それは禁じ手にあらず4
午後の講義というのは眠くなるものだ。昼食を食べ、昼休みの間中友達と楽しくおしゃべりをした後、さして面白くもない講義を聞かされれば目蓋は自然と重くなる。
一方で、決して学生が居眠りをしない講義というものもある。その代表格は、やはり“身体を動かす講義”だろう。ノートルベル学園武術科では、毎日午後からその“身体を動かす講義”が開設されている。すなわち、実技講義である。
「やあぁ!!」
武術科一年のカルミ・マーフェスは気合の入った声と共に木刀を上段から振り下ろした。彼女の場合、気合と熱意は人一倍だが、かなしいかな技量がそれに追いついていない。ルクトはその一撃を、木刀を下からすくい上げるように振るって弾いた。
ルクト・オクスは毎週一回、こうしてアシスタントとして実技講義に参加している。とは言っても、実践的な戦闘技術や闘術について教えているわけではない。そういう技術的な部分については、学生各自がそれぞれの得物におうじた道場に通うなりして身につけるほかないのである。
では実技講義では何を教えているのか。実技講義で教えているもの、それは〈集気法〉である。
集気法とは、大気中の〈マナ〉を集めて体内に取り込み、それを〈烈〉に変換する技術のことだ。闘術を用いるときには必ず烈を消費するので、集気法は闘術で戦う上で基本中の基本といえる。
集気法はそれだけを使うのであれば、さほど難しい技術ではない。マナや烈を感じ取れるようになるまでに若干の壁があるが、一週間もあれば誰でも習得は可能だ。コツとしては、「腹の底に深く落とし込むようにして呼吸をすること」と多くの指導者たちが口を揃えている。
しかし集気法が使えればそれだけで戦えるわけではない。集気法を使うたびに足を止めていては、それは致命的な隙になることがある。戦闘の最中は常に動き続けることを想定しておかなければならないのだ。
それゆえ技術的な問題うんぬんの前に、まずは「動きながら集気法を使う」ということが出来るようにならないと迷宮で戦うことはできない。だから武術科の実技講義では、その「動きながら集気法を使う」ことを徹底的に叩き込まれるのだ。
ルクトはアシスタントとして毎回5~6人程度の一年生の面倒を見ている。一年生たちはそれぞれ自分の武器に応じて指導を受けるアシスタントを選んでいるので、彼のところに集まってくる一年生は全員片手剣かそれに類する得物を持つ学生たちだ。
ルクトの指導のやり方はいたってシンプルだ。すなわち講義の間中、ひたすら素振りをさせるのである。無論、集気法を使いながら、だ。
ただ、これではさすがに飽きがくるので、道場に通っている者はそこで教わった型の練習もしてよいことにしている。またカルミら訓練生上がりの一年生には、少し迷った末に彼自身が修めているカストレイア流刀術の、もっとも基本的な型を教えてそれを練習させることにした。
さらに、それだけだとルクト自身が何もすることがないので、一人ずつ順番に立会い形式で稽古を付けることにした。一年生たちにしても、より実戦的な稽古のほうが得るものが多いのも事実だ。実戦では、訓練とは比べ物にならないほど複雑で緩急の差が激しい動きの中で集気法を使い、烈を補給し続けなければならないのだから。
まあ、そんなわけで。現在ルクトは実技講義でアシスタントとしてカルミと立会い稽古中なのである。
距離をとったカルミが集気法を使う。ルクトから見ればまだまだ遅くて隙だらけだが、見逃してやることにする。初めのころに比べれば随分とマシになって来ているからだ。そのことにある種の感慨深さを感じているのを自覚し、ルクトは「年寄りくさい」と内心で苦笑した。
ルクトの視線の先で、カルミは順調に烈を練り上げていく。そして彼女が烈を練り終えるその直前、その瞬間を狙ってルクトは動いた。
カルミは一瞬焦ったような表情を見せたが、しかしその割には落ち着いて対応する。ルクトの突きをかわし、さらに連続して振るわれる木刀を何とか防いでいく。
「やあぁ!!」
攻撃が途切れた瞬間を狙い、カルミが木刀を突き出す。ルクトはそれをかわすとカルミの木刀の上に上段からの一撃をたたき付けた。
「あ!!」
衝撃に耐え切れずカルミは木刀を落とした。あわてて拾おうとするが、ルクトの木刀が突きつけられ彼女の動きを封じる。
「………降参です」
おずおずとカルミが両手を上げる。それを見てからルクトは木刀を引いた。
「木刀ばっかりを見すぎだな。もっと相手の動き全体を見たほうがいい」
「はい!」
ルクトの指摘にカルミは元気よく答えた。立会いの後、彼はこうして何かアドバイスできる点があればすることにしている。ただ技術的な部分については口出しするつもりはないので、アドバイスできるのは本当に基本的で簡単なことばかりだ。
「ほい、次」
次の一年生を立会い稽古に呼ぶ。呼ばれて前に出てきたのは男子で、ルクトにとっては新顔の一年生だった。得物は剣らしく右手に木剣を持ち、左手をポケットに突っ込んでいる。
ルクトはアシスタントとして一応教える立場にいるわけだが、常に決まったメンバーの面倒を見ているというわけではない。そもそも彼は週に一回しか実技講義に出てこないし、ほかのアシスタントたちも似たり寄ったりである。
だから一年生たちは講義のたびに、アシスタントの先輩たちが持っている獲物を確認して、自分と同じもの、あるいは似ている獲物を持っているアシスタントのところに行くのだ。
そういうシステムであるから、新顔が混じっていても特に不思議なことではない。むしろ、毎回ルクトのところに来るカルミのほうが特殊というべきかもしれない。
だからこの一年生男子の毛色が少し違ったのは、新顔だったからではない。いきなり、こんなことを言い出したからである。
「なあ、アンタだろ?この前、実技の卒業要件を達成した〈ソロ〉のルクトって」
男子学生のその物言いを聞いて、素振りを始めたカルミが顔をしかめるのがルクトの視界の端に映った。きっと「先輩には敬語を使え」とか思っているのだろう。彼女はあれでなかなか縦の関係にうるさいのである。
「まあ、オレ以外にソロの奴がいるなんて聞いたことはないけどな」
そう言ってルクトは遠まわしに男子学生に肯定の返事を返す。それを聞くと男子学生は“ニヤリ”と挑戦的な笑みを浮かべた。
「じゃあ、ここであんたに勝てたら、オレにも同じだけの実力があるってことだよな?」
その物言いを聞いてルクトは眉をひそめた。無論、呆れているのである。
確かにこの場でルクトに勝てれば、戦闘技術に関してはそれなりの実力がある、ということになるだろう。しかし、マナの薄い迷宮の外では闘術を満足に使うことができず、その点に関しては実力をはかることはできない。
そもそも「ルクトと同じ程度の実力」というが、“実力”というのは多面的に評価されるべきものである。ルクトがソロで迷宮に潜り、そしてこんなにも早期に実技卒業要件を達成できたのは、ひとえに〈プライベート・ルーム〉という遠征に適した個人能力を持っていたからである。
つまり彼と同じような個人能力を持っているのでなければ、「ルクトと同じ程度の実力」があることにはならないのである。だが、ルクトは男子学生にそこまで丁寧に説明してやるつもりはなかった。
「ソロでやりたいのならご自由に」
少し突き放すようにしてルクトはそう応じた。この男子学生がどれほどの実力を持ち、どんな個人能力を持っているのか、ルクトは知らない。知らないが、ソロで遠征ができるほどの“実力”があるのならソロでやることになる。望むと望まざるとにかかわらず、ルクトのように、だ。
逆にソロでやるだけの“実力”がないにもかかわらず無理をしてやろうとすれば、かなり早い段階で壁に突き当たることだろう。そしてその壁はパーティーを組むことでしか超えられない。そうやって今の攻略スタイルが出来上がってきたのだから。
「それがさ、一年って迷宮に潜れないじゃん?」
武術科では一年生が迷宮に潜ることを禁止している。これはどんな実力者であっても例外を認めない鋼の校則だ。唯一の例外は引率者が付く攻略実習だけである。
「それで、有名なルクト先輩を倒したとなれば許可が出るんじゃないかと思ってさぁ」
男子学生のふてぶてしさに、ルクトは呆れるのを通り越していっそ感心してしまった。彼自身一年生のとき、迷宮に自由に潜れないことを不満に思ったが、しかしここまでやろうとは思わなかった。
(こういうのを「熱意がある」っていうのかね……?)
あるいは傍から見ている分にはそう映るのかもしれない。ただルクト個人の感想としては面倒臭さが先に立つ。
「それは先生たちが決めることだろう」
肩をすくめてルクトはそう言った。いや、そうとしか言えないのだ。たかだかアシスタントでしかない彼に、校則にかかわるあれこれを決められるわけがないのだから。
「まあ、そうだよな。じゃあ、とりあえずアンタのこと倒すから。先生たちに話をするときは正直に証言してくれよ?」
そう言って男子学生はポケットから左手を出して両手で木剣を構え、それに合わせてルクトも木刀を正面に構えた。彼の視界の端では、素振りをするカルミが露骨に顔をしかめている。
弟子と言えなくもない(弟子にするつもりは毛頭ないのだけれど)彼女のその反応に内心で苦笑しつつ、ルクトは集気法を使って烈を練りながら男子学生の構えを注意深く観察する。
(そんなに強そうには見えないんだけどなぁ…………)
ルクトとてカストレイア流刀術の免許皆伝を修めた実力者だ。こうして向かい合えば、大まかにだが相手の力量をはかることができる。そして目の前の男子学生からは、強者の風格とでもいうべきものは一向に感じられない。
(まあ、意図的にそういうことができる人もいるけど……)
そういうことができるのは一部の達人だけである。そして目の前の男子学生が、そういう一部の達人であるとは思えない。口にする言葉が自信に満ちすぎていて露骨に胡散臭い。丈に合わない服に着られている子供、というのが一番しっくりくるイメージである。
とはいえ「ルクトを倒す」と豪語し、彼自身がそのことに自信をもっているのは確かな様子だ。となれば今度はその方法が問題になってくる。
(ま、大体想像は付くけど)
少々げんなりしながらルクトは内心でそう呟いた。彼の予想が正しければこの勝負、動く必要もなく男子学生は自滅する。そしてその予想通りのことが、二人が向かい合ってから数秒後に起こった。
「ぎゃぁぁぁぁあああああああ!!!!」
けたたましい悲鳴を上げて男子学生はその場に崩れ落ちた。そして倒れこんだまま起き上がることもできず、訓練場の石畳の上に這い蹲る。突然の事態にそれぞれ得物を振るっていた一年生たちの動きが止まり視線が集まる。
「やっぱりか……」
うんざりした様子でルクトは肩を落とす。それから起き上がれずにいる男子学生の周りを見渡すと、案の定そこには思った通りのものが落ちていた。
それは魔石からマナを抽出した後に残るもの。すなわち、黒石である。
「ったく、外法なんて使うからだ」
這い蹲る男子学生に、ルクトは冷たい視線を向けた。
闘術の威力は、使う烈の量に比例する。つまり使う烈の量が多ければ多いほど、闘術の威力は大きくなるのだ。
逆を言えば、烈の量が少なければ威力は小さくなるのだ。そして迷宮の外はマナの濃度が薄いため、扱える烈の量も必然的に少なくなる。そのため迷宮の外では、闘術の威力について熟練者と未熟者の間に顕著な格差は生まれえない。
つまり迷宮の外では、武芸者の火力は低い水準で頭打ちになっているわけだが、だからこそ他人よりも多量の烈を使うことができれば、それだけで圧倒的優位に立つことができるのだ。
迷宮の外でより多くのマナを得る方法は、実はすでに確立されている。つまりマナを潤沢に含む物質から直接吸収すればいいのである。すなわちマナ石、魔石から。
ただし、この方法にはリスクが付きまとう。
第一に〈拒否反応〉が起こる。これは許容量を越えるマナの過剰吸収が原因で、全身の筋肉をねじ切られるかのような痛みが長時間続くのが特徴だ。マナの許容量というのは迷宮を深く潜るようになれば自然と大きくなっていくから、人によってはこの拒否反応は起こらない場合もある。ただ許容量と供給量を数値化して明確に知ることはできないため、どこまでなら拒否反応が起きないのかは感覚と経験則的にしか知ることができない。しかも許容量は体調などにも左右されるため、“絶対に安全な一線”というのは、それこそ“絶対に”引くことはできない。
また拒否反応は起こらなくても、瞬間的に大量のマナを吸収することで起こる〈ショック症状〉は必ず起こる。強い衝撃を身体の内側に感じるのが特徴で、熟練の武芸者であっても意識を失うことは珍しくない。
このように魔石からマナを直接吸収するのはきわめて危険であり、それゆえこの方法はこう呼ばれているのだ。すなわち〈外法〉と。
「た、たす、けて…………」
涙とよだれを流しながら、男子学生はか細い声で懇願する。しかしそれに対するルクトの返答は無情だった。
「やだ。しばらくそうやってのた打ち回ってろ」
非情にも思えるこの対応だが、実は古来より伝わる由緒正しき教育的指導法なのである。
どの流派の道場においても、外法の危険性というのは早い段階で説明される。「魔石からマナを直接吸収する」というアイディアは、闘術をかじり少々頭の回る者なら誰でも思いつくものだからだ。目の届かない場所で外法を試して大事に至るよりも、早いうちに危険性を説明して使用を禁じておいたほうがよい。そういう考え方だ。
そしてそれはノートルベル学園の武術科においても変わらない。ルクトもまたそうであったように、外法の危険性は一年生の早いうちにきちんと講義で教わることになる。
大抵の、物分りの良い学生ならばそれで外法を使おうとは思わなくなる。しかしやはりなかには知ったからには使いたくなる、そして自分なら使っても大丈夫だと思ってしまう馬鹿がいるのだ。
(この手の馬鹿はいくら言ったって聞きやしない)
足元でのた打ち回る男子学生を冷たく見下ろしながら、ルクトは内心でため息混じりにそうつぶやく。偉そうなことを言っているが、かく言う彼もかつてはその馬鹿の一人であった。
まだヴェミスにいたころ、ルクトは頻繁にメリアージュから稽古を付けてもらっていた。しかしやれどもやれども一向に勝てない。通っていたカストレイア流の道場では同じ門下生相手にそこそこ勝てるようになっていた時期だったからなおのこと悔しくて、ついに彼はあるとき外法を使ってしまった。
外法の危険性は道場の師範たちやメリアージュからも聞かされていたので知っていた。完全に理解できていない部分もあったが、やってはいけない、危険なことだとは十分にわかっていた。
気をつけてはいるつもりだった。用意した魔石は小指の爪の先よりも小さいものだったし、集気法だっていつもより丁寧にやった。
しかし結果だけ見れば外法を甘く見ていた、としか言いようがない。集気法を使った瞬間、ルクトは全身をねじ切られるような痛みに襲われその場でのた打ち回った。
『身の程をわきまえず、外法なんぞ使うからじゃ』
助けを求めるルクトに冷たくそう言い放ち、メリアージュは彼のことを一晩そこに放置したのである。翌朝、ルクトは何とか動けるようになったが、それでも全身の倦怠感はその後も一週間程度残った。苦い、とても苦くて馬鹿な経験である。
現在、ルクトはどうしても外法を使わなければならないときがある。そういう時、彼はリスクを承知した上で、それでも使用を躊躇わない。躊躇えば死ぬからだ。しかし同時に決して進んで使いたいとは思わない。外法はやはりどこまでいっても“外法”。身の程を超えた力は自らを滅ぼすのである。
まあルクトの話はこの程度でいいだろう。自らの経験上といえば耳は痛いが、つまりルクトは知っているのである。この男子学生のような類の連中は、一度痛い目を見なければ理解しないのだ、と。
そしてその考えは、どうやら世間一般における共通認識でもあるらしい。それゆえ危険と知らされながら外法に手を出した馬鹿は、懲罰の意味もこめてしばらく放置する、というのが正しい対応とされている。さらにそうやって這いつくばってのた打ち回る愚か者を見ることで、周りの人間にあらためて外法の危険性を思い知らせる、という目的もそこには含まれているのだ。
だからいきなり男子学生が悲鳴を上げて倒れたのを見て、何事かと駆け寄ってきた講師やアシスタントたちも、彼が外法を使ったということを知ると、皆一様に納得した表情を浮かべて助けようともせずに去っていく。その後姿を男子学生は絶望的な表情で見送るしかなかった。
邪魔になるから、といってルクトは男子学生を抱えあげて鍛錬場の端っこに持って行って芝生の上に転がしておく。もう一度男子学生の様子を確認すれば、もはや喋る力も残っていないらしい。なんとか細い息をするのが精一杯の様子だった。
実は外法の拒否反応を直すのは至極簡単だ。拒否反応は許容量を超えたマナを取り込むことでおきるのだから、逆に誰かが集気法を使って体からマナを奪ってやれば収まるのである。
しかしそうやって助けてやるつもりは、ルクトにはない。そしてこの場にいる講師やアシスタントたちもまた同じである。
「よかったな、迷宮の中じゃなくて」
死ぬほどきついだろうけど死にはしないから、とルクトは半ば独り言のようにそう呟いた。もちろん男子学生から反応は返ってこないが、声は届いているはずだ。
苦くてきつい経験だが、それでも男子学生は教訓を学んだ。学んだはずである。学んでいてほしいと思ってしまうのは、曲がりなりにもアシスタントとして教える側に立ったせいなのかもしれない。ルクトはそんな風に思いながら、講義に戻って行った。