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百花繚乱なる事件簿1

「前方、広場を確認。全員注意」


 パーティーを率いて迷宮(ダンジョン)の中を進むカルミ・マーフェスは、進行方向に大きな広場を見つけるとそう言ってメンバーに注意を促した。広場にはモンスターが出現(ポップ)しやすい。ハンターたちによく知られた経験則であり、それが正しいことを彼女たちもまた経験則的に知っていた。


 カルミの指示を受けパーティーのメンバーたちが気を引き締めていくなか、彼女自身もまた集中力を高めていく。もちろん迷宮の中にいる以上、のほほんと間抜けをさらすような真似はもとからしていない。だが常に最高度の集中力を維持しておくのは不可能だし、また無駄でしかない。だから高いレベルで集中するのは要所だけ。そうしないと身体がもたないのだ。


『重要なのは意識的に集中力を高められるよう、訓練しておくことだ』


 カルミは道場の師範から常日頃そう言われている。そして言われたとおりにそのための訓練を行い、その成果としてかなり意識的に自分の集中力をコントロールできるようになっていた。


 そして今まさに、戦闘の予感を覚えてカルミは集中力を一歩ごとに高めていく。そして広場の一歩手前で立ち止まり、集気法を使って烈を補充する。それが終われば、後は一歩を踏み出すだけだ。


 この瞬間はいつも緊張する。カルミは左手でそっと剣帯に吊るした自分の個人能力(パーソナル・アビリティ)〈サイネリア〉を撫でた。そうすると気持ちが落ち着くのだ。


(大丈夫……。わたしは戦える)


 そう自分に言い聞かせることで、彼女のなかの小さな波が凪いでいく。〈サイネリア〉を撫でていた左手でその鞘を掴むと、カルミは広場に一歩踏み込んだ。その瞬間、広場の真ん中辺りでマナが燐光を放ちながら収束を始める。


「数一! 前衛で囲むよ! イースは右、ミラは左! 正面はわたしがやる! 後衛は距離を取って待機! 警戒は怠らないで!」


 カルミが出す指示に、メンバーたちはそれぞれ了解の返事をして行動に移る。六人パーティーのうち、前衛の三人は収束を続けるマナを囲むようにして位置につき、残りの後衛三人は広場の入り口付近で荷物を守りながら待機する。メンバーがそれぞれ位置に付くと、いよいよモンスターが出現する。


「グウウゥオオオオオオォ!」


 出現したのは、〈亜人〉タイプのモンスターだった。濃い緑色の肌と、二メートルを遥かに超えるであろう筋肉隆々とした巨躯。目は殺気立っていて、眼光は鋭い。手には大きな鉈を持っている。さらに大きな特徴として、額からは歪な角が二本生えていた。〈亜人〉タイプのなかでも、特に〈オーガ〉と呼ばれる部類のモンスターである。


 自らの誕生を祝うかのように雄叫びを上げる〈オーガ〉を見据えながら、カルミは〈サイネリア〉を鞘から引き抜く。〈サイネリア〉は大まかに分類するなら太刀だ。しかしその刀身は、普通の金属素材では絶対にありえない、淡い青紫色をした半透明の刃を持っていた。この〈サイネリア〉の刃は高濃度のマナの結晶そのものである。その刃の切っ先を、カルミは静かに〈オーガ〉に向けた。


 自分に向けられる切っ先の気配に気づいたのか、雄叫びを上げていた〈オーガ〉はその口を閉じてカルミに鋭い視線を向ける。彼女は殺気でギラつくその視線を、動じることなく正面から受け止めた。彼女が怯まないことが不満なのか、〈オーガ〉は威嚇するように低い唸り声を漏らす。


 数秒の間、一人と一体は睨み合う。先に動いたのはモンスターの方だった。〈オーガ〉は咆哮を上げながら手に持った大きな鉈を振り上げてカルミに迫る。一瞬遅れてカルミも動く。〈サイネリア〉の切っ先を下にして構え、下から掬い上げるようにして振るい大鉈の刃を迎え撃つ。


 そして、激突。〈サイネリア〉と大鉈がぶつかり合うと、大きな金属音が響いて火花が散った。そして一人と一体は動きを止め、ガチガチという金属がかみ合う音だけが響く。両者の力が拮抗しているのだ。筋肉隆々とした巨躯を持つ〈オーガ〉に対し、見た目は線の細い少女でしかないカルミは一歩も引かない。これが集気法による身体能力強化の偉力である。


「……っあああああ!!」


 数秒のせめぎ合いの後、気合の篭った雄叫びを上げたのはカルミのほうだった。彼女は刀身から衝撃波を放ち、それと同時に力任せに〈サイネリア〉を振りぬく。押し負けた〈オーガ〉は上体を泳がせて一歩後ずさる。その隙を狙ってイースとミラが動いた。


 二人は左右から挟みこむようにして〈オーガ〉に仕掛ける。しかしそれを察知した〈オーガ〉は大鉈を持った腕を目一杯に伸ばし、さらにそのまま身体を勢いよく一回転させて自分の周囲を薙ぎ払う。明らかな牽制だが、そのせいでイースとミラは踏み込むことができない。慌てて足を止め、〈オーガ〉の出方を窺う。


「グウゥゥウウ……」


 低い唸り声を漏らしながら、〈オーガ〉もまた動きを止めて周囲を窺う。若干肩を落とした前屈姿勢で、大鉈は下に下ろしている。相変わらず殺気立つ目は、せわしなく左右に動いてイースとミラ、そして正面に立つカルミを警戒していた。その様子は、これからどう動くかを思案しているようでもある。


 しかし先に動いたのはモンスターではなく人間、それも〈オーガ〉の正面に立つカルミだった。


「咲き誇れ、〈クレマチス〉!」


 カルミが〈サイネリア〉を正面に構えたまま、そう叫ぶ。すると、〈サイネリア〉の青紫色の刀身から緑色の蔦が生えてきて、彼女の右腕に沿って伸びていく。蔦は彼女の右肩の辺りまで伸び、さらには葉が萌え出てきて、最後には真ん中に赤紫色の筋を持つ白いクレマチスの花を咲かせた。


 もちろん本物ではない。その証拠に蔦も葉も花も全て半透明で、しかも淡く光を放って輝いている。身体に淡く輝くクレマチスの花を咲かせたカルミの姿は、まるでその華を身に纏って装備しているかのようだった。後に人々は彼女のこの状態を〈装華状態〉と呼ぶようになる。


「はぁぁぁあああ!!」


 身体にクレマチスの花を咲かせたカルミは、裂帛の声を上げながら〈オーガ〉に向かって鋭く踏み込んでいく。彼女が振るうガラスにも似た青紫色の刃を、〈オーガ〉の大鉈が受け止める。


 カルミの腕にはクレマチスの蔦が捲きついているが、それが彼女の動きを阻害することはない。それどころか彼女の動きはいつもよりキレがあるようにさえ見えた。実際、彼女は巨躯を持つ〈オーガ〉相手に一歩も引かず、真正面から攻め立てて互角の剣戟を演じている。しかも彼女はその動きを止めない。つまり集気法を使って烈を補充するために一度下がるという事をしないのだ。


 これこそ、〈サイネリア〉の一つ目の能力〈クレマチス〉の効果である。カルミの身体に咲いた淡く輝くクレマチスの花は、大気中のマナを自動的に吸収して烈を練り上げ供給してくれるのである。つまり〈クレマチス〉を発動している間、カルミはほぼ無制限に闘術を使い続けることができるのだ。


 その無制限の烈に物言わせ、カルミは苛烈に〈オーガ〉を攻め立てる。趨勢の天秤は徐々に彼女に傾いていった。そしてついに彼女の一撃が〈オーガ〉の体勢を崩し、さらに後ろに二歩三歩と後退させる。自分より遥かに小さい相手に後退させられたのが信じられないのか、〈オーガ〉が一瞬動きを止めた。


 その隙を逃さず、イースとミラが動く。二人はそれぞれの得物に十分な烈を込めて〈オーガ〉に打ちかかった。そしてイースは〈オーガ〉の左足に、ミラは右の脇腹にそれぞれ一撃を加える。〈オーガ〉は慌てたように大鉈を振り回すが、二人はすぐに後退してダメージを受けない。無理に動いた〈オーガ〉は、足に攻撃を受けたせいもあるのか、直立することが出来ずに広場の床に片膝を付いた。


 そこへ、カルミが一気に間合いを詰める。〈オーガ〉が大鉈を振るうが、彼女はそれをサイドステップで回避し、さらにそのまま相手の側面へ回り込む。そして無防備にさらされた肩口の下辺りに〈サイネリア〉を突き刺す。


「狂い咲け、〈ハーデンベルギア〉!」


 狂い咲けと命じられたその言葉の通り、〈サイネリア〉の刀身から勢いよく蔓が伸びて〈オーガ〉の身体を覆っていく。そして葉が出てきて青いハーデンベルギアの花が咲く。その花はやはり淡い光を放っていたのだが、その光はすぐに強い輝きに変わっていく。


「グ、グオオオオオオォォ!!」


 ハーデンベルギアが強い輝きを放つと、〈オーガ〉は苦悶の声を上げた。身体に咲いたハーデンベルギアが〈オーガ〉を構成するマナを奪い取って大気中に放出しているのだ。これが〈サイネリア〉の二つ目の能力〈ハーデンベルギア〉である。対モンスター用としては非常に優秀で、ほとんど天敵じみた能力と言っていいだろう。なにしろモンスターの存在を喰い尽くす、あるいは解体してしまう能力なのだから。


〈オーガ〉は身体をよじって逃れようとするが、しかし身体に捲きつく蔓がその動きを封じている。やがて身体そのものが淡い燐光と化し、そして拡散して消えた。〈オーガ〉が消えると同時に、宿主を失ったハーデンベルギアもまた消える。後には魔石が一つだけ残っている。どうやら、ドロップアイテムはないらしい。


「ふう」


 カルミは一つ息を吐くと、〈クレマチス〉を消して〈サイネリア〉を鞘に収めた。そして〈オーガ〉が残した魔石を回収する。そんな彼女のもとにイースとミラが駆け寄ってくる。


「やったな」


 イースとミラはそう言って笑顔を浮かべながら右手を掲げてみせる。カルミもまた笑顔を浮かべ、そして二人とハイタッチをかわした。


 それから三人は後衛と合流してさらに先を目指す。彼女たちの攻略は順調だった。



▽▲▽▲▽▲▽



「それじゃあ随分遅くなっちゃいましたけど、カルミ先輩たちの実技要件達成を祝して、乾杯!!」


 陽気な後輩の一人が音頭を取った合図にあわせ、カルミは満面の笑みでガラスのコップを掲げた。ちなみに中身は甘いカクテルだ。辛いお酒と苦いお酒は苦手なのである。そのカクテルを一口飲むと、カルミはさっそくテーブルの上に並べられた料理に手を伸ばした。店内のあちらこちらで同じようにして、ノートルベル学園武術科の学生たちが料理に手をつけ始めている。


 今日は、カルミたちのパーティーが卒業のための実技要件を達成したお祝いだ。この実技要件さえ達成してしまえば、武術科の卒業はほぼ決まったと言っていい。それを祝うため、カルミの所属する学内ギルド〈叡智の女神(ミネルヴァ)〉が居酒屋を一軒貸し切って祝賀会を開いてくれたのである。


 ただし、〈叡智の女神〉に所属する全ての学生が実技要件を達成したときに、こうして祝賀会を開いているわけではない。毎年決まって開かれているのは、卒業式の後の打ち上げだけである。


 ではなぜ今日カルミたちの祝賀会が開かれたのかと言うと、彼女たちが〈エリート〉になったからだった。〈叡智の女神〉から〈エリート〉が出るのは、〈赤薔薇の騎士〉ことヴィレッタ・レガロが率いたパーティー以来で、実に四年ぶりのことである。


 そのころカルミはまだ学内ギルドには入っておらず、こうして祝賀会に出るのは初めてだった。しかもその初めてで自分が祝われる側になったというのが、彼女にはなんともこそばゆい。


「カルミ、おめでとう」


 店内に散ってそれぞれ楽しんでいるパーティーメンバーたちと同じく、カルミのところにもギルドのメンバーたちが祝福しにやって来る。彼女のお腹が半分くらい満ちたところでやって来たのは、ギルドマスターを務める六年生だった。普段は気さくな男子学生なのだが、「怒らせると笑顔と丁寧語が怖い」と評判である。


 ちなみに彼は惜しくも〈エリート〉にはなれなかったが、しかしすでに実技要件は達成しており、それどころか就職先も決まっている。順調にエリート街道を歩いていると言って良いだろう。


「あ、ギルマス。ありがとうございます」


「ああ、気にしないで食べろ食べろ。今日はカルミたちのお祝いなんだから」


 慌てて立ち上がろうとしたカルミを、ギルドマスターの男子学生は苦笑しながら手で制し、そして空いている近くの椅子に座った。それから琥珀色の液体が三分の一ほど入っているグラスをカルミに向かって差し出す。彼女も自分のコップを掲げ、二人は乾杯をかわした。そしてお互いに自分のグラスの中身を少しだけ飲む。


「それにしても、悪かったな。祝賀会がこんなに遅くなってしまって」


「仕方ありませんよ、忙しかったんですから」


〈エリート〉というのは、五年生の年が変わる前までに実技要件を達成した学生のことを指す。つまりカルミたちが実技要件を達成したのは新年を迎える前のことだった。しかしそのころはと言うと、学園祭の準備で彼女を含めたギルドの幹部たちは死ぬほど忙しく、とてもではないが祝賀会などやっている余裕はなかった。そして諸々重なって先延ばしにしている内に、いつの間にか四月になってしまったのである。


「おかげで六年もほぼ全員参加できた。俺たちにとっちゃ就職の内定祝いだな」


 そう言ってギルドマスターは笑った。確かに祝賀会が四月までずれ込んだのは六年生の就職活動が終わるのを待っていたからでもある。どうせなら兼ねてしまえ、とそう言うわけだ。


 ただし、名目はあくまでもカルミたちの祝賀会なので、御代は彼女たち以外できっちり割りカンである。ただ、OBから幾らかカンパを貰っているようなので、好きなだけ食べても高額負担になるということはないだろう。もちろん、お店の価格帯も学生向けである。


「……そうそう、次のギルマスだけど、カルミで決まりだから」


「はい!?」


 しばらく二人で料理をつつきながら雑談していると、突然ギルドマスターがそんなことを言い出した。カルミにとっては寝耳に水の話で、思わず声が裏返った。


 確かに新しいギルドマスターは毎年幹部の中から選ばれるのが通例で、カルミはその候補の一人ではある。しかし彼女の他にも幹部はいる。それこそ、名家の出身の学生もいるのだ。訓練生上がりの、つまり孤児の彼女にその椅子が回ってくるなど、まったく考えてもいなかった。こう言っては何だが、もっとふさわしい人がいるのではないかとカルミは思った。


「いやいや。〈エリート〉になった、ってだけで十分だから。他の幹部連中の了解もすでに取ってある」


「わたしは何も聞いていないんですけど!?」


「だってお前断りそうじゃん」


 まずは外堀を埋めておかないとな、とそう言ってギルドマスターの男子学生は笑った。そして空になっていたカルミのグラスにビールを注ぎながらこう付け加える。


「ま、ギルマスなんてそんなに大変じゃないさ。仕事なんて幹部連中に割り振っておけばいい。そもそも六年なんて半分引退しているような感じなんだ。ギルマスだってそれは変わらんよ」


 ただ、学内ギルドはOBを通じて外部のギルドとパイプを持っている。そして窓口の役割を担うことが多くなるのは他でもないギルドマスター。言ってみれば顔役だ。そして顔役は見栄えがいい方が良い。だから〈エリート〉などは最高であるといえるのだ。


「ま、そういうわけだから。よろしくな」


「それ、決定なんですかぁ?」


 自信がないです、と泣き言をいうカルミ。ギルドマスターはそんな彼女の肩を優しく叩き、ニッコリと笑みを浮かべながら「決定です」と言い切った。それを聞いてカルミはガックリ項垂れる。「丁寧語を使うギルマスには逆らうな」。これ、今年の〈叡智の女神〉における不文律である。


「コレも就活だよ、就活」


 そう言ってギルドマスターは楽しそうに笑う。実際、ギルドマスターになれば外部のギルドの偉い人たちと話をする機会が多くなる。言ってみればコネができるわけで、就職活動をするときには非常に有利といえるだろう。まあ、〈エリート〉になったカルミにその優位性が今更必要なのかは疑問だが。


「はあ……」


 ため息と一緒に諦めを吐き出し、カルミはグラスに注がれたビールを飲み干す。苦い。やっぱり苦いお酒は苦手だった。


 騒ぎが起きたのはそれからしばらくしてのことだった。貸切りのはずの店内に、〈叡智の女神〉のメンバーではない男子学生が入ってきたのである。制服からして武術科の学生だろう。しかしその学生は少し様子がおかしい。それに気づいた店員が、「今日は貸切りなので」と言ってやんわりと退出を促す。その店員を、彼は力一杯に突き飛ばした。


 賑やかだった店内が、一瞬にして静まり返る。その中で男子学生が「あああああ!!」と獣じみた声を上げた。明らかに普通ではない。


 すぐさま、〈叡智の女神〉のメンバーが動いた。アルコールが入っているとはいえ、彼らは武芸者だ。集気法を使って身体能力を強化し、乱入してきた男子学生を取り押さえようとする。しかし三人がかりで飛び掛った彼らを、男子学生は力ずくで振り払い投げ飛ばしてしまう。投げ飛ばされた一人がぶつかってテーブルが倒れ、上に載せられていたお皿やコップが下に落ちて割れ、また料理が散乱した。


(アレ……、おかしい、おかしいよ……)


 騒然とする店内で、カルミは目の前で起こったことが理解できずに混乱する。乱入してきた男子学生は、取り押さえようとしたメンバー三人を力ずくで振り払い投げ飛ばした。それが今、目の前で起こった出来事だ。だが、三人は集気法を使って身体能力を強化していた。その三人を力任せに振り払えたということは、あの男子学生は彼ら以上の身体能力強化をしていたことになる。


 しかし、そんなことは普通ありえない。なぜなら、ここは迷宮の外だからだ。迷宮の外はマナの濃度が薄く、そのため身体能力強化は低いレベルで頭打ちになる。あれほど強い強化を施すことはできない、はずなのだ。


 だが現実にあの男子学生はメンバー三人を投げ飛ばした。どうやってそんなことをしたのか。その答えはすぐに明らかになった。男子学生がポケットからあるモノを取り出したのである。それは……。


「魔石!?」


 思わずカルミは声を上げた。男子学生が取り出したもの、それは魔石だった。目測だが、恐らくは五階層相当の魔石である。


 魔石を握り締めた男子学生は、次の瞬間叫び声を上げながら大きく身体を仰け反らせる。外法を使ったのだ、と誰もが理解できた。それを肯定するかのように、彼の手からマナを抽出した後の魔石、黒石がこぼれ落ちる。


「あ゛あ゛、あ゛あ゛……、あ゛あ゛」


 前かがみになりながら、男子学生は肩を上下させて荒い息を吐く。その口元からはよだれが垂れている。しかし彼の目だけは爛々と好戦的に輝いている。その尋常ではない様子に、〈叡智の女神〉のメンバーたちも気圧される。


「アイツは……、前にウチにいた……?」


 乱入して来た男子学生を見たギルドマスターが、警戒しながら眉間にシワを寄せてそう呟く。その呟きを聞いて、カルミもまた件の男子学生に見覚えがあることを思い出す。一時期〈叡智の女神〉に所属していたことのある彼女の同級生。名前は確か……。


「ナクタ、……ロマリス?」


 最近は座学の講義にもあまり顔を出さないので忘れかけていたが、間違いない。「そのナクタがなぜこんなことを」とカルミが考えていると、その彼の視線が彼女を捉えた。彼の口の端が、“ニィィ”と引きつるようにして広がる。同時にカルミの頬も引きつった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 ナクタが叫び声を上げながらカルミに迫る。しかも腰間に差した剣を抜いて。武芸者が普段から得物を持ち歩いているのは決して珍しくないが、しかし街中で振り回した挙句に流血沙汰を起こせば問答無用で逮捕される。つまり、立派な犯罪行為だ。今のナクタにその意識があるのかは疑問だが、しかし剣を抜いた時点でもう言い逃れはできない。これはもう「乱闘騒ぎ」などではなく立派な「襲撃事件」である。


(もしかして、最初からこのつもりだった……?)


 そんなことを考えながら、カルミは振り下ろされた剣を避ける。テーブルが真っ二つにされ、上に乗っていたものが床にぶちまけられた。カルミがさっきまで食べていたミルクレープをナクタの足が踏み潰す。


「ああ!? もう!」


 食べ物を粗末にされた怒りもあって、カルミは苛ただしげな顔をしながら〈サイネリア〉を鞘から引き抜いた。今店内にいるのは〈叡智の女神〉のメンバーであり、皆武芸者だ。しかし今日は祝賀会と言うことで、得物を持って来ているのはカルミしかいない。彼女が〈サイネリア〉を持ってきたのはそれが自分の個人能力だったからだが、なんにしても武器を持っている彼女がナクタの相手をするしかない。


 それに、そもそもナクタの狙いはカルミのようだった。同じく剣を避けて飛び退いたギルドマスターには目もくれず、彼はただカルミにその殺気でギラつく目を向ける。その目は彼女になぜかモンスターを連想させた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 ナクタが再び叫び声を上げながらカルミに斬りかかる。その動きは確かに速い。外法を使っただけあって、強化の度合いは頭三つ分くらいは違いそうだ。受け止めたとしても押し切られるだろう。


 しかし錯乱していることもあり、ナクタの動きは乱雑だった。カルミは集中力を極限まで高めて彼の斬撃を受け流し、そのまま滑らかな動きで懐にもぐりこむ。そして〈サイネリア〉の柄でナクタの左の太腿を打つ。だが流石に強化の度合いが桁違いである。彼は体勢を崩すことさえしなかった。しかしカルミが狙っていたのは、〈サイネリア〉を彼の身体に接触させること、ただそれだけである。


「〈ハーデンベルギア〉!」


 カルミが叫ぶと、すぐに〈サイネリア〉の柄から蔓が伸びてナクタの左足を覆う。そしてハーデンベルギアの花が咲くと、彼の身体から外法で得たマナを奪って大気中へと放出していく。


「がああああああ!?」


 強制的にマナを奪われているせいなのか、ナクタが絶叫を上げる。そして〈ハーデンベルギア〉が外法で得たマナを全て外へ放出して消えるのと同時に、彼もまた意識を失った。


「おっと」


 崩れ落ちるナクタの身体を、カルミは左手で支えた。彼が意識を失ったことで、店内の空気がようやく弛緩する。駆け寄ってきたメンバーにナクタの身体を預けると、カルミは〈サイネリア〉を鞘に戻した。


 ただし、これで一件落着とはいかなかった。彼女がそれを知るのは、数日後のことである。


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