表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第三話 それは禁じ手にあらず
26/180

それは禁じ手にあらず8

 アーカインたちにパーティー外メンバーとして雇われることになり、遠征についての打ち合わせを行った翌週。アシスタントとして午後の実技講義に出た次の日、ルクトは一時限目の講義を終えると急いで寮の自室である403号室に戻った。これから迷宮(ダンジョン)に向かうのである。アーカインたちとの待ち合わせはお昼ごろに四階層のベースキャンプ。これから向かってぎりぎり、と言ったところである。


 荷物を窓際の机の上に投げ出すと、ルクトは〈ゲート〉を開いて〈プライベート・ルーム〉の中に入る。装備品の一切はそこに保管してあるからだ。


 味気のない白い壁に四方を、いや上下もあわせてやれば六方(・・)を囲まれた空間〈プライベート・ルーム〉。もともとは寒々しいほどに無機質な場所なのだが、隅っこにはラグを敷いたすのこが置かれ、さらにその上にはクローゼットやソファー、テーブルまでも完備されている。それが妙な生活感と言うか、そういうものを醸し出していて、ロイなどに言わせると「脱力させられる」らしい。


(使いやすくしているだけなんだけどな……)


 まあロイは“優しげな好青年”という見てくれに反してなかなか腹黒で、毒舌を弄したがるきらいがあるので三割くらい差し引いて受け取っておけばいいだろう。


 着替えを終えてコートの上からベルトを巻いて剣帯に挿した太刀をつるすと、ルクトは〈プライベート・ルーム〉の中を見渡した。食料と水は昨日のうちに用意してあり、しかもいつもよりも随分多く用意してある。計画してある遠征の日数が長いこともあるが、それ以上に人数分の予備を用意したからだ。


 もちろんアーカインたちも必要な食料は用意しているが、十分な量の予備があれば必要に応じて計画を柔軟に変更することも可能になる。これもまた〈プライベート・ルーム〉の利点であろう。


 ちなみにこれらの食料を買うために掛かった費用は必要経費扱いで、報酬とは別にお金を預かっている。ただし、当然のことながら余った分は返すし、食料も残ればアーカインたちが引き取ることになっている。


「さて、行くか」


 そう呟いてからルクトは迷宮(ダンジョン)へ向かった。今は十二月の半ばで、季節は冬の真っ只中。この辺りは雪が降ってさらに積もるような気候のため、当然のことながら外は寒い。迷宮(ダンジョン)の中は常に十五℃前後なので今の時期は迷宮(ダンジョン)内のほうが暖かく、そのため攻略用の服装では外を歩くには寒すぎる。そのためルクトはコートの上にもう一枚羽織るという珍妙な格好をしていた。


 学園の敷地の外に出ると、ルクトはまず手近な飲食店に入った。寒いこの季節、露店はあまり立たない。それを見越して飲食店ではテイクアウトのサンドイッチなどを用意しているのだ。


 ルクトはそれを遠慮なく買い占める。無論、ベースキャンプにいるハンターたちに売りつけるためだ。店員も苦笑しているし、あとでこの店に来た学生たちからは盛大にブーイングをされそうだがルクトは気にしない。


 仕入れた大量のサンドイッチなどはすべて〈プライベート・ルーム〉に放り込み、改めてルクトは迷宮(ダンジョン)に向かって歩き出した。


(おやっさんの店で着替えればよかったかな……)


 そんなことを考えながらルクトは街を歩く。“おやっさん”ことダドウィンはルクトが贔屓にしている鍛冶師で、彼の工房〈ハンマー&スミス〉は迷宮(ダンジョン)のわりと近くに立地している。そのためルクトはたびたび彼の工房を更衣室代わりに使っているのだが、そういえば最近は寮の部屋で着替えることが多くなった。


(まあ、寒い季節だからな……)


 ルクトが〈ハンマー&スミス〉を更衣室代わりに使うのは、主に暑い季節だ。そういう時に攻略用の装備を着込んで動き回るとすぐに汗だくになってしまうのだ。今は寒いくらいだがそういう季節になったらまた使わせてもらおう、とルクトは工房主であるダドウィンの事情を恐らくは意図的に無視してそう決めた。


 迷宮(ダンジョン)の入り口は鍾乳洞のそれとよく似ている。しかしその入り口を外から見ることはできない。なぜならその上に大きな建物が建てられているからだ。

その建物はハンターたちから〈会館〉と呼ばれている。ここではギルド設立や認証更新のための手続きやハンターたちの攻略支援、魔石をはじめとするドロップアイテムの相場監視などの業務を行い、おもにデスクワークによってハンターたちの活動を縁の下から支えている。ちなみに立派な公的機関であり、「迷宮(ダンジョン)の安定的管理」のために仕事をしていると思えばそれでよい。


 ただ、それらの業務は人目には付きにくい。特にまだ学生であるルクトにとって、それらの業務がいかに重要であるかはまだまだ理解しがたい部分がある。


 閑話休題。そんなルクトであってもこの〈会館〉は馴染みの場所だ。なにせ迷宮(ダンジョン)に潜るためにはここに来なければならない。武術科の学生である彼にとって、決して避けることのできない場所なのだ。


(いや、避ける気なんて毛頭ないけど)


 むしろ積極的に通う場所である。おかげで受付のお姉さんともすっかり顔なじみだ。


「あら、ルクト。一生懸命なことねぇ……」


 その声音は皮肉ではなく呆れを感じさせる。卒業要件は達成したんだから少しぐらいゆっくりすればいいのにと苦笑しながら、受付のお姉さんはルクトが差し出した学生証を確認して手元の名簿に名前と時間を記録する。


「苦学生の懐はいつだって寂しいんです」


 飄々とルクトは答えた。彼のその様子を見て受付のお姉さんは呆れの顔に諦めを混ぜた。それから彼女は思いかけず真剣な目を彼に向ける。


「命とお金。大事なのは?」


「……お金?」


 ピキッ、という擬音が聞こえてきそうなくらいはっきりと、受付のお姉さんのこめかみに血管が浮かんだ。そのくせして顔には笑みを浮かべている。もっとも、この上もなく恐ろしい笑みであるが。


「ウソです冗談です魔が差しましたごめんなさい命のほうが大切です」


 迷宮(ダンジョン)の中でさえそうそう感じたことのない命の危機を覚え、ルクトは一息でそういい切った。割と必死である。それでもなお、受付のお姉さんはピクリとも動かない笑顔を貼り付けたまま沈黙を保つ。ついに耐え切れなくなり、ルクトは頬を引きつらせながら顔を背け視線をあさっての方向にさまよわせた。


はあ、とこれ見よがしに大きなため息が吐き出される。がっくりと肩を落とした受付のお姉さんは圧力を感じさせないジト目でしばしルクトを睨んだあと、乱暴な手つきで学生証を彼に返した。


「まったく、冗談に聞こえないから性質が悪いわ」


 お小言に苦笑だけ返し、ルクトは学生証を受け取って迷宮(ダンジョン)の入り口へと向かった。奥から吹いてくる風は、この季節は生暖かく感じる。迷宮(ダンジョン)の中が暖かくなっているわけではない。冬になって周りの気温が下がったのだ。冬だな、と改めて季節を感じつつルクトは緊張を高めていく。


やがて狭い洞窟は終わり、突然視界が開ける。果てなく広がり続ける空間。乱立するシャフト。その間を縫うようにして蛇行する白い通路。


そこは迷宮(ダンジョン)。異世界と言われれば納得してしまいそうな、異質な世界である。



▽▲▽▲▽▲▽



 上の通路から下の通路へと飛び降りる。もはや慣れたものだ。タン、と軽やかな音を立ててルクトは着地した。今彼がひとまず目指しているのは、パーティー外メンバーとして加わることになっているアーカインたちとの待ち合わせ場所である四階層のベースキャンプである。


 ベースキャンプというのはハンター達にとって前線基地のような存在である。遠征に赴くものにとってはそこから先こそが本番であり、他人の援助が及ぶ最果て。逆に遠征から帰ってきた者たちからすれば、ようやく人のぬくもりを感じられる世界に戻ってきたと思える場所だ。


 立地条件は決して最上とはいえない。より深い階層を目指すうえでの最短コースからは外れており、ベースキャンプへ行こうとすればそれは寄り道になる。しかしほとんどのハンターたちは先ずはそこに立ち寄って休憩を取り、時間によってはそこで一晩を明かす。それだけ多くのパーティーが、ひいてはハンターが集まる場所は迷宮(ダンジョン)内において貴重で重要なのだ。


 だからこそ、迷宮(ダンジョン)で待ち合わせをするとしたらベースキャンプ以外はありえない。そう思ったからこそルクトはそこを指定したしアーカインたちも了解した。


 その判断は大体において正しいと思っている。しかし細かい部分については少々手直しが必要であった。


 四階層のベースキャンプに到着したルクトは、すぐにアーカインたちの姿を発見した。しかしすぐに合流するような真似はしない。まずは顔見知りのプロのハンターたちに話しかけ、迷宮(ダンジョン)に入る前に仕入れておいたサンドイッチなどを売りさばいていく。


 売りながら横目でアーカインたちの様子を見れば、皆一様に呆れたような少し怒ったかのような顔をしている。300万シクという大金で雇い、しかも前金まで払っている相手が、目の前で自分たちと関係のない行商の真似事に精を出していればいい気はしないだろう。しかしルクトにしてみればこれは必要なことである。それも自分にとってではなく、彼らにとって。


「そんじゃまあ、今後ともよろしくお願いします」


 買い込んできたサンドイッチなどを全て売り終わったルクトが、にわか商人を気取って大仰に頭を下げる。次はもっと安くしろよ、などと野次が飛んで笑いが起こった。笑いが収まるとルクトの回りに集まっていたハンターたちはそれぞれ散っていく。それを見送ってからルクトはベースキャンプの出入り口に向かって歩き始めた。


 その際に、アーカインたちに視線を向けて合図を送る。ルクトの動きをあからさまに注視していた彼らはすぐにそれに気づき、後を追うようにして動き出した。ルクトはそれを視界の端で確認すると、しかし足を止めるようなことはせずにベースキャンプから出て迷宮(ダンジョン)の白い通路の上を歩いていく。ただし、ゆっくりと。


「…………前金が100万では足りなかったのか?」


 後ろから追いついて隣に並ぶなり、アーカインはそう皮肉をいった。肩をすくめて飄々と交わすのかと彼が思っていると、ルクトは思いのほか真剣な口調でこう言う。


「ああしないと、不審がられますから」


 ルクト・オクスが迷宮(ダンジョン)に潜った際にベースキャンプに立ち寄るか否かは大体半々くらいで、これは他のハンター達と比べると極端に少ない。その理由は極めて単純で、立ち寄ってもたいしてうまみがないからだ。彼の場合、拠点とすべき前線基地は常に隣にあるのだから。


 だから彼の場合、ベースキャンプに立ち寄るのは小遣い稼ぎのため、というのがほとんどだった。そしてそのことを、ハンターたちの多くは承知している。少なくともルクトが自分の個人能力(パーソナル・アビリティ)である〈プライベート・ルーム〉を活用して炊き出し屋の真似事をしていると知っているハンターは多いし、彼が持ち込む食べ物を楽しみにしている者もまた多い。


 それゆえ、ルクトがベースキャンプに来たにもかかわらずいつもの行商を始めないとすれば不思議に思うものは多いだろう。そして彼と一緒にアーカインたちが出て行けば、「何しに来た?」という疑問は、「もしかして……」という疑念に変わる。そうなって不味いのは、ルクトではなく彼らのほうであろう。


「……いつもこんなことをしているのか、君は」


 眉をひそめてアーカインはそういった。ただ、ルクトの小遣い稼ぎが不快というわけではない。後輩が生意気にも気を回したことが少々面白くなかっただけだ。


「まあいいじゃないの、アーカイン。私たちも遠征のことで頭がいっぱいでそこまで気が回らなかったのは確かなんだから」


 そう言ってアーカインを宥めたのは、確かイリス・トリエントと名乗ったメンバーである。八つ当たりの自覚があったのだろう。アーカインはため息をつくとルクトに「悪かった」とあやまり、ルクトも「気にしてませんから」とそれに応じた。


 しばらくの間、七人は一緒に歩く。六人分の荷物を載せたトロッコ二台はまだ外に出たままで、〈プライベート・ルーム〉のなかに片付けられてはいなかった。


 理由は簡単だ。ここはまだ人目につきやすい。ベースキャンプに人が集まると言うことは、そこに通じる通路も人の往来が盛んだということである。歩き始めてまだ五分も経っていないがすでに何組ものパーティーとすれ違っていた。


 ルクトが他のパーティーと一緒にいるだけならば不思議なことは何もない。ベースキャンプを出発するときに一緒になった、と言えばそれで済む。しかしそのパーティーが荷物を持っていない、つまりルクトの〈プライベート・ルーム〉のなかに片付けてあるとなれば話は別だ。後進を見守る出来た大人たちは「ズルしてる学生がいましたよ」と学園に告げ口してくれることだろう。


 そうなったところでルクトはどうとも思わない。しかしアーカインたちは嫌がるであろう。


 それにショートカットできる地点まで、まだ少し距離がある。普通に歩いている分には荷物を満載したトロッコもそう邪魔にはならない。


「そういえば……」


 黙ってただ歩くものつまらない、とでも思ったのかメンバーのひとりが口を開いた。たしかロージュ・ヴィニオンという名前だったはずだ。


「ルクトは、いつもはどうやって移動してるんだ?」


ショートカット、つまり上の通路から下の通路に飛び降りるという移動方法については、打ち合わせの際に説明してある。だから彼の質問は、他にどんな手段を使って移動距離を短縮しているのか、と言うことだろう。


「そうですね……。シャフトを使って下に潜ることが多いですね」


 普段やっている移動法について簡単に説明すると、アーカインたちは「ほう」とか「へえ」とか、それぞれ感心したような、あるいは呆れたかのような声を出した。


「それって、俺たちもできるか?」


 そう聞いたのはフロイド・パスカル。無論、トロッコを抱えたいつもの遠征でそんな軽業師じみた移動はできないが、ルクトをパーティー外メンバーに加えている今ならできそうに思える。そしてそれができれば十階層に到達するまでの時間を大幅に短縮できるはずなのだ。


 しかし、ルクトの答えは否定的だった。そして聞き間違いでなければ困っているようにも聞こえる。


「あ~、足を滑らせて落ちたときにリカバリーする手段があるならどうぞ」


 それを聞いたルクト以外の六人は、たちまち何ともいえない顔をした。その場面を想像してしまったに違いない。


「……止めておこう」


 アーカインが努めて平静を保った声でそう言い、他のメンバーも神妙に頷いた。


「ちなみに、君はどうやってリカバリーしているんだ?」


「〈プライベート・ルーム〉のなかに飛び込んで九死に一生を得てますよ」


 ちなみにそこからシャフトに戻るときが一番大変です、とルクトは続けた。何気ない口調であるが、それゆえ掛け値なしの本音であることをアーカインたちは悟る。


「結局、君にしかできないということか……」


 アーカインの呟きに、ルクトは肩をすくめることしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ