百花繚乱なる事件簿3
「ふわぁ……」
喫茶店から学園に戻ってきたカルミは、とある門の近くで大きな欠伸をもらした。そして口を閉じてからバツの悪そうな顔をして辺りを見渡す。この欠伸の仕方は乙女的ではなかった。気をつけなければ。
「ん……?」
辺りを見渡していると、ふとあるものがカルミの目に入った。それは花壇に植えられた淡いピンク色をした花だった。背丈は三十センチほどだろうか。小指ほどの大きさの葉を何枚も茂らせ、一株に五つほどの花をつけている。
「わぁ……! キレイ……」
先程のしかっめ面はどこへやら。満面の笑みを浮かべながら、カルミはその花が植えられている花壇に近づいた。そしてその淡いピンク色の花をよく観察する。
「見たことのない花……。なんていうんだろう……?」
個人能力に〈サイネリア〉と名付け、またその能力に〈クレマチス〉、〈ハーデンベルギア〉と名前を付けたことからも分かるように、カルミは花が好きだった。ちなみに〈サイネリア〉にはあともう一つ能力があるのだが、それにももちろん花の名前をつけてある。そんな花好きの彼女だからカーラルヒスとその周辺で咲く花は大体知っているのだが、しかしこの淡いピンク色の花は見たことがなかった。
「その花は、〈オリフリア〉といいます」
その声はカルミの後ろから聞こえた。彼女が振り返ると、そこにいたのは一人の女子学生だった。髪は細くて癖のないブロンドで、目の色は緑。背丈はカルミよりも少し低い。一目見て物静かな印象を受けるが、楚々と言うよりはどこか儚げな雰囲気だった。
「貴女が……、この花壇を……?」
「はい。世話している者です」
「そっか……。綺麗に花を咲かせているから、つい見惚れちゃった」
カルミがそういうと、その女子学生は「ありがとうございます」と言って嬉しそうに笑った。そして彼女はカルミの隣に来ると、膝を曲げて花壇の傍らにしゃがみ込む。
「このオリフリアの花は、わたしの故郷の花なんです。留学してきてからコッチでも育ててみたのですが、気候や土壌が違うのか、なかなか花をつけてくれなくて……。咲かせるのに三年かかりました」
「へぇ……。繊細な花なんだ……」
そう言いながらカルミはオリフリアの花を軽く小突くようにして撫でる。確かに繊細な見た目をしているが、見た目だけでなく性質も繊細な花らしい。
「あ、申し遅れました。わたしは薬学科の三年、エレノア・ミレーといいます。出身は都市国家ネーリンベルです」
「わたしはカルミ・マーフェス。武術科の五年で、地元の出身だよ」
そう言って二人は自己紹介をする。カルミはエレノアのことを知らなかったが、しかしエレノアはカルミのことを知っていたようである。彼女が名乗ると、「ああ、あの」と呟いて何度も頷いていた。
学内ギルドの幹部と言うこともあって、カルミは学園内でそれなりに名前が知られている。ただそれは噂になりやすいということでもあり、エレノアが一体何を聞かされているのか、カルミはそれを知りたいような知りたくないような複雑な気分だった。
「……ところでカルミ先輩。先程欠伸をしていらっしゃいましたが、もしかしてお疲れですか?」
「う……、見てたんだ……。あ、あれは、疲れたというか、気疲れしたというか……」
乙女的ではない大きな欠伸を見られていたと知ったカルミは、そう言って気まずそうに目を逸らした。そんな彼女にエレノアは少し思案してからこう提案する。
「……もしよろしかったら、オリフリアの葉を持っていかれますか?」
「え、葉っぱを?」
話が見えずきょとんとした顔でカルミがそう聞き返すと、エレノアは「はい」と言って頷いた。そして少し得意げな顔でその効能を説明する。
「オリフリアの新鮮な葉にお湯を注いで淹れたハーブティーを寝る前に飲むと、ぐっすり眠れて疲れが取れるんです」
「へえ、そうなんだ」
綺麗なだけでなくそんな効能まであるとは。オリフリアは二物を持つ花らしい。カルミが素直に感心していると、その横でエレノアが苦笑を浮かべた。
「そんなに大したことはありませんよ。通年で飲めるならともかく、季節限定ですから」
「そうなの?」
「はい、そうなんです」
エレノアの話では、オリフリアの効能は花が咲くときに最も強くなるのだと言う。そしてオリフリアが花を咲かせるのは四月の初めから五月の末にかけてのおよそ二ヶ月間。しかも本当に新鮮な葉っぱでなければダメで、少しでも悪くなるとお茶を淹れてもエグくて飲めたものではないらしい。しかもエグいだけならともかく毒性もあって、飲むと身体がダルくなるのだと言う。乾燥させるとこの毒性はさらに増すため、保存には向かないのだそうだ。
「じゃあ飲めるのはこの時期だけなんだ」
「はい。そうなりますね。でも、新鮮な葉を使って淹れたハーブティーは爽やかな香りとすっきりとした味わいで、結構美味しいんですよ」
エレノアがそう言うし、せっかくなのでカルミはオリフリアの葉を分けてもらうことにした。五枚ほど葉を摘んでもらい、カルミはそれを自分のハンカチに挟んで包む。
「必ず今日中に使ってくださいね。宵越しの葉は使っちゃダメですよ」
最後にエレノアはそう言って念を押す。その言葉に頷いてから、カルミは彼女と別れて寮に向かった。
その日の晩、カルミは早速貰ったオリフリアの葉でハーブティーを淹れてみた。お湯を注いで数分待つと、お湯が薄い黄緑色に染まる。香りはエレノアが言っていた通りに爽やかだ。ティーポットからマグカップにいれ、両手で包み込むようにして持ちながら少しずつ飲む。
「おいしい……」
味の方も前評判通りにすっきりとしている。クセやエグみもなくて飲みやすい。ジンワリと身体に染み入るような味わいだった。
オリフリアのハーブティーのおかげなのか、だんだんと気持ちがリラックスしていく。確かにこれならばぐっすりと眠ることができそうだった。
▽▲▽▲▽▲▽
オリフリアのハーブティーを飲んだ次の日、カルミの体調はすこぶる良かった。ハーブティーのおかげなのか昨晩は本当にぐっすりと眠ることができ、さらには目覚めもすっきり爽やかで、彼女は朝から絶好調だった。
(これなら毎日でも飲みたいな……)
そんなふうに思うくらいには絶好調だったが、しかし毎日飲んでいたらあの花壇のオリフリアはあっという間に丸裸になってしまうだろう。それはカルミにとっても本意ではない。それに保存には適さないのだから、そもそも毎日と言うのは無理な話だ。
(毎日は無理でも、これからはもっと身近になるかもしれないよね)
オリフリアはもともとカーラルヒスにあった花ではないが、その栽培方法はエレノアがもう確立している。効能が知られるようになればもっと広く栽培されるようになるかも知れず、そうすればもっと手ごろにハーブティーを飲めるようになるだろう。
(綺麗な花も増えるし、いい事尽くめ!)
そんなことを考えながら、カルミは足取りも軽く学内ギルド〈叡智の女神〉の本部へと向かう。尤も本部と言っても教室の一つをそれ用に使わせてもらっているだけで、他の部活の部室とそう大きな差はない。ちなみにギルド本部があるのは武術科棟の五階の端っこだ。“僻地”だが、その分広い。
ギルドで所有しているトロッコや寝袋といった遠征用の装備は倉庫に保管してあり、本部にあるのはほとんどが書類関係だ。そのためギルドメンバーであっても、用が無いので本部にはほとんど近づかないという者も少なくない。本部に詰めているのはほとんど幹部連中だけで、かくいうカルミも幹部になるまでは数えるくらいしか本部に入ったことはなかった。
本部に入ると、カルミは慣れた足取りでいつも使っている自分の机に向かう。幹部になると本部に自分のデスクがもらえるのだ。ただし、それは特権と言うよりは「仕事をしろ」という無言の圧力である。
ちなみに、ギルドマスターにも専用のデスクがもちろん用意されているのだが、他より少し大きめのその机の上には「ギルマスだよ、偉いんだよ」と彫られた無駄に立派な木製のプレートが乗っかっている。何代か前のギルドマスターが木工建築科の友人から貰ったものだそうで、なぜ使い続けているのか少々謎だ。
まあそれはそれとして。自分のデスクに向かったカルミはその上に置かれた書類を手際よく処理していく。消耗品の補給や、メンバーのスケジュールのすり合わせに、下級生の指導の予定も立てなければならない。幹部などと呼ばれてはいるが、実際のところはただの雑用である。とはいえ、こういう仕事をする人間がいないと組織が回らないのも事実だ。
(消耗品の補給のリストはこれでいいとして……、あ、でもこれだとコッチのパーティーの遠征に間に合わない。早くしてもらう……)
カルミも幹部になりたての頃はなれない書類仕事に四苦八苦していたが、今となっては手馴れたものである。幸い今日の書類はそれほど多くなく、仕事は小一時間で終わった。
「終わった……」
そう呟きながら、カルミは椅子に座ったまま大きく身体を伸ばす。座学もそうだが、こうして机に向かって何かをするというのはやっぱり苦手だ。出来ないと言う意味ではなく、気がむかないと言う意味で。もっとも、そんな事を言えばまた「落ち着きが無い」とか言われるのだろうけど。
「お疲れ様でした、カルミ先輩」
カルミが身体を伸ばしていると、その横からそっとお茶が差し出された。淹れてくれたのは四年生の女子学生だ。ここにいるからにはもちろん彼女も〈叡智の女神〉のメンバーなのだが、しかし幹部ではない。それでもこうして時間が空けば手伝いに来てくれる。幹部の男連中は「秘書ちゃん」なんて呼んでいるが、実際秘書みたいなものだった。ちなみに来年度の幹部候補である。
「ん、ありがと」
そう礼を言ってからカルミはそのお茶を一口啜る。砂糖の代わりにハチミツを入れてあるらしく、優しい甘さだ。もう一口お茶を啜ると、彼女は書類を整理している四年生の女子学生の方に視線を向けた。
「……そういえば、ナクタ君のことで何か聞いてる?」
「ナクタ……先輩のこと、ですか?」
女子学生が少し驚いた様子で顔を上げ、カルミの方を見た。彼女ももちろんカルミの祝賀会には参加していたから、その場でナクタが何をしたのかも当然知っている。それに四年生の彼女はナクタがギルドにいた頃も知っていて、はっきり言って彼の印象は悪い。そして先日の一件でその印象は決定的になっていた。そのナクタのことをカルミがわざわざ話題に出した、というのが彼女には少々意外だったらしい。
「うん。あの時ナクタ君、明らかに普通じゃなかったし、なにか噂になってないかな、と思って」
「ああ、そういうことですか……。嘘か本当か分からないような噂なら、たくさん流れていますよ」
そう言って女子学生は視線を戻し、仕事をしながらその噂の内容を語る。「外法の拒否反応でイっちゃった」とか、「モンスターを喰っておかしくなった」とか、「どこかのマッドサイエンティストに身体をいじくられた」とか、あるいは「怪しい薬を飲んでヤバいことになった」とか。本当に根も葉もない、「嘘か本当か分からない」というよりは「ほとんど嘘だろう」と言いたくなるものばかりだ。
「みんな好き勝手言っちゃってまあ……」
「まあ、皆さんにしてればそれこそ他人事ですからね。ウチが被害に遭ったっていうせいもあるのか、皆さん結構楽しそうですよ?」
「喜んでいいのかなぁ? それ……」
他人の不幸は密の味、ということなのだろうか。直接の被害者であるカルミにしてみればどうにも納得がいかない。脱力して机にダベる彼女を見て、女子学生がおかしそうにクスリと笑みを漏らした。
「まあ、“怪しい薬”についての噂はナクタ先輩の事件の前から流れていますから、誰かが面白がって結び付けたんだと思いますよ」
他の噂も大方そんなところでしょう、と女子学生は言う。
「その、“怪しい薬”の噂って?」
「なんでも、気分が良くなる薬がどこかの裏路地で売られているそうですよ?」
いかにも怪しげですよね、と女子学生は笑う。確かに気分が良くなるとか、裏路地で売っているとか、それを聞いただけも非合法な臭いがプンプンする。
「ちなみにその噂って、いつ頃から流れてるの?」
「ええっと……、大体三月の半ば位からだったと思います」
意外と最近だ、とカルミは思った。とはいえ、噂なんて次々に現れては消えていくもの。記憶に残るものとなると、そんなものなのかもしれない。
「……それにしても、少し意外でした」
「え、なにが?」
「カルミ先輩が人の噂を気にするなんて、今までほとんどなかったですから」
「あ~、あれだけ身近に事件が起これば、やっぱり気になるよ」
本当は捜査官のタスクから「学園内の噂を教えて欲しい」と言われたからなのだが、その辺りの事情はぼかしてカルミはそう答えた。それに気になっていたのは事実で、決して嘘をついたわけではない。
「ああ、それもそうですね」
女子学生は疑う様子も見せずにそう言って納得した。カルミは残っていたお茶を飲み干すと、後のことを彼女に任せてギルド本部を後にする。そして寮へは戻らず、そのまま学園の外に出る。
彼女が向かったのはヴィレッタが勤めるギルドのホームだ。目的はもちろん先程女子学生から聞いた噂話を伝えるためである。本当なら直接タスクのほうに伝えればいいのだろうが、一度話をしただけの捜査官のところに一人で行くのは、カルミにとってはちょっとハードルが高かった。
「なるほど、分かった。この話は私の方からタスク捜査官に伝えておこう」
カルミの話を聞いたヴィレッタは気さくにそう言った。後輩が自分のところへ来た理由をおおよそ察したようだ。よろしくお願いします、と言って頭を下げるカルミ。そんな彼女に「うむ」と一つ頷いてから、ヴィレッタはニンマリとした笑みを浮かべておもむろに話題を変える。
「ところでカルミ。卒業後の就職先はもう決まったのか?」
「え? いえ、まだですけど……」
「そうかそうか。では、ウチに入る気はないか?」
パーティーごと歓迎するぞ、と言ってヴィレッタは優しげな笑みを浮かべる。しかしカルミには、その笑みがなぜか獲物を前にした肉食獣の笑みに見えた。
カルミのその感想はあながち間違ってはいない。なにせ彼女は〈エリート〉。将来超有望な若手である。優秀な人材が欲しくてたまらないギルドからしてみれば、それこそ喉から手が出るほど欲しい逸材だ。そしてヴィレッタはそのギルド側の人間である。獲物がわざわざ飛び込んできてくれたのだ。これを逃す手があろうか。いや、ない。
「ふむ、そろそろお昼の時間だな。よし、ランチでも食べながらゆっくり話をしよう」
私の奢りだ遠慮するな、と言いながらヴィレッタはカルミの首根っこを引っつかんで連行する。なんだかウサギちゃんな気分になったカルミだった。
さて、次の日からカルミはパーティーメンバーたちと遠征に行った。すでに実技要件は達成しているが、だからと言って迷宮から離れすぎると腕と勘が鈍るので、こうして定期的に遠征を行うのだ。もちろん就活もあるので頻度は少なくしてあるが、遠征をすればお金も手に入るのでコレを嫌がるメンバーはいない。それにこうやって実力を示せば就活でも有利になるのだ。
カルミたちの遠征の予定は四日間。その間にある事件が起り、そのことで学園の中は持ちきりになった。そのことを彼女たちは遠征から帰ってきてから知る。
なんと、殺人事件が起こったのである。背中から心臓の辺りを一突きされた死体が、街外れの水路に浮かんでいたのだそうだ。
とはいえ、コレだけなら学園内で騒がれることはなかっただろう。殺人事件は毎年少なからず起こっている。ただ、今回は被害者が学生、しかも留学生だった。そのため学園内で騒がれることになったのである。
殺された学生の名前はバール・スベム。木工建築学科の三年で、出身都市はネーリンベルだった。