卒業の季節21
「ルクト、その、昨日の話なんだけど……」
遠征三日目の朝。昨日の夜のことを話題にしたのは、意外にもラキアのほうだった。彼女は昨晩よりは幾分落ち着いた様子でルクトに話しかける。
「昨日の話、返事は本当に後でいいから。というより、今は忘れてくれ」
遠征中にあんな話をして悪かった、とラキアはルクトに謝った。遠征中は可能な限り遠征に意識を集中しなければならない。迷宮とはつまり魔境なのだから。戦闘中に集中力を欠けば、致命的なミスに繋がりかねない。
だからこそ、遠征中にそれとは関係の無い、なにより重い話をするのはある種タブーとされてきた。ラキアもそれは十分に分かっているのだが、〈プライベート・ルーム〉という安全圏にいたからなのだろう、つい気が緩んであんな話をしてしまった。ハンターとしては、褒められたことではない。
謝るラキアに対しルクトは何と答えればいいのか咄嗟には分からず、しばらく言葉を探しながら視線を彷徨わせ、結局最後に「……分かった」とだけ答えた。それを聞くとラキアは安心したようにホッとした表情を浮かべた。
「それじゃあ、ひとまずこの話は終わりだな。……さあ、朝食を食べて上を目指そう」
今日中に二人が今いる十階層の大広間から迷宮の入り口まで戻らなければならない。ただ合同遠征で散々往復している道だし、二人だけなので〈シャフト〉も使える。時間的には十分に余裕がある。
ルクトとラキアは簡単な朝食を食べると、入念にストレッチを行って身体を温め、それから〈ゲート〉を開いて外に出た。大広間に出るとモンスターが出現するが、それを予想していた二人に動揺はない。数も一体だけだったので、彼らは息の合ったコンビネーションを発揮して危なげなくそのモンスターを倒した。
笑顔を浮かべながらハイタッチを交わすルクトとラキアに、昨晩のぎこちなさは見られない。昨晩の話がなかったことになったわけでは決してないが、二人とも今はそれを考えるべきときではないと知っている。知っているからといって実践できるかはまた別問題なのだが、彼らの様子を見る限り問題はなさそうだ。まだ二人とも若いというのに、こういうところは可愛げがないくらい非凡である。
モンスターの残した魔石とドロップアイテムを回収し、二人は入り口を目指して移動を開始する。とはいえ下ではなく上に向かうのだから、ここから先モンスターは強くなることなくむしろ弱くなっていく。だからと言って気を抜いていいわけではないが、気持ちの上ではやはり余裕ができる。
だから、およそ九階層の辺りでルクトとラキアが緊張を高めたのは、彼らにとってモンスターが手強かったからではない。同級生たちがずいぶん劣勢に追い込まれている様子を、遠目に発見したからである。
「おい、アレまずいんじゃないのか?」
「ああ、まずいな……」
苦い口調で言葉を交わし、ルクトとラキアは駆け出した。遮るものがなかったので見つけることができたが、しかし距離は随分と離れていて、しかも曲がりくねった迷宮の通路は真っ直ぐそこへと向かってはくれない。そのため同級生たちの所へたどり着くには、随分と大回りをしなければいけない。
(もってくれよ……)
他人が死ぬところなど見たくはない。そして顔見知りの同級生が死ぬところなど、もっと見たくない。祈るような気持ちで、ルクトは走った。
▽▲▽▲▽▲▽
タニアシス・クレイマンと彼女のパーティーメンバーたちにとって、ここ最近の攻略は決して順調と言えるものではなかった。その理由はメンバーの不足である。〈キマイラ〉事件に起因する騒動の結末として彼らはサミュエル・ディボンをパーティーから除名したが、その欠員を補充することは容易ではなく、結局彼らは五人で攻略を行っていた。
メンバーが一人欠けるというのは、彼らが思っていた以上に大変なことだった。そのせいで攻略のペースは極端に鈍り、一時期は六階層が限界だったくらいだ。とはいえ遠征が困難になることはサミュエルの除名を決めたときから覚悟していたこと。むしろその困難の中にあってパーティーの団結は強まったとタニアは感じている。
強まった団結の成果は攻略のペースアップという形で現れている。今回こうして二日目の早い時間に九階層まで来られたことがその証拠だ。今回は無理だろうが、近いうちに十階層まで到達できるだろう。そこはサミュエルがいた頃にさえ到達できなかった場所だ。自分たちの成長を実感できる、大きな区切りと言っていいだろう。
そんな事情もあって、パーティーの雰囲気は明るかった。あのモンスターが出現するまでは。
そのモンスターが出現したのは九階層のある広場だった。数は一。それを見たリーダーは三人を前に出し、残りの二人を荷物の護衛とした。基本的だが、油断のないフォーメーションと言えるだろう。
さて三人がそれぞれの獲物を手に油断無く見据える中、燐光を放ちながらマナは収束を続ける。それ自体は何一つ不自然な所のない“いつもの事”なのだが、しかしマナが収束を続けるその時間はいつもよりずっと長かった。
「長いね……」
「ああ……」
緊張を孕んだタニアの声に、リーダーは収束を続けるマナの塊から目を逸らさず声だけで答えた。経験則に基づく体感でしかないが、通常のモンスターに比べてだいたい三倍近い時間をかけて収束を行っている。
一般的に、マナの収束時間が長ければ長いほど、出現するモンスターは強力になることが知られている。モンスターの強さはおおよそ出現する階層に比例するのだが、収束時間が長い場合、時として階層を無視するような例外的に強力なモンスターが出現することもあるのだ。
そういう知識は、タニアたちも座学の講義を通じて得ている。だからこそ、彼らの表情には緊張感が漂っていた。これから出現するモンスターは十階層相当、もしかしたらそれ以上に手強い可能性が高いのだ。
五人はそれぞれ集気法を使い、烈を限界まで練り上げる。整えられるだけの準備を整え、彼らはモンスターが出現する瞬間を待った。
そしてついにその瞬間がやって来た。燐光を放ちながら収束を続けていたマナの塊が一際強い輝きを放つ。いよいよモンスターが出現するのだ。
「ガアアアアアァァアア!!」
大きな咆哮を上げながら、そのモンスターは出現した。見てくれは「二本足で立つ巨大なトカゲ」だろうか。五メートル近い巨躯と大きな頭に口。そしてびっしりと生えた鋭い牙。どう見ても肉食獣だ。身体を支える後ろ脚は太く発達しているが、その反面前足は小さくて貧相である。これを警戒する必要はないだろう。ただ尻尾は巨大で、脅威になりそうだ。モンスターの身体の表面はヌメリとした光沢のある、見るからに硬そうな皮に覆われている。鱗や甲殻ではないが、かなりの防御力がありそうだ。
一般に、〈恐竜〉と呼ばれるタイプのモンスターだ。そして“竜”や“ドラゴン”と呼ばれるタイプのモンスターは難敵であることが知られている。マナの収束時間が長かったことと言い、つまり文句なしの強敵である。
「前衛、散開して囲め! 後衛、いつでも後退できるように準備を!」
リーダーがそう指示を出すと、メンバーたちはそれぞれ「了解!」と力強く返事をした。前衛の三人が敵を囲むようにポジションを取ると、〈恐竜〉は大きな頭を左右に振ってそこにいる人間を視界に収める。そして正面に陣取ったリーダーに対し、頭を突き出し大きな口をあけて鋭い牙を見せつけながら威嚇の咆哮を浴びせる。足がすくみそうになるのを、彼は踏ん張って必死に堪えた。
「いっけええぇぇぇ!!」
自らを奮い立たせるべくリーダーは大声を上げながら剣を振るった。それに合わせて黄色い雷が放たれる。彼の個人能力〈サンダーボルト〉だ。放たれた雷は多少不安定な軌跡を描きながらも〈恐竜〉に襲い掛かる。
「グガアァ!?」
雷を浴びせられた恐竜が身体を仰け反らせる。前衛の他の二人はそれを見て好機と判断し前に出た。
リーダーの個人能力〈サンダーボルト〉は使い勝手のいい能力だった。攻撃範囲がなかなか広く、またその速度も速くて回避が難しい。ただ、味方に当てないよう注意しなければならないが。
そして一度当たれば、致命傷にならずとも感電する。そうすれば大抵のモンスターは動けなくなるから、倒すのは簡単だった。
ただしその反面効かないモンスター、例えば〈ゴーレム〉などの類にはまるで効果が無い。とはいえ〈恐竜〉の中に岩石が詰まっているわけもなく、〈サンダーボルト〉は十分に効果を発揮するはずだった。
実際、〈サンダーボルト〉は効果を発揮した。〈恐竜〉が身体を仰け反らせたのがその証拠だ。しかし動けないと思っていた〈恐竜〉は、しかし身体を大きく捻って回転させ、大きな尻尾を振り回してよってくる人間を迎撃する。
「おっと……!」
間合いを詰めようとした二人は、大雑把なその攻撃を喰らったりはしなかった。とはいえ、〈恐竜〉が感電から回復するのが予想より随分早い。おそらくはあの分厚そうな皮が、電撃のほとんどを防ぐか逃がすかしてしまっているのだろう。厄介な相手である。
「グルルゥゥ……」
〈恐竜〉が不満げに低い声で鳴く。もしかしたらまだ感電の影響が残っているのかもしれないが、少なくとも動けないと言うことはないだろう。前衛の三人が慎重に出方を窺う中、〈恐竜〉は後ろ足で白い床を蹴るように何度か動かした。
「来るぞ! 真正面からは仕掛けるな、必ず回り込んで攻撃!」
リーダーがそう言うが早いか、〈恐竜〉が猛然と動いた。大きな頭を不安定に揺らしながら〈恐竜〉は直進する。大きな脚が白い床を踏みしめるたびに、その振動がタニアたちの身体を揺らした。
「ガアアァア!」
リーダーの眼前に〈恐竜〉が開けた大きな顎が迫る。鋭い牙が何本も生え並ぶその光景に、リーダーは思わず冷や汗を流した。コレに捕まったら、ほぼ間違いなく死ぬ。
「ちぃっ!」
白い床の上を転がるようにして、リーダーは〈恐竜〉の顎から逃れた。顎が閉じられ鋭い牙が隙間無く噛み合うのを見ると、やはり本能の部分で恐怖を感じる。一人で戦えといわれたら、さっさと逃げ出していただろう。しかし彼は一人ではなかった。
「はあぁぁあ!!」
「やあぁぁあ!!」
気合の入った掛け声と共に、前衛の後の二人が動いた。二人はそれぞれ〈恐竜〉の左右の足に攻撃を仕掛ける。デカい相手を倒すにはまず足から。そのセオリーは正しいが、しかし〈恐竜〉の防御力は彼らの予想以上だった。
ガツン、という硬い手応えに攻撃を仕掛けた二人は顔をしかめた。烈を十分に乗せた一撃であったにも関わらず、その攻撃はわずかな傷しか付けられていない。その分衝撃が中に伝わっていると思いたいが、それでもそのダメージはいかほどか。
足に攻撃を受けた〈恐竜〉がまた身体を回転させる。振り回された尻尾を避けて、二人は後退した。二人が離れたところでリーダーはもう一度〈サンダーボルト〉を浴びせる。〈恐竜〉はわずかに動きを止めたが、やはりその効果は小さい。すぐにまた動き出し、その大きな顎を開いて近くにいた獲物に襲い掛かる。
リーダーを含む前衛の三人は〈恐竜〉相手に攻めあぐねていた。〈恐竜〉の攻撃のメインはいわゆる“噛み付き”で、これを受け止めるわけにはいかない。防御しようとして出来るとは思えないし、まともに喰らえばまず間違いなく一口で挽肉にされる。だから絶対に回避しなければならない。
よって正面に立つメンバーはひたすら回避に専念することになる。そして残りの二人が攻撃を加えていくのだが、これが上手く行っていなかった。
まず〈恐竜〉の防御力が高い。まったく攻撃を受け付けないわけではないが、有効打を入れようとしたら相当しっかりとした攻撃をしなければならないだろう。ただそうだとしても、懐に入り込めればそれほど難しくないはずだった。
厄介なのは尻尾である。〈恐竜〉は身体を回転させて尻尾をまるで鞭のように振るうのだ。この攻撃のせいで、前衛の三人はなかなか懐に潜り込めずにいた。いや、潜り込んだとしても距離を取らざるを得なくなってしまうのだ。
(巨体はそれだけで脅威だな……!)
リーダーは胸の中でそう愚痴る。〈恐竜〉の攻撃一つ一つは大雑把で、それゆえ回避することだけを考えればそう難しいことはない。しかし逆を言えばそれは、回避しなければならない、受け止めるとまずい攻撃と言うことだ。デカいということはそれに見合う力を持っているということで、この場合その力だけで十分に脅威だった。
さらに、前衛の三人は決して自由に戦えているわけではない。三人は常に〈恐竜〉の注意が後衛と荷物に向かないよう、注意しながら戦わなければならなかった。その巨体がトロッコ目掛けて突進していけば、その時点で彼らの負けと言っても過言ではない。荷物を失えば帰還さえ危うい状態になってしまうのだ。
だから前衛の三人は〈恐竜〉の頭がなるべくトロッコとは反対の方向に向くよう、相手を誘導しながら戦っている。そのせいで彼らの動きの幅が狭まっていることは否めない。もう少し小さな相手、大きくても人間の倍程度のサイズならここまで神経質になる必要もないのだが、やはりこの点についても巨躯はそれだけで脅威だった。
(攻めあぐねているな……。撤退するべきか……?)
横殴りに襲い掛かってくる尻尾を後ろに下がって避けながら、リーダーは撤退について考え始めた。幸いまだパーティーに負傷者は出ていない。あらかじめ荷物さえ十分に下がらせておけば、撤退は難しくないはずだ。
加えて、そもそも時間的な限界が迫っていた。仮にこの〈恐竜〉を倒せたとしても、進めるのはあと少しだ。遅くとも今日中には撤退を開始しなければならない。そうであるならば、ここで撤退してもロスはほとんどないと言っていいだろう。
リーダーの考えが撤退に傾く。しかし結果論的に言えば、遅きに逸したと言わざるを得ない。〈恐竜〉の目が、後衛と荷物を捕らえてしまったのである。
「っ! 〈サンダーボルト〉!!」
〈恐竜〉の視線に気づいたリーダーが、敵の注意を引きつける為に剣を振るった。そこから雷が放たれ、〈恐竜〉に襲い掛かる。他の二人はすぐさま後退したので〈サンダーボルト〉の影響は受けていない。しかし、もしかしたら彼らは感電覚悟で攻撃を仕掛けるべきだったのかもしれない。
リーダーの放った〈サンダーボルト〉は確かに〈恐竜〉に直撃した。しかし〈恐竜〉は動きを止めなかったのである。感電はしているのか〈恐竜〉が大きく身体を仰け反らせる。高く掲げられたその口元に炎が見えた。
「まずっ……!? 後衛!」
思わずリーダーが叫ぶ。しかし、もう全てが遅かった。
〈恐竜〉の口から火炎弾が放たれる。予想だにしていなかったその攻撃を、後衛の二人が反射的に避けてしまったからと言って誰が彼らを責められるだろう。しかしその結果、守る者がいなくなったトロッコに火炎弾が直撃してしまった。
「あ……」
一瞬にして、五人の空気が絶望的なものになる。彼らが持ってきた荷物はトロッコ二台分。その全てが失われてしまったのである。もはや「戦闘を継続するか否か」などというレベルの話ではなくなってしまった。
「ごめ……」
「話は後だ! 撤退するぞ!!」
後衛として待機していたタニアが謝ろうとするが、その言葉を遮ってリーダーは撤退を命令した。その一言が停止していたメンバーたちの思考を再起動させる。
そうだ、撤退しなければならない。彼らにはもう水も食料も無いのだから。「食料を失ったら即撤退」。これはセオリーというより、もはや鉄則だ。これを無視する者にはすべからく死が訪れる、と言っても過言ではない。
そのことは彼らも耳にタコができるくらい聞かされている。だからこそ、彼らは素早く撤退を開始しようとした。もはや戦闘を継続しているような場合ではないのだ。しかしそのせいで彼らは〈恐竜〉に対して無防備な背中をさらす事になってしまった。
「グルルルゥゥ……!!」
「しまっ……!?」
五人の学生たちが撤退を開始したまさにその瞬間、彼らの背中目掛けて〈恐竜〉が火炎弾を放つ。完全に不意を突かれた形だ。放たれた火炎弾が五人、その中でもとくにタニア目掛けて迫る。
「っ!?」
そこで思わず振り向いてしまうのが、あるいは人間と言う生き物の性なのか。大きな火炎弾が自分目掛けて飛んでくるのを、タニアは見てしまった。思わず息を呑み、そのせいで身体が硬直する。動けなくなった彼女目掛け、火炎弾はさらに近づいてくる。その様子はタニアの目にやけにゆっくりと、しかしはっきりと映った。
――――やられる!
誰もがそう思った、その瞬間。タニアと火炎弾の間に光体が割り込んだ。
「拒絶しろ、〈英雄王衣〉!!」
割り込んだ光体が一際強い光を放つ。そこに火炎弾が直撃した。爆風と閃光のせいで一瞬だけ視界が利かなくなるが、それもすぐに晴れる。タニアが目を上げると、そこにはやはり光の球があった。そしてその中には人影が見える。
彼女が見守る中で、宙に浮いていた光体がゆっくりと広場の床に着地する。そして徐々に光が消えていき、中の人影がはっきりと見えるようになる。
「サミュエル、君……?」
金髪碧眼に、整った顔立ち。光の中から現れたのは、除名された元メンバーのサミュエル・ディボンその人だった。彼の佇まいや表情は、溢れるほどの自信で満ちている。以前の、こう言っては悪いが荒んだ雰囲気を纏っていた彼とは、何もかもが違う。
名前を呼ばれたサミュエルが、背中に庇うようにしていたタニアのほうを振り返る。そして、いとも優しげな笑みを浮かべてこう言った。
「やあ、タニア。迎えに来たよ」