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帝国の興亡4

 アーカーシャ帝国が最初の地方都市を得てから、およそ一五〇年の月日が経過した。この間、帝国は新たに十一の都市国家を征服して配下に加え、合計で十四の都市とその周辺を版図とした。


 アーカーシャ帝国の国是は、一言で言ってしまえば「差別」だった。帝国は帝都と大公領に住む人々を優遇し、地方都市の人々を差別した。ただ、都市間の人の移動が多くないと言うこの世界特有の事情が、差別によって引き起こされる問題の数を少なくした。しかしだからこそ、長きに渡ってこの差別が固定化されたとも言える。


『平等な都市を造ろう』


 かつてアルクレイド・アーカーシャはそう言った。人の生まれや立場はそれぞれ違っていて、それはある面で不平等なことだ。しかしその不平等さは人間の力だけではどうしようもない。だからせめて平等にチャンスを得られる、そんな都市を造ろう。それがアルクレイドの理想であり、そしてアーカーシャの理念だった。


 しかしその理念はもはや崩れ去ってしまった。いや、こういうべきか。その理念が適用されるのは帝都と大公領だけだった、と。少なくともセイルハルト・クーレンズの目からは、アーカーシャ帝国が彼の親友の理想を追求しているようには見えなかった。


 それが、セイルには苦い。なまじ、「理想が実現した」と言えるその時代を知っているからこそ、現状を目の当たりにするとき苦さがこみ上げてくる。しかも地方都市の差別を国是とする帝国の頂点に立っているのはアルクレイド・アーカーシャの子孫であり、帝位の証としてジフニス・ボルニが残した魔剣〈デュランダル〉を持っているのだ。二人の親友を汚してしまったかのような、そんな気分にさえなった。


 何かしなければいけない。しかしそうは言っても、セイルは何をすれば良いのか分からなかった。アーカーシャは巨大になり、もう彼の手を離れてしまっているのだ。誰よりも強大な力を持つはずの長命種(メトセラ)セイルハルト・クーレンズは、この時無力感の只中にいた。



▽▲▽▲▽▲▽



 あるよく晴れた日のこと、セイルとメリアージュは連れ立って買い物をしていた。所謂、「買い物デート」と言うやつである。もともと二人は師弟関係だったが、一五〇年と言う時間を一緒に過ごすうちにその関係も少しずつ変化し、今では恋人同士になっていた。


 セイルとメリアージュが連れ立って歩くその様子に、街の人々の視線が自然と二人に集まる。そもそも長命種である二人は帝都では有名人。おまけに文句なしの美男美女となれば、その人気はとどまるところを知らない。公認のファンクラブまであった。ただし、公認しているのは本人たちではなく帝国政府だが。


 二人が回っているのは食料品を扱っている店だった。一つ一つ食材を吟味しつつ、どんな料理にして食べようかと楽しげに相談しながら二人は買い物をしていく。メリアージュが料理上手であることは帝都でも知られており、二人の様子に違和感を覚えるものはいない。


 小さな事件が起こったのは、二人が八百屋の店先に並べられた野菜を見ていた時のことである。五、六歳であろうか、一人の浮浪児が店の影から飛び出し、セイルが持っていた買い物袋の中から素早くリンゴを一つせしめて逃げていったのである。


「泥棒だ!!」


 すぐに誰かがそう叫んだ。セイルとメリアージュの二人は常に多くの視線を集めている。だからその浮浪児がセイルからリンゴを盗んで逃げた様子も多くの人が見ていたのだ。周りの人々が騒ぎ出すなかで、しかし当の二人はまったく慌てた様子を見せない。それどころかメリアージュは呆れたようにセイルにこう言った。


「気づいていたんでしょう?」


 メリアージュは最初からあの浮浪児が店の影にいてこちらを窺っていることに気づいていた。彼女が気づいていたのだ。セイルが気づいていないはずがない。しかし彼は飄々と肩をすくめる。


「さて何のことやら」


 しらばっくれるセイルをメリアージュは軽く睨みつける。しかしその程度では彼の鉄面皮は貫けない。結局、彼女の方が先に諦め、メリアージュはこれ見よがしに深々とため息を付いた。


「……まあいいわ。それより早く追いましょう」


「リンゴの一つくらいあげれば良いじゃないか」


「……セイル、それで済むと思っているの?」


 そう言ってメリアージュはセイルのことをさっきより強く睨み付けた。流石にそれをはぐらかすわけにもいかず、セイルは苦笑しながら両手を上げる。そして二人はリンゴを盗んだ子供の後を追い始めた。既に姿は見えなくなっていたが、幸いどこにいるのかはすぐに分かった。大きな怒鳴り声が聞こえてきたのである。


「このクソ餓鬼!! あのお二人から物を盗むとはな!?」


 二人が件の子供を見つけたとき、その子供は裏通りの道の上に蹲っていて、その子供に対して衛士が槍を振り上げているという、そういう状況だった。血走った目をした衛士が何の躊躇もなく振り下ろそうとするその槍を、セイルが片手で掴んで止める。


「止めなよ、子供相手にさ」


「邪魔をする、な……!?」


 今まさに下そうとしていた“懲罰”を止められ、その衛士は猛然と後ろを振り返る。だがそこに他でもないセイルの姿を認めると、彼の言葉は急速に萎んでいった。その隙にメリアージュは蹲っていた子供を抱き上げる。やせ細ってはいるが、どうやら女の子のようだ。


「しかしですね、セイルハルト様。この餓鬼は貴方の物を盗んで……!」


「その子は何も盗んでないよ。そのリンゴはその子にあげたんだ」


 セイルがそう言っても、その衛士はまだどこか納得できない顔をしていた。そんな衛士をセイルは何とか宥めてその場を収める。最敬礼を残してその場を後にする衛士の背中を、彼はどこか苦い思いを感じながら見送った。


 衛士が子供に対して強硬な態度を取ったのは、その子供が尊敬する〈アーカーシャの守護騎士〉からリンゴを盗んだから、だけではない。恐らくはその子供が二等市民、つまり被征服民だったからだ。先程のあの光景は、帝国の歪みが垣間見えた瞬間と言っていいだろう。


(まったく、嫌になるね……)


 セイルは心のなかでそう愚痴った。こんなモノのためにアーカーシャは生まれたわけではない。そう思うと怒りがこみ上げてくる。しかしそれ以上に、この状況の責任の少なくとも一端を負い、それなのに何もしないでいる自分自身にセイルは嫌気がさす。


 衛士の後姿が見えなくなると、セイルは軽く頭を振って気分を変える。振り返ってみると、メリアージュが抱きかかえた子供にリンゴを食べさせているところだった。彼女の顔に浮かんでいるのは、間違いなく母性である。


「さてと。その子、どうしようか?」


 何となくこの先の展開は読めていたが、セイルはあえてそう尋ねた。それに対し、メリアージュはやはりこう答える。


「放り出すわけにもいかないし、わたしが面倒を見るわ」


 予想通りのその答えにセイルは苦笑した。確かに腕に抱いている子供一人だけならば、メリアージュは十分に面倒を見ていけるだろう。しかし、これはそういう問題ではないのだ。


「その子と同じような境遇の子供は沢山いる。その全てを、君は救えるのかい?」


 もちろん救えるわけがない。ならば一人助けたところでそれは自己満足に過ぎず、そういう無責任な行動は止めた方がいい。そういうニュアンスを含ませ、セイルはメリアージュに問いかけた。


「そんなこと、言われなくたって分かっているわ」


 意外にも、メリアージュはセイルの目を真っ直ぐに見据え真剣な顔をしながらそう答えた。しかしそう答えつつも、彼女は腕に抱いた子供を下におろそうとはしない。そしてその子を腕に抱いたまま、彼女はさらにこう言葉を続けた。


「だけど、それは誰かを救おうとして実際に行動している人が言うべき台詞よ。そうじゃないと、それこそ何もしないでいるための言い訳にしか聞こえないわ」


 メリアージュのその言葉はセイルに大きな衝撃を与えた。「何もしないでいるための言い訳」。自分はまさにその言い訳を繰り返してきたのではないだろうか。彼はそんなふうに思った。


 思えばアルクレイドが「人は不平等だ」と口にしても、その言葉に嫌味を感じることはなかった。それはきっと、彼がどうしようもない不平等を目の当たりにしてもなお、平等な社会を夢見て行動していたからなのだろう。


 確かに人は一人では何もできない。しかしだからこそ、それを何もしないでいるための言い訳にしてはならない。一人では何もできないからこそ、皆で協力するのだ。アルクレイドはそうやってアーカーシャを建国したのではなかっただろうか。


「ああ、そうだね……」


 結局、セイルはその子供を引き取って育てることに同意した。その子供の名はシードル・エスカンシアールと言った。後にセイルの右腕となり、〈エグゼリオ〉の都市建設において重要な役割を果たす、その女性である。


 メリアージュはシードルのことを可愛がった。猫可愛がりした、と言ってもいい。子育てなど初めてのことだったが、屋敷のメイドたちの力も借りながら彼女はその子供にありったけの愛情を注いだ。勉強を教え、料理を教え、武術を教えた。その甲斐もあって、シードルは笑顔を取り戻して健やかに育った。


 セイルとメリアージュの力を借りてではあったが、シードルは二十八のときに長命種として覚醒した。アーカーシャ帝国にとっては三人目の長命種である。


 シードルのこの二十八という年齢は、メリアージュにとってはもしかしたら誤算だったかもしれない。彼女は十七のときに長命種として覚醒し、以来その時のままの外見を保っている。つまりメリアージュとシードルが並んで立つと、明らかにシードルの方が年上に見えるのだ。あと、シードルの方が身長も高い。


「お姉様!」


 シードルはメリアージュのことをそう呼んで慕った。少々過激なほどに。特にシードルの背丈がメリアージュを越えると、彼女はメリアージュのことを猫可愛がりするようになった。いくらメリアージュが「止めろ」と言っても聞きやしない。純粋に慕ってくれていることは分かるので、彼女の方も無下にはできず、結局はされるがままになった。


(どうしてこうなった……)


 後ろから抱きしめられて頬摺りされながら、メリアージュはげんなりとしてそんな事を考えたとか考えなかったとか。ただ、「お母様と呼ばれなくて良かった」というのは実際に口にしたそうである。


 閑話休題。シードルを拾った頃から、セイルは帝国を股にかけて慈善活動を行うようになった。とは言っても彼自身が何を始めたわけではなく、それぞれの都市にいる慈善活動家に資金援助を始めたのである。


 孤児院、病院、炊き出しなど、セイルは様々な分野の慈善活動に資金を援助した。そしてそうやって慈善活動を援助することは、彼の名声をさらに高める結果に繋がった。


「流石は〈アーカーシャの守護騎士〉」


 そんな声が帝国中で聞かれるようになった。そして、その名声を帝国政府は積極的に利用した。〈アーカーシャの守護騎士〉から信任を受けた政府として、各地方都市への支配の正統性を強調したのである。その信任の象徴となったのは、言うまでもなく皇帝の御佩剣たる魔剣〈デュランダル〉だ。


 しかしだからと言って帝国政府が支配の方針、つまり差別と言う国是を改めたわけではなかった。むしろ地方都市と二等市民に対する差別は徐々に酷くなっていった。もちろんそれを良しとはしない篤志家や慈善活動家はそれぞれの都市におり、セイルは彼らを引き続き資金面で援助した。


 しかし篤志家や慈善活動家たちが頑張れば頑張るほど、帝国政府は本来自分たちが行うべき仕事を放棄していくようにセイルには見えた。それらの者たちが頑張っているから、政府が無茶をしようとも国は存続していける。そういう状態だった。


 そのような状態のなかで活動を続けたセイルは、いつしか疲労感と諦念にまみれるようになっていた。どれだけ努力し行動しようとも変わることのない、いや悪くなり続ける現実に彼の心は磨り減っていったのである。そんな彼を見かねたメリアージュは、ついにこう言った。


「どうにもならないものにいつまで拘っているの!?」


 その言葉を残し、メリアージュは恋人だったセイルの下を去った。決して彼に愛想を尽かしたわけではない。むしろ愛想を尽かしていなかったからこそ、彼女はセイルの下を去ったのである。


『早く吹っ切れ』


 メリアージュがいなくなった部屋のなかで、セイルは彼女のその声を聞いた気がした。胸にぽっかりと大きな穴が空いたように感じたが、その穴からは清々しい風が吹き込んでくるようにも感じた。


「…………お姉様は行ってしまわれたのですね」


「…………シードルは付いていかなかったのかい?」


 メリアージュが出て行ったとき、セイルはその気配に気づいていた。というより、メリアージュ自身に隠す気がなかったように思える。当然シードルも気づいていたはずで、付いて行こうと思えばできたはずだ。


「……私がいるからお姉様は心置きなく出て行くことができた。そう思うのは傲慢でしょうか?」


「いや……。迷惑をかけるね」


 セイルはそう言って薄く苦笑を浮かべた。その数日後、セイルは家の者たちに手紙と多額の金を残し、シードルを連れてアーカーシャを去った。


 アーカーシャを去ったセイルとシードルは世界中の都市国家を旅して回った。富める都市もあれば、貧しい都市もあった。迷宮(ダンジョン)を持つ都市、持たない都市。新しい都市も、古い都市も、滅んでしまった都市もあった。そうやって様々な都市を巡る中で、セイルは各地の長命種たちと誼を得るようになり、それはエグゼリオの建設へと繋がっていくことになる。


 さて、そうやって世界中を旅して回っていても、セイルの心の少なくとも一部は常にアーカーシャのことを考えていた。ただ、その旅を通して彼のアーカーシャに対する考え方は徐々に変わっていくことになる。


「アーカーシャは巨大になりすぎた」


 セイルはそんなふうに思った。「この世界に〈国〉という統治単位はまだ早すぎたのだ」と考えるようになったのだ。


 この時代、この世界において都市間の交流・交易は決して盛んとはいえない状態だった。各都市は基本的に自給自足であり、またそうでなければ立ち行かない。都市間の距離が大きく、またその間に村など人間の生活圏が存在しないことが多いのも、交流・交易が盛んにならない理由の一つだろう。


 端的に言えば、国が誕生するほど人間の生活圏はまだこの世界に広がってはいない、と言うことなのだろう。未攻略の迷宮はいまだ各地に存在している。つまり新たな都市が生まれる余地はまだ大きく残されているのだ。国が誕生するのは人間の生活圏がもっと広がり、それぞれの生活圏が密接につながって一体化してからなのではないだろうか。セイルはそう考えた。


 その考えからいくと、アーカーシャは幾つもの段階をすっ飛ばして帝国になってしまった、と言える。そのことが、今の帝国を歪にした原因の一つなのかもしれない。


 歪、そう歪なのだ。今のアーカーシャ帝国は。〈国〉という単位になってしまったこともそうだが、それ以上にやはり差別を国是とする支配形態が歪だった。帝国の内部で差別が行われるということは、言ってみれば自分で自分を虐げているのと同じだ。だが今のアーカーシャにその意識はないだろう。それはつまり、地方都市に対する責任を負わず、ただ搾取のみを行っているということだ。


 それはもはや国ですらない。制度化された強盗、どんなによく言っても飼い殺しである。アーカーシャ帝国を外から眺めたセイルは、そんなふうに思うようになった。


 しかし、そう思うようになってなお、セイルは自分の手でアーカーシャ帝国を打ち倒すことはできなかった。どうしてもアルクレイドとジフニスの顔がよぎるのである。今の帝国は二人が望んだ姿ではない。それが分かっていてなお、セイルは動くことができなかった。


 そしてセイルは〈エグゼリオ〉の建設を始めた。場所は帝国の勢力圏に程近い未開の森のど真ん中。「未攻略の迷宮があったから」というのがこの場所を選んだ理由だが、セイルが口に出さないもう一つの理由に恐らくはシードルだけが気づいていた。


 バラバラに暮らしているために孤立しがちな長命種のための都市。それがセイルの掲げたエグゼリオの理念だった。その理念に嘘偽りはない。しかしそれが全てではなかった。


 セイルは自分で自分の外堀を埋めようとしていたのだ、とシードルは思う。アーカーシャに関わるための理由、あるいは拠点としてエグゼリオを建設しようとしたのである。実際エグゼリオの建設を始めてから、セイルはアーカーシャ中の地方都市に存在するレジスタンスにアダマンダイトを供給するようになった。反乱の火種にせっせと薪をくべていったのである。


 そしてついに、その火種の一つが大火へと発展した。エグゼリオにも近い地方都市〈ベトエイム〉における反乱である。


 レジスタンスが行動を起こす前に騎士団が甚大な被害をだした事件もあり、その都市は瞬く間にレジスタンス改めベトエイム解放戦線によって占拠された。騎士団は崩壊、総督は即日処刑された。


 この反乱をアーカーシャ帝国政府が黙って見逃すはずが無い。帝国はすぐさま近隣の三つの地方都市に対してベトエイムの討伐命令を下した。戦力差は単純に考えて一対三。ベトエイムの反乱はこれで終結すると、帝都の誰もが考えていた。


 しかし、ベトエイムは勝った。いや、こう言おう。討伐軍は負けた。敗因は明白である。功を焦ったそれら三つの部隊は足並みが揃わず、順次到着した順に戦いを挑み、そして順番に負けたのである。ベトエイムは三倍の敵を相手に戦うのではなく、ほぼ同数の敵を相手に三回戦えばよかったのである。この場合、遠征してきた相手を待ち構えるベトエイムの方が有利であることは言うまでもない。


 第一次討伐軍の敗北を受け、今度は帝都アーカーシャから中核となる部隊が出されることになった。魔剣〈デュランダル〉を腰間に挿した皇帝アイムベイン・アーカーシャ自らが指揮を取る、〈魔導甲冑(ソーリッド・アーマー)〉を装備した騎士五〇〇からなる部隊である。これを中核として、さらに各地方都市からも部隊が集められ、総勢三〇〇〇という軍勢が組織された。


 例えば都市国家カーラルヒスの人口がおよそ五万であることを考えると、この三〇〇〇という軍勢は大軍だった。一つの都市国家を屈服させるのに十分な戦力である。


 実際のところ、帝国軍はベトエイムを屈服させる気などなかった。壊滅させて滅ぼすつもりだったのである。ベトエイムを焼き払って更地とし、その住民を絶滅させ、これを持って見せしめとし、国内の不穏分子を震え上がらせて反乱の芽を摘む。それが帝国軍を率いるアイムベインの目的だった。


 だが、アイムベインがその目的を達成することはなかった。それどころか、第二次討伐軍はベトエイムに到着することすらなかったのである。帝国軍はその遠征の途中、一体の〈キメラ〉に襲われたのである。


 その〈キメラ〉により、帝国軍は戦力のおよそ四割を失った。事実上の壊滅である。生き残った兵士たちはバラバラに逃げ出し、これによって第二次討伐軍という組織は消えてなくなった。


 致命的だったのは、この時に皇帝アイムベインが戦死していたことである。さらにその御佩剣たる魔剣〈デュランダル〉が回収されることなく紛失した。このために次の皇帝を決めることができず、帝国は一気に混迷の度合いを深めることになった。


 各地方都市では反乱と独立が相次いだ。皇帝不在の帝国はその反乱を鎮めることができず、次々に支配領域を失っていった。この時点でアーカーシャ帝国は事実上崩壊したといっていい。


 帝国の滅亡が確定的になったのは、帝都アーカーシャが大公率いるルーツェンメルトの部隊によって征服された瞬間であろう。帝都を掌握した大公は、全ての地方都市の独立を承認した。その瞬間アーカーシャ帝国は滅び、帝都アーカーシャは都市国家としての主権さえも失って再びルーツェンメルトの宗主権を認める一介の都市となったのである。


 その凋落を、しかし帝都の人々は望んで受け入れた。次期皇帝を決めるための争いにより、アーカーシャはもはや内戦状態になっていたのである。そもそも、わざわざ大公が軍を起こしたのは、その内戦がルーツェンメルトに飛び火するのを防ぐためだった。なお、このおよそ一〇〇年後、アーカーシャは主権を取り戻し、都市国家として二度目の船出を向かえることになる。


 こうしてアーカーシャ帝国は興り、そして滅亡したのである。



▽▲▽▲▽▲▽



「グオオオオオオオオ!!!」


 一匹の〈キメラ〉が雄叫びを上げている。そのキメラの周辺には多くの屍が転がり、大地は血で染まっていた。キメラは天に向かって何度も雄叫びを上げていたが、やがて自分の周りに転がる屍を喰らい始める。獣が人を喰う様は、それを見る者に絶望を与えるだろう。


 しかし、そんな絶望などまるで斟酌しない者が一人、いや二人。彼らはキメラが暴れまわった凄惨な戦場を顔色一つ変えることなく、その内の一人はむしろ楽しげに歩く。そして彼らは豪奢な〈魔導甲冑〉を着た死体に近づくと、その死体が握っていた一本の剣を取り上げた。


「はは、見たまえ、レイヴン。これがかの魔剣〈デュランダル〉だ」


 そう言って〈御伽噺〉は自分の後ろにつき従う青年に〈デュランダル〉を掲げてみせる。それに対して青年、〈シャドー・レイヴン〉は一言「おめでとうございます」と言って折り目正しく一礼して見せた。


 皇帝アイムベイン率いる帝国軍三〇〇〇に対してキメラをけしかけたのは、他でもない〈御伽噺〉だった。目的は二つ。キメラの性能を確かめることと、この魔剣〈デュランダル〉の回収だ。その二つの目的はこうして無事に達成され、彼は大いに満足だった。


 ――――しかしその瞬間、光が爆ぜた。


 突然の閃光と暴風に、二人は腕で顔を覆う。その閃光と暴風が収まると、キメラが消し飛んでいた。そしてその爆心地の上空には、天馬に跨る一人の騎士。その姿を認めると、〈御伽噺〉はむしろ楽しげに「おやおや」と呟いた。そんな彼を庇うようにして〈シャドー・レイヴン〉が一歩前に出る。


「〈デュランダル〉は返してもらおうか、〈御伽噺〉」


「……なんとなく、君も来るような気がしていたよ。〈守護騎士〉」


 二人の長命種はそう言葉を交わすと、静かに睨みあった。先に音をあげたのは〈御伽噺〉の方である。彼はおどけたように両手を上げ、苦笑しながらこう言った。


「分かった分かった。私の負けだ。これは諦めるとしよう」


 そう言って〈御伽噺〉は〈デュランダル〉を地面に突き刺して手放した。しかしそのまま立ち去ろうとはせず、もう一度セイルの方に視線を向けた。


「ただ、一つ聞かせてもらいたい」


「……なんだ?」


「一体いつから見ていたんだね?」


「最初から、だ」


 少しだけ苦さの滲むその返答を聞くと、〈御伽噺〉は満足したように「なるほど」と言い残してその場を去った。〈御伽噺〉と〈シャドー・レイヴン〉がその場を去ると、セイルは地上に降りて〈デュランダル〉を回収する。久方ぶりに手にする、友が残した剣。その重さに、セイルは少しだけ顔をしかめた。


「……レイド、ジフ。もう一度、もう一度だ」


 死んでしまった親友たちの名前を呼びながら、セイルはそう呟いた。これでアーカーシャ帝国は滅ぶだろう。しかし都市としてのアーカーシャは生き残る。そして再出発をするのだ。


 もう一度あの理想を、とは言わない。むしろ、もうアーカーシャに建国の三英雄は不要なのだと思う。


 ただ、もう一度と願うことが許されるのであれば。


 ――――もう一度、あの都市が笑顔で満ちますように。


〈アーカーシャの守護騎士〉と呼ばれた男は、空を見上げながらそう願った。


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