門出6
九月の初め。八月いっぱいの迷宮攻略を終えたルクトら四人は、最後にレイシン流の道場と母屋を売り払いカーラルヒスを旅立った。ルクトとラキアは、話し合った結果ロイとクルルの結婚式に出ることにした。そのため二人はヴェミスには帰らず、まずロイの故郷であるガルグイユに向かうことになる。
『ありがとう。嬉しいよ』
『本当にありがとうございます』
ロイとクルルはそう言いながら揃って頭を下げた。時間的な問題など、気にかかることはある。だが二人が行くと決めたのであれば、アレコレというのは野暮というものだ。ただ真摯に感謝すればそれでいいのである。
さてクルルはガルグイユに引越しそこで新生活を始めるわけだが、彼女が持っていく引越しの荷物は大変な量になった。なんと家具や着替えなど、必要と思えるものは全て持っていくことにしたのである。それらの荷物は全て〈プライベート・ルーム〉改め〈オリジン・スフィア〉に入れてある。ルクトが同行するがゆえの力技だった。
『これならすぐに新しい生活が始められるね』
積み上げられた荷物を見て、ロイは満足そうに頷く。すぐに新生活が始められるだけの荷物を持っていく。それがどれだけ非常識なことか。確実にロイの実家の人たちは大口を開けて驚くことだろう。彼の“満足”のなかにはきっとそれも含まれているのだ。それを察して、ルクトは彼の横で呆れた。
ただそれらの荷物全てをゲルの中に入れることはできないし、かといって野ざらしにするわけにもいかない。そこで野外にすのこを何枚か敷いてその上に荷物を置き、さらに粗布を被せて縄で縛っておくことにした。ちなみに、雨が降らないことはルシフィーネに確認済みである。
さてカーラルヒスを旅立った四人は、まっすぐにガルグイユへ向かったわけではなかった。彼らは今、カーラルヒスの南西およそ100キロの位置にある衛星都市オーフェルに来ている。四人がオーフェルに来た理由は二つ。塩の買い付けと、一ヶ月間の迷宮攻略で溜め込んだ魔石の換金だ。
塩の買い付けはカデルハイト商会のバイト、ではない。完全に個人的な用件だった。簡単に言うと、ロイの実家への手土産である。
『ロイさんのご実家に納める結納品はなにがいいでしょうか……?』
そう言って悩むクルルに、ロイが「塩がいい」と言ってアドバイスしたのだと言う。ガルグイユの近くには海がない。また塩湖や岩塩が取れる場所も近くにはなく、そのため塩は全て外からの輸入に頼っている。そのため質のいい塩というのは土産として喜ばれるのだと言う。
ちなみにカーラルヒスの場合も塩は全てオーフェルからの輸入に頼っている。しかしオーフェルは衛星都市、つまり経済的にカーラルヒスに強く依存している。そのためカーラルヒスの塩は上質でまた値段も安い。ガルグイユとは随分状況が違うと言えた。
閑話休題。そもそもクルルの側が結納品を収める必要はないようにも思うのだが、本人が手土産を持って行きたいというのであれば、わざわざ強く反対する必要もない。ちょうどルクトが塩を取り扱っている商会と面識を持っているし、その伝手を頼って買いに行くことにしたのだ。
またオーフェルには迷宮がない。そのため、魔石の買取り額はカーラルヒスより割高になる。学園を卒業したルクトとロイには、「換金は学園の窓口で行うこと」という校則ももう関係ない。塩も買いに行くことだし、より高く売れる方を選ぶのは当然のことだった。
およそ100キロの道のりを走破した四人は、〈オリジン・スフィア〉の中の温泉で汗を流してからオーフェルの街へと繰り出した。目指すは宿屋〈海猫亭〉。「宿泊代がもったいない」ので寝泊りは〈オリジン・スフィア〉の中でするつもりだが、海猫亭は食堂も兼ねており、そこの料理がまた絶品だった。家庭料理よりはワンランク上の、格式ばらないが素人には作れないレベルの料理が、多くのファンを獲得している。
街をしばらく歩くと、ルクトたちは海猫亭の看板を見つけた。海猫とは本来海鳥のはずなのだが、ここの看板には丸々と太ったデブ猫が描かれている。店の中からは喧騒が聞こえてくる。どうやら、もうお客が入り始めているらしい。
「おやルクト! よく来たね!」
海猫亭に入ると、女将さんが真っ先にルクトに気づいて声をかけた。年に何度も会わないのだが、彼女は「客商売だからね」と言ってルクトの顔をよく覚えている。彼が一年生のときからの付き合いだから、かれこれもう六年になる。そう思うと結構長い付き合いだ。
「泊まりかい?」
「いえ、食事だけお願いします」
ルクトがそういうと、女将さんは「あいよ」と言って彼ら四人をテーブルに案内する。店内はすでに半分以上の席が埋まっているが、時間的に混むのはこれからだろう。ちょうどいい時間に来たな、とルクトは思った。
海の幸を中心に、ルクトたちは料理を注文した。新鮮な魚介類はカーラルヒスでは食べることができない。その珍しさや、また一日中走り続けてお腹が空いていることもあって、四人は夢中になって料理を食べた。
「ああ、やっぱりここの料理は美味しいです……」
うっとりとした表情を浮かべながらそう言ったのはクルルだった。海猫亭の料理に舌鼓を打っているのは四人とも同じだが、料理が好きなクルルはとりわけ感動の度合いが大きいらしい。挙句に「弟子入りしたいです!」とまで言い出して、ロイが大いに焦っていた。
美味しい料理をお腹一杯に食べ、大満足の四人は海猫亭を後にした。外はすっかり暗くなっている。海からの風が心地いい。
オーフェルに大きな繁華街はない。そのため、食事を終えた四人は少しだけ夜の街を散歩してから〈オリジン・スフィア〉の中に引っ込んだ。塩の買い付けと魔石の換金は明日である。
「それじゃあ、もう一回温泉に入ってきますね」
「覗いたら殺すからな?」
そう言って本日二度目の温泉を堪能しに行くクルルとラキアを見送ると、ルクトはまた「散歩をしてくる」と言って一人になった。こうして何度も「散歩」をしているとロイのほうも何か感づいたらしいが、結局彼の方から何か言ってくることは最後までなかった。様変わりしてしまった能力の検証をしている、とでも思っていたのかもしれない。
そんなロイの予想は当らずも遠からずだった、と言えるだろう。ルクトがこうして度々「散歩」と称して一人になりたがるのは、この〈オリジン・スフィア〉を管理しているルシと話をするためだった。
「海……。いいわねぇ……、海……」
ルクトがルシを呼ぶと、現れた彼女は挨拶もそこそこにいきなりそんな事を言い出した。どこか恍惚とした表情さえ浮かべながら「海……、海……」と呟くルシの姿に、ルクトは呆れる。
「海って……。確かに近くに来てるけど、分かるのか?」
「ええ。ルクトの周囲のことなら、大体分かるわ」
それもこれも“繋がり”のおかげだ、とルシは言う。考えようによっては、ルクトは四六時中ルシに監視されているようなものだが、それは今更か。それにルシも「プライベートは尊重しているわ」と言っていた。ルクトとしてはその言葉を信じるしかないわけだが、まあそれはそれとして。
それ、つまり“繋がり”がなければ、つまりルクトを通してでなければ、ルシは思うようにこの世界のことを観測できないのだと言う。「あなたとの“繋がり”を持てたことは望外の幸運だったわ」とルシは喜ぶ。
「……ルシはずっとオレを〈契約者〉にしようと狙っていたのか?」
ルクトがそう考え始めたのは、夜色の玉がルシの用意したマーカーだったことを聞いてからだ。アレを手に入れた経緯を考えると、彼にはそうだったとしか思えない。だがルシはそれを完全に肯定はしなかった。
「あなたに、と言うより〈プライベート・ルーム〉に目をつけていたのは事実よ。だけどそれは私の目的を達成するために必要不可欠だった、というわけではないわ」
極端な話、夜色の玉が迷宮の最深部まで転がっていけば、それでルシの目的は十分に達成されるのだと言う。だからルクトではないほかの誰かがそれをやってくれるのであればそれはそれで良かった、とルシは言う。
「考えても見なさい。あなたが夜色の玉を手に入れても、私はあなたとコンタクトを取ることができなかったのよ? あなたがアレを手放してしまう可能性は十分にあった」
むしろ最初はそちらのほうを想定していた、とルシは言う。つまりルクトが夜色の玉を手に入れた段階で彼女が意図していたことは、それを人手に渡らせることただそれだけだったのである。
「〈世界〉の内側にマーカーがあれば、一万年と言う時間の中でもしかしたらそれが迷宮の最深部へ行くことが起こりえるかもしれない」
ほとんど奇跡のような可能性だけど何もしないよりはマシということよ、と言ってルシは苦笑した。彼女の言うとおり、そのようなことは奇跡でもなければ起こりえないだろう。しかし夜色の玉を手に入れた段階のルクトが迷宮の最深部まで行くことなど、可能性としてはさらに低かったといわざるを得ない。ただ、そこまで話を聞いたルクトはふと素朴な疑問を覚える。
「夜色の玉を上から下に落とすって言うのはダメなのか?」
迷宮の中であってもモノは上から下に落ちる。どんどん下に落ちていけば、その先にあるのは最深部だ。それでルシの目的は達成されるのでないだろうか。
「ダメね。途中でマナに還ってしまうわ」
そう言ってルシは首を横に振った。そしてさらに少し拗ねたような口調でこう続ける。
「そもそも本来私たちは、〈世界〉の内側には干渉できないのよ?」
この〈世界〉は〈混沌〉が染み込んでいるから迷宮の中なら少しとはいえ干渉できたけど、それでも結構頑張ったのよ、とルシは唇を尖らせた。そういう顔をすると、雰囲気がずいぶん幼くなる。そう言われれば、あの大樹があったのもシャフトを登っていった先。普通ならば誰も行かないような場所だ。思うように干渉できないというのは本当なのだろう。
だからこそ、ルシは当初〈世界〉の内側にマーカーを送り込むだけで満足していた。〈プライベート・ルーム〉に目をつけていたから夜色の玉を渡す相手にルクトを選びはしたが、しかしその時点でそれ以上のことを望みはしなかった。それはすなわち奇跡を望むことと同義だからだ。
だがそれを遥かに上回る奇跡が起きる。ルクトが夜色の玉を身につけた状態で〈混沌の海〉に堕ちてきたのだ。
「想定すらしていなかった事態だったわ。まさに奇跡を超える奇跡よ」
ルシは興奮した様子でそう語った。おかげで能動的に動けるようになったし、また観測もより詳しくできるようになった、と彼女は言う。
「これでわたしの目的は達成されたも同然よ!」
自信満々に豊かな胸を張り、ルシは得意げにそう言った。しかし実際に動くことになるルクトはどちらかと言うと懐疑的だった。
「そうなのか? 例えばオレが思い通りに動かなかったらどうするんだ?」
干渉できる範囲が広がったとはいえ、ルシ自身が迷宮の最深部までいけるようになったわけではない。そこまで行くのは、あくまでもルクトだ。彼が動かなければ、ルシの目的は達成されない。ルクトはそう指摘するが、しかし彼女の自信は揺るがなかった。
「それなら大丈夫よ?」
「オレを思い通りに操ることなんて、造作もないってか?」
何しろルシは高位次元知性体。しかもルクトの契約主だ。二人の間にある“繋がり”を通して彼を思いのままに操る術があったとしても不思議ではない。しかし意外にもルシは頭を横に振った。
「そんなことは出来ないわ。そういう仕掛けは施さなかったもの」
「じゃあ、どうやって言うことを聞かせるつもりなんだ?」
「言うことを聞いてくれるまで、あなたの頭の中でブチブチネチネチ文句を言い続けるわ」
「それはイヤだ!?」
イヤ過ぎる。ノイローゼになりそうだ。いや、ほぼ確実になる。この時点でルクトはルシに逆らうことを諦めた。もっとも彼女は命の恩人。よほど理不尽でない限り、その頼み事の一つや二つ叶えるのはやぶさかではない。ただ、ルクト一人の力でそれが可能なのか心配ではある。
「……もし、オレが途中でくたばったらどうするんだ?」
「復活させるわ」
こともなさげにルシはそう言った。その何の迷いもない即答に、むしろルクトの方が理解が追いつかずに絶句する。
「……復活!? 復活って、生き返らせるってことか!?」
「そうよ」
ルシは当然といわんばかりにそう言って頷く。そして驚愕するルクトの様子を見て苦笑した。
「そんなに驚くことかしら? あなただって、幾つか蘇生術は知っているでしょう?」
例えば心臓マッサージや人工呼吸。そういう技法なら、確かにルクトも知っている。
「つまりはその延長よ。ヒトより多くのことができる私は、ヒトより救える範囲が広い」
ただそれだけのことよ、とルシは言った。そう言われれば、理解はできないが納得はできる。そしてルクトが「……なるほど」と言うのを見計らい、ルシは「ただし」と言葉を続けた。その口調は今までになく真剣である。
「頭を吹き飛ばされてしまったら、記憶を戻すことはできないわ」
身体の修復なら出来る。それこそ、心臓を潰されようが頭を吹き飛ばされようが、その機能を元通りにすることは可能だ。それどころか、より強化することさえできる。しかし記憶、つまり思い出を元に戻すことはできないとルシは言う。
「思い出を失ったら最後。あなたはもうルクト・オクスではなくなるわ」
それこそ言われたことにただ唯々諾々と従うだけの操り人形になる、とルシは言った。そして、仮にそうなったとしてもルクトを使って目的を達成する、とルシは言う。そこは彼女にとって絶対に譲れない一線だった。
「……私だって、あなたを操り人形にしたいと思っているわけではないわ。だから、精々気をつけなさい?」
優しい口調でそう言われ、ルクトは頷いた。自分が自分でなくなる時を想像するのは怖い。それはつまり死ぬのと同義だと思う。ましてその後も自分の身体が動き続けるのだ。それを想像すると気持ちが悪かった。
「……それはそうと」
ぶるり、と身震いをしながらルクトは話題を変えた。自分が自分でなくなるというのは、たとえ可能性であっても考え続けたいことではない。
「ルシはなんでオレに、というか〈プライベート・ルーム〉に目をつけたんだ?」
「そもそも〈プライベート・ルーム〉とはどんな能力なのか、その本質はどこにあるのか、あなたは考えたことはある?」
ルクトの質問に、ルシは質問で返した。そういう返し方はあまり好きではないのだが、ルクトは考えをめぐらせる。
「……亜空間を作り出す能力、じゃないのか?」
少し考えてから、ルクトはそう答えた。いわゆる実空間ではない別の空間、つまり亜空間を作り出す能力。彼はずっと、〈プライベート・ルーム〉をそういう能力だと考えてきた。そして、その答えにルシは頷く。
「そうね、間違ってはいないわ。じゃあ、その亜空間は一体どこにあったと思う?」
次なる質問。それは今まで考えたことのなかったことだ。咄嗟に答えは出てこない。ただ、どうやらルシはそれを知っている様子。であれば、彼女が知ることができる範囲にあったと考えるのが普通だ。
「……〈混沌の海〉、とか?」
先程より長い時間を使って考え、ルクトはそう答えた。それを聞いて、ルシは微笑む。
「半分正解、ね。〈プライベート・ルーム〉があった場所、それは〈界殻〉よ」
〈界殻〉とは、〈世界〉を覆う次元の壁のことだ。この壁によって〈世界〉は〈混沌の海〉から隔てられそして守られている。
「〈プライベート・ルーム〉とは、〈界殻〉に作られたあなたの私的な空間。別の言い方をすれば、あなたの能力の本質とは〈界殻〉への干渉能力だったと言えるわ」
これはとんでもないことよ、ルシは興奮気味に語る。
「高位次元知性体である私でさえ、〈界殻〉への干渉はほとんどできない。それなのに、ただの人間だったあなたがそれをしてしまった」
あの時は本当に驚いたわ、とルシは話す。そして〈オリジン・スフィア〉を今のような形にできたのも、〈プライベート・ルーム〉という下地があったからだと言う。
「〈オリジン・スフィア〉のような閉鎖空間を作るのは、実はそれほど難しくないわ」
難しいのはそれを〈世界〉と接続することだ、とルシは言う。〈世界〉と接続していなければ〈オリジン・スフィア〉はそれ一個で独立してしまい、彼女の目的に関して言えばなんの役にも立たない。しかし〈オリジン・スフィア〉と〈世界〉が接続されていることで、ルクト・オクスという駒を使って目的を遂行することができる。
「あちらの〈世界〉で〈加護〉が働くのも、〈オリジン・スフィア〉が〈世界〉と接続されているからよ」
そうでなければ、ルシのあらゆる干渉は普通〈界殻〉によって妨げられてしまう。〈オリジン・スフィア〉には〈界殻〉をすり抜けるための、言ってみればバックドア的な役割もあるのだ。
「〈オリジン・スフィア〉があれば、ルシが直接あっちの〈世界〉に行くこともできるんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょう?」
それができるのならとっくにやっているわ、とルシは呆れながら苦笑する。
「私に出来るのは、せいぜい〈オリジン・スフィア〉にこの分身を送り込むことくらいよ」
「分身?」
その聞きなれない言葉にルクトは首をかしげた。それに対しルシは「そうよ」と言って一つ頷く。
「本来のわたしは、〈オリジン・スフィア〉の外側にいるの。今あなたと話している〈ルシフィーネ〉は、この世界を維持管理するために、そしてなによりあなたとコミュニケーションを取るために用意したアバター、つまり分身よ」
いくらルシが創ったものとはいえ、〈オリジン・スフィア〉を今の状態で維持していくためには〈混沌の海〉の影響を排除しなければならない。つまり、〈オリジン・スフィア〉を〈界殻〉で囲う必要があるのだ。しかしそれをやってしまうとその内部への干渉が非常にやりづらくなる。その結果、本来のルシはここに入ることすら出来なくなり、仕方が無いのでアバターを用意してルクトと話をしているのだと言う。
「……ようするに、本来の姿じゃない、ってことか?」
ルクトがそう尋ねると、ルシは「その通りよ」と言って頷いた。そもそも本来の彼女は〈混沌の海〉に住まう高位次元知性体。つまりルクトと住む世界が、いや次元が違うのだ。
「言ったでしょう? 『本来の私は男でも女でもない』って」
「……じゃあその姿は何なんだ?」
そう言いながらルクトは呆れたようにルシの姿を見上げた。長い髪の毛に優しげな卵形の顔。華奢な身体つきに豊かな胸。明らかに人間ではないとはいえ、ルシの姿は女性のそれである。
「ああ、コレ? あなたが男だから、女の姿の方が釣り合いが取れるかと思ってこうしたんだけど……」
ルシは自分の姿を確かめながらそう言った。そして、何かよからぬことを思いついたようでニヤリと意地悪く笑う。
「……それとも、ルクトはマッチョな男の方がよかったからしら?」
「いえ今のままでお願いします」
思わずルクトが即答すると、ルシは「素直でよろしい」と言いながら楽しそうに笑った。ルクトは顔をしかめるが、しかし〈オリジン・スフィア〉に入るたびにマッチョな男が出迎えてくれるという悲惨な事態は回避できたようだ。
「それはそうと、海、いいわねぇ……」
ひとしきり笑い終えると、ルシはうっとりとした表情を浮かべながらそう言った。彼女が口にした単語、それは「海」。話題が最初に戻った。
「やっぱり水の循環を自然な形で行うためには海が必要よね。〈オリジン・スフィア〉にも海を作ろうかしら……?」
「なんでもありだな……」
海を作る。いかにもオーバーロードらしいその発想にルクトは呆れた。温泉を作ってくれたのはもちろんルシだが、それと同じレベルで今彼女は海を作ろうとしている。まったく、本当にとんでもない存在である。高位次元知性体というのは。
「海ってどうしても必要なのか?」
「私の目的だけを考えれば『どうしても』ってことはないけど……。けど、〈オリジン・スフィア〉の中で文明を発達させようと思ったら必要になるでしょうね」
「文明って……」
その発想に、またしてもルクトは呆れた。というより、壮大すぎて呆れるより他に反応のしようがない。そんな彼に、ルシは微笑みながらこう告げた。
「この〈オリジン・スフィア〉を創ったとき、私はそこまで想定しておいた、ということよ」
そのルシの言葉にルクトは絶句する。そして気づく。この〈オリジン・スフィア〉はルシにとって実験場なのだ、と。実際に実験場として使うかはともかくとして、少なくともそのための環境は整えておく。そう考えて彼女はここを創ったに違いない。
「そうそうそれと」
難しい顔になってしまったルクトに、ルシは悪戯っぽい笑みを向ける。彼女のその笑みを見てルクトはさらに眉間にシワを寄せた。彼女がこういう笑みを浮かべるときは、大抵ロクなことを言わない。そして今回もその例に漏れなかった
「文明を発達させる場合、その人類の祖になるのはもちろんルクトだから」
「はあ!?」
「がんばれ」
「なにを!?」
一体どこまで本気なのか。それはルクトには分からない。
高位次元知性体の契約者をやっていくのも大変だ。
予約投稿の日付、間違えちゃった……。