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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節8


 二月というと、寒いイメージがある。いや、イメージだけでなく実際に寒い。だが三月といわれると、急に春めいて感じるから不思議だ。実際のところ三月に入ったからと言って、急に春らしい気候になるわけではない。初めの頃など、二月の頃とそう大して変わらない気候である。


 ただ気候とは別のところで、やはり月が替わればそれだけ季節の移ろいを感じる。入学当時はさほど意識していなかったそれをこの頃になって強く感じる理由は、やはり卒業が近いからなのだろうとルクトは思う。


 卒業。それはある意味でタイムリミットだ。学生時代という、特別な時間が終わるタイムリミット。その時を迎えれば、もう学生ではいられない。望む望まざるに関わらず、学生であった自分から他の自分へ変わらなければならないのだ。


 変わる、という表現はもしかしたら大げさかもしれない。卒業の瞬間を迎えたからと言って、“自分”というものが大きく変わるわけではないのだから。しかし、だからと言ってまったく同じではいられない。少なくとも社会的な立場は変わる。変わらざるを得ないのだ。


 つまり、卒業後の進路をどうするのか。一言で言ってしまえば、問題はコレである。


 ルクト・オクスはこれまで、卒業後の進路というものをあまり真剣に考えてこなかった。それは借金返済と言う大問題がまずあったからだし、〈プライベート・ルーム〉という特異な個人能力(パーソナル・アビリティ)を持っていたからでもある。


『まずは借金を全部返してから。後のことはそれから考える。〈プライベート・ルーム〉さえあれば、ともかく食っていくには困らないだろうから』


 つまりそういうことを考えていたわけである。だからこそ卒業後に故郷であるヴェミスに帰るのか、それともカーラルヒスに残るのか、それさえもまだ決めていなかった。つい最近までは。


 ルクトが卒業後の進路について、それまでより真剣に考えるきっかけとなったのは〈キマイラ〉事件である。いや、この事件はきっと最後に背中を押しただけなのだろう。本当のきっかけは、これまで彼が関わった長命種(メトセラ)にまつわる出来事の全てである。


 長命種。この世に生きる、本物の超越者たち。その存在はまさに規格外である。大多数の一般人であればおよそ関わることのない彼らに、何の因果かルクトはこれまで何度も関わってきた。


 長命種たちは同じこの世にいながら、しかしまったく別の世界を生きている。彼らと関わる中で、ルクトはそんな感想を持つようになった。短命種(ラテン)である彼にとってそれは羨望であり、また諦念でもある。


(遠い、な……)


 その“世界”は果てしなく遠い。まるで異世界だ、とルクトは思う。けれどもその異世界を彼は覗いてしまった。そして一度覗き見てしまえば、もう忘れることなどできはしない。


(遠い、な……。本当に……)


 寮の自室である403号室で一人ベッドの上で横になりながら、ルクトはスッと天井に向かって手を伸ばした。つかめるものは何もない。彼は伸ばした手を引き戻すと、その手を額の上に載せた。そして鋭い視線で天井を見据える。いや視線は天井に向いていたが、その眼はきっと別のものを見ている。と、その時……。


 ――――コツ、コツ、コツ。


 窓の外から、ガラスをつつくような音が聞こえた。その音に気づくと、ルクトは苦笑を浮かべながら身を起こして窓を開ける。まだ冬の気配が色濃く残る二月の末の夜の風と共に、一羽の“黒い鳥”が部屋の中に入った。


「……調子はどうじゃ、ルクトよ」


 窓辺に置かれた机の上に降り立った“黒い鳥”はメリアージュの声でそう言った。いつもの問い掛け。だから、椅子に腰掛けながらルクトもいつものように答える。


「ぼちぼち、かな」


「おぬしはいつもぼちぼちじゃな」


 そう言って“黒い鳥”はメリアージュの声でカラカラと笑った。その笑い声を聞きながら、ルクトは今回の返済分を机の上に置く。


「少ないのう。さてはサボったかえ?」


「合同遠征が隔週に戻ったんだ。むしろこれが普通だよ」


 含み笑いをしながらからかうメリアージュに、ルクトは苦笑しながらそう答えた。彼女は「知っておるよ。言ってみただけじゃ」と悪びれもせずに言い、“黒い鳥”を使って金貨を回収していく。その様子をルクトは少々恨めしそうに見ていた。


「…………なあ、メリアージュ。長命種として生きるって、どんな気分なんだ?」


 ルクトがそう尋ねると、金貨を回収していた“黒い鳥”の動きが一瞬だけ止まった。メリアージュは彼の問いにすぐには答えず、そのまま金貨の回収を続行する。そして全ての金貨を回収し終えると、おもむろに“黒い鳥”は口を開いた。


「そうじゃなぁ……。あまり良いものでもないぞ」


 そう答えるメリアージュの声は苦笑気味で、そして聞き間違いでなければ自嘲気味だった。


「『住めば都』というが、つまり住んでみれば都とてただの日常に過ぎんと言うことじゃ。外からどれだけ煌びやかにみえるとしても、煌びやかなだけの日常など有るはずもない。むしろ輝くほどに影は濃くなる。


 ……いや、そういうことが言いたいわけではないな。つまりどれほどの力を持ちどれほど長く生きようとも、人生とは結局ありふれていてともすればくだらない物事の連続じゃ。その一点において長命種と短命種はなんら変わらぬ。そしてそれが全てなのだろうと、妾は思う」


 珍しく長い台詞を口にして、メリアージュはそう語った。彼女が言葉を切ると、数秒の沈黙があった。なにか言わなければとルクトが口を開くより早く、メリアージュは次の言葉をつむいだ。


「それでも、おぬしは……」


「……ああ、それでもオレは長命種になりたい」


 これだけは自分の口で言わなければならない。そう思い、ルクトはメリアージュの言葉に被せるようにしてそう言った。


 そしてまた、数秒の沈黙。今度先に口を開いたのは、ルクトの方だった。


「……卒業して留学が終わったら、ヴェミスに帰る。そうしたら、稽古を付けてくれないか?」


「ほう……」


 そう呟いたメリアージュの声は、感心しているようには聞こえなかったが、しかし馬鹿にしているようでもなかった。強いて言うのなら、ある種の感慨だろうか。ルクトが借金を返し終えた後のことをはっきりと口にするのはこれが初めてだったから、債権者として、また養い親としてもなにか感じるものがあったのかもしれない。


「……妾が稽古を付けたからと言って、それだけで長命種になれるわけではないぞ? それとこれとはあくまでも別の問題じゃ」


 ルクトがしているかもしれない勘違いを正すかのように、メリアージュはそう言った。そしてそれと同時に、彼女はこの言葉で一線を引いた。


 長命種になるためには迷宮の深い階層に潜らなければならない。そして、それはあくまでもルクトの実力で達成しなければならない。その実力を身につけるための稽古には付き合うとしても、そこまで手を貸すつもりは無い。ルクト本人がその辺のことをどう考えていたのかは分からないが、メリアージュは言外にそう言ったのである。


(まあ、将来的には分からぬが……)


 声には出さず、内心でメリアージュはそう呟いた。彼女は別に「長命種には必ず自力でなるべき」とは考えていない。それどころか彼女は昔、シードル・エスカンシアールという妹弟子が長命種になるのを直接的に手助けしている。


 だからルクトが長命種になることを望むのであれば、将来的にそれを手助けすることはあるかもしれない。だが最初からそれを口にすれば、彼はどうするだろうか。


 怠ける、とは思いたくない。だが、怠けられる要素をわざわざ目の前におく必要もないだろう。だからメリアージュはあえて一線を引くような言葉を選んだのだ。


「分かってる。でも、とりあえず出来ることからしかやれないだろう?」


 苦笑気味にルクトはそう答えた。長命種になるための方法論ならば彼も知っている。だがそれは知っているだけであって、どうやって達成すればいいのかは皆目見当もつかない状態だ。


 しかし長命種になりたいのであれば。兎にも角にも動き出さなければならない。短命種の一生は短いのだ。無駄にできる時間はない。とりあえずだろうがなんだろうが、やれることをやるしかないのだ。


「ふむ……。そこまで言うのであれば、まあいいじゃろう」


 帰ってきたら稽古を付けてやる、とメリアージュは言った。それを聞いて、ルクトはほっとした様子で「ありがとう」と礼を言った。


「ただし……」


 そんな彼に釘を刺すかのように、メリアージュは言葉を続ける。その声はまるで含み笑いを堪えているかのようで、ルクトは嫌な予感を覚えた。“黒い鳥”の向こう側にいるメリアージュは、きっと悪戯げな笑みを浮かべているに違いない。


「借金を返済し終えてから、じゃがな?」


「……りょーかい。頑張るよ」


 まずは借金返済。なにを目指すにしても、それは変わらない。


 ――――借金残高は、あと4000万シク。



▽▲▽▲▽▲▽



 メリアージュに「長命種になりたい」と告げた次の日、ルクトは合同遠征の窓口となっているギルド〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉を尋ねた。


「ルクト様、いかがなされましたか?」


 ギルドホームに現れたルクトにそう尋ねたのは、合同遠征の窓口を担当している〈水銀鋼の剣〉の職員イズラ・フーヤだった。彼女は完全な無表情がデフォルトであるためその表情から内心を推し量ることはできないが、もしかしたらルクトが今日やってきたことを内心で不思議に思っていたかもしれない。この数日前に二月の合同遠征の報酬はまとめて支払ってあるし、連絡事項もその時にまとめて伝えてある。彼が今日ここに来た理由について、彼女には心当たりが無かった。


「少しお話が。今後というか、卒業後のことについて……」


 ルクトがそう言うと、イズラは「分かりました」と言って彼をソファーに座らせた。そして「少々お待ちください」と言ってからお茶の用意をする。


(とうとうこの時が来ましたか……)


 お茶の用意をしながら、イズラは内心でそう呟いた。卒業と言うのは大きな節目だ。留学生であるルクトにとっては特に。その節目を迎えたときに彼がどうするのか。その選択に今やカーラルヒス中のギルドが注目していた。


(残ってくだされば、こちらとしては喜ばしい限りなのですが……)


 ギルドの事務員として、また経理にも携わっている職員としてイズラはそう思った。ルクトが武芸者としてどれほどのものなのか、彼女にはよく分からない。合同遠征の影響力についてなら、彼女は最もよく知っている。


 合同遠征というのは、実に強力な手札(カード)だった。単にギルドの稼ぎが上向くというだけの話ではない。合同遠征の窓口を担当しているというただそれだけで、〈水銀鋼の剣〉は他のギルドとは一線を画す存在になっていた。分かりやすくいうならば、「不興を買いたくない存在」になっていたのだ。


 もちろん、その“強権”を露骨に振りかざしたことはない。合同遠征に参加するパーティーを選ぶ際にも、なるべく公平を期するようにしてきたつもりだ。ちなみにこの点に関して今日まで不満が寄せられたことはなく、それが評価なのだろうとイズラは思っている。


 まあ、それはともかくとして。つまり〈水銀鋼の剣〉としては、合同遠征をぜひとも続けて欲しいのである。出来ることならば今の体制のままで。それはつまり、ルクトがカーラルヒスに居残ることを意味している。だが、彼が持つ選択肢はそれ一つだけではない。


(なるべく説得するように、とは言われていますが……)


 ルクトが「故郷に帰る」と言い出す可能性を、〈水銀鋼の剣〉はもちろん考慮に入れている。そしてその場合の説得を任されているのは、ほかでもないイズラだった。


(まあ、なるようにしかなりませんね)


 先程見たルクトの眼を思い出しながら、イズラは内心でため息を付いた。アレはすでに決意を固めている眼だった。彼がどんな選択をしたのかはこれから聞くことになるが、それを翻意させるのは恐らく無理だろう。そんなことを考えながら、イズラはお茶の用意を終えてルクトのところに戻った。


「お待たせしました」


 そう言ってイズラはお盆に載せて持ってきた紅茶をルクトの前に置く。彼はそのお茶を一口だけ飲むと、すぐにティーカップをソーサーに戻した。


「それで、お話と言うのは?」


 あまり世間話をするような雰囲気でもなかったので、イズラはすぐに本題に入った。少しの沈黙があってから、ルクトは顔を上げて口を開いた。


「……色々と考えましたが、卒業後は故郷に帰ろうと思います」


「……理由を、お伺いしても?」


 やはり、と心のどこかで思いながらイズラはそう尋ねた。


「故郷に帰って、メリアージュに稽古を付けてもらうつもりです」


 ルクトの答えを聞いて、イズラは「厄介な名前が出た」と思った。〈闇語り〉のメリアージュ。ルクトが長命種である彼女と親しい関係であることは、〈キマイラ〉事件でのこともありすでに周知の事実である。そして彼女の存在こそ、ルクトに対して強く出られない最大の理由だった。個人で都市を滅ぼしてしまえるような相手に喧嘩を売るわけには行かないのである。


(まあ、メリアージュ様の名前を出されれば、ウチのギルマスも引き下がらざるを得ないでしょう)


 厄介と思う反面、イズラは助かったとも思っていた。ある意味、開き直ったとも言う。なんにしろ、これで説得が失敗しても責められることはないだろう。誰が説得したってきっと無理なのだから。


(とはいえ……)


 とはいえ、まったく説得しないと言うのも後で文句を言われそうである。ルクトの答えに「そうですか」と応じながら一口紅茶を飲み、その間にイズラは説得のための道筋を考える。おそらく無駄だろうとは思いながら。


「……失礼ですが、カーラルヒスでの生活に、なにかご不満でもありましたか?」


「いえ、不満は特に。ここは住みやすい都市だと思います」


 本心から、ルクトはそう言った。実際、カーラルヒスが住みやすく居心地のいい都市だからこそ、彼はつい最近まで故郷に帰るのか、それも居残るのかを決められずにいたのだ。


「でしたら、どうでしょう。メリアージュ様をお誘いして、お二人でこの都市に住まわれては?」


 イズラの提案は、実に大それたものだった。ルクトだけでなく長命種のメリアージュまでカーラルヒスに誘おうというのだから。だがルクトがお金で靡くことはないだろうし、特定の異性とお付き合いをしているとの話も聞かない。見合い話もことごとく断っていると聞く。となると、突破口はこれしか無いように彼女には思えた。


「それは……、たぶん無理でしょう……」


 イズラの思いがけない提案に少しだけ驚きながらも、しかしルクトはそう言った。メリアージュがヴェミスにいることに、なにか特別な理由があるのか、それはわからない。だがルクトに誘われたからと言って、彼女があの都市を離れるとは思えなかった。


「そうですか……」


 少しだけ目を伏せて、イズラはそう言った。残念と言えば残念である。だが上手くいったとしたら、その方が彼女自身驚いただろう。


「では、合同遠征はルクト様が卒業されるまで、ということで……」


「はい。すみませんが、それでお願いします」


 結局、そういうことで話はまとまった。この話を知ればあちらこちらで悔し涙を流す人が続出するに違いない。


(では、少しだけフォローしておきましょうか……)


 ここまでの話の流れは全てイズラの想定どおりである。そしてルクトはここまでしか考えていなかっただろうが、しかし彼女はこの先のことも考えシナリオを頭の中で組み立てていた。イズラにしてみれば、むしろここからが“説得”の山場である。


「それで、ルクト様。すこしご相談が……」


「なんでしょうか?」


「端的に申し上げます。合同遠征の参加枠を増やしませんか?」


 イズラは言う。卒業後の進路をどうするかは完全にルクトの選択次第であり、彼が「故郷に帰る」と言えばそれはもう仕方が無い。しかし実入りのいい合同遠征が開催されなくなれば、それを不満に思う者は必ず出てくる。


「あるいは卒業までの期間、煩わしいことが増えるかもしれません」


「それは面倒ですね……」


 その気がないのに延々と翻意を促されたり、勧誘を受けたり。ともすれば女を使って夜這いをかけさせるなど、強硬手段に出てくるものもいるかもしれない。可能性を考えるだけでもウンザリしてしまう。


「それを避けるためにも、分かりやすいエサが必要なのです」


 合同遠征がなくなることで生じる不満を、それまでの間参加枠を増やすことで緩和しようと言うのだ。不満を抱く連中もメリアージュの名前を出せばルクトを翻意させるのはほぼ無理だと悟るはずで、それならばと目の前の分かりやすい利益に飛びつくだろう、というのがイズラの見立てだった。


「できれば、もう二つほど枠を増やせないでしょうか?」


 そうすると、合同遠征の参加枠は全部で十五になる。ルクトは現在の合同遠征の時の、〈プライベート・ルーム〉内の様子を思い浮かべ、そこにさらにもう二つパーティーを足してみる。


「……随分と狭くなりますよ?」


「その辺のことは現場の人間が何とかすればいいんです」


 その無責任にも思えるイズラの言葉に、ルクトは思わず苦笑した。ただ彼自身、〈プライベート・ルーム〉の中が狭くなったからと言って、その影響を直接受けるわけではない。なにしろ彼はずっと外にいるのだから。なにより、収入が増えることに文句はない。


 結局イズラの提案通り、合同遠征の参加枠は全部で十五になった。そのせいで、予想通りというか〈プライベート・ルーム〉の中は随分と狭くなり、そのため外に出て走るパーティーが二つになった。


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