御伽の国7
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~あらすじ~
カーラルヒスにキメラが現れた。そのキメラは驚異的な再生能力を持っていた。そのキメラと戦ったウォロジスはパーティーメンバーを逃がすため、殿として残った。
キメラが飛び立った地底湖に、二人の男が降り立った。〈御伽噺〉と〈シャドー・レイヴン〉である。〈御伽噺〉が地底湖を覗き込むと、その水は赤く染まって凍りついている。先ほどまでキメラと戦っていた男の仕業だ。
「氷漬けにして動きを封じるとはね……。ふふ、それは考えていなかったよ」
楽しげに、そしてどこか賞賛するように〈御伽噺〉はそう言って笑った。どんなものであろうとも、彼は自分の思考と予想を超えるものを喜びそして尊ぶ。もはやそれを愛していると言ってもいい。それが結果的に失敗したとしても、だ。だからキメラが凍りついたとき、彼は大いに興奮した。「まさかそんな手でくるとは!」と手を叩いて喜んだのだ。
「惜しかったね、名も知らぬ戦士君」
そう言って〈御伽噺〉は背後を振り返った。そこにはキメラによって無残にもかき裂かれた死体がある。それはさっきまでキメラと戦い、そして一時は氷漬けにして動きを封じた男。〈御伽噺〉は知らないが、ウォロジス・ラトージュという名の男の遺体である。
ウォロジスの亡骸を見下ろす〈御伽噺〉の視線に、侮辱や侮蔑は一切混じっていなかった。そこにあるのは、ある種の愛惜である。
この男がキメラを氷漬けにして動きを封じたとき、〈御伽噺〉は嘘偽りなくそれを賞賛した。それだけでなく、彼がこのまま無事に帰還できればいいとさえ思っていた。その感情は、実験と称してキメラを放ったことと矛盾する。しかし矛盾してなお、彼はそれでも良いと思ったのだ。
キメラとこの男(つまりウォロジス)がまともにぶつかり合えば、さしたる障害もなくキメラが勝つことは〈御伽噺〉にとって分かりきったことだった。そして分かりきったことは、なにも面白くない。一+一が二になったからといって感動を覚える人間はいないだろう。当たり前すぎてつまらないのだ。
だがウォロジスは〈御伽噺〉の予想を裏切った。予想外の進展を見せる事態。それは〈御伽噺〉にとって、とてもとても楽しいことだったのだ。
特に、彼がキメラを倒すことではなく封じ込めることを狙ったのは〈御伽噺〉好みだった。一度キメラの再生能力を目の当たりにしているとはいえ、普通そこまですぐに戦術を変えることはできない。並みのハンターであれば効果がないと分かっている攻撃を繰り返し、そしてなにもできずに死んでいただろう。
どこまで予想が外れるのか。〈御伽噺〉にはとても強い興味があった。最終的には予想通りの結果になってしまったが、それはそれでよいと彼は思っている。あのキメラの思いがけない強靭さを見ることができた。それは実験として大いに意味がある。
だから〈御伽噺〉はこの死んでしまった男に感謝していた。予想を超える奮闘を見せてくれたこと。そして貴重なデータを取らせてくれたこと。それは彼にとって十分感謝に値することだった。もっとも、感謝すべきその男は死んでしまっているが。
「……レイヴン、この地底湖を落としてくれ」
「構いませんが……、意味がありますか?」
「戦士の遺骸は晒すものではない。そうだろう?」
そう言ってから〈御伽噺〉は地底湖の入り口のほうに向かって歩き、そしてウォロジスの遺体に背を向けるようにして立ち止まった。そしてそんな彼のすぐ後ろで、〈シャドー・レイヴン〉が迷宮の通路に向けて手刀を振るう。そこから放たれた烈の刃は白い通路を紙切れのように切り裂き、そして支えを失った地底湖は一瞬の浮遊の後落下していった。ウォロジスの遺体と共に。
数秒の間、〈御伽噺〉は目を瞑り黙祷を捧げた。キメラと戦ったあの男は、そうするに値する戦士だった。
そして〈御伽噺〉は目を開ける。その時にはもう、いつもの彼だった。
「さあ、レイヴン。観測を続けよう。次は一体、なにが見られるんだろうね?」
〈御伽噺〉の実験は続く。ここはまさに、御伽の国。
▽▲▽▲▽▲▽
サミュエル・ディボンにとって、ここ最近の迷宮攻略は決して満足のいくものではなかった。彼のパーティーは一度九階層まで到達している。ペースも速く、このまま行けば〈エリート〉になれる、という状況だった。何もかもが順調だった、と言っていいだろう。
しかし事態はそのまま進んではくれなかった。深く潜るごとに威力を増していったサミュエルの個人能力〈絶対勝利の剣〉は、ついに迷宮の通路を崩落させてしまう。進むべき道がなくなっては、もう遠征どころの話ではなかった。
サミュエルに〈絶対勝利の剣〉を制御できるようになってもらうしかない。その結論が出るのは早かった。しかしそうそう上手くはいかないもので、今日この日に至るまで、サミュエルは自分の能力を制御できるようになっていない。
もちろん、サミュエルだって制御できるようになりたい。しかしそのための訓練すら出来ていないのが現状だった。
そのため、〈絶対勝利の剣〉は使用禁止になった。厳密に言えば〈剣〉としての〈絶対勝利の剣〉は使ってもいいのだが、その能力である強力無比な一撃は使用禁止である。そしてこれを破った場合、サミュエルはパーティーの中に、いや迷宮の中に居場所を失うことになるだろう。それは彼にとって到底受け入れられないことだった。
だからサミュエルは〈絶対勝利の剣〉の一撃を使わず、闘術だけで戦っている。しかしその影響は攻略のスピードに如実にあわられ、一時期の彼らは八階層に到達するのが精一杯だった。
さらにその後、パーティー内でのゴタゴタもあって攻略自体が停滞した時期もあった。あわやパーティー解散かと言う瀬戸際までいったが、サミュエルら六人はともかく同じメンバーで攻略を続けている。
さて、前述したとおりサミュエルにとってここ最近の迷宮攻略は決して満足できるものではなかった。それはやはり、彼が全力を出し切れていないことに原因がある。〈絶対勝利の剣〉さえ使えればと、どうしても思ってしまうのだ。
――――〈絶対勝利の剣〉。
その美しい装飾が施された荘厳な両手持ちの剣は、サミュエルの誇りだった。どんな敵であろうとも一撃でなぎ倒す〈絶対勝利の剣〉は、まさしく絶対の勝利を彼に与えてくれる剣だったのである。
その自慢の剣を、今のサミュエルは十全に振るうことができない。それが彼にはたまらなく不満だった。
もちろん全力で振るったらどうなるのか、それはサミュエル自身にも分かっている。制御することができず、また迷宮の通路を崩落させてしまうだろう。それはまずい。ともすればハンターとしての道を閉ざされてしまうことにもなりかねない。だからこそ、彼はまだ我慢することができていた。
しかしその一方で遠征は思うように進まない。最近ようやくまた九階層までいけるようになったが、逆を言えばそこへ到達するだけで精一杯。今回もまた九階層(正確にはそう思われる場所)で二回ほど戦闘をしたところで時間切れになった。目指す十階層はまだまだ遠いと言わざるを得ないだろう。十階層を目前にしていた以前のレベルには、まだ戻っていないのだ。
同級生の半数以上はすでに十階層まで到達している。なかには、例えばロイニクス・ハーバンらのパーティーのようにすでに実技要件を達成している者たちもいる。そういう情報は意識しなくても耳に入ってきて、それがサミュエルを焦らせた。
サミュエルは自分が優秀で特別だと自負している。そして今まではその自負に見合うだけの結果を残してきた。それが今や、全体からみても遅れたグループになってしまった。そのことに彼は鬱屈とした感情を持っていた。
「メンバーの奴らが無能なんだ!」
そう言って周りを非難することは簡単だった。しかし客観的事実として〈絶対勝利の剣〉が使えなくなってから彼らのパーティーの攻略は滞っている。その事実を認めれば最大の責任はサミュエル本人にあることになるだろう。そして突き詰めて言えば、それは彼が未熟であると言うことだった。
それを認めることは、サミュエルにとっては難しかった。なぜなら彼は、自分は優秀で特別だと自負しているからだ。自分が未熟であることなど、到底受け入れられない。しかしそれを認めなければ、それは同時に〈絶対勝利の剣〉が特別ではないことになってしまう。それもまたサミュエルにとっては受け入れられないことだった。
一方を立てれば他方が立たず。なんともまあ、面白くなかった。そしてなにより、思うように活躍できないことが一番面白くない。輝くような笑顔で彼女から「すごいよ!」と言ってもらえていたあの頃と比べると、何もかもが上手くいっていない。あの日から、サミュエルの日々は色あせたままだった。
唯一救いがあるとすれば、それは攻略が少しずつとはいえ前進していることだ。満足のいく結果ではないとはいえ、着実に十階層に近づいてはいる。
今のサミュエルはまさにもがき苦しんでいる状態と言えるが、しかしそのもがき苦しんでいることは無駄にはなっていない。ひとまず前に進んでいるし、それを実感もできる。ただし、「もっとできていていたはずだ」という思いが強く、そのため前進を素直に喜ぶことができない。今のサミュエルは、そういう状況だった。
▽▲▽▲▽▲▽
「今回も全員無事に帰って来られたね」
遠征の出発地点である一階層のエントランスに戻ってくると、タニアシス・クレイマンは安堵の息を吐きながらそう言った。ここはまだ迷宮の中で、そういう意味ではまだ遠征の途中とも言えるが、しかしここまで戻ってくるとやはり気が緩む。エントランスにはハンターたちが数多くいるし、また一階層だから出現するモンスターも弱い。気が緩んでも仕方がないだろう。
「ああ、攻略も順調だしイイ感じだ」
タニアの言葉にパーティーリーダーは満足そうに応じた。しかし彼の言葉を聞いて、サミュエルは内心不満を募らせる。
(全然、順調なんかじゃないぞ……!)
本当に“順調”ならば、今頃は〈エリート〉として実技要件を達成していたはずなのだ。それなのに今は九階層に到達するのが精一杯。コレの一体どこが順調なのか、とサミュエルは憤る。
ただそれを口に出すことはしなかった。少なくともタニアは遠征が滞りなく終わり、攻略が“順調”に進んでいることを喜んでいる。それに水を差すことはしたくなった。
悶々とした不満を抱えながら、サミュエルは視線をめぐらせた。今の彼らは順番待ちである。エントランスは確かに広いが、迷宮と地上をつなぐ通路は一つしかなく、しかも十分に広いわけではない。だから片方ずつ交互に通るのだが、そうするとどうしても待ち時間ができてしまうのだ。
サミュエルはメンバーたちと話をすることもなくぼんやりと佇んでいた。というより例の一件以降、彼はパーティーのなかで孤立しがちだった。普段はリーダーやタニアが上手く立ち回って収めているのだが、二人とも今は別のメンバーと話をしていた。
ガヤガヤとした意味をなさない喧騒が耳に入る。声はするが何を話しているかは分からない。そんな感じだ。サミュエルがふと孤独を感じそうになったとき、彼の耳に意味のある声が飛び込んできた。
「――――すまない、怪我人だ! 道を開けてくれ!!」
切羽詰った、大きな声だった。騒がしかったとはいえ、その声はエントランスにいた人々にしっかりと聞こえたようだ。喧騒が止み、声のしたほうに人々の視線が集まった。
エントランスに駆け込んできたのは五人の男だった。ただしそのうちの一人は負傷しているらしく、仲間の背に負われている。荷物を積むためのトロッコはどこにも見当たらず、つまり彼らは荷物を放棄して戻ってきたのだ。ただならぬ事態にエントランスにいたハンターたちは騒然とした。
「おい、なにがあった? というより、もう一人どうした!?」
エントランスにいたハンターの幾人かが五人に駆け寄る。普通、パーティーは六人編成だ。しかし彼らは怪我人を入れても五人しかいない。つまり、一人足りないのだ。不吉な予感をかき立てるには十分だった。
「詳しい話は後でする。今はとりあえず手当てをさせてくれ」
五人の中で先頭を走ってきたリーダーのリヒターは肩で息をしながらそう言った。駆け寄ったハンターたちもそれを聞いて頷く。何よりもまずは怪我人の手当てが優先だった。彼が命を落としては、何もかもが報われない。
「怪我人が通るぞ、道を開けろ!」
エントランスが先ほどまでとは別の意味でまた騒がしくなる。順番待ちをしていたハンターたちが道を開け、怪我人を背負った男がリヒターの後について歩く。彼らが地上に続く通路に足を踏み入れようとしたその瞬間、喧騒を押しつぶすかのようにして、低い獣の咆哮が響いた。
――――グゥォォォオオオオ……!
突然響いた獣の咆哮に、エントランスは静まり返った。不気味な静寂である。決して良いものではないと分かりきっているのに、誰もその場から動こうとはしなかった。静かになったおかげか、羽ばたきの音も聞こえてくる。誰もが顔を見合わせている。そんな中、サミュエルだけは警戒するように周囲を見渡していた。
そんな彼の視界を、一つの影が下から上へと勢いよく通り過ぎた。サミュエルはほぼ反射的にその影を追って視線を上にあげる。そこにいたのは三つ目で翼を持つ獅子、〈キメラ〉と呼ばれる類のモンスターだった。
「ウォロジス……」
悔しさの滲む悲痛な声でそう呟いたのは、五人の内のさて誰だったのか。
「マーシャルを上へ! 速く!!」
リヒターの声を合図にして人々が動き始めようとした、まさにその瞬間。ズドンッ、と重い音を立ててキメラがエントランスに着地した。場所は外縁。ハンターたちが集まっている中心からとは多少距離がある。
動き出そうとしていたハンターたちの動きが止まる。そして彼らの視線が再びキメラに集まった。注目が集まるその瞬間を待っていたかのように、キメラは今一度大きな咆哮を上げた。
「グゥォォォオオオオ!!!」
キメラの咆哮は物理的な圧力を伴って人々の顔を打った。その咆哮にというよりはキメラの存在そのものに気圧されたかのように、ハンターたちは揃って半歩遠ざかる。気迫の趨勢が傾くのを嗅ぎ取ったのか、キメラは大きく羽ばたくと身体を宙に浮かせた。
「あああああああああ!!!」
その瞬間一人のハンター、いや一人の学生が自らを奮い立たせるように雄叫びを上げながら駆け出した。それも、キメラに向かって。半歩とはいえ並居るハンターたちが気圧され後ろに下がった、その相手に向かって。
「サミュエル君!!」
飛び出した学生のパーティーメンバーであるタニアが声を上げる。その声は、もしかしたら彼を引き止めるためのものだったのかもしれない。だがサミュエルはその声に背中を押されるようにしてさらに力強く前に出た。
サミュエルが横なぎに右手を振るう。するとその手に一本の剣が現れた。美しい装飾の施された、壮麗にして荘厳な両手持ちの剣である。
「〈絶対……、勝利の剣〉!!」
久しく放たれていなかったその一撃が放たれる。放たれる光の色は黄金よりも白銀に近い。ただし、光と言うよりは暴風に近い。触れる全てを破砕する輝く暴風。それがサミュエルの放つ一撃だ。
彼が放った〈絶対勝利の剣〉の一撃は、キメラの左翼と下半身を消し飛ばした。さらにエントランスの一部もその一撃に巻き込まれて崩落している。そのため、片翼を失ったキメラは白い床の上に叩きつけられるのではなく、崩落したまさにその場所に落ちて、そのまま落下していった。
劇的。まさに劇的と言っていい光景だった。キメラの力、あるいはその脅威。何もかも分からない状況にもかかわらず、人々はその劇的な光景に酔わされた。
一瞬の静寂。次の瞬間、割れんばかりの歓声が上がった。その全てが向かうのは、キメラに立ち向かった“英雄”サミュエル・ディボンである。
「すごいよ、サミュエル君!」
溢れんばかりの笑顔を浮かべながら、タニアがサミュエルに駆け寄る。彼女に続くようにして次々に人々がサミュエルに駆け寄り、あっという間に彼に周りには人だかりができた。
そのときサミュエルは、久々の高揚感に酔いしれていた。そして駆け寄ってきた人々からは次々に賞賛の言葉がかけられる。これだ。これなのだ。僕が受けるべきは、これなのだ!
サミュエルは歓喜の笑みを浮かべながら〈絶対勝利の剣〉を握り締める。やはり僕の求めるものはこの剣と共にある。そう思った。
「……あれで倒せたと思うか、リヒター」
歓喜に沸く人々を見ながら、ウォロジスのパーティーメンバーの一人が彼らのリーダーにそう問いかけた。彼らは、あのキメラと交戦した経験を唯一持つ彼らは、あそこで若者を囲み喜ぶ人々のように楽観的にはなれなかった。
「無理だろうな……」
リヒターはそう答えた。あのキメラは首を斬りおとされても蘇生した。下半身を吹き飛ばされても、おそらくは再生する。そしてまた姿を見せるだろう。
「行くぞ。まずはマーシャルの手当てだ」
歓声に沸くエントランスに背を向け、リヒターたちは地上を目指す。まだ何も終わっていない。その予感は、もはや確信に近かった。
そしてその予感は当たった。三つ目で翼を持つ獅子、エントランスで撃退したと思われたキメラが、五体満足の姿で今度は四階層のベースキャンプに現れたのである。そこにいたハンターたちはもちろん交戦したが倒すことはできず、むしろ追い立てられるようにしてそこから逃げ出した。
むしろ、逃げるしかなかった。どれだけダメージを与えても回復され、倒したとしても蘇生する。そんな相手に、どうやって勝てというのだ。
――――〈不死身のキメラ〉。
その呼び名がカーラルヒス中に広がるのに、そうたいした時間はかからなかった。