卒業の季節4
さてまずは基本事項のおさらいだ、と〈御伽噺〉は言った。その様子はまるで生徒を教える教師のようである。
「どうすれば長命種になれるのか、君は知っているかね?」
「……迷宮の深い階層に潜ればなれる、と聞いている」
サミュエルの答えを聞くと、〈御伽噺〉は「その通り」と言って楽しげに頷いた。その様子にサミュエルは胡散臭いものを感じて眉をひそめるが、しかしこの場から立ち去るという選択肢は彼にはなかった。
〈御伽噺〉と名乗ったこの男は、サミュエルを長命種にしてくれると言った。そして長命種になること以外、自分が特別な人間であることを証明する手段が彼にはない。特別であるためには、いや特別になるためには、ここで立ち去るわけにはいかなかった。
「もちろん“深い階層”とは言っても個人差がある。ある者にとっては五〇階層かもしれないし、またある者にとっては一〇〇階層かもしれない」
いっそ楽しげな様子で〈御伽噺〉が語るその数字にサミュエルは絶句した。五〇階層に一〇〇階層。途方もない数字である。一体どうやってそんなところまでたどり着けばいいのか。いや、そもそもたどり着くことは本当に可能なのか。
「まあ、こんな所で遊んでいる君にはどうやったってそこまで自力で行くのは無理だろうし、我々もそんなところにまで付き合うつもりはない」
〈御伽噺〉のまるで嘲笑するかのような話し方に、サミュエルの顔が歪む。殴りかかりたくなるのを、しかし彼はかろうじて堪えた。歴然とした力の差はすでに思い知らされているし、なにより長命種になるためには〈御伽噺〉の協力がどうしても必要だった。
「……じゃあ、どうすればいいんだ?」
「当然、発想を転換するんだよ。だが、そのためにはもう少し基礎知識が必要だねぇ」
そう言ってから、〈御伽噺〉はさらに言葉を続ける。ただその話し方は説明しているというよりは、好き勝手に喋っているようにしか聞こえなかった。その内容をどうにかしてまとめると、以下のようになる。
迷宮の下、つまり深層へと潜るとその分マナの濃度が高くなる。そして普通では決してたどり着けないような深い階層、それこそ五〇階層か一〇〇階層に存在するような超高濃度のマナを吸収し、そして適応することで短命種は長命種になる、のだそうだ。
「つまり、必要となる超高濃度のマナさえ手に入れば、必ずしも深層まで潜る必要はないと言うことだ」
ここまでは〈御伽噺〉自身が長命種になるために重ねた考察とまったく同じである。しかし、ここから先は同じと言うわけには行かない。なぜなら、〈御伽噺〉とサミュエルでは個人能力がまったく違うからだ。〈御伽噺〉が全面的に協力するならば同じ方法でいいのだろうが、そこまでやる意思も義理も彼にはなかった。
「だから! じゃあどうすればいいんだよ!?」
「落ち着きたまえ。『君には可能性がある』。そう言ったはずだよ?」
苛立つサミュエルに、〈御伽噺〉は笑いながらそう言った。そしてもったいぶる様にして「さてここからが本題だ」と前置きしてから話し始める。
「鍵となるのは、君の個人能力」
そう言って〈御伽噺〉はサミュエルを指差した。指差されたサミュエルは、ゴクリと生唾を飲み込む。そんな彼の緊張に頓着することなく、〈御伽噺〉はさらに話を進める。
「君は、自分の個人能力の本質は一体なんだと思うかね?」
その問い掛けに、サミュエルは「また訳の分からないことを」と苛立ちながら思った。しかしそれでも、彼は〈御伽噺〉の問い掛けについて考えてみる。すべては長命種になるため、と自分に言い聞かせながら。
「…………力。絶対的にして圧倒的な力。それが〈絶対勝利の剣〉の本質だ」
少し悩んでから、サミュエルは自信を持ってそう答えた。彼にとって、それ以外の答えはありえない。しかし彼の答えを聞くと、〈御伽噺〉は「やれやれ」と言わんばかりに苦笑を浮かべ頭を小さく左右に振った。
「いいや、違うね。君の、というより君のような個人能力の本質、それは“増幅作用”だ」
考えてもみたまえ、と〈御伽噺〉は言う。〈絶対勝利の剣〉から放たれる一撃の火力は、サミュエルが集気法によってまかなえるマナ、そのマナによって得られる火力をはるかに上回っている。それは普通ではありえない現象だ。その「普通ではありえない現象」を引き起こすための装置。それこそが増幅作用を持つ個人能力だ、と〈御伽噺〉は言う。
「一の入力に対して十の出力を得る。簡単に言うと、これが君の個人能力の本質だ」
増幅作用について、〈御伽噺〉はそんなふうに説明した。ただし、増幅を行うためにはどうしても必要なものがある。それは入力と出力の差分のエネルギーだ。
増幅作用を持つからと言って、それらの個人能力は決して何もないところから差分のエネルギーをひねり出しているわけではない。それらのエネルギーは外部から調達されるのが普通だ。そして外部から調達するエネルギーとは、つまるところマナである。
「要するに、だ。君の個人能力が攻撃を放つ直前の臨界状態のとき、そこには超高濃度のマナが存在している、ということだよ」
話に付いていけないサミュエルに、〈御伽噺〉は手っ取り早くそう結論を告げた。その結論を聞いて、サミュエルは顔を輝かせた。
「じゃ、じゃあ、そのマナを吸収できれば……!」
「うむ。長命種になれる、かもしれないねぇ」
そう言って〈御伽噺〉は断言を避けたが、サミュエルの中では長命種になることは既に確定事項になっていた。さっそく彼は〈絶対勝利の剣〉を顕現させ、烈つまりマナを込めて一撃を放つ直前の臨界状態にする。そして集気法を使って〈絶対勝利の剣〉の刀身に圧縮された超高濃度のマナを吸収しようとして、見事に失敗した。集気法を使おうとしたその瞬間、その超高濃度のマナは瞬く間に霧散してしまったのである。
「なっ……!?」
「くっくっく……! 話はそう簡単ではないのだよ」
楽しげに喉の奥で笑いながら、〈御伽噺〉は失敗に呆然とするサミュエルにそう言った。彼が話すところによると、個人能力にはマスターを傷つけないための安全装置が存在するという。それは人間が自分の肉体を傷つけないよう、無意識のうちに力をセーブしているのに似ている、と〈御伽噺〉は言った。
「考えても見たまえ。この方法は外法の延長線上にある。つまり言うまでもなく、危険な方法だ」
その言葉を聞いて、サミュエルはハッとした様子で思わず〈御伽噺〉の顔をまじまじと見た。外法の危険性といえば、いうまでもなくショック症状と拒否反応である。「超高濃度のマナを吸収する」という件で気づいても良さそうなものだが、「長命種になる」ということしか考えられなくなっていたサミュエルは、その危険性に今の今までまったく気づかなかったのである。
「どうする。止めるかね?」
楽しげに笑みを浮かべながら、〈御伽噺〉は試すようにそう尋ねる。サミュエルの答えは決まっていた。
「やるさ。僕は、僕は長命種になるんだ……!」
「よろしい。では、ここから私の出番だ」
満足そうな笑みを浮かべながらそう言って、〈御伽噺〉は一つ頷いた。超高濃度のマナについてはメドが立った。あとはそれを吸収しさえすればいい。とはいえ、そのためには〈絶対勝利の剣〉のリミッターをどうにかする必要がある。
「そのリミッター、私が解除してあげよう」
そう言って〈御伽噺〉は左手に自らの個人能力である〈覚書きの書〉を顕現させた。そしてサミュエルに〈絶対勝利の剣〉を渡すように言う。彼からその剣を受け取ると、〈御伽噺〉は迷うことなくそれを〈覚書きの書〉の中に収納した。
「なっ……!?」
驚いたのはサミュエルである。自分の大切な個人能力が目の前で消えてしまったのだから。彼は慌てて〈御伽噺〉に詰め寄った。
「か、返せ! アレは僕の……!」
「やれやれ……。これだから自分の個人能力を理解していない人間は……」
少々うんざりした顔をして、〈御伽噺〉はサミュエルに「能力を顕現させてみたまえ」と告げる。サミュエルは半信半疑の様子だったが、言われたとおりにしてみると、〈絶対勝利の剣〉は問題なく彼の手の中に顕現した。〈御伽噺〉曰く「マスターのほうが優先順位が高い」のだそうだ。
「もういいかね? では、改めて」
そう言って〈御伽噺〉は〈絶対勝利の剣〉を受け取ると、その剣をもう一度〈覚書きの書〉に収納する。ここまでは彼が短命種だったころの能力。そしてここから先は、彼が長命種になったことで新たに得た能力だ。
「“反転せよ”」
〈御伽噺〉がそう命じると、〈覚書きの書〉が光に包まれた。その光が弾けると、しかし彼の左手にあったのは変わらず一冊の本である。だが、その本は〈覚書きの書〉とは意匠が異なる。つまり、別の本になったのだ。
〈御伽噺〉は最初、この新たな個人能力を〈自由帳〉と名付けた。ただ、後に〈シャドー・レイヴン〉から「その名前はどうかと……」と苦言を呈され、自身の二つ名から取って〈御伽噺の書〉と名前を改めた。
さて〈自由帳〉改め〈御伽噺の書〉には二つの能力がある。その一つは「〈覚書きの書〉に収納されているモノの操作」だ。この〈操作〉には改変したり合成したりすることも含まれている。
どの程度操作できるかは対象によってかなり差があるが、モンスター(を構成していたマナ)や魔石はこの能力と特に相性がいいらしく、〈御伽噺〉はこの能力を使ってキメラを合成していた。この前カーラルヒスに現れた〈キマイラ〉も、当然この能力を駆使して合成したキメラである。〈御伽噺〉の二つ名の由来となっているのが、この能力なのだ。
では今回のように他人の個人能力はどうかというと、これは大変に操作しにくい。能力の大幅な改変など、まず不可能である。何かを付け加えることも、何かを取り除くこともできない。
だがしかし。何かを解除することならば、やってやれないことはない。つまり〈御伽噺〉はこの〈操作〉の能力を使って〈絶対勝利の剣〉のリミッターを解除するつもりなのである。
左手に〈御伽噺の書〉を持ち、なにやら操作すること数分。〈御伽噺〉は「出来たよ」と言って〈絶対勝利の剣〉を取り出し、待ちわびるサミュエルに手渡した。
手元に帰ってきた〈絶対勝利の剣〉を、サミュエルはまじまじと見つめる。外見的に変わったところはなにもない。いつも通り、壮麗で美しい両手剣である。しかし〈御伽噺〉の言葉を信じるならば、刀身に圧縮した超高濃度のマナを吸収できるようになっているはずである。
「重ねて言うが、超高濃度のマナの吸収と言うのは、要は外法で、つまり非常に危険な行為だ」
勇むのは勝手だが最初は慎重にやりたまえ、と〈御伽噺〉は面倒くさそうな口調でそう忠告した。その忠告にサミュエルは何度も頷く。彼とて死にたくはない。いや、そもそも命を賭してまで長命種になろうという覚悟が果たして彼にあったのかどうか。なんにしてもサミュエルにとって死とは遠くにあるモノで、また遠くにあるべきモノだった。
「では、ね。健闘は、祈らないよ?」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて最後にそう言うと、〈御伽噺〉と〈シャドー・レイヴン〉はその場から去っていった。広場に一人残されたサミュエルは、手に持った〈絶対勝利の剣〉を掲げてわずかに見上げる。
(この剣は、また特別になった……!)
〈絶対勝利の剣〉は今までも十分に特別な剣だった。そして今や長命種になるための鍵になった。唯一無二の特別な個人能力、と言っていいだろう。
「特別なんだ……。僕は、特別なんだ……!」
まるで自分に言い聞かせるように、サミュエルはそう呟いた。長命種になれば誰もが自分のことを特別であると認めざるを得ないだろう。そうすれば、きっと彼女だって喜んでくれるはず。そして、きっと受け入れてくれるはず。思いを寄せる一人の女性の微笑む姿を思い浮かべながら、サミュエルはそう思った。
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「彼はなれると思いますか? 長命種に」
「さあ? それに見合う器であれば、なれるんじゃないのかねぇ?」
人気のない迷宮の通路の上を歩きながら、〈御伽噺〉は〈シャドー・レイヴン〉の問い掛けにどうでも良さげにそう答えた。彼の口調からはサミュエルへの関心というものがまるで感じられない。実際、〈御伽噺〉はサミュエル・ディボンと言う人間にまるで興味がなかった。
サミュエルが知れば怒りそうな話だが、〈御伽噺〉は彼が長命種になろうがなるまいがどちらでもいいと思っている。極端なことをいえば、サミュエルの生死にすら彼は興味が無い。〈御伽噺〉が興味を持ったのは、ただ一点、彼の個人能力だけである。
〈御伽噺〉が最初から最後まで面倒を見れば、サミュエルはほぼ確実に長命種になることができただろう。しかしそれだけの労力を費やすだけの興味を、〈御伽噺〉は彼に覚えなかった。これまでに〈御伽噺〉がそう望んで長命種にしたのはただ一人、〈シャドー・レイヴン〉だけである。言い換えれば、〈シャドー・レイヴン〉ほどの価値をサミュエルに認めなかった、とも言えるだろう。
ただし、だからと言って彼に嘘を教えたわけではない。サミュエル・ディボンが長命種になるための方策を十全示したつもりである。しかも注意点まで教えてやって親切なことこの上ない。ここから先は彼自身の、ひいては彼の“器”の問題だろう。
「それよりも、だ。レイヴン、見たまえ」
そう言って〈御伽噺〉は〈御伽噺の書〉を顕現させると、そこからあるモノを取り出した。それは一本の両手剣。サミュエルの個人能力〈絶対勝利の剣〉によく似た、というよりまさにそのものだった。その両手剣を〈御伽噺〉は片手で持ち、軽く烈を込めて振るう。するとまさしく〈絶対勝利の剣〉の一撃が放たれた。
「ははは。いいね、実にいい」
そう言って〈御伽噺〉は上機嫌に笑う。その様子は、まるで新しい玩具を手に入れた子供のようだった。
「どうやら、ちゃんと複製できたようだねぇ」
そう言って〈御伽噺〉はニンマリと笑った。彼は決して善意でサミュエルに手を貸したわけでない。それどころか、こうしてきっちりと対価を貰っていた。しかも、本人に承諾を得ないまま。別に彼が損をしたわけではないのだから何も問題はない、というのが〈御伽噺〉の考え方だった。
〈御伽噺〉の二つ目の個人能力〈御伽噺の書〉には二つの能力がある。その一つは前述したとおり〈操作〉だが、後のもう一つの能力こそこの〈複製〉だった。
この能力には、もちろんかなり厳しい制約がある。まず、この能力は迷宮の中でしか使えない。また複製できるのは〈覚書きの書〉に収納されている物品だけ。そして複製された物品は〈御伽噺の書〉に記載される。ただし、複製できるのは一つの物品に付き一度限り。また複製品をさらに複製することはできないし、〈操作〉の能力の対象にすることもできない。
さらに、複製品を〈御伽噺の書〉から取り出して使うときにも制限がある。その場合、まず〈御伽噺の書〉を開いて片手に持ち、そしてもう片手で複製品を直接持つ必要がある。このどちらかが満たされない場合、つまり〈御伽噺の書〉を閉じるか、あるいは複製品から手を離すかした場合、複製品はたちどころに消えて〈御伽噺の書〉の中に戻ってしまうのだ。
加えて、複製品はオリジナルに比べて性能が劣る。これは〈御伽噺〉の目算だが、おおよそオリジナルの七割程度の性能になってしまうようだ。
しかし制約が多いながらも、この〈複製〉の能力は凄まじいものだ。なにしろ、性能が劣り使用に制限が付くとはいえ他人の個人能力を我が物に出来るのだから。長命種になっても二つしか使えない個人能力を、〈御伽噺〉はすでに三桁の単位で保有している。複製品はオリジナルのマスターが死んでも、消えて無くなったりしないのだ。
「まあ、どうしても似たような系列になってしまうから、数ばかり多い印象だがね」
苦笑しながら〈御伽噺〉はそう愚痴を零した。複製が可能でさらに実際に使えるものとなると、どうしても片手で持てるモノが多くなる。つまり今回の〈絶対勝利の剣〉のような〈ウェポン〉タイプの個人能力だ。
このタイプの能力は数こそ多いが、分類した場合その種類は二つしかないと〈御伽噺〉は考えている。つまり〈攻撃力〉か〈防御力〉か、そのどちらかというわけだ。だから集めた能力は多いが使い勝手を考えると、実際に使うのは多くても五つ程度というのが現実だった。
「だが、今回のコレはいい。久しぶりに欲しいと思える能力だったが、アタリだね。コレは」
〈御伽噺の書〉を開いておかなければならない都合上、どうしても動きは制限されてしまう。そしてそれこそが、実際に使える能力が少ない理由だった。剣術にしろ体術にしろ、本を開いたままではサマにならないのだ。
だが今回の〈絶対勝利の剣〉には、そういった小手先の技術を吹き飛ばしてしまえるだけの力がある。サミュエルは〈絶対勝利の剣〉の本質は力だと言ったが、それはある面で正しい。一振りするだけで敵を薙ぎ倒す圧倒的な力。それを抜きにして〈絶対勝利の剣〉という個人能力を語ることはできないのだから。
そしてその圧倒的な力こそ、〈御伽噺〉が欲しいと思うものだった。オリジナルの七割程度の火力しかないだろうが、それでも十分な威力である。彼が手にした新しい玩具はなかなかに高性能だった。
「さて、レイヴン。お土産も手に入れたことだし、次なる実験の準備を始めようじゃないか」
「御意」
〈御伽噺〉の意識はすでに「次の実験」とやらに向いていて、サミュエルのことはもう頭になかった。さらにこの後すぐ、二人はカーラルヒスの近くから去る。ぶらぶらと旅をしながら実験についてあれこれ考えるのが、〈御伽噺〉は好きなのだ。
ただ二人が去ったとしても、彼らはいわば“種”を残していった。その“種”がどう芽吹くのか、〈御伽噺〉はまったく興味がなかった。
ひとまずここまでです。
続きは気長にお待ちください。