百花繚乱なる事件簿7
喫茶店を飛び出したカルミは、走って学園に向かった。エレノアがまだ学園にいるのかは分からない。ただ、彼女が最後に足を向けそうな場所には心当たりがあった。それはカルミが彼女と初めて会った、あの校門近くの花壇である。そして、そこに彼女はいた。彼女はすっかり旅支度を終えた装いで、ぽっかりと空いてしまった花壇の一角を見つめていた。
「エレノア……」
「カルミ先輩……。そっか、聞いたんですね?」
カルミが小さく頷くと、エレノアは少し悲しげに微笑んで視線を何もない花壇に戻した。ここに咲いていたオリフリアは、すべて衛士隊が処分してしまった。簡単に麻薬になる植物なのだから、彼らの対応は当然だ。しかし綺麗な花が引き抜かれて焼かれてしまうのは、やはりカルミにとって辛いことだった。そして丹精込めて育てていたエレノアもまた同じ気持ちなのだろう。
「……これから、どうするの?」
「〈組織〉に見つからない都市に行くつもりです。故郷にも、もう帰れませんから」
達観したかの様子で、どこか仕方が無さそうにエレノアはそう言った。もしかしたら、彼女はこの展開を随分前から覚悟していたのかもしれない。
「大丈夫、なの?」
そう尋ねてからカルミは後悔した。今まで積み上げて来たもの全てを捨てていくのだ。大丈夫なはずがない。しかしエレノアは小さく微笑みながらこう答えた。
「大丈夫ですよ。実は、〈組織〉から貰った成功報酬を没収されずに済んだんです。だからお金には多少余裕があります。きっとなんとかなりますよ」
卒業は出来ませんでしたけど、学園でも色々と勉強させてもらいましたから、と言ってエレノアは笑って見せた。そして、どこか流れ着いた都市でできることなら薬師として働きたい、と彼女は言った。
「また、オリフリアを育てるのか?」
カルミがそう尋ねると、エレノアは小さく首を横に振った。そして「もう種がありませんから」と告げる。それを聞いて、カルミは小さく安堵した。
「そっか……」
カルミは小さくそう呟く。そして二人は無言のまま何も植えられていない花壇を見続ける。次に口を開いたのは、カルミのほうだった。
「……エレノアは、どうしてオリフリアを育てようと思ったの?」
「……祖母が死んで、お金がなくなって、一人じゃ生きられなくて……」
「違う! わたしが聞きたいのはそういうことじゃなくて……!」
思わず叫んでしまい、カルミは「ごめん」と言って謝った。そんな彼女を見て、エレノアは小さく苦笑する。そしてしゃがみ込んでオリフリアが植えられていた花壇の土を触りながら、静かにこう語り始めた。
「『花の美しさが人を惑わし狂わせる』なんていいますけど、わたしは違うと思うんです。だって、花はそこにあってただ咲いているだけ。善でないかわりに悪でもない。ただそこにあるだけ。だからその綺麗な花を見た人間が、勝手に魅せられ惑って狂うだけだと思うんです」
そこまで言うと、エレノアはゆっくりと立ち上がりカルミに穏やかな視線を向ける。そして、こう言った。
「きっと、わたしも花の美しさに魅せられてしまったんですよ」
エレノアがそう言って穏やかに浮かべる微笑に、僅かとはいえ狂気が浮かんでいるような気がしてカルミは思わず息を呑んだ。
「さて。それじゃあ、わたしはもう行きますね。最後に先輩と会えてよかったです」
「あ、ああ……」
ゆっくりと歩いていくエレノア。カルミはその背中を見送る。なにか言葉をかけなければと思うのだが、その言葉が見つからない。彼女が歯がゆい思いをしていると、エレノアが「そうそう」と呟いて振り返った。
「先輩がオリフリアの花を綺麗だって言ってくれて、嬉しかったです。ありがとうございました」
そう言ってエレノアは静かに頭を下げる。堪らずにカルミは叫んだ。
「エレノア!」
「はい?」
「……また、どこかで、綺麗な花を咲かせてね」
カルミはそう言うと、エレノアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべもう一度頭を下げた。そして向き直って歩き出し、校門から外へと出て行く。彼女がもう一度振り返ることはなかった。カルミはその姿が見えなくなるまで彼女の背中を見送った。
▽▲▽▲▽▲▽
「カルミ・マーフェスです」
「入りなさい」
「はい、失礼します」
エレノアを見送ってからおよそ一週間後。カルミは武芸科長のゼファー・ブレイズソンに呼び出された。「武芸科長室」と銘打たれたドアを開いて室内に入ると、そこにはゼファーのほかにもう一人、見慣れない壮年の男がいた。彼はただ座っているだけなのだが、纏っている空気が洗練されているように思えた。
「よく来てくれた。まあ、座りなさい」
ゼファーに促されるまま、カルミはソファーに座る。先に室内にいた壮年の男の正面だ。彼女はゼファーが手ずから淹れてくれたお茶を恐縮しながら受け取り、テーブルの上に置く。緊張のせいか、お茶を飲む気にはなれなかった。
「あの、それで今日はどういったご用件なのでしょうか……?」
武芸科長室の空気に緊張しながら、カルミは躊躇いがちにゼファーにそう尋ねた。彼女は武術科に在籍して五年になるが、武芸科長室に入るのはこれが初めてだ。卒業した先輩であるルクト・オクスなどは何度か呼び出されていたらしいが、平凡を自称する彼女にそのような機会はなかったのである。まあ、望んでもいなかったが。
「ふむ。用件に入る前にこちらの方を紹介しておこう」
そう言ってゼファーがカルミの正面に座る壮年の男の方に手を向ける。それにつられてカルミの視線もその男の方に向いた。カルミと目が合うと、彼は僅かに微笑んだ。
「こちらは騎士長のノルギス・キンドル殿だ」
「よろしく。カルミ・マーフェス君」
「騎士長……! こ、こちらこそよろしくお願いします!!」
カルミは反射的に勢いよく立ち上がると、そのまま直角に頭を下げた。騎士長といえば、このカーラルヒスにおいて武芸者の頂点に立つ存在である。品のいい人だとは思っていたが、カルミの予想を超えて偉い人だった。
ゼファーに宥められ、カルミはもう一度ソファーに腰を下ろす。先程手をつけずにテーブルの上に置いたお茶を一口啜ると、ようやく少しだけ人心地ついたように感じた。とはいえ、緊張していることに変わりはない。
「先日は大活躍だったようだね、カルミ君」
話は聞いているよ、と言ってノルギスは面白そうに笑った。間違いなく、“騎士”を相手に大立ち回りをしたあの時のことだろう。
「私の立場上、君の行動を褒めるわけにはいかないが、それでも優秀な武芸者が育っていることは嬉しく思うよ」
ノルギスは笑みに少々の茶目っ気を混ぜながらそう言った。それに対し、カルミは渇いた笑みを浮かべる。ヴィレッタの説教を思い出してしまったのだ。あれだけはもう二度と経験したくなかった。
「そういえば、君の個人能力、確か〈サイネリア〉と言ったかね。砕けてしまったそうだが……?」
「あ、はい。あの後、迷宮に潜って修復しました」
まだ少し違和感がありますけど問題なく使えます、とカルミは答えた。それを聞いてノルギスは「ふむ」と呟き、右手で顎を撫でる。そして数秒の間思案をめぐらしたかと思うと、おもむろに視線を上げてカルミにこう言った。
「その〈サイネリア〉だが、少し見せてもらっても良いかな?」
「あ、はい。どうぞ」
そう言ってカルミは〈サイネリア〉を鞘ごとノルギスに手渡す。彼は〈サイネリア〉を受け取ると慣れた手つきで鯉口を切り、そしてゆっくりとその太刀を鞘から引き抜いて掲げた。
「ふむ……。見事だな」
あらわになった〈サイネリア〉の刀身を見て、ノルギスは感嘆の声を漏らした。その青紫色の刀身はまるでガラスのように半透明だ。こうしてみると、とても実用に耐える武器には思えない。まるで工芸品にさえ見えた。
ノルギスはさらに〈サイネリア〉の刀身をためつすがめつ眺める。「修復した」というカルミの言葉通り、その刀身にはひび割れも刃毀れもない。ノルギスは以前の状態を知らないので比較は出来ないが、見た限りでは確かに使用に問題は無さそうだった。
「いいモノを見せてもらった。礼を言う」
そう言ってノルギスは〈サイネリア〉を鞘に戻し、それをカルミに返した。そして指を組んで少し考え込み、それから「さて、それで今日の用件だが」と言った。
「カルミ君。実は君を騎士団にスカウトしに来た」
「ス、スカウト!? わ、わたしをですか!?」
「そうだ。いや、スカウトというより、君が騎士団以外のギルドに就職することは不可能だと思って欲しい」
「え、ええ!?」
思わずカルミは立ち上がった。そんな彼女に、ノルギスは少々申し訳無さそうな顔を向ける。ただし、考えを変えるつもりはない。これはノルギスが騎士長として必要だと判断して下した決断だった。
「ど、どういうことですか!?」
立ったまま、カルミは叫ぶようにしてそう尋ねた。その当然の疑問にノルギスは一つ頷く。ゼファーがカルミを宥めてソファーに座らせると、彼はおもむろにその理由を話し始めた。
「さて、どう話したものか……。君は、都市の治安がどのようにして守られているか、考えたことがあるかね?」
「それは、衛士隊や騎士団が……」
「そうだ。衛士隊と騎士団がこの都市の治安を守っている。ではこの二つが治安を守る、その根拠となっているものは何だと思うかね?」
「それは……」
「それは、法と武力だ」
カルミが答えを探していると、ノルギスがはっきりそう言い切った。その短い言葉の中に彼の信念と覚悟が込められているように感じて、カルミは思わず圧倒されたかのように少しだけ身体を仰け反らせた。
ノルギスは言う。衛士隊と騎士団がこの都市の治安を守るために活動できるのは、都市国家カーラルヒスの法律にそのことがはっきりと明記されているからだ。よってその法律が衛士隊と騎士団の存在と活動の根拠となっている。
しかし、法律によってそう定められているだけでは、実行力のある警察機構にはなりえない。法律で定められた活動を遂行するためには、それ相応の能力が必要になる。その一つが武力である。
法律と武力。この二つが揃って初めて、衛士隊と騎士団は暴れる犯罪者を腕ずくで取り押さえて逮捕することができるし、またそれが許されるのだ。どちらがかけても警察機構としては成り立たない。
「だが、君の個人能力は我々の武力を脅かしている」
ノルギスは厳しい表情と口調でそう言った。ただそれはカルミに対してどうこうというよりは、彼女個人に脅かされてしまった自分達の武力の不甲斐なさを嘆いているようだった。
都市国家が持つ最大の武力とは、言うまでもなく〈魔導甲冑〉である。少なくとも迷宮の外では、〈魔導甲冑〉を装備した〈騎士〉が最強であるからこそ、騎士団は治安維持を行うことが出来るのである。
だが例の事件でカルミは生身でありながら“騎士”を倒してしまった。いや、それだけならば大きな問題ではない。カルミ一人だけならば数を投入すれば制圧は可能だ。だから本当の問題は彼女が見せた〈サイネリア〉の能力、〈アリストロキア〉である。
〈アリストロキア〉は近くにいる味方にマナをチャージする能力だ。そしてそのチャージを受けた結果、生身であったヴィレッタたちもまた“騎士”を圧倒することが出来た。つまり、〈サイネリア〉をもってすれば〈魔導甲冑〉の武力的な優位性を崩すことは可能なのである。
〈アリストロキア〉は騎士団にとって最悪の能力であるといっていい。今回は相手が賊であったからまだいいが、もしもカルミが騎士団に対して牙をむいたらどうなるのか。しかもその時、徒党を組んでいたら。〈アリストロキア〉によって強化された暴徒を、騎士団は制圧できるのだろうか。
「そんな!? わ、わたしはそんなことしませんっ!」
ノルギスが想定する事態を聞かされ、カルミは思わずそう叫んだ。必死な様子の彼女をノルギスは苦笑しながら宥める。
「分かっている。君は正義感に溢れる武芸者だ。今回の一件でそのことは十分に承知しているつもりだ」
しかしノルギスの立場上、そういう事態については想定しておかなければならないのだ。それは、カルミ自身に騎士団と対立するつもりがなくとも、例えば人質を取られてテロリストやレジスタンスに無理やり協力させられる、ということはありうる。
「そんな……」
カルミは絶句する。その気持ちはノルギスも理解できた。いきなり「お前は危険人物だ」と言われて納得できるはずもない。しかし彼女が騎士長として警戒するべき能力を有していることもまた事実だった。
実は、ノルギスは〈サイネリア〉が砕けたと聞いたとき、内心で喜んだ。その個人能力が永遠に失われれば、それはカーラルヒスにとって大きな脅威が、少なくともその可能性が一つ取り除かれたことになる。そうなればカルミを警戒する必要もまたなかったのだ。
しかし、当たり前と言うべきかそう上手くはいかなかった。〈サイネリア〉は復元された。カルミにしてみれば当然の行動だ。だがこれによってノルギスは彼女を野放しにしておくわけにはいかなくなった。
「そこで、だ。今日の本題に戻るわけだが、君を騎士団にスカウトしたい」
そこでノルギスが考えた解決策こそが、カルミを騎士団に入れてしまうことなのである。そうすれば彼女が騎士団と対立することはなくなるだろう。また生身で〈騎士〉を倒せる彼女の力は、騎士団の任務である治安維持にも大いに役立つだろう。外法を使った武芸者を取り押さえられたのがその良い例だ。そして脅威と見なされていた〈アリストロキア〉は、一転して強力な切り札になりえる。一時的とはいえ、騎士に匹敵する戦力を数十人規模で増やすことが出来るのだから、その偉力たるや圧倒的と言っていい。
「こんな話をしておいてこう言うのもなんだが、私はカルミ君に期待しているつもりだ」
カルミを安心させるようにふと表情を和らげ、ノルギスは穏やかな口調でそう言った。そしてゆっくりと、彼女を落ち着かせるように言葉をつむぐ。
「先程も言ったとおり、君は正義感に溢れている。その特質は、騎士団にとって好ましいものだ」
それにカルミは〈エリート〉だ。つまり将来超有望な人材である。それだけでも騎士団にスカウトするのに十分な理由だ。
「もちろん込み入った事情もある。それは認めよう。しかし、君と言う人材を騎士団に欲しいと思っているのも本当なのだ」
口先だけではなく、ノルギスは本当にそう思っていた。特に〈アリストロキア〉は迷宮の外でこそ、その真の力を発揮する能力だ。迷宮の外で、主に武芸者を対象にして治安維持を行う騎士団は、カルミの力を存分に発揮する場となるだろう。
「……他の選択肢を潰しておいてこんな事を言うのは傲慢なのだろう。だがそれでも、だ。君を騎士団にスカウトさせて欲しい」
「わたし、は……」
ノルギスの真っ直ぐで真摯な目を見て、むしろカルミの方がうろたえた様に言葉を詰まらせた。彼の言い分はもちろん身勝手で、カルミの都合など何も考えていない。その理由は説明されたから理解は出来るが、しかしやっぱり納得はしきれない。誰かの都合で自分の人生がいいようにされてしまうのは、当たり前に不愉快で不快だった。
しかし人生は決して自分の思い通りになどならないという事を、カルミは小さなときから、それこそ本能的に理解していた。彼女は孤児で、守って愛してくれる両親はいない。それは彼女にはどうしようもないことで、どれだけ嫌でも受け入れるしかなかった。そして大小あわせれば同じようなことは数多くあった。
だからと言って、カルミは自分が惨めな人生を歩んできたとは思っていない。大切な“家族”だっている。例えレールが敷かれていたとしても、全ての選択肢を人任せにしてきたわけではない。悩み、そして選び取ってきた人生だと、カルミは自負している。
きっとそれは特別なことではないのだろう、とカルミは思っている。人間みんな立場や環境はそれぞれだ。置かれた状況と限られた選択肢の中で、人間はみんな生きているのだ。
「……分かりました。わたし、騎士団に入ります」
カルミはそう答えた。それしか選べる選択肢がなかったとはいえ、しかし自分で選んだのだ。理不尽だ、とは思う。しかし自分で選んだと思えば、その思いも少しは薄くなる。
(それに、そんなに悪い話じゃないよね……?)
どの道、学園を卒業したらどこかで働かなければならないことに変わりはない。そしてカルミが考えていた就職先の中には、騎士団と言う選択肢ももちろんあった。公的機関である騎士団はお給料や保障が充実しているのだ。なにより〈騎士〉という社会的身分はお金には代えられない価値がある。
「ありがとう。そう言ってもらえると、助かる」
そう言ってノルギスは軽く頭を下げた。そして頭を上げると穏やかな笑みを浮かべ、「何か要望があれば聞こう」と言った。
「じゃあ、えっと、〈サイネリア〉は定期的に迷宮に潜らないと調子が悪くなっちゃうんですけど……」
カルミが遠慮がちにそう言うと、ノルギスは真面目な顔をして頷く。
「騎士団でも、実戦経験を積むために定期的な遠征を行っている。心配はいらない」
スパンが空きすぎるようであれば調整しよう、とノルギスは約束した。それを聞いてカルミは安心したような笑みを浮かべる。さらにノルギスは「六年生になったら遠征に参加したり、普段の訓練にも顔を出したりするといい」と言ってくれた。その提案にもまた、カルミは頷く。過程はどうあれ騎士団に入ることを決めたのだ。ならば最善を尽くす。それがカルミ・マーフェスという人間だった。
こうしてカルミ・マーフェスは騎士団に入ることになった。だが、〈騎士〉となった彼女が〈魔導甲冑〉を装備することはなかった。その必要がなかったからである。〈魔導甲冑〉を装備せずとも、彼女は〈騎士〉と呼ばれるだけの力を発揮し、その任務を果たしたのである。
少し先の話になる。〈魔導甲冑〉を装備することなく部下の〈騎士〉たちを率い、その身に華を纏って戦うカルミのことを、人々はやがて〈繚華の騎士〉と呼ぶようになった。さらに彼女には〈魔導甲冑〉を装備しない、五人の直属の部下が与えられる。〈アリストロキア〉を使うことが前提の部隊であり、この部隊は〈装華隊〉と呼ばれた。
さらにカルミの死後、失われることなく遺された〈サイネリア〉は騎士団で管理されることになった。そしてこの美しい太刀はカーラルヒス騎士団の象徴となり、やがて〈護神華刀〉の名で呼ばれるようになったのである。
これにて「403 シングル・ルーム」は本当に完結です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!