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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十三話 卒業の季節
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卒業の季節3

 ――――どうして、一体どうしてこんなことになってしまったのか。


 ノートルベル学園武術科六年サミュエル・ディボンはそう思わずにはいられなかった。


 事の発端は、〈キマイラ〉討伐作戦で犯したたった一つの失敗だった。あの時、彼が誤って放った〈絶対勝利の剣(エクスカリバー)〉の一撃は、作戦で戦場として使っていた四階層のベースキャンプに通じる唯一の通路、その通路とベースキャンプが繋がっているまさにその場所を半分以上吹き飛ばしてしまった。


 支えを失ったベースキャンプは崩落する。あわや全滅という危機だったが、ルクト・オクスがその場にいたことでその危機は回避された。騎士団は〈プライベート・ルーム〉に逃げ込むことで事なきを得たのである。


 しかし、人的被害は皆無ではなかった。討伐作戦に参加していたルッグナード・モリスンという騎士が、その崩落によって命を落としたのである。


『なぜあんなことをした!? そのせいで隊長が死んだんだぞ!?』


 そう言ってサミュエルに激しく詰め寄ったのは、ジョシュア・カークという若い騎士だった。彼はルッグナードの直接の部下で、さらに言えば彼を助けるためにルッグナードは自分の命を諦めたのだった。


『なんとか言えよ!!』


 目を逸らして黙り込むサミュエルの胸倉を掴み、ジョシュアはそう叫んだ。彼の後ろにはさらに何人かの騎士が立っていて、皆それぞれに非難の視線をサミュエルに向けている。その視線から逃れるように、サミュエルはひたすら〈プライベート・ルーム〉の白い無機質な床を睨み続けた。


 ジョシュアの怒りは正当なものだった。騎士団は何の落ち度もないのに命の危機にさらされ、そして実際にルッグナードが命を落とした。ルッグナードと一番関係が深いのは直接の部下であるジョシュアだから、彼が真っ先にサミュエルに詰め寄って問いただすのは一応筋が通っている。そう思ったからこそ、周りの騎士たちも口を挟まずにいるのだ。


 ただ、ジョシュアの怒りには自分に対するものも含まれていた。彼の中には「自分のせいでルッグナードが死んでしまった」という意識もあったのだ。しかしそれを認めるのは難しい。だからこそ、より分かりやすい“死因”であるサミュエルに全ての責任を押し付けたのだ。


 もちろん、これがこの時ジョシュアの考えていたことや感じていたことの全てではない。この時の彼の頭や心の中は、もっと複雑でごちゃごちゃとしており、煩雑で出鱈目でつまり論理的に何かを考えることなどできない状態だった。


 しかしだからこそ、無意識のうちにこういういわば“卑怯な”一面が出てしまったというのは、決してありえないことではないだろう。ただ“卑怯な”一面があったとしてもジョシュアの怒りは当たり前のもので、またその場にいた他の騎士たちもそう考えていた。そのため誰も彼を止めようとはしなかった。


『調子に乗りやがって! あんなモノ、制御できなきゃ使い物にならないじゃないか!!』


 胸倉を掴んだまま、ジョシュアは荒れ狂う怒りの衝動のままにサミュエルを罵倒しなじった。何を言われてもサミュエルは言い返すことができない。全員が無事ならば何か言い返したかもしれない。しかし犠牲者が出ているという事実は、一切の反論を許さない空気をその場に作り上げていた。


『なんとか言えよ!?』


 ついにジョシュアが右手を握って振りかぶる。しかしその拳が振るわれることはなかった。騎士長であるノルギス・キンドルが彼の腕を掴んで止めたのである。


『そこまでだ』


 ジョシュアは振り返ってノルギスを激しく睨んだが、彼が厳しい視線を返すと「くそっ」と短く悪態を付いてからサミュエルの胸倉を突き飛ばすようにして放し、立ち上がって足早にその場から離れていった。


『君も少し頭を冷やせ』


 ノルギスがそう言うとサミュエルは悔しそうに顔を歪ませながら立ち上がり、そして騎士たちがいない隅のほうへ向かっていった。ただ、ジョシュアとサミュエルがそれぞれ距離を取ったとはいっても、ここは〈プライベート・ルーム〉の中である。閉鎖された空間の中で逃げ出すこともできない。重苦しく、さらにはサミュエルへの非難がはっきりと感じられる。その空気の中に居続けなければならない彼にとって、そこはまさに針のむしろであったことだろう。


(なぜ僕がこんな目に……!)


 うなだれるサミュエルは、胸のうちで暗い感情を募らせる。〈絶対勝利の剣〉の一撃は確実に〈キマイラ〉を倒せるはずだった。サミュエルにはその絶対の自信がある。それなのに倒せなかったその原因は、騎士団が役立たずだったからだ。なのになぜ、〈キマイラ〉を倒そうといち早く行動した自分が、こんな不当で理不尽な仕打ちを受けなければならないのか。


(僕は、僕はなにも悪くない……。悪くないんだ……!)


 そう考えることで、サミュエルは自分の心を守った。いや、そう考えることでしか、彼は自分の心を守れなかった。


 彼は自分が英雄だと、英雄になるべき男だと思っている。そして英雄は強く、そして常に正しくあらねばならない。それなのに自分のせいで作戦が失敗し、あまつさえ犠牲者を出してしまったなどということは、彼にとって決して認められないことだった。作戦が失敗するのも犠牲者が出るのも、すべては自分ではない誰か別の人間の責任になるべきものだったのだ。少なくとも、彼にとっては。


 仮にもう一度討伐作戦が決行され、サミュエルが本当に〈キマイラ〉を討ち取ることができたならば、彼は汚名を返上して名誉を挽回できたかもしれない。少なくとも、彼に対する評価と風当りはもう少しマシなものになっていただろう。


 しかし全ては仮定の話。その機会は失われ、サミュエルが〈キマイラ〉を討ち取ることはなかった。なぜなら二人の長命種(メトセラ)が〈キマイラ〉を討伐してしまったからである。


〈キマイラ〉が討伐された後、ノルギスは討伐作戦の後処理にかかった。一番の問題は、言うまでもなくサミュエルの処遇である。


 悩んだ末、ノルギスはサミュエルになんらかの処罰を科すことはしなかった。その上、報酬料を支払い幕引きとした。事実上の無罪放免である。


 言うまでもなく、作戦中のサミュエルの行動は大変に危険なもので、容認できるものではない。仮に彼が騎士団の団員だったなら、ノルギスも厳しい処分を下しただろう。


 しかし、サミュエルは騎士団員ではない。作戦のためにノルギスが招いた助っ人である。その助っ人が犯した失態の責任は、本人はもちろんだが作戦の責任者であるノルギスもまた負わねばならないだろう。つまりサミュエル一人だけの責任ではない、ということだ。


 それに、結果だけ見れば〈キマイラ〉討伐作戦は成功している。討伐を成し遂げたのが騎士団ではないとしても、〈キマイラ〉の脅威はカーラルヒスから取り除かれたのである。ノルギスにとってはその結果こそが何よりも重要だった。


 そしてその結果から見た場合、そのために支払った犠牲、つまり戦死者一名という犠牲は、当初想定していたものよりはるかに軽微であった。結果と犠牲を見比べれば、成功どころではなく大成功と言っていい。


 それにサミュエルの失敗を槍玉に挙げるならば、そもそも自力で〈キマイラ〉を討伐できなかった騎士団の無力さこそ真っ先に問題とされるべきである。騎士団は都市を守る最後の盾でありそして矛だ。それが役に立たないというのは、都市の存亡に関わる大問題である。その大問題を棚上げしてサミュエルの失敗だけを問題視するというのは、いかにも恥知らずであるようにノルギスには思えたのだ。


 さて、ノルギスは以上のことを考え合わせてサミュエルを無罪放免とした。しかし全ての騎士がその判断に納得できたわけではなった。むしろ、納得できずに不満を抱えた騎士の方が多かったのである。その筆頭はもちろんジョシュアだった。


 もちろん騎士長であるノルギスが決めた事柄に、部下である彼らが不満を抱いたり異論を差し挟んだりすることなど許されない。しかしそれは表に現れないだけで、胸の内では確かに燻っている。そして燻っているならば、ふとした拍子に出てきてしまう事だってあるのだ。特に武芸者同士で集まると、愚痴のような形で出てきてしまうことが多かった。


〈キマイラ〉が倒された直後の時期、武芸者が集まれば一にも二にも討伐作戦の話になった。〈キマイラ〉が討伐された直後は迷宮に潜ることが出来なかったから、武芸者たちには時間があった。もちろんその時間は道場などでの鍛錬に当てられていたが、一日中鍛錬をしているわけにもいかない。休憩時間になれば雑談もするし、そうすると自然に討伐作戦の話題が出るのだ。


 一番盛り上がる話題は二人の長命種についてだったが、彼らの情報はあまりにも少ない。加えて二人は迷宮に潜りっ放しで、都市住民とは接点があまりなかった。そのためこの話題は「凄い凄い」と言ってすぐに終わってしまう。そしてその次に話されるのは、大抵がサミュエルの失敗についての話であり、それを話すのはもちろん作戦に参加した騎士たちだった。


『味方を殺したんだぞ、あのガキは!?』


 行きつけの酒場で怒りと共にそうぶちまけた者がいた。もちろんこれは酒の入った極端な話し方だが、あちらこちらでサミュエルのことが話題に上り、そして大抵その話し方は否定的なものだった。


 仲間が一人犠牲になり、自分たちもまた死にかけたのだ。肯定的に話すことはもとより、庇うようにして話すことさえも彼らには難しかったのだろう。そしてそうやって否定的に語られ続けることにより、いつしかそれがサミュエルの評価として定着してしまった。


 すなわち、〈味方殺し〉。


 誰がいつ言い出したのか、定かではない。もちろんこれはただの噂でしかない。その上、事実が正しく伝えられているわけでもなかった。ましてノルギスが事実上の無罪放免で幕引きした以上、それが最終的な決定である。それが変わることはない。


 しかし正式な決定とは別のところで囁かれ広がっていくのが、噂の噂たるゆえんであろう。そしてその物騒で不名誉な二つ名は、いつの間にかサミュエルのものとして定着してしまう。その二つ名が学園にまで知れ渡るまで、そう大した時間はかからなかった。


『なあ、ルクトも討伐作戦に参加してたんだろ? 〈味方殺し〉の話って本当なのか?』


 まさか本人に確認する度胸はなかったのだろう。討伐作戦に参加していたもう一人の学生として、ルクトは同級生らから噂の真偽をよく聞かれた。


『……ノーコメント』


 その度にルクトはそう言って言葉を濁した。彼だって噂の全てが正しいわけではないことは分かっていたから、間違っている部分については否定したかった。しかしそのためには彼が見た真相を話さなければならなかったし、またそもそもまったくのデタラメではないというのが難しかった。


 自分が真相を話すことで、〈味方殺し〉の悪名が回復不能なまでにサミュエルに定着してしまうことを、ルクトは嫌がったのだ。ただし、それは別の言い方をすれば巻きこまれることを嫌がった、とも言えるが。


 ルクトとしては噂をこれ以上過激化させないために、言葉を選んだつもりだったのかもしれない。しかし彼が噂を明確に否定しなかった(あるいは出来なかった)ために、その噂はほとんど事実であるとして語られるようになってしまう。


 やがて、〈味方殺し〉の悪名はサミュエル・ディボンの二つ名として完全に定着した。サミュエルと言えば〈味方殺し〉だったし、〈味方殺し〉と言えばサミュエルだった。そしてそれが原因となってサミュエルは学科内で孤立していく。


 これが他の学科であれば、悪名のせいで孤立したとしても致命的な問題ではなかっただろう。しかしサミュエルが通っているのは武術科。卒業するためには「十階層相当の魔石を一人につき五個以上集めること」という実技要件を達成しなければならない。そしてこの要件を一人で達成することは無理だった。


 もちろんサミュエルもこれまでパーティーを組んで攻略を行ってきた。メンバーたちは紆余曲折ありつつも、それなりの信頼関係を築いてきたはずだった。しかしそれでもなお、いやだからこそと言うべきなのか、〈味方殺し〉の悪名は彼らにとって無視できるものではなかった。


『サミュエル、本当のことを教えてくれ。噂はどこまで本当なんだ? 違うなら違うと、はっきり否定してくれ』


 パーティー内で噂の真偽について話し合うことになったとき、リーダーは努めて穏やかな態度と声でサミュエルにそう尋ねた。タニアシス・クレイマンは心配そうな表情をしながら事の成り行きを見守っている。他の三人は鋭い視線をサミュエルに向けているが、今のところは黙っていた。「まずは自分に任せてくれ」とリーダーが最初に話しておいたのだ。


『…………』


『……黙っていたら誰も納得なんて出来ないんだ、サミュエル』


 視線を逸らして黙り込むサミュエルに、リーダーは辛抱強く言葉をかける。


『僕たちだって、ちゃんと六人で遠征して、実技要件を達成して、みんなで卒業したいんだ。だけどこのままじゃ……!』


 リーダーは言葉を詰まらせた。このままではサミュエルをパーティーに入れておくことはできない。口に出すことはできなかったが、しかしこのままではそうなってしまうだろう。


 パーティーメンバーの最低条件は「少なくとも迷宮内では完全に信頼できること」だとされている。しかし〈味方殺し〉などという物騒な悪名を持つ人間を、パーティーメンバーとして信頼することなどできるだろうか。普通であれば、できないだろう。


 さらに例の噂ではサミュエルがベースキャンプを崩落させたことになっている。これは彼ならば出来ることで、そしていかにも彼がやりそうなことだった。


 つまりサミュエルのパーティーメンバーたちも、噂にある程度の信憑性を感じていたのである。だからこそ、こうして彼から直接噂の真偽を聞こうとしたのだが、サミュエルは頑なに口を開こうとはしなかった。


『お前……!』


 いい加減にイラついてきた一人が荒っぽい口調でサミュエルを責めようとするが、すぐにリーダーがそれを制した。口を開きかけたメンバーも、不満げな様子ながらも口を閉じて成り行きを見守る。ただ彼の目に浮かぶ不満の色は、先程までよりも確実に強くなっていた。


『討伐作戦でなにがあったのか、知っていることをすべて話してくれ』


 お願いだ、とリーダーはほとんど懇願するように言った。しかしそれでも、サミュエルは不貞腐れたような表情のまま、頑なに沈黙して視線を合わせようとしない。


『サミュエル君……』


 タニアは心配そうな声でそう呟き、自分の手を膝の上で硬く握られたサミュエルの手にそっと重ねた。彼の手は強張っており、そして冷たかった。


『僕は……』


 ようやく、サミュエルが口を開いた。リーダーとタニアはほっとしたように表情を緩め、他の三人も視線は鋭いままだがそれでも彼の話を聞く姿勢にはなっている。しかしサミュエルが話した事柄は、決して彼らが期待していたような内容ではなかった。


『僕は……! 僕は何も悪くないんだ……! 僕は、僕はただ〈キマイラ〉を倒そうとしただけなんだ……!』


『……倒そうとして、どうしたんだ?』


 リーダーは急く気持ちを懸命に押さえ込み、穏やかな口調でサミュエルにもっと詳しい事情を話すように促した。しかし彼は騎士団を無能と罵り、辻褄の合わない自己弁護を繰り返すばかり。当然、メンバーたちが信じられるような、サミュエルを信じようと思えるような話ではなかった。


『……サミュエル、その話じゃあ、僕たちは納得できない』


 その場の不満に背中をどつかれるようにして、リーダーは苦い表情をしながらそう言った。サミュエルを信じたいという気持ちは、もちろんある。しかし彼にはリーダーとして、なるべく中立的で公正な立場で判断を下す責任がある。


 疑惑が晴れないこの状況で下手にサミュエルを庇えば、他のメンバーたちは強い反感を持つだろう。そのような状態で命がけの遠征など出来るはずがない。下手をすれば迷宮の中でパーティーが空中分解してしまう。そうなれば、最悪死者が出る。


 リーダーとして、そのような最悪の事態だけはなんとしても回避しなければならない。例え、そのためにサミュエルをパーティーから除名することになったとしても。


『どうしてだ!? 僕の言うことが信じられないって言うのか!?』


 ヒステリックな様子で、サミュエルはそう叫んだ。しかし彼が喚けば喚くほど、周りにいるメンバーたちの表情は冷たくなっていく。だが、サミュエルはそれに気づかない。


『……サミュエル。本当に、本当に君の言っていることは事実なのか?』


『も、もちろんだ! 当然じゃないか!』


 サミュエルはそう言い切った。それを聞くと、リーダーは何かを堪えるようにして奥歯をかみ締め俯いた。そして未練を振り払うようにして小さく頭を振ると、ゆっくりと頭を上げてサミュエルと目を合わせた。彼の目にはサミュエルがたじろぐほどに決然とした覚悟が宿っていた。


『……サミュエル、君をパーティーから除名する』


 悲痛な声に深い苦悩を滲ませながら、しかしはっきりとリーダーはサミュエルにそう告げた。タニアは悲しそうに目を伏せ、他の三人もそれぞれため息をついて頭を振った。


『……な、に……を、言って……?』


 呆然とした様子でサミュエルがそう呟く。彼の目は瞳孔が大きく開いており、さらに視線は彷徨っていて焦点が合っていない。彼はそのまま数秒の間視線を彷徨わせ、そして自分をまっすぐに見据えるリーダーと目が合ってようやく焦点が定まった。


『……どう、いう……、どういう、つもりだ……! なんで僕が……!』


『……君が本当のことを話してくれたとは、到底思えない。本当のことを話してくれない君を、僕たちは信頼することができない。そして、信頼できない人間をパーティーに入れて一緒に遠征することはできない』


 だからパーティーから抜けてもらう、とリーダーはやはり苦悩の滲む声でそう告げた。他のメンバーたちは何も言わない。その沈黙は、言うまでもない同意の意思の表れだった。


『本気、なのか……? だ、だいたい僕なしで実技要件を達成できると思っているのか!?』


『……残念だ』


 最後にそれだけ言うと、リーダーは立ち上がり振り返ることなく部屋から出て行った。他のメンバーたちもその背中を追うようにして次々に部屋から出て行く。最後にサミュエルの手に重ねていた手を離してタニアも立ち上がり、俯いたまま何も言わずに部屋の出口へと向かう。


『タニア! 僕は……!』


 思わず、サミュエルはタニアの手を掴んだ。手を掴まれたことでタニアは立ち止まり、彼のほうを振り返った。振り返った彼女の顔を見て、サミュエルは絶句する。タニアは今までに彼が一度も見たことのない、目に涙を浮かべた泣きそうな顔をしていた。


『……ごめん、なさい……』


 掴んだタニアの手が、サミュエルの手からスルリと離れていく。去って行く彼女の後姿を、彼は呆然と見送ることしかできなかった。


 パーティーから除名された後、サミュエルはソロになった。他のパーティーやギルドに入れてくれるようかけ合って断られたから、ではない。そもそも彼はそういう行動を自分から起こしたりはしなかった。


「自分ほどの武芸者がフリーになれば、どこからか必ず声がかかる」と思っていたのかもしれないし、あるいは元のパーティーが自分に頭を下げに来るのを待っていたのかもしれない。いずれにしてもそのどちらも現実には起こらず、結局サミュエルはソロになってしまった。


 ソロになってもサミュエルは迷宮に潜った。だが〈プライベート・ルーム〉を使えるルクト・オクスならいざ知らず、普通の武芸者が一人でまともな遠征などできるはずもない。できることと言えば、一階層か二階層をウロウロすることだけだった。


 惨めだった。その惨めさを振り払うために、サミュエルは彼の正義の拠り所である〈絶対勝利の剣〉を遮二無二に振るい続けた。


 そんなサミュエルを見つけたのは神でもなければまして悪魔でもない、〈御伽噺〉だった。狂気に満ちた笑顔を浮かべながら、彼はこう尋ねる。


「なりたくはないかね? 長命種に」


「なれる、のか……? 長命種に……。この、僕が……?」


「少なくとも可能性はある。そしてその可能性を持っていること自体、なかなかに稀有なことだ」


 その言葉を聞いた瞬間、サミュエルの中で火がついた。そうだ、自分は特別な人間なのだと彼は思い出す。そしえその考えはやはり正しかった。なぜなら自分は長命種に、超越者になるからだ。


「……なりたい。僕を、長命種にしてくれ……!」


 サミュエルの中で灯った火は、瞬く間に燃え広がって炎となった。その炎を、人々は「狂気」と呼ぶ。彼を焦がす狂気に、〈御伽噺〉は気づいていたことだろう。しかしサミュエル本人は最後の最後まで、自分が狂気に焦がされていたことに気づかなかった。


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