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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十二話 御伽の国
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御伽の国13


 騎士長ノルギス・キンドル率いる騎士団が〈キマイラ〉討伐作戦を決行しているその間、迷宮(ダンジョン)の入り口は封鎖され衛士がその番をしていた。ただそんなことをしなくても〈キマイラ〉がいる今の迷宮に潜りたいと思う馬鹿はいない。


 どれだけ傷を負わせても瞬く間に回復し、たとえ殺したとしても復活する。そんな化け物のいる迷宮に潜ることは、ほとんど死にに行くことと同義だ。優秀なハンターは勇敢だが、しかし無謀ではない。無謀な者は迷宮の中では生き残れないのだ。


 だからもし、〈キマイラ〉のいる迷宮に潜ろうとする者がいるのであれば、それは討伐の準備を整えた者たちか、ただの無謀な馬鹿かのどちらかだ。前者はすでに迷宮に潜っているし、後者はいない。いや、いるのかもしれないが、周りの人間に止められているのだろう。迷宮の入り口までやって来る者はいなかった。


 だから迷宮の入り口の番をしている衛士たちは、これが必要な仕事であることは理解しつつも、退屈な仕事だと言う感想を抱かずにはいられなかった。なにしろ、人っ子一人現れないのだ。それが一番だと思いつつも、暇でしょうがない。


 成功するにしろ失敗するにしろ、討伐作戦が終わるまではここには誰も現れないだろう。衛士たちはそう思っている。だから「コツコツコツ」という、軽やかで堂々とした足音を響かせて一人の女がやって来たとき、彼らは思わず上ずった声をあげたのだった。


「と、止まれ! 何者だ!?」


 そう言って槍の穂先を向けながら、衛士たちは女の姿を観察する。


 一言でいうならば、美しい女だった。年のころは二十歳を超えたか、超えないか位か。長く美しい濡羽色の髪の毛を後ろで一つにまとめて背中に流している。出で立ちは戦装束。胸当てと籠手、それに脛当てを身につけ、手には槍を持っている。その下に着ている衣服を含め、すべて良いものであると一目で分かる装備だった。


 それらの装備はすべて黒で統一されている。金属の装備はつや消しがしてあるのか、深く落ち着いた雰囲気だった。唯一の例外が、槍の穂先だ。ここだけはつや消しがされておらず、透明感のある美しい光沢で輝いていた。


 彼女が装備しているものの中で、異色を放っているものが一つだけある。それは頭にかぶったサークレットだ。黒で統一された装備の中、これだけは銀色で、施された巧みな細工はこれが名工の手による作品であることを物語っている。濡羽色の髪によく映えるサークレットで、彼女がただの武芸者ではないことを証明しているかのようだった。


 実際、実力も相当のものなのだろう。衛士たちから穂先を突きつけられているにも関わらず、彼女に動揺は微塵も見られない。黒真珠のような瞳に見据えられると、むしろ衛士たちの方が気圧されて後ろに下がった。


「げ、現在迷宮は封鎖されている! 許可なくしては何人たりとも立ち入ることはできない! そ、即刻立ち去れ!」


 上ずった声でそう告げた衛士は褒められてもいいだろう。しかし本人は言った直後に激しい後悔に見舞われた。女が彼のほうに意識を向けたのである。


 ――――殺される。


 冗談でもなんでもなく、彼はそう思った。それを簡単に実行できてしまうほどの実力差を、ただ目を合わせただけで思い知らされたのだ。しかし、ありがたいことに女の行動はもっと理性的だった。


「……許可なら得ている。これが書類じゃ」


 そう言って女は一通の書類を差し出した。衛士の一人がおっかなびっくりそれを受け取り中身を確かめると、確かに「迷宮への立ち入りを許可する」旨が書かれており、さらにカーラルヒス主席執政官の名前と印が入っている。つまり、略式ではあるが正当な命令書であり、都市国家政府の決定であると言うことだ。


「通らせてもらうぞ」


 衛士たちが書類の中身を確かめたことを確認すると、女はそう言って歩みを再開した。衛士たちは慌てて槍を垂直に持ち直して穂先を彼女からずらし、そして左右に分かれて道を開ける。その真ん中を女はまるで気負いなく迷宮の入り口に向かって進んでいった。その様子を衛士たちはまるで魅入られたかのように眺めていた。


「……ああ、それと」


 女がそう言って不意に振り返った。衛士たちは面白いように慌てふためき、およそ三秒後にようやく直立不動の姿勢を取る。そんな彼らに特に頓着した様子もなく、女は淡々とこう告げた。


「後でもう一人来る。妾と同じで書類は持っているはず。無用な問答などせずにさっさと通すことじゃ」


 それだけ言うと、女は身を翻して迷宮へと続く通路に消えていった。彼女の姿が見えなくって数秒すると、衛士たちは一様に脱力してため息をついた。言葉を出す気力もないものの、彼らの内心は共通していた。


 それは、「あんなのがもう一人来るのか」ということと、「あの人の名前は一体何と言うのだろうか」ということだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 妙な感覚だった。自分で跳躍するのではなく、誰かに持ち上げられるというのは。まるで内臓が一瞬躍り上がるかのような浮遊感に、ルクトは「うえ」と情けない声を出した。そして、そんな彼を楽しげに笑う声がした。


「随分楽しそうじゃな、ルクトよ?」


「メ、メリアージュ!?」


 声の主はそれを聞いてすぐに分かった。ルクトの保護者にして債権者、メリアージュである。ルクトは今、彼女が〈闇語り〉の力で作った巨鳥の足に掴まれている状態だ。巨鳥の背に乗っているであろうメリアージュの姿は見えなかったが、声の調子から彼女が楽しげな笑みを浮かべているであろうことは容易に想像できた。


 なぜ彼女がここにいるのか。ルクトがその疑問を感じたのは当然のことだった。しかし彼がそれを聞くよりも前にメリアージュが口を開いた。


「む……。少し動くぞ。口を閉じておれ」


「え……、ちょぉ!?」


 いきなりの急旋回。“黒い巨鳥”の足に掴まれているルクトは思いっきり振り回された。初めて経験する三次元の高速移動にルクトは目を回す。ただ、それでも彼の視界には何度か〈キマイラ〉の姿が映り、メリアージュが空中戦を演じているのだということは何となく分かった。


 やがて“黒い巨鳥”が動きを止める。ルクトが足に掴まれたままあたりを見回すと、片方の翼を失った〈キマイラ〉が落下していくのが見えた。またすぐに回復するのだろうが、時間稼ぎとしては十分だ。


〈キマイラ〉をひとまず退けると、メリアージュはルクトを迷宮の通路の上に下ろした。そこはベースキャンプに通じる一本道で、今は途中で崩れてしまっている。ルクトを下ろすと彼女も通路に降り立ち、そして“黒い巨鳥”を霧散させた。もしかしたら、維持するのにも少なからず力を使うのかもしれない。


(アア……、動かない足場ってスバラシイ……)


 ようやく安定した場所にしっかりと立つことができ、ルクトは思わず感動した。そして同時に、なんだかドッと疲れたような気がする。たぶん緊張が解けたのだろう。


「ルクトよ」


 メリアージュに名前を呼ばれ、ルクトはようやく彼女の姿をまともに見た。そして、ある種感動にも似た戦慄を覚える。メリアージュの姿はルクトが初めて見る戦装束、つまり完全武装だったのである。


 ルクトがメリアージュと一緒に迷宮に潜ったことは数知れない。しかしその時の彼女の出で立ちはと言えば、黒のドレスを身に纏い、足にはハイヒールを履き、手には扇を持つという、まるで舞踏会にも行くかのような格好だった。


 ただしそのような格好でありながら、メリアージュはルクトの前でただの一度も不覚を取ったことがない。それは彼女が武芸者として別格の存在であることの証だった。


 そのメリアージュが、完全武装している。なによりもルクトの目を引いたのは、彼女が手に持つ槍だった。「メリアージュの得物は槍だったんだな」と、ルクトは場違いながらも納得していた。


 その槍を、メリアージュが無造作に振るう。無造作ながらも、その動作は洗練されていた。腕を上げればあげるほど、もしかしたら本当に“無造作”な動きというのはできなくなるのかもしれない。


 振るわれた槍から、〈闇〉が刃となって放たれる。その刃は〈キマイラ〉を現れたまさにその瞬間に切り裂いた。〈キマイラ〉が上げていた咆哮はその瞬間絶叫に変わり、そしてまた落ちていく。まるでハエを追い払うかのようなあしらいようで、〈キマイラ〉が恐ろしい化け物であることを疑ってしまいそうになる。


「ルクトよ」


 再度名前を呼ばれ、〈キマイラ〉のいた場所を見ていたルクトはメリアージュのほうに視線を向ける。あれだけ簡単に〈キマイラ〉をあしらっておきながら、意外にも彼女の表情は厳しかった。


「騎士団は〈プライベート・ルーム〉の中か?」


 その問い掛けにルクトは無言で頷いた。メリアージュはそれを横目でチラリと見て確認し、そしてさらに言葉を続けた。


「アレは妾が引き受ける。お前は迷宮を出て事の次第を責任者に説明せよ」


 それはつまり後退しろと言うことだった。ルクトは思わず言い募ろうとしたが、その瞬間メリアージュと目が合い言葉を止められる。


「よいな?」


 メリアージュの声は特別厳しいわけではなく、むしろ静かで淡々としていた。しかしルクトはそう言われたら、もう頷くしかなかった。彼女の表情がかつてなく鋭かったからだ。


「グゥウオオオオオ!!」


 回復を終えたらしい〈キマイラ〉が咆哮を上げながら舞い戻ってくる。メリアージュはそれに気づいていたはずなのだが、今度はすぐさま撃退することはしなかった。


 メリアージュ目掛けて急降下してくる〈キマイラ〉を、彼女は軽やかに跳躍してかわした。目標を捕らえそこなった〈キマイラ〉の視線が、すぐ近くにいたルクトを捉える。しかし〈キマイラ〉がルクトに襲い掛かることはなかった。跳躍していたメリアージュが〈キマイラ〉の背に着地したのである。そしてそれと同時に、逆手に構えた槍を〈キマイラ〉の背に突き刺す。


 槍は〈キマイラ〉の腹を貫通して迷宮の白い通路にまで達し、その獣を縫いとめた。さらに槍から〈闇〉が蠢くようにして沸き起こり、〈キマイラ〉の四肢と翼を拘束していく。


「早く行け!」


「……っ、気をつけて!」


 ほかに何と言っていいのか分からず、ルクトはそう言ってから〈キマイラ〉とメリアージュに背を向けて駆け出した。彼の姿が見えなくなってからも、メリアージュは〈キマイラ〉を拘束し続けていた。彼が無事に迷宮から出るためには、少しでも長くこうして拘束していた方がいい。


「……そう、分かってはいても……!」


 なかなか、きつい。それがメリアージュの正直な感想だった。〈闇〉によって動きを封じられている〈キマイラ〉はその拘束を解こうと今も身をよじりもがいている。それを力で押さえ込むのは、言葉で言う以上に重労働なのだ。加えて、もともとメリアージュは長命種(メトセラ)のなかでも力自慢というわけではない。むしろ非力なほうだった。もちろん短命種(ラテン)と比べれば隔絶した力の差があるのだけれど。


「グゥウオオオオオ!!」


 大きな咆哮を上げ、〈キマイラ〉がついに拘束を振りほどいた。額に薄く汗を浮かべそろそろ限界だと感じていたメリアージュは、それを無理に押さえ込もうとはせず、飛び退いて通路の上に降り立った。


 力ずくで無理やりに拘束を振り払った〈キマイラ〉は、特に翼がボロボロになっていた。しかしその傷もメリアージュの目の前で瞬く間に回復していく。自身も集気法を使って回復を図りながら、彼女はその様子を注意深く観察する。


「なるほどの……。驚異的な回復能力。これは確かに、ちと厄介じゃ」


 そう小さく呟くと、メリアージュは〈キマイラ〉の回復を待たずに間合いを詰めた。そして脳天を一突きし、さらに側面に回りこんで槍を縦横無尽に振るう。漆黒の穂先がきらめいて黒い軌跡を描く。一瞬遅れて鮮血が吹きだし、さらに一瞬遅れて〈キマイラ〉の身体が沈んだ。


「殺すだけならば造作もないが……」


 メリアージュは距離を取って〈キマイラ〉の様子を観察する。その彼女の目の前で〈キマイラ〉は回復し、そして蘇生する。なにごともなかったかのように起き上がり、その三つ目でメリアージュを睨みつけた。


「殺しきるとなると、いくぶん難儀じゃな……」


 内容とは裏腹に、メリアージュは淡々とした様子でそう呟いた。そして覚悟を決めるかのように鋭い表情で一つ頷く。


「〈御伽噺〉を喜ばせるのは気が進まぬが、致し方あるまい」


 少しだけ楽しそうにそう呟くと、メリアージュは腰を落として槍を構えた。ルクトがその様子を見れば、セイルハルト・クーレンズの姿を重ねたことだろう。さもありなん。メリアージュの槍の師はセイルその人である。


 槍を構えたまま、メリアージュは「ふう」と一つ深呼吸をした。そして頭の中をクリアにして、集中力を高めていく。彼女のその触れれば即座に両断されてしまいそうな雰囲気に、〈キマイラ〉は低い唸り声を上げながらあとずさる。


 ここまででもメリアージュは十分に本気だった。しかし彼女はもう一段階、桁を上げる。ここからが、〈闇語り〉のメリアージュの本当の意味での本気だった。


「これを使うのも久しぶりじゃ」


 そう言ってメリアージュはにやりと壮絶に笑う。その瞬間、彼女が装備した籠手と脛当て、そして胸当てから〈闇〉が噴出した。


 メリアージュが装備している防具と手に持った槍は、実はすべてアダマンダイト製だ。アダマンダイトは〈魔導甲冑(ソーリッド・アーマー)〉を作るのに欠かせない素材であるため、その値段は常に高止まりしている。そのため、最も優れた金属であると思われがちだが実はそうではない。純粋に武器や防具の性能を追求するのであれば、オリハルコンやヒヒイロカネを使った方がいいのだ。


 ではなぜメリアージュは己の装備の素材としてアダマンダイトを選んだのか。それはその金属が持つ〈精神感応性〉という特性が最大の理由だった。この特性を使い、メリアージュはアダマンダイトに自分の力、〈闇語り〉の力を馴染ませていったのである。


 そうして長い時間をかけ〈闇語り〉の力を注がれたアダマンダイトは、いつしか漆黒の光沢を放つようになっていた。その状態になったアダマンダイトを、メリアージュは〈闇曜鋼〉と呼び、自分の武具に仕立てたのである。


 闇曜鋼の最大の特徴は、いうまでもなく〈闇語り〉の能力との極めて高い親和性である。闇曜鋼で作られた武具は、メリアージュにとって能力を使う上でのいわば優れた触媒になっているのだ。これらの武具を装備した状態こそ、メリアージュの〈闇語り〉としての本来の姿と言うべきだろう。


個人能力(パーソナル・アビリティ)と闘術を完全に融合させて自分のものにする。武芸者として到達するべき、極みの一つだよ』


 訳知り顔でそう話した師の顔が思い浮かび、メリアージュはわずかに眉をひそめた。彼女は自分が達した極みが至高のものだとは思っていない。彼女の前には、少なくとも武芸者としての彼女の前には、いつも彼の背中があったのだから。


 憧憬にも似たその感情を、メリアージュは雑念として振り払った。〈キマイラ〉を前に、いや〈御伽噺〉の合成したキメラを前にして、そんなことを考えている余裕はない。


「あやつに無駄骨折らせてみせようぞ」


 その決意を口に出すと、メリアージュは鋭く一歩を踏み出した。



▽▲▽▲▽▲▽



〈闇語り〉という二つ名は、本来メリアージュの〈闇〉をまるで手足のように操る様から付けられたものだ。それはそれで間違っていない。彼女はそのようにして戦うからだ。しかしもし今、〈闇語り〉の二つ名を知らない誰かが彼女の戦いを見ていたとしたら、その誰かはもしかしたらこんな二つ名をメリアージュに贈ったかもしれない。


 すなわち、〈闇を纏いし戦乙女〉と。


 メリアージュが〈闇〉を纏って宙を飛び、槍を振るって翼を持つキメラと戦うその光景は、まるで神話の一幕を覗き見ているかのようだった。少なくとも人の戦いからはあまりにも逸脱している。


 展開した〈闇〉を翼の代りにしてメリアージュは宙を飛んでいる。その速度は〈キマイラ〉よりも圧倒的に速い。反面、動きは直線的でフェイントなどはほとんど入っていないが、それを補って余りある速さだった。


 空中でメリアージュは〈キマイラ〉とすれ違い、そして槍を一閃する。槍の穂先は〈キマイラ〉の片方の翼を根元から切断し、翼を失った〈キマイラ〉は落ちていく。


 落ちていく〈キマイラ〉をメリアージュは追った。ほとんど激突するかのようにして槍を突き刺す。〈キマイラ〉は身を仰け反らせ出鱈目に暴れたが、メリアージュを振りほどくことはできない。


 さらにメリアージュは〈闇〉を使って〈キマイラ〉の身体を突き刺し切り刻んでいく。その光景はあまりにも徹底的で凄惨に過ぎた。バラバラになった、さっきまで〈キマイラ〉だったモノは血霞を残しながら落ちていき、そして再び蘇生して何事もなく宙を駆ける。戦いを始めてからずっと、この調子である。


「やれやれ、厄介だと覚悟はしていたがこれほどとは……」


 消費を抑えるためなのか、手近な通路の上に降り立ったメリアージュは苦い口調でそう愚痴る。どうにもよくない状況だった。


 戦い始めた当初は、むしろ拍子抜けした。〈キマイラ〉は弱かったのだ。しかしどれだけ殺しても、〈キマイラ〉を殺しきることはできなかった。どうやってもすぐに蘇生してしまう。メリアージュは〈キマイラ〉を倒すその道筋を描けないでいた。


 通路の上に立つメリアージュ目掛けて〈キマイラ〉が雄叫びを上げながら突っ込んでくる。そんな攻撃など、瑣末なものだ。メリアージュは左手に〈闇〉を纏わせると、そのまま〈キマイラ〉の口の中に突っ込み、そして内側から切り裂く。〈キマイラ〉は何度か身体を痙攣させると、口から血を吐いて力を失った。


 メリアージュは左手を無造作に振るい、〈キマイラ〉の身体を投げ捨てる。〈キマイラ〉は翼を羽ばたかせることもなく落ちていくが、しかしまた蘇生すると宙を駆けてメリアージュに襲い掛かってくる。その繰り返しが延々と続いた。


 当初、圧倒的に優勢だったのはメリアージュのほうだった。〈キマイラ〉は文字通り手も足も出ない状態で、普通のキメラであればこの時点で勝負はついていた。だが、不運なことに〈キマイラ〉は普通のキメラではなかった。


 殺しきれない。これがすべてである。圧倒的に優勢であるはずのメリアージュは、しかし最後の決め手だけは持っていなかった。結果として優勢であるにも関わらず戦いを決することができないまま、ずるずると戦い続けることになった。


 メリアージュは、長命種である。そして長命種とは超越者であり、彼女の戦いぶりはまさに超越者のそれだった。


 しかし、超越者にも限界はある。戦い続ければ当たり前に疲労がたまる。まして倒せない敵を相手にしているのだ。精神的な疲弊は大きかっただろう。


 メリアージュの側に大きく傾いていた趨勢の天秤は、戦い続けるなかで徐々に〈キマイラ〉の側に傾いていった。決して届くことのなかった牙が届くようになり、避ける必要のなかった爪を避ける。小さな変化は積み重なり、メリアージュは徐々に追い込まれていった。


 そしてついに、メリアージュの左の籠手が砕けた。直接的な原因は〈キマイラ〉の爪を防いだことだが、積み重なったダメージこそが本当の原因だろう。それに、途中から〈闇語り〉の力の制御が疎かになり、触媒として使っていた防具に負担をかけていたことをメリアージュは自覚している。


「まったく、難儀な能力じゃ……」


 らしくないと思いながら、メリアージュは自嘲気味に弱音を漏らした。ヴェミスの武芸者などは、〈闇語り〉を攻守に秀でた汎用性の高い能力だと思っている。しかしメリアージュ本人の評価は違った。


 確かに〈闇語り〉の能力は攻守に使うことができる。汎用性が高いのも事実だろう。しかしこの能力は決して攻守に秀でているわけではない。むしろ汎用性が高いおかげで戦闘にも使える、というのが実情だとメリアージュは思っている。


 器用貧乏なのだ、とメリアージュは思う。何か一つの事柄に特化しているわけではなく、満遍なく何でもできる。その代わり、下手をしたら何もかもが中途半端になる。それが自分の個人能力〈闇語り〉だとメリアージュは思っている。


 ちなみに、長命種であるメリアージュはもう一つ個人能力を持っている。ただ恐ろしく使い道が限られる上に、その能力のほどはメリアージュ本人さえもいまいち把握し切れていない。少なくとも戦闘に使えるような能力ではなかった。


 戦闘向きではない、少なくとも特化しているわけではない〈闇語り〉という能力を、しかしメリアージュは愛して極めた。可能性を模索して工夫を重ね、なにより研鑽を積んだ。生まれながらの才能もあったろう。しかしついに長命種にまでなったのは、本人の努力によるところが大きい。才能だけでなれるものではないのだ、長命種というのは。


 全てが高いレベルで完成された武芸者。それがメリアージュだ。長命種になれたからその域に達したわけではない。むしろ逆で、その域に達したからこそ長命種になれたのだ。


 超越者と呼ぶにふさわしい実力をメリアージュは持っている。それは間違いない。しかし今回は相手が、いや相性が悪かった。


 再生能力に特化した〈キマイラ〉はある意味でメリアージュと真逆の存在であると言える。再生能力ただ一点のみが、メリアージュを上回っているのだ。そしてその一点を封じ込める術が彼女にはなかった。


「くっ……!」


 顔を歪め、ついにメリアージュは膝を突いた。その顔には疲労が色濃く見える。時間の感覚は曖昧だし、時計を見る余裕はない。ただ、一日程度は戦い続けたはずだ。疲れていて当然である。


 対する〈キマイラ〉に疲れた様子は見えない。蘇生するたびに体力も回復しているのか、いやそもそも疲労という概念に縛られているのか、それさえも怪しい。ともかく明白なのは、メリアージュは体力勝負に負けたのだ。


「妾の……」


 膝を突いたメリアージュが見上げる先で、〈キマイラ〉が雄叫びを上げる。自らの優勢を確信した雄叫びかもしれない。


 そしてついに、〈キマイラ〉が動いた。宙で縦に一回転し、勢いをつけてメリアージュ目掛けて突っ込んでくる。メリアージュはそれを見据え、しかしその場から動こうとはしなかった。


「……勝ちじゃ」


 朗らかに、そして美しくメリアージュは笑った。その瞬間、銀色の槍が立て続けに飛来し〈キマイラ〉を貫いた。


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