騎士の墓標8
巨大ダンゴムシのモンスターを迷宮の彼方にぶっ飛ばしたセイヴィアは、「ふう」と満足そうに息を吐き出して戦鎚を振りぬいたままになっていた姿勢を解いた。それから手に持っていた〈流星の戦鎚〉を消して無手になり、落ちてしまった男物の帽子を拾って被りなおす。
「セイヴィア………」
呆れたような声で彼女に声を掛けたのは、鉄鞭を持つレンゼだ。
「何度も言うが、あんなに派手にぶっ飛ばしたらドロップアイテムを回収できないだろうが」
モンスターが飛ばされた方向を指差しながら、レンゼはため息混じりに注意する。もしかしたらあの巨大ダンゴムシはセイヴィアの一撃で仕留められていたのかもしれないが、ああも派手にぶっ飛ばされては当然のことながら落としたであろうアイテムを回収することは不可能だ。ドロップアイテムを得ることが遠征と攻略の第一義的な目的なのに、セイヴィアのような戦い方を毎回していてはそれが成り立たなくなる。
「まあそう言うな。トロッコは無事で、しかも怪我人を出さずに済んだ。魔石の一個拾い損ねたからと言って大したことはないだろう?」
だが、困ったことにセイヴィアの言い分は正しい。彼らの目標は十階層であって、文字通り道半ばのこの辺りで遠征が続けられなくなるようなトラブルを起こすわけにはいかないのである。
トロッコに積まれた物資を失えば、もはや遠征どころではない。すぐにでも全力で上を目指さなければ、メンバー全員が生還できるかどうかさえ怪しくなるのだ。また誰かが大怪我をしても、遠征は切り上げなければならない。怪我をしていれば当然その分戦力は低下するし、そもそも怪我人にまで気を使いながら戦うのは負担が大きすぎる。
ちなみにトロッコとパーティーメンバーであれば、トロッコを優先するのが遠征の基本だ。なぜならトロッコを失えばメンバー全員の生還が怪しくなるからである。それよりは一人を切り捨てる、というのが非情だが正しい判断なのだ。もっともその場合、その一人が怪我をして遠征を切り上げることになる、というのがほとんどだが。
遠征を切り上げなければならなくなるような、そういうリスクを抱えることなく戦闘を終えることができたのは、間違いなくセイヴィアの素早い判断のおかげだ。
だが、呆れたようにしつつも何か言いたそうなレンゼの顔を見て、セイヴィアのほうにも何か問題があるのだろう、とルクトは直感した。恐らく彼女はたびたびああやってモンスターを“ぶっ飛ばして”いるのだ。つまりそれはドロップアイテムを、もっと露骨に言えばお金を、全力で“ぶっ飛ばして”いるのと同じで、そう考えるとルクトだって文句の一つや二つ言いたくなる。
「………お前のことだ。大方、久方ぶりに手ごろなモンスターが出たもんだから我慢し切れなかったんだろ?」
レンゼのその言葉で、ルクトは直感を確信に変えた。一方、皮肉を言われたセイヴィアは気にした様子もなくニヤニヤと笑っている。
「レンゼ、そこまでだ。セイヴィアの判断は正しかった」
リーダーであるヴィレッタが仲裁に入ると、もともと本気ではなかったらしいレンゼはすぐに引いた。周りのメンバーたちもそうピリピリした空気ではなかったので、良くあることなのかもしれない。
皮肉を言ったレンゼとて、セイヴィアの判断が正しかったことは認めているはずだ。ただこの先も同じ調子でモンスターをぶっ飛ばされては攻略にならないから一言釘を刺した、とそんなところではなかろうか。
「ただ………」
とヴィレッタは言葉を続けセイヴィアに意味ありげな視線を送る。
「〈流星の戦鎚〉を横ではなく縦に振るってもらえれば、ドロップアイテムも回収できたのに、と思わないでもないがね」
そう言われたセイヴィアは肩をすくめて“降参”とばかりに両手を上げる。二人のやり取りに周りから笑い声が漏れて空気が弛緩した。
「ほらほら!時間を無駄にしない!」
ドロップを回収して先に進むぞ、とヴィレッタが手を叩いて声を上げると、パーティーのメンバーたちは再び前衛と後衛に分かれて迷宮を進み始めた。ドロップアイテムはきちんと回収してトロッコに収めてある。
ルクトもその後にくっついて歩き始める。前を行く〈叡智の女神〉のメンバーたちを見る彼の目には、少なからず憧れが混じっている。
(やっぱいいな……、パーティーって………)
しみじみそう思うルクトであった。
ヴィレッタたちが三体のモンスターを退けてからおよそ十分後、ルクトは彼女らと別れて再び一人になっていた。分かれ道はまだ先だったのだが、通路が交差している箇所に来たのでいつも通り飛び降りてショートカットしたのだ。
「………噂には聞いていたが、目の前でやられると妙に腹が立つな」
ヴィレッタの言葉に、パーティーメンバーたちも「あ~、分かる分かる」と言わんばかりに頷く。
「………なぜに?」
ルクトの強化された聴覚はヴィレッタのその呟きを聞き取ってしまう。そして思わずもらした彼の呟きも、彼女達には聞こえていたようだ。
「身軽な後輩に嫉妬しているのさ。なにせコイツは胸がないわりに体重が………!」
饒舌に喋っていたセイヴィアの言葉は、硬く握られたヴィレッタの拳によって強制的に中断させられた。〈ブラッティ・ローズ〉の花弁よりも顔を赤くしたヴィレッタは、お腹をおさえてうずくまるセイヴィアにかまわず、腰間から剣を抜いてその切っ先を下方にいるルクトに向ける。
「忘れろ!!」
「「「「は、はい!!」」」」
ルクトは思わず背筋を伸ばし、大きな声で返事をした。ここで「いいえ」とか答えたら、そのまま飛び降りてきて斬り捨てられそうな剣幕だ。直接剣の切っ先を向けられているのはルクトだが、その剣幕に圧されてパーティー内の男性メンバーたちも背筋を伸ばして直立不動の姿勢をとっている。
「そして〈叡智の女神〉に入れ!!」
「それは断ります!!」
ち、というヴィレッタの舌打ちはしっかりと強化されたルクトの耳にも届いた。まったく、諦めないとは言われていたが、この流れで口説こうとするとは油断も隙もない。フラれてしまったヴィレッタは、剣を鞘に戻すと未だにうずくまっているセイヴィアに視線を向けた。
「腹なんかおさえてどうした、セイヴィア?」
「いや、お前が………」
「ん?私がどうかしたか?」
「イエ、ナンデモナイデス」
ヴィレッタの妙に迫力のある笑顔によって、セイヴィアの訴えは封殺されてしまった。まあ、自業自得な結果ではあるが。
「さて、いつまでもココで立ち止まっていても仕方がない。先に進もう」
ルクト君も無用な心配だとは思うが気をつけてな、とヴィレッタは完全にいつもの調子を取り戻して言った。その様子だけ見れば文句なしに凛々しいのだが、そのすぐ前の顔を真っ赤にして取り乱す姿も見ているから、なんと言うか、取り繕った感がすごい。きっとこの先彼女と顔を合わせるたびに、真っ赤になったあの顔を思い出すんだろうな、とルクトはどこか他人事のように考えた。
「はい。先輩達もお気をつけて」
が、そんな内心はおくびも出さずルクトは礼儀正しく一礼した。それを見たヴィレッタも「うむ」と頷いてからきびすを返し進み始める。セイヴィアがルクトに苦笑めいた顔を向けていたのは、きっと気のせいだろう。
(パーティーって大変だなぁ………)
遠ざかっていく〈叡智の女神〉のメンバーたちの背中を見送りながら、ルクトはしみじみとそんなふうに思った。
▽▲▽▲▽▲▽
ヴィレッタら〈叡智の女神〉のメンバーたちと別れてからは他のパーティーと遭遇することもなく、ルクトはついに目的地である八階層の地底湖までたどり着いた。目の前の地底湖はほぼ円形で、直径はおよそ30メートル。対岸にはその先にも通路が続いているが、地底湖の縁は幅がほとんどなく迂回することは難しい。ちょうど、地底湖によって通路が寸断されている形である。
「騎士様のお姿は見当たらず、と………」
予想していたことではあったが、地底湖の対岸に〈彷徨える騎士〉の姿はない。「居れば儲けもの」ぐらいにしか考えてはいなかったが、実際にいないとなると肩透かしを食らったような感が強い。
「ま、せっかくだし狩りはしていくか………」
ルクトは肩をすくめて軽い失望を消し去ると、左手の指を“パチン”と鳴らしてゲートを作った。そしてそれを地底湖の中に沈めて、水を〈プライベート・ルーム〉の中に移し替えていく。
地底湖の水がなくなったところでルクトはゲートを消した。集気法を使って身体を強化してから水のなくなったくぼ地に飛び降りると、期待通りいたるところで魚型のモンスターが飛び跳ねている。
「大漁大漁」
思っていたよりもモンスターの量が多く、ルクトは上機嫌にそう呟いた。〈彷徨える騎士〉はいなかったが、これならば結構な稼ぎになる。
彼は腰間から太刀を抜くと、それらのモンスターを一匹ずつ仕留めてドロップアイテムを回収していく。見渡す限りにモンスターもドロップアイテムもなくなると、ルクトは一つ頷いてから勢い良く跳躍して地底湖跡のくぼ地から出た。
「ありゃ」
くぼ地から出て辺りを見回すと、ルクトは間抜けな声を出した。着地したのがいわゆる“対岸”だったのだ。一度確認したことがあるがこの先は行き止まりで、つまり帰るためにはもう一度このくぼ地を越えなければならない。
失敗したな、と苦笑しつつもルクトはすぐに動こうとはしなかった。
「たしか、〈彷徨える騎士〉が現れたのは、シャフトの裏側からだったか………」
昨日聞いたソルの話を思い出す。確かに昨日、彼は「地底湖の対岸に出現した」とは言わなかった。
昨日は不思議には思わなかったが、よくよく考えてみればこれは少し変である。ソルの聞いてきた噂が本当だとすれば、〈彷徨える騎士〉はシャフトの裏側で出現したことになる。しかしモンスターというのは、ハンターが近づいて初めて出現するのが普通だ。あらかじめ出現していたモンスター、というのはあまり聞かない話だ。
(〈飛行タイプ〉のモンスターはもしかしたらそうなのかもしれないけど………)
また〈彷徨える騎士〉が姿を認めたハンターに襲い掛かることなくシャフトの裏側に姿を消した、というのもおかしい。モンスターとはハンターを見つければ襲い掛かってくるもので、これだけは例外はないと断言できる。それなのに、いくら間に地底湖があったとはいえ、その素振りさえ見せないのは不可解だ。
「行ってみるか………?」
小さく呟き、ルクトは背後の白い通路を貫く巨大なシャフトを見た。実はあの先に少し開けた空間があるのだが、こちら側からではシャフトに阻まれてそこを見ることはできない。もっとも〈採取ポイント〉ではないし、また通路が続いているわけでもないため、最初に確認しに行ってからはそれっきりだ。
しかし今は、もしかしたら何かあるかもしれない。いや、なにも変わっていない公算は大きいが、しかし少なくとも〈彷徨える騎士〉という珍しいモンスターが出現するのはシャフトの向こう側なのだ。この後、さらに下層に潜るつもりはないし、図らずもこちら側に来てしまっている。
(ま、見るだけ見てみるか………)
少し歩いて見に行くくらい、大した手間ではないだろう。それにどうも普通のモンスターとは違うらしい〈彷徨える騎士〉に興味があるのも事実だ。
ルクトは左手の指を“パチン”と鳴らして、地底湖の水を移し替えていた〈プライベート・ルーム〉を消した。その瞬間、大量の水が実空間に復帰し、空っぽだったくぼ地が水で満たされる。
「戻るときにもう一回、移し替えないとだな………」
波打つ水面を眺めながら、苦笑気味にルクトは呟いた。その手間がかかると分かっていてそれでも地底湖を元通りにしたその理由は、万が一、〈彷徨える騎士〉が出現したときに、ほかのハンター達に邪魔されないためだ。
ここカーラルヒスの迷宮に潜るハンターたちは基本的に礼儀正しく、「割り込み」や「横取り」といったマナー違反をすることはほとんどない。しかし仮にしたとして、それを取り締まる法は、迷宮のなかには存在しないのだ。「弱肉強食の無法地帯」。それが迷宮の本質である。警戒をしておくに越したことはない。
いまだ揺れる地底湖の水面に背を向け、ルクトは歩き出した。白い通路を貫く巨大なシャフトを迂回し、その裏側へと回りこむ。そしてちょうど半分ほど回り込んで死角になっていた向こう側が見えるようになったとき、ルクトは驚愕の声をもらした。
「……な……に………!?」
――――突撃槍が一本、迷宮の白い床に突き刺さっている。
シャフトの裏側からはまた通路が伸びており、その先は直径が50メートルほどの開けた空間になっている。その開けた場所のちょうど真ん中辺りに、一本の突撃槍が突き刺さっているのだ。
「ありえない!」
思わずルクトは声を上げた。視線の先の突撃槍がどうしてそこに存在しているのか、その理由がまったく分からなかったのである。
普通に考えれば、あの突撃槍はドロップアイテムだ。〈彷徨える騎士〉はすでに誰かによって倒され、あの突撃槍がドロップした。そう考えるのが、一番マシだ。
しかしすぐに反論は思いつく。あの突撃槍がドロップアイテムであるというのなら、〈彷徨える騎士〉を倒したハンターたちはなぜドロップを回収しなかったのか。納得のいく理由は浮かばない。
であるならば、あの突撃槍は誰かが置いて行ったのだろうか。しかしわざわざああやって武器を放置していく理由が分からない。ましてやここは八階層で、その上地底湖を越えなければならないのだ。普通は遠征しなければ来られない場所で、どう考えても不合理である。
それに迷宮に放置された物品は一定時間が経過すると、マナに還元されて迷宮に吸収される。つまりあの突撃槍がドロップアイテムか、あるいは誰かが放置したものだとしても、それからまだあまり時間は経過していないはずなのだ。しかしルクトがここに来るまでに、それらしい人物やパーティーとすれ違ったりはしなかった。(もっとも、ショートカットしていたせいで接触しなかった可能性はあるけれど)。
残る可能性としては、あの突撃槍が突然あそこにドロップした、ぐらいだろうか。〈採取ポイント〉などの例を考えればありえないことではないが、しかし「武器を採取した」などいう話は聴いたことがない。
それに迷宮の中というのは、基本的に不変だ。気温などの環境もそうだし、たとえ通路などに傷が付こうとも時間が経てばそれは修復される。だから〈採取ポイント〉でなかった場所が突然〈採取ポイント〉になった、とは考えにくい。
「まあ、迷宮とは人知の及ばぬ魔境。なにが起こっても不思議ではないけれど………」
しかしルクトの目の前の光景は、彼がこれまで培ってきた「迷宮の常識」とはかけ離れている。それが彼の思考を混乱させた。
「まあいい。レア物なら高く売れる。それだけだ」
そう呟き、ルクトは頭の中の混乱を鎮めた。そして突撃槍から視線を外さないようにしながら近づいていく。
あと一歩で広場に足を踏み入れるところまで来て、ルクトは一旦足を止めた。それから腹の底に落とし込むようにして深呼吸し、集気法によってマナを集めていつもより丁寧に烈を練り上げる。
(あと一歩踏み込めば、〈彷徨える騎士〉が出現する………)
確証はないが、しかしおかしな話、確信はある。知らずの内に、太刀の鞘を握る左手に力が入った。
一つ深呼吸してから、ルクトは一歩足を進めた。その瞬間、突き立てられた突撃槍のすぐ近くにマナが収束し始め光として揺らめく。
ルクトは多少駆け足になって広場の真ん中に進む。後ろに下がれない状況での戦闘を避けるためだ。そして突撃槍との距離がおよそ20メートルの辺りで立ち止まり、腰を落として抜刀の構えを取る。
ルクトが鋭い視線を向ける先で、揺らめく光はだんだんと輝きを増していく。そして一際強い光がルクトの視界を染め上げた次の瞬間ついに、一人の、いや一体の〈騎士〉が現れた。
「グルゥゥゥォォォオオオオオ!!!」
騎士が雄叫びを上げる。フルフェイスの冑を被っているからなのか、その声はくぐもって聞こえた。
ルクトは敵の姿を注意深く観察する。フルアーマーにも似た全身を覆う強化外骨格。左手には縦に長い大盾。右手には何も持っていないが、それは無手で戦うためではなく、持つべき武器がすでに用意されているからにほかならない。
迷宮の白い床に突き立てられた突撃槍を騎士が引き抜いて構える。その姿は噂に聞いた〈彷徨える騎士〉そのものだった。