表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十二話 御伽の国
130/180

御伽の国12

〈キマイラ〉討伐作戦。その本編とでも言うべき戦闘がついに開始されたのである。宙を駆ける〈キマイラ〉に対し、まず攻撃を開始したのは射撃部隊だ。彼らは装備した魔装具の引き金をひいて〈キマイラ〉を攻撃する。


 射撃部隊が使う魔装具は大きく分けて二種類ある。〈法弾〉と呼ばれるエネルギー弾を撃ち出すタイプと、長さが三十センチほどの鉄製の杭を撃ち出すタイプである。そして双方にメリットとデメリットが存在した。


 前者のメリットはコストの安さである。つまり法弾一発と鉄杭一本を比べた場合、法弾一発分のエネルギーのほうが安いのだ。ただし、一発ごとに消費するエネルギーは当然多くなり、そのため頻繁にカートリッジを交換する必要がある。


 後者のメリットとデメリットはこれのまったく逆である。つまり攻撃一回分のコストは、鉄杭を使い捨てにする都合上どうしても高くなる。しかしエネルギーの使用量は少なく、弾となる鉄杭さえ十分にあれば法弾タイプの魔装具より長時間使用できるのだ。


 射撃部隊の騎士達は〈キマイラ〉を懸命に狙い撃つ。しかし相手は素早く動いており、そうそう当たらない。まったく無駄に見える攻撃がしばらく続いた。


(当たらないと言うより、当てる気が無い……?)


 射撃部隊の攻撃を見ていたルクトは、ふとそんな印象を受けた。明らかに狙いの外れた攻撃が多いのである。わざわざ「射撃部隊」として編成されているのだ。射撃が下手で狙いが逸れているわけではないだろう。


 ということは、わざと外して狙いを付けていることになる。それは一体何のためか。そこまで考えると、ルクトは先ほどのノルギスの命令を思い出した。


『動きを牽制しつつ〈キマイラ〉をベースキャンプの奥に誘導しろ』


 それが、先程ノルギスが射撃班に下した命令だった。その命令を考慮して〈キマイラ〉の様子を見ると、なるほど確かに少しずつではあるがベースキャンプの奥の方に移動してきている。


 つまり射撃班はいわば「壁」を作っていたのだ。そうやって〈キマイラ〉の動きを牽制しつつ、攻撃の薄い方、つまりベースキャンプの奥の方に誘導しているのである。考えて見れば、いくら攻撃を当てたところでこれらの射撃では驚異的な回復能力を持つ〈キマイラ〉を倒すことなどできない。最初からダメージを負わせることではなく、動きを制限することが目的の攻撃だったのだ。


(それに、下手に翼を傷つけて〈キマイラ〉の姿を見失っても面倒だもんな……)


 翼が傷ついて飛べなくなった〈キマイラ〉が落ちてしまっては、また現れてくれるまで待ちぼうけである。上手くないやり方なのは明白で、むしろ意図的に当てないようにしているのかもしれない。


 時折、〈キマイラ〉も騎士たちに接近して攻撃しようとするが、それらはすぐに大盾を構え、突撃槍(ランス)を突き出した別の騎士たちに阻まれてしまう。〈キマイラ〉に何かを飛ばして攻撃する能力はなく、展開としては一方的だった。


(このまま上手くいってくれればいいけど……)


 ルクトとしてはそう願いながら見ているしかない。法弾タイプの魔装具のカートリッジが何度か交換され、〈プライベート・ルーム〉の中から鉄杭の入った箱が運び出される。人間と〈キマイラ〉の双方にとって我慢の時間だった。


 先に好機を手にしたのは人間のほうだった。いつの間にか〈キマイラ〉はベースキャンプの奥の方に誘導されていた。ちょうどノルギスが「追い込むように」と指示していた場所だ。


「よし、目標を拘束しろ!」


 ノルギスの命令が飛ぶと、射撃部隊の攻撃の仕方が変わった。今までわざと外していた狙いが正確になる。殺到する法弾と鉄杭の全てを避けることはできず、ついに〈キマイラ〉の身体に攻撃が当たり、そして絶叫が上がった。


「銛、撃てぇ!!」


 今までずっと待機していた、「銛撃ち班」と呼ばれる騎士たちがついに行動を開始する。攻撃を受けて〈キマイラ〉が動きを止めたその瞬間、銛撃ち班が手にした魔装具の引き金を一斉にひく。その魔装具から放たれるのは、長さが一メートルほどの鉄製の銛だ。銛の片方の先端は返しのついた鋭い突起になっており、もう片方には鎖が繋がっている。


 放たれた銛は十数本。ほとんどは外れたが、そのうちの三本が〈キマイラ〉の身体や翼に突き刺さった。


「ギャアァォォオオ!!」


〈キマイラ〉が悲鳴を上げる。そして空中でキマイラの力が抜けた。一瞬の浮遊の後、〈キマイラ〉の身体が落ちる。


「今だ! 引けぇ!」


 ノルギスの命令に従って、騎士たちが銛に繋がっている鎖を引く。そのため〈キマイラ〉はまっすぐ下には落ちず、引き寄せられてベースキャンプの床の上に落ちた。


「グウゥゥゥ……」


 苦しげなうめき声が〈キマイラ〉の口から血と一緒にこぼれる。しかし〈キマイラ〉の目はまだ死んでいない。それどころか、銛の突き刺さったままの身体で四肢を踏ん張り起き上がろうとする。


 さらに、よく見ると〈キマイラ〉に撃ちこまれた銛が小さく振動している。もう既に再生が始まっているのだ。返しが付いているため容易には抜けないが、しかしいずれは抜けてまた元通りの姿になるだろう。


「射撃班、攻撃を集中させろ!」


 その命令はすぐに実行された。再生が始まっているとはいえ、まだ立つこともままならない〈キマイラ〉に向かって法弾と鉄杭が次々に撃ち込まれる。〈キマイラ〉は身体を仰け反らせて絶叫を上げた。


「撃ち方、止め!」


 ノルギスが射撃部隊の攻撃を止める。〈キマイラ〉はすでに満身創痍だった。その身の肉は抉られ、また何本もの鉄杭が突き刺さっている。全身から血を流し、三つある目のうちの一つは完全に潰れていた。残った目で〈キマイラ〉が見据えているのは、さて一体誰だったのか。


「化け物め……!」


 その姿を見て、しかし騎士たちは戦慄した。彼らの目の前で〈キマイラ〉の傷が目に見えるスピードで回復していくのだ。抉られた肉はまた元通りになり、突き刺さっていた鉄杭は次々に抜けてその傷もふさがっていく。それはまさに「不死身」と呼ぶしかない光景だった。


 しかし、それは同時に好機でもあった。回復に専念するためなのか〈キマイラ〉は微動だにしない。そう、この瞬間〈キマイラ〉は動きを止めていた。そしてそれは、ノルギスたちが求めていた一瞬だ。


「サミュエル君、止めを!」


 ついに、サミュエルの出番が来た。ノルギスの声がかかった瞬間、彼は駆け出していた。体内に漲る烈の量は十分。強化された彼の肉体は一歩ごとに速度を増していく。


「頼むぞ!」


「一発で決めてくれ!」


「これで終わりにしようぜ!」


 サミュエルのために道を作るようにして、〈魔導甲冑(ソーリッド・アーマー)〉を装備した騎士たちが左右に分かれる。そして〈キマイラ〉に向かって走る彼に騎士たちは次々に激励の言葉をかけた。


(僕は、英雄になる……!)


 騎士たちが作った“道”を駆け抜けながら、サミュエルはえもいわれぬ昂揚に満たされていた。まるでこの世の全てが自分のための舞台のように思えた。ルクト・オクスがどれほどのものか。最後に名誉を受けるのはやはり自分のような人間なのだ、とサミュエルは内心でほくそ笑んだ。


 カーラルヒスを存亡の危機に追い込んだ怨敵〈キマイラ〉を討ち取り、今日ここで自分は英雄になるのだと彼は信じて疑っていない。そして、それこそ自分にふさわしい立場であり栄誉なのだとサミュエルは思っている。


 走りながらサミュエルは右手を内側から外側に振るう。すると、その手に一本の剣が握られた。美しい装飾が施された荘厳な両手持ちの剣、〈絶対勝利の剣(エクスカリバー)〉だ。自らが求める栄誉と栄達はこの剣と共にある。その確信がサミュエルのなかで揺らぐことはもはやない。


 騎士たちが作る“道”を駆け抜け、サミュエルは〈キマイラ〉との間合いを詰める。そして適当な位置で彼は左足を大きく踏み込み、加速を止めた。


 身体が前に引っ張られる。それに逆らわないように、しかし流されないようにしながら、サミュエルは右手に持った〈絶対勝利の剣〉を担ぐようにして大きく振りかぶり、そしてその柄に左手を添えた。そしてありったけの烈をその剣に喰わせる。遠慮も、手加減もなしだ。その手応えに昂揚が増した。


「〈絶対……(エクスゥゥゥ)


 その瞬間、サミュエルはいつもより長く“タメ”を作った。そのタメは必要と言えば必要なものだったが、しかしなくても別に困らないものだ。ようは、もったいぶったのだ。


「……勝利の剣(カリバー)〉!」


 右足を踏み込みながら、サミュエルは〈絶対勝利の剣〉を斜めに振りぬいた。その瞬間、暴風の一撃が放たれた。白銀に輝き、触れるもの全てを粉砕する荒れ狂う暴風。その一撃は狙い違わず〈キマイラ〉に襲い掛かった。


 サミュエルの一撃が〈キマイラ〉に届く、いやともすれば既に届きその身を砕き始めたまさにその刹那。激しい閃光に手をかざしさらに目を細めていたルクトは、〈キマイラ〉が動くのを見た。


 再生が完全に終わっていたわけではない。しかし〈絶対勝利の剣〉の一撃を前にして〈キマイラ〉も危機を本能的に感じ取ったのだろう。〈キマイラ〉は確かに動いた。


 動いたからと言ってサミュエルの一撃を完全に避けられるはずもない。いや、普通であるならばまったくの無意味だ。実際、〈キマイラ〉の身体のほとんどはその白銀の暴風に飲み込まれた。〈キマイラ〉の絶叫さえもかき消して暴風は吹き荒れる。


 そして、暴風が止む。〈絶対勝利の剣〉の一撃が放たれたその先は、ベースキャンプの白い床が大きく抉られて消滅していた。もちろん、そこにいた〈キマイラ〉の姿もない。ただ、咄嗟に身体を動かしたおかげなのか、その頭部だけが低く宙を舞っていた。


 ボトリ、と鈍い音を立てて〈キマイラ〉の生首が白い床の上に落ちる。そしてその反動で小さく撥ね、ゴロリと転がってそのまま迷宮(ダンジョン)の底めがけて落ちた。その生首を受け止める床が、先程の一撃でなくなっていたのである。


 静寂。そして、迷宮を振るわせるほどの、大きな歓声。その歓声を背中に受けながら、サミュエルは手に持った〈絶対勝利の剣〉を大きく突き上げた。そんな彼の周りに、次々に騎士たちが駆け寄る。


「やったな、サミュエル!」


「すっげえ一撃だぜ!」


「あれなら〈キマイラ〉だってひとたまりもないさ!」


 サミュエルの周りで騎士たちは次々に賞賛の声を上げた。誰もかれもみんな笑顔で、喜んでいることは一目で分かる。まさに「歓喜の渦」というヤツだった。


 その歓喜の渦の中でサミュエルは言い知れない深い充足と万能感を味わっていた。勝利の美酒に勝るとも劣らぬ幸福。今までたまりに溜まっていた不満と鬱屈とした感情が綺麗に晴れていくのを彼は感じた。


(タニア、僕は英雄に…………)


 なったぞ、と胸のうちで誇らしげに続けようとした、まさにその瞬間。


「ガァァアアアアアオオ!!!」


 怒りの咆哮が上がった。そしてそれと同時に、〈絶対勝利の剣〉の一撃で崩落した箇所から獣の影が飛び出てそのまま駆け上がる。その姿は翼を持つ三つ目の獅子。言うまでもなく、〈キマイラ〉だ。生首一つの状態からでさえも蘇生して見せたのである。


「倒せ、なかったのか……?」


 呆然とした様子で、騎士の一人がそう呟く。ついに倒せたと思っていた分、そのショックは大きい。そしてそのショックが最も大きいのは、言うまでもなくサミュエル・ディボンだった。


「え……? だっ、て……、そんな……、バカ、え……?」


 焦点の合わない目を〈キマイラ〉に向けながら、サミュエルは血の気を失った顔で意味のない言葉をブツブツと呟く。そんな彼が鬱陶しかったわけではないだろうが、宙を駆ける〈キマイラ〉が人間たちを威嚇するようにして何度か吼え声を上げた。


 その吼え声を聞いているうちに、サミュエルの顔にだんだんと血色が戻ってくる。そしてその顔は怒りと恥辱に歪んだ。


(獣如きが……!)


 胸のうちで、サミュエルはそう罵る。あの獣が生きているなど、彼にとっては決してあってはならないことだった。まるで自分の戦果を汚されたように彼は感じた。


 それだけではない。サミュエルの耳には嘲笑が聞こえた。それはこの場にいる誰も口にしていないことで、ようは幻聴だ。しかし、彼の耳ははっきりとそれを聞いたのだ。


『あれだけお膳立てをしてやったというのに……』


『見てくれだけの役立たず』


『ルクトなら成功させただろうに』


『タニアに、お前はふさわしくない』


 耐え難い、耐えることのできない嘲笑だった。それはずっと気にしていたことで、しかし無視して見ないようにしてきたことだ。自分が無能者の役立たずであるなど、そんなこと絶対に認められない。


 だからサミュエルはずっと自分に言い聞かせてきたのだ。「自分は特別な存在で、すごい人間なのだ」と。〈キマイラ〉を倒して栄誉を手に入れ、栄達を果たせば証明できるはずだった。だが掴んだはずのモノは手のひらをすり抜け、後に残ったのは「倒せなかった」というただの現実だった。


「グゥウオオオオオ!!」


 ベースキャンプに降り立った〈キマイラ〉が咆哮を上げて人間を威嚇する。場所はベースキャンプ入り口のすぐ近くだ。〈キマイラ〉の放つ狂気じみた気迫に騎士たちが圧されそうになったその時、ノルギスが声を張り上げた。


「臆するな! 討伐が困難であることは最初から分かっていたはずだ! こちらにも損害は出ていない! もう一度やるぞ!!」


 ノルギスが飛ばした檄に、騎士たちは「おお!」と応じる。これで彼らの士気は持ち直した。その点だけを見れば、ノルギスは指揮官として優秀だったと言えるだろう。しかしその一方で彼の言葉をまったく別の意味に捉えた者もいた。サミュエル・ディボンその人である。


 討伐が困難であることは最初から分かっていた。だから諦めずにもう一度やるぞ、とノルギスは言う。その言葉をサミュエルはこう解釈した。「一回で上手く行くはずもない。そんなことは最初から分かっている。さあ、次だ」と。


(僕は……、僕は見くびられていたのか……!)


 サミュエルはそう解釈した。そしてその解釈は彼にとってきわめて屈辱的だった。「失敗することは最初から分かっていた。一回で成功させるなんて、君には無理だ。そこまで期待していない」。まるでそう言われているかのようだった。


 実際に最初の一撃で討伐しきれなかったことは、もうサミュエルの頭から抜け落ちていた。自分に対する期待の度合いが、自分で思っていたほどに大きくはなかった。彼の頭の中にあるのはそれだけである。


 屈辱的だった。そして怒りが湧き起こる。自分の思い通りにならない全てに対して、彼は怒った。


「ガァア! ガォオ! グルゥガァア!!」


 ベースキャンプの入り口付近で〈キマイラ〉が威嚇の吼え声を上げる。サミュエルは反射的にそちらのほうに視線を向け、そして〈キマイラ〉の姿を見た。傷一つない、まったくの無傷。「お前の攻撃などまったくの無駄だ」と嗤われた気がした。


「あああああああああ!!」


 ヒステリックな叫び声を上げながら、サミュエルは〈キマイラ〉めがけてがむしゃらに駆け出した。周りの騎士たちは驚いて道を開ける。その様子は最初のアタックの時とよく似ていたが、そのことに気づく余裕が彼にはなかった。


「待て、サミュエル君!」


 サミュエルの様子がおかしいことに気が付いたノルギスが制止の声を上げるが、その声はサミュエルには届かなかった。彼の耳に雑音は入らない。彼の目にはもう〈キマイラ〉しか見えていない。


 走りながらサミュエルは〈絶対勝利の剣〉を振り上げる。もったいぶったタメは作らない。いや、そもそもそんな意識すらないのだろう。ありったけの烈を喰わせながら、振り上げた剣をサミュエルは出鱈目に振り下ろす。


「〈絶対……(エクスゥゥゥ)勝利の剣(カリバー)〉!!」


 白銀の暴風が吹き荒れる。威力は先程のものと比べても遜色ないだろう。しかし狙いはいい加減だった。いや、狙い云々の問題ではない。ここで〈絶対勝利の剣〉を放つことそれ自体が大問題だった。


 サミュエルの放った〈絶対勝利の剣〉の一撃は〈キマイラ〉の身体の三分の二ほどを消し飛ばし、さらに近くにあった通路の半分以上を吹き飛ばした。


 そう、ベースキャンプに通じる、唯一の通路。その接続部分の半分以上を。


〈キマイラ〉の絶叫が響き渡る。しかし今度は歓声は上がらなかった。張り詰めた沈黙が、絶望的な沈黙がベースキャンプに圧し掛かった。


 討伐作戦失敗、などという次元の問題ではもはやない。ベースキャンプの崩落、すなわち「全滅」。その二文字がその場にいた全員の脳裏に浮かんだ。


 誰も彼もが言葉を失い、動きを止めた。それは〈絶対勝利の剣〉の一撃を放ったサミュエルも例外ではない。しかしその中で真っ先に動いた人間が二人いた。


「総員退避!!」


 ノルギスが声を上げる。そしてそれとほぼ同時にルクトが〈ゲート〉を三つ開き、そしてそれぞれ適当に散らす。〈プライベート・ルーム〉の中に逃げ込むこと。それが、この場にいる全員が助かる唯一の方法だ。ルクトとノルギスの二人はほとんど本能的にそれを理解し、そのための行動を起こしたのだ。


 半瞬の後、騎士たちは一斉に動き出した。我先にと〈ゲート〉に飛び込んでいく。不幸中の幸いとして、身体の三分の二が消し飛んだ〈キマイラ〉はまだ動ける状態ではない。騎士たちの避難を邪魔する存在はいなかった。


 しかしだからと言ってのんびりしていられる状態ではない。ベースキャンプに繋がる通路の残っていた部分に亀裂が入り、そして次の瞬間、割れて砕けた。ついにベースキャンプを繋ぎ止めておく部分がなくなったのである。


 一瞬の浮遊の後、ベースキャンプがゆっくりと落下を開始した。しかしまだ広場としての形は保っている。落下して、さらに傾いているとはいえまだ足場がしっかりとしているので、騎士たちは〈プライベート・ルーム〉の中に避難することができた。


 しかし全員が避難する前に事態が悪化する。落下していくベースキャンプそのものに、無数の亀裂が入ったのだ。


「退避急げ!!」


 退避を見守っていたノルギスが切羽詰った声を上げる。その隣でルクトは注意深く周囲を見渡し、そしてサミュエルの姿を見つけた。


 サミュエルは自失呆然としていた。力なく亀裂の入った白い床の上に座り込んでいる。目は虚ろで焦点が合っていない。まるで糸の切れた操り人形のように、動く気配がまったくなかった。


「サミュエル!!」


 ルクトはサミュエルに駆け寄った。一歩足を前に踏み出すごとに、白い床から「ピシリ、ピシリ」と細かな破砕音が聞こえてきて、それがルクトを焦らせた。


「こんなところでへたれ込んでるんじゃねぇ!!」


 そう言うが早いか、ルクトは両脇を抱えるようにしてサミュエルを立たせ、そして振り回すようにして放り投げた。そして足をもたれさせ、もう一度座り込みそうになったサミュエルを騎士の一人が抱え上げてそのまま〈ゲート〉の向こうに消えた。


 よし、と内心で一つ頷いたルクトの目の前で、ついにベースキャンプが割れる。五つか六つ程度の欠片に割れたベースキャンプは、欠片の一つ一つが大きかったおかげでまだ元の形を保っている。そのおかげで騎士たちはその大半が〈プライベート・ルーム〉内に避難できていた。


「ルクト君、君も早く!」


「オレは大丈夫です! ノルギスさんこそ早く!」


 ルクトがそう言うと、ノルギスは一瞬躊躇ってから一つ頷き、手近な〈ゲート〉に飛び込んだ。ルクトの場合、自分の近くに〈ゲート〉を開けばすぐにでも飛び込めるので、足場のない宙に投げ出されたとしても大丈夫なのだ。ついでに言えば、シャフトから足を滑らせて落ちたときに、似たような事態を経験済みである。


 大きな欠片がさらに小さな欠片に割れる。いよいよ本格的に崩落だ。ルクトがさすがにそろそろ限界かと思い、自分も避難しようかと思ったその矢先。聞き覚えのある声が彼の耳に届いた。


「ジョシュアアアアアア!!」


 それはルッグナードの声だった。その声が聞こえたほうへルクトは駆け出す。ただし、普通に走れる状態ではもうないので、一歩ごと大きく飛び跳ねながらそちらへ向かう。


 ルクトがルッグナードとジョシュアを視界に捕らえたとき、二人の状況はもう最悪だった。二人の足元は崩落し、もう足場とすべきものが何もない。もはや落ちるしかないその状況で、ルッグナードの目がルクトを見つけた。


「ルクトォオオオオオ!!」


 ルクトの名前を叫びながら、ルッグナードはジョシュアの腕を掴み、そして落下に逆らって投げ上げた。その代償としてルッグナード本人はさらに速く落下していく。もう、どうやっても手遅れだった。


「ルドさん!!」


 返事はない。しかし一瞬だけ目が合い、その瞬間ルッグナードは満足したように笑みを浮かべる。それを見てルクトは逆に泣きそうな顔をした。


 しかし、泣いている暇はない。ルッグナードが命を賭して投げ上げたジョシュアの身体が近くに迫っていた。ただ、手を伸ばしても届かないだろう。しかし問題はない。ルクトは〈ゲート〉を開くとそれを素早く操作して彼の身体が通る軌跡の先においてやる。それに気づいたジョシュアは身体を丸めて〈ゲート〉に潜り込んだ。


 それを確認すると、ルクトは比較的大きな欠片の上に着地し、そしてすぐにまた大きく跳躍した。上から見ると、ベースキャンプはもうほとんど跡形もなかった。そして人影もない。全員避難したか、あるいは崩落に巻き込まれたか。いずれにせよ、助けられる人間はもういなかった。


「グゥウオオオオオ!!」


 今度こそ、ルクトが自分も避難しようと思ったその矢先、〈キマイラ〉の咆哮が下から聞こえた。ルクトが視線を落とすと、〈キマイラ〉が猛然と自分めがけて駆け上がってくる。


「ちょ……!?」


〈ゲート〉を開く暇はなかった。それよりも〈キマイラ〉の方が速かったのだ。大口を開け足に噛み付こうとするその顎を、ルクトは足を抱え込むようにしてかわした。足の指先の触れる位置に、〈キマイラ〉の鼻先がある。


「この……!」


 その鼻先を踏み台にして、ルクトはさらに跳躍した。鼻先を蹴られた〈キマイラ〉はわずかに体勢を崩したが、しかし相手は翼を持つ獣。すぐに体勢を立て直してルクトを追った。


 体勢を大きく崩したのは、むしろルクトの方だった。変な姿勢であり、焦っていたためまっすぐ上に飛べなかったのだ。彼の身体は斜めに飛び上がり、しかも回転して今は頭が下になっている。


 ルクトはいま自分がどんな姿勢なのかまったく把握できない状態だった。かつてない状況でかなり焦っている。〈ゲート〉を開いて〈プライベート・ルーム〉に逃げ込まなければと分かってはいるが、どこに〈ゲート〉を開けばいいのかまったく分からない。


 そんなルクトに〈キマイラ〉が迫る。だが彼はどこから〈キマイラ〉が来るのか、それさえも分からない状態だった。


 万事休すと思われたその瞬間、不意にルクトの身体が持ち上げられて上昇し、〈キマイラ〉の爪が空を切った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ