卒業の季節11
「ルクト君、ちょっといいかな?」
季節は巡りもう四月になった。雪はもう随分前になくなり、味気なかった風景も色彩が豊かになってきた。そしてノートルベル学園武術科第六学年の雰囲気もだいぶ変わった。実技要件を達成したパーティーが増え、学年の雰囲気はずいぶん落ち着いたものになっていた。そんな雰囲気の変化を感じながら座学を終えて帰り支度をしていたルクトに、思いがけない人物が声をかけた。
「タニアか。どうした?」
ルクトに声をかけたのはタニアシス・クレイマン。二年生の最初の頃、少しだけ一緒に迷宮に潜ったことのある同級生だ。結局同じパーティーになることはなかったが、こうして何かあれば気兼ねなく話す程度には親しい仲だ。
「ちょっと、話したいことがあって……。サミュエル君のことなんだけど……」
「ああ、まてまて。昼を食べながらにしよう」
なんとなく話が長くなりそうな気がしたルクトは、タニアの言葉を遮ってそう提案した。時間も丁度昼食時で、彼女はすぐに頷いて同意した。
ルクトとタニアは武術科棟のエントランスへ向かう。そこで二人は弁当を買い、そして適応なテーブルに向かい合って座った。ちなみにルクトが買った弁当は毎度の事ながら300シクのもので、タニアが買ったのはなんと400シクの弁当だった。
「お肉を一つあげるわ」
ルクトがよほど羨ましそうにしていたのか、タニアは苦笑しながらそう言って彼に揚物のお肉を一つ差し出した。感激して伏し拝むと、彼女は「やれやれ」と言わんばかりに苦笑を深くした。
「……それで、サミュエルがどうかしたのか?」
弁当を食べ初めて少ししてから、ルクトはさっそく本題に入った。ちなみに貰ったお肉はまだ食べていない。
「うん……。最近、姿を見ないの。それで、ルクト君なら何か知らないかな、って……」
「あ~、そういえば今日の講義、出てなかったな……」
先程終わった座学の講義。そこに出席していた同級生の顔ぶれを思い出していくが、そこにサミュエルの姿はなかったように思う。
「今日だけじゃないの。先週もいなかったし、その前も……」
「そうだったか?」
あやふやな記憶を探るルクトに、タニアは力強く「そうよ!」と断言した。きっと毎回の講義でサミュエルの姿を探しているのだろう。それが意識してなのか、それとも無意識になのかはルクトにも分からない。だが、彼女にそうさせているのはある種の罪悪感なのだろうということはたやすく想像できた。
まあそれはともかくとして。タニアが言うにはここ一ヶ月ほど、サミュエルはまったく講義に出ていないという。
「それで、寮での様子はどうかな、って思って……」
「寮で、か……」
タニアに言われて、ルクトは記憶を探った。だがサミュエルのことはなかなか思い出せない。それは印象が薄いからではなく、そもそも関わる機会が無いからだ。そう言われれば最近、講義だけでなく寮でもサミュエルの姿をあまり見ない。
「食事は? サミュエル君、ちゃんと食べてる?」
タニアにそう言われ、ルクトは寮の食堂の様子を脳裏に描く。学生寮で食事が出るのは朝と夜の二回。特に朝は寮で寝起きしている学生のほとんどが食堂に集まる。時間も限られているから、サミュエルと遭遇するとしたら朝の食堂が一番可能性が高い。
「あー、そうだな……。見かけたことは、あるな……」
意識して見ていたわけではないので記憶はあやふやだが、それでも食堂の隅っこに座って一人で食事を食べるサミュエルの姿を何度か見た気がする。ただ逆を言えば、それ以外では本当にまったくと言っていいほど、最近は彼の姿を見ない。
「みんな、そうなんだよね……。あんまり人のことを気にしないって言うか……」
ルクトの言葉を聞くと、タニアはため息を吐きながらそう言った。彼女の様子は不満げと言うより、どこか気落ちしているように見えた。同級生たちが周りにあまり興味を示そうとしないのが、彼女にはどうにも辛いらしい。そんな彼女にルクトは「まあ、六年だから」と苦笑気味に言うしかなかった。
武術科の六年生はみんなで同じ教室に集まる、座学の講義が少ない。それは実技要件の達成の方が優先され、そのため遠征のために時間が取れるようになっているからだ。そのため学年内での繋がりは希薄になりがちで、パーティーが違うと週に一回程度しか顔を合わさないということもザラだ。
加えて、みんな自分のことで精一杯なのだ。まだ実技要件を達成していなければ、当然そちらにかかりきりになる。また達成したとしても、次は就職先を探さなければならない。この頃になって雰囲気は落ち着いてきたが、それは卒業後のことがある程度決まったからであって、やる事がなくなって暇になったからではないのだ。むしろ卒業後に向けてやることは多い。
そんな感じだから、誰もサミュエルのことを気にしない。いや、気にしている余裕がない。彼が何をしているのか分からないが、向こうが何も言ってこないのにわざわざこちらから関わる気になれないのだ。「誰もサミュエルのことを気にしていない」というのは、裏を返せば「サミュエルが自分から何もしていない」ということでもあるのだ。
「サミュエル君、普段何してるんだろう……」
タニアは小さくそう呟いた。サミュエルが新しくパーティーを組んだとか、学内ギルドに入ったという話は聞かない。つまり彼はまだソロだ。ソロで遠征はできない。遠征をしないのであれば、毎日寮で寝起きしているはずだ。だからこそルクトは朝食の際に彼の顔を見ることがあった。
とはいえそこから先、日中何をしているかは皆目見当が付かない。部屋に篭っているのかもしれないが、それにしてもずっとそうしているということはないだろう。
「……サミュエルが講義に出なくなったのはいつ頃だ?」
「一ヶ月くらい前だね。でも、初めて休んだのは二ヶ月くらい前、だったかな……?」
ルクトが試しに聞いていると、タニアはすぐにそう答えた。やはり随分と彼のことを気にしているようだが、それはそれとして。
(一ヶ月前、いや二ヶ月前か……。なんというか、微妙だな……)
サミュエルがソロになってから、すでに数ヶ月が経過している。そしておよそ一ヶ月前までは、彼は座学の講義にちゃんと出ていた。思い返してみれば、ルクトも教室の隅に座る彼の姿を覚えている。
それが一ヶ月前からぱったりと講義に来なくなった。一ヶ月前、あるいは二ヶ月前に何かしらのきっかけがあったと考えるのが普通だが、タニアに聞いても思い当たる節はないと言う。ルクトのほうは言わずもがな。というよりサミュエルの行動を大雑把にでも把握している者など、武術科の中にはいないだろう。
「まあ、気にはしてみるよ」
結局、ルクトとしてはそう言うしかなかった。「気にする」とは言っても、どこかしらでサミュエルを見かけたら覚えておく、という程度のものでしかない。ただ、それ以上のことは範疇外だ。
「うん、お願い。……心配なんてできる立場じゃないんだけど、やっぱりどうしても、ね……」
自嘲気味に笑いながらそういうタニアに、ルクトは大げさなため息をついた。彼女がこういう性格だということは分かる。そして、それが彼女の美徳なのだということも分かる。分かった上で、ルクトはこう言った。
「……こういうことはあまり言いたくはないけどな。サミュエルはパーティーメンバーとして不適格だったんだ。だから外された。それはアイツの責任で、タニアの責任じゃない。割り切ることも必要だと思うぞ」
迷宮の中で戦闘を繰り返す遠征は、言うまでもなく命がけだ。だからこそ、パーティーメンバーの選定はシビアになる。不適格だと思ったメンバーを切るのは、至って普通のことだ。パーティー内にはそれなりの信頼関係があるし、入れ替えに伴う諸々の手間も面倒なのでメンバーをクビにすることは滅多にないのだが、逆にクビにするときには実に容赦なく切ってしまう。自分たちの命がかかっているのだから、当然である。
そういう理論武装をして早く割り切れ、とルクトはタニアにいった。何を思い何に悩むかは彼女の勝手だが、迷宮の中で注意散漫になれば怪我をする可能性が高くなる。いや、怪我で済めばいいが死んでしまうかもしれないのだ。そして、これはタニア個人の話ではない。五人になってしまったパーティー全体に関わる話だ。同級生が死んでしまった、なんて話はルクトも聞きたくないのである。
「うん、ありがと。分かっているんだけどね……」
苦笑しながらタニアはそう言った。分かってはいても、なかなか割り切れない。そういう顔だ。その顔を見てルクトは小さくため息をつくと、タニアから貰ったお肉を口の中に放り込む。途端にみすぼらしくなった弁当の残りを見て、彼は苦笑するのだった。
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ルクトとタニアが話をしていたまさにその時、渦中の人であるサミュエルは町外れの雑木林の中にいた。以前に実験を行い、そして外法の拒否反応で倒れてしまった場所である。あの時は寒々しかったこの場所も、今ではすっかり春めいて新芽が芽吹いている。
そんな場所でサミュエルは講義をサボってまで一体何をしているのか。一言で言えば“修行”である。前述したように以前の実験では芳しい結果が得られなかったため、何とかして良い結果が得られるよう試行錯誤を繰り返しているのである。
サミュエルが取り組んでいることは二つ。「マナの許容量の底上げ」と「烈の制御能力の向上」だ。
マナの許容量というのはつまり、安全に取り入れることができるマナの最大量のことだ。これを超える量のマナを取り込むと拒否反応が起こる。そして自身の許容量に対して吸収したマナの量が多いほど、拒否反応は大きくなり最悪の場合は死に至る。
以前の実験でサミュエルは〈絶対勝利の剣〉で超高濃度のマナを生成してそれを吸収し、その結果拒否反応を起こして悶絶した。つまり吸収するマナに対し、彼の許容量が足りなかったのである。
『このままでは……!』
このままでは、長命種になることなど夢のまた夢である。なんとしても、マナの許容量を底上げしなければならない。だがそのためには大きな問題があった。
マナの許容量を底上げする方法は一つしかない。すなわち、より高濃度のマナを吸収して身体を慣らしていくのである。高濃度のマナがあるのは迷宮だけだから、「迷宮のより深い階層に潜ること」と言い換えても間違いではない。ようは遠征をしてより深い階層を目指していけば、許容量は勝手に底上げされていくのである。だが、ソロであるサミュエルには遠征を行う手段が無い。
『ま、まあ、普通に遠征をしていたところで、必要なレベルに達するとは思えないがな』
若干の強がりが混じっているものの、サミュエルの考えは間違っていない。一人前のハンターと呼ばれるレベルは、迷宮の十階層。サミュエルは九階層程度まで行ったことがあるから、十階層程度のマナの濃度であれば拒否反応は起こらないと思っていい。
だが以前の実験では激しい拒否反応に襲われた。つまり〈絶対勝利の剣〉で生成されるマナの濃度は、十階層のマナの濃度よりはるかに濃いのだ。そして、その超高濃度のマナでさえ長命種になるためには不足だったのだから、普通に遠征を行ったとしても(長命種になるためには)役に立たないであろう。
余談になるが、〈御伽噺〉は長命種になれる“深い階層”について、「ある者にとっては五〇階層かもしれないし、またある者にとっては一〇〇階層かもしれない」と言った。しかし、いわゆる普通の遠征でそこまで行くのはまず不可能だ。
つまり正攻法でサミュエルが長命種になることはまず不可能だと思っていい。であるならば、普通の遠征ができないことはそう大した問題ではない。少なくとも、彼が長命種になる上では。
まあ、それはそれとして。当面の問題はマナの許容量の底上げである。一緒に遠征をしてくれる仲間はいないし、そもそも遠征をしたところでほとんど無意味。そうなると、マナの許容量を底上げする方法は一つしかない。
すなわち、〈絶対勝利の剣〉を使って高濃度のマナを生成し、それを吸収することで身体を慣らし、マナの許容量を底上げするのである。ただし加減を間違えると以前の実験と同じ結果になってしまう。そこで取り組んでいる二つ目の事柄、「烈の制御能力の向上」に繋がる。
〈御伽噺〉は〈絶対勝利の剣〉の本質は「増幅作用である」と言った。一の入力に対して十の出力を得る。それが〈絶対勝利の剣〉の本質である、と。そうであるならば、入力を小さくしてやれば、出力もそれに合わせて小さくなるはずである。
つまり〈絶対勝利の剣〉に込める烈の量を少なくすれば、そこで生成されるマナの量や濃度も抑えることができるのである。それを吸収してマナの許容量を底上げすればいい。
サミュエルのその考えは間違っていない。いや、現状においてはほぼ唯一の正解だろう。しかしだからと言って、これは簡単な方法ではなかった。
〈絶対勝利の剣〉に込める烈の量を少なくするというのは、その一撃の威力を抑えることと同義である。そしてそれは、以前にサミュエルが挫折したことでもある。つまり非常に難しいのだ。
案の定、サミュエルは「烈を少量だけ〈絶対勝利の剣〉に込める」ということがまったくできなかった。そして現状、できるようになる見通しはまるで立っていない。手応えどころかわずかな成果さえない状態だった。
『このままじゃ……!』
このままでは、いつまでたっても長命種になることができない。サミュエルは苛立った。そんな時、ふと思い出したのは〈御伽噺〉の言葉だった。サミュエルの脳裏に浮かぶ彼は言う。曰く、「発想を転換するんだ」と。
その助言に従い、サミュエルは考え方を変えた。「烈を少量だけ〈絶対勝利の剣〉に込める」のではなく、そもそも「少量の烈しか込められない状況」を作ろうとしたのである。込める量を制御できず烈を全て〈絶対勝利の剣〉に叩き込んでしまうのであれば、烈の全量そのものを制限すればいいと考えたのだ。
これはなにも難しいことではない。〈絶対勝利の剣〉に烈を供給する、その大本の烈の量を少なくしておけばいいのである。つまり、サミュエルが練る烈の量を少なくすればいい。仮に必要量以上の烈を集気法で吸収してしまったとしても、不必要な分を身体の外に出すことは容易だ。そのようにして彼は、ついに〈絶対勝利の剣〉に込める烈の量を少なくすることに成功したのである。
光っているのかさえもよく分からない弱々しい光を放つ〈絶対勝利の剣〉の刀身を見て、サミュエルは満足そうに頷いた。そして、それと同時に寂しさの混じった苦い気持ちがこみ上げてくる。
『もしもあの時……』
もしもあの時、こうやって〈絶対勝利の剣〉の威力を抑えることができていたら。自分はまだあのパーティーの中にいて、タニアの隣に立っていられたのではないだろうか。
サミュエルは頭を激しく左右に振ってその考えを追い出した。もはや意味のない仮定である。それにあのパーティーの中にいたら、長命種を目指そうとはしなかっただろう。特別な存在になるために殻を破ったのだと、サミュエルは自分に言い聞かせた。
サミュエルは〈絶対勝利の剣〉に意識を集中する。そしてその刀身で生成された高濃度のマナを吸収した。
『ぐっ……!』
強い衝撃がサミュエルを襲い、彼はうめき声を漏らした。さらに身体の節々がまるで筋肉痛のように痛む。拒否反応だ。しかし以前に失敗した時のような、悶絶するほど激しい拒否反応ではない。ようやく一つ前進できたと思い、彼は全身の痛みに顔をしかめながらも満足そうに一つ頷いた。
以来、サミュエルは吸収するマナの量と濃度を少しずつ多くまた濃くして、マナの許容量を着実に増やしている。こちらは順調に成果が上がってきていると言っていいだろう。講義をサボっているのは受けることに意味がないと思っていることもあるが、それ以上に修行の成果を実感できることが嬉しいのだ。
もう一つ、烈の制御能力の向上については、現在まだ目立った成果は出せていない。許容量の底上げのほうはメドがついたからやる必要がないといえばそれまでなのだが、しかしサミュエルはこちらの修行も続けていた。
今こうしてやっていることは全て、長命種になるための実験の前準備に過ぎない。本番は迷宮の中に入ってからだ。そして迷宮の中に入れば、マナの量も濃度も桁違いになる。そこで実験を成功させるためにも、烈の制御能力を向上させておくに越したことはない。なにしろ迷宮の中での実験の失敗は、そのまま死に直結するかもしれないのだ。
「迷宮の外で実験を続けられれば、それが一番いいんだが……」
つまり〈絶対勝利の剣〉による増幅と吸収を繰り返すことで、長命種になるために必要なレベルの超高濃度のマナを用意できればそれが一番いい。だがそれは不可能だった。迷宮の外では増幅も低いレベルで頭打ちになってしまうのだ。やはりこれも、マナの濃度が低いことが原因なのだろう。
そうである以上、やはりどうしても迷宮に潜って〈絶対勝利の剣〉による増幅と、生成された超高濃度のマナの吸収を行わなければならない。それが、サミュエルが長命種になるための唯一の方法だ。
「絶対に成功させる。そして長命種になる……!」
そのためにできることは全てやるのだ。そのつもりでサミュエルは今、修行に邁進している。学園とか講義とか卒業とか、もう彼にはどうでもよくなっていた。長命種になれれば全てが解決する。特別な存在が、雑事を気にかける必要はないのだ。特別な存在が気にかけるのは、特別な事柄だけでいい。
(取り戻す……! 取り戻すんだ、長命種になって! 君を!!)
誓いにも似た決意をサミュエルは固める。そんな彼の脳裏に浮かぶ彼女の姿は、なぜか悲しげだった。
今回はここまでです。
続きは気長にお待ちくださいませ。