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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節17


 レイシン流道場の真ん中で、一組の男女が互いに木刀を構えて対峙している。ルクト・オクスとラキア・カストレイアだ。二人が行おうとしているのは、いわゆる立会い稽古である。ただし、ここはレイシン流の道場。当然、立会い稽古も練気法を併用したものになる。


 二人は構えを少しずつ変化させながら間合いを計り、相手の出方を伺う。とはいえいつまでもこうしていては練気法の鍛錬にならない。探りあいは程々にして、二人はほとんど同時に間合いを詰めた。練気法を併用したその動きは、凄まじく鋭くそして速い。


 ルクトとラキアの最初の一手はお互いに同じだった。すなわち、踏み込みの勢いを乗せた突き。しかも顔面への。その突きを二人は瞬きすらすることなくわずかに顔を逸らしてかわし、さらにお互いの身体がぶつかりそうになるのを器用に回避してそのまま交差し、それぞれの立ち位置を入れ替えた。


 いわば背中合わせの格好になったわけだが、二人はすぐさま振り向いて激しい打ち合いを始めた。ただし、“打ち合い”という表現からは想像できないほど彼らの立ち合いは静かだった。


 動きが無い、のではない。むしろ二人は練気法を併用しながら目まぐるしく動いている。それでも彼らの立会いが静かに感じるのは、一般的なそれと比べて木刀と木刀が打ち合う回数が非常に少ないからである。


 ルクトとラキアが修めたカストレイア流は攻撃と回避に重きを置く刀術である。免許皆伝を持つ二人の立会いはまさにお手本のような見事さだった。


 二人とも、集気法を使う一瞬しか動きを止めない。その一瞬を狙うのも立会いの戦術の一つなのだが、今回は練気法の鍛錬も兼ねているのでお互いに集気法を使うタイミングを合わせていた。そして烈の補充が済むと、常に相手を間合いに入れたまま距離を空けずに動き続けるのだ。


 二人が振るう木刀がつぎつぎに空を切る。意図的に外しているわけではない。全てかわしているのだ。時折かわせなくて木刀で受けているが、それでも「受け止める」よりも「受け流す」ほうが圧倒的に多い。ルクトとラキアの技量が優れている証拠である。


 やがて二人は間合いを取って構えを解いた。激しく動き回ったせいで、二人とも大粒の汗を流し肩で息をしている。


「いや~、いつも思うけど、二人ともとんでもないねぇ……」


 そう言いながらルクトにタオルを差し出したのは、隅っこで二人の立会いを見学していたロイニクス・ハーバンだ。同じく立会いを見学していたクルーネベル・ラトージュもラキアのほうにタオルを渡している。


「同じ流派だからな。動きがかみ合ったんだろう」


 受け取ったタオルで汗を拭きながら、ルクトはこともなさげにそう答えた。先程の立会いは非常にカストレイア流らしいものだったが、逆を言えば相手が他流派であったならああは行かなかっただろう。


「ですが、練気法を使いながらあれだけ動けるというのは、やっぱり凄いことだとおもいますよ」


 そう言ったのはクルルだ。練気法を実戦の中で使うとすれば、それはやはり動いている中で使うことになる。だが練気法の制御には集中力がいる。動きながら使うのは難しい。先程の立会いのように激しい動きであればなおのことだ。


 実際、クルルにはあれだけ激しい動きの中で練気法を使うことはできそうにない。知識や応用の範囲については彼女の方に一日の長があるのだろうが、実戦の中で使うとなるとより高い練度で習得しているのは彼らのほうだろう。


「使い方を制限しているんだ。そんなに難しいことじゃないよ」


 少し照れた様子を見せながら、ラキアはそう言った。先程の立会いで二人は、決まったパターンでしか練気法を使わなかった。実戦の中で多様な技と併用しようとすれば、一つ一つの技に対してもっとタメの時間が必要になる。


「なんにしても、二人にはもうすっかり追い抜かれてしまったねぇ……。練気法を習い始めたのは僕の方が早かったのにさ」


 これが才能ってヤツなのかねぇ、とロイはわざとらしく嘆息した。そんな彼をルクトとラキアは呆れたように見る。


「動機が不純だったからじゃないのか?」


 そう言ってルクトはニヤリと少々意地悪な笑みを浮かべた。ロイがレイシン流道場に通うようになったのは、「練気法に興味を持ったから」というのも当然あるだろうが、それ以上にクルルがいたことが大きな理由だろう。つまり一目惚れと言うヤツである。武芸者として純粋な動機だとは到底言えない。


「や、それは否定できないね!」


 ロイは胸を張ってそう答えた。否定できないどころか、クルルにプロポーズまでしている手前否定してしまったら大問題なのだが、こうも堂々とのろ気られてしまうとからかった方が疲れる。しかも体を動かした後のような爽やかな疲労ではなく、なんともやるせない疲れを感じてルクトはため息を吐いた。


「ロ、ロイさん……!」


 クルルが顔を真っ赤にして手をあたふたと振る。ロイのプロポーズを承諾し婚約してからそれなりに時間が経っているはずなのだが、彼女の反応はいまだに初心だ。もっとも、慣れろと言われて慣れられるものでもないのかもしれないが。


「あ~、まったく……」


 口いっぱいに砂糖を食わされたような顔をして、ルクトはぼやくようにそう呟いた。そして再びニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。どうやら何か思いついたらしい。


「おい、ロイ。ちょっと二人がかりでシゴいてやろう」


「だってさ、ラキア。ちょっと二人がかりでルクトをシゴいてあげよう」


「うん、分かった。クルルも一緒にどうだ?」


「そうですね。では、ご一緒します」


「おいおいおいおい!?」


 その話の流れに、ルクトは思わず声を上げた。彼が「二人がかり」と言ったのは、もちろん「ルクトとラキア対ロイ」のつもりだった。それがいつの間にか「ルクト対その他」になってしまった。二人がかりどころか三人がかりである。ロイの腹黒さを甘く見た結果と言えるだろう。


 その後、ルクトは本当に三人がかりでシゴかれた。いくらルクトが優れた武芸者であっても、これは無理である。全身を滅多打ちにされ、とはいえちゃんと手加減はされているが、ルクトは道場の床に大の字に倒れこんだ。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 胸を激しく上下させながら、ルクトは荒い呼吸を繰り返す。大粒の汗が全身から流れ落ち、少々気持ちが悪い。ただ汗を拭うどころか、起き上がることさえまだ億劫だった。


(これが、メリアージュやセイルさんだったら……)


 道場の床に転がって天井を見上げたまま、ルクトはそんなことを考える。彼らであれば例え一対三であっても、こんなみっともない結果にはならなかっただろう。彼らであれば、こうして床に倒れているのは相手方であったはずだ。


(本当に、鍛え直さないとだなぁ……)


 ルクトは改めてその想いを強くする。長命種になるためには、まだまだ足りないものが多すぎる。


 そんなことを考えていると、顔の上にタオルが降ってきた。ラキアの仕業である。ルクトはそのタオルで顔を乱暴に拭いてから体を起こして彼女に礼を言う。しかし帰ってくるのは生返事。それで彼女の視線の先を追ってみると、そこにはロイにタオルを手渡すクルルの姿があった。


(あ~)


 なんとなく、ルクトは胸のうちでそんな声を出す。胸のうちとはいえ、なぜそんな声を出したのか彼にもよく分からない。


「クルル、井戸を借りていいか? 汗を流したいんだ」


 その光景をラキアと見続けることが気まずくて、ルクトはクルルにそう尋ねた。彼女はすぐに彼のほうを振り返り「どうぞ」と言ってくれる。


「じゃあ僕も外で汗を流してこようかな」


「わたしも部屋で着替えてくる」


「わたしもそうします。その後昼食を作りますから、食べていってくださいね」


 お昼の時間が近づいていたこともあり、これにて今日の鍛錬は切り上げることになった。井戸の冷たい水で汗を流すと、微妙になっていた気分も爽やかになっていく。昼食は美味しく食べられそうだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 桶に井戸の冷たい水を汲んでから、ラキアは自分の部屋に戻る。そしてカーテンを閉めて外から覗かれないようにしてから、汗を吸ってしまった訓練服を脱ぐ。汗で湿った服が肌に張り付いて脱ぎにくい。それがイヤで、ラキアは少しだけ顔をしかめた。


 脱いだ服を床の上に乱雑に投げ捨てる。始末は後だ。それより先に今は体を拭きたい。桶の中にタオルを入れてきつく絞り体を拭く。冷たいタオルが火照った体に心地いい。汗のベタベタした感じがなくなっていき爽快だった。


 何度かタオルを水ですすぎながら、ラキアは体を拭いていく。一通り体を拭き終えると、下着を含めて着替えをする。脱いだものは後で洗わなければならない。ラキアは料理は出来なくても洗濯は出来るのである。


 すっかり着替えてしまっても、ラキアは部屋から出なかった。カーテンを開けることもせず、そのまま何となくベッドの端に浅く腰掛ける。脳裏に浮かぶのは、先程釘付けになったロイとクルルの姿だ。


 タオルを手渡すクルルと、それを受け取るロイ。何と言うことはない、ただそれだけの光景である。しかしなぜかラキアはその光景に引き込まれ、二人から目を離すことができなかった。


「あの二人みたいに……」


 そう呟きながら、ラキアは体を後ろに倒してベッドに横たえる。見慣れた天井を今は見たくなくて、彼女は手の甲をまぶたの上に置いた。


 二人から目を離せなかった理由なら分かっているのだ。それはあの光景が、そして二人の関係がラキアの探していた答えだからだ。唯一無二の、と言うつもりはない。だが、それは答えの一つではあるはずだ。


 ラキアにはここ最近ずっと考え続けていたことがある。それは、「どうすれば長命種を目指すルクトの隣にいられるのか」ということだ。


 彼女の言う「隣」とは、物理的な位置関係のことではない。いうなれば精神的な位置関係のことであり、端的に言うのなら「同格」ということだ。


 何を持って「同格」と見なすのか。その基準ははっきりしない。というより、ラキアの中にもそんなものはないのだろう。あえて言うのであれば彼女が同格と思えること、それが絶対の基準だ。


 さて、ロイとクルルである。武芸者としての二人は、果たして同格であるといえるのか。残念ながら多くの人間はそうは思わないだろう。一人の武芸者として比べた場合、弓を得物とするクルルは低く見られがちだ。そしてそのことを彼女自身も自覚している。


 しかしだからと言って、クルルがロイとの関係においてそのことを気にしているのかと言えばそんなことはない。事実は事実として認めるとしても、そのことが二人の間に上下関係を作り出したりはしないのだ。


 それはなぜか。それは二人の間に武芸者とは別の関係性があるからだ。つまり「婚約者同士」という関係性が。愛し合い両想いになっているからこそ、二人は武芸者としての実力に関係なくお互いをパートナーとして認め合うことができているのだ。


 そんな二人の関係を、ラキアは「羨ましい」と思った。


 今現在、ラキアはルクトと武芸者としてほぼ互角の技量を持っており、彼の足を引っ張ることなくその隣で戦うことができている。彼女にしてみれば、つまりこれが「同格」ということだった。


 しかし「長命種を目指す」と決めたルクトに対し、ラキアはまっさきに「無理だ」と思ってしまった。武芸者としての彼に、もう付いて行くことは叶わないと自分で諦めてしまったのだ。


 それはつまり、少なくとも武芸者という括りにおいて、ラキアはもうルクトと同格な相棒ではいられないということだ。近い将来、ラキアは武芸者としてルクトの隣に立つことができなくなるのである。


(それは、イヤなんだ……!)


 諦めてしまったくせに、ラキアはそれを受け入れることができない。我儘だと自分でも思う。けれども「イヤだ」と思ってしまうことを止められない。しかしどれだけ「イヤだ」と思っていても、そう遠くない将来その現実を受け入れなければならなくなる。だからこそ、もしかしたら「今がずっと続けばいい」だなんて、そんなことを考えてしまったのかもしれない。


(だけど、武芸者としてでなければ……)


 しかし武芸者としてでなければ、ラキアはルクトの隣にパートナーとして立てるかもしれない。クルルがロイの隣に立っていたように。武芸者と言う括りの外に出れば、方法は意外とあるのかもしれない。最近ずっと考えていた疑問の答えが、ようやく一つ出たように感じた。


(あれ……? でも、それってつまり……)


 クルルとロイに倣うということ、それはつまりルクトと結婚するということだ。そのことに気づき、ラキアは全身が熱くなるのを感じた。


 ベッドの上をもぞもぞと動き、うつ伏せになって枕に顔を押し付ける。ルクトと結婚する。それを考えたことが無いわけではない。そもそも武者修行を終えてヴェミスに帰れば誰かと結婚することになるだろうとずっと考えていた。つまりヴェミスにいる同年代の武芸者の誰かと、だ。諦念的にそれを受けいれていたわけではないが、ごく自然に当たり前にそうなるものだと思っていたのだ。


 だから「ルクトと結婚する」と改めて考えたときに、自分がこれだけ大げさに動揺したことに、ラキアはさらに驚いていた。そのせいでさらに顔が熱くなる。今ごろきっと真っ赤になっているに違いない。


「ああ、そうか……。わたしは……」


 ルクトのことが、好きなのか。


 ベッドの上で身悶えながら、ラキアはついに自分の中の恋心に気がついた。好きな人の隣にいたいと思う。それは人として自然な感情だ。


 その形は、決して最初に思い描いていたものではない。ラキアは今まで武芸者としてのルクトの背中を追ってきた。そして追いついて並び、その隣に立ったのだ。それが幸せであり、また充実していたことは間違いない。それがずっと続けばいいと願ってしまうほどに。


 武芸者として、いや、武芸者としてもルクトの隣に立つ。それが、ラキアにとっての理想だろう。しかしそれが叶わないとしても、別の形で自分の想いを遂げたい。ラキアは今、そう思うようになっていた。


「まあ、アイツと結婚したからと言ってわたしが武芸者でなくなるわけではないしな」


 自分の思考に言い訳をするように、ラキアは小さくそう呟いた。結婚したからと言って、迷宮に潜ることをやめるつもりはない。それは仮にルクト以外の誰かと結婚することになったとしても同じだ。


 だがもしも、ルクトと結婚することができたなら。きっと彼と一緒に迷宮に潜って遠征をすることになるはずだ。ちょうど、今やっているように。今と同じく二人だけなのかそれは分からないが、「ずっと続けばいい」と思っていた時間がもう少しだけ続くことになるだろう。


「もしかしたら……」


 もしかしたら、その中でラキアもまた「長命種を目指そう」と思えるようになるかもしれない。今は「無理だ」としか思えないが、いつかルクトと目標を共有できるようになるかもしれない。それはとても幸せなことではないだろうか。その未来を想像して、ラキアは少しだけ唇を綻ばせて笑みを浮かべる。


 しかし、その笑みはすぐに消え、ラキアは眉間にシワを寄せて難しい顔をする。自分がルクトのことを好きなのは分かった。彼の隣にいるために結婚という方法があることも分かった。彼と結婚することに何も不満はないし、むしろそうしたいとも思う。実際に話してみるまで分からないが、父であるジェクトが反対することもないだろう。


「でも……」


 でも、ルクトはどう思うだろうか。結婚と言うのはもちろん相手が同意しなければ成り立たない。果たして彼はラキアと結婚することに同意するのだろうか。いや、結婚したいと思ってくれるのだろうか。


 その可能性は、なんだか低いような気がした。ルクトに嫌われているとは思わないが、彼から女性として見られているとは思えない。ラキア自身が今までそう望んでいたからでもあるが、やはりルクトは彼女のことを武芸者として、あるいは戦友としてみているように思う。


(むむむ……)


 ラキアは難しい顔をする。そういうふうに見られていることはもちろん嬉しい。だけど今回それだけではダメなのだ。


(むう……)


 女としての自分の魅力に、ラキアは自信がない。スレンダーで引き締まった、武芸者向きの身体をしているとは思うが、反面いわゆる“女性らしさ”には欠けている。性格的にも武芸者思考で、特に料理の腕は壊滅的だ。いまだに包丁を握ることはクルルから禁止されている。


 そんな女を、果たしてルクトは好きになってくれるだろうか。いや、そもそもルクトは結婚それ自体をしたいと思っているのだろうか。


 鍛え直す、と彼は言った。わざわざそう口にするのだ。きっと厳しい修行になるに違いない。そんな修行の最中に、彼は結婚したいと思うだろうか。


 思わない、とは言い切れない。結局のところ、彼の口から答えを聞くまで全てはラキアの推測でしかないのだから。


「ルクト、お前はわたしと結婚したいと思うか?」


 とはいえそんなことを今すぐに正面切って尋ねられるはずもなく。一つ悩みが解決したと思ったらまた新たな悩みが発生してしまった。真っ赤な顔をしたまま、ラキアはベッドの上でしばし身悶えるのだった。


今回はここまでです。


続きは、少し書き溜めたいので遅くなるかも知れません。

どうぞ気長にお待ちくださいませ。

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