門出8
カーラルヒスを出発してからおよそ半月。ルクトたち四人は〈ロックウェル〉という都市国家に来ていた。ちなみにここまでの道のりは、すべて“歩き”ではなく“走り”である。一度この速度の旅に慣れてしまうと、普通に歩いて行くのが時間の無駄に思えてならないのだ。
まあそれはそれとして。都市国家ロックウェルには異名があって、その異名を〈双子都市〉という。双子というからにはもう一つ都市国家があるわけだが、そちらの名前は〈バンガルナ〉と言った。
ロックウェルとバンガルナがわざわざ“双子”都市と呼ばれる由縁。それはこの二つの都市が文字通り並び立っているからである。ロックウェルとバンガルナの正門はお互いに向かい合っているのだが、その間の距離はわずか一キロ弱しかないのだ。当然、住民たちは二つの都市の間を日常的に行き来しており、その結びつきの強さが双子都市と呼ばれる最大の理由だった。
では一体なぜ、こうも至近距離に二つの都市国家が出来上がったのか。いや、なぜこの二つの都市国家は一つにならなかったのか。その理由は迷宮だった。
ロックウェルとバンガルナは、それぞれ迷宮を中心にして発展した都市国家だったのである。これほど近距離に迷宮が隣り合っている例は珍しく、それがそのまま双子都市という珍しい形態に繋がったのだ。
そして言うまでもないことだが、迷宮は巨大な利益と権益を生む。つまるところ、迷宮に絡む利害を調整して一本化できなかったから、双子都市は一つにまとまる事がなかったのである。“双子”にはそういう意味もあるのだ。
さてロックウェルとバンガルナは双子都市と言うだけあって非常に似通った都市国家だ。人口はお互い17000人と少し。二つ併せても35000人弱であり、都市国家の規模としては小さい。主な産業は両都市とも迷宮から得られる資源を使った工業・工芸、岩塩の採掘、そしてそれらの輸出だ。ただし、輸出には資源そのものも含まれている。
ここで違和感を覚えた方は鋭い。そう、主な産業のなかに農業が入っていないのだ。
これにはもちろん理由がある。この二つの都市の周りは荒涼とした荒野なのだ。水こそなんとか確保されているが、農業を行うには適さない。実際、双方とも食料自給率は二割に届かないといわれており、不足分は全て輸入によってまかなわれている。迷宮がなければ人の住まない地であったに違いない。
ではロックウェルとバンガルナは一体どこから食料を輸入しているのか。双子都市が食料を輸入している先、それこそがロイニクス・ハーバンの故郷ガルグイユなのだ。
「ロックウェルまで来れば、ガルグイユまであと少しだよ」
ロックウェルの食堂で夕食を食べているとき、ロイはそう話した。ロックウェルからガルグイユまでは徒歩でおよそ五日。集気法にもの言わせて疾走すれば一日で着く、かもしれない。まあ、仮に一日で着かなかったとしても二日はかかるまい。つまり遅くとも明後日の今頃は、もうガルグイユに着いていることになる。
「ところで、実家の方にはもう色々と説明してあるのか?」
今更なことだが、ふと疑問に思ったことをルクトは口にした。何も連絡していなければ、ロイの実家の方々は彼が一人で帰ってくるものと思っているはずだ。そこに三人も余計に連れてくればきっと驚くに違いない。しかもそのうちの一人は嫁だ。しかし腹黒と言われたパーティーリーダー殿に手抜かりはない。
「クルルと結婚することは、もう随分前に手紙で知らせた。ルクトとラキアを連れて行くことも手紙で知らせたけど、こっちは途中で追い越しちゃったかもしれないねぇ」
後半を苦笑しながらロイはそう言った。ルクトとラキアがガルグイユに行くことを決めたのは八月の末。つまり出立のかなり直前である。ロイが手紙を書いたのはそれからだし、またその手紙を運ぶのも人間だ。ルクトら四人は集気法にもの言わせたハイペースでここまで来たから、その途中で手紙を追い越してしまった可能性は十分にある。
「ま、突然お客が来ることはそんなに珍しくない。二人増えたくらいなら、たぶん大丈夫だよ」
ロイは気楽な調子でそう言った。それに、最悪〈オリジン・スフィア〉の中のゲルに寝泊りすれば言いだけの話だ。資金も豊富にあり、一年といわず三年でも働かずに生きていけるだろう。さすがにそんなに長い間ガルグイユに留まるつもりはないが。
そして次の日の朝、四人はガルグイユに向けて出発した。冬に向けて食料の備蓄を始めているのか、道中で双子都市へ向かうキャラバン隊とよくすれ違う。荷物も持たずに駆け抜ける四人の姿を見て、彼らは皆一様に驚いた顔をしていた。
一日を通して走り続けたが、結局その日のうちにガルグイユに到着することはできなかった。しかし四人は日が沈んでからもガルグイユを目指して移動を続けた。都市の中に入ることはできないだろうが、門のすぐ外にまで行けば明日の朝一に都市の中に入ることができる。
「懐かしい、ですか?」
ガルグイユの閉じた正門を見上げるロイに、クルルはそう声をかけた。彼にしてみれば、六年ぶりに帰省する故郷である。懐かしくないはずはないだろう。しかし彼は苦笑しながら首を横に振った。
「正門を見上げることなんてほとんどなかったからね。中に入れば懐かしさもあると思うけど」
それを聞いて、クルルは「そうですか」と小さく微笑みロイの隣に立った。しばらくの間、二人はそのまま無言で佇む。そしてそれから、クルルが不安げに口を開いた。
「……わたしは、ロイさんのご両親にちゃんと認めていただけるでしょうか?」
それはクルルが漏らした初めての不安だった。彼女の細い肩を、ロイは少し乱暴に抱き寄せる。そして彼女を安心させるようにこう言った。
「二人に反対されたら、僕は家を出るよ。道場はここじゃなくても出来るしね。なんだったら、ルクトたちにくっついてヴェミスに行こう。僕たちなら、どこでだって生きていけるさ」
「……はい」
クルルは小さく頷いてロイの肩に頭を乗せる。触れ合う温かさが、彼女の不安を溶かした。
そして次の日の朝。ガルグイユの門が開くと四人はすぐに都市の中に入った。すでに日は高くなっており、街の中は人で賑わっている。街の中に入ってルクトがまず思ったのは、「緑が多い」と言うことだった。街のいたるところに、木や花が植えられているのだ。そのためガルグイユは別名〈花の都〉と呼ばれている。
都市国家ガルグイユの人口はおよそ四万。一年を通し温暖な気候で、年間を通して色とりどりの花が咲く。この気候もまたガルグイユが〈花の都〉と呼ばれる由縁だろう。そしてこの温暖な気候がガルグイユの主な産業である農業を支えていた。
「ロックウェルとバンガルナに食料を輸出しているのはガルグイユである」と前述したが、実際のところガルグイユ一都市だけで双子都市の食料を賄っているわけではない。ロックウェルとバンガルナの食料庫となっているのは、肥沃なポル・トッシュ地方全体である。そしてそのポル・トッシュ地方の中心都市がガルグイユなのだ。
ポル・トッシュ地方全体で見ると、人口はおよそ十五万弱。そして主産業は言うまでもなく農業だ。ポル・トッシュ地方で収穫された農作物はガルグイユに集められ、そこから双子都市に輸出されるのだ。逆に双子都市から輸入した資源や工芸品はガルグイユからポル・トッシュ地方に広がっていく。だからガルグイユは農業と同じくらい、商業も発展している都市だった。
さてガルグイユには幾つもの農場があるが、そのなかでも大規模とされるモノの中に〈ハーバン農場〉がある。言うまでもなく、ロイの実家である。
ハーバン農場は畑作だけでなく、酪農も営んでいる。さらに農作物を作るだけでなく、独自に加工と販売、さらには輸出も行っていた。当然経営規模は大きいのだが、ロイ曰く「人もたくさん雇っているから、そんなに裕福じゃないよ」とのことだ。
実際、彼の実家は大きくて造りもしっかりとしているが、立地は郊外だし古くて年季が入っていた。それでも庭や家の外観からはよく手入れされていることが窺える。いいモノを長く使っている、といった風だ。
六年ぶりに帰ってきた実家を、ロイは数秒の間足を止めて見上げた。そしてやおら動き出すと、真っ直ぐに玄関へと向かった。その彼に後の三人は無言でついていく。
「ただいま。誰かいる?」
まるでちょっと出ていた先から帰ってきたときのような調子で、ロイは言った。しばらくして奥のほうか「はいよ!」と威勢のいい女性の声が返ってきた。
「ロイ! 早かったじゃないかい!」
「ただいま、母さん」
ロイが「母さん」と呼んだその女性は、年の頃が五十代の半ばに見えた。身長は一五〇と少しといったところか。顔にはシワが出ているが、程よく肥えている事もあって血色はよく、またなにより快活な人だった。名前はシストル・ハーバン。髪は亜麻色で、ロイの髪は母親譲りなのかもしれない。
「どうしたんだい、こんなに早く!」
帰ってくるまであと半月はかかると思っていた、とシストルは驚く。実際、ルクトがいなければそれくらいの時間はかかっていたであろう。
「ちょっと裏技をね。それよりみんなを紹介するよ」
そう言ってロイは、まずルクトとラキアを「カーラルヒスでできた友人だ」と言ってシストルに紹介した。二人は名前だけ名乗って一礼する。シストルもそれにあわせて頭を下げた。そしてロイは最後の一人を紹介する。
「……それで、彼女がクルーネベル・ラトージュ。その、手紙で書いたとおりの人」
「クルーネベル・ラトージュです。どうぞよろしくお願い致します、お義母様」
少し恥ずかしそうにはにかみながら、クルルはそう名乗って楚々と一礼した。その姿をシストルはまじまじと見つめ、それから少し慌てたように頭を下げる。
簡単な自己紹介が済むと、シストルはすぐに四人を家の中に上げた。そしてロイにお茶の用意を命じると、彼女自身は仕事中のほかの家族を呼びに行く。かくしてこの日、予定にはなかったハーバン家の家族会議が開かれることになった。
家族会議といっても、実際のところはただの顔合わせである。ただ、結婚と言う問題が絡んでいる。そのため、空気は決して悪くないが若干の緊張感が漂っていた。
「……さて、これで全員揃ったか。まずは自己紹介からだな」
私はオルガ・ハーバンという、と言って名乗ったのは一番年上の男性だった。ロイの父親に当る人物である。次に名乗ったのは、長男のカルム。彼はすでに結婚していて、妻の名前はシフと言った。ロイにしてみれば義理の姉になる。二人の間にはすでに子供もいるらしいが、その子は今この場所にはいなかった。最後に名乗ったのは次男のティール。ちなみに未婚。これにロイとシストルを加えた六人が、この場にいるハーバン家のメンバーと言うことになる。
ハーバン家のメンバーが一通り名乗ったところで、ルクトたち三人ももう一度名乗った。ちなみにルクトとラキアについてはハーバン家に伝わっておらず、ロイは「やっぱり手紙を追い越しちゃったか」と苦笑した。
その後は主に、オルガとロイの話し合いだった。ハーバン家の家族は時折口を挟むが、ルクトとラキアは完全に沈黙を貫いた。クルルは何か聞かれるたびに答えていたが、自分の方から口を挟むことはしなかった。
話し合いの結果、ひとまずロイとクルルの結婚に家族として反対されることはなかった。とはいえ諸手を挙げて賛成、というわけでもない。今しがた顔を合わせたばかりなのだから当然だ。
ただ、ルクトとラキアがわざわざ結婚式に出るためにガルグイユまで来たというのは、少なからずいい方向に働いたようだった。数年後、ロイはオルガと飲んでいたときに、「友人がそこまでするのであれば、少なくとも悪い女ではなさそうだと母さんと話した」と聞かされた。
さて、こうして家族の了解も得、晴れてロイとクルルは結婚することになったのだが、すぐに式を挙げられるわけではない。当然、準備に時間がかかる。ひとまず一ヵ月後に式を挙げる予定にして準備をすることになった。
その一ヶ月の間、当事者であるロイとクルルは非常に忙しかった。結婚式の準備とさらにその後の新しい生活のための準備に二人は奔走した。
こうして忙しく働いているうちに、クルルに対する評価はすぐに良くなっていった。特にシストルの気に入りようは大変で、「わたしのことを本当の母親だと思いな」と言っては彼女のことを可愛がった。またシストルは事あるごとにロイの背中を勢いよくぶっ叩いては、嬉しそうに「こんな好いお嬢さんよく見つけた!」と彼のことを褒めるのだった。
またクルルが結納品として持参した大量の塩も、シストルやシフを大変喜ばせた。ガルグイユでは塩は貴重品というロイの話は本当だったようだ。この塩もクルルの心証がよくなった一因かもしれない。
そうやってロイとクルルが忙しくしている間、ルクトとラキアは何もしていなかったわけではない。二人は結婚式が催されるまでのあいだ、ロイの実家に泊めてもらうことになったのだが、さすがに何もせずタダ飯を食うのも体裁が悪い。そこで二人はオルガの経営する農場で働くことにした。
ただ、二人が主に力を発揮したのは農作業ではなく、農作物を荒らす野生動物の駆除だった。その対象となるのは主に鹿、猪、狐、そして熊などの動物である。
本来であればこういう狩りに力を発揮するのはロイやクルルのほうであろう。少なくともルクトとラキアより、その二人の方が狩りに適した個人能力を持っている。ただ今は二人とも多忙でそんな事をしている余裕はない。とはいえルクトとラキアも腕利きの武芸者。今まで散々モンスターを相手に戦ってきた二人が、たかが野生動物ごときに後れを取るはずがなかった。
「いやあ、さすが“本場”の武芸者だ」
ルクトが逃げる鹿を追いかけて仕留めたり、ラキアが大きな熊を一人で仕留めたりしたとき、ガルグイユの猟師たちはそんなふうに言って呆れたり驚いたりした。そしてその度に二人は「インチキしてますから」と笑って答えた。そしてそう答えれば、決まってこんな反応が返ってきた。
「インチキ? インチキってなんだい?」
「〈練気法〉っていう技法を使っているんです」
そう言って二人は練気法についてガルグイユの猟師や武芸者たちに説明していく。「闘術を底上げする技法だ」と説明すると、多くの人たちは「そりゃすごい」と驚いた。「“本場”にはそんなものもあるのか」と感心する人たちに、ルクトとラキアは苦笑する。その“本場”で練気法を教えるレイシン流は零細武門だったのだが、二人はそこまで教えようとはしなかった。
「その、〈練気法〉っていうのを教えてくれ」
練気法の話を聞くと、多くの武芸者や猟師たちがルクトとラキアにそう頼んだ。ここまで来ればしめたものである。二人はその度に揃ってこう答えるのだった。
曰く「練気法の習得には時間がかかるから、自分たち二人が教えることはできない。だけどロイとクルルが今度ガルグイユで練気法を教えるレイシン流の道場を開くから、是非そちらに通ってみて欲しい」。
つまりは練気法とレイシン流の宣伝である。練気法を教えて欲しいと言って来た人々のうち何人が実際に入門するかは分からない。しかしまったく知られていなかったレイシン流と練気法の名前を広げ、さらに興味を持ってもらうという点に関しては、それなりに成功を収めたと言ってもいいだろう。
それで肝心のレイシン流道場だが、こちらも話は順調に進んでいた。ロイがあらかじめ手紙を書き、父親のオルガに適当な建物を見繕ってもらっていたのである。オルガがロイに見せたのは、以前にハーバン農場で使っていた倉庫だった。
立地の問題で使い勝手が悪くなり今は使われていないのだが、建物自体はまだまだ十分に使える。道場として使うには改築が必要だが、それでも一から建てるよりは安上がりだ。将来的には母屋を併設して渡り廊下で繋げるつもりだ、とロイは言っていた。
さてルクトが一ヶ月間の間に頼まれた仕事は、実は農作業と害獣駆除だけではなかった。大量の塩とさらにクルルが持ってきた家具の一式。その全てを難なく運んでしまうルクトの運搬能力に目を付けたオルガから、農作物の保存と加工に使う塩の買い付けを頼まれたのである。「ここでも塩か」とルクトが苦笑したとかしなかったとか。ちなみにクルルの家具一式はロイの家の倉庫に片付けた。
体のいい使いっ走りだが、居候の身分で断る理由もない。ルクトはその仕事を引き受けた。双子都市からは岩塩を、そしてガルグイユを挟んでその反対側にある海辺の都市国家〈エンケレア〉からは塩田で製塩された甘塩をそれぞれ買い付けた。なんでもそれぞれ風味が違うのだとか。
まあ、ともかくルクトとラキアもそれなりに忙しい一ヶ月間だったのである。だがハーバン家の人々は皆いい人たちで、その忙しさが苦になることは決してなかった。そして一ヶ月と言う時間はあっという間に過ぎ、ついに結婚式の当日となった。
ルクトはかつて二人の結婚式に出る理由として「クルルの花嫁姿が見たいから」などと言っていた。その言葉自体は冗談だったが、しかし彼女の花嫁姿は確かに一見の価値があるものだった。
クルルが着る花嫁の衣装は薄い生地を何枚も重ね合わせて作られている。ゆったりとしたデザインだが、着膨れた印象は少しもうけない。袖口が大きく作られていて、歩くたびに生地が擦れあってサラリサラリと軽やかな音を立てた。衣装は薄い若葉色と白で統一されており、それが清楚な雰囲気をかもし出している。そして頭の上には色とりどりの花で編まれた花冠が載せられていて、清楚なだけでなく華やかな衣装となっていた。
さらにその胸元に目を惹く青い宝石が一つ。かつてロイがカーラルヒスの迷宮の十一階層にある地底湖で見つけた、あのコバルトブルーの宝石である。彼はその宝石を細工職人に頼んで加工し首飾りにして、結納の品としてクルルに贈ったのだ。ちなみにルクトとラキアの了解は得てある。一目見て非常に高価だと分かる品だったのでクルルはとても恐縮して最初は固辞したのだが、ルクトとラキアの説得もあって最後には受け取ってくれた。
ロイが着る衣装も、やはり薄い生地を何枚も重ね合わせて作られていた。そしてさらにその上に長いロングコートのような上着を羽織り腰帯を巻いてとめている。頭にはオリーブの若枝で編んだ冠が載っている。衣装は青が基調になっていて、クルルと並ぶとなかなか色鮮やかな新郎と新婦だった。
新郎と新婦が着る衣装の色、つまり若葉色、白、青にはそれぞれ由来がある。若葉色は野の緑を、白は花嫁の清らかさを、青は空と水をそれぞれ表しているのだ。これらの三色を使った伝統衣装に身を包み、ロイとクルルはついに結婚式を挙げたのである。
結婚式それ自体はおよそ一時間程度で終わった。長いのはその後の披露宴である。ロイの実家で行われた披露宴には多くの人が集まり、遅くまで賑やかな宴が続いた。主役であるロイとクルルのもとにはひっきりなしに人々が挨拶に来て、そして二人を祝福した。招待客の中には、この一ヶ月の間クルルが懸命に働く姿を見ていた人たちも多くいる。そのおかげか、彼らの祝福の言葉は純粋だった。
「二人とも、おめでとう」
「おめでとう」
やがてルクトとラキアも二人のところへ挨拶に向かい、そして祝福の言葉を述べた。彼らの言葉に、ロイとクルルも嬉しそうに笑顔を浮かべ「ありがとう」という。そんな二人にルクトとラキアはそれぞれプレゼントを差し出した。
まずルクトが「オレ達二人から」と言って差し出したのは、からくり仕掛けの置時計だった。時間になると中のオルゴールがなる仕掛けになっている。「二人から」と言ったとおり、ルクトとラキアがそれぞれお金を出しあって買ったプレゼントである。
「まさか300シク弁当の常連だったルクトからプレゼントを貰うなんてね」
ロイがわざとらしくそう言うと、クルルとラキアが可笑しそうに笑った。それに対し、ルクトは肩をすくめて苦笑する。彼自身、借金が残っていたら買ったかどうか分からないプレゼントである。説得力のある反論はできそうになかった。
「でも、これが二人からなら、ラキアが持っているのは……?」
続いてロイの視線がラキアの持っている包に向けられる。それに対し、ラキアの視線はなぜかクルルに向けられ、そして彼女が少し恥ずかしそうにしながらも小さく頷くと、ラキアは一歩踏み出してその包をクルルに差し出した。
「あの、ロイさん。これはわたしからです」
「え……?」
包を受け取ったロイは、思わず言葉を失った。包の中身は、上下一揃いの衣服。上品かつフォーマルなデザインで、例えばここにいる招待客の着ている衣服と比べてみても遜色はない。クルルがカーラルヒスにいた間に手ずから仕立てた服で、彼女がロイに贈る結納の品だった。
「……ありがとう。大切にするよ。これからは着る機会も多いだろうしね」
ロイはそう言って嬉しそうに微笑んだ。今までは武術科の制服が正装の代わりだったが、これからはそうもいかない。彼の言うとおりクルルの贈ってくれたこの衣装はこれから活躍する場面が多いだろう。もしかしたら彼女はそれを見越してこれを贈ったのかもしれない。
プレゼントを渡して少しの間話をしてから、ルクトとラキアは二人のもとから離れた。次の招待客が挨拶に来たのだ。ロイとクルルのもとを離れると、二人はそのまま家の外に出た。ルクトが「少し話がある」と言ってラキアを誘ったのだ。
家の外に出ると、途端に喧騒が遠のく。郊外に建っているせいもあってか、外は思いのほか静かだった。温い夜風は甘く香り、その風が目当てなのか酔いを醒ましている人影がちらほらと見受けられる。そのまばらな人影さえも避けるようにして、さらにルクトは敷地の外に出た。そしてラキアはその彼の背中についていく。
やがて周りに人影が見当たらなくなると、ルクトは〈ゲート〉を開き、ラキアを〈オリジン・スフィア〉に誘った。「一体何の話をするつもりなのだろう」と彼女は思ったが、しかしその一方で予感めいたものがある。不安と期待を混ぜこぜにした気持ちを抱えながら、ラキアは〈ゲート〉を潜った。
(明るい……)
〈ゲート〉を潜って〈オリジン・スフィア〉の中に入ると、ラキアはまずそう思った。〈オリジン・スフィア〉の中も夜なのだが、先程までの“夜”と比べると格段に明るい。空に月が輝いているわけでもないのに、だ。本当に別の世界なんだな、とラキアはぼんやりと思った。
「……それで、話って何なんだ?」
「……少し、歩かないか?」
そう言ってルクトはラキアを誘った。ラキアが頷くと二人は連れ立って歩き出す。そして二人はしばらくの間互いに無言のまま歩き続ける。タイミングを計っていたのだろうか、最初に口を開いたのはルクトだった。
「……何か、ありがとう、な」
「……ありがとう、ってなにが?」
「色々気になっていただろうに、何も聞かないでくれて、とか」
ああ、なるほど、と納得したようにラキアは小さく呟いた。この成長しすぎてしまった〈プライベート・ルーム〉についてなど、確かに気になることは数多い。しかしラキアはその疑問を今まで口に出すことをしなかった。「個人能力について秘匿するのは当然」という武芸者の不文律があったこともそうだが、なによりもルクト本人が「今は何も聞くな」と言っていたからだ。本人がそう言うのであれば、話してくれるまで待とう。ラキアはそう思っていたのだ。
「実は、な。オレ、長命種になったんだわ」
実際には長命種ではなく契約者らしいのだが、契約者に関係する背景を全て説明すればラキアも混乱するだろう。そこでルクトは契約者ではなく長命種になったと話した。それでも彼の言いたいことは伝わる。
「……! そう、か。その……、おめでとう!」
突然「長命種になった」と言われても、ラキアはそれほど動揺したりはしなかった。様変わりした〈プライベート・ルーム〉の様子を見たときから、その可能性については考えていたのだろう。
「ありがと。……それで、あの時の返事だけど……」
ルクトがそう言うと、ラキアはビクリと身体を震わせた。両手を強く握り締め、俯きたくなる気持ちを叱咤し、彼女は気丈に顔を上げてルクトの目を見た。彼女の目には不安と期待の両方が現れている。ルクトはそんな彼女の目を真っ直ぐに見つめ、そしておもむろに頭を下げた。
「……ごめん。ラキの気持ちには応えられない」
「……っ!? ……どうして!?」
ラキアが悲鳴を上げる。頭を下げているルクトからは見えないが、彼女の顔は真っ青になっていた。足もとがおぼつかない。頭の中が“真っ黒”だ。まるで自分の全てを否定されたかのようにラキアは感じた。
「オレは長命種になった。もう、ラキとは同じ時間を生きられない」
長命種(実際には契約者だが)になったルクトは、この先数百年の単位で生きていく。ルシフィーネの言うことが本当なら、もしかしたら一万年という時間を生きる事になるかもしれない。しかしラキアがその同じ時間を生きることは不可能だ。
五十年後、きっとラキアはおばあさんになるだろう。しかしルクトは今の若い姿のままだ。百年後、きっとラキアは死んでいるだろう。しかしルクトは今の若い姿のままだ。もしもルクトとラキアが夫婦だとしたら、一緒に歳を取っていけないということは、きっととても残酷で辛いことだろう。ルクトの言う「同じ時間を生きられない」とは、そういう意味だった。
「『同じ時間を生きられない』だなんて……、そんなの、そんなの納得できない! だって、今こうして、同じ時間を生きてるじゃないか!?」
しかしルクトの言葉に、ラキアは納得できない。理解はできる。きっと彼の言うことは正しいのだろう。しかし納得はできない。
「そんな、悲しいこと、言わないでよ……!」
涙を浮かべながら、ラキアはルクトに縋り付いた。自分の胸で泣く彼女を、ルクトは少し戸惑いながらぎこちない手つきで抱きしめた。
温かい、とラキアは思った。この温かさは本物だ、と思った。この温かさが同じ時間を生きている証拠だ、と思った。
「もう、わたしを、置いていかないで……!」
ラキアはそう懇願する。それを聞いて、ルクトは「困ったなぁ」と思った。ラキアが諦めてくれないことに困っているのではない。諦めきれない自分の心に、彼は困っていた。
「……きっと、後悔する」
「……置いていかれたって、後悔する」
「……きっと、辛い思いをする」
「……置いていかれたって、辛い思いをする」
「……きっと、泣きたくなる」
「……置いていかれたって、泣いてしまう」
ルクトが諦めようとするたびに、ラキアは諦めずに手を伸ばす。「困ったなぁ」とルクトはもう一度思った。諦めたはずなのに、しかし手放したくないと思ってしまった。
(ルシ……?)
頭の中で、ルクトはそう呼びかけた。返事はすぐに帰ってくる。
(私は別に構わないわよ?)
(いい、のか……?)
(ええ。そうね、100年。100年の間、人間としての幸せを噛み締めなさい。その幸せが、なにより雄弁に教えてくれるわ)
あなたがもう人間ではなくなったということをね、とルシは言った。彼女の言葉は、聞きようによっては呪いの言葉だ。しかし同時にそれは、「幸せになりなさい」と言ってくれる祝福の言葉でもある。幸せになることが自分の頼み事を果たす上で助けになる。ルシはそう言ってくれているのだ。
ルクトはその言葉に感謝した。「ありがとう」と頭の中で呟きながら、ルクトはラキアをさらに力を込めて抱きしめる。そしてラキアもまた、彼のことを強く抱き返す。それでお互いの気持ちは通じた。
「……ヴェミスに帰ったら、師範のところに挨拶に行くよ」
「……わたしも、メリアージュさんのところに挨拶に行く」
抱きしめあったまま、二人は互いの耳元でそう言葉を交わした。それからゆっくりと身体を離す。
ルクトは苦笑を浮かべていた。「上手くいかないな」と思うと同時に、心のどこかでこの流れを期待していた自分に苦笑した。
ラキアは赤く腫らした目をしながら、しかし嬉しそうに笑っていた。頬をほんのりと朱に染めた彼女は幸せそうに、そしてどこか得意げに笑っていた。
その笑顔を見て、ルクトは「やられたな」と思った。なにをどう“やられた”のかは自分でもさっぱり分からないが、しかしその直感には訳もなく確信があった。そしてやられっぱなしは面白くない。
ルクトはラキアを誘ってゲルの近くまで歩いた。そして彼女を外で待たせ、中から一本の太刀を持ってくる。ルクトのもの、ではない。彼が使っているものより少し短い。ラキアが使っているサイズの太刀だ。
(やっぱり最初からこうなることを期待していたのかもな……)
その太刀を手に取ると、ルクトはそんな事を考えた。ラキアの告白は断ろうと思っていた。それは本当だ。この太刀はその詫びのつもりだったのだ。しかし今、まったく別のものになろうとしている。そしてそれを「良かった」と感じている自分にルクトは苦笑した。
「ロイに倣って言えば〈結納品〉と言ったところか。納めてくれ」
気恥ずかしそうにそういいながら、ルクトは鞘におさまった太刀をラキアに差し出した。
「これは……!」
すでにその太刀がどういうモノなのか察しはついているのだろう。差し出された太刀をラキアはぎこちない手つきで受け取った。そしてゆっくりと鯉口を切り、その刀身を星空の下にさらす。磨きぬかれた刀身に、夜空の星が写った。
その太刀はルクトがダドウィンに依頼した二本の純ヒヒイロカネ製の太刀の内の一本だ。ルクトが今使っているものと同じく、最上級品である。これ以上の太刀となると、一つの都市国家に一本あるかないかというレベルだ。ただ、ルクトの太刀の刃文は豪快な濤乱刃だが、ラキアの太刀の刃文は切っ先まですっきりと伸びる直刃。まるで彼女の一本気な性格をそのまま表したかのような刃文だ。
「……結納品に武器を贈るなんて、ルクトは女心が分かってない」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ラキアはそう言った。そして太刀を鞘に収めてから「だけど」と言葉を続ける。
「わたしのことは、良く分かっている」
本当に嬉しい、と言って太刀を胸に抱きながらラキアは満面の笑みを浮かべる。そんな彼女の唇に、ルクトはほとんど不意打ち気味に自分の唇を重ねた。
「!!?!?」
ほんの一瞬、唇を重ねただけ。初心な恋人たちでも、もう少しマシな接吻をするだろう。しかしそんな子供のようなキスであっても、ラキアは顔を真っ赤にしてうろたえる。そんな彼女の様子を見て、ルクトは自身も顔を赤くしながら「してやったり」と思った。
「さ、ロイたちにも教えてやろうぜ」
そう言ってルクトはさっさと歩き出す。しかしそのくせ〈ゲート〉を開くそぶりもない。
「ま、待て!? 待てってば、ルクト!」
そんな彼の背中をラキアは慌てて追った。そして追いつくと彼の隣に並んで歩く。左手で太刀を抱きながら、右手で彼の左手に少しだけ触れる。すると彼はその手をしっかりと握ってくれた。それがラキアには嬉しかった。
(やっと、やっと追いついたよ、ルクト……)
追いかけ続けた彼の背中は、もう目の前にはない。なぜなら、すぐ横にあるからだ。「ずっとこの場所にいたい」とラキアは思った。
『ずっとこの場所にいて欲しい』
つないだ手の温かさが、そう言っていくれている気がした。
今回はここまでです。
もうちょっと続きます。気長にお待ちください。