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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節6


「クルル。道場の掃除、終わったよ」


 夕日が山の向こうに半分ほど隠れた頃、道場の掃除を終えたロイは帰り支度を整えてから台所にいるクルルにそう声をかけた。今日、一緒に稽古をしたラキアとルクトはそれぞれ自分の用事で今は家にいない。ラキアは研ぎに出した太刀を取りにいくと言っていたし、ルクトはそれに付き合ってさらに明日からの合同遠征の準備をすると言っていた。今家にいるのは、クルルとロイの二人だけである。


(これは、チャンスかな……?)


 ロイは内心でそんなことを考える。ウォロジスが死んで以来、クルルの傍にはいつも誰かがいた。それは彼女に必要なことで、そしてとても大切なことではあったが、反面二人だけで話をする機会はなかなか無かった。もっとも、彼女がふさぎ込んでいるときにわざわざ話すようなことでもなかったが。


「ありがとうございました。……あの、それで、お夕食は食べていかれますか?」


 ロイがあれこれ考えていると、クルルが台所から顔を出してそう尋ねた。彼女の表情には期待が見え隠れしている。


「……せっかくだけど、今日は帰るよ」


 ご相伴に預かりたいのは山々ながら、ロイはそう言ってお誘いを断った。これからしようと思っている話の後では少々、いやかなり気まずくなりそうな気がしたのだ。


「そう、ですか……」


 ロイの答えを聞いて、クルルは途端に残念そうな顔になった。それを見てロイは「悪いことをしたなぁ」と内心で苦笑する。そして、それから意を決して彼女の名前を呼んだ。


「…………クルル」


「はい、なんでしょうか?」


「……あの時言ったこと、まだ覚えてる?」


 気恥ずかしさからか、ロイの問い掛けは非常に曖昧だった。そのせいでクルルにはすぐに思い当たる節がないらしく、彼女は「あの時……?」と呟きながら頭を捻っている。


「……その、ウォロジスさんが、死んだ時……」


「あ…………」


 ロイが何の話をしているのか悟ったクルルは一瞬で顔を真っ赤にした。耳まで真っ赤になった彼女は顔を伏せたが、しかし何度も頷きながらこう言った。


「はい……。覚えて、います……」


 あの時、ロイは「僕がずっと傍にいる」と言った。そしてその言葉の通りにしてくれたとクルルは思っている。辛いとき、彼は確かに傍にいてくれた。いや、彼だけではない。仲間たちはいつも傍にいてくれた。彼らがいなかったら、クルルはまだ立ち直れていなかったかもしれない。


 ただ、ロイが言いたかったのは、そういう事ではないらしい。


「あの言葉、僕は本気だよ」


「え……? それは、どういう……」


 思わず、クルルは顔を上げた。ロイは恥ずかしそうにしていたが、しかしクルルの顔を、いや目を、しっかりと見つめている。彼と目が合うと、クルルはもう視線を逸らせなかった。


「……うん。やっぱりこういうことは、はっきりと言った方がいいね」


 恥ずかしそうにはにかみながら、しかし決して目を逸らそうとはせずにロイはそう言った。そして一呼吸置いてから、次の言葉を待つクルルに彼はこう言った。


「……僕と、付き合って欲しい。その、できれば結婚を前提に」


 その言葉を聞いた瞬間、クルルは目を大きく見開いて息を詰まらせた。何とか答えなければと思うのだが、頭がこんがらかって何も考えられない。何を言われたのかははっきりと分かっているのに、何と応えればいいのか、言葉がなにも出てこないのだ。


「え、えっと、その……。だから……! あの……!?」


「今答えて欲しいとは言わない。ゆっくり考えて欲しい」


 慌てふためくクルルに少しだけ苦笑すると、ロイはそう言った。クルルがぎくしゃくとしながらも頷くと、ロイは「それじゃ」と言ってその場を後にした。


 後に残されたクルルは、顔を真っ赤にしたままその場に立ち尽くす。結局クルルはラキアが帰ってくるまでそのままで、そして帰ってきた彼女にえらく心配され、大丈夫だと言っているうちに何があったのかすべて白状させられてしまうのだった。



▽▲▽▲▽▲▽



〈キマイラ〉事件の後、合同遠征には若干の変更があった。まず、参加パーティーが二つ増えて十二になった。そしてこれまで隔週で行っていたのが、毎週の実施になった。どちらも事件のせいで不足した物資を補充するため、というのが変更の理由だった。


 ただ〈キマイラ〉の討伐後、迷宮に再び潜れるようになってからすでに一ヶ月と少し。物資の不足は完全ではないにしろ幾分改善されていた。そのため、二月からは合同遠征実施のペースを以前と同じ隔週に戻すことになっている。ただし、参加するパーティー数は十二のままだ。多少〈プライベート・ルーム〉の中が狭くなろうとも、合同遠征に参加したいというパーティーは多いのだ。


 ルクト・オクスにとっても、参加パーティー数が増えるのは大歓迎だった。参加パーティー数が増えれば、その分収入も増える。〈プライベート・ルーム〉の中がどれだけ狭くなろうとも、基本的に外に出っ放しの彼にはまったく関係ないのだ。


 さて、多少の変更があったにせよ、合同遠征の基本的な部分は何も変わっていない。参加パーティーでローテーションを組みながらひたすら走り、時にはショートカットをしながら十階層の大広間を目指すのだ。


 各パーティーの交代も最初の頃と比べれば見違えるほどにスムーズになった。やはり出口用と入り口用に〈ゲート〉を二つ開くといいらしい。参加するパーティーの慣れもあって、初期の頃と比べれば目的地までの到達時間は平均で一時間弱も短くなった。


 たかだか一時間、と馬鹿にするなかれ。十階層より下の階層で攻略できる時間が一時間増えるのだ。稼ぎ時が一時間増える、と言い換えてもいい。ともかく、この一時間のおかげで稼ぎが目に見えて増えるのだ。ハンターたちもやる気が出るというものである。


 目的地である十階層の大広間に到着すると、ルクトはすぐに〈ゲート〉を三つ開いた。するとそこから次々とハンターたちが出てくる。〈プライベート・ルーム〉から出てきた彼らは挨拶もそこそこに、すぐさまより深い階層を目指して大広間を出て行く。彼らにとってはここからが合同遠征の本番である。


「じゃあ皆さん、お気をつけて」


 大広間から攻略に出かけていくハンターたちの背中に、ルクトはいつも通りそんなふうに声をかけた。気さくなハンターの一人が、振り返って笑顔を見せながら大きく手を振る。ルクトとラキアも、それに応えて手を振った。


 ハンターたちの姿が小さくなると、ルクトとラキアはどちらともなく一つ息をついた。二人にとっての合同遠征はこれで半分終了だ。残りの半分は言うまでもなく帰りだが、それまでおよそ二日間の時間がある。この時間を利用して、二人は自分たちの攻略を行っていた。


「どうする? 休む前に出待ちで一、二戦するか?」


 以前ならすぐに休んでいたのだが、ルクトはラキアにそう提案した。出待ちというのは、場所を移動せずにモンスターが出現(ポップ)するのを待つ狩り(ハント)の手法である。つまり休む前に少し稼がないか、とルクトは言ったのだ。大広間に以前より一時間弱早く到着できるようになったのは、彼らも同じなのである。


「……いや、早目に休もう」


 乗ってくるかと思いきや、意外にもラキアは首を横に振った。時間が短縮されたとはいえ、走ってくる距離は変わっていないのだ。やはり疲れているのかもしれない。疲れているならば、無理はしないほうがいい。


 ルクトは一つ頷くとすぐに〈ゲート〉を開いた。二人は〈プライベート・ルーム〉のなかに引っ込むと、まずは汗を拭いて着替えをし、それから簡単な食事をするとさっさと寝袋の中に入って横になった。ただ、横になったとはいえすぐに眠れるわけではない。まぶたが重くなってくるまで、他愛もない話で時間を潰すのが二人の遠征の常だった。


「……合同遠征は、二月からは隔週に戻るんだよな?」


「ああ、その予定だ」


「それじゃあ、また下を目指せるな」


 ラキアの声は、興奮よりむしろ安堵の割合の方が大きかった。合同遠征の場合、どれだけ時間があっても二人は十階層より下にはいかない。なぜなら、そこでは参加したパーティーが攻略を行っているからだ。ルクトたちが割り込んでは、彼らの稼ぎが減ってしまう。それでは合同遠征に参加した意味が無い。


 合同遠征に参加したパーティーに迷惑をかけないようにするため、ルクトとラキアは待ち時間の間、主に大広間の周りを順繰りと回って攻略を行っている。十階層の地底湖が、一番遠い地点だろうか。ともかく、二人は意識的に十一階層には近づかないようにしているのだ。


 稼ぎとしては、これで十分である。ただ、ともすれば安楽にさえ感じられるこの攻略が、ラキアはあまり好きではなかった。


 ラキアはもっと挑戦したいのだ。現状に満足することなくさらに下の階層を目指し、経験と研鑽を積んで武芸者としてのさらなる高みを目指す。彼女の中には常にそういう意識があった。


 だからこそ、実力はあるのに下の階層にいけない今の攻略が、ラキアはどうしても好きになれない。決して嫌ではないのだが、しかし達成感や充実感を思うようには得られない。そこはかとない不満が、いつも残っている。まるで食事を満腹の直前で止めさせられたかのような、中途半端で小さな不満だ。


「お預けをくらった犬みたい……、イタッ」


「乙女になんてことを言うんだ。失礼な奴め」


 寝転がったまま、手を伸ばしてラキアはルクトの頭を軽く叩いた。ただ、「お預けをくらった」というのは言い得て妙だ。食べたいのに食べられない。行きたいのに行けない。この二つは似ている。


「ま、下に行きたいのなら、それ相応にコンディションを整える必要があるけどな」


「そ、そうだな」


 ルクトからは見えなかっただろうが、視線を泳がせながらラキアはそう言った。だが、痛いところを指されて動揺したことは十分に伝わったに違いない。視線だけでなく、声も泳いでいたのだから。


 今日の合同遠征、ラキアは集中しきれていなかった。そのことにルクトは気づいていた。そして本人にも、その自覚はあるに違いない。


 十階層の大広間に来るまでの間、先頭を走るのはプロのハンターのパーティーで、モンスターとの戦闘も彼らがやってくれる。だからルクトとラキアは彼らの後ろから付いて行けばいいだけだ。そのおかげで今日一日の行程は特に問題は起こらなかった。


 しかし、明日からは二人だけだ。十階層より下には行かないとしても、今日のラキアのように注意が散漫になれば怪我をするリスクは跳ね上がる。最悪、死ぬかもしれないのだ。自分が死ぬのもラキアが死ぬのも、ルクトはご免だった。


「なんかあったのか?」


「う、む……。なにかあったというか……」


「まあなんでもいいけど。明日からは頼むぞ」


 歯切れの悪いラキアの答えを、ルクトは深く追求しようとはしなかった。ここは迷宮の中。“俗世”からは切り離された場所だ。ひとまず明日からの攻略に集中して臨んでもらえれば、ルクトはそれで良かった。


「も、もちろんだ。任せておけ」


 ラキアがそう応えると、ルクトは「おー」と気のない返事をしてそれっきり静かになった。もしかしたら、もう寝るつもりなのかもしれない。


(わたしも寝るか……)


 そう思い、ラキアは寝袋の中で目を閉じた。だが、一日中走り続けて疲れているはずなのに、頭が妙に冴えてしまってなかなか寝付けない。考えてしまうのは今日一日中考えていたこと、つまり今日一日集中しきれなかったその原因だ。


 ロイが、とうとうクルルに告白した。しかも「結婚を前提に」とまで言ったそうだ。昨日、真っ赤な顔をして立ち尽くしていたクルルを尋問、もとい親身にお話して白状させた情報である。他の友人たちも、知ればきっと驚いて喜ぶはずだ。


 昨日、ラキアはクルルのその話をニマニマしながら聞いていた。クルルはロイにどう応えるのかまだ考え中だと言っていたが、彼女は恥ずかしがりながらも嬉しそうだった。あの様子ならば、答えはもう決まったようなものだろう。ロイは常々「卒業後は故郷に帰る」と言っていたが、その辺りのことはこれから二人で話し合うに違いない。


 父であるウォロジスを亡くして以来何かと暗いニュースが多かったが、ようやくクルルにも明るい話が来たとラキアは幸せな気持ちだった。二人がどんな選択をするのかは分からないが、どうか幸せな未来であって欲しいと心から思う。


 その気持ちに嘘はない。ただ、ふとラキアは考えてしまった。では自分はどうなのか、と。


 カーラルヒスでの武芸修行が終わって故郷のヴェミスに帰れば、おそらくラキアには見合いの話が待っているだろう。父であるジェクトはラキアの話も聞いてくれるから、相手を選ぶことはできる。だが、「結婚しない」という選択肢は恐らくありえない。その選択をジェクトは許してくれないだろう。


 結婚はすることになる。では、幸せな結婚はできるだろうか。誰とならば、幸せになれるだろうか。自分は誰となら、結婚してもいいと思えるだろうか。いや、誰と結婚したいと思っているのだろうか。


 ヴェミスにいる、同年代の男性武芸者の顔が浮かんでは消えていく。武芸者の社会というのは存外狭い。年齢の合う異性となれば、自ずと相手は限定される。つまり程度の差はあれど、みんな顔見知りなのだ。当然、他流試合などで手合わせも重ねている。


 ただその中の誰も、いまいち“ピン”とこない。武芸者としてなら誰が優秀だとか、誰がやり難いと分かるのだが、結婚となると「したい」と思える相手がいない。人柄や家柄、言動なども思い出して考えてみるが、考えれば考えるほど、そういう部分を比べるのはどこか違うように感じてしまう。


(まったく……、女は面倒だ……)


 そんなことを昨日、寝付くまでの間延々と考え続けた。そして合同遠征で走っている間中、また考え続けていた。これが、ラキアが今日集中できていなかった原因である。そして今また、同じことを考えてしまっている。


(わたしは……、何をしているんだろうな……)


 今は遠征の真っ最中である。にもかかわらず、こんなまるで関係の無いことを考えてしまっている。集中しきれていない。武芸者としてあるまじきことだ。自分の未熟さを露呈してしまったようで、ラキアは少し落ち込んだ。まったく安全なのも考えものだ、と彼女は的外れな愚痴を心の中で呟いた。


「なあ、ルクト……」


「ん……? どうした?」


 何となしに名前を呼ぶと、眠そうな声が帰ってきた。どうやらまだ寝付いてはいなかったらしい。ただルクトの名前を呼んでみたはいいものの、何を話せばいいのか分からない。名前を呼んだのだって、半分は無意識だった。


「あ~、いや……。ロ、ロイが、とうとう告白したんだ、クルルに」


「なんでもない」と言って誤魔化してもよかったのだが、ラキアが話したのはクルルとロイのことだった。いずれ分かることとはいえ、勝手に話してしまって少々申し訳なくもある。ただ、咄嗟に出てきた話題がコレだったのだから、もう仕方が無い。


「ふ~ん……、そっかぁ……」


 やはり眠そうな声で、ルクトはそう応じた。間が悪かったとはいえ、期待していたような反応ではない。ラキアが少しだけがっかりしていると、いきなりルクトが大声を上げた。


「…………ロイが告白しただって!?」


 そう叫びながら、ルクトが跳ねた。寝袋に入ったままだったので、まるでイモムシの様である。どうやら寝ぼけていた頭が時間差で覚醒し、ようやく何の話なのかを正確に理解したらしい。


「い、一体何があった!?」


 やはり寝袋に入ったまま、ルクトはラキアに詰め寄った。眠気はもうすっかり吹き飛んでいる。


「お、落ち着け、ルクト!」


「これが落ち着いていられるか!」


 もっと詳しく教えろ、とルクトはラキアに顔を近づける。彼の表情は真剣だが、なにぶん寝袋に入ったままなので、傍から見ると少々滑稽な様子だった。


「あ、ああ……。実は……」


 ルクトの様子に若干引きながら、ラキアは昨日クルルから聞いたことを彼に教えた。結局、この日は早く休むつもりだったのにいつもより夜更かししてしまうのだった。


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