百花繚乱なる事件簿2
祝賀会の一軒から三日後、カルミはある喫茶店に来ていた。彼女が所属する学内ギルド〈叡智の女神〉のOBに呼び出されたのだ。入り口から店内を見渡して目的の人物を見つけると、彼女は足早にその人のもとへ向かった。
「すみません、遅くなりました」
「いや、かまわないよ。さ、座って」
尊敬するギルドのOB、ヴィレッタ・レガロに促されカルミは席に着いた。ただし、背もたれは使わない。背筋をピンッと伸ばして姿勢よく座る。そんな彼女の前に淹れたての紅茶が差し出された。
「勝手に注文してしまったが、紅茶で構わないかな?」
「はい、大丈夫です」
笑顔でそう答えると、カルミは紅茶に砂糖とミルクを入れて混ぜ一口すする。そしてティーカップをソーサーに戻すと彼女は視線をヴィレッタに向けた。
「それで、あの、今日はどういったご用件なんですか?」
「その前に、気になっているだろうから紹介しよう」
そう言ってヴィレッタは同じ席についていたもう一人の人物の方に手を向ける。それに合わせてカルミの視線もその人物の方に向いた。
「こちら、衛士隊のタスク・オー捜査官」
「どうも、よろしく」
そう言ってタスク・オーと紹介された男は人懐っこい笑みを浮かべながら軽く頭を下げた。年の頃は四十といったところか。愛嬌のある丸眼鏡をかけている。
「はあ、よろしくお願いします。それで、その、捜査官がわたしに何の用でしょうか?」
躊躇いがちにカルミはそう尋ねる。状況から考えて今日彼女に用があるのはタスク・オー捜査官のほうだろう。公権力を前に緊張した様子の彼女を見て、ヴィレッタとタスクはお互いに顔を見合わせて苦笑した。
「先日の居酒屋での一件は私も聞いた。大変だったそうだな?」
「え、ええ。まあ」
「オー捜査官はその一件でカルミに聞きたいことがあるそうなんだ」
ヴィレッタの言葉にカルミは首をかしげる。どうにも話が見えない。
都市国家において治安を守る組織は大きく分けて二つある。それが〈衛士隊〉と〈騎士隊〉だ。呼び方は都市によって多少変わるが、概ねこの二つの組織が都市国家の治安を守っている。そして捜査官はこの内、衛士隊のほうに属している。ただし、その任務は普通の衛士とは少々異なる。
衛士隊とはつまり、犯罪を取り締まる警察機構である。大雑把に言えば、法を犯した犯罪者を捕まえるのがお仕事だ。しかし全ての犯人を現行犯で逮捕できるわけではない。多くの場合、犯人を捕まえるためには捜査が必要になる。そしてその捜査を行う衛士のことを、特に〈捜査官〉と呼ぶのだ。
捜査官は事件捜査を行う。これはカルミも知っている。しかしあの居酒屋での一件では、騒ぎを起こしたナクタ・ロマリスがすでに現行犯逮捕されている。つまり、犯人はもう捕まっているのだ。それにあの事件の後、カルミも関係者として衛士隊に話を聞かれ、知っている限りのことは全て話している。それなのになぜ今更捜査官が出てくるのか。
「まあ、そのあたりの事はおいおい説明しますので、まずは話を聞かせてくれませんか?」
タスクの言葉にカルミはひとまず頷く。そして彼に聞かれるまま、あの日のことを話していく。その内容は衛士隊に話したものとほとんど同じだった。その話をタスクはメモを取りながら聞いていく。
「なるほど……」
一通り話を聞き終えると、タスクはペンで頭をかきながらメモを読み返す。そして最後にこんなことを聞いた。
「カルミさんの目から見て、ナクタ君はどんな人物でしたか?」
「どんな人物か、ですか……?」
「はい。個人的な印象でいいので聞かせてください」
そう言われ、カルミはナクタに関する記憶を頭の中から引っ張り出していく。そして十数秒考え込んでからこう答えた。
「……なんというか、自分勝手で我儘な子、だったと思います」
「ふむ。なぜそう思うのでしょうか?」
重ねて問われ、カルミはまた少し考え込む。そしてゆっくりと言葉を選びながら、ナクタについて自分が思っていることを口にしていく。
「彼は……、他人に妥協できない人でした。パーティーの話なんですけど、メンバーの実力が自分より劣っているのが、少なくともそう思えるのが我慢できないみたいでした」
ナクタ・ロマリスの父と兄は二人ともハンターである。そしてナクタ自身も幼い頃からハンターを志して修行を重ね、その努力に見合うだけの技量を身につけていた。武術科に入学した後も彼は研鑽を積んで腕を磨いた。実際、純粋に武芸の腕だけを見れば、彼は今でも学年トップクラスである。
しかし、あるいはだからこそ。ナクタは自分と同じものを回りに求めた。そして自分のレベルに達していない、少なくともそう見えたメンバーを彼は容赦なく罵倒した。
「『足手まといだ!』って怒鳴っているのを、何度か見たことがあります」
実際にはもっと酷い言葉も使っていたのだが、それを口にするのは憚られた。そしてそうやってメンバーと衝突を繰り返しているうちに、そんな彼とパーティーを組んで迷宮攻略を行おうとする者はいなくなったのである。
ある意味、当然の話である。迷宮攻略のためにはパーティー内の信頼関係とチームワークが何よりも大切なのだ。誰だって怒鳴ってばっかりの自意識過剰な自己中ヤロウとはパーティーを組みたくない。そんなヤツに命と背中を預けられるわけがない。こうしていつの間にかナクタ・ロマリスは孤立してしまったのである。
「彼がウチに、〈叡智の女神〉に入ることになったのも、それが原因でした」
ナクタの父も兄も、彼がハンターになることを求めている。彼自身、ハンターを志して武術科に入った。だが一人で迷宮攻略などできるはずがない。最近ではルクト・オクスとかいう学生がソロで武術科を卒業してしまったが、アレは例外中の例外だ。そしてナクタはその例外たりえる能力には恵まれなかった。
ソロで攻略を進められるわけもなく、しかしいつまで経ってもパーティーを組むでもない。そんなナクタに対し、ついに彼の父が痺れを切らした。彼の父は伝手を頼って当時のギルドマスターと話をつけ、彼を学内ギルド〈叡智の女神〉に入れたのである。ナクタが四年生のときの話だ。
学内ギルドに入れば、比較的簡単に上級生とパーティーを組むことができる。これは大きなメリットだ。そして上級生たちならばナクタの要求するレベルに達していたらしく、彼はようやくまともに迷宮攻略を始めることができた。しかし彼はここでもまた問題を起こす。
「ほう、問題とは?」
「一番大きかったのは、彼が下級生の指導を拒否したことでした」
学内ギルドに入ることには、確かにメリットがある。しかしメリットを享受するのであれば、デメリットもまた引き受けなければならない。そして学内ギルドのデメリットとは、上級生になると下級生の指導をしなければならず、そのために時間を取られてしまうことだ。このデメリットをナクタは嫌がった。
『そんな無駄なことをしている暇はない!』
ナクタがそう言い放ったのを、カルミもまた聞いていた。その時唖然としたのを、彼女はよく覚えている。
今思えば、彼は焦っていたのだろう。格下のはずの同級生たちは、しかし自分より下の階層に進んでいる。早く追いつきたい。いや、追い越さなければならない。あるいはそう思っていたのかもしれない。
しかし学内ギルドは攻略補助のための組織ではないのだ。利益の追求をしない学内ギルドはより純粋に相互協力のための組織であり、共存共栄がそのモットーなのだ。利用するだけの、甘い汁を吸うだけの輩のいる場所はない。
結局、下級生の指導を拒否したナクタは〈叡智の女神〉を放逐された。最低限のルールを守ろうとしなかったのだから、当然だ。聞いた話では他に二つある学内ギルドからも入会を拒否されたという。
「それから彼がどうしたのかは、よく分かりません」
ナクタが〈叡智の女神〉から放逐された少し後、カルミらは進級して五年生になった。五年生になると武術科では座学の講義が少なくなり、その空いた時間を使って学生たちは本格的に実技要件の達成に向けて動き出す。その少ない座学もまたナクタは休むことが多く、自然と彼の顔を見る機会も少なくなり、そのまま記憶も薄れていったところへ件の事件が起こった、という次第である。
「なるほど……」
カルミの話を聞いたタスクはそう言って一つ頷いた。喉の渇きを覚えたカルミは手元の紅茶を飲む。紅茶はもう温くなってしまっていた。それを見たヴィレッタが紅茶のお代わりと、ついでにケーキを注文してくれた。
「参考になるお話をありがとうございました。他に、なにか記憶に残っていることはありますか?」
「えっと……、一年のときの話なんですけど……」
武術科の一年生は迷宮に潜ることが禁止されている。それが不満だったナクタは何とか特例を認めさせられないかと考えた。そして何を思ったのか、当時四年生ですでに実技要件を達成していた実技講義のアシスタント、ルクト・オクスに勝負を挑んだのである。どうやら彼に勝てれば学園に特例を認めさせられると思ったらしい。
「ほう、ルクトに」
ルクト・オクスの名前が出ると、ヴィレッタが懐かしそうな笑みを浮かべた。ルクトを〈叡智の女神〉に入れるべく勧誘を続けていたのは他でもない彼女なのだが、まあそれはそれでいいとして。
「それで、どうなったんです?」
興味を引かれたのか、タスクもそう聞いてくる。ルクト・オクスの名前は、いまだここカーラルヒスで大きい。
「外法を使って、その拒否反応で倒れました」
「おや、それはそれは……」
その顛末を聞いてタスクが苦笑する。そのときちょうど新しい紅茶とケーキが運ばれてくる。カルミが頼んだのはミルフィーユだ。断じてあの日のリベンジではない。
「さて、カルミさん。ああ、どうぞ食べながら聞いてください」
そう言ってケーキを頼まなかったタスクはカルミにケーキを食べるように勧め、自分は紅茶を啜った。そして彼女がケーキにフォークを入れたのを見てから話を始めた。
「まず、貴重な意見を聞かせていただき、ありがとうございました。大変参考になりました」
そう言ってタスクは軽く頭を下げた。慌ててカルミも頭を下げる。フォークを咥えながらだったが。
「それで、今更あの事件とナクタ君のことを聞いた理由でしたね」
これはあまり他言しないでほしいのですが、と前置きしてからタスクは真剣な口調でこう言った。
「似たような事件、つまり錯乱状態でさらには恐らく外法を使って暴れ怪我人を出すという事件がここのところ連続で発生しています。ナクタ君の事件も合わせて全部で四件ですね。幸い犯人はすべてその場で逮捕されましたが、その全員が武術科の学生でした」
それを聞いてカルミが息を呑む。そんな彼女を見て、タスクは無言で頷きそしてこう続けた。
「偶然、ということはないでしょう。この四つの事件には何らかの関係性がある。そう考えて、私は捜査を行っています」
さらに事件を起こした犯人たちには、武術科の学生という以外にも共通点があるという。
「彼らは全員、何らかの形で迷宮攻略が上手くいっていない学生たちでした」
四人のうち二人は留年生で、一人は六年生だがまだ実技要件の達成が見通せない状況だったという。ナクタに至っては、言うに及ばず。つまり全員がそのことに対する不満と、ともすれば嫉みを持っていたと思われる。
「まさか、祝賀会に乱入してきたのは、それが原因……?」
「それは十分に考えられますね」
タスクにそう言われ、カルミは難しい顔をしながら唸る。パーティーすら満足に組めないナクタにしてみれば、〈エリート〉になった彼女たちは確かに強い嫉みの対象足り得るだろう。しかし嫉まれる側にしみれば理不尽だとしかいいようがない。せっかくの祝賀会を台無しにされたのだからなおさらだ。そんな彼女に同情するような視線を向けながら、タスクは話を進める
「……この一連の事件における最大の問題は、全員が犯行時に錯乱していた、つまり正気を失っていたということです」
身体能力強化をした、しかも外法を使ってまでの強化をした武芸者が正気を失って暴れているのだ。これは大問題である。幸いにして死者はまだ出ていないが、同じような事件が続けば必ずや近いうちに死者が出るだろう。それだけはなんとしても阻止しなければならない、とタスクは言った。その言葉にカルミもまた頷く。
「現在、私が着目しているのは、犯人全員が学生であったという点です。つまり彼らを錯乱させるに至ったその原因は、学園内にある可能性が高い」
「まさか、そんな!?」
タスクの言葉にカルミは思わず叫んだ。そんな彼女をヴィレッタが宥める。カルミが紅茶を一口啜って落ち着くのを見計らってから、タスクはさらに言葉を続ける。ここからが今日の本題である。
「学園と言うのは、少々特殊な環境です」
タスクはそう言う。確かに同年代の子供たちがこれほど多く集まる場所は他にはない。閉鎖性が高く、例えOBであっても部外者が入っていけば悪目立ちして学生たちは警戒する。それが自分のようなおっさんであればなおさらだ、とタスクは苦笑気味に言った。
また子供が多く集まっているためにそこには一種の社会が生まれ、その社会の情報は大人には秘密にされることが多い。その秘密主義はカルミにも心当たりがあって、彼女は苦笑した。先生たちは自分たちがどんなあだ名で呼ばれているのかなど、たぶん知らないはずだ。そしてそのような特殊性ゆえに捜査の難しい場所なのだ、とタスクは言う。
「……単刀直入に言います。カルミさん、情報収集に協力してもらえませんか?」
「情報収集、ですか……?」
「はい。もちろん私は私で捜査を行いますが、それでは収拾しきれない情報、例えば学生達の間で流布している噂なんかを教えて欲しいんです」
武術科の学生の間のことは武術科の学生に聞くのが一番。加えてカルミは学内ギルドの幹部で、噂などの情報が集まりやすい場所にいる。確かに彼女は適任だろう。そう思ってヴィレッタも彼女を推薦したに違いない。その証拠に、カルミの向けた視線に彼女は重々しく頷いてみせる。
尊敬する先輩の頼み事だしそれくらいなら、とカルミが頷きかけたその矢先、タスクが「ただし」と言って彼女の言葉を遮る。そして彼は思いがけず強い口調でさらにこう言った。
「『自分の手で事件を解決しよう』とか、『捜査してみよう』とか、そんなことは絶対に考えないで下さい」
それはかえって捜査の妨げになります、とタスクははっきり告げた。そして一つため息を吐き、紅茶を一口啜ってからさらにこう続ける。
「……本当は、カルミさんを巻き込みたくはないんです。だけど、学園と言う場所は本当に捜査がしにくい。だからやむを得ず、ヴィレッタさんから貴女を紹介してもらった、という次第です」
「『聞き分けがよくて、無茶をしない学生』というご要望だったのでな。カルミならぴったりだと思った」
少しだけ悪戯気に笑いながら、ヴィレッタがそう言った。なんだか遠回しに「面白みのないヤツ」と言われているような気がするが、まあそれはそれとして。
捜査官の立場からすれば、素人にチョロチョロ動かれるのは確かに邪魔だろう。それどころか危険ですらある。そういう事情はカルミにも十分理解できた。
「……分かりました。普通に耳に入ってくる程度の噂を集めればいいんですね?」
「ええ、それで十分です。集めた情報はヴィレッタさんか、直接私に下さい」
カルミの返事にホッとした様子を見せたタスクは、そう言って連絡先を書いたメモを彼女に渡した。これにて仕事の話はひとまずお仕舞いである。タスクは身体を背もたれに預けると、残っていた紅茶を飲み干した。
「……それにしても、ヴィレッタさんがオー捜査官に協力しているのは意外でした」
カルミもまた残っていた紅茶を飲みながらそう呟いた。ヴィレッタが所属しているのは普通のギルド。こういう捜査には関わらないものと思っていた。それを聞くとヴィレッタは一つ頷いてこう説明した。
「武芸者、特にハンターが関わっているような事件だと協力することが多いな」
武芸者の社会というのは存外狭い。情報提供など、協力できる分野は結構あるのだと言う。
「それと、あまり知られていないが、公認されたギルドに所属しているハンターには〈緊急時逮捕特権〉というものが与えられている」
緊急時逮捕特権とは、つまり「目の前で犯罪が起こった場合、犯人をその場で逮捕できる権限」である。ただ、実際のところこの特権は有名無実のものだ。なぜなら、その特権を持っていない一般市民が同じことをしても、つまり犯人を現行犯で取り押さえたとしても、それが罪に問われることなどないのだから。むしろ感謝されて表彰されるくらいである。ようするに名ばかりとはいえ特権を与えることで、ハンターの側の意識を高めておくことが目的なのだ。
「へぇ……。なんかすごいんですねぇ……」
「うむ。我々武芸者は力を持つ者として、治安の維持に最大限協力する義務があるからな」
胸を張ってそう語るヴィレッタに、カルミは尊敬の眼差しを向ける。そんな二人を見てタスクはこっそりと苦笑した。
(皆さんの意識がそれくらい高ければ、私の仕事も少なくなるんですけどねぇ……)
ままならない。そう思わずにはいられないタスクだった。