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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節15


「クソッ……!」


 タニアが走り去る足音が聞こえなくなると、サミュエルは小さくそう悪態をついた。ただし、タニアにではない。みっともない所を、よりもよって彼女に見せてしまった自分に対して、である。


 サミュエルがこの雑木林でやっているのは、もちろん長命種(メトセラ)になるための修行である。ただし、ここで修行を続けていても長命種にはなれない。そのためにはどうしても迷宮の中に入らなければならないのだ。だからこの雑木林でやっているのは、そのためのいわば前準備だった。


 無駄なこと、と言うつもりはない。むしろ、これはどうしても必要なことだ。しかし前準備であることに変わりはない。四月の半ばを前にして、未だに前準備が終わっていないことに、サミュエルは歯がゆいものを感じずにはいられない。


 最初の頃は前に進めている実感があった。その実感は今でもある。ただし、遅い。前準備としては、時間がかかりすぎていた。少なくとも、サミュエル自身が納得できる内容でなかったのだ。


 そんなみっともない所を、よりもよってタニアに見られてしまった。サミュエルの計画では長命種になってから晴れて会いに行く予定だったのに。


 気恥ずかしさと惨めさのせいで、まともにタニアと目を合わせることが出来なかった。そのせいで言葉まで辛辣になってしまった。会いにきてくれたことは予想外とはいえ嬉しかったし、あんなことを言うつもりはなかったのに。彼女に取ってしまった自分の態度が、さらにサミュエルを気落ちさせる。


 とはいえ、追い払ってしまったタニアの後を追うことはできない。それこそ、本当に惨めなことだとサミュエルは思う。「これしかない」と心に決めたことをまだ成し遂げていないのだ。どの面下げて会いに行けというのか。彼女に会いに行くのは長命種になった時。そう決めたのだ。


「タニア……。君は待っていてくれると、信じているよ……」


 サミュエルは小さくそう呟いた。タニアはいつも彼の味方だった。パーティーから除名されてしまった今でさえ、彼女は味方であるとサミュエルは信じている。今日こうして会いにきてくれたことで、その確信はさらに強まった。


 彼女ならばいつまででも待っていてくれるだろう。しかしそれに甘えているようでは男として失格だ。だからサミュエルは一つの目標として七月の末を定めている。それは卒業式がおこわなれる頃だ。学園の卒業など彼にとってはもうどうでもいい事となっているが、しかし区切りとしては分かりやすい。そのときまでに長命種に、タニアに相応しい特別な存在になって彼女を迎えにいくのだ。


(その時はきっと……)


 その時はきっと、タニアも笑顔で迎えてくれるに違いない。眩しいばかりのあの笑顔で。その笑顔にサミュエルは惹かれたのだ。彼女の笑顔に、サミュエルは惚れたのだ。笑顔を浮かべるタニアが、サミュエルは好きなのだ。


 その笑顔を取り戻すためにも、絶対に失敗はできない。そう思って慎重に修行を行ってきた。しかしもしかしたら、慎重すぎたのかもしれない。


「そろそろ、次のステップに進むべきなのかもしれない……」


 こんなところでだらだらとやっているから、タニアにみっともない所を見せてしまった。これはもしかしたら、「早く次のステップに進むべし」という天啓なのかもしれない。なんにしてもこのままでは、また彼女を悲しませることになる。


(それは、嫌だ)


 ならばこんなところで燻っている場合ではない。サミュエルは自分を奮い立たせた。実際、高濃度のマナの生成も迷宮(ダンジョン)の外ではこれ以上の濃度は難しくなってきている。現時点で身体が慣れきったとはまだまだいえないが、しかしここでやれることはあらかたやったはずだ。


「よし、明日からは迷宮だ……!」


 迷宮に潜り、いよいよ長命種になるための修行を始めるのだ。サミュエルはそう決意した。その決意を胸に彼はここでの前準備を再開した。〈絶対勝利の剣(エクスカリバー)〉を構え、高濃度のマナを生成し、それを吸収する。


「ぐっ……!」


 まだまだ拒否反応は強い。だが今日中にこの濃度のマナに身体を慣らさなければならない。明日からはもっと濃いマナを吸収することになるのだから。今日一日の間に、できることは全てやっておかなければならない。


 サミュエルはその日、日が沈むまで休むことなく修行に明け暮れた。


 そして次の日。朝食を寮の食堂で食べると、サミュエルは昨日そう決めたとおりに迷宮へ向かった。


 迷宮に入るためには、迷宮の入り口の上に立つ〈会館〉で手続きを行わなければならない。この手続き自体は簡単なもので、お金もかからない。しかし一人ひとり手続きを行うので、朝などは特に自分の番が来るまでに時間がかかる。その時間を一人で待たなければならないのは、サミュエルにとって苦痛だった。


 迷宮に一人で潜るハンターなど、ほとんどいない。まだパーティーを組んでいない武術科の二年生であったとしても、一人で迷宮に入ることは滅多にない。どんな場合でも二人以上、というのが普通だ。さらにソロで有名だったルクト・オクスもコンビを組むようになって久しい。つまり今カーラルヒスでソロをやっているのは、恐らくサミュエルただ一人なのだ。


 こうして一人で受付けの順番を待っていると、どうしてもパーティーを組んでいた頃を思い出す。あの頃はタニアと話をしながら、こういう待ち時間を潰したものだ。何気ない日常の一コマだが、今思い返せば楽しい時間だった。そういう時間を思い出すと、途端に一人でいることに寂しさを感じる。


(タニア……、やっぱり僕には君が必要だよ……)


 その想いが強くなる。彼女さえいれば、この胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのような、寒々しい寂しさなど一瞬で忘れることができるだろう。彼女が隣にいてはじめて自分は満たされる。サミュエルはそのことを改めて認識した。そして同時に、今の自分が半身を奪われた状態だということも。


 奪っていったのは、元のパーティーメンバーたちか。なんにせよ、取り戻さなければならない。長命種となって。胸に一抹の孤独と寂しさを感じながら、サミュエルは改めてそう決意した。


 とはいえ、ただ一人でいることだけならば、サミュエルはいくらでも耐えることができただろう。奪われたものは取り戻せばいい。その時、孤独と寂しさは癒される。その未来が明確に思い描けていれば、彼にとって今この時に一人でいることはそれほどの苦痛ではない。輝かしい未来のためには辛酸を舐めることもやむなし、と鷹揚に考えることができた。


 彼にとって苦痛なこと、それはこうして待っている間に周りの人間が彼の噂話をしていること、正確には噂話をしているように思えることだ。意識しなくても耳に入ってくるざわめきの中に、自分の悪口が混じっているように彼には思えてしまうのだ。


 ――――〈味方殺し〉


 自分に付けられたその悪名を、サミュエルは当然知っている。知っているからこそ、こうしてハンターが多く集まる場所に一人でいると、後ろ指をさされてあることないこと囁かれているような気がしてしまう。


 まさに針のむしろだ。全ての声、視線、挙句には物音までが悪意を持っているように感じてしまう。さらにここの所ずっと人気のない雑木林にこもっていたこともあり、彼はそういったものに余計に敏感になっていた。


(あぁ、イライラする……!)


 サミュエルは内心でそう吐き捨てた。有象無象の無能者が揃って自分を貶めている。一体なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。自分が有能で特別であるがゆえに嫉妬しているに違いない。理不尽だと、そう思った。「黙れ!」と叫びたくなるのを彼はグッと堪えた。


(長命種になれば……!)


 長命種になれば、この有象無象どもの口を力ずくで閉じさせて黙らせることができる。全てのものを超越する絶対的で特別な存在になれば、もう塵あくたの妄言と中傷にさらされることもなくなるのだ。


(長命種になる理由がまた一つ増えたな)


 イライラした気持ちのまま、彼は内心でそう呟いた。長命種になれば全ての問題が解決すると、彼は本気でそんなふうに考えるようになっていた。


 そのことを他の長命種たちが知ればどうするだろうか。メリアージュが知れば顔をしかめるだろう。セイルが知れば苦笑するかもしれない。〈御伽噺〉が知れば、きっと嗤うはずだ。「幸せで、間抜けな思考だね」とでも言うに違いない。長命種になって解決する問題など、実はほとんどないのだ。そのことを知っているのは、もしかしたら長命種になった本人たちだけなのかもしれない。


 そうこうしているうちに、サミュエルの番が回ってきた。受付けを行う職員の表情は今までと変わらない。ただその裏でなにを考えているのか、それは彼には知りえないことだった。


 受付けを終わらせると、サミュエルは足早に迷宮へと向かう。そして迷宮に降り立つと、そのまま一階層の広場を目指して歩き始めた。〈御伽噺〉と遭遇した、あの広場である。途中、何度かモンスターと遭遇したので全て倒し魔石を回収しておく。また使うことがあるかもしれないからだ。


 二十分ほどで目的の広場に到着した。当たり前だが、無人である。〈御伽噺〉がいるかもしれないと少しだけ期待していたが、そんな事はなかった。


「まあいい。始めよう」


 そう呟いてから、サミュエルは〈絶対勝利の剣〉を顕現させた。そして集気法を使って烈を練り上げ、その烈を手に持った剣に流し込む。すると〈絶対勝利の剣〉の刀身はまばゆい黄金色の輝きを放つ。しばらく見ていなかった力強い輝きだ。その輝きは、まるで〈絶対勝利の剣〉が上げる歓喜の声にも見えた。


 その輝きを見て、サミュエルは大きく頷いた。やはり〈絶対勝利の剣〉はこうでなければならない。


 その輝きに誘われるまま、そこで生成された超高濃度のマナを集気法で吸収しようとして、サミュエルはハッと我に返った。


(危ない危ない……!)


 今〈絶対勝利の剣〉の刀身に生成されているマナは、いままでのとは比べ物にならないほど超高濃度だ。それはこの眩いばかりの輝きを見れば一目で分かる。その超高濃度のマナを今の状態で吸収すれば、恐らく自分は死んでしまうだろう。これまで前準備を繰り返してきたサミュエルにはそれが分かる。


 フウ、と息を吐いて気を静め、サミュエルは〈絶対勝利の剣〉に込められたマナを散らした。迷宮の外でやっていた前準備と同じように、また烈の量をセーブしながら修行をしていかなければならない。修行が思うように進まない現実に彼は苛立ちを感じたが、しかしここで短気を起こしたりはしない。無理をして先走れば苦しい目に遭うだけだということは、前準備のときにいやというほど思い知らされているのだ。


 もう一度集中し直すと、サミュエルは集気法を使って烈を練り直した。そして今度は練った烈の大半を体外に排出してから、残った烈を〈絶対勝利の剣〉に込める。前準備をしていたときに編み出した方法だ。少量の烈だけを〈絶対勝利の剣〉に込めることは、まだできていない。


 込めた烈の量が少ないせいで、〈絶対勝利の剣〉が放つ輝きも先程に比べて格段に弱い。その弱い輝きが自分の現状のような気がして、サミュエルは眉をしかめた。


「取り戻すんだ……、これも……!」


 長命種になって、〈絶対勝利の剣〉のあの輝きも取り戻す。サミュエルはそうここに決めた。これでまたもう一つ、長命種になるべき理由が増えた。


 新たな決意を胸に加えながら、サミュエルは静かに目を閉じて集中力を高める。そしてゆっくりと集気法を発動した。


「グッ……! ガァ……!」


 その瞬間、今までに感じたことのないほど濃密なマナがサミュエルの身体に流れ込んだ。そのマナはまるで激しい嵐のように彼の身体の中で荒れ狂い、強烈な拒否反応が彼を襲った。


 視界が歪み回転する。全身がまるで捻られているみたいに痛い。平衡感覚が狂い、サミュエルの身体がふらついた。


「クッ……! フザケ……」


 しかしそんな状態でもサミュエルは倒れなかった。力の入らない足を必至で踏ん張り、さらにそれでも身体がふらつくと、手に持った〈絶対勝利の剣〉を広場の床に突き刺して杖代わりにして身体を支えた。


「ハアハアハア……!」


 肩どころか全身を上下させながらサミュエルは荒い息を繰り返す。拒否反応のせいでどれだけ呼吸をしても楽にならない。そんな苦しい状態の中、しかし彼は確かな手応えを感じていた。


(僕は……、確かに……!)


 確かに、成長している。その思いをサミュエルは強くした。迷宮の外で初めて〈絶対勝利の剣〉から高濃度のマナを吸収したとき、彼は拒否反応のせいで激しく悶絶した。今回吸収したマナは、その時よりも濃度が高いだろう。しかしこうして強い拒否反応に見舞われながらも、悶絶して無様に転げまわることなくなんとか立ったまま意識を保ち、そしてモノを考えることができている。これは大きな成長と言っていい。


「グゥ……!」


 体中が訴える痛みに、サミュエルはうめき声を出す。これ以上は堪えられそうにない。そう判断すると、彼は身体から烈を霧散させた。それに合わせて体の痛みが引き、歪んでいた視界が鮮明になって焦点も定まる。ただ痛みはなくなっても身体はだるいし、重い疲労が残っている。


「ハァハァハァ……」


 肩で息をしながら、サミュエルは呼吸を整える。そして集気法を使い、普通に烈を練って体内に取り込む。すると身体が温まり、そして軽くなったように感じた。


 彼は呼吸が整ってくると体をまっすぐにして立ち、広場の床に突き刺していた〈絶対勝利の剣〉を引き抜く。そして一度大きく深呼吸してから、その剣を再び正面に構えた。そして体から烈の大部分を抜き、残った分を〈絶対勝利の剣〉に流し込む。その烈に反応して、美しい刀身が淡い光を放つ。


 その超高濃度のマナを、サミュエルは再び吸収する。当然、また強烈な拒否反応に襲われる。彼は先程と同じようにして〈絶対勝利の剣〉を床に突き刺して体を支え、その拒否反応に耐えた。そしてしばらくの間耐え続け、限界が来ると烈を体から霧散させて人心地を得る。その繰り返しだ。


 苦しい、本当に苦しい修行である。しかし長命種になるためにはこれを行わなければならない。この方法でしか、サミュエルは長命種になれないのである。そして長命種にならない限り、彼は自分を取り囲む不本意な状況と諸々の問題を解決することはできないと思っている。


 胸を張ってタニアに会いに行き、そして彼女を取り戻すことも。有象無象が囁く根も葉もない、嫉妬にまみれた中傷を黙らせることも。〈絶対勝利の剣〉の真の輝きと栄光を再びこの手にすることも。全ては長命種にならない限り、叶わないことなのだ。


 望むものを手に入れ、煩わしい雑事に悩まされることのない、「特別な存在」。それこそサミュエルの思い描く理想の自分だ。そしてその「特別な存在」とは、つまり長命種のことだ。からこそ、サミュエルはこの苦しい修行を続ける。自らが思い描く理想の存在になるために。長命種になればその理想が実現すると信じて。


今回はここまでです。

続きは気長にお待ちください。

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