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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第四話 移り気なジョーカー
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移り気なジョーカー3

 武術科長のゼファー・ブレイズソンから呼び出され諸々話し合った次の日、ルクトはアシスタントとして午後の実技講義に出るため鍛錬場に来ていた。講義が始まるまでまだ多少の時間があるが、すでに多くの一年生が集まっており、談笑したり準備運動をしたりしている。


 空を見上げれば、今にも雪か雨でも降ってきそうな重苦しい雲がたちこめていた。今は一月の末。外は寒く吐く息は白い。ただ、集気法を応用することで身体を暖めることができ、そのおかげで比較的薄着でも寒さを凌ぐことができている。


 あまりに着膨れていると動くこともままならないのでこれはありがたい。ルクトも迷宮(ダンジョン)に着ていくコートを一枚羽織っているだけだ。その代わり身体能力強化に充てることができる烈の量が少なくなるので、頻繁に集気法を使って補充しなければならない。そのほうが集気法の練習になるのも事実だが。


 ちなみに集気法の応用で身体を暖めることはできるが、冷ますことはできない。身体を冷ますためには、むしろ烈を身体から抜かねばならず、当然その間は身体能力強化も行うことができない。迷宮(ダンジョン)の中の気温が涼しいというのは、実は攻略のための結構重要なファクターなのだ。


 まあそれはともかくとして。空を見上げ講義が終わるまでは何とかもって欲しいものだと思いながら、ルクトは鍛錬場にいる一年生のほうに近づいていく。


「オクス先輩!」


 彼の姿を見つけたカルミ・マーフェスが笑顔を浮かべ、白い息を吐きながら駆け寄ってくる。その様子からなぜか飼い主を見つけた子犬を連想してしまい、ルクトは小さく笑いを漏らした。


「……今何か失礼なことを考えませんでしたか?」


 眉間にシワを寄せ怪訝な顔をしてカルミがそう尋ねる。なかなかどうしていいカンをしているようだ。


「そんな、まさかまさか」


 ルクトが芝居がかった仕草で大仰に否定すると、カルミの眉間のシワが若干深くなった。どうやら信じてもらえなかったらしい。


「それより、バイトはどうだ?」


 ムッとした顔の後輩に苦笑しつつ、ルクトはあからさまに話題を変えた。カルミは不満そうな表情のままルクトを睨むが、彼はそれを飄々と受け流す。この辺りが先輩と後輩の力量の差であろうか。


「…………ダドウィンさんには良くしてもらってます」


 はあ、とこれ見よがしに大きなため息を付いてからカルミはそう答えた。不満げだった表情も、もう元に戻っている。


「そっか。そりゃ良かった」


 バイトの決まっていなかったカルミに、工房〈ハンマー&スミス〉を紹介したのはルクトだ。ルクト自身も一年の頃はそこでバイトをしていた経験があり、その縁で彼は今もその工房を贔屓にしている。工房主であるダドウィンの人柄もよく知っているし、彼はこれまでに武術科の学生を何人も雇ってきたから特に心配はしていなかったのだが、やはり紹介した手前様子ぐらいは気になるというものだ。


「『ここは武器屋じゃない。工房だ』って力説されました……」


「あ~、そこはおやっさんのこだわりだからなぁ……」


 同じ経験はルクトにもある。世間一般的には〈ハンマー&スミス〉は武器屋として認識されているはずなのだが、主であるダドウィンは「ここは工房だ」と言って譲らない。それはきっと、彼が販売よりは製作のほうに重きを置いているからなのだろう。


「ワシは商人じゃない。職人だ」


 というのが〈ハンマー&スミス〉の主、ダドウィンの口癖でありポリシーだ。


「そのせいで融通の利かないところもあるけど、そのおかげで腕のほうは一流だからなぁ」


 融通の利かない頑固な部分は、自分の仕事に誇りと責任を持っていることの裏返しでもある。高い水準の仕事を自分に対して要求している、ということだ。そしてそれが、ルクトが〈ハンマー&スミス〉を贔屓にしてきた理由でもある。


「そうそう、ダドウィンさんが、『例の太刀が仕上がったから取りに来い』って言ってましたよ」


 例の太刀、というのはルクトがダドウィンに依頼した新しい太刀のことだ。ゼファーからもらった純ダマスカス鋼製の直剣を潰してインゴットにし、そこから太刀を一本仕立ててもらったのだ。仕事を依頼したのは学園祭の前なのだが、年末年始はダドウィンも忙しかったらしく、完成までに一ヶ月近くもかかった。


(ま、急いで粗悪品渡されても困るけどな……)


 別に武器が手元になくて困っていたわけではない。加えてせっかく貴重な素材を使っているのだ。多少時間がかかってもいいから出来る限り最高のものを、注文をつけたのはルクトのほうだ。もっとも、言われずともダドウィンはそのつもりだったのだろうが。


「了解。暇を見つけて取りに行くよ」


「あ、あと『代金忘れるな』って言ってました」


「……了解」


 このあたりさすが付き合いの長いダドウィンと言うべきか。もっとも今回は素材が自前の持ち込みなので、支払うべきは手数料と鞘などの代金だけでそこまで高くはない。それでもウン万の単位で出て行くことになるが。


(気前よくメリアージュに返済しちゃったから、財布の中身がちょっと寂しいんだよな……)


 意外な落とし穴もあったものである。単に計画性がないだけとも言うが。


「そういえば噂で聞いたんですけど、先輩がプロのハンターさんたちに雇われているって本当ですか?」


「いや。まだ雇われてはいない」


「“まだ”ってことは……」


「この先、雇われることはあるかもしれないな」


 ゼファー爺さんも「問題ない」って言ってたし、とルクトは独り言のようにして続けた。ただ、現時点でそういう話は一向に来ていないが。


「それよりも、『噂で聞いた』って言ったよな? 一年の間じゃあ結構広まってるのか、その噂」


 ルクト自身、その噂については昨日ゼファーから聞いてはじめて知った。そしてゼファーはその噂が学園内ではなくカーラルヒスのギルドの間に流れている、と話していた。しかしながらすでにデマカセだと確認されたという話だったので、ルクトとしては特に気にする必要もないかと思っていたのだが。


「え、ええ……。座学のときに結構大きな声で話してる子がいて……」


 この前外法を使った子なんですけど、とカルミは言いにくそうに続けた。つまりその男子学生が逆恨みでウソの噂を広めた、と言うことなのだろう。


「ふうん……」


 カルミの話を聞いたルクトは、特に怒るでもなくただそう呟いた。あからさまな中傷ならばともかく、この程度の噂ならば放置しておいてもかまうまい。いちいち過剰に反応していては負い目があるかのように見られるし、そもそも疲れると言うものだ。さらにこの先、本当に噂通りになることもあり得るわけだし。


(ただ……)


 ただ、この噂をきっかけにしてカーラルヒス中のギルドがいろいろと動き始めたことは確かである。厄介事を起こされたともいえるが、いずれは気づくことだったともいえる。それに逆恨みが原因だと言うのならば、その男子学生にとってギルドの反応は予想外だったはずだ。仮に狙い通りだったとすれば、なかなかの策士だが。


「先輩はどうするつもりなんですか?」


「さてねぇ……。ゼファー爺さんからも『あまり煽ってくれるな』って釘刺されてるし、しばらくは様子見かな?」


 それぞれのギルドがどう判断しどう動くのか。どう接触しどんな条件を提示してくるのか。答えを出すのはそれを見極めてからでもいいだろう、とルクトは思っている。いわゆる受身の姿勢だが、ギルド相手に交渉術で渡り合える自信がない以上これはしかたがない。今のところ彼はただの学生でしかないのだから。


(何もないならそれでよし。何かあったら、その時に考えるさ)


 少なくとも自分から動いたことで事態が収拾不能になることは、ルクトとしても避けたい。しばらくはゼファーの伝手を頼りながら情報を集めるつもりだった。


「それはそうと、見知らない人がいるな。誰だ、あれ?」


 そういうルクトの視線の先にいるのは一年生や上級生のアシスタント、ではない。歳のころは恐らく四十路を越えている。立派な成人男性であり、寝ぼけていても学生と見間違えることはない。


「あの人は、外部講師の方です」


 今日はコッチに来たんですね、とカルミは少し意外そうに呟いた。彼女は入学したての頃は実力が足りず、攻略実習に参加できていなかった。それでもこれまでの実技講義で実力をつけ、新年の講義が始まった頃に晴れて迷宮(ダンジョン)デビューを果たしたとこの前うれしそうに話していた。カルミはこれまでに何度か攻略実習に参加してきたのだが、その時に件の外部講師が別のパーティーを引率しているのを見たことがあるという。


 ちなみに人数の関係で毎回攻略実習に参加することはできない。引率者が足りないためだ。それでカルミは、今日は実技講義のほうに出ているのだ。ルクトがアシスタントとして講義に出ていることも関係なくはないと思われるが。


 武術科の教官であればルクトも見知っているはずなので、彼が外部講師であることは納得できる。ただその外部講師がなぜ迷宮(ダンジョン)の外の学園の鍛錬場に顔を出しているのか、それが問題だった。


 外部講師というのは多くの場合、現役のハンターか元ハンターだ。そして求められている仕事は、攻略実習における一年生パーティーの引率役である。そして彼らがその役目に集中できるよう、上級生の中からアシスタントが募られるのだ。


 それゆえ外部講師が鍛錬場のほうに顔を出すことは滅多にない。それらなら一人でも多くの一年生を攻略実習に参加させたい、というのが学園側の考えだからだ。実際、そのためのアシスタントであるとも言える。


 ただ滅多にないとはいえ、しかし皆無でもない。経験豊富な先達から直接指導を受けられることは学生にとっても有益で、忘れた頃に誰かがふらりと顔を出すようなことはルクトが一年のときにもあった。そういう意味では、外部講師の男性がこの場にいることは、珍しくはあっても不思議ではない。


 しかしながら、タイミングの問題と言うやつがある。


(絶対、この日を狙ってきたよな……)


 若干呆れ気味に、ルクトは内心でそう呟いた。ゼファーから聞いた話から察するに、外部講師の男性はルクトがアシスタントとして講義に出るこの日を狙って顔を出したことはほぼ間違いないだろう。もしかしたら裏側では誰がコッチに来るかで壮絶な駆け引きがあったのかもしれない。


「なあ、あの人が所属しているギルドって分かるか?」


「ギルドですか? そこまではちょっと……」


 ルクトの問い掛けにカルミは申し訳なさそうにしながら「分からない」と答えた。仮に駆け引きを勝ち抜いてきたのだとすれば結構大手のギルドなのかもしれないと思ったのだが、どうせ興味半分に聞いたことだ。分からないなら、それはそれでよかった。


(どうせ、後で本人が名乗ってくれるだろうし……)


 外部講師の男性がゼファーの話と関係して、つまりルクトを勧誘するためにコッチに来たのであれば、必ずや後で声を掛けてくるはずである。ギルド名はその時に名乗るであろう。


「実技講義を始めるぞ~!!」


 ルクトとカルミの耳に、集合をかける教官の声が届く。どうやらもう講義の開始時間のようだ。


「んじゃ、また後で」


「はい。よろしくお願いします」


 そう言葉を交わして二人は一旦別れた。そしてカルミは一年生が、ルクトはアシスタントが集まっているところにそれぞれ向かう。一度集合して連絡事項があればその場でおこない、それから個別に分かれてアシスタントのところに行く、というのが実技講義の大まかな流れだ。


 カルミがルクトと別れると、すぐに同級生の女の子が彼女に近づき談笑しながら歩いていく。どうやら友達のようだ。


(楽しんでるみたいじゃないか……)


 後輩達の後姿を見ながら、ルクトは少しばかりの安心を感じていた。カルミ・マーフェスは訓練生上がりだ。つまり懐に余裕がない。そして懐に余裕のない人間は、気持ちにも余裕がなくなることが多い。常に追い詰められているように感じ、笑うことさえもできなくなってしまうのだ。


 だが友達と笑いあうカルミの様子からは、そういう陰を感じることはない。もちろんルクトは彼女の全てを知っているわけではないし、心が読めるわけでもない。だから、というのは変な話かもしれない。しかしそれが正直な気持ちでもある。彼女が笑えることに少し安心していた。


(ヤベ……、オレ、オッサンくさい……?)


 ……自分に若干のダメージを被りながら。「いやまさかそんなバカな」と頭をふり、ルクトは二人の後輩から視線を外して歩き始めた。



▽▲▽▲▽▲▽



 外法を使った一年生が倒れるといったハプニングも起こらず、実技講義それ自体は問題なく終わった。もしかしたらあの時の彼は攻略実習のほうだったのかな、とルクトは思ったがそもそも顔をよく覚えていない。ルクトを避けて他のアシスタントのところに行っている可能性も十分にあるだろう。


(まあ別にどうでもいいけど)


 あの事件のことから連鎖してルクトの脳裏に自身の恥ずかしい過去がよみがえり、彼は慌ててそれを記憶の底に沈める。その過程で件の彼の顔も記憶の中からだんだんと消えていくがルクトは気にしない。そもそもあの一回しか顔を合わせておらず、記憶に残る彼の顔それ自体が曖昧なのだ。どちらにせよ遠からず忘却の彼方に消えていたであろう。


 もっとも、ルクトは週に一回しか実技講義には出ない。アシスタントとして面倒を見ているメンバーも固定されているわけではなく、毎回のように入れ替わる。むしろカルミのように毎回同じアシスタントのところに行く一年生のほうが珍しいのだ。


 ちなみにそのカルミ曰く「オクス先輩の教え方は、『シンプルで分かりやすい』って結構評判良いんですよ」とのこと。誰でも出来るような、分かりやすいことしかやっていないことの裏返しのような気もするが、まあそれはそれでいいとして。


「失礼するよ。君がルクト・オクス君だね?」


 実技講義が終わり、ルクトが身体から烈を抜いて熱を冷ましていると、予想していた通りに外部講師の男性が話しかけてきた。


「そうですが、どちら様で?」


「私はギルド〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉に所属している者で、ベルムート・アドラーという」


 知っているかね、と問うベルムートに対しルクトは正直に「知らない」と答える。その率直な答えにベルムートは苦笑した。


 ギルド〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉は歴史こそおよそ200年と長いが規模で言えば中堅で、量よりも質を優先させてきたどちらかと言えばいわゆる“通好み”のギルドだ。カーラルヒスのハンター社会の中では結構名が知られているが、反面関わりの薄い業界では知名度が低い。留学生のルクトが知らなかったのも無理はない。


 ちなみに〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の由来は初代のギルドマスターの個人能力(パーソナル・アビリティ)から、との話である。


「それで、〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉がオレにどんな用件でしょうか?」


 わざわざギルド名を名乗っておいて、ベルムートの個人的な用件ではあるまい。腹の探り合いをする気のない、というより勝てる気がしないルクトは、さっさと本題に入るようにべベルムートを促した。


「実は、ウチのギルドでバイトをする気はないかと思ってな」


 ベルムートはあえて「バイト」という言葉を使ったが、これは実質的な勧誘である。ルクトは「ついに来たか」と身構える反面、「やっぱり」とどこか安心した。


「今はなんとも」


 ルクトはそう返答を濁した。もっとも彼のその対応はベルムートも予想済みだったらしく、一つ頷いただけで気落ちした様子は見られない。


「ここに雇用条件やその他諸々をまとめておいた。あとで目を通してほしい」


 そう言ってベルムートは一通の封筒をルクトに手渡した。裏を見ると蝋で封緘してあり、そこに印章が押されている。剣の刃が鞭のようにしなっている図柄の印章で、恐らくはこれが〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉のギルド印なのだろう。


「それと、ギルドホームの所在地を記した地図も入れておいた。質問があればいつでも訪ねて来てくれてかまわない」


 それではいい返事を期待している、と言い残してベルムートは去っていった。


(案外あっさりしてたな……)


 手元に残された封筒と遠ざかるベルムートの背中を交互に見比べ、ルクトは内心でそんなふうに思った。もう少し長々と食い下がるのかとも思っていたが、言うべきことだけ伝えてさっさと帰ったという印象である。


 ヴェミスにいたころからパーティーやギルドから誘われることは多々あった。ただその頃はまだ子供だったし、保護者であるメリアージュがすべて穏便(・・)に断っていたため本格的に話が進むことはなかったのだ。


 つまりこれが、ルクトにとって初めての「ギルドからの勧誘」ということができる。そして〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉がルクトに接触したことは、すぐに他のギルドも知ることになるだろう。そうなれば「遅れを取るまじ」とこぞって動き、ルクトに接触を図ってくるに違いない。


 つまり事態が動き始めたのである。ここから始まるであろう勧誘合戦が、さてどこまでいくのか。当然のことながらルクトにはさっぱり見通すことができなかった。



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