騎士の墓標9
〈彷徨える騎士〉の構えは、騎士としては非常にオーソドックスなものだった。腰を落として左手に持った大盾の後ろに身体を隠し、長い突撃槍を右手で抱え込むようにして水平に構え、その切っ先をルクトのほうに向けている。
フルフェイスの冑には目の部分にちゃんと二つの穴が開いているが、その奥にはただ闇が見えるだけで“中身”があるようには思えない。しかしルクトは〈彷徨える騎士〉の視線を感じていた。それも苛烈で戦意に満ちた視線だ。相手の気迫に飲み込まれないよう、ルクトも視線に力を込めてそれを受け止める。
睨み合いは一瞬。先に動いたのは〈彷徨える騎士〉のほうだった。実に騎士らしく、大盾で身を守りつつ突撃槍を構えて一直線に突っ込んでくる。
ルクトのほうは動かないが、しかし動作は始まっている。右手に握った柄から太刀に烈を送り込んでいく。十分な烈を太刀に込めると、ルクトは勢いよく鞘から太刀を抜き放った。
――――カストレイア流刀術、〈抜刀閃・翔刃〉。
抜き放った太刀の刃は、しかし〈彷徨える騎士〉には遠く届いていない。しかしそこから放たれた烈は刃となって、突っ込んでくる騎士に襲い掛かる。
狙いは顔面。大盾に隠されてはいない箇所だ。〈彷徨える騎士〉は襲い来る翔刃を、大盾を構えることで防ぐ。しかしそれはルクトも織り込み済み。
翔刃を防いだことで、大盾が〈彷徨える騎士〉の視界を遮っている。その一瞬のうちにルクトは距離を詰めて〈彷徨える騎士〉の左側、つまり大盾を持っている側へ回り込む。
あと一歩で太刀の間合いになるという時に、しかしルクトは制動をかけた。〈彷徨える騎士〉が身体を回転させるようにして大盾を振るったからだ。振るわれた大盾が顔面のすれすれを通過し、ルクトは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(なかなかカンがいい………!)
大盾をやり過ごすと、ルクトは再び前に出ようとする。しかし〈彷徨える騎士〉の攻撃はそれだけではなかった。身体を回転させた勢いそのままに、〈彷徨える騎士〉は右手に持った突撃槍も同じようにして振るっていたのである。
「ちっ!」
ルクトは舌打ちをもらした。当然ながら突撃槍は長い。後ろに飛んでも避けきれるかは分からない。
ルクトはすくい上げるようにして振るわれる突撃槍を姿勢を低くしてかわし、さらに前傾姿勢のまま前にでる。狙いは突撃槍を振り上げることでがら空きになった、〈彷徨える騎士〉の右のわき腹。
しかし、やや左寄りに突っ込むルクトに対し、またしても大盾が左側から襲い掛かる。〈彷徨える騎士〉は身体を一回転させて裏拳の要領で大盾を振るっているのだ。
たまらずルクトは後ろに飛んだ。〈彷徨える騎士〉も足を踏ん張って回転の勢いを殺し、再び大盾を正面に掲げて基本の構えを取る。
(よく動く………)
感心するようにルクトは内心でそう呟いた。実際に騎士と戦ったことはないが、イメージとしてはもっとどっしりと構えて愚直に前に出るような戦い方を想像していた。しかしそのイメージに反して〈彷徨える騎士〉はよく動く。
(あと、妙に戦い慣れしている気がする………)
今さっきの攻防で、〈彷徨える騎士〉は盾を防御だけでなく攻撃にも使った。そういう綺麗な戦い方ではない、いわば“泥臭い”戦い方にルクトは妙な引っ掛かりを感じる。
そうこうしている間に、再び〈彷徨える騎士〉が動いた。最初と同じく、突撃槍と大盾を構えた直線的な突進。
ルクトは集気法で烈を練り直してからそれを迎え撃つ。突き出される突撃槍の切っ先を太刀で跳ね上げ、そのまま突きを放つ。が、その攻撃は〈彷徨える騎士〉の持つ大盾によって阻まれた。
戦闘が静止しかけたその瞬間、〈彷徨える騎士〉はわずかに盾を動かして突き立てられた太刀に対する角度を変えた。そして盾の表面で太刀を滑らせるようにして切っ先の向きを逸らし、ほとんど体当たり気味に前に出てくる。
「ちっ!」
左側は突撃槍によってふさがれている。後ろに下がっても押し込められるだけだろう。前に出て身体をぶつけ合っても、軽装のルクトには不利なだけ。
ならば選択肢は一つだ。
ルクトは右にステップして〈彷徨える騎士〉の体当たりをかわした。追いすがるようにして振るわれる大盾も、もう一度ステップして距離を取ることで回避する。
ステップしつつ、ルクトは体を捻って〈彷徨える騎士〉の方を向く。相手は盾を大振りしたせいでまだ体勢が崩れている。これを好機と見て、ルクトは足が迷宮の床に着くとすぐに前に出た。
それを見て〈彷徨える騎士〉は突撃槍を突き出す。しかしその攻撃は大味だ。ルクトは太刀を下からすくい上げるようにして振るい、柔らかく突撃槍の腹を押すようにしてその軌道をずらす。
動くのを急いだのか、〈彷徨える騎士〉に隙ができる。その隙を見逃さず、ルクトは太刀を振り下そうとした。
しかし〈彷徨える騎士〉はそれをさせなかった。大盾を構えて前に出て、ルクトが振るおうとした太刀の柄尻を押さえ込む形でその動きを止めたのである。
「なっ……!?」
動作がキャンセルされたルクトは咄嗟に後ろに下がろうとする。しかし左側から突撃槍が押し付けられ、それを太刀の刃で受け止め、さらに左腕を峰で支えるともう身動きは取れなかった。
「ぐぅぅう………!」
ルクトが苦しそうに呻き声をもらす。実際、彼は二方向からの圧力に押し込められつつあった。突撃槍の方はいいとしても、大盾という面を柄尻という点で支えなければならないのは大変だ。
加えて時間的な限界もある。
拮抗状態を保つには身体能力強化をしなければならず、そのためには烈が必要だ。しかし一回の集気法で練り上げられる烈の量には限りがある。烈が切れてしまったら、その時点で終わりだ。だからこそ、その前に動く必要がある。
右手から太刀に烈を送り込む。ただ、大半は身体能力強化に回さなければ拮抗を維持できないため、太刀に込めることのできる烈の量には不安が残る。しかしそれでもやらなければジリ貧だ。可能な限りの全力で、ルクトは技を発動した。
――――カストレイア流刀術、〈衝波〉。
烈が刃の形ではなく、ただの衝撃波として放たれる。本来は鍔迫り合いの状態から相手を突き放すときに使う技だ。
放たれた衝撃波は一瞬だけだが〈彷徨える騎士〉の突撃槍を押し返し、左方向からの圧力からルクトを開放する。その一瞬を見逃さず、ルクトは前方からの圧力に逆らわずに後方に飛んだ。
危うい窮地を脱したルクトは、安堵と同時に焦燥を感じていた。その理由は、今さっきの攻防で〈彷徨える騎士〉が見せた、一連の動きだ。
(誘われたのか………!?)
意図的に隙を見せて相手の動きを誘導、制御する。先ほどの攻防で〈彷徨える騎士〉がやったのは、そういうことのようにルクトには思えた。
(バカな!ヤツはモンスターだろ!?)
しかしそれは人間の技法だ。武芸者同士の対人戦ではよく使われる技術だが、モンスターがそんな駆け引きを仕掛けてきたことなど、ルクトは見たことも聞いたこともない。
三度、〈彷徨える騎士〉が突撃槍を構えて突撃してくる。内心の焦りと困惑を抑えながら、ルクトは突き出される突撃槍を太刀で捌き、また時折反撃を挟む。そしてそうしながら、彼は〈彷徨える騎士〉の動きを注意深く観察する。
その動きは洗練されていた。力強くも理に適い、無駄な部分はそぎ落とされて美しくすらある。いつも迷宮で見るモンスターのような、力任せで出鱈目な動きではない。それは訓練と経験を積み上げた者特有の、戦うための所作だった。
(まさか本当に………!?)
まさか本当に、〈彷徨える騎士〉は“亡霊”なのか。かつて魔道甲冑を装備して迷宮に挑み、そして帰ることのなかった騎士が亡霊となって彷徨っているとでも言うのか。
(バカな!ありえない!)
ルクトはすぐにそのオカルトチックな考えを否定した。〈彷徨える騎士〉はモンスターだ。出現するその瞬間さえも見たではないか。
(でもだったら………!)
コイツは一体何者なのか。ルクトの頭の別の部分がそう囁いた。猛攻を加える〈彷徨える騎士〉の動きは明らかに訓練を受けた者のそれだ。そしてその攻撃は〈彷徨える騎士〉の苛烈な戦意をひしひしとルクトに伝え、ともすればこちらに対する敬意のようなものさえ感じるのだ。それなのに殺気は一向に感じない。〈彷徨える騎士〉の雰囲気と在り様は、あまりにも人間じみている。
知識と感覚の矛盾。それがルクトを混乱させる。
迷宮はその内部で吸収したものを基にしてモンスターを生み出す、と言われている。そしてそのなかには当然人間も含まれている。
迷宮は人間を基にして〈亜人タイプ〉のモンスターを創った。〈彷徨える騎士〉も大雑把に分類すれば〈亜人タイプ〉に入るだろう。
けれども迷宮はこれまで完全な“人間”を創ることはできていなかった。それは情報が完全ではないからだ、と言われている。つまり、死んだ人間の体がマナに分解されそのマナを吸収することで迷宮は「人間の情報」を得ているわけだが、そうやって得られる情報は決して完全ではなく何かしらの欠落があるのでは、というわけだ。
しかし仮にそうだとしても、常に同じ情報が欠落するのかは誰にも分からない。情報の欠落箇所が一定でないとすれば、回数を重ねることでいずれ完全な「人間の情報」が揃うことになる。
人類がいつの頃から迷宮攻略を始めたのか、その正確な記録は残っていない。しかしこれまでに迷宮は多くの人間の命を飲み込んできた。迷宮のなかには大量の「人間の情報」が記録されていると考えていい。
それらの情報をもとに、「人間の情報」はついに創り出したのだろうか。〈亜人〉ではない、〈人間〉のモンスターを。
今自分が相対しているこの〈彷徨える騎士〉こそが、〈人間タイプ〉のモンスターの初めての個体なのだろうか。ルクトは頭の片隅でそう思った。
だとすればそれはとても不吉なことだ。そうではないか。そのモンスターは、迷宮で散った数多の武芸者の無念を押し固めて創られたようなものなのだから。
(集中しきれない………!)
頭の中で様々な考えが渦巻く。〈彷徨える騎士〉という敵も十分に手ごわいが、異質な相手ということそれ自体がルクトの集中を妨げる。早い話、ルクトは考えすぎていた。
「グルゥゥゥォォォオオオオオ!!!」
ルクトの空回り気味な思考を断ち切ったのは、敵である〈彷徨える騎士〉が上げた雄叫びだった。距離を取った〈彷徨える騎士〉が、迷宮の果てない天井を見上げ胸を反らせて吼える。
それは憎悪?それは憤怒?それは焦燥?
否。否。否。それは歓喜だ。ヤツは、〈彷徨える騎士〉は喜んでいるのだ。
何に対して、というルクトの疑問はすぐに解消される。〈彷徨える騎士〉が突撃槍と大盾を構えたのだ。爛々とした戦意をたぎらせながら。
その瞬間、ルクトは直感した。〈彷徨える騎士〉はこうして戦えることに歓喜しているのだと。戦うための存在として、求め続けた戦いに感謝しているようにさえ思えた。
ゾクリ、とルクトは体が奮えるのを感じた。もはや〈彷徨える騎士〉が何者であるか、そんなことはどうでもよくなってしまった。ヤツは〈武芸を修めた者〉であり、その在り様は〈騎士〉だ。
決して〈彷徨える騎士〉という異質な相手を理解できたわけではない。しかし理解できる一面を見たことで、ルクトは集中力を取り戻した。
ルクトもまた太刀を構えて相対した。そして集気法を使って烈を補給する。それを見て〈彷徨える騎士〉が、ふと笑ったように彼には思えた。
そして、変化が起こる。〈彷徨える騎士〉の構える突撃槍が白い光を放ち始めたのだ。
(魔装具なのか!?あの突撃槍は!)
騎士という形骸、魔道甲冑という、少なくともそう見える装備だからこそ、ルクトはすぐにそう考えた。
(なんにしても、これからが本気ってことか………!)
ルクトのその直感を裏付けるように、〈彷徨える騎士〉が動いた。これまで通り突撃槍を構え、大盾で身を守りながらの直線的な突進。
ただし、今度は間合いが違った。
〈彷徨える騎士〉が白く輝く突撃槍を突き出すと、そこから圧縮されたマナでできた、〈白い槍〉が打ち出されルクトに襲い掛かった。どうやらこれが〈彷徨える騎士〉の持つ突撃槍の能力らしい。その間合いは、実に今までの二倍近い。
ルクトは襲い掛かる〈白い槍〉を、烈を込めた太刀で切り払い、あるいは回避することで捌いていく。きちんと集中できている今の彼の動きには余裕があって危なげがない。
さらにルクトは緩急をつけた動きで〈彷徨える騎士〉を翻弄し、その懐に入り込もうとする。しかしそれはなかなか上手くいかない。
突撃槍だけでも太刀より間合いが広い。それなのに今は〈白い槍〉によって〈彷徨える騎士〉の間合いはさらに広くなっている。ルクトが隙を見つけて飛び込もうとしても、太刀の間合いに入る前に対処されてしまうのだ。
さらに懐に入ってからも問題がある。大盾だ。太刀の間合いになると、〈彷徨える騎士〉は、今度は逆に大盾を使って圧力をかけ、間合いを詰めてくるのだ。大盾によって太刀を封じられてしまうと、装備と体格で劣るルクトには不利になってしまう。
(盾が厄介だ………!)
集気法で息継ぎをしながら動き回るルクトは内心で舌打ちした。〈彷徨える騎士〉は非常にやりにくい相手だ。相性が悪いとも言える。
例えば以前に戦った、大剣を創り出したあの巨人のモンスター。あの巨人が出現したのはもっとさらに深いところ、九階層と十階層の境目くらいの場所だった。ここは八階層だから、単純に考えれば〈彷徨える騎士〉よりもあの巨人のほうが強いことになる。
しかしルクトの主観で言わせてもらえば、あの巨人よりも〈彷徨える騎士〉のほうが圧倒的に強い。あの巨人と戦ったときは、ある程度自分のペースで攻めることができた。しかし今は防戦一方で主導権を完全に握られた状態だ。もちろん相性の問題もあるのだろうが、それを含めて〈彷徨える騎士〉は強い。
(多少強引でもいい!主導権をとらないと………!)
なによりあの大盾は何とも厄介である。そしてあの大盾を何とかしない限り、ルクトはジリ貧だ。
ルクトは一旦距離を取ると、足を止めて集気法を使い烈を練り上げる。身体を十分な量の烈で満たすと、ルクトは誘うように太刀を正面に構えた。
普通に考えれば、その誘いに乗ったわけではないのだろう。しかしルクトはそうだと確信している。〈彷徨える騎士〉は突撃槍と大盾を構えて突っ込んできた。
無数に打ち出される〈白い槍〉を、ルクトはその場から動くことなく高速で切り払っていく。時折、払いきれなかったものが身体を掠めていく。
(ち……、コートは買い替えか!?)
頬に赤い筋を作りながらも、ルクトにはまだそんなことを考える余裕があった。
やがて〈白い槍〉の間合いが尽きる。次は突撃槍の間合いだ。〈彷徨える騎士〉の持つ突撃槍はいまだに白く輝いている。つまりその分、攻撃力は増していると考えるべきだ。
ルクトは集中力を高める。突き出される突撃槍のその切っ先を、太刀で下から弾き軌道を逸らす。そしてそれと同時に前に出て間合いを詰めた。
〈彷徨える騎士〉に見かけ上、動揺は見えない。これまで通り大盾を構えてさらに前に出て、太刀の間合いを潰そうとする。
それにかまわずルクトは下から振り上げた太刀を、そのまま振り下ろした。ただし、狙いは〈彷徨える騎士〉の四肢ではない。構えた、その大盾だ。そして太刀が大盾に弾かれるその瞬間、ルクトはそこに込めた烈を開放する。
――――カストレイア流刀術、〈衝波〉。
太刀から放たれた衝撃波が、一瞬だけ〈彷徨える騎士〉の動きを止める。その一瞬でルクトは太刀を逆手に持ち替えると、そのまま鞘に落とし込んだ。
〈彷徨える騎士〉が動く。そしてルクトも動いた。
〈彷徨える騎士〉は大盾を構えて前に出て圧力をかけてくる。それに対しルクトは鞘に収めた太刀の柄を握り、腰を低くして同じく前に出る。ルクトの構えは抜刀術のそれに似ているが、しかし柄を握る右手は逆手のままだ。
しかしルクトはそのまま烈を込める。右手から太刀に。そして左手から鞘に。だが〈彷徨える騎士〉との間合いは完全に潰され、今太刀を抜こうとしても完全に抜刀することはできないだろう。
しかしこの間合いこそ、ルクトの狙いであった。
ルクトは逆手に持ったまま太刀を鞘から走らせる。そしてその柄尻を〈彷徨える騎士〉の持つ大盾に突き立て、そこに込められた烈を開放した。
――――カストレイア流刀術、〈衝波鎚〉。
衝波の派生技だ。衝波よりも強く、また指向性のある衝撃波を放つ技なのだが、いかんせん柄尻を使うという性質上あまり使い道のない技でもある。
衝波鎚を叩き込まれ、大盾がぐらつく。だがすぐに立て直しは可能だろう。しかしルクトの攻撃も、これで終わりではない。
衝波鎚に使われた〈烈〉は太刀に込められていたものだ。では、鞘に込めておいたほうは何に使うのか。
――――カストレイア流刀術、〈衝波双鎚〉。
ルクトは柄尻を大盾に押し当てたまま、鞘のほうを動かして勢いよく鍔にぶつけた。その瞬間、鞘に込められていた烈が、やはり指向性の衝撃波となって大盾に叩き込まれる。そして今度こそ、〈彷徨える騎士〉の持つ大盾は大きく弾き飛ばされた。
「おおおぉぉぉぉおおおおお!!!」
ルクトが吼えた。大盾を弾き飛ばしたことで〈彷徨える騎士〉は無防備な胴体をさらしている。千載一遇のチャンス。これを逃せば、恐らく次はない。
ルクトは太刀の柄を順手に握りなおすと、鞘から走らせる。
――――カストレイア流刀術、〈抜刀閃〉。
なぜ太刀と鞘、二箇所に込めた烈を一度に開放しなかったのか。その理由はこの一撃のためだ。衝波双鎚は鞘に込めた烈を使っている。つまりこの攻撃に、太刀のほうは直接関係していない。
だからこそ衝波双鎚を放っている間に太刀に烈を込めなおすことができ、タイムラグなしで次の技を放つことが可能なのだ。
ルクトの放った抜刀閃が、〈彷徨える騎士〉の強化外骨格を切り裂く。血しぶきが飛ぶことはなかったが、ルクトはそれを不思議とは思わなかった。
太刀を引き戻し烈を補給する。そして脇をしめて太刀を水平に構え、〈彷徨える騎士〉のみぞおちを狙って神速の突きを繰り出した。
――――カストレイア流刀術、〈千鎧貫き〉。
太刀の切っ先は強化外骨格を貫くことはできていない。ただ強化外骨格の装甲には、太刀の切っ先を中心にして亀裂が刻まれ、その衝撃の大きさを物語っていた。
傍目に見ればルクトの攻撃は防がれたように映るだろう。しかしルクトが放った千鎧貫きは、もともと目に見える分かりやすい破壊をもたらす技ではない。
千鎧貫きは〈浸透技〉と呼ばれる類の技で、細分化された烈が装甲の隙間から入り込み、敵の体内を直接攻撃することができる。本来は硬い甲殻などを持つ魔獣やモンスターと戦うための闘技なのだが、鎧相手であってもその効果は十分に発揮された。
(抜けた………!)
千鎧貫きの細分化された烈は不可視だ。そもそも〈彷徨える騎士〉と正面から相対しているルクトには、その背中の様子を窺い見ることなどできない。しかし彼は太刀から伝わる手ごたえによって千鎧貫きの烈が〈彷徨える騎士〉を貫通して向こう側へと抜けたことを知った。
ルクトと〈彷徨える騎士〉。両者が静止する。数瞬の静寂の後、先に動いたのは〈彷徨える騎士〉のほうだった。
〈彷徨える騎士〉はふらつきながら後ろに下がる。そして膝から崩れ落ちそのまま前のめりに倒れそうになるが、突撃槍を迷宮の白い床に突き立てて体を支え堪える。
しかし、〈彷徨える騎士〉はもうそれ以上は動かなかった。油断なく烈を練り太刀を構えるルクトの目の前で、やがて〈彷徨える騎士〉は全身を白く発光させマナへと分解され迷宮へと還元されていく。
「モンスターだったんだな、やっぱり………」
その様子を見ながら、ルクトはポツリと呟いた。
たとえモンスターであったとしても、〈彷徨える騎士〉が戦いを求めていたことには代わりない。この戦いにはたして〈彷徨える騎士〉は満足したのだろうか。
「埒もない」
ルクトは苦笑して頭を振った。その答えは、結局〈彷徨える騎士〉の中にしかない。そして今まさに〈彷徨える騎士〉と共に消えようとしている。あとはもう、想像するしかない。
「満足してくれた。そう思うことにしよう」
正しい答えなど、もはや永遠に分からない。ならば自分に都合のよい答えを信じてもいいはずだ。
ルクトが見守る先で、〈彷徨える騎士〉は完全にマナに戻り迷宮へ還っていった。その後には魔石が一つと、そして床に突き立てられた突撃槍が一本、ただそれだけが遺されていた。