でそうごちる。実は迷宮(ダンジョン)に入ってからも彼は様々なパーティーから声をかけられたのだ。そのどれもが決してしつこいものではなかったのだが、攻略に集中したいルクトにとっては辟易させられるものだった。


「そういうことは迷宮(ダンジョン)の外でやってくれ!」


 思わずそう怒鳴りそうになり、しかし怒鳴る前にシャフトに退避したルクトである。


(……と、いけない、いけない。集中、集中)


 崖のようなシャフトの側面に適当な足場を見つけ、ルクトは一度足を止める。そして〈集気法〉を使って烈を補充する合間に、余計な思考を打ち消して集中しなおす。そしてまたシャフトを下へ下へと降りていく。


 今日のルクトの目的地は、〈採取ポイント〉でもある五階層の地底湖だ。ただ、狩り(ハント)や採取が目的と言うよりは、新調した太刀の具合を確かめるのが目的である。


 飛行タイプのモンスターに襲われることもなく、ルクトはシャフトから迷宮(ダンジョン)の白い床の上に無事に降り立った。このあたりはすでに五階層で、目指す地底湖はここから少し歩いたところにある。


(モンスター出現(ポップ)しないかな……)


 そんなことを考えながら、ルクトは白い通路の上を進む。地底湖での狩り(ハント)は戦闘と言うよりもただの作業で、楽ではあるが太刀の使い心地を確かめるにはまったく向いていない。やはりある程度動きながら太刀を振るう必要があり、そのためにもこの辺りで適当なモンスターが出現(ポップ)してくれるとありがたい。


 そんなルクトの願望を誰かがかなえてくれた訳ではないのだろうが、彼が進む先の通路の上に淡い燐光が集まり始めた。モンスターが出現(ポップ)する前兆である。


 すかさずルクトは腰を落として太刀の柄に右手を添える。彼が得意とする抜刀術の構えだ。そして慎重に距離を取りつつ集気法を使って烈を補充し、同時に輝きを強める光を注視し続ける。


 出現(ポップ)したモンスターは、明らかに普通の生物ではなかった。深い紺色の胴体はブルブルとしたゼリー状で、目や口、腕や脚などの動物的なパーツはどこにも見受けられない。弾力のありそうなその体を蠢かせながら移動してくる。


 いわゆる〈スライム〉と呼ばれるタイプのモンスターである。その数、五体。同種の個体が一度に複数出現(ポップ)しやすいのも、〈スライム〉の特徴だ。


 出現(ポップ)した〈スライム〉を見てルクトは内心でほくそ笑んだ。動きが遅く、打撃には強いが斬撃には弱い〈スライム〉は、太刀を使い回避に重点を置くルクトと相性がいい。


(通路の端により過ぎないように、あと数が多いから囲まれないように注意……!)


 頭の中でそれだけ確認すると、ルクトは四肢に力を込めて〈スライム〉たちとの間合いを詰める。狙いは一番前にいる個体。


 ――――カストレイア流刀術、〈抜刀閃〉。


 鞘から抜き放たれた刃が〈スライム〉のやわらかい体を易々と切り裂く。切り裂かれた〈スライム〉は体液を撒き散らして四散し、そのまま消滅する。


(まず一つ!)


 体を伸縮させて飛びあがり上から押しつぶそうとする〈スライム〉をかわし、そのまま残った四体の真ん中に飛び込む。囲まれないよう足を止めることはしない。動きの遅い〈スライム〉を置き去りに駆け抜け、最後尾にいた一体をすり抜けざまに切り捨てる。


(二つ!)


 切り捨てられた〈スライム〉が消滅し、モンスターを構成していたマナが燐光を放ちながら四散していく。その向こう側から、残り三体の〈スライム〉が体を引きずり蠢きながらルクトに迫る。ただ、その動きはやはり遅く、間合いが詰まるまで時間がかかる。


 ルクトは集気法を使って烈を補充し、その烈を太刀に流し込んでいく。流石は純ダマスカス鋼製の太刀。流し込まれる烈を飽くことなく喰らっていく。その貪欲とも思える感覚に、ルクトは頼もしさを覚えた。そして十分に烈を流し込んだ太刀を大上段に構え、ゆっくりと近づいてくる三体の〈スライム〉を見据える。


 ――――カストレイア流刀術、〈翔刃〉。


 太刀が大上段からまっすぐに振り下ろされる。そしてその太刀の軌跡はそのまま烈の刃となって飛ばされ、三体いた〈スライム〉の真ん中の個体を真っ二つに切り裂いた。


 カストレイア流刀術には似たような技として〈抜刀閃・翔刃〉がある。こちらは〈抜刀閃〉と〈翔刃〉を組み合わせたもの、と考えておけばよい。〈翔刃〉で生み出す烈の刃のスピードは太刀を振るう速度に依存しており、そこで高速で太刀を振るう〈抜刀閃〉と組み合わせたのが〈抜刀閃・翔刃〉である。


 閑話休題。


 ルクトは〈翔刃〉の刃を放った後も、大上段から振り下ろした太刀を止めない。むしろそのまま迷宮(ダンジョン)の白い通路の上に刃を振り下ろす。


 勢いあまって、ではもちろんない。太刀の刃が白い通路に接触すると同時に、ルクトは別の技を発動している。


 ――――カストレイア流刀術、〈走蛇刃〉。


 太刀から放たれた烈は五つに枝分かれし、蛇のように蠢きながら不規則に軌道を変えつつも基本的には前に進み〈スライム〉に襲い掛かる。


 ルクトの使った〈走蛇刃〉は蛇のように地面を走る斬撃で、その不規則な軌道は放った本人にも制御しきれない。ただそれゆえに予測は困難である。確実にかわすに大きな回避行動が必要で、それは隙につながる。もっとも、上に跳んでしまえば簡単によけられてしまう、という弱点もあるが。


 動きの鈍い〈スライム〉は飛び上がることもかなわず、あっけなく〈走蛇刃〉の刃に呑まれて切り刻まれた。〈翔刃〉で切り裂かれた個体から遅れること一瞬。残りの二体も体液を撒き散らしながら四散する。


 三体分の燐光が迷宮(ダンジョン)に溶けていき辺りには静寂が戻る。通路に残った〈走蛇刃〉による傷跡と、〈スライム〉の残したドロップアイテムだけが戦闘の残り香を感じさせる。


 太刀を鞘に戻す。先ほどの戦闘、太刀に大きな違和感を覚えることはなかった。鞘からの走りも滑らかだし、ルクトが使いやすいように調整されている。さすがはダドウィンである。


 さらに、この太刀は貪欲とも思える勢いで烈を喰らう。やはり純ダマスカス鋼製の太刀は烈の許容量が桁違いだ。


 新しい相棒の手ごたえに一つ頷いてから、ルクトはドロップアイテムを回収する。この辺りは五階層なので魔石はたいしたことはないが、〈スライム〉はとあるアイテムをドロップすることで有名だった。


 それは〈アクスティックゼリー〉と呼ばれるアイテムだ。見た目は直径五センチ程度で深い藍色をしている。触感はブヨブヨとしているが、ベタつくことはないので触ってもストレスは感じない。むしろちょっと癖になる触感である。〈スライム〉はこのアイテムをほぼ確実にドロップすることで有名なのだ。


 アクスティックゼリーそれ自体はただ軟らかいだけの奇妙な物体で、その状態では使い道などほとんどないのだが、マナを照射してやることで柔軟な加工が可能になる。特にアクスティックゼリーを細く糸状にして紡いだものは〈蒼絹(そうけん)〉と呼ばれ、防刃繊維として知られている。


 蒼絹は「絹」と呼ばれるくらいであるから、それを使って織った生地は吸水性と通気性に優れ手触りも滑らかだ。その上、防刃の役割もしっかりと果たしてくれるため、ハンターたちは蒼絹製のシャツを下着がわりに着込んで攻略に赴くことが多い。ちなみにルクトも同種のシャツを着ている。


 もちろん蒼絹製のシャツは普通の下着に比べれば高い。ただ、ドロップ量が比較的多いため、武芸者の装備の中では比較的手ごろな値段で買える。


 ちなみに。アクスティックゼリーと同じような加工をするものとして、〈ミスリル〉と〈ミスリル糸〉がある。ミスリル糸もそれを使って衣服を仕立てることがあるのだが、金属であるがゆえに防御力は高いのだが着心地は蒼絹ほど良くはない。またミスリルそれ自体が希少金属であるため価格も跳ね上がってしまう。


 まあ、それはそれとして。魔石とアクスティックゼリーが五つずつ。それが今回の戦果である。ルクトはそれらのドロップアイテムを〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んで片付けた。


(〈スライム〉はドロップが安定してるからオイシイよな……)


 なにしろほぼ確実にアクスティックゼリーをドロップしてくれる。というより、それ以外のドロップを見たことがない。しかもアクスティックゼリーの大きさは、階層に関わらずだいたい一緒なのだ。〈スライム〉は浅い階層で遭遇するほどオイシイ相手、と言えるだろう。


 ルクトが〈プライベート・ルーム〉の中から出てくると、通路に残る〈走蛇刃〉の傷跡が心持ち浅くなっているように思えた。実際、こうしている間にも修復は進行しているはずで、一日もすればまったくの元通りになるだろう。迷宮(ダンジョン)の中は不変なのである。


(……いや、不変に見えるだけで、人間とは別の時間の尺度で変化している?)


 不意にそんな考えがルクトの頭をよぎる。例えば山。大きな山は不動にして不変に見えるが、千年二千年の単位で見るとやはり変化していると言う。迷宮(ダンジョン)ももしかしたらそうなのかもしれない。


(ま、どうでもいいか)


 少なくとも自分が生きている間は不変。そう結論してルクトはそれ以上考えることは止めた。どのみち答えなど出るはずもないのだから。


 ルクトは〈ゲート〉を消すとその場を後にして歩き始めた。目指す地底湖はこの先である。



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