移り気なジョーカー1
今回は難産でした……
追記、タイトルを変更しました。(旧タイトル「嘘からでた真」)
彼は、いわゆる名家の生まれだった。
決して政治的な影響力を持っている、という意味ではない。いや、皆無ではないのかもしれないが、少なくとも今生きている家の人間はだれも都市国家の運営にはかかわっていない。
彼の家は代々武芸者、特にハンターを輩出してきた家柄である。そのせいか業界内ではなかなか知られた家名であり、そういう意味での“名家”だ。また彼の父はそこそこ名の売れたギルドで幹部職を務めており、ギルド内のみならずカーラルヒスの武芸者社会において一目置かれる存在だった。
彼は次男である。次男であるということは、上に兄がいるということだ。
彼の兄もまた、父と同じくハンターである。歳の差は八つ。彼の兄はすでにノートルベル学園武術科を卒業している。しかもただ卒業しただけではない。
彼の兄は、〈エリート〉だった。
つまり五年次の、年が変わる前に実技の卒業要件を達成したのである。毎年二割近い六年生が実技要件を達成できずに留年していることを考えれば、優秀なのを通り越してすごく優秀だ。
そして堂々の成績で武術科を卒業した兄は、かねてからの予定通りに父と同じギルドに入り、そして今は第一線で活躍している。さらに将来的には父と同じように幹部職を得る、というのがもっぱらの噂だ。今は噂でしかないが父はそれを期待しているし、本人もそのつもりである。
次は自分の番だ。彼はそう思った。
兄の卒業から遅れることに二年。彼もまた父や兄と同じくノートルベル学園の武術科に入学した。
勇んで武術科に入学した彼であったが、しかし肩透かしを食らうことになる。一年次の間は迷宮に潜れないことは知っていたが、実技講義のレベルもまた彼にとっては低すぎたのだ。
彼は幼い頃から道場に通っている。兄が通っているのと同じ道場だ。今はほとんど顔を見せることはないが、父もその道場に籍を置いている。道場で腕を磨き、家に帰れば父や兄を相手に腕を磨いた。
そんな彼にとって、実技講義はヌル過ぎた。やる事といえば基礎の基礎の、そのまた基礎のことぐらい。指導も何もあったものではない。これならば講義には出ないで、その分道場にいった方がよほどためになると彼は思った。
攻略実習も彼にとっては不満だった。初めて迷宮に潜ったその時はあまりにも異質なその世界に圧倒されたが、二度三度と潜ればやはり慣れてくる。攻略実習で潜る範囲は入り口に近いところだけだから、出現するモンスターも弱くまったく歯ごたえがない。
(ヌルい。つまらない。学園も迷宮もこんなもんなのか……?)
さすがに「そんなはずはない」と思い直す。父も兄も自分より強く、そんな彼らから遠征と攻略の大変さはいつも聞かされている。この程度の難易度に世の中のハンターが四苦八苦するというのは、さすがに考えられないことだった。
つまり自分が一年のレベルを超えてしまっているのだ。彼はそう考え、その考えはとてもしっくり来た。
考えてみれば当然だ。一年のカリキュラムというのは、主に実力の足りていない訓練生上がりの学生を対象にして組んである。小さな頃からハンターになるべく育てられてきた自分にしてみれば、物足りなくて当然である。
早く迷宮に、それも深い階層に潜りたい。彼はそう思った。
攻略実習では物足りない。しかし学園の校則上、一年生は迷宮に潜ることはできない。それを破れば一切の例外なく退学である。兄のように〈エリート〉になるのだと決めている彼にとって、退学になるなどもってのほかだ。
自分を遠征に連れて行ってくれ。彼は父と兄にそう頼んだ。しかし彼らの返答は否定的だった。学園に入ったからにはそのカリキュラムに従うように。二人は揃って彼にそう言い含めた。
実際のところ武術科一年次のカリキュラムというのは、訓練生上がりの学生だけを対象にしているわけではない。彼らを主眼にしているのは間違いないが、全ての学生に意味のある、そしてある面期待している講義なのだ。
迷宮攻略は、そしてなによりそのための遠征は一人では決してできない。迷宮の深い階層に潜って攻略を行おうとすれば、どうしてもパーティーを組む必要がある。そして学生同士でパーティーを組む場合、そのメンバーは同級生で固まるのがほとんどだった。(ギルドに入るとまた違ってくるが)。
しかし二年次になって迷宮に潜れるようになると、同級生が同じ場所に集まる機会というのは少なくなる。そんな中、一年次の実技講義は横のつながりを広げる絶好の機会なのだ。実際、ルクトがロイやイヴァンと知り合ったのも一年のときの実技講義でのことだった。
つまり実技講義は人間関係を構築する場所でもあるということだ。それはつまり、「自分以外のことも気にする」ということだ。自分のことしか気にしないような人間が、パーティーという集団の中でうまくやっていけるはずがない。世の中には色々な境遇の人たちがいて、その中にはいわば“不足している”ように思える人もいるだろう。しかしそういう人たちの力を借りなければ遠征はままならない。何でもかんでもできる、“完璧にして全能”なメンバーなどいないのだ。そういうことを少しでも分かってもらうことが、実技講義のいわば“真の目的”なのである。
父や兄は彼にそういうことをしっかりとわきまえて欲しかったのかもしれない。しかしながら彼はそれを悟ることはできなかった。少なくともこの時点では。彼の頭の中にあったのは「自分が強くなること」で、「自分が〈エリート〉になること」だったのだ。同級生のことなど彼の眼中にはなく、明らかに格下に思える訓練生上がりに背中を預けることなど想像もできなかった。
なまじルクト・オクスという〈ソロ〉で迷宮攻略をしている学生が、同じ学科の先輩にいたことが悪かったのかもしれない。もちろんルクトがソロで攻略をしているのはそれ相応の事情があってのことで、いわば例外中の例外だ。だが実例が目の前にあることで彼はこう思ってしまった。
「自分だってやれるはずだ」と。
さらに彼が入学してから二ヶ月と少したった頃、大ニュースが武術科を駆け巡った。〈ソロ〉のルクト・オクスが実技の卒業要件を達成したのである。
負けていられない。彼はそう思った。いや、「焦った」と言うべきかもしれない。〈エリート〉など比較にならぬ速度で実技要件を、しかもソロで達成したルクト・オクス。それに対し自分は未だ満足に迷宮に潜ることもできない。
「早く、そしてもっと深く。迷宮に潜りたい」
彼のその思いは日に日に強くなっていった。そのためにはまずはメンバーを集めてパーティーを組まなければならないのだが、その部分は彼の頭の中からごっそり抜け落ちている。迷宮に潜れればなんとかなる、とそんな風に思っていた。
何とか特例として一年から迷宮に潜ることを認めさせなければならない。ではどうやって認めさせるのか。
――――実力。
そう実力である。迷宮で戦えるだけの実力があることを、誰もがわかるように示せばいいのである。
「つまりルクト・オクスを倒せばいいわけだ」
彼はそう結論づけた。なにしろルクト・オクスはソロで迷宮攻略を行い、そして三年次で実技要件を達成したのだ。そのルクトを倒せば、自分には同じだけの実力があることのこの上ない証明になるではないか。そうすれば頭の固い教師たちも、特例を認めてくれるに違いない。
さらに都合のいいことにルクト・オクスは実技講義でアシスタントをしている。そこでどういう形でもいいから立会いをして、そして勝てばいいのだ。
もちろん彼はルクトのことを侮ってはいなかった。曲がりなりにも先輩。迷宮も自分より深い階層に潜っている。決して油断していい相手ではない、と彼は自分を戒めた。
だからこそ、確実に勝つために“切り札”を用意したのだ。それこそが小さな小さな魔石。すなわち〈外法〉。
攻略実習で初めて迷宮に潜り、そして潤沢にマナが満ちているその場所で集気法を使ったとき、彼は得も言われぬ全能感に満たされた。知識としては知っていたが、迷宮の中と外では集気法はまったくの別物になることを彼は理解したのである。
そして同時に別のことも理解する。「迷宮の外でこの力を使えれば、相手が誰であろうと負けはしない」と。
そして、それを可能にする手段こそが〈外法〉。
外法の存在については、通っている道場で教えてもらっていた。そして父と兄からも教えてもらい、さらに武術科の座学でも教わった。皆一様に「使ってはならぬ」と教えており、そしてその理由も説明された。
しかしどれだけ真剣に、そして丁寧に説明されようとも、その言葉は彼の心には届いていなかった。結果だけ見れば、そう言わざるを得ない。
無論、彼とて注意はしていたつもりだ。魔石が大きいほど拒否反応が強くなることは容易に想像できたから、用意したのは本当に小さな魔石だった。
しかしそれでも。〈外法〉は彼の想像をはるかに超えて危険だった。魔石を握って集気法を使った瞬間、体の内側に強烈な衝撃を感じ彼の意識は飛んだ。いっそそのまま気を失っていられれば楽であったろう。しかしその次の瞬間には全身をねじ切られるかのような激しい痛みによって無理やりに覚醒させられ、動くことも意識を失うこともかなわず、ただ苦しむしかない。
まさしく、地獄。
『た、たす、けて…………』
声を出すことさえも辛い。涙とよだれを垂れ流しながら、彼は必死に助けを求める。しかしその返答は残酷だった。
『やだ。しばらくそうやってのた打ち回ってろ』
そう言って奴は彼を鍛錬場の端っこに連れて行き、非情にもそこに放置したのである。常識云々よりも、人間としてありえない行動であろう。それにもかかわらず、教師や他のアシスタントたちは何も言わないし助けようともしない。
『よかったな、迷宮の中じゃなくて』
死ぬほどきついだろうけど死にはしないから、と奴ことルクト・オクスは去り際に誰にともなくそう呟く。考えるまでもなくその言葉はのた打ち回る彼に対して言われたのだが、生憎と彼はその言葉をありがたいとはおもわなかった。
何とか回復して家に帰り学園での不条理な扱いについて父に話そうとすれば、すでに事情を知っていたらしい父から逆に「この大馬鹿者!」と特大の雷を落とされた。さらに一時間にわたって延々と説教をされ、あまつさえ来月分の小遣いなしという厳しい沙汰を言い渡される。「踏んだり蹴ったり」とはまさにこのことだ。
悔しさと憎さばかりが募る。彼をさらに苛立たせたのは、ルクト・オクスのあの放置という対応が世間一般的に正しいとされている、ということだ。否とされ非難されるのは外法を使った自分だけで、その彼を無情にも放置したルクト・オクスはなんの咎めも受けていない。むしろ正しいことをした、とさえ受け止められている。
つまりこの件に関して言えば、彼の味方は誰もいなかったのだ。それどころか今回のことで彼は問題児のごとくに見られるようになってしまった。
すべて奴の、ルクト・オクスのせいである。だが相応の報いをくれてやろうにも世間は動かず、私的な復讐をしようにも彼にも彼の家にもそんな力はない。何もできないことが、また悔しさと憎さを募らせる。
悶々とした日々を送るうちに、彼はルクト・オクスが五年生のパーティーに雇われたという話を聞いた。もちろん、その目的は実技要件の達成だ。そのパーティーはルクトを雇うために300万シクも支払ったというから驚きである。
結局、その五年生たちの思惑が成功することはなかったが、その話と顛末を聞いたとき彼はこう思った。「いかにも狡賢い奴のやりそうなことだ」と。〈エリート〉になりたがっている五年生達の弱みに付け込んであこぎなことをしている、とそう思った。
もっともこれから先、ルクト・オクスが同じようにして稼ぐことはできないだろう。なにしろ今回の件で「ルクトの力を借りても実技要件の単位は認定してもらえない」という前例ができてしまった。単位が認定されないのに高い金を払ってルクトを雇う学生はいるまい。
そう学生は、いるまい。
「学生を食いモノにできなくなったから、今度はプロのハンターに売り込むんじゃないのか?」
つまり、ルクト・オクスは自分でまともな迷宮攻略をするのではなく、便利な個人能力を持っているのをいいことに他のパーティーに寄生して金を稼いでいる、と彼はそう考えたのだ。そして「いかにも奴のやりそうなことだ」と自分の考えに納得した。あいにくとまだそういう噂は流れていないが、学園は閉鎖的な環境であるため外の情報は入っていきにくい面がある。
それはズルくて卑怯なことだ。彼はそう思った。そしてズルくて卑怯なことをしている咎人には、それ相応の罰が下されるべきなのだ。
義憤と共にそう思ったものの、彼はその現場を実際に見たわけはないので表立った追及はできない。しかしすでにそういうことをやっていても不思議ではない。いや、恐らく本当にやっているはずなのだ。
ではどうするべきか。
「なあ、知ってるか?三年のルクト・オクス先輩、今はプロの人たちに雇われているらしいぞ」
彼は同級生の間でそう吹聴した。彼の中でこれが嘘であるという意識は、ないわけではなかったが希薄だった。やっていても不思議ではない。やっているはずだ。自分のなかのその推測だけを頼りに動き続ける。
噂が流れることで奴が商売をやめればいい。止めずともやり難くなればいい。それに万が一やっていなかったとしても、将来的にそういう商売をやることを牽制できる。そう考えて彼は自分の行為を正当化した。
「学園で三年のルクト・オクス先輩が、今はプロの人たちに雇われているらしいって聞いたんだけど本当?」
さらに彼は父や兄にそう聞いて情報を集める。いや彼としては情報を集めているつもりだった、というべきかも知れない。しかしながら実際にギルドに勤めプロのハンターとして働いている父と兄は、彼が思う以上にこの手の話題に敏感でそして過剰に反応したのである。
彼はただ単に「ルクト・オクスはズルをしている」と予想し、その事が証明されてしかるべき罰を受けるべきだと考えているだけだった。しかしながら彼の父と兄は彼の言葉を「ルクト・オクスはすでにどこかのギルドと繋がりがある。あるいは繋がりつつある」と解釈したのである。
ルクト・オクスと彼の個人能力〈プライベート・ルーム〉にはカーラルヒス中のギルドが目をつけている。ほとんど全てのギルドが彼の獲得を目指しているといっても過言ではないだろう。実際、「ルクト争奪戦」とでも言うべきものは、水面下ですでに始まっているのだ。
ただし、あくまでも「水面下」である。なにしろルクトはまだ三年生だし、卒業後の進路についても「卒業が近くなったら考えます」としか言っていない。この段階で争奪戦を激化させれば、答えの出ないままイザコザが長期化し、また泥沼化する可能性が高い。そうなった場合、被るのは不利益だけだ。その挙句に「故郷に帰ります」なんて言われたら眼も当てられない。
加えて青田刈り的に学生を囲い込むことを、特に実技要件を満たしていない学生を囲い込むことを学園側は嫌がる。優秀な武芸者を毎年数多く輩出する学園に睨まれるようなことは、どのギルドもさすがにしたいとは思わなかったのだ。
「今はまだちょっかい出さないでおこうや」
これがギルド間の暗黙の了解である。にもかかわらず彼の話を信じるならば抜け駆けをしたギルドがあることになる。別に書面を交わして取り決めた約束事ではないので破ったからどうと言うことはないのだが、それでも寝耳に水である。早い話、「出遅れた、先をこされた」と思ったのだ。
あるいはこの意識の差こそが、この先の騒動の原因なのかもしれない。