御伽の国9
さてなにをやらかしただろうか。
武芸科長室、と銘打たれた扉を前にしてルクト・オクスは腕を組み逡巡していた。最近はそう突飛なことはしていない。していないはずだ。もしかしてアレかコレかと浮かんでくるものはあるが、しかしそれらのことで今更呼び出されるのもおかしい。呼び出されるならもっと早く呼び出されているはずだ。
(……というか、ここに来るたびに同じようなことを考えてるなぁ)
ロクでもない事実に到達してルクトは苦笑した。そして苦笑しながら目の前の扉をノックして「ルクト・オクスです」と告げる。すると、すぐに「入れ」と中から声がした。
失礼します、と言ってルクトは入室する。部屋の中にいるのは武芸科長のゼファー・ブレイズソンだけだと思っていたが、彼のほかにもう二名先客がいた。
一人は見知った顔である。同じ武芸科の六年生、サミュエル・ディボンだ。もう一人は知らない顔だった。年の頃は四十の半ばから五十の初め頃といったところか。顔立ちは十人並みだが、にじみ出る雰囲気は洗練されていて重々しい。もしかしたら何かしらの役職についている人かもしれない、とルクトは思った。
「よく来た。まあ、座りなさい」
ゼファーはそう言ってルクトに席を勧めた。ルクトは無言で頷くと、三人掛けのソファーのサミュエルの隣に座る。ちょうどテーブルを挟んだ斜め向かいに、例の見知らぬ男が座っている形だ。
「二人とも揃ったので話を始めさせてもらう。私はノルギス・キンドル。このカーラルヒスで騎士長を務めている者だ」
ルクトがソファーに座ると、見知らぬ男、ノルギスはさっそくそう切り出した。騎士長、と聞いてルクトは内心で納得する反面、怪訝にも思った。騎士長といえば、言うまでもなく騎士団を統べる長だ。場合によっては衛士隊をも丸ごと指揮下に置くことさえある。つまり都市国家カーラルヒスにおいて最も偉い武芸者と言っていいだろう。
その騎士長が、たかだか学生二人に何のようがあるのか。
「まずは二人の名前を確認させて欲しい」
「サミュエル・ディボンです!」
「……ルクト・オクスです」
真っ先に名乗ったのはサミュエルのほうだった。ノルギスが騎士長であると知ったからなのか、彼の目は爛々と輝いている。そんな彼とは対照的にルクトのほうは冷めた様子だった。騎士長という偉い人間が、自分のような学生に一体何の用があるのか。その疑問が真っ先に彼の頭の中を占めていたのだ。
二人が名乗るとノルギスは「うむ」と一つ頷く。そして悠長な前置きをすることもなく、武芸者らしく単刀直入に用件を切り出した。
「君たちも〈不死身のキメラ〉の噂は聞いているな?」
ノルギスの言葉に、サミュエルとルクトは揃って頷いた。今、武術科はその噂で持ちきりだった。
曰く、「翼を持つ獅子で、口から業火を吐く」
曰く、「首を斬りおとされたが、今度は二つ生えてきて今は双頭になっている」
曰く、「驚異的な再生能力を持ち、再生するたびに進化している」
曰く、「モンスターではなく特異体で、誰かが迷宮の中で育てていた」、などなど。
尾ひれがついて大げさになり、もうどこまで本当か分からなくなっているが、それはもう様々なことが噂されている。そしてこれらの噂はカーラルヒス中で流布されており、それは武術科の学生たちも例外ではなかった。
むしろきわめて直接的な影響がある以上、彼らの方が関心は高いと言える。なにしろ〈不死身のキメラ〉のせいで迷宮に潜れないのだ。学生であるせいか、迷宮に潜れないことへの危機感は大人たちに比べて低いが、それでも異常事態であることは明白。時間が余っていることもあり、武術科の学生たちは機会があるごとにそのキメラの話をしていた。
だから当然、意識しなくてもその噂は耳に入ってくる。ましてルクトは友人の父親にしてお世話になっている道場の師範が〈不死身のキメラ〉と戦い、そして死亡(現時点ではまだ行方不明だが)している。因縁のある相手、と言っても過言ではない。
「言うまでもなく、我々はこのキメラを早急に討伐しなければならない」
ノルギスは声に力を込めてそう言い切った。彼の立場上、それは当然のことだろう。そして話がここまでくれば、ノルギスが今日何のようでここに来たのか、ルクトは大雑把に察することができた。
「そしてキメラ討伐のために、君たち二人の力を貸して欲しい」
「喜んで協力します!」
そう即答したのはサミュエルのほうだった。ルクトが呆れ混じりに彼の様子を横目で伺うと、サミュエルは堪えきれない歓喜を全身で表現していた。それを見てルクトはさらに呆れた。いくらなんでも浅はかだろう、と。
「……具体的に何をすればいいの分からないことには、なんとも言えないんですが」
協力する、しないの返答はひとまず避け、ルクトはひとまずそう言った。このノルギスという人物が騎士長であることは間違いないのだろう。そうでなければ、ゼファーが何かしらの訂正を入れているはずである。だから違法なことやあまりにも阿漕なことに力を貸せと言われることは多分ないはずだ。
しかしだからと言って内容も聞かずに協力を約束するのはリスクが大きい。いや、それ以前に不気味だった。なにしろ騎士長直々のお出ましである。なにか裏があるのでは、と勘繰りたくなっても仕方がないだろう。
そんなルクトの内心に気づいているのか、いないのか。ノルギスは顎に手を当てて「ふむ」と一つ頷くと、二人にどんなふうに力を貸して欲しいのかを話し始めた。
「まずルクト君だが、君には君の個人能力〈プライベート・ルーム〉をキメラ討伐のための拠点として使わせて欲しいと思っている」
今回のキメラ討伐作戦には〈魔導甲冑〉を使うつもりだとノルギスは言う。〈魔導甲冑〉は魔装具(武器としての魔導具)であり、使うためには動力が必要になる。多くの魔導具の場合、その動力はカートリッジに充填されており、そのカートリッジを交換しながら使うことになる。そして〈魔導甲冑〉もまたその例に漏れない。
ただ〈魔導甲冑〉に使うカートリッジは決して小さくないし、なにより十分な数を用意しなければならない。使いたいときに動かなくては話にならないのだ。そうなるとカートリッジは荷物になる。さらに、必要な物資はカートリッジだけではない。
キメラ討伐の際には、戦場は迷宮になるだろう。迷宮にそれらの荷物を運び込み、さらに庇いながらキメラと戦うというのは、ちょっと考えただけでも大変だと分かる。作戦を成功させる上では、大きなリスクになるだろう。
そこで〈プライベート・ルーム〉の出番だ。ここにすべての物資を積み込んでおけば、騎士たちは荷物を気にすることなく身軽な状態で戦うことができる。さらに持っていく荷物の量を気にする必要がない。
そしてなにより、〈プライベート・ルーム〉の中は安全圏だ。いつキメラと遭遇するのか分からない以上、討伐するには遠征を覚悟しなければならない。その場合、安全に休める場所というのは何よりもありがたいのだ。
これらのことを考えると、〈プライベート・ルーム〉は討伐作戦における拠点としてうってつけの能力と言える。戦闘以外の難易度がグンと下がるのだ。騎士団が協力を要請したいと思っても不思議はない。その要請のために騎士長本人が出向いてくるとは思っても見なかったが。
「そしてサミュエル君。君にはアタッカーとして討伐の中核を担ってもらいたいと期待している」
ノルギスがそう言った瞬間、サミュエルが色めき立つのをルクトは感じた。ソワソワしているその振動が隣に座っている彼にも伝わってくるのだ。ノルギスがまだ話しているので抑えているようだが、今にも歓声を上げそうな様子だった。
ノルギスは言う。〈不死身のキメラ〉はその二つ名通りに驚異的な再生能力を持っている。よってこのキメラを倒すためには、一撃で勝負を決める必要がある。しかし首を斬りおとしても倒せなかったキメラだ。並大抵の攻撃では効果がない。そこで今のカーラルヒスで用意しうる最大の火力を用いることになり、〈絶対勝利の剣〉を持つサミュエルに白羽の矢が立ったのだ。
「正直に言ってどの程度までやれば倒せるのか、倒したことになるのか、はっきりしたことは我々にも分からない」
最悪、全身を塵すら残さずに消滅させる必要さえあるかもしれない。しかしそれは容易なことではない。少なくとも、騎士団が所有するどんな魔装具を使っても無理だろう。
「だからこそ、それが可能と考えられるだけの火力を持つサミュエル君には、ぜひとも討伐作戦に協力してもらいたい」
「やりますっ! いえ、是非やらせて下さい!!」
とうとうサミュエルは立ち上がった。彼の顔には輝くばかりの笑みが浮かんでいる。身体が小刻みに震えているのは、歓喜かはたまた武者震いか。
「うむ。よろしく頼む」
サミュエルの返答を聞いて、ノルギスは満足したというよりは安心した様子で一つ頷きそう言った。彼も言っていた通り、サミュエルの〈絶対勝利の剣〉は討伐作戦の要だ。これがなければキメラを倒す見通しすら立てられない。だからサミュエルの協力は必須事項だったのだが、これで一つ課題をクリアしたというわけだ。
「それで、ルクト君はどうかな?」
もちろん相応の報酬は支払おう、とノルギスは言った。それを聞いてルクトは苦笑する。騎士団でも自分は守銭奴で通っているのだろうか。まあ、報酬を受け取るのは当然の権利だからそんなことはないと思うのだが。
「……ちなみに、拒否権ってあるんですかね?」
ルクトがそう尋ねると、ノルギスは眉間にシワを寄せた。とはいえ、ルクトの言葉に反応したのは彼ではなくサミュエルのほうだった。
「ルクト! まさか協力しない気か!?」
驚くと言うよりも、むしろ責めるような口調でサミュエルはそう言った。しかしルクトはそれに答えない。答えても、恐らく不毛なケンカになるだけだろう。その代わり、彼はじっとノルギスの顔を見つめた。
「……協力できないというのであれば、それはそれで構わない」
数秒の沈黙の後、ノルギスはそう答えた。そして「その場合、何らかのペナルティーをかすこともない」と断言した。
それを聞いてルクトは少し意外な、肩透かしをくらったような気分になった。公権力側の人間が、しかも騎士長という立場の人間がわざわざ出向いてきて“協力”を要請してきたのだ。それはもうほとんど“命令”と言ってもいいだろう。少なくとも、そういうふうに取る人間の方が多いはずだ。
しかしノルギスは「協力できないならそれで構わない」と言う。てっきり都市外退去でもチラつかせるではないかルクトはと思っていたが、随分と穏当な対応である。
「君たちは留学生で、カーラルヒスの住民ではない。この都市が滅ぶとしても、君たちには故郷に帰るという選択肢がある」
ルクトの内心を察したのか、ノルギスは苦笑を滲ませた声でそう言った。そしてさらにこう続ける。
「君たちにはこの都市のために戦う義務も義理もないだろう。だから、重ねて言うが、協力できない、したくないと言うのであれば、それはそれで構わない」
このキメラはカーラルヒスの問題だ。だから本来であれば、カーラルヒスが自分の力だけで解決すべき問題なのだ。その問題のために留学生であるルクトとサミュエルに命を賭けろというのは筋が通らない。
だが、ルクトとサミュエルが討伐作戦のために得難いものを持っているのも事実。そしてノルギスの立場からすれば、この討伐作戦は是が非でも成功させなければならない。だからこそ、彼は「しかし」と言って言葉を続けた。
「……しかし、もし君たちがカーラルヒスに良い思い出を一つでも持っているのなら、この場所を惜しんでくれるのなら、ぜひ力を貸して欲しい」
そう言ってノルギスは静かに頭を下げた。それを見た瞬間、ルクトはノルギスが直接こうして協力を頼みに来た理由が分かった気がした。これは彼なりの誠意だったのだ。カーラルヒスの住民ではない、極端なことをいえばこの都市が滅んだって痛くも痒くもない留学生から協力を取り付けるための、作戦責任者としての誠意なのだろう。
(やられたなぁ……)
心の中でルクトはそう苦笑する。しかしその言葉とは裏腹に、とても清々しい気持ちだった。こういう人間には協力のしがいがある。そう思ってしまうのは、あるいはルクトの性質なのかもしれない。
「……分かりました。協力させてもらいます」
「感謝する」
そう言ってノルギスは、やはり安心したような表情を見せた。そんな彼を見て、少しからかうような声が響く。今まで黙って見守っていたゼファーだ。
「ふふふ、大人になったな、ノルギス」
「勘弁してくださいよ、先生」
そんな実に学園らしい会話で、武芸科長室の空気は一気に弛緩した。そういえばノルギスもここの卒業生で、そういう意味では先輩になるんだな、とある意味で当然のことにルクトはようやく気が付いた。
その後すぐ、ノルギスは「作戦の準備があるので」と言って足早に武芸科長室を後にした。二人に何か用がある場合には、ゼファーを通して教えてくれるそうだ。
ノルギスが帰ると、特にもう用事もないのでルクトとサミュエルの二人もゼファーに一礼してから部屋を出た。部屋から出ると、サミュエルはすぐに興奮したようでどこかに行ってしまう。大方、タニアあたりを探しに行ったのだろう。
そんな同級生の背中を苦笑気味に見送りながら、ルクトは寮の方に足を向ける。サミュエルとは違い、彼の表情は若干厳しい。それは今回のキメラの騒動について多少の心当たりがあるからだった。
寮の自室である403号室に入ると、ルクトは〈プライベート・ルーム〉の中から保管しておいた“黒い石”を取ってくる。そしてそれを躊躇うことなく砕いた。
「…………ルクトか。どうかしたのかえ?」
簡単に砕けた“黒い石”は宙で渦を巻くようにして一つにまとまり、そして“黒い鳥”になった。そしてその“黒い鳥”からメリアージュの声が響く。
「ちょっと、話しておきたいことがあってね」
ルクトがそう言うとメリアージュは「ふむ?」と言って続きを促した。
「実はカーラルヒスの迷宮にキメラが現れた」
「ふむ、キメラか。しかしこうして連絡を寄越したと言うことは、ただのキメラではないのじゃろう?」
ルクトは頷いた。そしてノルギスから聞いたことを掻い摘んでメリアージュに話す。彼とてすべてのことを知っているわけではないが、それでも〈不死身のキメラ〉の異常性は伝わったはずだ。
「なるほどのう……。驚異的な再生能力、か……」
そう言ってメリアージュは黙り込んだ。“黒い鳥”の向こう側からは、彼女の考え込む気配が伝わってくる。
「……キメラと聞いて、真っ先に〈御伽噺〉を思い浮かべた」
苦い口調でルクトはそう言った。最初に会ったとき、彼は「キメラを合成した」と話していた。〈不死身のキメラ〉の話を聞いたとき、ルクトはそのことを思い出したのだ。ただ、それだけであれば考え過ぎと思ったかもしれない。しかし彼は〈御伽噺〉と遭遇している。それだけにこれは無視し得ない可能性だった。
「この一件に〈御伽噺〉が関わっている。おぬしはそう思っておるわけじゃな?」
「妄想もいいところだけどね……」
妄想で済んでくれることを真剣に願いながら、ルクトはそう言った。しかし妄想で済まなければ事態は非常に深刻だ。冗談抜きに、このカーラルヒスは滅ぶかもしれない。そう思ったからこそ、ルクトはこうしてメリアージュに連絡を入れたのだ。
「……そのキメラの討伐作戦、おぬしも参加するのかえ?」
「うん、協力要請が来た。参加するつもりだ」
ルクトがそう答えると、メリアージュは数秒の間黙り込んだ。そしてしばらくしてから「理由を言ってみよ」とルクトに言った。
「ここ、結構好きだからね。〈御伽噺〉が好き勝手するのは、ちょっと我慢ならない」
「……そうかえ」
ルクトの答えを聞いて、メリアージュはそう言った。その声に少しだけ諦めが混じっていたように聞こえたが、あるいはルクトの聞き間違いかもしれない。
「……仮に今回の一件が〈御伽噺〉の仕業だとしたら、奴は観察に徹するはずじゃ」
アレはそういう奴だから、とメリアージュは言う。
「だから、奴のことはひとまず忘れて今はキメラに集中せよ」
メリアージュの言葉にルクトは真剣な面持ちで頷いた。なんにせよ、キメラを討伐しなければならないことに変わりはない。〈御伽噺〉が観察に徹して手を出さないと言うのであれば、それはむしろ僥倖だ。
「無茶をするでないぞ」
その言葉にルクトはやはり頷いた。しかしメリアージュはと言うと、「きっと守らないのであろうな」と内心で苦笑するのだった。
▽▲▽▲▽▲▽
ルクトとの通信を終えると、メリアージュは顎に手を当ててその端正な顔を珍しく苦々しげに歪ませた。〈御伽噺〉がかかわっているとしても、ルクトたちが件のキメラと戦っている間、彼は決して手を出さないだろう。その確信が彼女の中で揺らぐことはない。なぜなら手を出してしまっては実験にならないからだ。
(しかし……)
しかしそうは言っても、メリアージュの懸念は消えない。〈御伽噺〉が合成したキメラとなれば、尋常な相手であろうはずがない。そんな化け物をカーラルヒスの戦力で討伐可能なのか。
これがヴェミスであれば、メリアージュが表立って動くこともできただろう。彼女はヴェミスでそれだけの発言力を持っている。実際、メリアージュにその気さえあれば騎士団を含めヴェミスのすべての武芸者を率いることさえ可能だ。彼女にはそれだけの能力とカリスマ性がある。
しかしカーラルヒスではそうもいかない。彼女は作戦に口を出せる立場にないのだ。実力にもの言わせればあるいは可能かもしれないが、それでは作戦自体が上手くいくか危ぶまれるだろう。
しかしだからと言って何もしないでいるには、〈御伽噺〉は危険すぎる。たとえその気配だけだとしても、だ。
「保険をかけておくとするか……」
鋭い目つきのまま、メリアージュはそう呟いて立ち上がった。
今回はここまでです。
続きは気長にお待ちください。