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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
エピローグ
161/180

門出5


 最初の遠征が終わってから三日後、ルクトら四人は二回目の遠征に赴いた。つまり休憩と準備に、たったの二日である。一週間に及ぶ遠征を終えてきたことを考えると、この時間は非常に短い。だが四人は決して無理をしているわけではなかった。〈オリジン・スフィア〉の中で十分に休息が取れるので、迷宮(ダンジョン)の外で身体と神経を休める必要がないのだ。そのため四人は常識外れの頻度で遠征を行うことができた。予定ではさらにもう一度、一週間程度の遠征を行う予定である。


 さて、その二回目の遠征だが特に危機的な状況になることもなく順調に進んだ。四人の連携も練度が高まり、少々手強いモンスターが相手でも危なげが無い。戦闘は大抵一方的な展開であり、ルクトたちはほとんど消耗することなくモンスターを倒すことができた。そして消耗が少なければ、その分素早く攻略を進めることができる。四人は無理をすることなく、しかし前回以上のスピードで迷宮の中を進んだ。


 遠征三日目の夜、ルクトは「散歩をしてくる」と言って外に出て一人になる。もちろん散歩というのは方便で、これからルシフィーネに会いに行くつもりだった。本当はもう少し早く彼女に会いにいければよかったのだが、何かと忙しくて時間が取れなかったり、また一人になるタイミングがなかなか見つけられなかったりしたのだ。


 以前と同じように森の中に入り、しばらく進んでからルクトはルシの名前を呼んだ。


「ルシ、いるか?」


「ええ、久しぶりね。ルクト」


 そう言ってルシは音も立てず、実に軽やかに現れた。いつも通り、彼女は宙に浮いている。その姿もだんだんと見慣れてきた。


「それじゃあ、約束どおりいいモノを見せてあげるわ」


 姿を現すとすぐ、ルシは得意げな顔をしながらそう言った。そしてそう言うやいなや、彼女はルクトが返事をするより早く彼をつれて瞬間移動をした。たちまち、ルクトの視界が引き伸ばされて後ろに流れていく。次に彼が見たものは、小さな湖だった。


 小さい、と言っても湖の直径は一〇〇メートル以上あるだろう。その水面は静寂そのもので、まるで鏡のように夜空の星を映し出している。中を覗き込んでみると、その水はまるで水晶のように澄み渡っていた。そしてその湖の中心には小さな島が一つ浮かぶようにしてそこにあった。


「さあ、行くわよ」


 そう言ってルシはその島のほうへ向かって進んでいく。だが彼女は浮かんでいるから湖の上を進むことができるが、ルクトにその芸当は無理である。泳いでいくべきかと彼が悩んでいると、なんとルシが進んでいくその後に飛び石のような足場ができている。それを使って追って来い、ということらしい。


 ルクトが足場に飛び乗ると、その周りに小さな波紋が生まれる。鏡のような水面の上には、ルクトが歩くたびに小さな波紋が生まれた。


 やがてルクトは湖の中心にある小さな島にたどり着いた。島の大きさは、せいぜい五メートル四方といったところか。そして、その島の真ん中には小さな苗木が一本植えられていた。


 苗木の背丈は三十センチ強、といったところか。幹は細く、ルクトの小指ほどの太さしかない。しかし、そこから感じる生命力は圧倒的だ。たしかに幾本かの枝が伸びていて、そこには青々とした葉が何枚も付いている。だがこの小さな苗木から感じる生命力の大きさは、数百年を生きた大木に勝るとも劣らないものがある。


「この樹は〈天元祖樹〉。この世界〈オリジン・スフィア〉を支える、まさに中枢というべき存在よ」


 いつもと変わらない口調でルシはそう言った。しかしその内容は今までになく重要だ。ギョッとしてルシのほうを振り返るルクトに、彼女はにんまりと笑いながらさらにこう言った。


「そして、私の力を〈加護〉としてあなたに与えるためのアダプターであり、またパイプ役でもある」


 つまりこの〈天元祖樹〉を介してルシはルクトに〈加護〉を与えている、ということだ。〈オリジン・スフィア〉の中枢である事といい、〈加護〉の仲介役である事といい、この〈天元祖樹〉は非常に重要な役割を担っていることになる。


「……だけど、その割には小さいな」


 思った事を、ルクトはつい口に出してしまった。その生命力は圧倒的だが、苗木のちんまい見てくれは、とてもそんな重要な役割を担っているようには思えない。彼のそんな反応は、しかしルシの予想通りだったようだ。彼女は悪戯っぽく笑いながら、ルクトにこう告げた。


「この樹はあなたに与えられる〈加護〉の大きさに比例して成長していくの。そして〈加護〉はあなたの成長に応じて、大きくそして強くなっていくわ」


 つまりこの樹がちんまいのはそのままあなたが未熟だという事よ、と言ってルシはしてやったりな笑みを浮かべた。言われたルクトは思わず顔をしかめる。知らぬ間に自分が未熟だと認めて、いや認めさせられてしまった。さすがにこれは面白くない。そんな彼の頭を、ルシは子ども扱いに優しく撫でる。


「精進してイイ男になりなさいな」


 ニコニコと笑うルシにそう言われ、ルクトはついにため息を吐いた。そして肩をすくめて苦笑する。ここで不貞腐れればさらにルシを喜ばせるだけだと気づいたのだ。


 それに、〈天元祖樹〉がルクトの成長に合わせて育っていくというのであれば、逆に〈天元祖樹〉が育てばソレにあわせてルクトも成長するのではないだろうか。試しに水でもあげてみようかと口にすれば、ルシが「めげないわね」と呆れていた。


 まあそれはそれとしても、〈天元祖樹〉がまだ小さな苗木である事はもしかしたら僥倖なのかもしれない、とルクトは思った。まだ小さいということは、これから大きく成長できるということ。そしてルシの説明どおりなら、その成長幅は彼にも当てはまることになる。まだまだ先にいけると分かれば、少なくとも絶望する事はないだろう。


(それに……)


 それに、ルシは「〈加護〉はルクトの成長に応じて大きくそして強くなっていく」と言った。一度〈加護〉を体験させてもらったが、今の段階でさえ十分に強力だった。その〈加護〉がこれから先さらに大きく、また強くなっていくという。一体どこまで行くのかと思うと、ルクトは戦慄さえする思いだった。


 それはそうと、〈天元祖樹〉を見ていたルクトはふとあるものを思い出した。“樹”繋がりなのだが、それはかつて迷宮で見つけたあの大樹である。


 あの大樹の洞の中で手に入れた〈夜色の玉〉は、ルシが用意したマーカーだった。であれば、あの大樹もルシがそこに生えさせたものと考えるのが自然だ。実際、本人に確認してみたところ、ルシはあっさり「そうよ」と認めた。


「つまり、あの樹は〈夜色の玉〉をオレに渡すためのものだったのか?」


「そうね。それが第一の目的ではあったわ」


「……それはやっぱり、ルシの〈頼み事〉が関係しているのか?」


「もちろん」


 ルシのその答えを聞いて、ルクトは思わず唸る。〈オリジン・スフィア〉、〈加護〉、〈天元祖樹〉、そして〈夜色の玉〉。あまりにも壮大で想像を絶する舞台と仕掛けだ。そしてその全てがルシの〈頼み事〉に関係している。


「……なあ、ルシ。結局、お前の〈頼み事〉って何なんだ?」


「気になる?」


 ルクトは黙って頷いた。ルシはルクトよりも遥かに多くのことができる。そんな彼女が、わざわざこれほどの舞台と仕掛けを用意してまでルクトに頼みたいこと。それを気にするなと言うほうが無理だろう。


「隠すようなことでもないし、気になるというのであれば教えておくわ。私があなたにやって欲しいこと、それは迷宮最深部への到達よ」


 それは意外な〈頼み事〉に思えた。高位次元知性体を名乗るルシフィーネが、〈オリジン・スフィア〉を創り出しそれを維持管理していくほどの力を持つ彼女が、なぜわざわざそんなことをルクトに頼むのか。


「自分でやった方が早いんじゃないのか?」


 ルクトは率直な感想をそう口にした。しかしルシは苦笑しながら首を横に振りこう言った。


「言ったはずよ。私は全能ではない、と」


 高位次元知性体とは〈世界〉がたゆたう〈混沌の海〉に住まう、本物の超越種。しかし、人間よりはるかに多くのことを知っていて、多くのことができるとしても高位次元知性体は決して全知でなければ全能でもない。ルシは以前そう説明した。そしてその「出来ないこと」の一つが、〈世界〉への干渉だと彼女は言う。


「〈混沌の海〉に浮かぶそれぞれの〈世界〉は、〈界殻〉と呼ばれる次元の壁によって混沌から隔てられまた守られているの」


 そしてその次元の壁、つまり〈界殻〉を越えて〈世界〉に干渉することは、超越種たる高位次元知性体にもできない。その理由は、ルシの言葉を借りるなら「住む世界が違うから」だ。彼らに出来ることは、〈界殻〉の外から〈世界〉を大まかに観察、あるいは観測することだけだ、と彼女は言う。


「ちょっと待った。ルシは干渉したじゃないか」


 ルシの説明に違和感を覚えたルクトは思わずそう口を挟んだ。〈夜色の玉〉をルクトに与えたあの樹は自分の仕業であると、先程彼女は認めたばかりである。迷宮の中であったとはいえ、あれは立派な干渉であるはずだ。


「そう。それこそがあなたの住む〈世界〉の特異性なのよ!」


 ルシは手を握り締め、言葉に力を込めながらそう言った。そしてその特異性が、彼女の〈頼み事〉と大きく関係しているという。


「少し話は変わるけど、〈迷宮(ダンジョン)〉についてルクトはどんな風に感じている?」


「どんな風って言われても……」


「とても便利な存在だとは思わない?」


 ルクトが言いよどんでいるうちに、ルシはさらに問いを重ねた。その問い掛けに、ルクトは少し戸惑いながらも頷く。たしかに迷宮とはとても便利な存在だ。


 迷宮とは、言ってみれば枯れることのない鉱山、しかもありとあらゆる資源とエネルギー源を産出する鉱山である。これがあるおかげで、都市国家はただ一つの都市だけで自給自足していけるのだ。実際に完全な自給自足ができている都市国家は少数だが、迷宮という存在が「横の繋がりが薄い」というこの世界の特徴を作り出している、少なくともその一因になっているのは事実だろう。


 つまりこの世界の都市国家は迷宮のおかげで、他と関わることなく自立してやっていけているのだ。しかも迷宮は、前述したとおり枯れることが無い。これがただの鉱山であれば、都市は埋蔵量が尽きたとき衰退するかともすれば滅びるだろう。言ってみれば資源の埋蔵量が鉱山都市の寿命だといえる。しかし迷宮を抱え込んだ都市国家にはそのようなタイムリミットはない。半永久的にその場所で都市を存続させ、また発展させていくことが可能なのだ。これほど“便利”な存在はそうそうないだろう。


「だけど、『魔石やドロップアイテムは一体どこから来るんだろう?』って不思議に思ったことはないかしら?」


「それは……」


 ない、と言えば嘘になる。というより、それは迷宮に関わったことのある全ての人間が一度は抱く疑問だろう。


 例えば、木材。木材を得るためには、木を切らなければならない。そして木は長い時間をかけて成長する。だから木を切りすぎれば、森や山はあっという間に丸裸になる。つまり資源が尽きてしまう。


 つまり資源とはどのようなものであれ、取っていけばいずれはなくなるものなのだ。しかし迷宮は枯れない鉱山。どれだけ取ってもドロップアイテムや魔石が尽きることはない。では取った分はどのようにして補填されているのか。その疑問が出てくるのは当然のことだろう。


 しかし、その疑問に答えられた人間はいまだかつて一人もいない。あの〈御伽噺〉でさえ、正確な答えは知らないだろう。しかしルシの口ぶりからして、彼女はその答えを知っている。そして彼女は「また次回」などと言ってもったいぶったりはしなかった。


「魔石やドロップアイテムの素となっているもの。それは〈混沌〉よ」


 ルクトが住んでいる〈世界〉、その〈世界〉を覆う〈界殻〉にはある一点薄くなっている箇所があるのだとルシは言う。そしてその薄くなっている場所から、少しずつではあるが〈世界〉の内側に混沌が入り込んできているのだという。


「〈界殻〉を越えて〈世界〉の内側に入り込んだ僅かな〈混沌〉。それはつまり、あなた達が言うところの〈マナ〉よ」


「な……!? マナが混沌……?」


 ルシの言葉にルクトは絶句する。それは、にわかには信じがたいことだった。「混沌の中で人の意識はいとも容易く拡散する」とルシは言っていた。ということは、マナが満ちている迷宮の中でも同じことが起きていなければおかしいではないか。


「混沌とマナは完全に同質というわけではないの。あなたが住む〈世界〉の性質に引っ張られた混沌がマナ、と言った方がより正確ね」


〈界殻〉を通るとき、混沌は変質するのだという。その変質のおかげで、人がマナに触れても意識が拡散してしまうことはないのだそうだ。加えて、そもそも量が少ない。そのためその影響は極めて限定的だと言う。


「だけど、人体への影響がないわけではないわ」


 その最たる例が、いわゆる〈集気法〉だ。マナを取り込むことにより、人間は身体能力を強化することができる。これは立派な「人体への影響」だ。


「これが、“限定的”なのか?」


「ええ、限定的ね」


 集気法の効果は一時的だし、また使い続けたからと言って三つ目になったり、背中に翼が生えたりするわけでもない。個人能力(パーソナル・アビリティ)も含め、その程度の影響ならば十分に“限定的”だ、とルシは言う。


「だけど、何事にも例外は存在する」


 ルシの言う例外が何なのか、ルクトはすぐに分かった。マナによるより大きな人体への影響。それはすなわち……。


「……長命種(メトセラ)


「その通りよ」


 ルクトの答えに満足したかのように、ルシは笑顔を浮かべながら大きく頷いた。もちろん長命種とはいえ、彼女からすればまだ人間の範疇だ。しかし、少なくともただの人間とは言いがたい。マナの影響を受けた、あるいはそれに適応した人間と言えるだろう。


「……〈界殻〉を越えてこの〈世界〉に染み込む過程で、〈混沌〉は〈マナ〉になった。そして〈マナ〉は〈迷宮〉という便利な存在を作った。ここまではいい?」


 ルシの言葉に、ルクトは無言のまま頷く。正直、理解の及ばない箇所は幾つもある。だが、大まかな話の流れとしては大体理解できた。


「人が迷宮に潜るようになると、そのうち他よりもマナの影響を強く受けた人間が現れた。これがいわゆる〈長命種〉」


 そしてこの長命種という存在こそ、高位次元知性体ルシフィーネの興味の対象だと言う。


「多少変質しているとはいえ、マナとはつまり混沌。つまり長命種と呼ばれている存在は、混沌に対してある程度適応できた存在だといえるわ」


 このような事例は珍しい、とルシは言う。そしてこのような事例が発生するこの〈世界〉は極めて特異である、と言葉を続ける。


「もしかしたら、この〈世界〉からは自力で人間以上の存在へと進化する者が出てくるかもしれない。少なくとも、他の〈世界〉と比べればその可能性は高いわ」


 ルシは少し熱っぽくそう語った。それを観察することこそが、彼女の目的であるという。そして彼女はさらにルクトのほうを見ると、優しげな笑みを浮かべて彼にこういった。


「私は、あなたにも期待しているのよ。ルクト」


「オレに?」


 ルシの言葉にルクトは首を捻った。ルシ曰く、彼はもう人間ではない。人間の進化を観察することが目的なら、彼はその範疇外ではなかろうか。


「確かにあなたはもう人間ではないわ。でも、私のような高位次元知性体でもない」


 どちらかと言うとまだまだ人間に近い存在だ、とルシは言う。そしてだからこそ、ルクトは他にはない特異性を持っているといえる。


「あなたの特異性。それは、人間に近い存在でありながら高位次元知性体と深いかかわりがあることよ」


 そういうルクトであれば、たとえ完全な自力ではないにしても、いずれもっと高位の存在へ進化できるかもしれない。ルシとしてはルクトがそれを望むのなら喜んで手を貸すつもりだし、可能性だけなら群を抜いて高いといえるだろう。


「そう……、なのか?」


「ええ、そうよ。だから精進してイイ男になりなさい?」


 突然の話に呆けた顔をするルクトに、ルシはそう言いながら笑いかけた。そしてその笑みを収めると、「話を戻すわね」と言って話題を修正する。今は、ルシの目的と〈頼み事〉についての話である。


「観察をするだけなら、あなたの〈世界〉に手出しをする必要はなかった」


 しかしルシは手出しを、つまり干渉をした。それは一体なぜか。


「端的に言うとね、あなたの〈世界〉はこのままだと滅びてしまうの」


「はあ!?」


 思わずルクトは声を上げた。ルシの冗談かとも思ったが、やれやれと頭を左右に振る彼女の様子からは冗談とも思えない。


「い、一体どうして……?」


「〈界殻〉に穴が開いて、そこから混沌が流れ込むため、よ」


 ルクトが住む〈世界〉の〈界殻〉には薄くなっている箇所がある、とルシは先程言った。今は薄くなっているだけなので、わずかに混沌が染み込むだけで済んでいる。しかしいずれ、この箇所は完全な穴になるのだという。そうなったら最後、混沌が〈世界〉の内側に流れ込み、〈世界〉は崩壊する。かつて〈プライベート・ルーム〉が混沌に飲まれて崩落したように。


「い、いつそんな事が起こるんだ?」


「そうねぇ……。だいたい一万年後くらいかしら?」


「遥か未来じゃねぇか!」


 ルシのその答えを聞くと、ルクトは思わずそう突っ込んだ。緊張していた身体から力が抜ける。一万年後。彼にしてみれば、来るかどうかも分からない未来である。しかしそんなルクトの内心を見透かしたかのように、ルシの声が響いた。


「あなたにとってはそうでしょうね」


 ルクトにとっては「来るかどうかも分からない未来」かもしれないが、ルシにとっては違う。


「私にとっての一万年後とは、『確実に来るちょっと先の未来』よ」


 ルシは気負った様子さえ見せずにそう言った。その彼女の態度こそが、何よりもその言葉が真実であると裏付けている。そして彼女はにやりと笑うとさらにルクトにこう言った。


「ルクトだってそうよ。私が生かし続ける限り、あなただって一万年という時を生き続けることが出来る。より高位の存在になれば、私の力を借りなくたって一万年くらい簡単に生きられるわ」


 その言葉にルクトは絶句した。わずか二十数年しか生きていない彼にとって、一万年という数字は理解どころか想像の範疇さえ超えている。その時を生きるといわれても、にわかには信じられない。ただ何となく、「これが人間ではなくなったということなのか」と思った。


「……それで、〈世界〉が滅ぶという話だったわね」


 再び逸れてしまった話をルシは元に戻す。このまま何もしなければ一万年後に〈世界〉は滅びてしまう。しかし一万年程度の時間では、人間が人間以上の存在へ進化するには心もとない。というより、恐らくは無理であろうとルシは考えている。よってその進化を観察するためには、その滅びを何とかして回避しなければならない。


「……その、〈界殻〉の薄くなっている場所? を補強してやれば良いんじゃないのか?」


 ルクトはそう思いついたことを口にした。しかしルシは首を横に振る。


「それをしてしまうと、混沌が染み込まなくなるの」


 つまり、マナがなくなり迷宮もなくなる。〈世界〉を救うだけならそれでもいいかもしれないが、人間の進化の可能性がなくなってしまっては本末転倒である。


「やるのであれば〈世界〉の内側から、それも塞ぐのではなく現状のまま固定するような形にしなければならないの」


 しかしそれほどの干渉を行うことは、〈世界〉の外側にいるルシにはできない。〈界殻〉つまり次元の壁によって阻まれてしまうのだ。そこでルクトに迷宮の最深部、つまり〈界殻〉が薄くなっているまさにその場所まで行って欲しいのだ、とルシは言った。


「……ようやく、話が〈頼み事〉まで繋がったわね」


 そう言ってルシはため息を吐いた。もしかしたら喋りつかれたのかもしれない。


「今日はもう戻りなさい」


 続きはまた今度、とルシは言った。今回はルクトも素直に頷いた。とてもたくさんの事を聞いて、なんだかいっぱいいっぱいだったのである。


「送るわ」


 ルシのその言葉にルクトは頷く。それから彼は最後にもう一度〈天元祖樹〉を振り返る。まだまだ小さな苗木だ。そしてそれはルクト自身も同じ。


(やれやれ、先は長い……)


 けれども、先はまだある。そんなことを考えながら、ルクトはルシに瞬間移動でゲルの近くまで送ってもらった。


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