帝国の興亡2
「父上、アーカーシャへの嫁入りはなかったことにしてください」
「それはもう決まった話だ。我儘を言うな」
目を吊り上げて身を乗り出す娘のメリアージュに対し、ディクセリオ・フィルファスは冷たくそう言い返した。たちまち、メリアージュは目じりを釣り上げて不快げにこう言う。
「我儘? 好きでもない、しかも十以上歳の離れた男に嫁入りするのはこのわたしなのですよ? しかもわたしの知らないところでこの話は決められた。それを拒否したからと言って、それがどうして我儘になるのです!?」
「……お前がフィルファス家の娘だからだ。それ以上の理由は必要ない」
この当時、フィルファス家は都市国家ルーツェンメルトにおいて権勢を握っていた。この都市国家を統治していた、と言い換えてもいい。そしてこの時、ルーツェンメルトは大きな問題に直面していた。
この頃、ルーツェンメルトはお隣の都市国家アーカーシャから圧力をかけられていた。その主な内容は、塩の関税の引き下げである。
アーカーシャは塩の供給をルーツェンメルトに依存している。それをいいことにルーツェンメルトは塩に高い関税をかけてきた。彼らにとってそれが面白くないのはディクセリオにも理解できる。
しかしだからと言って、彼らが武力を背景に関税の引き下げを要求してきたのは悪手だった。そのせいでルーツェンメルト政府の態度は硬化してしまったのである。「塩の供給を止めてしまえ」とまで言い出す者が出る始末だった。
このままでは戦争が起こる。そして戦争が起これば、負けるのはルーツェンメルト。それがディクセリオの出した答えだった。
いや、勝ち負けなど大きな問題ではない。ひとたび戦争が起これば二つの都市の間には大きな禍根が残る。隣り合った都市の間に禍根が残れば、それは様々な問題を引き起こすだろう。戦争さえも何度となく起こるかもしれない。
その未来だけは何としても回避しなければならない。そこで出された折衝案が、アーカーシャの執政官アランゼス・アーカーシャとディクセリオの娘メリアージュ・フィルファスの結婚だった。
この婚姻により双方の都市住民の感情を和らげて戦争を回避し、また塩の関税引き下げを交渉によって実現させる。無論、アーカーシャに対しては何かしらの対価を求めることになるだろうが、その対価が彼らにとっての一方的な不利益である必要はない。お互いが納得できる結論を得るには時間がかかるだろうが、なんなら関税引き下げを先行して実施してもいい。かつてルーツェンメルトがアーカーシャの独立を認めたように、必ずや落とし所は見つけられる。
何にせよ今は時間を稼ぐことが必要。戦争だけは絶対に回避しなければならないのだ。そのためにはこの政略結婚が最善手。それがディクセリオの考えだった。
例え、その結果として娘本人の意思を無視することになったとしても、彼の考えは変わらない。フィルファス家はルーツェンメルトにおいて権力を握っている。それは同時に、この都市とその住民に対して責任を負っているということでもある。その責任は果たされなければならない。それはフィルファス家の義務であり、その義務をメリアージュもまた背負っているのだ、とディクセリオは説く。
「お前はこの家とこの都市によって養われてきた。お前の血肉はこの都市の住民の血税である。その分の義務を果たせ」
「この家とこの都市に養われてきた分は、もう既に返したはず。まだ足りぬと言うのであれば、一億だろうと十億だろうと稼いで、わたしはわたしの血肉を買い戻します。わたしの分の義務はそれで十分なはずです!」
できもしないことを、と鼻で笑うことはディクセリオにはできなかった。彼の娘は優れた武芸者であり、そしてハンターだった。才能に溢れ、その実力はもはや折り紙つきである。メリアージュが本気を出して迷宮攻略を行えば、月に稼げる額は億を軽く超える。ドロップアイテムと魔石の価格が下がりすぎるため、攻略を控えろと言わなければならなかったことがあるくらいだ。
しかしだからと言って、ここで彼女の主張を受け入れこの話を白紙撤回することなど、できるはずもない。事ここに至れば、メリアージュ・フィルファスの価値はもはや金銭で贖えるようなものではなくなっているのだ。重要なのはディクセリオ・フィルファスの娘がアーカーシャに嫁ぐことであり、そして彼の娘はメリアージュただ一人なのだから。だからこそ、ディクセリオはこう答えざるを得ない。
「……今更お前が何を言ったところで結論は変わらん。この話は終わりだ。部屋に戻りなさい」
「……父上がどうしてもそうおっしゃるのであれば、わたしはこの家を捨てます」
「なに……?」
ディクセリオの声に怒気が混じる。父のその怒気に本能的な恐れを感じながらも、メリアージュはさらにこう言い放った。
「わたしは一人でも生きていけます。この家とこの都市がわたしを縛るなら、わたしはそれを捨てますっ!」
堂々、というよりは少々ヒステリックにメリアージュはそう宣言した。しかし、いやだからこそ、その決意は本物だった。そしてその娘の言葉にディクセリオは頭を抱えた。
「まさか……、まさかここまで愚かであったとはな……。もうよい、これ以上話をしても無駄だ」
ディクセリオはそう言うと机の上にあったベルを鳴らす。すると数人の男たちが部屋の中に入ってきた。身なりは整っているが、全員身のこなしに隙がない。彼らはフィルファス家子飼いの武芸者たちだ。ディクセリオは彼らに命令を下す。
「部屋に放り込んでおけ。決して外に出すな」
「父上っ!!」
男たちに拘束された娘の叫びを、ディクセリオは無視した。そして冷たい声で「連れて行け」と言い放つ。娘が優れた武芸者であることは知っているが、しかし同時に迷宮の外では大きな力を振るえないことも知っている。メリアージュの部屋は三階で、扉の外側と窓の下に武芸者を配置しておけば逃げることもできないだろう。そうやって部屋に閉じ込めておけばそのうち頭も冷える、と彼は思っていた。
しかしディクセリオは娘の決意と実力を見誤っていた、と言わざるを得ない。およそ一時間後、彼は窓ガラスの割れる音を聞いた。「まさか」と思う彼のもとに、メリアージュを監視していた武芸者の一人が飛び込んでくる。
「お嬢様が逃亡されました!!」
「バカな……!? 一体どうやって……!?」
空を飛んで、とその武芸者は答えた。それを聞いてディクセリオはもう一度「バカな!?」と叫んだ。メリアージュに空を飛ぶ術があることは彼も知っている。しかし、それほどの力を迷宮の外で発揮できるはずが無い。それが彼の知る武芸者の常識だったはずだ。
種明かしをすれば、メリアージュは外法を使ったのである。つまり、用意しておいた魔石から直接マナを吸収したのだ。それにより、彼女は迷宮の外であっても一時的とはいえ大きな力を振るうことができたのである。
ディクセリオはすぐさま子飼いの武芸者たちにメリアージュの後を追わせた。しかしその追っ手を振り切り、彼女は迷宮の中に逃げ込んだ。そして迷宮の中に入った彼女を捕まえることは不可能だった。
メリアージュが迷宮の中に逃げ込んだことを報告されたディクセリオは、むしろ落ち着いた様子で一つ頷いた。迷宮の中で彼女を追い回す必要などない。いつまでも迷宮に潜り続けることなど、出来るはずが無いのだ。いずれは出てこなければならなくなる。後はそれを待てばいい。
ディクセリオはすぐさま〈魔導甲冑〉を装備した〈騎士〉たちに迷宮の出口を固めさせた。これでチェックメイト。メリアージュが捕まるのは時間の問題。そのはずだった。しかしディクセリオの見通しはまたしても外れる。
メリアージュ・フィルファスがルーツェンメルトの迷宮の出口に再び現れることはなかったのである。
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迷宮に逃げ込んだメリアージュは個人能力〈闇語り〉の力を駆使して迷宮の中を飛び続けた。そのうちに相当深い階層まで来てしまったようだが、彼女の実力を持ってすれば大きな危険はなかった。最初の十時間ほどは。
食料も水も、あらかじめ用意してあった。魔石を用意しておいたことも含め、これは計画的な逃亡だった。ただ、最後は感情的になって失敗してしまった。せめて夜になるまで待てばよかった。一抹の後悔を抱えながら、メリアージュは迷宮の中を彷徨う。
彼女は、疲れ果てていた。どれだけ優れた武芸者であろうとも、彼女はただの人間だ。戦い続ければ疲労はたまる。そして彼女は今一人だ。休憩することはできても、眠ることはできない。その結果疲労はたまり続け、集気法によって誤魔化せる疲労の限界は当の昔に過ぎていた。
メリアージュは迷宮の中を歩き続ける。宙を飛ばないのは、その余力がもう残っていないからだ。そのような状態でも、しかし彼女は歩みを止めない。否、止められない。なぜなら足を止めれば待っているのは死、ただそれだけだからである。
やがて水が尽き、食料が尽きた。それでもメリアージュは進む。どこかへ向かっているわけではない。強いて言えば、逃げている。朦朧とした意識の中、彼女は「動け、動け」と身体に命じ続ける。
だが、ついに限界が来る。
とある広場の一つで、彼女は倒れた。足がもつれ、前につんのめるようにして倒れた。受身を取ることができない。うつ伏せに倒れ、そのまま動かなくなった。冷たい広場の床が、なけなしの体温を奪っていくような気がした。
(死にたくない……)
メリアージュの頭の中にあったのは、それだけだった。
――――生きたいか?
突然、メリアージュの頭の中に声が響く。朦朧とする意識の中で、彼女はその声を聞いた。幻聴かと思うより早く、彼女はその声に答えていた。
(生きたい……)
――――ならば生きよ。生がそなたを殺すまで。それが、そなたと我の契約ぞ……。
声が薄れていく。その声を追うようにしてメリアージュは薄っすらと目を開けた。かすむ視界のその先で、傷ついた黒猫の姿を見た気がした。
意識を失ったメリアージュ。彼女が倒れるその広場に、硬質な足音が近づいてくる。やがて姿を現したのは、一人の騎士だった。
黄金の輝きを放つ白銀の全身甲冑。そのデザインは熟練の名工の作であるかのように、優美にして流麗。ただし、その作りは戦うことに主眼を置いた実用的なものだ。顔を覆うフルフェイスの冑の頂点からは、唯一の装飾として銀糸のような飾り毛が後ろに流されている。
「モンスターを追っていたはずなんだけどねぇ……」
広場に倒れるメリアージュの姿を見つけると、その騎士はぼやくようにしてそう言った。声からして、この騎士は男らしい。
ぼやいたその言葉の通り、彼はモンスターを追ってここまで来た。彼はこれでも腕に覚えがある。そんな彼がモンスターを取り逃がすなど珍しいことだ。いや、そもそもモンスターが逃亡するということそれ自体が極めて稀なケースだった。というより、彼自身初めてである。そして初めてだったからこそ、こうして追ってきたとも言える。
しかしそうして追ってきた先で見つけたのは、広場に倒れる一人の女の子。どう見てもモンスターではない。
「こんなところに女の子……。珍しいというか何と言うか……」
どこか呆れたようにそう呟きながら、その騎士はメリアージュに近づきその傍らにしゃがみ込んだ。
「……弱っている様子だけど、息も脈もある。だけど、この子は……」
フルフェイスの冑の奥で、騎士が眉をひそめた。彼が今いるのは、相当に深い階層である。こう言うのもなんだが、並みの武芸者では来ることさえできない場所だ。そんな場所に女の子が一人、倒れている。
少女の身体に大きな外傷は見られない。ということは、弱っているとはいえ、ひとまず自力でここまで来たのだろう。それができそうな武芸者に、彼は一人だけ心当たりがあった。
「だけど彼女はルーツェンメルトにいるはず……。まさか、迷宮は内部でその全てが繋がっている……?」
思わずこの世の謎に思考が飛びそうになるが、しかしすぐに彼は頭を振った。今はそんな事を考えているときではない。彼はメリアージュを抱きかかえると、宙を見据えながらこう叫ぶ。
「〈バルムンク〉!」
その呼び声に応じて、彼の足元から翼を持つ白い天馬が現れる。その天馬は騎士と彼が抱きかかえるメリアージュを背中に乗せて広場を飛び立った。目指すのは迷宮の出口である。
次にメリアージュが目を覚ましたとき、彼女は見知らぬベッドの中にいた。身体が重い。どうにか首だけ動かして部屋の様子を探るが、少なくとも自分の部屋ではない。そのことを確認すると、彼女は安堵の息を吐いた。
次に彼女が考えたのは、ここはどこなのかという当たり前の疑問だった。その疑問に答えを出すべく、メリアージュは自分の記憶を辿る。
(迷宮の広場で倒れて……。ダメ、そこから思い出せない)
何か声を聞いたような気もするが、記憶が定かではない。しかしこうしてベッドに寝せられている以上、誰かに助けられたことは間違いないのだろう。であるなら、その助けてくれた誰かに事情を説明してもらうのが一番確実だ。彼女が自力で疑問に答えることを諦めたまさにその時、部屋の扉が開いて一人の男が中に入ってきた。
「お、目が覚めたかい?」
男はそう言って人懐っこい笑みを浮かべた。彼の髪の毛は金髪で、目の色は青。長身であり、町を歩けば女たちが放っておかないであろう、甘い顔立ちをしている。しかし同時に不思議な容貌で、二十代と言われれば二十代、三十代と言われれば三十代、四十代と言われれば四十代に見えた。そして最も重要なこととして、メリアージュの知らない男だった。
「体調はどうだい? 話はできそう?」
傍においてあった水差しからコップに水を注ぎ、それをメリアージュに差し出してから男はそう尋ねた。そのコップを受け取って水を飲み、少し考えてから彼女は頷く。もちろん身体はだるいが、話ができないほどではない。なにより、何も知らないままでいる方が身体にはよくない気がした。
「そうかい? じゃあ、少し話をしておこうか。まずは自己紹介だね」
僕はセイルハルト・クーレンズという、と男は名乗った。その名前を聞いた瞬間、メリアージュの顔から血の気が引く。その名前に該当する人物を、彼女は一人だけ知っていた。
「アーカーシャの……、守護騎士……?」
「そう呼ばれることもあるね。メリアージュ・フィルファスさん?」
今度こそ、メリアージュは真っ青になった。その反応を見て、セイルは一つ頷く。これはもう本人で間違いない。カマをかけられたのだとメリアージュが知るのは、もう少し先のことである。
アーカーシャの守護騎士が自分のことを知っている。それが何を意味するのかその時の彼女には分からなかったが、しかし自分の人生が何かとてつもなく大きなものに巻き込まれてしまったことだけは察することができた。
「さて、どこから話したものか……」
そう言って男、セイルハルトは顎に手を当ててしばしの間考え込んだ。そしておもむろにこう話し始めた。
「……まず、もう察しは付いているだろうけど、ここはルーツェンメルトじゃない。アーカーシャだ。そして僕が君を迷宮の中で助けてから、すでに三日が経過している」
実はこの三日の間に君の親御さんに会ってきた。だから君の事情は一通り把握している、とセイルは言った。それを聞いて、メリアージュは諦めたようにうなだれた。
「……わたしは、ルーツェンメルトに送り返されるんですね?」
メリアージュの言葉は質問と言うよりは確認だった。彼女にしてみればその未来しか想像できない。どうやってアーカーシャまで来たのかはもう問題ではない。セイルハルト・クーレンズに身元がバレた以上、彼は自分を逃がしてはくれないだろう。父がお膳立てした政略結婚に応じるよりほかに、彼女に残された道はないのだ。
しかし意外にも、セイルは苦笑しながら首を横に振った。
「君を送り返して全てが丸く収まるなら、簡単でいいんだけどねぇ……」
もうそんな簡単な話ではなくなってしまった、と言ってセイルはわざとらしく嘆息した。話の先が読めず、メリアージュは首をかしげる。そんな彼女に、彼はこう言った。
「端的に言おう。メリアージュさん、君は長命種になった」
「なっ……!?」
想像さえしなかったその宣言に、メリアージュは絶句する。長命種。この世に生きる、本物の超越者。その存在について、メリアージュは当然知っている。というより、目の前の男こそが長命種だった。
セイルハルト・クーレンズ。都市国家アーカーシャ建国の三英雄の一人にして、その都市建設の当時から現在までを生きる男。付いた二つ名が、〈アーカーシャの守護騎士〉。ルーツェンメルトが最も恐れる男。メリアージュはそんな彼の同類になったのだという。
「……で、でも! なんでそんなこと分かる……!?」
「長命種はね、身体の内部に濃密なマナを保有しているんだ。だから、マナの気配を探ればそうかそうじゃないか位はすぐに分かる」
メリアージュの疑問に対し、セイルは淡々とそう答えた。彼の様子は嘘を言っているようには見えない。本当のことなんだろうな、とメリアージュは感じた。
「……でも、わたしが長命種だと何がそんなに面倒なんですか?」
「まず、アランゼスとの結婚の話が白紙撤回される」
「なっ……!?」
メリアージュは絶句した。アランゼス・アーカーシャとの政略結婚。それこそが全ての発端だった。それが白紙撤回されるという。
「これで、君が家出をする理由はなくなった。さあ、君はこれからどうする? 長命種となった少女よ」
堅苦しい言葉遣いとは裏腹に楽しげな笑みを浮かべながら、セイルはメリアージュにそう尋ねた。
「わたし、は……」
そこから先の言葉が出てこない。それが悔しくてメリアージュは俯いた。家から出れば、ルーツェンメルトから、政略結婚から逃げればあとは何とかなると思っていた。しかし逃げた先には何もなかった。なにも考えていなかったのだから、当然だ。メリアージュが何もいえないでいると、セイルの方がおもむろに口を開いた。
「……ふむ。では、とりあえず僕の弟子になりなさい」
「弟子……?」
「そう。君は望む望まざるにとに関わらず、もう長命種になってしまった。今更短命種に戻ることはできない」
ならば長命種として生きていくための諸々を身につけないとね、とセイルは言った。その言葉に嘘はないのだろう。しかしそれが全てであるとは、メリアージュには思えなかった。
「それだけ、ですか……?」
メリアージュがそう尋ねると、セイルは「なかなか聡いね」と感心した。そして「それじゃあ、大人の都合も説明しておこうか」と言って、さらに言葉を続ける。
「長命種になった君にその辺をうろちょろされると、よからぬことを考える者が出てくるからね。少なくともルーツェンメルトとアーカーシャの関係が良好なものになるまでは、僕のもとにいてもらう」
「わたしは、利用なんて……!」
「されない、とでも? 長命種のなりたてなんて、短命種と大差ないさ。特に人生経験においてはね」
睨み付けてくるメリアージュの鋭い視線を真っ向から受け止め、セイルはそう言った。先に目を逸らしたのはメリアージュのほうだった。そんな彼女に対し、セイルはふと口調を和らげさらにこう言った。
「そう悪い話ではないと思うよ。さっきも言った通り、少なくともアランゼスとの結婚の話はなくなるしね。それに僕のところにいれば、今までと同じくらいには自由さ」
そう言いながらセイルは立ち上がり、メリアージュの頭を子ども扱いにポンポンと撫でた。そして「後で食事を運ばせる。それを食べたら休みなさい」と言ってから、彼は部屋を出て行った。
「そうそう、それと……」
部屋の扉を閉める前、何かを思い出したかのようにしてメリアージュのほうを振り返る。そして、悪戯っぽく笑いながら彼女にこう告げた。
「家出したままというのはよくないからね。回復したら、一度家に送るよ。ディクセリオ殿はお冠だったよ?」
たっぷり叱られてきなさい、と楽しげに言い残してセイルは部屋の扉を閉めた。残されたメリアージュはベッドの上で顔を青くする。そして「もう一度逃げようかしら?」なんて本気で考えてしまうのだった。