御伽の国14
メリアージュと分かれたルクトは、ひとまず全力で迷宮の出口を目指した。もちろん迷宮を出てしまう前に、一度〈プライベート・ルーム〉の中で待っているノルギスらに事情を説明したほうがいいかとも思った。しかし結局ルクトはそれをせず、彼は迷宮の外にでることを優先した。
この状況であれば、報告を先にしたところでひとまず迷宮の外に出ると言う結論は変わらない。しかしベースキャンプの崩落から間一髪で逃れた騎士たちが〈プライベート・ルーム〉の中どんな気持ちで待っているのかを考えれば、まずは報告を先にするべきだったのかもしれない。
またこの作戦の指揮官はノルギスだ。指揮官の許可なしに撤退が行われるなど、普通ではありえない。まあ、ルクトも随分焦っていてそこまで頭が回らなかったのだろう。
「ノルギスさんいますか……?」
ルクトが迷宮を出てから〈プライベート・ルーム〉の中に入ると、そこの空気は妙に重かった。討伐作戦が失敗したせいかとも思ったが、それにしては騎士たちの雰囲気が気落ちしているというよりも怒っているように感じられる。
「ルクト君か。無事で何よりだ。さっそくだが状況を教えてくれ。あれからどうなった?」
流石、というべきか。ノルギスは落ち着いた様子だった。ルクトの報告が遅れたことを咎めることもせず、ただ状況の説明を求めた。
状況の説明と言っても、ルクトに説明できることは決して多くない。メリアージュに助けられたこと、そして彼女に言われて迷宮の外に出たことを簡潔に話した。
「……その、メリアージュという方は一人で大丈夫なのか?」
ルクトの話を聞くと、ノルギスはまずその点を気にした。普通に考えれば、〈キマイラ〉という化け物相手に一人で戦うのは自殺行為でしかない。
「大丈夫、だと思います。メリアージュは長命種ですから……」
「長命種……」
思いがけないその情報にノルギスは驚いた様子を見せた。普通に生きている分には、長命種に関わることなどほとんどないと言っていいだろう。カーラルヒスの騎士長を務めるノルギスは、あるいはその手の情報を耳にしたことがあるのかもしれないが、しかしこうも直接的に関わるのは初めてであろう。
「……それで、今いるのは迷宮の外、会館の中、でいいんだな?」
「はい、そうです」
そうか、と言ってからノルギスは思案を始めた。ルクトの話からすれば、今はメリアージュと言う長命種が〈キマイラ〉と戦っていることになる。メリアージュと言う人物の実力は定かではないが、長命種が自分たちとはかけ離れた超越者であることはノルギスも知っている。すぐにどうこうなる、ということはまずないだろう。
(メリアージュと言う人物が〈キマイラ〉を倒してしまってくれれば一番いいのだが……)
討伐作戦の指揮官として、それはあまりにも他力本願に思えた。であるならば、やはりメリアージュが〈キマイラ〉を倒せなかったときのことを考えなければならない。
(その場合、もう一度騎士団で討伐だな……)
基本的な作戦は変わらない。今回は失敗してしまったが、手応えはあった。勝算は十分にある。さらにメリアージュにもその作戦に参加してもらえれば、成功率はさらに上がるだろう。
(問題があるとすればサミュエル君のほうか……)
今回の討伐作戦が失敗してしまったその原因は、はっきりとサミュエルにある。しかしながら彼は討伐作戦の要。外すわけにはいかない。だが同時に、あわや全滅と言う今回の失敗を繰り返すわけにもいかない。
(一度じっくり話し合うほかない、か……)
どのみち、戦場としてつかうベースキャンプが修復されるまでは作戦を再決行することもできない。その前にメリアージュが戻ってきて、彼女から何かしらの情報や協力の約束が得られれば再決行も早まるかもしれないが、なんにせよ今すぐに動くことはできない。話し合う時間は十分にあるだろう。
そう考えながらも、ノルギスは内心で苦いものを感じていた。結果的に損害は大きくならなかったが、作戦指揮官としてサミュエルの行動は看過できない。彼のせいで部隊が全滅しそうになったのは紛れもない事実なのだ。
また全体的な損害は大きくないとはいえ、人的な被害は出ている。ルッグナード・モリスンが、ノルギスの部下が死んだのだ。そのことに、やはり憤りを感じずにはいられない。
そして、その同じ憤りを他の騎士たちも感じていたようだ。〈プライベート・ルーム〉の中でルクトが来るのを待っていた間、サミュエルと一部の騎士たちの間で一悶着あったのだ。
言葉を荒げて彼を責めたのは、ルッグナードの部下だったジョシュアをはじめとする数人の騎士だけだったが、心情的にはその場にいる騎士たち全員が同じ気持ちだっただろう。あえて止めようとする者はいなかった。最終的には、あまり酷くなる前にノルギスが止めに入ったが、サミュエルを責める空気はなくならなかった。針のむしろ、というのはああ言う雰囲気のことを言うのかもしれない。
本音を言えば、ノルギスもサミュエルは扱いにくいタイプの武芸者だと思っている。目立ちたがり屋で気難しいところがあり、規律を求められる作戦行動には向かないだろう。代わりがいるのであれば、あまり頼りにしたくない人材だ。
(だが、彼の代わりはいない)
サミュエルが抜ければ、〈キマイラ〉討伐作戦は立ち行かない。それはもう確定事項だ。彼以外、〈キマイラ〉に止めをさせそうな武芸者はカーラルヒスにはいないのだから。まあ、いざとなったら作戦の目的そのものを変更することもできるが、それは本当に最後の手段だ。やはり後腐れなく終わらせるのが最も好ましい。
そうなると失敗を繰り返さないために、また今の彼の精神状態では作戦どころではないだろうからそちらのケアのためにも、一度サミュエルと話し合う必要がある、とノルギスは思った。
「……入り口を封鎖している衛士たちにも話を聞いてくるか」
ただ、今すぐにサミュエルと話し合う気にはなれなかった。誰にともなくそう呟くと、ノルギスは〈プライベート・ルーム〉の外に出る。彼自身、頭を冷やす時間が必要だった。
「……なるほど」
衛士たちから聞いた話は、ノルギスにとって有用なものだった。メリアージュが主席執政官のサインと印が入った許可書を持っていたということは、彼女とこの都市の間に何らかの繋がりがあるということだ。いくらなんでもまったく見ず知らずの長命種を名乗る怪しい女に、騎士団が作戦行動中の迷宮への立ち入りを許可したりはしないだろう。であるならば、今後メリアージュの協力を得られる可能性が高まったと言える。これはありがたいことだった。
そしてさらに、メリアージュが残した「後でもう一人来る」という言葉。一体誰が来るのかノルギスには皆目見当もつかないが、戦力を最大限に見積もれば彼女と同じく長命種が来ることになる。
「ルクト君、心当たりはあるか?」
「あると言えばありますけど……」
そう言ってからルクトはセイルハルト・クーレンズの名前を出した。メリアージュがわざわざ呼ぶほどの相手となると、彼以外には思いつかなかったのだ。
「当然、彼も長命種だな?」
ノルギスの問い掛けにルクトは首肯する。それを見てノルギスは手を顎に当てて考え込んだ。
超越者たる長命種が二人がかりで〈キマイラ〉と戦う。そこに騎士団が割って入る余地はなさそうだった。上手く連携が取れるとも思えず、ここはやはり彼らに任せるほかないだろう。それに略式とはいえ主席執政官の許可書を持っていたのだ。それが都市国家政府の意思であるとも言える。
最終的に、ノルギスは部隊を一度解散させることを選んだ。討伐作戦がいつ再開できるか分からないからであるが、騎士たちとサミュエルの双方に頭を冷やす時間が必要だと思ったのだ。
一度号令がかかればすぐに参集できる状態でいるようにだけ命令すると、ノルギスは部隊を解散させた。ただし、ノルギスとルクトは会館に残った。後で来るという人物に一度会っておくためで、ルクトは彼がセイルハルトであるかの確認をして欲しいと言われたのだ。
(確認したからと言ってどうこうあるわけじゃないと思うんだけどなぁ……)
ルクトとしてはそう思ってしまう。もしかしたらノルギスには別の思惑があったのかもしれないが、それは彼の埒外だった。
そうして待つこと、およそ一日。ようやく待ち人が現れた。一八〇センチを超える立派な背丈に金髪と青い目。そして甘い顔立ちをしていて、町を歩けば女たちが放っておかないだろう。だが同時に不思議な容貌で、二十代と言われれば二十代、三十代と言われれば三十代、四十代と言われれば四十代に見えた。いわずと知れた、セイルハルト・クーレンズその人である。
「やあ、ルクト君。お久しぶり」
迷宮の入り口の近くでルクトの姿を見つけると、セイルは笑顔を見せながら彼に向かって手を振った。
「セイルさん……、本当に来たんですね……」
「うん、メリアージュに頼まれたら嫌とは言えないからね」
二人が言葉を交わしていると、ノルギスが近づいてきた。彼の後ろでは衛士たちが神妙な面持ちで事態を見守っている。
「失礼、カーラルヒスで騎士長を務めるノルギス・キンドルです。お名前をお伺いしても?」
「ご丁寧に。メリアージュの知り合いで、セイルハルト・クーレンズです」
「やはり、貴方も長命種なのですか?」
「ええ、そうなりますね」
セイルがあっさりと首肯すると、ノルギスの方が「うぬぬ」と短く唸った。まさか人生の中でこうして長命種と面と向かって話をする機会があるとは、彼も思っていなかっただろう。
「……こちらにいらしたご用件は、メリアージュ殿の援護ということでよろしいでしょうか?」
「ええ、そうなります。これが許可書です」
セイルから受け取った書類をノルギスが改めると、そこには確かに「迷宮への立ち入りを許可する」旨と主席執政官のサイン、そして印が揃っている。
「……確認いたしました。〈キマイラ〉についてはご存知ですか?」
「ええ、一通りは」
そう言ってセイルはルクトのほうを見て意味ありげな笑みを浮かべた。恐らくだが、〈御伽噺〉が絡んでいるかもしれない、という話も既に聞いているのだろう。
「分かりました。では、何も言うことはありません。どうぞ御武運を」
「ありがとうございます。……じゃあルクト君、行ってくるよ」
まったく気負いのない様子でそういい残すと、セイルは迷宮のなかに降りていった。彼の姿が見えなくなると、ルクトの隣で「ふう」と息を吐くのが聞こえた。
「さすがに、只者ではないな……」
ノルギスが額に浮かんだ汗を拭いながらそう呟く。それから大きく深呼吸をすると、彼はルクトのほうに視線を向けた。
「私はノディーチェ閣下に話を聞きに行く。ルクト君も一度寮に戻るといい」
ノルギスの言葉にルクトはおとなしく頷いた。ちなみにノディーチェは主席執政官の名前である。
ルクトは迷宮の入り口の上に立つ会館を後にする。外に出ると晴れているおかげなのか、思いのほか暖かい。しかし季節は間違いなく冬に向かっている。これ以上迷宮攻略ができない状態が続けば、この冬でカーラルヒスは滅ぶかもしれない。
(セイルさん……、メリアージュをお願いします……)
要らぬ心配とは思いつつ、ルクトはそう願わずにはいられなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
「やあ、メリアージュ。間に合って何よりだよ」
黄金に輝く白銀の甲冑〈ジークフリード〉を身に纏ったセイルは、白き天馬〈バルムンク〉の上からメリアージュにそう笑いかけた。フルフェイスの冑は装備せずに顔をさらしているのは、礼儀かそれとも別の思惑があってのことか。ともかくセイルの笑顔を見るとメリアージュは顔をしかめた。
「遅い」
そう短く文句を言うメリアージュにセイルは苦笑した。諸々言い訳になりそうなことはあったがそれを口に出すことはせず、彼は〈キマイラ〉のほうに視線を向けた。
「あれが〈キマイラ〉? 話に聞いていたのと、多少様子が違うんだけど」
セイルの攻撃から回復した〈キマイラ〉の姿は、彼の言うとおり当初のそれからは変化したものになっていた。
白かった翼には黒い羽がまるで斑点のように混じっている。身体にもところどころ硬い鱗のようなものが現れ、その部分は防御力が向上していた。来たばかりのセイルには分からないだろうが、爪や牙も鋭さを増している。メリアージュが言うには、戦っているうちにだんだんとそうなったそうだ。
「進化した、とでも言うべきなのかな?」
「さてな。突然変異と言った方が正しいかもしれん。まあ、少なくとも一〇〇回は殺したのじゃ。なにが起こってもおかしくはあるまい」
一〇〇回殺したということは、一〇〇回蘇生したと言うこと。その出鱈目な再生能力に呆れる一方、確かにそれならば変異が起こってもおかしくはないとセイルは思った。
「〈御伽噺〉は喜んでいるだろうね」
セイルは皮肉っぽくそう言った。あの問題児は不思議と予想外をこよなく愛する。自分の合成したキメラがこのように“進化”し、さらにこうしてメリアージュとセイルという二人の長命種まで出てきた。どこでこの様子を観察しているのかは知らないが、きっと狂喜乱舞していることだろう。
「アレを喜ばせるのは癪じゃ。さっさと片付けよ」
セイルの言葉に、メリアージュは不機嫌な様子で応じた。さんざん手こずらせられて機嫌が悪いのかもしれない。
「遅れてきた分、きっちり仕事はしますよ」
苦笑しつつ、おどけるようにしてセイルはそう言った。そして左手に持っていた盾をメリアージュに渡す。彼女も黙ってそれを受け取った。これが必要になることを十分に理解しているのだ。
「じゃ、行ってくるよ」
そう言ってセイルは〈バルムンク〉の馬首を巡らせて〈キマイラ〉のほうを向いた。そして次の瞬間、セイルと〈バルムンク〉の姿がメリアージュの視界から消えた。さらに次の瞬間、少し離れたところにある〈シャフト〉の側面から、「ドゴンッ!」という大きな音がして土煙が上がる。目を凝らしてみれば、セイルの槍に首筋を貫かれた〈キマイラ〉が、そのままシャフトの側面に叩きつけられていた。
動かなくなった〈キマイラ〉を、セイルは槍で突刺したまま掲げ、そして片腕で勢いよく投げ上げた。高々と上昇していく〈キマイラ〉は、その過程で傷を回復していく。そして完全に回復すると翼を広げて怒りの咆哮を上げようし、その瞬間、セイルが投げた白銀の槍に全身を貫かれた。
〈キマイラ〉の身体を貫いた槍は、全部で七本。ただ明確に槍と言えるのは一本だけで、あとの六本は“槍”というよりは“剣”と言った方がいいかもしれない。幅の広い両刃で、無理やり分類するなら両手もちの長剣が一番近い。
それらの“槍”に貫かれた〈キマイラ〉は身じろぎしようとして、しかし少しも身体を動かすことができなかった。さらに、力を失い落下していくこともない。まるでその場に磔にされたかのように、固定されてしまったのである。〈ジークフリード〉を構成する白銀の槍〈ホーリーランス〉の能力の一端である。
身動きの取れない〈キマイラ〉を尻目に、セイルは〈バルムンク〉の手綱を取って宙を駆け上る。そして〈キマイラ〉を追い越し、さらにその上へと駆けていく。そしてある程度の高さに達すると、今度はまるで流星のように〈キマイラ〉目掛けて急降下していく。
その急降下のさなか、セイルは〈バルムンク〉を送還する。そして身一つになった彼は腰間の剣を抜いた。すなわち、宝剣〈クラウ・ソラス〉を。〈ジークフリード〉の甲冑も、光の粒になって消えていく。その力のすべてを〈クラウ・ソラス〉に集中させているのだ。
強い輝きを放つ〈クラウ・ソラス〉を、セイルは大上段に振り上げる。そして〈ホーリーランス〉によって磔にされ身動きの取れない〈キマイラ〉の、その首筋に狙い違わず打ち込んだ。
――――〈ショック〉。
その日、カーラルヒスで地震が起こった。規模は決して大きくなかったが、都市住民全員が足元から突き上げるかのような揺れを感じたのである。被害も大きくはない。驚いたご老人が転んで腰の骨を折る大怪我をし、またお皿が数百枚程度割れたが、死者や建物の倒壊はなかった。ただ何十年ぶりかの地震で、しかも〈キマイラ〉の問題があった時期ということもあり、この地震はカーラルヒスの住民たちの記憶に永らく残ることになる。
さらにその瞬間、迷宮の中に“太陽”が生まれた。それはそうとしか形容できない光景だった。〈クラウ・ソラス〉を中心にして生まれた熱源は、暴風さえも引き起こしながら迷宮の中で球状に広がっていった。
その過程で“太陽”はあらゆるものを飲み込んでいく。ある通路は太陽に触れた瞬間に蒸発し、あるシャフトは吹き荒れる暴風によって砕かれた。またある地底湖では、太陽から幾分距離があるにもかかわらず水が枯れ果てている。全てはセイルが〈ショック〉と名付けた〈クラウ・ソラス〉の一撃の、余波である。
その余波はメリアージュもまた飲み込んでいた。ただし、彼女はまったくダメージを受けていない。セイルから借りた盾を構えているからだ。セイル渾身のこの一撃に巻き込まれて無事でいられるのは、本人を別にすれば〈ジークフリード〉の一部であるこの盾を持っている者だけである。足場にしていた通路は蒸発してしまったので、今は“黒い巨鳥”の背に乗っている。
“太陽”の中は、影さえ生まれえないまさに光そのものだった。さらに、きわめて静かである。音と言う音が、すべて遮断されているかのようだった。眩しくも美しく、これが普通であれば近づくことさえできない太陽の中であることを忘れてしまいそうになる。
「悔しいのう……」
“太陽”の中、メリアージュは小さな声でそう呟いた。その声はまるでかき消されたかのように、誰の耳にも届くことはなかった。
セイルが生み出した“太陽”はやがて薄れて消えていった。後に残ったのは“無”である。“太陽”に飲み込まれた場所には、綺麗さっぱり何も残っていない。当然、〈キマイラ〉の姿もなく、復活してくる様子もない。
また“太陽”に飲み込まれなくても、暴風にさらされた場所では今でも崩壊が続いていた。メリアージュの視界の向こうで、シャフトがまた一本、折れて崩落していく。
一瞬遅れて、通路やシャフトの残骸が上から落ちてくる。それらの残骸をかわし、時には〈闇〉の力で防ぎながら、メリアージュは〈バルムンク〉に跨るセイルに近づいた。
「やりすぎじゃ!」
開口一番、メリアージュはそう文句を言った。しかし言われたセイルに気にした様子はまるでない。それどころか、彼の顔には一仕事終えた充足が満ちみちている。それがなんとも、メリアージュの癪に障った。
「いや~、〈クラウ・ソラス〉を全力で振るったのは、一体何年ぶりだろうね……」
「……ふん、宝剣じゃ。そう度々抜かれてたまるか」
「まあ、そうなんだけどね」
余談になるが、〈クラウ・ソラス〉を宝剣と呼んだのはアルクレイド・アーカーシャである。セイルが槍ばかり使うのを見て、「まるで抜かれることのない伝家の宝剣だな」と言ってからかったのが始まりだとされている。
もちろん、セイルが槍をメインに使うのには理由がある。〈バルムンク〉に乗って振るうには剣よりも槍の方が都合がいいのだ。そのため、長命種になって〈ジークフリード〉の個人能力が顕現してからもセイルは槍をメインに使ってきた。丁度よく〈ホーリーランス〉もあったことだし。
ただし、これとは別に〈クラウ・ソラス〉が使えない理由もあった。単純に、〈クラウ・ソラス〉の一撃が強すぎるのだ。一度本気で振るえば、敵どころか味方まで全滅させかねない。いや、味方で済めばまだよい。迷宮に潜っている別のパーティーまでも全滅させかねないのだ。
もちろん〈クラウ・ソラス〉は普通に剣としても使えるし、セイルは〈ショック〉を完璧に制御できる。ただ、それであれば〈ホーリーランス〉を使った方が、セイルとしてはやりやすい。そのため、〈クラウ・ソラス〉は滅多に使われることがなくなったのである。
「……〈キマイラ〉はこれで完全に倒せたかな?」
上から降ってくる崩落物もおさまり、本当に何もなくなった迷宮の中でセイルは辺りを見渡しながらそう言った。翼を持つ三つ目のキメラが襲い掛かってくる気配はどこにもない。跡形もなく消滅させられては、さすがに蘇生することはできないのだろう。万が一この状態から蘇生するようなことがあれば、その時にはもう討伐は諦めるしかないだろう。
「……現時点ではっきりしたことは言えんな。時間が必要じゃ」
楽観的な見方をすることなく、メリアージュはそう答えた。そして一ヶ月程度カーラルヒスに残って迷宮の様子を監視するといった。
「この有様では〈キマイラ〉がいなくなっても、普通のハンターでは攻略になるまい」
通路もシャフトも何もなくなった辺りを見渡し、メリアージュはどこか諦めた様子でそう言った。進むべき道がなければ迷宮攻略などできるはずもない。〈キマイラ〉はいなくなったかもしれないが、今度は迷宮が元通りになるまで攻略はお預けである。
「監視がてら攻略も行う。……お主にも手伝ってもらうぞ」
ジロリ、と睨みつけるようにしてセイルのほうを見ながらメリアージュはそう言った。この惨状の原因はセイルにある。その責任を取れ、と彼女は言った。
「ま、依頼主は君だからね。仰せのままに」
そう言いながら芝居がかった仕草でセイルが頭を下げると、メリアージュは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「……で、そろそろ外に出るかい?」
そんなメリアージュの様子に苦笑しながら、セイルはそう尋ねて話題を変えた。〈キマイラ〉が復活してくる様子はないし、ここにいてもすることはない。
「……いや、もう少し待て」
しかしメリアージュは首を横に振った。しかも、彼女にしては珍しいことに、少々気弱そうな表情を浮かべている。
「ん? 構わないけど、どうして?」
「……弱った姿を、見られるわけにはいかんのじゃ」
少し恥ずかしそうにして顔を背けながら、メリアージュはそう答えた。「誰に」の部分を彼女は口にしなかったが、言うまでもなく明白であろう。
「なるほど、ね。じゃあ、〈バルムンク〉に乗っていた方がいいよ」
メリアージュは笑われると思ったのかもしれないが、しかしセイルは笑わなかった。そして彼が差し出した手を、メリアージュはおとなしく取る。結局、彼女が回復するまで小一時間ほど〈バルムンク〉はその場を飛び続けた。
▽▲▽▲▽▲▽
〈キマイラ〉が討伐されてからの一ヶ月間、カーラルヒスの状況は決して良くなかった。その原因はセイルが〈キマイラ〉を倒すために放った〈ショック〉のせいである。馬鹿らしいほどに強力なその一撃は、〈キマイラ〉のみならず迷宮の通路やシャフトまでも片っ端から吹き飛ばした。なにしろ入り口を入ってすぐのエントランスまでが崩落してしまっている。進むべき道がなくなり、ハンターたちは〈キマイラ〉がいなくなったにもかかわらず、相変わらず迷宮に潜れなかったのである。
ハンターたちが迷宮に潜れなければ、そこから得られる資源の供給が止まることになる。なお悪いことに、カーラルヒスはこれから冬に向かう季節。少なく見積もっても五千人の凍死者が出るという試算を見て、都市国家政府の役人たちの顔は真っ青を通り越して真っ白になった。
しかし幸いなことに、迷宮からの資源の供給が止まることはなかった。なぜなら通路に頼らず迷宮に潜ることができる二人の長命種、メリアージュとセイルがいたからである。彼らは連日迷宮に潜り、魔石をはじめとする物資をカーラルヒスに供給した。もちろんその量は必要最低限でしかなく、都市国家政府は争いが起こらないよう配給制による分配を行わなければならなかった。
その間、住民の生活は厳しかったが不満の声は大きくはならなかった。必要最低限とはいえ物資は供給されていたし、また時間さえ経てばまた元通りに迷宮に潜れるようになる。その事実が、いわば鎮静剤として働いていたのだ。メリアージュとセイルを責める声はあったがその声は大きくはならず、むしろ賞賛や感謝の声の方が多かった。
およそ一ヶ月の間〈キマイラ〉の姿は確認されず、復活することなく完全に消滅したのだと結論が下された。そして迷宮の通路が元通りになりまた攻略が行えるようになると、ハンターたちは我先にと迷宮に潜った。物資はまったく足りていなかったし、また彼らの生活も仕事ができなかったせいで苦しくなっていたのだ。
迷宮へと潜っていくハンターたちの中に、ルクト・オクスの姿があった。その隣にはコンビを組むラキア・カストレイアの姿もある。もちろん、二人だけで攻略を行うわけではなく、待ちに待った合同遠征の再開だった。
合同遠征については、少々の変更が加えられていた。参加するパーティーの数が、十から十二に増えたのである。これはギルド側と政府側、双方からの要請によるものだった。ギルドは需要が大きいこの時期にもっと稼ぎたいし、政府は早く物資の供給を安定させたい。双方の思惑が一致した結果である。
おかげで〈プライベート・ルーム〉の中は随分と狭くなってしまったが、ルクトは常に外にいるから彼にはあまり関係ない。それどころか収入が増えるので歓迎すべきことだろう。ただ、十階層の大広間でパーティーが解散したあと〈プライベート・ルーム〉の中に入ったルクトとラキアは汗臭さに顔をしかめたとか。まあ、どうでもいいことである。
ルクトらハンターたちが迷宮の中に入っていくのを見送ると、セイルはカーラルヒスから姿を消した。「エグゼリオを空けすぎると、シードルに怒られるからね」というのが彼の言葉だった。
「……呼びつけてすまなかったな。助かった」
粉雪が舞う中、都市の外れでセイルを見送るメリアージュは、彼の背中にそう声をかけた。メリアージュがセイルを巻き込んだのはあくまでも保険のつもりだったが、最終的には彼の力に頼ることになってしまった。自分の判断は間違っていなかったと思う反面、自分の実力が足りなかったことは悔しい。そんな二つの気持ちがせめぎあっているのか、彼女の声はどこか拗ねているようにも聞こえた。
「報酬はなにがよい?」
「おや、くれるのかい?」
「まあ、の。妾に用意できるものであれば、じゃが」
メリアージュがそう言うと、セイルは「そうだねぇ」と言って少しの時間考え込んだ。そして「それじゃあ」と悪戯を思いつた子供のような笑顔をメリアージュに向けた。
「縒りを、戻さないかい?」
セイルとメリアージュはかつて恋人同士であった。だがその関係は随分前、具体的にはメリアージュが〈黒鉄屋〉として知られるようになる前に終わっていた。
「……捨てられた女にまだ未練があるのかえ?」
「あるね。君はいい女だから」
メリアージュの不機嫌そうな声に、セイルは飄々とそう答えた。そして腕を組み不機嫌そうな顔をするメリアージュの細い顎にそっと手を沿え、彼女の顔をわずかに上にそらせた。セイルはゆっくりとメリアージュに顔を近づける。不機嫌な顔はそのままだが、メリアージュはセイルを拒まない。
そしてセイルはメリアージュにそっと口付けした。彼女の、おでこに。
「はは、冗談だよ、冗談」
メリアージュから離れると、セイルはそう言って陽気に笑った。それに対し、メリアージュは不機嫌な様子のまま彼を睨んでいる。その視線に気づいたのか、セイルは苦笑しながらこう言った。
「弟子が頼ってくれるとね、結構嬉しいんだ。師匠としては、ね」
それだけ言うと、言うべきことは言ったといわんばかりにセイルはメリアージュに背を向けて歩き出した。そして数歩進んでから、思い出したように彼女のほうを振り返る。
「そうそう。君がいい女だっていうのは、冗談なんかじゃないよ」
そう言った次の瞬間、セイルは〈バルムンク〉を呼び出し、一陣の風を残して空へと駆け上った。小さくなっていく彼の背中を見送り、メリアージュはポツリと呟く。
「……当たり前じゃ」
さて、セイルがカーラルヒスを離れてもメリアージュはまだ居残っていた。遠征が再開されればすぐに物資が供給されるわけではなく、ハンターたちが帰ってくるまでの間のつなぎが必要なのだ。
やがてルクトをはじめとして遠征に出ていたハンターたちが帰ってきた。これからまた、物資は安定的に供給されるようになるだろう。それを確認してから、メリアージュもまたカーラルヒスを離れた。
「この度はまことにお世話になりましたな、〈闇語り〉殿」
カーラルヒスを離れると挨拶に来たメリアージュに、主席執政官のノディーチェはそう言って深々と頭を下げた。そして「この都市は二度も貴女に救われた」と彼は言う。彼の言う一度目とは、四十年ほど前の〈ベヘモス〉事件のことである。
「報酬料として、どれほどお支払いすればよろしいですかな?」
「なに、要らぬよ。一ヶ月迷宮に潜れなかったのは、こちらの責任ゆえな」
そう言ってからメリアージュは「ただ」と言葉を続けた。そして主席執政官の机の上に金のインゴットを積み上げる。この一ヶ月の間、セイルと一緒に迷宮に潜っていた間にえたドロップアイテムである。ほかのものは全て都市国家政府に提供していたが、金のインゴットだけはこうして手元に残しておいたのである。
「これを買い取ってもらいたい」
「なんと……」
ノディーチェは言葉を失った。法外だから、ではない。逆である。都市国家政府にとっては美味すぎる話と言える。なぜならこの金で金貨を作れば、確実に利益が出るからだ。むしろ彼の側から頼みたいくらいの話だったが、これではメリアージュにとって報酬にならない。だが彼女は笑って「気にするな」としか言わなかった。
ちなみにこの後、ルクトは討伐作戦の報酬を追加で貰い、その合計額は500万シクとなった。「長命種を二人も紹介してもらったから」というのが報酬追加の理由だったが、つまり彼に多めに報酬を渡すことで、その話を耳にするであろうメリアージュの機嫌を取ったのだ。
「……なんか、悪かったな。面倒をかけて」
メリアージュを見送る際、ルクトはすまなそうにそう言った。まるで関係のない問題に彼女を巻き込んでしまった。そのことに、後悔に似た気持ちがある。
「こういう時はな、素直に礼を言えばいいのじゃ」
悪戯っぽく笑いかけ、メリアージュはそう言った。それを見て、少し恥ずかしげに笑ってからルクトは口を開いた。
「……ああ、うん。ありがとう。助かったよ」
それを見て朗らかに笑うと、メリアージュは“黒い巨鳥”の背に乗って飛び立った。こうして〈キマイラ〉事件は幕を下ろし、御伽の国はただの都市国家へと戻った。
もうすぐ年が変わる。ルクトが学園を卒業する年だ。
というわけで。
第十二話「御伽の国」いかがでしたでしょうか?
作者の感想としては、「〈キマイラ〉よく落ちたな……」ですね(笑)
作中で一体何回落下したことやら。
まあ、それでも倒せないのが〈キマイラ〉の真の脅威、ということで。