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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節23

 長命種(メトセラ)になった次の日から、サミュエルは迷宮(ダンジョン)に潜ってタニアを探した。新たに覚醒した個人能力(パーソナル・アビリティ)英雄王衣(レガリア)〉の力を使えば迷宮の中を自由に飛び回ることができる。そのおかげで彼の活動範囲は格段に広くなった。だが迷宮はそれよりもさらに広い。彼の願いに反し、タニアの姿はなかなか見つからなかった。


 さらに、サミュエル自身の活動時間の問題もある。「活動時間」などと大げさな言葉を使ってみたが、〈英雄王衣〉に時間的な制限があるわけではない。それは能力ではなく彼個人の問題であり、つまり腹が減るし疲れもするのだ。たとえ長命種になろうとも、そういう人間として根っこの部分は変わらない。


 疲れたならば、休まなければならない。腹が減ったのであれば、何かを食べなければならない。しかし〈英雄王衣〉の能力をもってしても、サミュエルが迷宮に持ち込める荷物の量には限りがある。というより、それは以前とまったく変わっていない。


 弁当を持っていくことはできる。少しの時間休憩することもできる。しかし迷宮の中で寝泊りすること、つまり遠征はできないのだ。その点だけを見れば、長命種になってもサミュエルは何も変わっていなかった。長命種とは、決して全能者ではないのである。


 まあそれはそれとして。遠征(厳密に言えば違うのだけど)が出来ない以上、サミュエルはタニアの探索をどうしても日帰りで行わなければならなかった。行って、そして帰ってくる。


 一日目は成果がなかった。期待していただけに、疲労も大きい。さらに恥知らずの有象無象どもが声をかけてきて、サミュエルはさらに不機嫌になった。


 さらに二日目も空振り。広すぎる迷宮の中、ただ一人を求めて彷徨うのは流石に非効率だった。タニアの姿が見つからないことに、サミュエルは苛立ちと虚しさを感じはじめる。しかしそれでも諦めることはできなかった。彼女が遠征から帰ってくるまで、ただ待っているだけだなんて耐えられない。彼女を迎えに行くその時を支えに、今までずっと辛い修行に耐えてきたのだから。


 そして三日目。サミュエルはついにタニアの姿を見つけた。彼女の姿を見つけたとき、彼女ら五人は戦闘の真っ最中だった。モンスターは〈恐竜〉、いわゆる大きなトカゲだ。その大きなトカゲに彼女たちは手間取っていた。


 あまつさえ、〈恐竜〉の放った火炎弾によって荷物が全滅する。それがどれだけ最悪の事態なのかはサミュエルにももちろん分かる。


「まったく、無能共め……!」


 サミュエルが悪態をつく。あの程度のモンスターになにを手こずっているのか。やはり彼らにタニアを任せておくわけにはいかない。


 そう考える一方で、サミュエルの口元には小さな笑みが浮かんでいた。この状況で自分がタニアを助ければ、まさにヒーローではないか。図らずも彼女を迎えるための、最高の舞台が整っていた。


「……っと。あまり悠長に構えてもいられないな」


 そう言ってサミュエルは気を引き締める。広場では〈恐竜〉がまさに火炎弾を放とうとしていた。そして彼が動くのとほぼ同時に、〈恐竜〉が火炎弾を放つ。その火炎弾の射線上にサミュエルは身体を割り込ませる。


「拒絶しろ、〈英雄王衣〉!」


 サミュエルの纏っていた光が輝きを増す。その光に火炎弾がぶつかるが、すぐに霧散して消えた。当然の結果である。


 サミュエルの新たな個人能力〈英雄王衣〉。その力は〈拒絶〉である。それは単なる防御の力ではない。マスターであるサミュエルの望まないことを拒絶する力。それが〈英雄王衣〉だ。まさしく王の権威たる力と言っていいだろう。


 火炎弾を防いだサミュエルは静かに広場に降り立つ。そして〈英雄王衣〉の光を収めて自分の姿が周りからはっきり見えるようにする。


「サミュエル、君……?」


 タニアの声を聞いて、サミュエルは自分の心がわき立つのを感じた。苦労が報われ、幸福感が全身を満たしていく。柔らかく微笑むと、彼はゆっくりと振り返った。


「やあ、タニア。迎えに来たよ」


 振り返ってみたタニアの顔は、喜んでいると言うよりどこか困惑しているようだった。さっきの力はなんなのか。そもそも、どうしてサミュエルがここにいるのか。分からない事だらけで、思考が停止しているようだった。


 そんなタニアの姿を見てサミュエルは苦笑する。細かいことは連れ帰ってから説明すればいいかと思ったその矢先、〈恐竜〉がけたたましい雄叫びを上げた。


「ッチ、まだいたのか」


 いい気分だったところを邪魔されて、サミュエルは不快げに舌打ちをする。改めて振り返ると、大きなトカゲが苛立たしげに片足で広場の床を掻いていた。だが苛立たしい気分なのはサミュエルも同じである。


 サミュエルは眉間にシワを寄せたまま右手を水平に振るい、その手に〈絶対勝利の剣(エクスカリバー)〉を握る。そして集気法を使って烈を練ると、そのまま〈恐竜〉目掛けて駆け出した。〈恐竜〉も近づいてくる彼目掛けて頭を突き出して大きな口を開ける。


「〈絶対……(エクスゥゥゥ)勝利の剣(カリバー)〉!!」


 サミュエルは襲い掛かってくる〈恐竜〉の頭目掛け、〈絶対勝利の剣〉を下から掬い上げるようにして振るう。そこから放たれた一撃は、〈恐竜〉の頭をあっけなく吹き飛ばした。ちなみに振り下ろしたわけではなかったので、広場の床は無事だった。


 上半身を失った〈恐竜〉が音を立てながら倒れる。しかしそんなことはもう、サミュエルの興味の外だった。〈恐竜〉を倒したサミュエルは〈絶対勝利の剣〉を送還し、笑みを浮かべながら改めてタニアに駆け寄った。


「さあ行こう、タニア。君を迎えに来たんだ」


「……えぇっと、サミュエル君? 行くって、どこへ?」


 困惑した様子でタニアが尋ねる。そんな彼女の様子を見て、サミュエルはますます笑みを深くする。


「どこだっていいさ。君と一緒なら。僕には君が必要なんだ」


 だから早く一緒に来てくれ、とサミュエルはタニアを急かす。その一方的な物言いに、タニアはさらに困惑した様子を浮かべた。


「おい、サミュエル」


「僕に触るなっ!!」


 見かねたリーダーがサミュエルの肩に手をかける。しかしその手を、サミュエルは猛烈な勢いで振り払った。そして彼に敵意の篭った鋭い視線を向ける。


「僕に何の用だ?」


「……それはコッチの台詞だ」


「僕はタニアを迎えに来ただけだ」


 それを聞いてリーダーは内心頭を抱えた。ため息を吐きたい気分である。サミュエルの言っていることはまったく意味不明だった。話をしているはずなのに、会話がかみ合わない。リーダーとサミュエルが視線をぶつけ合い、空気が険悪になりかけたその時、タニアが少し慌てた様子で二人の間に入った。


「えっと、サミュエル君? わたしはとりあえず、みんなと一緒に上に戻るよ。詳しいことは迷宮を出てから話そうよ」


「ダメだ、そんなの!!」


 タニアの言葉にサミュエルが大声を上げて反応する。思っても見なかったその大きな反応に、タニアは驚いて身をすくませる。サミュエルはそんな彼女に詰め寄ると、その肩に両手を置いた。


「こんな! 下等な短命種(ラテン)如き、君に相応しくない! あの程度のモンスターに手間取っていたんだぞ。無事に迷宮から出られるかも分からないじゃないか!?」


「サ、サミュエル君……、ちょっと、肩、痛い……」


 力一杯に肩を掴まれたタニアが顔をしかめながら苦情を漏らす。しかしサミュエルは彼女のその声も聞こえていないようで、さらに言葉を続ける。


「僕なら君を守れる。なんて言ったって長命種になったんだから。さっきのあの力、見ただろう?〈英雄王衣〉と言うんだ。君に相応しい男になるために、必死に僕は、僕は……」


 そう話すサミュエルの目が、だんだんと狂気じみたものに染まり始める。掴まれた肩が痛いのもあったが、彼のその目が怖くてタニアは身体をよじった。しかしまるで逃がさないとでも言わんばかりに、サミュエルは彼女の肩をさらに強く掴んだ。


「おい、サミュエル! 離れろ!」


 見かねたリーダーが彼をタニアから引き剥がす。そして彼女を庇うようにして二人の間に入った。その彼に、サミュエルはもはや憎悪さえ宿した鋭い目を向けて怒鳴る。


「邪魔をするな、短命種如きが!!」


「話をしたいのなら迷宮を出てから落ち着いてするべきだ。タニアも嫌がっている」


 リーダーはきっと、タニアの名前を出せばサミュエルも落ち着くと思ったのだろう。しかしサミュエルが目を大きく見開き、さらにその目の焦点が彷徨っていてどこにも合っていないのを見て、彼は自分の言葉が失言だったことに気づいた。


「タニアが……、嫌がって、いる……?」


 虚ろな様子でサミュエルがそう呟く。そして彷徨っていた彼の視線が、リーダーの背中に庇われたタニアに止まり、そしてそこで目の焦点が合った。


 その時サミュエルが見たのは、怯えた表情を見せる弱々しいタニアの姿だった。さらにリーダーが背中で庇っているせいで、まるで彼に縋り付いているようにさえ見える。それはサミュエルが思い描き、そして望んでいた光景ではなかった。


「そいつらが……」


 サミュエルが俯きながらどす黒い声でそう呟く。彼のその声に、その場にいた五人は揃って不吉なものを感じ取る。


「そいつらが、いるからか……!」


 顔を上げたサミュエルの目は、憎悪と狂気にまみれて血走っていた。全身から殺気を噴き出しながら、サミュエルは〈絶対勝利の剣〉を顕現させて手に握り、そして振り上げた。


「そいつらが、いるからかぁぁあああああ!!!」


 サミュエルの振り上げた〈絶対勝利の剣〉が光を放つ。あの一撃を放つつもりなのだ。この位置で放てばタニアを巻き込んでしまうというのに、それさえも今の彼の頭にはなかった。


 光を放つ〈絶対勝利の剣〉を見て、タニアたち五人の顔から一瞬で血の気が引いた。あの一撃の威力は彼らもよく知っている。あの剣が振り下ろされれば、自分たちは灰すら残さずに消滅することだろう。五人は一様にその光景を幻視した。


 しかし〈絶対勝利の剣〉が振り下ろされることはなかった。サミュエルを含めその場にいた六人の誰もが予想していなかった乱入者が現れたのである。


「……っこんの、ド阿呆!」


 そう叫んでサミュエルに飛び掛り、剣を振り下ろす直前の彼を床に押し倒したのは、なんとルクト・オクスだった。タニアたちが〈恐竜〉相手に苦戦しているのを遠くから見つけたルクトとラキアは、急いでここまでやってきたのだ。生憎と〈恐竜〉相手には間に合わなかったが、こうして最悪の事態を回避するタイミングにはなんとか間に合った。


「早く行け!!」


 呆然としているタニアたちに、ルクトはサミュエルを押し倒したままそう叫んだ。その声で彼らはようやく動き始める。荷物のない彼らは、全力で後退を開始した。


「ラキ、お前も行け!」


 ラキアが道案内をしてやれば、タニアたちは早く迷宮の外に出ることができる。そしてどう見ても尋常な様子ではないサミュエルの近くに彼女を置いておきたくない。そんな二つの思惑から、ルクトは彼女にタニアたちの後を追うように言った。


「けど、ルクトは!?」


「オレなら大丈夫だ!」


 いざとなったら〈プライベート・ルーム〉に逃げ込む。彼のその意図は言葉にしなくても伝わったようだ。ラキアは一つ頷くとすぐにタニアたちの後を追った。


「っ、〈英雄王衣(レガリアァァァアア)〉!!」


 ルクトに組み伏せられていたサミュエルがそう叫ぶと、彼の身体が光に覆われた。そしてその光が、彼の上からルクトを吹き飛ばす。吹き飛ばされたルクトは、白い床の上を転がりながらも片手を使って跳ね起きる。そして両足で着地して吹き飛ばされた勢いを殺し、警戒しながらサミュエルのほうを見る。彼は相変わらず憎悪と狂気を目に宿らせ、全身から殺意を噴き上げていた。


「ルクトォォオ!! お前が、お前が!!」


 荒い息をしながら、サミュエルがルクトにその目を向ける。光の衣は消え、彼はただ〈絶対勝利の剣〉だけを右手に持っていた。しかし、サミュエルが纏っていた光の衣を、ルクトはしっかりと覚えていた。


「二つ目の個人能力……。お前、まさか長命種に……!?」


「そうだ! 僕は長命種になったんだ!! それなのに何で思うとおりにならないんだ!?」


 長命種になれば、全てが思い通りになると思っていた。特別になり、タニアを手に入れ、幸せになれると思っていた。だからこそ、辛い修行にも耐えることができた。だというのに、現実はどこまでも不本意で思い通りになんてならない。


「ルクトォォオ!! お前が、お前さえいなければぁああ!!」


 そうすれば、自分はずっと変わることなく特別でいられた。それはサミュエルがずっと抱き続けてきた思いだった。〈プライベート・ルーム〉という特異な個人能力を持つルクト・オクスの存在さえなければ、サミュエルは超絶的な攻撃力を持つ武芸者として羨望の中心にいられたはずなのだ。そうだというのに彼が本来受けるべき賞賛を、ルクトが全て持って行ってしまった。その不満が、ここへきて爆発した。


「ったく。逆恨みだよ、そりゃ」


 サミュエルがはっきりと自分に敵意を向けたことを感じ取ったルクトは、太刀の柄に手をのせて戦闘態勢を取った。できる事なら今すぐにでも〈プライベート・ルーム〉の中に逃げ込みたかったが、それではサミュエルがラキアたちに追いついてしまう。あの光を纏ったサミュエルは空を飛ぶことができるのだから。彼らを逃がすためには何とかして時間を稼ぐ必要があった。


「戦うつもりなのか……? この僕と?」


 サミュエルが顔を歪ませる。そこに浮かぶのは憎悪か、はたまた喜悦か。その身を支配する激情そのままに彼は叫んだ。


「図に乗るなよ、短命種が!!」


 叫びながらサミュエルは〈絶対勝利の剣〉を振り上げる。その刀身は強い光を放っていた。


「っち!」


 サミュエルが剣を振り上げるより一瞬早く、ルクトは広場の床を蹴って前に飛び出していた。まさか同級生を抜刀術で切り捨てるわけにもいかず、太刀はすでに鞘から抜き放っている。


 そしてサミュエルが剣を振り下ろすより早く、ルクトは彼との間合いを詰めていた。練気法を併用している彼の動きは、サミュエルが思っていたよりもずっと速い。


 間合いを詰めてからのルクトの動きは、まさに賞賛すべきものだった。まずサミュエルが振り下ろす〈絶対勝利の剣〉を受け止める形で太刀を構える。しかし刃をかみ合わせることはせず、そのまま刃同士の間の微小な隙間を保つ。そしてその間に身体を捻って動きの軌道を変え、サミュエルと肩を並べるようにして立つ。


 そこでようやく、ルクトは〈絶対勝利の剣〉の刀身を太刀で受け止めた。そして受け止めるだけではなく、受け流す。さらにルクトは身体をサミュエルにぶつけて彼の体勢を崩す。この一連の攻防で、ルクトは〈絶対勝利の剣〉の一撃を逸らすことに成功した。しかしその代償は大きい。


(クソッタレ、太刀が死んだ!)


〈絶対勝利の剣〉を受け止めたルクトの太刀の刀身が跡形もなく消し飛んだのだ。砕けた、などというレベルではない。蒸発したのである。柄と手が無事なのがせめてもの救いか。


(純ダマスカス鋼製だったのに!!)


 ルクトは心の中で涙を流しながら絶叫した。これで今回の遠征は大赤字が決定である。とはいえ、今はそんな事を気にしている場合ではない。


〈絶対勝利の剣〉の一撃によって烈を使い果たしたサミュエルは集気法を使って烈を補充しようとする。しかしそれは一瞬とはいえ虚脱して無防備をさらすということだ。その隙を見逃すルクトではない。


 ルクトは柄だけになった太刀を投げ捨て、サミュエルの腰に抱きついた。彼の身体にはまだ烈が残っている。そして彼はそのまま前に出た。いくら長命種とはいえ、虚脱した状態でこれに抗うことはできない。そしてルクトが足を踏み出したその先には、彼が開いた〈ゲート〉があった。


「おおおおおお!!」


 雄叫びを上げながら、ルクトはサミュエルを〈プライベート・ルーム〉の中に押し込んだ。勢い余って自分も入ってしまうが、それは仕方がない。


〈プライベート・ルーム〉の中に入ると、二人はもつれるようにして床に倒れた。真っ先に起き上がって距離を取ったのはルクトだ。起き上がると、彼はまず真っ先に〈ゲート〉を閉じる。これでサミュエルを中に閉じ込めることができた。


 そして少ししてからサミュエルが起き上がる。彼の目は殺気で血走っていた。ルクトとサミュエルの視線が、一瞬だけ擦れる。顔を歪めたサミュエルが何か言うよりも早く、ルクトが右手を振るう。その瞬間、〈プライベート・ルーム〉の白い壁が二人の間を隔てた。


 一人になった〈プライベート・ルーム〉のなかで、ルクトはしばらくの間呼吸さえ止めて白い壁を凝視し続けた。その壁がどうにかなる様子はない。それを見て、ルクトはため息を吐いた。それと同時に彼の身体から力が抜ける。膝立ちになって荒い呼吸をしながら、彼はやれやれと言わんばかりに首を振る。


 これで〈プライベート・ルーム〉の中にサミュエルを隔離することができた。ルクトが〈ゲート〉を開かない限り、彼が外に出てくることはないだろう。


「ま、半日も閉じ込めておけば頭も冷えるだろう」


 気楽な調子でルクトはそう呟いた。流石に餓死するまで閉じ込めておくつもりはない。


「それにしても、アイツが長命種かぁ……」


 ルクトの声に羨望が混じる。サミュエルは間違いなく二つの個人能力を使っていた。そして、それが出来るのは長命種だけだ。ルクトにしてみれば、長命種になろうとした矢先、彼に先を越されてしまった形だ。サミュエルはルクトに嫉妬していたようだが、長命種になれた彼の方こそルクトは羨ましかった。


「ま、他人と比べても仕方がない」


 肩をすくめながらそう呟き、ルクトは立ち上がった。いつまでもここでこうしているわけにも行かない。彼だってさっさと帰還しなければならないのだ。とはいえ得物は先程失ってしまったので、予備を使わなければならない。それを取りに彼はゲルのほうに足を向けた。


 まさに、その時。彼の左腕が消し飛んだ。


「――――は?」


 ルクトの口からそんな呟きが漏れる。不思議と痛みはなかった。ただ、左の肩口に違和感を覚える。舞い散る血霞はなぜか幻想的だった。


 ルクトは首を捻って視線を背後に向ける。そこには吹き飛ばされた壁と崩落した床があり、そのさらに奥には〈絶対勝利の剣〉を振りぬくサミュエルの姿があった。彼の目は、変わらず憎悪と殺意に満ちて狂気の光を放っている。


 ――――ああ、そうか。アイツが壁をぶっ壊したのか……。


 ルクトがそれを理解するより早く、崩落した床から〈プライベート・ルーム〉の崩壊が始まった。


 かつて〈御伽噺〉は〈プライベート・ルーム〉の壁を叩きながらルクトにこう尋ねたことがある。「この壁の向こうには一体何があるんだろうね?」と。


 この瞬間、その答えが明らかになった。〈プライベート・ルーム〉の壁の向こうにあったもの、それは〈混沌〉だ。物理法則どころか概念さえも無秩序に入り乱れた混沌の中に、ルクトは左肩の痛みを感じるより早く堕ちていった。



▽▲▽▲▽▲▽



 サミュエルがルクトを睨みつけていると、突然彼の目の前に白い壁が現れた。驚いて辺りを見回すと、四方は全て同じくその白い無機質な壁に囲まれている。出口はどこにも見当たらない。ルクトの姿もなく、彼は自分がここに閉じ込められたことを悟った。


「出せ! 僕をここから出せ! 聞こえないのか!?」


 大声を上げて叫んでも返事はない。ルクトにその意思があったかどうかは定かではないが、サミュエルにとって無視されることはともすれば侮辱されることよりも許しがたいことだった。


「出せと言っているのが聞こえないのか!?」


 そう叫びながら、サミュエルは右手に持った〈絶対勝利の剣〉で目の前の忌々しい白い壁を切りつける。だが返ってきたのはガツンという硬い手応え。壁には傷一つ付いていなかった。


「馬鹿にして……! 下等な短命種如きがっ!!」


 叫んでみても、状況は好転しない。サミュエルは沸騰しそうな頭をどうにかしてめぐらせる。こんなところで無様をさらしている暇などないのだ。さっさとルクトを殺し、邪魔な元のパーティーメンバーたちも殺してタニアを迎えに行かなければならない。


 ここはルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉の中に違いない。ということは、自由に出入りできるのはルクト一人だけ。つまりサミュエルを外に出すかは彼の胸一つということだ。


「ふざけ……!」


 その結論が出たとき、サミュエルは自分の頭の血管が全部纏めてぶち切れたかのような錯覚を覚えた。あまりの怒りと屈辱に、頭痛と眩暈がする。強くかみ締めた歯がギシギシと鳴り、握り締めた両手は白くなっている。


 長命種たる自分の命運が、たかだか短命種でしかないルクトに握られている。それは断じてあってはならないことだ。長命種とはつまり超越者であり、短命種にしてやられることなどあってはならない。


 つまりルクトによって〈プライベート・ルーム〉のなかに閉じ込められてしまったこの状況は、サミュエルの長命種としてのアイデンティティーを崩壊させかねないものだったのである。そしてそれは彼にとって当然ながら受け入れられない、いや断固として拒絶すべきものだった。


「〈英雄王衣(レガリアァァァアア)〉!!」


 右手に〈絶対勝利の剣〉を持ったまま、サミュエルは〈英雄王衣〉を身に纏う。そこから先は無意識だった。彼は〈英雄王衣〉の光を〈絶対勝利の剣〉に纏わせたのである。さらに先程練っておいた烈をその剣に目一杯注ぎこむ。そして眩い光を放つその剣を、サミュエルは目の前の忌々しい壁目掛けて振り下ろした。


 改めて言うが、サミュエルには才能があった。長命種になれたこともそうだし、無意識のうちに〈絶対勝利の剣〉と〈英雄王衣〉を併用できたこともそうだ。彼には才能があった。それはもう、間違いない。


 しかし恐らくはそのせいで。事態は誰も予想していなかった方へと転がっていく。


 サミュエルが振り下ろした〈絶対勝利の剣〉は、今度は易々と〈プライベート・ルーム〉の白い壁を吹き飛ばした。だが、壁を吹き飛ばせるということは、床をも吹き飛ばせるということだ。そして壁の向こうにはルクトのいる部屋があったが、床の向こうにあったのは〈混沌〉だった。


 吹き飛ばした壁の向こう、左腕を失ったルクトの視線がサミュエルを捕らえる。「ざまあみろ」とサミュエルが思うより早く、彼は混沌に堕ちていった。


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