移り気なジョーカー5
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「うわ……、寝過ごした……」
若干乾いた声でルクトはそう呟く。窓の外を見ればすでに暗くなり始めており、慌てて懐中時計を確認するとすでに十六時を回っている。
「完璧に寝過ごしたな……」
アメリシアとヴィレッタから昼食を奢ってもらった後、少々食べ過ぎたルクトは動く気になれず、寮の自室である403号室に戻ってベッドに潜り込み午睡としゃれ込んだ。一時間ぐらい寝て腹がこなれたら、軽く迷宮に潜って稼いでこようかと思っていたのだが、その計画は完全に丸つぶれである。
「ま、いっか」
たまにはこういうこともあるさ、とルクトは開き直る。昔の偉そうな人も偉そうにこう言っている。曰く、「大切なのは過去ではなく未来です」。いい言葉だ。とはいえ何かするにも微妙な時間である。迷宮に潜るには時間が足りないが、寮の夕食の時間まではまだ少しある。
「おやっさんのところに行くか……」
カルミを通じて「太刀が仕上がったから取りに来い」と言われていたのを思い出したのだ。同時に「代金を忘れるな」と釘を刺されていたことも思い出し苦笑する。学生相手で素材は持ち込みとは言え、職人に仕事を頼むのだ、当然お金は掛かる。ダドウィンとて慈善活動でやっているわけではないのだ。
(それにこういうのは、タダだとかえって胡散臭くて信用ならないしな……)
良い仕事には正当な対価を。昔の偉い人もこう言っている。曰く、「タダより高いものはない」と。粗悪品を掴まされて命で対価を払うことになってはたまったものではない。もっとも、ダドウィンにその心配はしていないが。
温いベッドの中から決死の覚悟で抜け出し、集気法を使って烈を練り上げ体を温める。そして制服の上にコートを羽織ってから彼は部屋を出た。
ルクトが贔屓にしている工房(決して武器屋ではない)〈ハンマー&スミス〉は迷宮の近くに位置している。だからそこへの道筋は迷宮へのそれと重なっており、つまりルクトにしてみれば通いなれた道だった。
「あ、先輩! いらっしゃいませ!」
店の中に入ると、働き始めて一ヶ月と少しになるカルミが店番をしていた。彼女は午後の実技講義が終わってからコッチに来ているはずで、「随分派手に寝過ごしてしまったもんだ」とルクトは内心で苦笑した。
「お疲れさん。おやっさんは奥?」
そう言ってルクトはカウンターの奥を指差す。その先は工房になっており、ダドウィンはそこで仕事をしていることが多い。今も鎚を振るっているらしく、「カンカンカン!」と金属を叩く音が甲高く響いている。
「はい。呼んできましょうか?」
「いや、いいよ。勝手知ったるおやっさんちの勝手ってやつだ」
そう言ってルクトはカウンターの中に入り込み、そのまま奥の工房を目指す。もともとここでバイトをしていただけあって慣れた調子である。
扉を開けてそこから工房の中を覗き込むと、思ったとおりダドウィンが一心不乱に鎚を振るっていた。ルクトはその背中に声をかけようとして、しかし寸前のところで思いとどまった。
今声をかけても聞こえまい。それにこうして鎚を振るうダドウィンの後姿を眺めているのが懐かしかったのも事実だ。
それゆえ、しばし待つ。カウンターに座るカルミが振り返るが、壁にもたれかかったルクトが苦笑を浮かべると、それでおおよそ事情を察したらしく納得の笑顔を浮かべてから前に向き直った。
「…………ああ、ルクト。来ていたのか」
一段落着いたらしいダドウィンが鎚を置き、そして工房の店側の入り口で待っていたルクトに気づく。
「ども。太刀が仕上がったって聞いたので取りに来たんですけど……」
「ああ。これだ」
そう言ってダドウィンは工房の隅においてあった太刀を持ってくる。鞘も柄も鍔も、一見して飾り気はないが、その分堅実な造りになっている。またそもそもルクト用に作ってくれているので、手に取るのはこれが初めてにもかかわらず良く手に馴染む。
そして太刀の本分であるその刃。
「さすが……」
太刀を鞘から抜いてその刃を目にしたとき、ルクトは思わず感嘆の声を漏らした。刀身は僅かに反って優美な弧を描いている。透明感のある刃には無骨な波紋が浮かび、美しさの中に一抹の荒々しさが見え隠れする。まるで太刀そのものが、「自分は観賞用ではなく実用品だ」と主張しているかのようだ。
なによりも、その輝き。
磨き上げられた刀身は、深く物静かな光沢を持っていた。この光沢がダマスカス鋼製の武具の特徴であり、ただの鋼を使っていてはこの輝きはでない。決して派手ではないが、落ち着きがあって見続ければ引き込まれそうになるその輝きは「玄人好み」などとも言われている。
「少し振るってみろ」
ダドウィンにそう促されルクトは太刀を上下左右に軽く振るが、腕が引っ張られるような違和感を覚えることもない。刀身に歪みがなく、また全体の密度が均一である証拠だ。
一流の職人が優れた素材を使って打った、文句なしの逸品である。
「いつもながら最高の仕事ですね」
ありがとうございました、と太刀を鞘に収めたルクトは頭を下げた。それを聞いたダドウィンは、照れ隠しなのか曖昧な苦笑を浮かべた。
「なに、純ダマスカス鋼製の武器など、一年にそう何度も打てるものではないからな。いい仕事をさせてもらった」
年の初めだけに幸先がいい、とダドウィンは笑みを浮かべた。
「それと、余ったダマスカス鋼のインゴットはどうする?」
今回、ルクトはゼファーから貰ったダマスカス鋼製の直剣を潰してインゴットにし、それから太刀を仕立ててもらった。そして直剣のほうが太刀よりも刀身の幅が広かったせいか、使わなかったインゴットが余ったのである。
「ウチで引き取らせてくれるなら、70万ほど値引きができるが」
ダドウィンが提案した70万シクという金額に、ルクトは思わず生唾を飲み込んだ。ちなみに値引き額は持ち越すことができる。今回であれば、例えば30万シクの商品をもらい残り40万シクはまた別の機会に、と言うことができるのだ。
「……インゴットは手元に置いておくことにします」
少し迷ったすえにルクトはそう答えた。ダマスカス鋼のインゴットともなれば、望めばすぐに手に入るようなモノでもない。それ自体が貴重品なのである。今の段階で用途は思いつかないが、将来を見越して手元に残しておくのもアリだろう。
(それに……)
それに、70万シクの話はあくまでも“値引き”であって、現金で買い取ってくれるわけではない。いわば懐が寒くならないだけで、温かくなるわけではないのだ。
「わかった。じゃあ、コレだな」
そう言ってダドウィンが手渡したダマスカス鋼のインゴットを、ルクトはすぐに〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んだ。なかなか重い代物で持ち運びたくはないし、なによりここに入れておけば盗まれる心配もない。
さて、商品を受け取ったら次は代金の支払いである。ただ、お金の話なら店のほうで、ということで二人は工房から店のほうに移動した。
「代金は手数料と鞘なんかの付属品その他諸々合わせて25万ってところか……」
そう言ってダドウィンは明細を差し出す。ルクトはそれを確認するが、不審なところはなにもない。学割分もきっちり引かれている。その上中途半端な端数は切り捨てられており、これはダドウィンの個人的なサービスだと思われる。
「じゃ、これで」
「はい、お預かりしますね」
ルクトが金貨三枚(30万シク)を渡すと、カルミが手馴れた様子で会計を行う。そして領収書と釣銭の赤金貨五枚(5万シク)をルクトに返した。
「ありがとうございました」
今後ともご贔屓に、とカルミは笑顔で頭を下げる。
「なかなか様になってきたじゃないか」
受け取った釣銭を財布に片付けながらルクトがそう言うと、カルミは少し恥ずかしそうに笑った。偉そうなことをいえるのは、このバイトにおいても彼のほうが先輩(というよりOB?)だからか。
「まったくだ。お前も少しは見習え」
「はは、そうきますか」
ダドウィンと軽口を叩きあい、それから笑う。
「おっと、そうだ。今日はもう一つ用事があるんだった」
カルミもいるならちょうどいい、と言ってルクトは〈プライベート・ルーム〉の〈ゲート〉を開く。初めて見る〈ゲート〉に、カルミは目を見開いて興奮気味の様子だ。
「おやっさんにコイツを鑑定してもらおうと思ってね」
そう言ってルクトが〈プライベート・ルーム〉の中から持ってきたのは、一本の太刀だった。完全な玉鋼製の太刀で、今までは予備としていたものだ。
これまでルクトはダマスカス鋼と玉鋼それぞれ五割ずつの合金の太刀をメインで使っていた。だが純ダマスカス鋼製の太刀が手に入ったから、これからはそちらをメインで使い、古い太刀は予備に回すことになる。それでこの度、予備で使っていた太刀がお役御免になったのだ。
「そうだな……。3万で買い取って5万で売る、といったところか」
ルクトから受け取った太刀を矯めつ眇めつ見てからダドウィンはそう言った。ちなみに玉鋼製の太刀を新品で買うとしたら、だいたい10万シク前後が相場だ。鑑定額を聞いたルクトは一つ頷いてから視線をカルミのほうに向けた。
「じゃあ、カルミ。この太刀を3万で売ってやろう」
どうする、とルクトはカルミに尋ねる。いきなり話を振られたカルミは少し驚いた様子を見せたが、すぐに「そうですね……」と言って考え始めた。
「……欲しい、ですけど……」
今はお金が、とカルミは悔しそうな声で続けた。その視線はダドウィンの持つルクトの太刀にしっかりと固定されている。
その太刀は、ハンターたちが使う武器の中では、いわゆる“初心者向け”のものだ。込められる烈の量も少なく、攻略でも迷宮の浅い階層でしか使えない。ダドウィンの打ったものだから太刀としては業物だが、比較的早い段階で卒業するランクの武器である。間違っても一生モノにはなりえない。
しかしそれでも。今のカルミにとっては、喉から手が出るほど欲しい武器だった。なにしろ彼女は自分用の武器というものを持っていない。攻略実習にしかたなく木刀を持っていって恥ずかしい思いをしたのは記憶に新しい。
欲しい。しかし3万シクというのは今のカルミにとっては大金ですぐには用意できない。さりとて先輩であるルクトに支払いを待ってくれとも言えない。そんな悩ましいカルミの思考を断ち切ったのは雇い主であるダドウィンの言葉だった。
「……一旦ワシが買い取って、それからカルミに渡してもいいぞ」
代金は給料から差し引くという。「一括が大変なら分割にしてもいい」とダドウィンは付け加えた。こういう融通を利かせてもらえるのも、バイトの特権であろう。
「それに、ワシから買ったことにした方がなにかと都合が良かろう」
「だけど学生から直接買い取ることは禁止されているだろう?」
思わずルクトが口を挟む。だからこそ“値引き”などという迂遠な方法がとられているのだ。
「さっきの支払いからの値引き、という形にすればいい」
いけしゃあしゃあとダドウィンはそう言った。確かにそれならば体裁は整う。だが、すでに支払いの終わった取引から値引きすると言うのは一種詐欺だ。
「まあ、オレはそれでもいいけど。カルミはどうだ?」
「問題ないです!」
喜色を満面に浮かべてカルミは答える。もし尻尾でも生えていれば左右に乱舞していたに違いない。
「じゃ、そういうことで」
「うむ」
ルクトから受け取った明細をダドウィンが訂正する。最後の欄に「太刀引き取り、値引き3万シク」と書き加えて合計金額を書き直す。そして先ほど支払った分の差額である3万シクをカルミがルクトに渡した。
「じゃあ、コイツは砥いでおいてやろう」
帰りに渡すから、と言ってダドウィンは太刀を手に工房へ戻っていった。その背中にカルミは「あ、ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げた。
「オレもそろそろ帰るわ」
バイト頑張れよ、とカルミに言い残しルクトは〈ハンマー&スミス〉を後にした。新調した太刀を試してみたい気もするが、これから迷宮に向かっていては寮の夕食の時間に間に合わない。
(仕方ない、明日にするか……)
そういうことになった。
▽▲▽▲▽▲▽
ダドウィンから新しい太刀を受け取った次の日、座学を終えたルクトはロイと一緒に弁当販売の列に並んでいた。例のごとくルクトはロイに「昼飯奢ってくれ」と頼み、そして「嫌だ」とバッサリ断られてしまったので、いつものように300シク弁当に手を伸ばす。
「よお、お前だろ? 三年のルクト・オクスって」
ルクトの指先が300シク弁当に触れるその寸前に、見ず知らずの学生が彼の首に馴れ馴れしく腕を回した。ここは武術科棟で、その学生が着ているのも武術科の制服だ。そして胸元のバッチには「Ⅳ」の文字。どうやら同学科の先輩らしい。
「お前、最近稼いでるみたいじゃねぇか」
腕を回したのとは別の学生(同じく四年生)がニヤニヤと笑いながらそういう。見れば人影が六人ほど。どうやらパーティーらしい。
「俺らにも少しめぐんでくれよ」
また別の四年生がそういい、下品な笑い声が起こる。その様子をルクトは冷めた目で眺めていた。ちなみにロイはさっさと安全圏に離脱している。
(おのれ……!)
野次馬に混じって笑顔で手を振るロイを睨むがその程度のことで怯むような輩でもない。そこはかとない疲労を感じたルクトは、ひとまず直近の問題に対処することにした。
「お断りしますよ」
首に回された四年生の腕を振りほどきながら、ルクトははっきりとそう言った。途端、四年生たちの目つきと雰囲気が険しくなる。しかしルクトは気にしない。
「それとも、ああ、アレですか。攻略がズタボロなので弁当買う金も無いと。一年に混じってバイトでもしたらどうです?」
「テメェ!!」
ルクトの分かりやすい挑発に、四年生の一人が分かりやすく反応して殴りかかってくる。
(分かりやすいのはいいことだ)
内心でそんなことを呟きながら、ルクトは接近してくる四年生の進路上に〈ゲート〉を開いてやる。四年生は突然現れた〈ゲート〉を回避することができず、そのまま〈プライベート・ルーム〉の中へ消えていった。すかさずルクトは〈ゲート〉を閉じて、四年生を中に閉じ込める。
「テメッ……!! 何しやがった!?」
「何って……、殴られそうになったので自己防衛を」
メンバーの一人がいきなり消えて動揺する四年生たちを尻目に、ルクトはあくまで飄々と応じる。そして当然のことながらその態度は四年生たちを逆上させた。
「フザけんな、このバカ!! さっさと出せよ!!」
「バカとはヒドい。暴力沙汰にならないように気を使ってあげたのに」
それに、数を頼りに後輩にメシを奢らせようとする先輩たちのほうがよっぽどバカでしょう、とルクトは蔑みの視線と共に言い放つ。その言葉に四年生たちはさらに色めきたった。
「大丈夫です!!」
四年生たちがなにを言う前にルクトが声をあげる。だんだんと興が乗ってきたのか、その言葉と仕草は芝居がかっていた。
「どんなバカでもあの中で三日間くらい絶食していれば、すこしは賢くなれます」
人間食わねば生きていけないのだ、と。これって普段は意識しないが、大切な真理だと思うのだ。ちなみに傍からそれを聞いていたロイは、「それって強制意識改革……」と内心で大いに呆れていた。
「フザけんな!! 明日から遠征の予定なんだよ!!」
したり顔でのたまうルクトに、四年生たちは苛立ちを募らせる。その剣幕を聞きつけたのか、周りには結構な数の野次馬が集まっていた。
「先輩たちの事情なんて知りませんよ」
先輩たちがオレの事情を無視して絡んできたみたいに、とルクトは彼らの怒りを受け流す。彼の言葉は正論じみてもいるが、その実かなり自己中心的だ。
「出せって言ってんだろうが!!」
ついに堪えきれなくなったのか、再び四年生がルクトに殴りかかる。今度は二人同時だ。しかしルクトは慌てることなく、同じようにしてその二人も〈プライベート・ルーム〉の中に隔離した。
(学習能力はサル並み……。本当に馬鹿だ)
それはさすがに口には出さず、ルクトは胸のうちで呟いた。しかしながら相手が馬鹿だと思うと相手をしてやる気も失せてくる。
「で、どうします? まだオレに昼メシを奢らせる気ですか?」
ルクトの口調が少し煩わしげになる。六人いたのがあっという間に半分の三人になってしまった四年生たちは、忌々しそうな顔をしているが殴りかかってくるようなまねはしない。やっても先の三人と同じ結果になるだけだと分かっているのだろう。ただ無言で睨みつけてくるだけだ。
「……絡んだことは、謝る。だから三人を解放してくれ」
数秒の沈黙の後、リーダーと思しき四年生が感情を押し殺した声でそう言った。この場のイザコザよりも、明日からの遠征を優先したらしい。
武力行使で仲間が解放される可能性があるなら、実際に助けられるかはともかくとして彼らはそうしただろう。しかしルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉はそういう類の能力ではない。仮に彼を吊るし上げてタコ殴りにしたとしても、ルクトが〈ゲート〉を開かなければ中の三人は解放されないのだ。
謝る、と言ったわりには頭の一つも下げようとしない四年生たちにルクトは内心で苦笑を漏らす。ただ彼としても「頭ぐらい下げろ」と強く思っているわけではない。むしろ彼が要求したいのは、もっと即物的な謝罪だ。
「ところで先輩。コレを買ってもらえると後輩としてすごくうれしいです」
そう言ってルクトが掲げて見せたのは、400シク弁当だった。騒ぎを見物していた野次馬から失笑が漏れた、気がした。