移り気なジョーカー4
ギルド〈水銀鋼の剣〉が先陣を切って接触してきた次の日の午前、ルクトは座学の講義を受けていた。とはいえこの日の講義は半分実技のような内容になっている。講義名は「応急手当」。一年生から六年生まで、つまり入学から卒業まで習い続ける、武術科における座学のなかで最も重要とされる講義である。
習う内容それ自体はさほど多くない。知識を習うだけであれば一学期、つまり五ヶ月もかからないであろう。しかし「応急手当」の講義の目的は知識の伝授ではない。その知識を、しかも緊急事態に使えるようになることが目的なのだ。
「負傷という事態は、モンスターとの戦闘を繰り返す迷宮攻略において当然想定されるべき、いや決して避けられない事態である」
それゆえその事態を見越してあらかじめ入念な準備をしておくことがどうしても必要になる、と教壇に立つ元ハンターの男性教師は重々しく語った。
毎回講義の前にされるこういった話は、三年生であるルクトたちはすでに何度も聞かされている。それゆえつまらなそうにしている学生はいるが、しかし無視している学生はいない。迷宮に多少は深く潜るようになった彼らには、教師の話をただの知識としてではなく、実感のこもった経験として受け止められるようになっているのである。
「人間は弱く脆い生き物だ。それはたとえ烈による身体能力強化を施していても変わらない。その事を常に認識しているように」
自分が強くなったなどと考えて驕れば、攻略と遠征のための準備を疎かにするようになるだろう。そして準備に不備があれば、それは迷宮のなかでは死に直結する。怪我をした場合は特にそういえるだろう。
無論、怪我にも大小がある。小さなものであれば手当てをする必要もないだろう。患部に烈を集中させておけば治るのも早い。
だから問題になるのは、大きな怪我をしたときである。
「確かに入念な準備をしていけば、助かる確率は上がる。しかしそれ以上に重要なことがある」
それはパニックを起こさず冷静に対処することである、と男性教師は言った。仲間の大怪我に気が動転して冷静さを失えば、どれだけ豊富な知識を持ち入念な準備をしていても意味はない。知識も道具も薬品も、使うべき人間が冷静でなければすべて無駄になってしまうのだ。
「たとえこの程度の傷でも迅速かつ適切な処置ができなければ、君たちは目の前で仲間を死なせることになる」
そういって掲げて見せた男性教師の右手には、指が三本しかなかった。何度も同じ話を聞いてすでに知っていることとはいえ、あまりにも生々しすぎる実例に話を聞く三年生たちは皆一様に生唾を飲み込んだ。
「私は助けられる側だった。だからこそ、君達には助ける側になってもらいたい」
男性教師の言葉には、「適切な応急手当ができるようになって欲しい」という想いと、「大きな怪我をしないで欲しい」という二つの願いが込められている。ただその事に気が付いた学生が何人いたかは定かではない。
「さて、そこで重要になってくるのが反復訓練だ」
何かを習得するための最も良い方法は、完全に習得したと思っても学び続けることである、と言われている。それくらい反復と言うのは重要なのである。さらに言えば「確かこうだったはず」程度のうろ覚えの知識では、いざという時に何の役にも立たない。何をすべきか明確に分かっていて初めて、人間は冷静になれるのである。
「特にルクト・オクス!」
「はい?」
いきなり名指しされ、ルクトは変な返事を返してしまった。しかし男性教師はそのことには突っ込まず、厳しい目を彼に向けたまま話を続けた。
「お前は少なくともあと三年半以上、ソロで迷宮に潜らなければならない」
それはつまり、怪我をしたときは基本的に自分で手当てをしなければいけないと言うことだ。特に大きな怪我となれば激しい痛みに耐えつつ、しかし迅速に手当てを行わなければならない。それは言葉で言うよりもはるかに困難なことであるに違いない。
「もちろんまずは怪我をしないことが第一だ。だが怪我をしたときのために、お前は他人の十倍は準備をしておけ」
男性教師の真剣な眼差しを真正面から受け止めながら、ルクトは「はい」と返事をしてうなずいた。それを見た男性教師は、視線を個人から全体に戻す。
「さて、それではいつもどおりにやるとしよう」
男性教師のその言葉を合図にして学生たちが動き出す。それぞれのパーティーから代表者が一人出てきて、教卓の上に置かれた箱から二つ折りにされた小さな紙を持っていく。そこには想定する怪我が、例えば「左手首骨折。出血有り」と言った具合に書かれており、学生たちはそれに応じた手当てを練習するのである。ちなみに患者役は持ち回り(複数人の場合もある)で、紙を持ってきた者がやるというのが通例だ。
ルクトもまた箱の中から二つ折りにされた紙を取り、そこに書かれていることを確認する。
「『右の二の腕から出血。切断ではなし』、か……」
まずは止血かな、などと考えながらルクトは席に戻る。周りを見渡せばすでに練習に入っているパーティーがいくつもあった。
(しかし改めて考えてみると、これは大変だな……)
何しろ右腕に怪我をしているのだから、使えるのは左腕一本である。これは相当やりにくい。しかも実際には、それを痛みに耐えながらやらなければならないのだから本当に大変である。
(ホント、怪我をしないことが第一だな……)
危なくなったらすぐに〈プライベート・ルーム〉の中に逃げこもうと決意を新たにしつつ、ルクトは口に包帯の端っこをくわえながら右腕の手当てに悪戦苦闘するのであった。
▽▲▽▲▽▲▽
「や、ルクト君。お久しぶり~」
ルクトが「応急手当」の講義を終えて教室から出ると、廊下に意外な待ち人がいた。以前にパーティー外メンバーとして雇われたことがある五年生パーティーの一人、アメリシア・ルクランジュである。
「ども、お久しぶりです」
意外な待ち人に驚きながらも、ルクトは挨拶を返す。ところで、アメリシアは客観的に見て美人だ。名門ルクランジュ家の令嬢として育ちのよさを感じさせ、また学科内外の知名度もたかい。
そのせいか周りの同級生、とくに男子学生から色々混じった痛い視線を投げつけられている気もするが、そこはあえて無視する。それでもあとでソルか、あるいはロイあたりから吊るし上げられ、もとい追求されるのだろうが。
「それで、なんか用ですか?」
「ちょっと話したいことがあるんだけどさ、お昼一緒にどう?」
アメリシアの誘いは、聞きようによってはデートのお誘いにも聞こえた。少なくとも周りにいる男連中はそう受け取ったらしく、ルクトに突き刺さる視線が鋭さと圧力を増す。そのせいで背中に嫌な汗を感じながら、ルクトは頭の中で状況を整理する。
(嫉妬に狂った男共に囲まれ危機的状況……、じゃなくて!)
ルクトとアメリシアは、接点こそあれ親しい間柄ではない。であれば今回も「友達を誘いに」という程度のものではないだろう。加えて彼女の実家であるルクランジュ家はどこぞのギルドの中心になっている家柄だったはずだ。
(そして……)
そしてこのタイミング。わざわざ〈水銀鋼の剣〉が接触してきた次の日にやってくるということは、つまりはそういうことであろう。
「もう、そんなに警戒しないでよ。学食で奢ってあげるから、お姉さんと楽しくお話しましょ、ね?」
アメリシアは片目をつぶり芝居がかった仕草で軽くしなを作ってそう言った。悔しいことに様になっていて可愛らしい。周りにいる男共の空気がときめく。そしてその空気に少数派の女子学生たちが冷ややかな視線を向ける。
「……まあ、奢ってくれるなら」
しかしながらルクトにはあまり効果がなかったようだ。なにしろ彼はメリアージュで鍛えられている。彼女は時折ぞっとするほど艶めかしい女の顔を見せてルクトをからかうのが趣味で、ヴェミスにいた頃はさんざん遊ばれたものだ。そのせいで、もはや小娘の色香に惑わされるほど初心ではなくなってしまったのである。
「ちょっと~。少しは歳相応に反応してくれないとお姉さん悲しいんですけど」
アメリシアの文句をルクトは「色気より食い気なもので」と言ってかわす。可愛げのないその反応にアメリシアは苦笑をもらした。
「ま、いいわ。学食に行くとしましょう」
そう言ってアメリシアが歩き出そうとしたとき、別の声がその足を止めた。
「学食に行くのであれば私もご一緒したいのだが、どうかな?」
そう声をかけてきたのは〈赤薔薇の騎士〉こと、五年のヴィレッタ・レガロだった。アメリシアとはまた違ったタイプの美人の登場に、ルクトに突き刺さる視線がさらに鋭さと圧力を増す。視線だけで人が殺せるなら、すでに致死量である。
「ヴィレッタ、あなたもルクト君に用事?」
「まあ、そんなところだ」
共に五年で同級生の二人が言葉を交わす。ともすればキャットファイトが始まりそうな状況ではあるが、二人とも楽しげに話しているのでどうやら杞憂に終わりそうである。というより、二人はもしかしたら友人同士なのかもしれない。
「ギルドには入りませんよ?」
ヴィレッタは学内ギルド〈叡智の女神〉の幹部であり、ルクトはこれまで何度も彼女から勧誘を受けてきた。だから今回もその件なのかと思い、いやむしろその件であってくれと思いつつルクトはヴィレッタに視線を向ける。
「いや、今日は別件だ。とはいえ入ってくれればありがたいが」
そういってヴィレッタが「どうか?」と視線だけで聞いてくるが、ルクトは肩をすくめてそれを断った。ヴィレッタはそれを見て苦笑したが、それ以上勧誘を続けることはなかった。別件で来た、というのはどうやら本当のようだ。
(そしてその別件の中身はルクランジュ先輩とほぼ同じ……)
ルクトはそう当りをつける。そしてアメリシアとヴィレッタの二人も同じような結論に達しているのだろう。
「わたし、ルクト君にお昼奢るって言ったんだけど……」
「かまわない。割り勘といこう」
ヴィレッタの提案にアメリシアが笑顔で頷く。どうやら二人の間で話はまとまったらしい。
「それじゃあ行きましょう」
「ああ、あまりゆっくりしていると混むからな」
当事者であるはずのルクトの意見を聞くことなく、二人はさっさと歩き出す。
(ま、別にいいけど……)
苦笑しながらルクトは二人の先輩の後を追う。せっかくだし遠慮しないで好きなだけ食べようと心に決めながら。
▽▲▽▲▽▲▽
三人が入ったのは第三学生食堂だった。武術科棟から一番近い学食で、それゆえ武術科の学生が多くやってくる。
「わたしとヴィレッタで席を取っておくから、ルクト君、あとよろしく」
配膳を行っているほうを指差してアメリシアは笑顔でそう言い、銀貨を数枚ルクトに握らせた。つまり「三人分の食事を運んで来い」ということらしい。
「お姉さんに使われるのも、男の子の甲斐性ってもんよ?」
「だ、そうだが?」
片目をつぶり茶目っ気たっぷりに“男の子の甲斐性”を説くアメリシアに、若干苦笑気味のヴィレッタが続く。息の合った先輩二人の攻勢に、ルクトは早々と白旗を揚げて降参した。
「はいはい、わかりました。やりますよ」
食事を奢ってもらうのだ、肉体労働くらいはするべきだろう。ルクトはそう考えて自分を納得させた。
第三学生食堂では、学生はそれぞれ用意されている料理の中から食べたいものを選び、そして選んだ分だけお金を支払う、というシステムになっている。ずらりと並べられた料理の中から、ルクトは基本的に自分が食べたいものを選んで取っていく。
ホットサンドとビーフシチュー、グラタン、ラタトゥイユ、鹿肉のロースト、キッシュに温野菜の盛り合わせ。特に石釜で焼いて熱々を並べるピザは絶品との評判で、前から一度食べてみたいと思っていたものだ。
さすがに三人分を一度に全て運ぶことは出来ず、二回ほど往復する。アメリシアとヴィレッタも先に食べるようなまねはせずに待っていてくれたので、数々の料理がテーブルの上に並べられた様はなかなかに壮観である。いつも安い300シク弁当しか食べていないだけに。
しばらく三人は他愛もない話をしながら食事を楽しむ。“女三人寄れば姦しい”というが、女二人でも十分に賑やかだ。流れるように話題を変えながら途切れることなく話すアメリシアとヴィレッタ相手に、ルクトはひたすら聞き役に徹する。これもメリアージュに仕込まれた処世術だ。
料理が半分ほどなくなったところで話が途切れた。アメリシアとヴィレッタがお互いに視線を交わし、無言の駆け引きを行っている。「どうやらようやく本題に入るらしい」と察したルクトは自分のほうから話題を振った。
「それで、今日はオレにどんな話があるんですか?」
後輩に気を使われ少々バツの悪さを感じたのか、先輩二人は揃って苦笑を浮かべた。
「……まず確認したいんだけど、〈水銀鋼の剣〉が君に接触してきたって本当?」
「ええ。昨日の実技講義が終わった後に」
予想していたとはいえ、昨日の今日で随分話が広がっている、とルクトは内心で少し驚いた。〈水銀鋼の剣〉に所属しているらしい外部講師の男性とは、別に密室で話をしたわけではない。周りには一年生がまだ多く残っていたし、同じ講義に出ていたアシスタントの中には学内ギルドに所属している者もいただろう。そういう者たちからいずれは伝わるだろうと思ってはいたが、しかし思っていた以上に早くそして広く話は伝わっていた。
「どんな話をしたんだ?」
「予想はついてるんじゃないんですか?」
ヴィレッタの問いかけにルクトはそう返した。用件など、ギルドへの勧誘以外にありえない。そしてヴィレッタとアメリシアの究極的な目的も同じであるはずなのだから、話の内容など予想していてしかるべきだ。
「そうだな。それで、なんと答えた?」
「『今はなんとも』と」
ルクトの答えにヴィレッタは「ふむ」と頷いて腕を組んだ。
「他には何も?」
「いえ、お手紙を一通もらいました」
冗談めかしつつもルクトは正直に答えた。そしてその手紙のことこそが、さし当たって最大の関心事なのだろう。アメリシアとヴィレッタの目が若干細くなった。
「そのお手紙の内容、教えてもらって良いかしら?」
手紙に書かれていたのは、簡単な雇用条件などだ。期間はひとまずルクトが学園を卒業するまでで、「学業に支障が出ないよう最大限配慮する」と書かれていた。そして「月に一回程度大規模な遠征を計画するので、それに参加して欲しい」とも書かれており、恐らくはそれこそがギルド〈水銀鋼の剣〉がルクトに求めているものだろう。
ただ手紙の内容は簡単なもので、それだけ読んで「〈水銀鋼の剣〉で働こう」と思えるようなものではなかった。なにしろ報酬についてはほとんど何も書かれていなかったのだから。〈水銀鋼の剣〉側もあの手紙一通でルクトを引き込めるとは思っていないはずだ。
『ギルドホームの所在地を記した地図も入れておいた。質問があればいつでも訪ねて来てくれてかまわない』
手紙を持ってきた外部講師の男の言葉がよみがえる。つまり手紙で興味を持たせ、書かれていない部分を直接ギルドホームに質問に来させる。それが〈水銀鋼の剣〉の狙いであろう。過剰な勧誘にならないよう気を使ってくれたのか、それとも効率優先の策略でありギルドホームで手ぐすね引いて待ち構えているのか、少々判断に迷う。
閑話休題。それはそれでいいとして。
「それを教えるのはフェアじゃないでしょう」
知られてもかまわない、ともしかしたら〈水銀鋼の剣〉はそう思っているかもしれない。実際たいしたことは書かれていなかったからだ。それでもルクトは手紙の内容を教える気はなかった。
「相手の手札を見てから自分の手札を決めるのはイカサマです」
それにルクトはゼファーから「勧誘合戦を煽ってくれるな」と事前に釘を刺されている。ここで〈水銀鋼の剣〉が提示した条件を開示すれば、他のギルドはその意図を「もっといい条件を出せ」というふうに解釈するだろう。ゼファーが知れば、きっといい顔をしないに違いない。
「……ま、いいわ。『どうあっても聞きだして来い』と言われたわけじゃないしね」
そう言ってアメリシアは引き下がった。意図的になのか、それともただのうっかりなのか分からないが、わりと重要な情報をついでに喋りながら。
「てことは、やっぱりオレから話を聞いて来いって誰かに言われたわけですか」
「そうよ。〈水銀鋼の剣〉が君に接触したっていうニュースは、たぶん君が思っているよりもずっと深刻に受け止められているわ」
実際、そのニュースは昨日の内に主だったギルド全てに伝わったはずだという。しばらくすれば本格的に動き始めるだろうが、その前に「ルクトがどういう条件を望んでいるのか」が分かれば勧誘もしやすくなる。
「それで、ちょっと話を聞いて来いって父が、ね……。ほら、一応君と面識もあるしね、わたしなら」
アメリシアの言葉は少し自虐的だった。ルクトをパーティー外メンバーにして〈エリート〉を目指したことはすでに彼女の実家にも知れているはずで、もしかしたらそのことで何かあったのかもしれない。
「私の方も似たようなものだな。昨日OBの方々が団体で来られてな、やはり君から色々と聞き出して来いとのお達しだった」
ヴィレッタのほうはすこし皮肉げにそう話す。学内ギルド〈叡智の女神〉からは数多くの卒業生がカーラルヒス中のギルドに就職している。そういうOBたちがギルドごとにやってきたのだろう。
留学生であるルクトはカーラルヒスに根を張って生きているわけではない。またここで生活した年数それ自体も短く、情報源となりうるソースや本音を聞き出すことのできる人間と言うのはどうしても限られてくるのだ。アメリシアにしろヴィレッタにしろ、限られた伝手を何とかして使っている、と言う印象だ。
「なにか土産を、という話も出たのだがな。学生に金品や貴重品はまずいし、かといって菓子折り持って行くのも変だろう?」
「……まあ、止めてくれって言いたくなりますね」
その様子を想像して、苦笑気味にルクトはそう言った。学生同士でそこまで形式的にやると、お互いに滑稽なだけだろう。まあ、菓子折りもらえば食べるのだろうけど。
「それで、『お昼を奢れば話くらいは聞いてくれると思いますよ』と言ったら、『じゃあそれで』ということになって軍資金をもらった」
「あ! それわたしも同じ!」
アメリシアが驚いたようにヴィレッタと顔を見合わせる。彼女も親から軍資金をもらってきたそうだ。どうやら「対ルクト・オクス対処マニュアル(?)」とでも言うべきものが流布されているらしい。本人としては面白くない限りだ。その上、対処マニュアル(?)どおりに動いてしまったのだからなおのこと面白くない。
少々憮然としながらルクトはピザにかぶり付く。
(くそう、うまい。奢ってもらえてよかった……!)
でなければ卒業までの間に食べられたかどうか。染み付いた貧乏性はダテではないのである。
「軍資金が残ってるなら、デザート取ってきていいですか?」
もはや単純と思われようがかまわない。食べられるだけ食べておこう、とルクトは開き直った。
それならわたしたちの分も、頼まれたのでルクトはデザートを三種類選ぶ。アップルパイにベリータルト、それとレアチーズケーキのブルベリーソースかけ。ルクトとしては一人一つのつもりだったのだが、スイーツに目がない女性二人がそんな暴挙を許すはずもなく。三つのデザートはきっちり三等分され、三つの味を楽しむことができた。
「……それで、オレの正直なところですけどね」
アップルパイを食べながらルクトはそう切り出す。
(うまい。今度遠征に持っていこう。経費扱いなら大丈夫……)
焼き菓子なら日持ちもするだろうしと、そんなことをわりと本気で考えながら。そしてやろうと思えばできてしまうあたり〈プライベート・ルーム〉は本当に便利である。
「……正直に言って、どこかのギルドにお世話になりたいと本気で思っているわけではないんですよね」
どこのギルドに入ろうとも、恐らく歓迎してくれて厚遇してくれるだろう。ルクトの要望だって最大限考慮してくれるはずだ。しかしながらだからこそ、たとえバイトであっても「ギルドで働く」という形になることに若干の抵抗というか、気後れのようなものを感じるのだ。
「今はやっぱり、故郷に帰るつもりでいますから……」
ギルドがルクトのことを歓迎し厚遇するのは、彼が稀有な能力を持っているからだけではない。そんな彼に末永く自分のところで働いてもらいたいと思っているからこそ、である。
学生とはいえそういう事情はルクトも承知している。だからこそ卒業して故郷に帰ることになれば、そういう気持ちを裏切ることになるだろう。たとえ「卒業まで」という契約であったとしても、それと人間の感情は別問題だ。
つまるところ、「丸め込まれて居残る羽目になるのでは?」とルクトは危惧しているのだ。大人に、しかも本職相手に腹芸で勝てる気はしない。
もちろんカーラルヒスからは離れるのだからそこに禍根を残したとしても、それが故郷のヴェミスで問題になることはないだろう。しかしだからといってすき好んで禍根を残すようなまねを、ルクトはしたくはなかった。
(ま……、残れば万事問題は解決なんだろうけど……)
それはつまりヴェミスには帰らない、ということだ。その決断を今下すには、ギルドの好待遇程度では軽すぎる。
「それはつまり、どれだけ勧誘されても働く気はないってことかしら?」
アメリシアが探るようにそう尋ねる。ここで「そうだ」と言ってしまえれば、このさきギルドが勧誘をかけてくることはなくなるだろう。
「……一身上の都合もありましてね。金を稼げるなら稼ぎたいというのも本音なんですよねぇ……」
我ながら優柔不断なことだ、とルクトは内心で自嘲した。しかし現実問題として多額の借金は存在している。そして借金を返済するには金が要るのだ。
「では、どういう条件なら働いてもいいと思っているのだ?」
カーラルヒス中のギルドが今まさに知りたがっているであろうことを、ヴィレッタはずばりと聞いた。そしてこれを聞くことこそが、今日の彼女たちの最大の目的であろう。
「分かりません」
そのことを十分に承知しつつ、しかしながらルクトは臆面もなくそう答えた。その答えにアメリシアとヴィレッタは呆れ顔になる。
「自分のことなのに“分からない”ということはないだろう」
呆れ顔のままヴィレッタがそういう。その正論に苦笑しつつも、しかしルクトは自分の言葉を撤回しはしなかった。
「分かりませんよ。そういうことにしといてください」
ルクト自身、自分がどんな条件を望んでいるのかよく分かっていないのも本当だ。忘れてはいけない。彼はまだ学生なのである。これまでの人生の中でギルドに関わって仕事をしたことなど皆無で、それでいきなり「どんな条件がいいのか」と聞かれても答えようがないというのが正直なところだ。
しかし今はそれ以上に警戒心が勝る。ルクトのほうから条件を提示すれば、ギルド側は「それさえ飲めば雇える」と思うだろう。そうやって働かなければいけないような状況にすることがギルド側の目的ではないか、という気がするのだ。
邪推が過ぎる、といわれればそれまでだろう。いざとなれば学園側を頼るという手もある。ただルクトは交渉ごとで大人と渡り合えるとは思っていない。不用意に言質を与えるような真似はしたくなかった。
『自分のほうから条件は提示しない。提示された条件の中に良いものがあれば、それをたたき台にして話を進めることはありえる』
これがルクトの考えた基本的なスタンスだった。優柔不断といわれればそれまでだが、少々臆病なくらいでちょうど良いとルクトは思っている。
「……分かった。OBの人たちにはそう伝えよう」
「わたしも父にはそう伝えておくわ」
結局、ヴィレッタとアメリシアのほうが折れた。二人の顔にはどこか納得した表情が浮かんでおり、どうやらルクトが「分からない」と言った意図は通じたようである。
話が一応まとまったところでデザートの皿も空になった。少々苦しいほどに満腹になり、これ以上食べたいとはさすがに思わない。
「今日はありがとうね。お皿はわたしたちが返しておくから」
「ごちそうさまでした」
礼を言ってからルクトは席を立つ。そして学食を出て寮へと向かう。
(なんか、随分と話が大きくなってきた気がするなぁ……)
学生一人がバイトをするしない、するならどこでとえらい騒ぎである。誰かに相談したいきもするが、ここはヴェミスではなくカーラルヒス。相談したい、相談しても大丈夫と思える大人はそういない。
(ゼファー爺さんに相談するのも手だけど……)
遠慮するな、とは言われている。ただ、彼に相談するということは、学園が動くことに直結するだろう。それは最終手段だ。
(メリアージュなら……)
相談したい大人として真っ先にルクトが思いつくのは、やはりメリアージュだ。それに彼女は月に一度、“黒い鳥”を使って取り立てに来る。その時に話をすることは十分に可能だ。
(早く来て欲しいような、欲しくないような……)
相談はしたい。でもその時は取り立ても一緒。借金残高が減るのはいいけど、懐が寒くなるのはちょっとイヤ。
「いやいや、悩ましい」
ルクトは苦笑気味にそう呟いた。「これも誰かに相談するか」と考え、「相談というよりも愚痴か」と思いまた苦笑した。
ひとまずここまでです。
続きは気長にお待ちください。