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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十二話 御伽の国

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御伽の国8


「では、君たちが交戦した〈キメラ〉は、首を刎ねたにもかかわらず新たな首が生えてきたと、そう言うのだな?」


「そうです」


「とても信じられん……」


 リヒターの返答を聞くと、都市国家カーラルヒスの〈騎士〉を束ねる騎士長ノルギス・キンドルは軽く頭を振りながら呻くようにしてそう言った。今彼らが話しているのは、つい先日カーラルヒスの迷宮(ダンジョン)に現れたキメラ、巷では〈不死身のキメラ〉などと呼ばれている特異体についてである。


 このキメラが、今カーラルヒスでは大きな問題になっている。いや、言いなおそう。死活問題になっている。


 このキメラは、実はそれほど強い固体ではない。致命傷を負わせるだけならば、比較的簡単だ。だが致命傷を負わせても、このキメラは死なない。それどころか瞬く間に回復してしまう。どれだけ攻撃しても倒せないのだ。付いた二つ名が〈不死身のキメラ〉。まったく忌々しく不吉な名だとリヒターは思う。


 この〈不死身のキメラ〉がカーラルヒスの迷宮に居座っている。そして、そのためにカーラルヒスのハンターたちは迷宮に潜ることが出来なくなっていた。なにしろ〈不死身のキメラ〉に襲われたら勝ち目がないのだ。


 一時間か二時間程度ならば見つからずにいられるかもしれない。しかしそれではまともな遠征はできない。そして三、四日続けて潜れば、それだけ見つかる危険性は増す。実際これまでに遠征中のパーティーが三つ襲われた。彼らはみな荷物を放棄して撤退し、中には死者がでたパーティーもあった。


 このような状況の中、ハンターたちは萎縮するようになった。なにしろ遠征をしても稼ぎにならず、しかも命の危険すらある。迷宮に潜るハンターの数は激減した。


 迷宮攻略が滞れば、その影響はすぐに現れる。すなわち、迷宮から供給される物資の不足と値段の高騰だ。いや、今はまだ不足と高騰で済んでいると言うべきだろう。この状況が続けば遠からず物資は枯渇する。その時、都市国家カーラルヒスは滅ぶだろう。ゆえにこれは「死活問題」なのだ。


 この事態を都市国家政府が座して見ているだけのはずがない。なんとしてもこの事態を打開しなければならない。そして、その方策だけならば誰でも思いつく。すなわち、「キメラの討伐」である。そしてこの討伐作戦の全権を任されたのが、カーラルヒス騎士団騎士長ノルギス・キンドルなのだ。


 そして今日、リヒターはキメラと交戦した経験者として所属ギルドのマスターと一緒にノルギスのもとを訪れたのだ。その経験を話し、作戦の立案に役立てるためである。


 リヒターが話をしている最中、ノルギスは途中で質問を差し挟むことなく黙って聞いていた。そして今、丁度話が終わったところである。リヒターの話を聞いたノルギスは、その非常識な内容をすぐには信じられない様子だった。


 ノルギスの反応を見て、リヒターは無理もないと思った。彼とて、実際に戦ったうちの一人でなければタチの悪い冗談だと思っただろう。しかし当事者の一人として、この話はなんとしても信じてもらわなければならない。敵を過小評価していては、討伐することはできない。


「信じられん……。しかし、君たちが戦ったキメラ、エントランスで目撃されたキメラ、そしてベースキャンプで確認されたキメラ。この三体は皆同じ特徴を持っている……」


 三つ目で翼を持つ獅子。そして驚異的な再生能力。それらの特徴は複数のところから報告されている。それはつまり、この三体のキメラが同一の個体である可能性が非常に高い、ということだ。そしてノルギスのなかではすでに同一の個体であるという結論が出されているに違いない。


「ご苦労だった。話を聞かせてくれたこと、感謝する」


 ノルギスはイスの背もたれから身体を起こすと、リヒターらにそう告げた。リヒターとギルドマスターはソファーから立ち上がると、ノルギスに一礼して部屋から退出する。


「……ああ、最後にいいか?」


 部屋から出ようとするリヒターを、ノルギスは思い付いたかのように呼び止めた。そして「なんでしょうか?」と言って振り返った彼にこう尋ねた。


「例のキメラ、どうすれば倒せると思う?」


 交戦経験者としての意見を聞きたい、とノルギスは言った。リヒターは「そうですね……」と言って少しの時間考え込む。彼の脳裏であの時の戦闘が繰り返される。ややあってから彼は口を開いた。


「…………どの程度以上ならば再生できないのか分からない以上、用意しうる最大火力をぶつける以外にないでしょう」


 そして、できることならば一撃で跡形も残さずに消滅させる。塵すら残さずに消滅させれば、さすがにその状態から再生することはないだろう。逆にこれで再生するようならば、もはや倒しようはない。少なくとも迷宮のなかでは。倒す以外の、何か別の方策を考えなければならないだろう。


「なるほど。ありがとう、参考になった」


 ノルギスがそう言うと、リヒターとギルドマスターは一礼してから今度こそ部屋を出た。やはり例のキメラのせいなのか、建物の中は空気が重い。そのせいか二人とも外に出るまでは無言だった。


「……そういえば、マーシャルの具合はどうだ?」


 建物の外に出て一つ息を吐くと、ギルドマスターはリヒターに負傷したパーティーメンバーの具合を尋ねた。


「経過は順調です。ただ、まだ本格的に動くことはできませんが」


「そうか……。まあ、動けたとしてもこの状況では、な……」


 その言葉にリヒターは苦い表情で頷いた。万全の体調のハンターたちが、しかし〈不死身のキメラ〉のせいで迷宮に潜れずにいる。遠征ができないという一点を見れば、負傷してベッドの上にいようが大きな差はない。


「マーシャルが復帰するまでに、なんとか事態が好転していればな……」


 その言葉にも、リヒターは頷きを返した。実際のところ、復帰するまでといわず直にでも好転して欲しいところだ。


「……それで、ウォロジスのご家族のことだが……」


 少し言いにくそうにして、ギルドマスターはその話題を口にした。もしかするとマーシャルのことは話の取っ掛かりだったのかもしれない。もちろんギルドのメンバーとして気にしてはいるのだろうが。


「……先日、娘さんに話をしてきました」


「そうか……」


 二人の間に沈痛な沈黙が流れた。ハンターとして働く以上、命の危険はいつもある。だからと言って人の死になれることはできなかった。いや、慣れたくなどないとリヒターは思う。


 厳密に言うならば、ウォロジスはまだ「死んで」いない。だれも彼の遺体を確認していないからだ。だからウォロジスはまだ「行方不明」ということになっている。そして迷宮の中で行方不明になって一ヶ月間音沙汰がないと死亡したとして扱われるのだ。


 ただ実際問題として、生存は絶望的だ。まだ死亡扱いはされないし誰も「死んだ」とは口にしないが、しかしみんな心のなかでは分かっている。もう彼はいないのだ、と。だからこそ、やるせない。


「嫌な役回りをさせたな……」


「いえ、これは私の責任です」


 確かに嫌な仕事だった。娘に父が(恐らくは)死んだことを伝えるのは。しかしそれは絶対にやらなければならないことだった。それがパーティーリーダーの責任なのだ。

 上手くできたという自信はない。その時のことを思い出し、リヒターは苦いため息をついた。



▽▲▽▲▽▲▽



 リヒターの目の前には、二人の少女がいる。一人はクルーネベル・ラトージュと言い、彼のパーティーメンバーであるウォロジスの一人娘だ。そしてもう一人はラキア・カストレイアと名乗った少女で、この家に下宿して練気法の鍛錬に励んでいるという。


 リヒターが、用があるのはクルルのほうだ。それでお茶を出したラキアは下がろうとしたのだが、クルルが同席を求めたのだ。「ウォロジスさんについてお話しなければいけないことがある」と聞いた時点で、不吉な予感を覚えていたのだろう。クルルの顔は不安に染まっていた。


 出されたお茶を、リヒターは一口啜る。正直、味は分からなかった。


「あの……、それでリヒターさん、父はどうしたんでしょうか?」


 沈黙がかき立てる不安に耐え切れなくなったのか、クルルが胸の前で手を組みながら今にも泣きそうな様子でそう尋ねた。彼女のその様子を、リヒターは嗤うことができない。彼とて、内心ではこの場から逃げ出したいのだ。表面上の平静を保っているのは強がりに過ぎない。


「……落ち着いて聞いて下さい。先日の遠征の途中、我々はとあるキメラと交戦しました」


 リヒターは語る。その時の戦いと、その顛末を。ウォロジスが〈不死身のキメラ〉を相手に殿をしてくれたことを、彼の一人娘に話すのだ。


 あまりにも情けなく、そして申し訳なかった。恥も外聞もなくただひたすらに謝りたい気分だったが、リヒターはそれを抑えなるべく詳細に自分が見たウォロジスの最後を語った。クルルにはそれを知る権利があり、そして自分にはそれを話す義務がある。リヒターは自分にそう言い聞かせた。


「…………!」


 殿のことを話すと、クルルは息を呑んで言葉を失った。顔面は血の気が引いて蒼白である。寒いわけでもないのに彼女の身体は震え、そのせいで少しだけ歯が鳴った。隣に座っていたラキアが心配そうな顔をしてクルルの身体を抱き寄せる。友人に縋り付くようにしながら、クルルはなんとか最後までリヒターの話を聞いた。


(気丈な娘さんだ……)


 そう思い、リヒターは素直に感心した。これだけ動揺しながらもしかし取り乱すことなく、さらには涙さえ見せない。彼女はやはり武芸者の娘だ、とリヒターは思った。


「とはいえ、まだ“行方不明”です。死亡が確認されたわけではありません」


 最後にそう付け加える自分に、リヒターは腹が立った。それはありもしないまやかしの希望。それも、まやかしと分かりきっている希望だ。そんなものを口にすると、まるでウォロジスの死を穢しているような気がした。


「あの、リヒターさん……」


 友人に支えられたまま、クルルは小さな声でそう言った。リヒターは「何でしょうか」と言って、途切れてしまった言葉の続きを促す。


「…………父は……、父、は…………」


 そこから先が、出てこない。何を聞いたらいいのか分からないのではない。聞きたいことが言葉にならないのだ、とリヒターは感じた。


「……ウォロジスはかけがえのない戦友です」


 リヒターはそう言った。それがクルルの聞きたかった言葉なのかは分からない。ただ、嘘偽りのない言葉だ。そしてそう言ってからリヒターは立ち上がり、クルルに向かって深々と頭を下げた。


「この度は、本当に申し訳ありませんでした」


 しばしの沈黙。その間、リヒターは頭を下げ続けた。どんな罵倒や恨みの言葉であっても甘んじて受ける覚悟だったが、ややあってから聞こえてきたクルルの声は落ち着いていた。


「……頭を、上げてください」


「ですが……」


「父は、リヒターさんの戦友だったのでしょう?」


 そう言われてしまうと、リヒターはもう何も言えなかった。無言で頭を下げたまま、さらに深く頭を下げる。


 戦友のためであれば命を懸けるのは当たり前。むしろそれくらいの信頼関係がなければ、一緒にパーティーを組んで遠征などできない。


 そう考えているハンターは決して少なくない。リヒター自身はそこまでパーティーに強固な信頼関係を求めているわけではないが、しかしそれが理想だとは思っている。その理想を、戦友の娘が口にした。そのことにリヒターは胸が熱くなるのを感じた。


 リヒターが帰ると、クルルはラキアに「少し一人になりたい」と言った。正直、今の彼女を一人にするのは不安だったが、「大丈夫だから」と言われラキアはしぶしぶ頷いた。


 自分の部屋に入るクルルを見送ると、ラキアは家を飛び出した。集気法にもの言わせて疾走し、向かった先はノートルベル学園の男子寮。そこでルクトを呼び出し、さらにロイを呼んで来てもらう。


 ロイがやって来ると、ラキアはリヒターから聞いた事情をほとんどそのままロイに話した。話を聞くうちに、彼の顔はみるみる強張っていく。


「それで、クルルは?」


 ラキアの話を聞き終えるや否や、ロイはそう尋ねた。いつも浮かべている微笑は、今は影を潜めている。彼の顔に浮かんでいるのは、分かりやすい動揺だ。


「一人になりたいと言って、部屋に……」


「行け、ロイ」


 一緒に話を聞いていたルクトは、ほとんど命令するように友人にそう言った。一瞬の逡巡の後、ロイは頷くとすぐに駆け出した。


 集気法を駆使して全力で走るが、それでもロイには遅く感じられて仕方がなかった。できることならば一瞬のうちに飛んでいきたい。


 我武者羅な全力疾走はいとも簡単にロイの呼吸を乱し、彼の喉の奥はかき裂かれるような痛みを訴える。しかし彼は足を止めることなく走り続けた。


「クルル!!」


 やがてたどり着いたクルルの家。玄関から声をかけても返事はない。端から予想していたのだろう、ロイはすぐに家の中に入った。もはや勝手知ったる他人の家。ロイは迷うことなくクルルの部屋へと向かい、ノックすらせずにそのドアを開けた。


「ロイ……、さん……?」


 部屋の真ん中に座り込んでいたクルルが、首を回してロイのほうを見る。そして涙が溢れてきて、彼女の目の端に溜まった。


「…………お父さんが、死んじゃいましたよ…………」


 クルルの声は、泣き声ではなかった。しかしだからこそ、生々しいまでに痛々しい。まるで五腎六腑に針を仕込まれるかのような、身体の内側を突き刺すかのような痛みだ。いっそ泣きじゃくってしまえばその痛みも和らぐだろう。しかし、クルルは強い。そして強いからこそ、苦しくて、痛い。


 もうわけも分からず、ロイはクルルを抱きしめていた。クルルは一瞬呆けるが、自分がロイの腕の中にいることに気づくと弱々しく彼の身体を押しのけようとして抵抗する。


「いや……、ダメ……。放して、ください……!」


 しかしロイは放さない。むしろさらに力を込めて痛いほど強くクルルを抱きしめた。ここで放してはいけない。理屈ではなく本能でそれを悟っていた。


「そん、な……。わたし、そんな……、優しく、されたら……」


 ――――泣いちゃう。


「泣いていい! 泣いていいんだよっ!!」


 クルルを抱きしめる腕にさらに力を入れながら、ほとんど叫ぶようにしてロイはそう言った。その途端、クルルの抵抗がなくなった。そして嗚咽が洩れ始めた。


「うぅううぁぁあああぁあああああ!!!」


 やがて嗚咽は絶叫へと変わる。ロイは腕の力を緩めるとクルルの頭を胸にうずめ、彼女が涙を流す間ずっとその背中をさすり続けた。


「……わたし、一人ぼっちになっちゃいました……」


「僕がいる。僕がずっと傍にいる」


 ロイがそういうと、クルルはまた声を上げて泣いた。泣いて、泣いて、泣き続け、そしてそのまま眠りに落ちた。ロイは穏やかなクルルの寝顔に少しだけ安心する。せめて穏やかな夢を願い彼女の頭を一、二度撫でると、ロイは開けっ放しになっていたドアのほうに視線を向けた。


「ラキア、ルクト。いるんだろう?」


 ロイの声に反応して、ルクトとラキアが姿を見せた。彼らに手伝ってもらい、ロイはクルルをベッドに寝かせた。


「……今日はもう帰るよ」


 ラキアに後のことを頼んでロイはそう言った。彼の言葉にラキアは頷く。正直、ラキアはロイが「泊まる」と言い出すのではないかと思っていたのでそれを聞いて安心した。まあ、その場合は蹴り出してでも帰らせるつもりだったが。


「クルルのこと、頼んだ。明日また来るよ」


「任せておけ」


 ラキアは覚悟を決めて頷いた。正直こういう時に何をすべきなのか、彼女には分からない。ヴェミスにいたとき、カストレイア流道場の門下生が遠征で命を落としたことはあったが、その門下生はもちろん家族ではなかったし、対応も父や次兄が全てやっていた。はっきり言って、経験不足で何も分からない状態だ。


 しかし、そんなラキアでもただ一つ分かっていることがある。それは、今クルルを一人にしてはいけないと言うことだ。なにができなくても傍にいることはできる。だからどれだけ辛くても傍にいようとラキアは思った。クルルはもっと辛いはずだから。


「……他の四人にも教えたほうが良いよな?」


「あ~、そうだねぇ……。じゃあ、ルーシェのほう頼んでいいかな? 寮にいるメンバーには僕のほうから伝えるから」


 クルルの家からの帰り道、ルクトとロイはそれだけ言葉を交わすと、その後はずっとお互いに無言だった。頭の中ではグルグルと色々な考えが浮かんでは消えていくのだが、そのどれもが言葉にならない。


 当事者ではないせいか、現実感がなかった。そのせいか悲しいという気持ちは沸いてこず、涙もまた出てこない。そのくせ、まるで石が鎮座しているかのようにお腹の中が重苦しい。「死」というものを身近に感じるということは、あるいはこういうことなのかもしれない。ルクトはそう思った。


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