卒業の季節24
その日、タニアシス・クレイマンはレイシン流の道場を訪ねた。ただ、そこを訪ねる彼女の表情は暗い。そして応対に出たクルーネベル・ラトージュの顔も強張っていた。
「あの、ラキアさん、は……?」
タニアの問い掛けに、クルルは沈痛な面持ちをしながら首を横に振った。
「お部屋に、閉じこもってしまって……」
「そう、ですか……」
小さくそう呟くと、タニアは俯いた。来てはみたものの、部屋に閉じこもっているというラキアに何を言えばいいのかもわからず、結局買って来た手土産をクルルに渡すと、家の中に上がることもせずにその場を辞した。
「どうして、こんなことになっちゃったのかな……」
学園へと戻る帰り道、賑わう雑踏のなかでタニアは小さくそう呟いた。七月も半ばを過ぎ、日差しはいよいよ強くなっている。気温も高くなった夏の盛りだというのに、タニアはここのところずっと冷たいものを感じ続けている。
迷宮の中でサミュエル・ディボンがタニアたちの前に現れたあの日から、もうすでに二週間が経過した。サミュエルと、彼を止めるためにその場に残ったルクト・オクスは、まだ迷宮から帰還していない。
あの日、サミュエルに殺されそうになったタニアたちは、「早く行け!」というルクトの声に押されて走り出した。その前のモンスターとの戦闘で荷物を失っていたこともそうだが、明確な殺意を見せて〈絶対勝利の剣〉を振りかざしたサミュエルから一刻も早く逃げたかったのだ。
迷宮の中を走るタニアたちは動揺していた。サミュエルは、除名したとはいえ元はパーティーメンバー。そして同級生でもある。恨まれているだろうとは思っていた。だがまさか殺されそうになるだなんて、一体誰が考えるだろう。
どうしてなのか。何が悪かったのか。どうすれば良かったのか。
色々なことを考えすぎて、頭の中はグチャグチャだった。正直、どこをどう走ったのかもよく覚えていない。自分たち五人だけだったら、無事に迷宮から出ることができたかどうかも分からない、とタニアは思っている。
そんな五人を先導してくれたのが、ラキア・カストレイアだった。ルクトが故郷から連れて来た幼馴染とコンビを組んでいるという話はタニアも知っていたが、その幼馴染こそ彼女だった。彼女の先導は的確で、五人が迷子になることなく無事に帰還できたのは彼女のおかげだとタニアは思っている。
『そっちの道じゃない。こっちだ』
『ここでショートカットできる』
『後もう少しだから、頑張って』
ラキア自身もルクトのことを心配していたはずなのに、彼女は時にタニアたちに励ましの言葉をかけながら動揺する彼らをまとめて迷宮の出口まで案内してくれた。
そして迷宮から脱出すると、ラキアはタニアら五人を見送り会館のなかでルクトが帰ってくるのを待った。しかし、彼が帰ってくることはなかったのである。
動揺して取り乱すラキアを宥めたのはクルルだった。彼女のおかげでラキアはひとまず冷静さを取り戻したが、しかし最悪の可能性は頭を離れなかったに違いない。彼女の顔色は、ずっと青白いままだった。
その日は一睡もせず、ラキアは次の日の朝を迎えた。しかしまだ、ルクトは帰ってこない。「〈プライベート・ルーム〉の中には食料の備蓄がまだあったから大丈夫」と自分に言い聞かせてみても、それが的外れな慰めでしかないことは本人が一番よく分かっていた。
いくら食料に余裕があるからと言って、ルクトがそのまま一人で攻略を続けているというのは考えられない。そもそも彼とラキアは遠征を切り上げて帰る途中だったのだ。合同遠征も控えているというのに、彼が迷宮に残る理由はない。しかし事実として彼はまだ帰ってこない。それが最悪の可能性を連想させた。
そしてルクトが帰らないまま三日が過ぎ、七日が過ぎ、そしてついには二週間が過ぎた。ここまで来ると、もう生存は絶望的である。一応規定として、迷宮内で行方不明になった場合は一ヶ月が経過しないと死亡と認定しないことになっているが、すでにルクトとサミュエルが生きているとはもう誰も思っていなかった。
しかしこの日、事態は急展開を迎える。
暗い顔をして学園に帰ってきたタニアは、その話を聞くと急いで今さっき来た道を走って戻った。向かうのはレイシン流道場である。彼女の顔には、さっきまでとはうって変わって喜色が浮かんでいた。
ついさっき帰ったはずのタニアが息を切らせながら再び訪ねてきたとき、クルルはさすがに怪訝な表情をした。しかしタニアからその知らせを聞くと、クルルもまたたちまち目の端に涙を、満面に笑みを浮かべる。すぐにタニアを家に上げると、クルルは彼女を連れてラキアの部屋に向かった。
「ラキアさん!」
クルルはノックもせずにラキアの部屋に入った。彼女の部屋はカーテンが締め切られていて薄暗い。その部屋の中、ラキアはベッドの上で膝を抱え、クッションに顔をうずめて涙を流していた。彼女の涙は、未だに枯れ果てることを知らない。空気は重く、また濁っている。
そんな、陰々欝々とした部屋の中の雰囲気を吹き飛ばすかのようにして、クルルは明るくこう叫んだ。
「ルクトさんが見つかりました!!」
その言葉を聞いた瞬間、ラキアの身体がピクリと動いた。クッションにうずめられていた顔がゆっくりと持ち上がり、その目の焦点が部屋の入り口に立つクルルに合う。ただ、彼女の目の光は未だに暗い。
ラキアの注意を引いたところで、タニアが「自分もついさっき聞いたばかりなんだけど」と前置きしてから、聞いてきたことを彼女に話す。
ルクトを見つけたのは、今日の朝一番に迷宮に入ったハンターの一団だった。彼らが入り口のエントランスに出ると、なんとそこにルクトが倒れていたのである。剣帯に吊るした鞘の中に太刀はなく、左腕が剝き出しの状態だった。幸いにして外傷はなかったが意識もない。ただ呼吸と脈はあり、生きていることは間違いない。ハンターの一人が軽く頬を叩いてみたが、それでも起きなかったそうだ。
ルクトはすぐに外に運び出された。会館に常駐している医師が診察を行い、ひとまず問題なしという結論が出ると、彼は学園の医務室に運ばれ今はそこのベッドの上にいる。
タニアの話を聞いているうちに、ラキアの目に光が戻ってきた。彼女の目には相変わらず涙が浮かんでいるが、しかしその訳はついさっきまでとはまったく逆のはずだ。
「ルクトが……、本当に……?」
「はい、本当です!」
実はタニアも話を聞いただけで飛び出してきたものだから、実際にルクトの姿を見てきたわけではない。しかし彼女は本当だと言い切った。今必要なのは勢いと確信なのだ。そしてそれは、恐らく間違っていなかった。ラキアがクッションを投げ出し、部屋を飛び出したのである。
学園に向かうラキアの後をタニアは慌てて追う。ちなみにクルルは家に残った。後日改めて見舞いに行くそうだ。もしかしたらロイたちがこの後来る予定なのかもしれない。
学園は基本的に関係者しか入ることができない。ここの学生ではないラキアは本当は入れないのだが、タニアが事情を説明して中に入れてもらった。
タニアに案内され、ラキアは医務室に急ぐ。医務室に入ると、ルクトはベッドの上に寝かされていた。
「ルクト……!」
ルクトの姿を見たラキアが、小さくそう呟きながら彼が横たわるベッドに駆け寄って顔を覗き込む。まだ意識が戻っていないのか、目蓋は閉じたままだ。ただ寝顔は安らかで、聞いていた通り大きな傷もない。本当にただ眠っているだけのように見えた。
「良かった……。本当に、良かった……!」
ラキアの目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。死んでしまったと思っていた。もう会えないと思っていた。だが両手で握る彼の手は暖かい。ちゃんと生きている。帰ってきてくれたのだ。
不意に、ラキアの握るルクトの手がピクリと僅かに動いた。それを敏感に感じ取ったラキアは勢いよく頭を上げてルクトの顔を見る。彼女が見守る中、ルクトは僅かに顔をゆがめてからゆっくりと、それこそ本当に眠りから覚めるようにして目蓋を開けた。
「あ、ああ……!」
ラキアの漏らした声に反応して、ルクトの視線が動く。そして彼女の顔に目の焦点が合うと、ルクトの唇が僅かに動き寝起きの擦れた声を出した。
「ラキ、か……?」
「……!!」
ルクトの声を聞いた瞬間、ラキアは目を大きく見開いた。涙が止めどなく流れてくる。涙で視界がぼやけて、彼の顔がよく見えなかった。
「心配、したんだからなっ!」
今さっき起きたばかりのルクトは、あれから何がどうなって自分がここにいるのか、何も分かっていない。しかしラキアがなにを心配し、そしてなぜこんなに泣いているのか。それは何となくルクトにも分かった。
「ああ……」
「本当に、心配、したんだからなっ……!」
「ああ……。ただいま、でいいのか、ラキ……?」
ルクトのその言葉を聞くと、ラキアは今度こそ声を上げて泣き始めた。ルクトの首に腕を回し、まるで縋り付くようにして彼女は泣いた。二週間分の悲しみを洗い流すかのように、ただ、泣いた。
▽▲▽▲▽▲▽
目覚めたその日の夜、ルクトはまだ医務室のベッドの上にいた。起きた後、医務室の先生からも診察してもらい特に異常は見られなかったが、大事を取って今晩はここで安静にしているように言われたのだ。明日以降のことは、明日の朝の彼の調子を見て判断するそうだ。
ルクトが見つかったこと、そして彼の意識が戻ったという話は瞬く間に広まった。クルルのところで話を聞いたらしいロイら六人や、学園内にいた同級生、それにカルミなどなど、多くの人が彼の見舞いに訪れた。そのせいで騒がしくなり医務室の先生から怒られたのは、まあ幸せな笑い話と言うべきだろう。
ただ、誰もが嬉しそうに笑顔を浮かべる中、タニアだけは少しだけ悲しげな顔をしていた。ルクトと同じく行方不明になっているサミュエルのことである。彼のことを尋ねられたルクトは正直にこう答えた。
『サミュエルのことは、オレもよく分からない。〈プライベート・ルーム〉の中で気を失って、気が付いたらここにいたんだ』
それを聞くとタニアは「そっか」とだけ応じ、それ以上サミュエルのことは話題にしなかった。どれだけ複雑な想いを内心に抱えていようとも、彼女はそれを表に出さなかったのである。それはきっと彼女の強さなのだろう、とルクトは思った。
さて、昼間の喧騒も過ぎ去り、夜の医務室は静かだった。そしてその静かな医務室の中、ルクトは暇を持て余していた。二週間たっぷり寝ていたせいか、まるで眠くならないのである。眠る努力を早々に放棄した彼は、ただ医務室の天井を見上げながらぼんやりとしていた。
そして、そうやってぼんやりとしていると色々なことを考えてしまう。
「二週間、か……」
ルクトは小さくそう呟いた。あの日からすでに二週間も経過している、と言う話は起きてすぐに聞いている。ただ彼自身について言えば、その意識はまったくない。「妖精か何かに連れられて不思議な世界を旅してきたら、戻ってきたときには何十年も経っていた」という類のお伽噺は世界中でありふれているが、ルクトはなんだかプチお伽噺体験でもしたかのような気分だった。
「ま、無事にこうしていられるんだから文句はないけどな」
そう呟くルクトの声音はどこか皮肉っぽかった。今の彼は確かに五体満足である。しかしそれが何よりの異常事態であることを、彼だけが知っている。
(あの時、オレは確かに左腕を失ったはず……)
血霞が舞い、左腕を失ったその光景をルクトは確かに見たはずなのである。しかしそれなのに、今の彼の左肩にはちゃんと腕が付いていて違和感なく動かすことができている。モノを触れば感触があるし、つねってみればちゃんと痛い。どこも異常なところのない、正常な左腕である。
とはいえ、その左腕は曲者だった。なんと左右の腕で若干肌の色が違うのだ。左腕の方が僅かに白い。並べて見比べてみなければ分からない程度とはいえ、左右の腕で確かに差異があるのだ。吹き飛ばされたはずの肩口から左側の肌が全て肌の色が若干白くなっている。境目で見比べてみれば、その差は一目瞭然である。当然、以前はこんなことはなかった。
極めつけは傷跡だ。左腕に残っていたはずの傷跡が、綺麗さっぱりなくなっているのである。ここまで来るともう、まったく新しい腕が一本生えてきたとしか考えられない。左腕がちゃんとあって五体満足でいられる。それ自体は喜ぶべきことなのだろうが、なんだか得体の知れない不気味さを感じてしまう。
「何なんだろうねぇ、一体……」
思い当たる節はないし、考えてみてもさっぱり分からない。ぼやきたくなっても仕方がないだろう。それに不可解なことは左腕のことだけではない。
ルクトは二週間行方不明になっていたという。そしてその間のことを彼は覚えていない。恐らくだが、ずっと意識を失っていたのだろう。ということはその間ずっと、彼は飲まず食わずだったはずだ。
しかしこうして意識を取り戻したルクトに、衰弱した様子はない。むしろたっぷり寝たおかげで調子がいいくらいだ。これは一体どういうことなのだろうか。もしかしたら意識を失っている間に〈御伽噺〉に捕まり、人体改造でもされてしまったのだろうか。そんな突拍子もないことまで考えてしまう。
「もしかしたら、コイツのおかげなのかね?」
そう言ってルクトは胸元からペンダントを引っ張り出す。だがそこに付いていたはずの〈夜色の玉〉がない。ペンダントに壊れた様子はなく、その玉だけが忽然と姿を消してしまったかのようだった。
もしかしたら身代わりになってくれたのかもしれない。そんな考えがふと浮かぶ。ありえないとは思いつつ、もしそうであったとすれば売らずに取っておいた甲斐があったなとルクトは思った。
そして次の日の朝。身体に異常は見られずまた食欲もあるルクトの様子を見て、医務室の先生は彼に“退院”を許可した。彼は一旦寮の自室に戻って着替えをし、そして合同遠征でお世話になっているギルド〈水銀鋼の剣〉のギルドホームに向かった。
「ご無事の帰還、何よりです」
ギルドホームに入って来たルクトの姿を見て、合同遠征の窓口担当のイズラ・フーヤは開口一番にそう言った。ただし、いつも通りの無表情で。こんな時くらい笑顔を見せてくれても良いのにとルクトは思う。
「情報が早いですね」
「昨日の今日で姿を見せていただけるとは、さすがに思っていませんでしたが。……それで今日はどういったご用件でしょうか?」
イズラに促され、ルクトは用件に入った。まず不測の事態であったとはいえ合同遠征を潰してしまったことを謝罪する。大変な事態であったことはギルド側も承知しているらしく、「もう終わったことですから」とこの謝罪はすぐに受け入れてもらえた。
「それで、こっちが今日の本題なんですが……」
卒業が近づき何かとバタバタとしているので、合同遠征はもう開催しない方向で調整して欲しい、とルクトはイズラに頼んだ。これは昨日の夜に考えたことである。
「そうですか……。確かに、まだ次の予定は立てていませんが……」
残念ですね、とイズラは表情を変えることなくそう言った。完全無欠の無表情なので、彼女が本当に残念がっているのかルクトには判断が付かない。とはいえ彼の要望通りの方向で調整するとイズラは約束してくれた。そのことに礼を言ってから、ルクトはギルドホームを後にした。
建物から出てくると、ルクトは何となく空を見上げた。鳩だろうか、鳥が羽ばたきながら彼の視界を横切っていく。カーラルヒスを後にする準備は着々と進んでいる。そのことに彼は一抹の寂しさを覚えるのだった。
そして卒業式の当日。ルクトは洗濯をしてアイロンをかけておいた武術科の制服を着込み式の会場へと向かった。席は学科ごとに分けられているが、個別に決められているわけではない。見つけた友人たちと一緒に適当な席に座った。
やがて卒業式が始まる。とはいえ、やはり楽しいものではない。学園長やお偉いさんの話を右から左に聞き流す。ありていに言えば退屈だ。
やがてそれらの話も終わり、卒業証書の授与が始まる。ただし、卒業生全員の名前を呼んで一人ずつ手渡しするわけではない。各学科から一人代表が選ばれ、その学生がまとめて受け取るのだ。
武術科の代表は、ロイニクス・ハーバンだった。なんでも、卒業生の中で最初に実技要件を達成したパーティーのリーダーを代表にするのが通例なのだそうだ。それならばルクトが選ばれても良さそうなものだが、彼の場合事情が特殊なのとつい最近まで行方不明になっていたので候補から外されたのだとか。まあ本人は「面倒なことをせずに済んだ」と喜んでいたが。
そして最後にオーケストラ部の演奏を聞き、卒業式はお開きになった。この後学生たちは学科ごとに教室に集まり、そこで卒業証書を受け取ることになる。
自分の名前が入った卒業証書を受け取ると、さすがに感慨深いものがある。六年と言う時間をかけて一つの事柄を成し遂げたのだ。そしてその感慨に添えるようにして、証書を手渡してくれた教官は最後にこんなことを言った。
「その卒業証書は、言ってみればただの紙切れだ。だが君たちの実力を保証する紙切れだ。君たちはハンターとして第一線で活躍できるだけの実力を身につけた。その紙切れは、そのことを保証するものだ。
胸を張ってほしい。君たちはもう未熟な学生ではない。一人前のハンターだ。卒業、おめでとう」
その瞬間、割れんばかりの拍手が起こった。涙を流している者がいる。その中にはルーシェの姿もあった。そんな彼女をテミスが胸に抱きしめている。ソルがイヴァンを巻き込んで歓声を上げ、ロイはそれを煽りながら手を叩いている。
ルクトもまた惜しみない拍手を送った。今日卒業する同級生と友人たち、そしてなにより自分自身に。この日ルクトはメリアージュの言いつけを守り、ノートルベル学園武術科を卒業したのだ。
卒業証書を受け取ると、卒業生たちは思い思いに散っていく。それぞれに打ち上げをするのだ。特に学内ギルドに入っている連中は、店を借り切っての盛大な打ち上げがあるらしい。そして、そこまで盛大ではないが、ルクトたちもこの後打ち上げを計画していた。
「じゃあ、行こうか。クルルとラキアが待ってるし」
そう話すロイを先頭に六人が向かったのは、もうすっかりお馴染みになったレイシン流の道場だった。学生ではないクルルとラキアは卒業式には参加せず、こっちで打ち上げ会の準備をしていたのである。(主にクルルが)腕を振るいまくったらしく、六人が到着したときにはすでに美味しそうな料理が数多くテーブルの上に並べられていた。最後の仕上げを全員で手伝い、八人がテーブルについてグラスを持つとロイが立ち上がって音頭を取った。
「おかげさまで無事に卒業することができました。さあ飲むぞ! 乾杯!!」
「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」
そこから先はあえて語るまい。次の日の明け方近くまで騒いだ、とだけ書いておこう。
そして卒業式の次の日。お昼近くまで寝ていたルクトたちは、簡単な昼食を食べて昨晩の後片付けを行い、それぞれ寮や家に帰った。ルクトもまた、寮の自室である403号室に帰ってきた。卒業生は卒業後二週間以内に寮を引き払わなければならない。そしてこの部屋にはまた新入生が入ってくるのだ。ちなみに、寮を引き払った後、ルクトはしばらくの間クルルの家で厄介になることにしている。
部屋の中を片付けて掃除も終えたルクトは、床の上に置いた荷物を前に腕組をしていた。この荷物を持っていく一番簡単な方法は、〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んでしまうことだ。しかしその〈プライベート・ルーム〉は、さて今どうなってしまっているのだろうか。
あの日、サミュエルの一撃によって〈プライベート・ルーム〉は崩壊してしまった。そこから先のことをルクトは覚えていないが、崩壊が始まっていたことだけは覚えている。果たして〈プライベート・ルーム〉は今もちゃんとあるのだろうか。
意識を取り戻してから今日までの間に、〈ゲート〉を開いてみたことはある。〈ゲート〉は問題なく開けた。しかしその先にもしも何もなかったら。そう思うと怖くて、ルクトは今日まで〈ゲート〉を潜ることができずにいた。
「う~ん……」
ルクトは唸り声を上げる。とはいえ、このまま確かめないではいられないだろう。これから一ヶ月、ロイたちと迷宮攻略を行う約束なのだ。そしてそれ以上に、〈プライベート・ルーム〉が使えなければ「長命種になる」という計画まで狂ってしまう。
眉間にシワを寄せながら、ルクトは〈ゲート〉を開いた。そして空っぽになってしまった鞘をそこに突き入れてみる。手応えは何もない。抜いてみても、鞘に何も変わった様子はない。
意を決し、ルクトはまず片腕を〈ゲート〉に突っ込んでみた。〈ゲート〉の奥の様子は外からは見えない。しかし、ひとまず突っ込んだ腕に違和感はない。手のひらを握ったり広げたり思い通りに出来るし、また上下に動かせば空気の動きを感じた。
「ええい、ままよ!!」
ほとんどヤケクソじみた覚悟を決め、ルクトは〈ゲート〉の中に飛び込んだ。そして……。
――――そして、自分の目を疑った。
「…………はあ?」
〈プライベート・ルーム〉とは、四方を白い壁に囲まれた無機質な空間である。少なくとも、ルクトが知っている〈プライベート・ルーム〉とはそういう場所だ。
では、コレは一体なんの冗談なのだろうか。
高く、青い空。清々しい空気。青々と生い茂る草木。呆然としながら視線をめぐらせれば、山があり、丘があり、川が流れている。ルクトの目の前に広がる光景は、どう見ても野外のソレだ。
一体、何がどうなっているのか。混乱するルクトの目の前に、極めつけが現れる。
「言いたいことがあるでしょう。聞きたいこともあるでしょう。だけどまずはこう言わせて」
――――人間卒業、おめでとう。
ルクトの目の前に現れたその女は、青白い半透明の身体を持つ“精霊”としか言いようのないその女は、悪戯っぽく笑いながら彼にそう告げた。
こうしてルクト・オクスは、ノートルベル学園を卒業するのとほぼ同時に、人間も卒業したのであった。
と、いうわけで。
ルクト、人間辞めました(笑)
諸々吹っ飛ばした超展開であることは自覚しております。
でもこれが最初からの予定だったんですよね~。いや~困った困った。
とりあえず、今回はここまでです。
そして圧倒的に不足している説明は次の話以降で、ということで。