それは禁じ手にあらず5
実技講義の後、外法の拒否反応で動けなくなった男子学生は講師の手によって医務室へと運ばれた。動けるようになるまでは、そこのベッドの上でおとなしくしているはずである。
「さすがに一晩中外に放置、ってわけにはいかないか」
ルクトは苦笑気味にそう呟いた。昔、彼が同じように外法を使って動けなくなったとき、メリアージュは問答無用で彼を一晩中外にさらして夜露にぬれさせた。あの時は、拒否反応の全身をねじ切るかのような痛みや外に放置されたことよりも、メリアージュに嫌われてしまったのではないかということのほうが心配で辛かったのを覚えている。
もっともその心配は杞憂だった。
次の日、朝日が昇るころにルクトはようやく動けるようになったのだが、なかなか家の中に入ることができない。まだまだ重い体を引きずるようにしてうろうろしていると、家の中からいまだに厳しい顔をしているメリアージュが現れた。
『外法がどういうものか、よく分かったかえ?』
静かな怒りをこめた声でメリアージュは問いかける。ルクトはうなだれて蚊の鳴くような声でただ一言「……はい」と答えることしかできなかった。
『うむ、分かればそれでよい』
一転して晴れ晴れとした声でメリアージュはそういい、やわらかい笑みを浮かべてルクトの頭をなでた。その瞬間、涙が出そうになるくらい安心したのを彼は今でもよく覚えている。
「まったく、恥ずかしい過去ほどよく覚えているんだから性質がわるい」
ルクトはそう呟いて、今度は自嘲気味に苦笑する。しかしこうして思い返してみると、一度としてメリアージュから「外法を使うな」と言われたことはない。
実際問題として「外法を使うな」といわれると、ルクトとしては非常に困る。〈プライベート・ルーム〉の中での戦闘中に烈が切れてしまった場合、補充するためには外法を使うしかないからだ。
(軽い気持ちで使うな、ってことかな?)
そんな風にメリアージュの考えを想像する。そうなるとこの前昼飯を奢ってもらうために外法を使ったのはまずかったかな、とそんな考えが頭をよぎり、いや昼飯を奢ってもらうのは重大な案件だ、と思い直す。それから自分の思考に穴がないことを再確認し、ルクトは「問題ない」と言わんばかりにうなずいた。
「お、やってるやってる」
実技講義の後、ルクトは一度寮の自室である403号室に戻り、それから再び鍛錬場にやってきた。講義中は狭苦しくさえ感じた鍛錬場は、今は人影も少なく閑散としている。その片すみでもくもくと木刀を振る女子学生がいた。ルクトも見知った顔で、一年のカルミ・マーフェスだ。彼女もルクトと同じく一度寮に戻ったはずなのだが、こうして彼より早く来てすでに木刀を振るっている。やる気があって結構なことである。
「あ、先輩」
ルクトに気づいたカルミが、素振りを止めて勢いよく頭を下げる。ルクトのほうも軽く手を上げてそれに応じた。
以前、カルミから「カストレイア流を教えて欲しい」と頼まれたとき、ルクトはそれを断った。時間的なことや二人の都合を考えると、とてもではないがすべてを教えることは不可能だからだ。中途半端になるくらいなら、初めから別の流派を学んだほうがいい。それがルクトの考えだった。
ただ、カルミのほうにも彼女なりの事情がある。金銭的な問題で、今すぐに道場に通うことはできない。そこでルクトはこうして自己鍛錬をする時間が重なったときに、簡単な指導をすることにしていた。
指導、とはいってもやることは実技講義でアシスタントとしてやっていることと大差はない。というより、それ以上のことはできない、といったほうが正しいだろう。ルクトは確かにカストレイア流刀術の免許皆伝をもっているが、だからといって教えることに慣れていたり上手かったりするわけではないのだ。
「それでは先輩、よろしくお願いします」
「あいよ」
ルクトとカルミは向かい合って木刀を構える。実技講義でやっていたのと同じ立ち合い形式の稽古だ。ただ今はカルミ一人だけなので交代する必要はなく、時間をかけてじっくりと稽古をすることができる。
「やあぁ!!」
気合のこもった掛け声とともにカルミが動く。ルクトもまた彼女が振るう木刀の一撃一撃を丁寧に見極めて対処する。手足の指の先まで神経を張り詰めさせ、動作の一つ一つから無駄をそぎ落として洗練していく。
この立ち合いはカルミにとってだけでなく、ルクトにとっても稽古なのだ。ただ一人で型を繰り返すよりも、相手がいた方がやはり張り合いがあるし、より実戦的な稽古ができる。そういう意味では、カルミが相手をしてくれるのはルクトにとってもありがたい話だった。
(ただ、なぁ……)
心の中でルクトは苦笑気味に声を漏らした。自分はそれなりに充実した稽古になっているからいいが、カルミにとって中身のある稽古になっているのか、いまいち自信が持てないのである。
カルミの動きは、荒削りもいいところである。ルクトの目から見ればまるでなっていない。指摘しようと思えば、するべきところは山ほどある。
ただそれでもルクトは今まで何も言ってこなかったし、これからも指摘してやるつもりもない。そういうことはきちんとした道場に通い、そこの師範から教えてもらうのが一番だと思っているからだ。
ただ、それでいいのか、とも思ってしまう。後輩の貴重な時間を無駄にしているのではないか、と一抹の罪悪感を覚えてしまうのだ。
(ま、完全に無駄にはなっていないか……)
カルミの動きを見てルクトはそう思った。動きは荒削りだが、集気法を使うタイミングは巧くなってきている。集気法がきちんと使えれば、疲労を抑えて稽古をより長く行うこともできる。そういう意味では、今やっていることは道場に通ってからも決して無駄にはならない。
「やあぁ!!」
カルミが上段から振り下ろした木刀を受け止める。そして鍔迫り合いの状態から押し飛ばし、バランスを崩したところに木刀の切っ先を突きつけた。
「……参りました」
「まだやるか?」
「はい!お願いします!」
元気よく即答してカルミは木刀を構えた。なんにせよやる気があるのはいいことだ、とルクトは思う。何事をするにしても、まずはやる気がなければどうにもならない。やる気を出して真摯に物事に向き合えるというのは、実は結構大きな才能なのかもしれない。カルミを見ているとルクトはそんな風に思うのだった。
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「ところでカルミはバイトとかしないのか?」
一時間ばかり立ち合い稽古をした後の小休止でルクトはカルミにそんなことを聞いた。彼女は訓練生上がりだといっていたから、金銭的な余裕はないはずだ。迷宮に潜って攻略をすることはまだできないし、そうであればバイトをするしかない。
「そろそろ探さなきゃ、とは思っているんですが……」
どうやらまだ決まってはいないらしい。しかしルクトはそれを責めることはせず、むしろ「ちょうどよかった」と言ってカルミのほうに視線を向けた。
「よければバイトを紹介するけど、どうする?」
カルミが「是非!」と答えたので、二人は放課後の自己鍛錬をそこで切り上げた。二人とも一度寮の自分の部屋に戻り、校門の前で改めて待ち合わせることにする。
特に急いだわけではなかったがルクトが待ち合わせ場所に来たとき、カルミはすでに到着しており彼のことを待っていた。相変わらずやる気に満ち溢れている。
「ところで先輩。紹介していただけるバイト先ってどんなところなんですか?」
道を歩き始めてすぐに、カルミがそんなことを聞いてきた。まだなにも聞いていないのだから、彼女が気になるもの当然である。
「前にオレがバイトしていた〈ハンマー&スミス〉っていう工房兼武器屋だ」
言うまでもなく、そこはルクトが贔屓にしている店だ。雇っていたバイトが本格的に迷宮攻略を始めるために店をやめたので、新しいバイトを探していると工房主であるダドウィンから聞いていたのだ。
「工房主のおやっさんもいい人だし、置いてある商品の質もいい。ま、気に入ったら長い付き合いにしてやってくれ」
かくいうルクトも〈ハンマー&スミス〉でバイトをしたのが縁で今もその店を贔屓にしている。決して“コネ”というわけではない。いい店の条件と言うのは、商品の品質だけでなく主の人柄というのも大いに関係してくるはずだ。店主を信頼できなければ、とてもではないが自分の武器を預ける気にはなれない。
その点、ダドウィンは大いに信頼の置ける人だった。職人気質で融通の利かないところは多々あるが、それは矜持を持って自分の仕事をしていることの裏返しでもある。なにより学生の利益を考えて教えてくれる大人というのはそれだけで得がたいものだ。
「はい。分かりました」
どこか安心した表情でカルミはそう言った。バイトの内容を聞かずに話を進めてしまって、少し心配だったのかもしれない。
「ところで学園祭が近いですよね」
心配事は無事に解消されたのか、カルミが話題を変えた。ノートルベル学園では毎年、年初めに学園祭を開催している。今はもう十二月だから、あと一ヶ月といったところである。
「武術科ではなにかやるんですか?」
「う~ん、そもそも学科単位でなにかやるって感じじゃないからなぁ」
ノートルベル学園は単位制である。つまり学生が自分で講義を選択して受講するのである。もちろん必須科目は存在するし、学科と学年が同じであれば選択する講義は自然とかぶってくる。
そういうシステムだから、学生たちは講義のたびに教室を移動する。そのためこの学園には〈クラス〉という括りが存在しない。だからクラスで何か出し物をする、ということができないのだ。
だから学園祭でなにかやろうとする時には、学科を越えた集まり、つまりサークルとかそういうものが中心になる。
「でもトーナメント式の武術大会が毎年開催される」
この武術大会の出場条件は「ノートルベル学園の学生であること」だけなので、武術科以外の学生も参加は可能である。ただ、学生とはいえ武芸者が出るような大会に一般人がすき好んで出るはずもなく、毎年出場者は武術科の学生だけになっている。
「あと、学内ギルドの連中が毎年なにかやるな」
「ちなみに去年は何をしたんですか?」
そうだな、と言ってルクトは少し考え込み、それからすぐに苦笑を浮かべた。
「〈力渦巻く場所〉の連中が鹿の解体ショーと焼肉パーティーを開いたんだけどな。と殺するところからやったもんだから観客ドン引きでさ」
生きた小鹿を連れてきて闘術の技を使って気絶させ(この時点で泣いている子供がいた)、逆さまにして吊り下げて(この時点で穏やかならざるざわめきが生まれた)、と殺用のナイフを一気に首に突き入れて頚動脈を断ち、血抜きをしてから解体したのである(この時点で会場はなんともいえない空気に包まれていた)。
こうして小鹿は手際よく解体されてお肉になり、そのお肉は手早く焼かれて観客に振舞われたのだが、皆一様に微妙な顔をしながら食べていたものである。
「うわ…………」
話を聞いただけのカルミでさえ引き気味である。あまりに生々し過ぎて出し物として適していないのは一目瞭然だ。焼肉パーティーだけなら盛り上がっただろうに、解体(それどころかと殺まで)やってしまったのは、若き情熱の暴走ゆえだろうか。
「肉は旨かったんだけどな。血の臭いがする場所で食べるのは、慣れてない人にはきつかったかもな」
「せ、先輩はそういうの大丈夫なんですか……?」
ルクトはそういうの割と大丈夫な人である。小さいころからメリアージュに連れられて都市の外でサバイバルをしていたからだ。その中で動物を仕留めたり解体して肉にしたり、ということは散々やった。そうやって身に着けた技能のおかげで、ルクトはヴェミスからカーラルヒスまで一人で来られたのである。案外、メリアージュはそれを見越していたのかもしれない。
「こ、今年はどうするんでしょうね……」
「去年が随分不評だったから、もう少しマイルドにするんじゃないのか」
とはいえこれは完全にルクトの個人的な予想である。テンションが上がった仲間内のノリというのはおかしな方向にぶっ飛んで行くことが多いから、去年のさらに斜め上を行くものを考えているかもしれない。
「ふ、不安になってきました……」
「そうか?バカやるのは学生の特権だぞ」
堅く考えないで楽しめよ、とルクトは軽い口調で言った。別に自分や他の人を危険にさらしているわけではない。ならば多少ぶっ飛んだ企画をするのはアリだとルクトは思っている。
「その方が傍観者的には楽しいしな」
そう言って楽しそうに笑うルクトの横で、カルミがこっそりとため息をついていた。
「そういえば、先輩はなにかされるんですか?」
「ん?今までは特に何もしていなかったんだけどな。今年から裏方を頼まれた」
「裏方、ですか?」
「そ。ま、裏方って言うより雑用だな。荷物運びだよ」
オレはともかくお前は何かするのか、とルクトがカルミに話を振ると彼女は少し困ったような顔をした。
「自分のことで手一杯で、そこまではとても……」
「まあ、武術科の連中なんてみんなそんな感じだけどな」
武術科にはほかの学科に比べて、切羽詰っていて必死になっている学生が多い。そのため本気の度合いが違う。こういっては悪いが、遊びでしかない学園祭のために割ける余力はあまりないのである。
「むしろギルドの連中のほうがおかしいんだ」
余力がないのはギルドに入っている学生も同じである。しかしそれでも彼らはやる。普通のメンバーはそうでもないのかもしれないが、幹部クラスの負担は悲惨なことになっている。先日ふらりと姿を見せた〈叡智の女神〉幹部のヴィレッタは、勧誘に来たのか愚痴りに来たのかわからない有様だった。
「大変ならやらなきゃいいのにな」
学園祭の出し物は学生が自発的に行うものである。だから「何もしない」というのはアリだ。特に「武術科の学生は忙しい」ということは、先生たちはもちろんのこと他学科の学生たちも承知している。だから学内ギルドの連中が出し物をやめたとしても、だれも責めたりはしないだろう。
しかしそれでも彼らは毎年出し物をやる。それは結局、なんだかんだ言いつつも楽しいからなのだろう。
「カルミはカーラルヒスの出身だろ?」
「はい」
彼女は訓練生の出身だ。そして訓練生はその性質上、カーラルヒス以外の出身者がなるのは難しい。身寄りのない子供が、外からこの都市に来なければいけないのだから。
「三年くらいになったら、ギルドに入るのもいいかもな」
ギルドに入ることのメリットはいろいろとある。もちろんギルド設立の目的上、それらのメリットは遠征や攻略、あるいは就職に関わるものがほとんどだ。だけどこうやって何かを企画して楽しむ能力があるというもの、学内ギルドのなかなか大きなメリットなのかもしれない。
「それはそれで楽しいかもしれませんね」
「お前はまじめだからな。きっと面倒な仕事を押し付けられるぞ」
「ええ!?それは困ります!」
そんな話をしながら、二人はのんびりと通りを歩くのだった。
▽▲▽▲▽▲▽
「おやっさん、いる~」
迷宮から程近い位置にある工房〈ハンマー&スミス〉。その入り口の扉をルクトは勝手知ったる様子で開け、顔なじみの工房主を呼んだ。
「ルクトか。どうした」
ルクトの声を聞きつけたのか、奥の工房に通じる通路から大男が現れる。髭を生やした顔つきは厳しいがその目元は不思議と優く、そのおかげで威圧感がない。がっちりとした体つきで、身長は二メートル近くあり肩幅は広く胸板も厚い。筋肉隆々でたくましいその姿は、はっきり言って鎧でも着込んで迷宮で戦っていたほうがよほど似合う。彼こそが工房〈ハンマー&スミス〉の主、ダドウィンである。
「この前話した後輩、まだバイト決めてないって言うから連れてきた」
そう言ってルクトはカルミを紹介した。
「は、はじめまして!武術科一年のカルミ・マーフェスです!」
若干上ずった声でカルミは自己紹介する。ダドウィンのほうも簡単に自己紹介し、それからすぐにバイトの仕事内容などの確認に移る。ただカルミはともかく、ダドウィンのほうはこれまで何人も武術科の学生を雇ってきており勝手は知り尽くしている。一通りの話を聞き幾つか質問をすると、カルミはすぐに〈ハンマー&スミス〉でバイトをすることに決めた。
「そんじゃあよろしくな、嬢ちゃん」
「はい!よろしくお願いします!!」
そう言ってカルミは勢いよく頭を下げた。事の成り行きを黙ってみていたルクトも、話が上手くまとまって一安心である。
「それでおやっさん。バイト兼上客を紹介したわけだから、次何か買うときは割引を……」
「するわけなかろう」
ばっさりと切り捨てられ、ルクトは大げさに肩をすくめた。その様子を見てカルミは小さく笑う。
彼女は訓練生上がりで、つまりは孤児だ。そして孤児は足元を見られることが多い。カルミもまたそうやって生きてきた。
だからこそ、彼女はこちらを見下し足元を見る者の気配に敏感だ。しかしダドウィンというこの店主からは少しもそういう気配がしない。それが無性にうれしかった。
ひとまずはここまでです。
続きは気長にお待ちください。