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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節22

 時間は少し遡る。まだ七月に入る前の話だ。サミュエルは未だ、長命種(メトセラ)になることができずにいた。卒業まで、あと一ヶ月と少し。目前に迫ったタイムリミットは彼を焦らせ、また苛立たせていた。


「〈絶対……(エクスゥゥゥ)勝利の剣(カリバー)〉!!」


 憂さ晴らしのつもりなのか、サミュエルが〈絶対勝利の剣〉の一撃を放つ。それはかつて〈御伽噺〉に「無様だね」と言われた、まさにその光景そのものである。ただし、あの時とは決定的に違うものが一つある。それは〈絶対勝利の剣〉の一撃の、その威力である。


 今までの一撃は、白い床を“砕く”ものだった。しかし今サミュエルが放っている一撃の威力はそんなものではない。“蒸発”させるのだ。込められているマナの量が、途方も無く多い証拠である。


 普通であれば、こんな出鱈目な威力は出せない。迷宮のもっと深い階層に行けば可能なのかもしれないが、今サミュエルがいる一階層では無理だ。ではどうやって彼はこの威力を実現したのかと言うと、それは「二重増幅」という手段によってだった。


 二重増幅、というのはそう難しい考え方ではない。「〈絶対勝利の剣〉の本質は増幅作用である」と〈御伽噺〉は言った。「一の入力に対して十の出力を得る。この増幅作用こそが〈絶対勝利の剣〉の本質である」と。


 そうであるならば、次のように考えることは自然なことだ。つまり「十を入力してやれば、百の出力が得られるのではないか?」と。


 サミュエルがやったことは単純だ。つまり一度〈絶対勝利の剣〉を使っていわば十の状態になった超高濃度のマナを作り出し、それを一旦集気法を使って身体に吸収する。そしてその超高濃度のマナを再び〈絶対勝利の剣〉に込め直すのだ。そうすれば増幅作用によって百の出力が得られる、という寸法である。


 一度増幅して作り出した超高濃度のマナを、もう一度増幅する。それが二重増幅だ。二重増幅を行えば“超々”高濃度のマナを作り出せるが、その反面手間が掛かり過ぎるので実戦では使えない。


 まあ、普通の〈絶対勝利の剣〉の一撃でさえすでにオーバーキル過ぎて通路や広場を崩落させてしまい、そのために実戦では使えなくなっているのだ。これ以上の威力を追求したところで役に立つはずもない。


 そして実際、二重増幅によって生み出された桁外れの威力による一撃は、しかしサミュエルの憂さ晴らしにしか使い道がないのが現状だ。しかも、どれだけ〈絶対勝利の剣〉を振るおうとも彼のイライラは増すばかりで、全然憂さ晴らしにもなっていなかった。そう思うと、その強い輝きさえいっそ哀れである。


 再び、二重増幅によって強化された〈絶対勝利の剣〉の一撃が放たれる。その一撃が消し飛ばした広場の一画を見つめながら、サミュエルは肩を上下に大きく動かして荒い呼吸をする。そして苛立たしげに顔を歪ませると「クソッ!」と悪態をついた。


「なんで長命種になれない!?」


 それが、サミュエルが苛立つ理由の全てだった。


 着実に前進はしている。吸収できるマナの量は確実に増えているのだ。だからこのまま修行を続けていけば、いずれは長命種になれるだろう。それはサミュエルにも分かっている。


 普通であれば、それで十分だ。長命種とは超越者であり、一般の人々にとってはお伽噺の中の存在でしかない。いつになるのか分からないとは言え、そのような存在にいずれはなれるのだ。普通であれば焦って苛立つ必要などまったくないし、むしろその事実だけも喜ぶべきことだ。


『君には可能性がある。そしてその可能性を持っていること自体、なかなかに稀有なことだ』


 かつて〈御伽噺〉が語ったその言葉は、まさに言葉通りの意味なのである。


 だが、サミュエルにしてみれば可能性があったところで何の意味も無い。彼が求めているのは「長命種になった」という結果だけなのだ。しかもただ長命種になるだけではない。“卒業まで”にその結果を出すこと。それが、彼が自分に課したいわば使命なのである。


 卒業までに長命種になり、そしてタニアを迎えにいくこと。それがサミュエルの目標だった。自分自身が卒業することや今現在留年の危機にあることなど、彼にとってはまったくの埒外だった。「そんなことはどうでもいい」と本気で思っている。文字通り全てを切り捨て、あるいは失って、彼は目標を達成しようと努力してきたのだ。


 その努力は、前述したとおり確かに報われている。しかし、サミュエルが願っていたほどには報われていない。彼はまだ長命種になれてはいないのだから。


「時間が……、もう時間がない……」


 卒業まで、あと一ヶ月と少し。今のペースで修行を続けたとして、それまでに長命種になれるのか、サミュエルには自身がなかった。「出来る」と自分に言い聞かせてはいるものの、内心では「たぶん無理だ」と勘付いている。だからこそ、遮二無二〈絶対勝利の剣〉を振るって無様をさらしている。


「なんとか、なんとかしないと……!」


 苛立たしげに爪を噛みながら、サミュエルは考えをめぐらせる。ただ、できることなど限られている。というより、最初から一つしかない。


 つまり、吸収するマナの量と濃度を高めるのだ。しかしそれは今までやってきたこととまったく同じである。このまま同じように続けても、卒業までに長命種になることはできないだろう。


 だから、その目標を叶えたいのであれば、多少の無理をしなければならないだろう。具体的に言えば、長命種になれるほど超高濃度のマナを吸収するのだ。


 それはサミュエルも分かっている。これまで、それこそ何度も何度も考えてきたのだ。そして、その度に躊躇してきた。そもそもどれほど超高濃度であれば長命種になれるのか分からないということもあるが、実のところそれは躊躇してきた理由ではない。分からないのなら試してみればよいのだから。


 サミュエルが一気に長命種になれるほど超高濃度のマナの吸収を躊躇ってきた理由は、それを行ったとき非常に強烈な拒否反応に襲われるであろうことが容易に想像できたからである。


 超高濃度のマナの吸収、それはつまり外法そのものなのだが、それには拒否反応が付きまとう。正規の手段、つまり地道に迷宮(ダンジョン)に潜り、十分深い階層にたどり着くことによって長命種になるのであれば、拒否反応に悩まされることはないだろう。しかしながらサミュエルは、いわば“裏技”を使って長命種になろうとしている。拒否反応は、まるでそのペナルティーであるかのようだった。


 まあ、それはそれとして。いずれにしてもサミュエルが長命種になるためには、拒否反応を避けて通ることはできない。なぜなら彼に一人で深い階層に潜れる能力はないし、そこへ連れて行ってくれる伝手もなし、また一緒にそこを目指す仲間もいない。彼に残された長命種になるための唯一の手段は、〈絶対勝利の剣〉を使った“裏技”だけで、そしてその裏技には拒否反応が付きものだったのだから。


 そのため、サミュエルは今までの修行でずっと拒否反応に耐えてきた。彼自身のマナの許容量が増えるにしたがって拒否反応は和らぐことがあっても、しかし決してなくなりはしなかった。さらに言えば、吸収するマナの量と濃度は徐々に高めていかなければならない。それはつまり、基本的に拒否反応は強くなり続けるということだった。


 サミュエルは決してマゾヒストではない。苦痛を悦べるような性癖は持ち合わせていないのだ。だから彼にとって苦痛はただの苦痛でしかない。


 かつて長命種を目指した頃の〈御伽噺〉もそうだった。しかし彼の場合、その苦痛を前進していることの証拠として前向きに捉えることができた。だがサミュエルにそういう意識はない。前進していると分かっているから我慢していられるものの、拒否反応による苦痛にそれ以上の意味を見出すことを彼はしなかった。


 それどころか、それはサミュエルにとってある種のトラウマになっていた。彼自身は認めようとはしないだろうが、ここ最近修行の進捗が思わしくない一因は、彼が無意識のうちに拒否反応を避けようとしており、そのため吸収するマナの量と濃度があまり増えていないことにある。とはいえ、苦痛を避けようとするのは生物として正しい反応だ。嬉々としてそれを蹴り飛ばしていく〈御伽噺〉こそ異常と言うべきだろう。


 一気に長命種になれるほど超高濃度のマナを吸収したときに起こるであろう、非常に強烈な拒否反応。それによる苦痛はいかほどのものか。それを考えると、サミュエルはどうしても尻込みしてしまう。彼はもう、痛いのも苦しいのもイヤだった。


 しかしそれ以上に、長命種になることを諦められない。諦められないからこそ、彼はまだ修行を続けていた。そして“劇薬”に手を出せない以上、このまま修行を続けるほか彼にできることはないのだ。


「まだだ……! まだ時間はある……!」


 そう自分に言い聞かせながら、サミュエルは今までどおりの修行を続けた。そして七月に入ったある日、寮の食堂で朝食を食べているとき彼はある話を耳にした。


 なんと、タニアたちのパーティーが九階層まで到達したという。


 その話を聞いたときサミュエルが受けた衝撃は、彼自身が思っていたよりもずっと大きかった。九階層までくれば十階層はもう目の前である。もしかしたら彼らは今年の卒業に間に合うかもしれない。そう思った瞬間、サミュエルは冷や水をぶっかけられたかのように感じた。


(このままでは……!)


 このままでは、タニアを迎えにいくどころの話ではない。今のままでは仮にタニアが卒業できたとしても、サミュエルは留年するだろう。それは非常に格好悪いことのように思えた。


(まずいまずいまずい……。まずいぞ、これは……!)


 そんな格好悪くて無様なところをタニアに、そして自分を追い出した元パーティーメンバーの連中に見られるわけにはいかない。それは彼の矜持の問題だった。


 彼らはサミュエルを追い出したことを後悔するべきなのだ。自分たちの無力さを嘆き、額づいて罪の許しを請うべきなのだ。そうでなければサミュエルの溜飲は下がらない。彼らが、そう例えタニアであっても、自分の上に行くことなど彼にとってあってはならないことだった。


 しかしだからと言って、直接的に彼らの邪魔をすることはできない。それこそ、格好悪いことだ。それに、タニアにバレたら嫌われてしまうではないか。そうなると、できることはおのずと限られてくる。


(一日も早く、長命種になるしかない……!)


 その思いを、サミュエルは強くした。しかしこのまま修行を続けても、卒業には到底間に合いそうにない。であるならば、“劇薬”に手を出すしかない。


 その日、サミュエルはひそかな決意を胸に迷宮に向かった。そしていつも修行を行っている一階層の広場に立つ。彼が憂さ晴らしでつけた広場の傷は、もうすっかりと消えてなくなっていた。


 彼はまるで鞘から抜くようにして〈絶対勝利の剣〉を顕現させる。そして集気法を使って烈を練り、そのうちの半分ほどを身体の外に出して霧散させる。そして残った烈を全て〈絶対勝利の剣〉に流し込んだ。


 烈を流し込まれた〈絶対勝利の剣〉がぼんやりと光を放つ。そしてそこに生成されている超高濃度のマナを、サミュエルは集気法を使って吸収する。


「ぐ、うぅ……!」


 重い衝撃が、身体の内側を襲う。身体がふらつくが、しかし彼は二本の足だけで自分の身体を支えた。歯を食いしばって耐えること、数十秒。ようやくコンディションが戻ってくる。


「ふう……」


 身体から力を抜き、サミュエルは一つ息を吐いた。身体は素晴らしく軽い。超高濃度のマナを吸収したことによって、極めて高いレベルの身体能力強化がされているのだ。このレベルの身体強化を経験したことのある武芸者は、カーラルヒスでは彼ただ一人だろう。とはいえ、この程度で彼が大はしゃぎすることはない。この程度では彼が求めるレベルに全然足りないのだから。


 それに、この程度であればサミュエルはすでに経験済みだった。というより、今のところこれが彼の限界だった。


 だが今日、そうまさにこれから、彼はその限界を超えて長命種になる。その決意を秘めて、彼は今日ここに来たのだ。


 サミュエルはゆっくりとした動作で〈絶対勝利の剣〉を正面に構える。そして身体に吸収した超高濃度のマナを全て、〈絶対勝利の剣〉に流し込む。二重増幅である。


 その瞬間まるで狂喜乱舞するかのように、〈絶対勝利の剣〉が強い光を放った。これが今のサミュエルに用意できる、最上級に超高濃度なマナである。これを吸収できれば、まず間違いなく長命種になれる。サミュエルはそう確信した。ただし吸収できれば、つまり生き残れればの話だが。


 ゴクリ、と唾を飲み込みながらサミュエルは光を放つ〈絶対勝利の剣〉の刀身を見つめた。その光は今までで最も強い光だ。そしてその光は、今までにない天上の栄光を暗示しているように思えた。


(その栄光を、この手に……!)


 胸の中でそう呟くと、サミュエルは集気法を発動した。その瞬間、非常に強烈な拒否反応が彼を襲う。


「ガアアアアアアアアア!!?」


 堪えることが出来ず、彼は大声を上げて叫んだ。一瞬で意識が吹き飛ぶが、しかし全身をねじ切らんとするかのような痛みが失神と言う安寧から彼の意識を引きずり戻す。失神することさえ許されない地獄の苦しみが、絶え間なく彼に襲い掛かる。


 一発で身体が吹き飛んでしまわなかったのは僥倖、というべきなのか。これまでの地道な修行の成果が現れた、ということだろう。しかし今のサミュエルに、そんな感慨に浸っている余裕はない。


 気が付けばサミュエルは広場の床の上に倒れていた。いや、彼自身に倒れているという意識はないだろう。自分の身体が今どんな状態なのか、それさえも今の彼にとっては埒外だった。


 痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い、苦しい。


 今の彼にとってはそれが全てだった。いっそ一瞬で死んでしまえればこの地獄の苦痛を味わうこともなかっただろう。だが一瞬で死ねなかったとはいえ、このままならば遠からず死ねるだろう。一発では死ねない殴打であっても、何発も加えればそのうち死んでしまうように。そのときようやく、この地獄の苦痛から解放されるのだ。


「ふざ、け……」


 死を希求する自分の思考に、サミュエルは無理やり待ったをかけた。


 ここで死ぬ? ふざけるな、冗談ではない。僕は長命種に、特別な存在になるのだ。今まで言い続けてきたその言葉は、もはや無意識のレベルにまで刷り込まれている。ここまでくると、もう執念などというものではすまされない。暗示、言葉を選ばなければ「呪い」とでも言った方が良さそうなモノだ。しかしソレが、ここで彼を救った。


 拒絶する、拒絶する、拒絶する! ここで死んでしまうことを僕は拒絶する。長命種になれないことを拒絶する。特別な存在になれないことを拒絶する。


 拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル、拒絶スル!


 サミュエルの意識がそれで塗りつぶされる。いつも間にか、一度は死にたいとさえ願った地獄の苦痛さえも、彼の意識の外に追いやられていた。そして気が付くと、彼は光に包まれ宙にいた。


「これは……」


 今の自分の状況について理解が及ばず、サミュエルの思考は十数秒にわたって停止した。その間も、彼は下に落ちてしまうことなく、そのまま光に包まれて宙に留まった。


 そしてだんだんと、サミュエルもこの状況を理解し始める。宙を飛んでいるこの力は紛れもなく個人能力(パーソナル・アビリティ)によるものだ。しかし彼の個人能力は〈絶対勝利の剣〉であったはず。だがこの状況で彼以外の人間がなにかしらの個人能力を使っているとは考えにくい。つまりサミュエルが宙に浮いているこの状況は、彼が二つ目の個人能力を使っているとしか考えられない。


 通常、一人の人間が使える個人能力は一つだけだ。しかし何事にも例外はある。それが長命種だ。長命種になることで、二つ目の個人能力を得ることができるのだ。


「そうか……、ついに、僕はなったのか……!」


 サミュエルの顔に歓喜がじわじわと広がっていく。ついに彼は長命種になったのである。そうと意識すれば、世界の全てが違って見えた。そして身体を満たす全能感。それがなによりも心地よかった。


 後にサミュエルは覚醒した二つ目の個人能力に名前をつける。


 すなわち、〈英雄王衣(レガリア)〉と。



▽▲▽▲▽▲▽



 長命種となり二つ目の個人能力が覚醒したすぐ後、サミュエルがまず取った行動はその辺をやたらめったらに飛び回ることだった。


 ようははしゃいだのだ。ようやく念願かなって長命種になったのである。そして、それは同時にあの辛い修行の終わりを意味している。少しくらい羽目を外してもバチは当たらないだろう。


 空を飛べるであろうことは、意識が戻ったとき宙に浮いていたことから簡単に予想できた。光を纏いながら、サミュエルは宙を飛ぶ。


 爽快だった。まるであらゆる制約から解放されたかのように感じる。全身に力が漲っており、今ならばできないことは何もないように思えた。


「そうだ! タニアを迎えに行かないと!」


 はたと思い出し、サミュエルは声を上げた。長命種になって彼女を迎えにいく。それは彼の宿願だった。


 サミュエルはそのまま宙を飛んで迷宮の入り口エントランスを目指す。エントランスには三十人ほどのハンターたちが集まっていた。その誰もが、近づいてくる光の球を凝視している。中には警戒して武器を構える者もいた。全員がそうしないのは、ここが一階層だからだろうか。仮にモンスターであったとしても、討伐は容易いと思っているのだ。あるいはただ単に、目の前の光景に頭が付いていかないだけなのかもしれないが。


 サミュエルは視線を集めていることを承知でエントランスのど真ん中に降り立った。彼が纏っていた光が消え、サミュエルの姿がはっきり見えるようになると、エントランスに安堵の空気が流れる。


 ハンターたちが遠巻きに彼のことを眺める中、サミュエルは彼らをチラリと見ただけでさっさと出口へ向かって歩き出した。長命種となった自分の晴れ姿を、最初に見たのがタニアではないことが少しだけ不満だったが、それはまあ仕方のないことだとすぐに割り切る。今はただ、早くタニアに会いたかった。


「き、君! ちょっと待って!」


 ハンターの一人が少し慌てた様子でサミュエルを呼び止める。彼の声には喜色が混じっているように聞こえた。いや、実際彼は喜んでいた。空を飛べるなど、あのルクト・オクスにも匹敵する人材である。是非ともここで縁を得ておかなければならない。しかし呼び止められたサミュエルはその声を無視して歩き続ける。


「ちょっと待ってってば!」


 声をかけたハンターは小走りになってサミュエルに追いつくと、彼の肩に手を置いた。それでようやく彼は足を止める。しかしそのハンターが何か言うよりも早く、サミュエルが冷たい声でこう言い放った。


「手を離せ」


「あ、ああ。すまないね。それで、よければ名前を教えてくれないかな?」


 大げさに両手を上げながら、人懐っこい様子でハンターはそう尋ねた。それに対し、サミュエルは「チッ」と鋭い舌打ちを漏らす。それが聞こえたのだろう、ハンターは少しだけ眉をひそめたが内心の不快感はそれ以上表に出さず、さらに言葉を続けた。


「君はこれから帰りかい? なら、後でいいから是非ウチのギルドホームを訪ねてみくれ。私の名前を出せば大丈夫だから。それで、ウチのギルドの名前だけど……」


「――――恥知らずめ」


 明るい口調で喋るハンターの話を、サミュエルの低くて不機嫌な声が唐突に遮った。その物言いにハンターはまず口を閉じ、そして「ふむ」と一つ頷いてから彼にこう問いかけた。


「なにか気に障るようなことをしてしまったかな?」


「……〈味方殺し〉」


「っ!?」


 サミュエルのその呟きを聞いて、声をかけたハンターは絶句した。周囲にいたハンターたちにも聞こえたらしく、彼らの間から「まさかアイツが……?」等の呟きが漏れる。それを聞いてサミュエルはもう一度舌打ちをした。


「忘れたとは言わせない。それなのに、少し空を飛んでみればこうも手のひらを返す。恥を知れ」


 それだけ言うと、サミュエルは今度こそ迷宮を出て行った。後を追って来る者はいなかった。


 学園に戻ると、サミュエルは早速タニアを探した。しかし彼女はいなかった。どうやら遠征に行っているらしい。


(入れ違いになったか……)


 サミュエルは少しだけ落胆した。今すぐに迷宮に取って帰りタニアを探そうかとも思ったが、しかしもう時間が遅い。結局、彼女を探すのは明日以降にすることにした。


「焦ることはない」


 長命種にはもうなったのだ。最悪、タニアが遠征から帰ってくるのを待ってもいい。それでも卒業までには十分に間に合う。


 夕食を食べると、サミュエルはすぐに部屋に戻りベッドの上で横になった。身体は疲れていたのだろう。すぐに眠気がやって来る。久しぶりに何の気兼ねも心配もなく、彼はぐっすりと眠ることができた。


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