移り気なジョーカー2
「三年のルクト・オクスです」
武芸科長室、と銘打たれた無骨な木製の扉をノックし、ルクトはそう呼びかける。すぐに中から「入れ」と返事があり、ルクトはその声に従って扉を開け室内に入った。
「さて、ルクト君。呼び出された理由は分かるかのう?」
室内で彼を迎えたのはこの部屋の主である、武芸科長のゼファー・ブレイズソン。彼はルクトに対し、試すような、それでいてからかうかのような目をモノクルの奥から向けていた。
「いえまったく」
嘘でもなんでもなく、正直にルクトはそう答えた。先日パーティー外メンバーとして雇われた件で呼び出された時とは異なり、本当に心当たりがなかったのだ。ゼファーも少々困惑気味のルクトに疑いの視線を向けるわけでもなく、ただ「ふむ」と呟いて机の上で手を組んだ。
「実はの、こんな噂が流れておる」
曰く「三年のルクト・オクスはプロのハンターたちに雇われて迷宮攻略をしている」
その話を聞いたとき、ルクトはまずは驚いたように目を見開き、それから思案顔になって、最後にその表情のままこう呟いた。
「……しまった、その手があった」
「これこれ」
大真面目な顔で報酬の試算を始めたルクトを、ゼファーが呆れた顔でたしなめる。幸いなことに彼はすぐに帰ってきてくれた。
「失礼しました。ですが、仮に本当だったとして何か問題でもあるんですか?」
「その前に事実確認をさせてくれんか」
「事実無根です」
そのようなことは一切していない、とルクトは言い切った。ゼファーのほうもその言葉を疑うようなことはせず、ただ頷きを返す。
「それで、噂が本当だったとして何か問題があるんですか? というかそもそも、その噂はどこに流れたんですか?」
先ほどゼファーはそういう噂があると言っただけで、学園内に噂が流れているとは言わなかった。というより学園内で流れる噂程度であれば、わざわざ武芸科長であるゼファーが直々に呼び出しをかけることなどしないだろう。
「まあ待て。色々聞きたいことはあるじゃろうが、まずはワシの話を聞いてくれんか」
質問があればその後で聞くから、とゼファーは言った。つまり一通り説明するから個別の質問はその後にしてくれ、ということだ。ルクトが了承の返事をするとゼファーは彼に席を進め、彼が腰を下ろしてから話を始めた。
「さて、何から話したものか……。そうじゃな、まずは例の噂じゃが、ワシは現役時代の友人からその話を聞いた」
ゼファーは元ハンターだ。学園の武術科に勤めるようになったのは引退してからである。その彼の現役時代の友人と言うことは、その友人も引退したハンターなのだろう。もしかしたら働いていたギルドあたりとはまだ繋がりがあるのかもしれない。実際、次のゼファーの言葉はその推測を肯定していた。
「もうとっくの昔に現役は引退しておるのじゃがな、今は働いておったギルドの外部顧問のようなことをしておる」
その友人から「久しぶりに食事でもどうか」と誘われその席で例の噂を聞いたのだ、とゼファーは説明する。それを聞いてルクトの目が若干細くなった。今聞いたことからすれば、例の噂は学園内よりむしろ一般のギルドの間で流布されていることになる。そしてルクトの懸念を肯定するようにゼファーは一度重々しく頷き、それから話を続けた。
「ヤツの言うところによれば、例の噂は一週間ほど前からハンターたちの間で囁かれるようになり、一時期はそれなりに動きもあったらしい」
「ではそのご友人は、噂の真偽を武術科長に確認しに?」
「ワシもそう思ったがそうではなった」
噂の真偽それ自体はそれぞれのギルドが自分たちで確認したと言う。どうやって確認したのかと言えば、迷宮に潜る際につける記録からである。そこには名前と潜った日時、さらに帰還した日時が記録されており、それを照合することで迷宮内での行動をある程度推測することができるのだ。
つまり、潜るときのメンバー(名簿に連続で記入された名前5~7人分)、と帰還したときのメンバー(やはり名簿に連続で記入された名前5~7人分)が同じであれば、彼らは迷宮内でも行動を共にしていた、つまりパーティーとして行動していたと考えられるのである。
また、迷宮の入り口には記録をつけるための受付係がいる。その受付係から話を聞くことでも最近ルクトがパーティーに加わって行動しているか、つまりどこかに雇われているか推測することができるだろう。
もっとも、そうやって確認するだけではアーカインたちのパーティーに雇われたときのように迷宮内で合流されると判別することはできない。だが、誰に憚るわけでもないプロのハンターたちがそんな面倒なことをするとは考えにくかった。
「それで結論としては『噂は噂でしかなかった』というところに落ち着いたそうじゃ」
名簿の記録を調べても、また受付係から話を聞いても、ルクトがどこかのギルドに雇われているという確証を得ることはできなかった。また、迷宮内でルクトに会ったハンターたちの証言からも、彼が相変わらずソロで攻略を行っていることに疑いはない。
(だったらなんで…………?)
だったらなんで自分は呼び出されたのか、とルクトは内心でいぶかしんだ。噂は事実ではなかったと結論されたし、実際に事実ではない。ではこの上どんな用があって呼び出したと言うのか。
「噂は本当ではなかった」
だから、この話はここからが本論になる。ゼファーの友人は彼にそう言ったという。
「先ほどおぬしはこう聞いたな。『仮に噂が本当だったとして、何か問題でもあるのか?』と」
そしてゼファーの友人も同じことを聞いたと言う。その問いかけにゼファーは「大アリじゃ」と反射的に答えかけ、しかし口をつぐんでその言葉を飲み込んだ。それからしばしの間思案し、その末にゼファーはこう答えた。すなわち「何も問題はない」と。
確かに学園はギルドが青田買い的に学生を囲い込むことを嫌っている。「まずは卒業することが第一」というのが学園側のスタンスだからだ。学園側にしてみれば学生たちが迷宮攻略を行うのは武芸者として成長するための手段であって、ドロップアイテムを得てお金を稼ぐことはあくまでも副次的なものでしかないのだ。
しかしながら卒業をほぼ確実にした、つまり実技要件を達成した学生となると話は少し違ってくる。
代表的な例を挙げるならば〈エリート〉がそうだ。彼らは五年次のうちに実技要件を達成して就職するギルドを内定し、そして六年次の一年間をほとんどそのギルドに入り浸って過す。そして学園側はその動きを奨励こそしないが止めもしない。いわば“積極的黙認”とでもいうべき態度をとるのだ。
これには幾つかの理由がある。実技要件を達成した学生たちが、残りの時間を新たな目標もないままだらだらと過すよりも、早いうちからギルドの活動に参加しその環境に慣れていったほうがよほど生産的である。また学園側としても、そうやって優秀な学生、あるいは卒業生が活躍してくれればネームブランドを高めることにつながる。
また、カーラルヒスという都市国家としての思惑もある。
都市国家は魔石と鉱物資源のほとんど全てを、迷宮からのドロップアイテムに依存している。それゆえ、資源を獲得してくるハンターの数と質を確保することは至上命題といっても過言ではない。
普通の都市であれば、地道に武芸者を育成していくしかないだろう。しかしここはカーラルヒス。ノートルベル学園を擁する学園都市である。
ノートルベル学園には多くの留学生が在籍している。そしてそれは武術科も例外ではない。というより、武術科こそが最も多くの留学生を擁しているのだ。多くの場合それらの留学生は、卒業後は自分の生まれた故郷の都市に帰る。しかし全ての学生が故郷に帰るわけではないのだ。
都市国家にしてみれば、それら武術科の留学生たちには一人でも多くカーラルヒスに居残って欲しい。そうすれば、その分優秀なハンターを確保できるからだ。学園側もそのことは理解しており、だからこそ実技要件を達成した学生がギルドで働くことを容認しているのだ。
つまり在学中にカーラルヒスという社会の中で居場所を作らせてしまうのだ。それは留学生をこの都市に居残らせる第一歩となるだろう。さらにその居心地がよければ、「カーラルヒスに永住したい」と思ってくれるかもしれない。
そのようなわけで。学園側は実技要件を達成した学生がギルドに半ば就職するような形で働くことを積極的に容認している。そしてルクト・オクスはすでに実技要件を達成してしまった。であるならば彼がどこかのギルドに雇用されたとしても、なにも問題はないのである。
それどころか、ルクト・オクスをカーラルヒスに居残らせるためには、早いうちから彼を特定のギルドに入り浸らせて居場所を作らせてしまったほうが有効かもしれない。特定のギルドで働きそこのハンターたちと一緒に迷宮攻略を行えば、少なからずその居場所に対して愛着が湧くことは間違いない。そしてその時間が長ければ長いほど、その愛着は深く大きくなっていき彼をカーラルヒスに縛り付けるだろう。
また、仮にルクトが故郷に帰ってしまうのだとしても、卒業までの三年半以上をギルドで働いてくれることにはメリットがある。彼の個人能力〈プライベート・ルーム〉は遠征に、それも大規模な遠征に向いた能力である。この能力を使えば短期間のうちに攻略の成績を、ひいてはギルドの売り上げを大幅に伸ばすことができるだろう。短期的で期間が決まっているとはいえ、魅力的であることに間違いはない。
「要するに、気づいてしまったわけじゃ」
ゼファーは少しの諦めを滲ませた声でそう言った。そう、カーラルヒス中のギルドは気づいてしまったのである。ルクト・オクスを確保するために、わざわざ彼が卒業するまで待つ必要はないのだ、と。
「では、これから勧誘合戦が始まると、そういうわけですか」
「恐らくは、の……」
単調に応じるルクトに対し、ゼファーの声はやはり苦い。その勧誘合戦が白熱するであろうことが眼に見えているからだ。きっとどのギルドもあの手この手でルクトを勧誘してくるであろう。
「……今思えば、問題ないことがむしろ問題かも知れん」
苦笑気味にゼファーはそう言った。問題があるならば、学園側として事態に介入しギルド側を牽制することができる。しかし問題がないのであれば、学園側には口を挟む理由がない。
「……というわけで、と言うのも変な話じゃが、ルクト君。君に頼んでおきたいことがある」
まず第一に、勧誘の際に金品を渡されても決して受け取らないこと。これがゼファーにとって最大の懸念と言っていいだろう。特定の個人を組織に引き込みたいのであれば、金品を握らせるのが最も手っ取り早いのだから。
しかしながら、もし学生を金品で買収するような勧誘法が横行すれば、この先の卒業生の就職活動などにも問題が出てくる。そもそもそれは賄賂だ。健全な競争という観点からすれば、決して容認されえないものである。
「じゃから、もし金品を渡そうとするものがいたならばワシに報告して欲しいし、また無理やり渡された場合もワシのところに持って来て欲しい」
武術科として厳正に対処する、とゼファーは言葉に力を込めた。彼にとってこれは決して譲れない一線である。ことはルクト一人だけの問題ではなく、この先の武術科全体に関わることだからだ。
「わかりました」
ルクトはそう了解の返事を返した。もし金品が貰えるのであれば、彼にとってそれは確かに魅力的ではある。ただし、短期的には。
確かに借金返済の足しにはなるだろう。しかし金品を受け取ってしまえば、卒業後に後腐れなく「さようなら」というわけにはいくまい。ルクトは卒業後のことについてまだ何も考えていないから、今の段階でカーラルヒスに残らなければいけなくなるような状況を自分で作ってしまうことは避けたかった。
「……第二に、勧誘がエスカレートして普段の生活や学業に支障が出るような場合も、ワシに相談して欲しい」
これまでの学園のスタンスからすれば、ギルドがルクトをスカウトすることそれ自体に問題はない。しかしその勧誘によって学生であるルクトが迷惑を被り、そのことを学園側に相談するのであれば話は別だ。学園は「学生を守る」という大義名分の下、事態に介入する理由を得る。
このお願いに対してもルクトは「わかりました」と了解の返事を返した。ここカーラルヒスにおいて、留学生である彼がまず頼るべき公的機関は学園なのだ。またルクト個人では収拾がつけられないほど事態が大きくなってしまったときには、どうしても学園の力を借りなければならないだろう。
「……そして最後に、君のほうで勧誘合戦を煽るような真似はしてくれるな」
わりと切実にゼファーはそう頼んだ。金品を受け取らずとも、より良い条件を引き出すためにギルド同士を競わせたり、というような駆け引きは可能だ。その結末として勧誘合戦がギルド同士の抗争に発展でもすれば、事態はおよそ考えうる限り最悪と言っていいだろう。
「……気を付けますよ」
苦笑気味にルクトはそう答えた。彼自身自分が大人と、それも本職の交渉人とまともに渡り合えるとは思っていない。条件を引き上げることができても、同時にやっかいな条件も付け加えられてしまうのがオチだろう。彼にできるのは、せいぜい各ギルドが提示した条件の中からより良いと思えるものを選ぶくらいだ。もっとも、いずれかのギルドにお世話になるならば、の話ではあるが。
「この機会だから聞いておきたいのじゃが……」
ルクトが三つのお願い全てを聞き入れてくれひとまず肩の荷が下りたゼファーは、椅子の背もたれに体を預け少しばかり疲れたような目をルクトに向けた。ルクトが入学して以来、彼がいなければ起こらなかったであろう事件が少なからず発生していることは紛れもない事実だ。そしてそれがゼファーの心労を増す一因になっていることも間違いないであろう。
ルクト自身そのことは自覚しているし、申し訳ないとも思っている。ただ彼にも言い分はある。彼とてすき好んで問題を起こしているわけではないのだ。ルクト・オクスが自身の才覚を十全に利用しようとするとき、それが学園側の都合とぶつかる。それこそが根本的にして最大の問題である。
ルクトはソロで攻略を行うことによって学園側の意向をすでに最大限尊重している。であるならばこの先まず頭を悩ませるべきは学園側であり、その筆頭は武術科長のゼファー・ブレイズソンであるはず。ルクトの中には目の前の老人に対する同情論と同時に、そんな風に突き放した部分もあった。
まあそれはそれでいいとして。ゼファーの話の続きである。
「……現時点で、君はどう考えておるのじゃ?」
それはつまりいずれかのギルドに雇われるつもりがあるのか否か、雇われるのであればどんな条件がいいのか等々、どう考えているのかということだろう。ただ問われたルクトは苦笑を返すのみだ。
「どう、と言われましても……。今さっき話を聞いたばかりで、まだなにも考えてなんていませんよ」
「まあ、そうじゃろうな」
ゼファーもまた苦笑気味に応じる。ルクトは気づかなかったかもしれないが、そこには幾分の安堵も含まれていた。
「なんにせよ一人で考え込まないことじゃ」
諭すようにゼファーはそう言った。ここはノートルベル学園の武術科で、ルクトはそこの学生だ。相談を受け付ける窓口も用意されている。
「ここの教員たちは元ハンターが多い。参考になることもあるじゃろう」
ワシでよければいつでも相談に乗る、とゼファーは続けた。彼は長らくプロのハンターとして活躍していたから、その業界については熟知している。今でも昔の伝手は残っているし、武術科長という立場とあわせれば大抵の情報は入手できるだろう。カーラルヒスのハンター社会について何も知らないルクトにとっては、得がたいアドバイザーであるに違いない。
「ありがとうございます。その時は遠慮なく相談させてもらいます」
うむ、とゼファーは重々しく頷いた。留学生であるルクトには、カーラルヒスに頼るべき保護者はいない。ゆえに学園は彼のみならず留学生全てに対し保護者にならなければならないのだ。
そんな事情もあってかゼファーがルクトを見る目は、どこか孫を見る目のようだった。