御伽の国6
「そんじゃ、かんぱ~い!!」
「「「「乾杯!」」」」
やたらと上機嫌でハイテンションなソルの音頭で、ルクトたちは思い思いに杯を打ち鳴らした。そこから先はまったくの自由だ。一息で杯を飲み干す者や一口だけ含む者、あるいはお酒には口をつけずに料理に手を伸ばす者。それぞれにこの宴会を楽しんでいた。
「…………ルクト、一つ聞きたいんだが〈ニルヴァーナ〉というギルドを知っているか?」
宴会の途中、ルクトにそう尋ねたのはイヴァンだった。
「聞いたことはあるな。たしか、合同遠征にそこのパーティーが参加したことがあった」
「そのパーティー、どんな感じだった?」
イヴァンから重ねて尋ねられ、ルクトは記憶を探った。頭に浮かぶパーティーの中から目当てのものを探し出し、さらにその様子を思い返す。
「……比較的、和気藹々とした感じだった、と思うぞ」
ルクトがそう答えるとイヴァンは「そうか」と言った。そして、「実は〈ニルヴァーナ〉から勧誘を受けている」と明かした。
それを聞いてもルクトは意外とは思わなかった。彼らのパーティーは五年生の、しかも年が変わる前に実技要件を達成した〈エリート〉。つまり、“超”が付くほど将来有望な人材だ。ギルドからしてみれば、喉から手が出るほどに欲しいだろう。
「ちなみにイヴァンの希望としてはどんなところがいいと思っているんだい?」
お酒の入った杯を傾けながらそう尋ねたのは、パーティーリーダーのロイだった。彼の問い掛けにイヴァンは考える時間を取ることなくすぐに答えた。
「ギルドの規模はあまり重視していないな。ともかく雰囲気のいいところに入りたい」
イヴァンの答えにルクトは「なるほど」と思った。およそどんな職場であっても人間関係は付いて回る。だがギルドの人間関係というのは、他の職場のそれとは一線を画す。その理由はもちろん、パーティーによる遠征があるからだ。
雰囲気が悪ければ、つまり人間関係が悪ければ、最悪ソレが原因で死ぬことになるかもしれない。その可能性を冗談として笑い飛ばせないのが、ギルドという職場でありハンターという仕事なのだ。
「雰囲気、というのは難しいですわね……。極端な話、入ってみるまでは分からないわけですし……」
「ああ。おかげで困っている」
テミスの言葉にイヴァンは苦笑気味に答えた。だからこそ少しでも情報を得ようとルクトに話をしたのだろう。さらに聞けば、通っている道場の師範や先輩たちからも色々と話を聞いているという。
もっともパーティーの雰囲気がそのままギルドの雰囲気、というわけではない。もちろん多少の影響は受けるだろうが。だからあまり拘りすぎても仕方がないのでは、とルクトは思った。
「お前なら、望めばどこにだって入れるんじゃないのか?」
からかうようにしてそう言ったのはソルだ。彼の言うとおり〈エリート〉を求めるギルドは多く、常に需要が供給を上回っている状態である。
「パーティーごとなら、な」
ソルに対し、イヴァンは苦笑気味に答えた。たとえ〈エリート〉であっても一人で遠征を行えるわけではない。ハンターの評価というのは普通パーティーの単位で行われる。即戦力として期待できる〈エリート〉のパーティーをギルド側が欲しがるのは当然と言えた。だからこそ、逆に一人のハンターになってしまえば〈エリート〉の肩書きはさほど役に立たない、というのがイヴァンの感触だった。
「ふうん、なるほどねぇ……。ルーシェのほうはどうなんだ?」
そう言ってルクトはイヴァンと同じく地元の出身であるルーシェのほうに視線を向けた。視線を向けられた彼女は、軽く肩をすくめて答えた。
「わたしのほうもイヴァンと大差ないわ」
それでも何とか情報を集めながら、いくつかの候補の絞込みを始めているという。ちなみにイヴァンとはたまに情報交換をしているそうだ。
「ルーシェにはわたくしと一緒にわたくしの故郷へ行く、という選択肢もありますが……」
「ないから。それだけは絶対にないから」
テミスが潤んだ妖しげな視線を送るが、ルーシェはすぐさま切って捨てた。いつも通りのやり取りで、もはや誰も気にしない。ただ、ここから先の展開はいつもと少し違った。
「では仕方がありませんわね。わたくしは故郷に戻って結婚いたしますわ」
そう言ったテミス本人はすっきりとしたいい笑顔を浮かべていたが、周りの反応は凄まじかった。端的に言えば、全員固まった。ポトリ、と誰かの食べかけの肉団子がお皿の上に落ちる。
「……な、なにを、するって……?」
「だから結婚ですわ。昨日故郷の父から手紙が届き、そういう方向で話が進んでいる、と」
頬をヒクつかせ動揺を丸出しにしながら重ねて問いかけるソルに、テミスはさばさばとした様子でそう答えた。彼女が卒業し故郷に帰り次第、親の決めた婚約者と結婚する。そういう方向で話が進んでいるという。
「……確認するが、その婚約者は……、女だよな?」
「男性ですわよ!」
「「「「ええぇぇぇぇえ!?」」」」
テミス以外の全員が驚愕の声を上げた。ここで驚くあたり、やはり変な方向に教育の行き届いたメンバーである。
「おい、テミス……! お前、なに今更正気に戻ってるんだよ!?」
「そうだよ。キャラは最後まで貫徹しないと!」
「ここ、わたくし怒っていいところですわよね!?」
「いや、どう考えても自業自得だろう……」
戯れあって、閑話休題。繰り返すがテミスが結婚する予定の相手は間違いなく男性である。テミスの実家、つまりバレンシア家と同じく彼女の故郷では名家に分類される家の嫡子だという。ちなみにテミスの一歳年上。お互いの家が離れていたため幼馴染と言うほど親しくはないが、同年代の武芸者として顔と名前は知っている相手だそうだ。当然、少なくない回数の手合わせもしている。
「じゃあ、まったく何も知らない相手ってわけじゃないのか」
「ええ。留学してからも帰省するたびに顔は合わせていましたし」
その時点で留学が終われば彼と結婚することになるんだろうなと思っていた、とテミスは言う。そう話す彼女の表情はさばさばとしていた。嫌がっているようには見えないが、同時に喜んでいるようにも見えなかった。
「テミスは、それでいいの?」
ルーシェは少し心配そうな顔をしながらテミスのほうを見てそう言った。知らないわけではないにしろ、決して親しいとはいえない相手と、親が決めたことだからと結婚する。それはルーシェの常識の外にあることだった。
「ルーシェの言いたいことは分かりますわ」
テミスは諦念を見せることなく、むしろ優しげな微笑を見せてそう言った。滅多に見せない、育ちの良い令嬢としての顔だ。
「ですが名家名門の間では、少なくともそう自認している家の間では、これが普通なのです」
ラキアやクルルなら分かると思いますが、と言ってテミスは彼女らのほうに視線を向けた。彼女の視線を受けて二人は頷く。意見を言うことはできるだろう。そして自分で結婚相手を見つけることもできるだろう。しかし父親、つまり家長から相手を紹介されれば断るわけにはいかない。二人はそう言った。
レイシン流道場はもちろん、カストレイア流道場も大きな道場ではない。しかしそんな道場の娘であってもそうなのだ。例えば大手ギルドの中心的存在だったり、都市国家の政治分野にまで関与しているような家だったりすると、自分の望む相手との結婚などおよそできるはずもない。それらの家では婚姻それ自体が政治なのだ。そしてテミスの実家であるバレンシア家は間違いなくそういう家だった。
ただ、そういう事情をルーシェは理解できないだろう。彼女の実家はごく普通の一般家庭で、両親は武芸者ですらない。彼女にとって結婚とは、もっと暖かくて幸せなものだった。それを嗤うことはテミスには出来ない。むしろそれが普通で、おかしいのは自分たちの方なのだろうと思う。
「テミスは、それで幸せ?」
「……結婚することそれ自体が幸せかどうかは分かりませんわ。ただ、幸せになることは可能だと思いますし、わたくしは幸せになるつもりですわ」
穏やかに微笑みながら、テミスはそう言った。令嬢の完璧な笑みでそういわれてしまうと、ルーシェはもう何もいえなかった。
「ですがルーシェが来て下さるのでしたら、わたくし家を捨てますわ!!」
「ないから。絶対にないから」
もはや反射的と言っていいスピードでルーシェは切って捨てた。まったく、ぶれない二人である。ともあれ、空気は一気に弛緩した。
「残念。ではやはり故郷に帰って結婚いたしますわ。……子供を産む時期は、まあ夫と相談して、ですわね」
子供、という単語を聞いてルクトは内心驚いた。男性と女性の性別差もあるのだろうが、同級生がもうそんなところまで考えているのかと思うと驚くしかない。ただその驚きは苦いものだった。おいていかれた、とそんな感じがしたのだ。
「そういえばルクトは、卒業後はどうなさるんですか?」
テミスからそう尋ねられたルクトは、なるべく平静を装いながら「考え中」と答えた。その答えを聞いたテミスは「では」と言って言葉を続けた。
「もしよろしければ、ウチにいらっしゃいませんか?」
テミスの口から出てきたのは勧誘の言葉だった。「故郷の都市に招きたい」という意味だろうし、もしかしたら「バレンシア家の食客として招きたい」という意味もあるのかもしれない。
「男連れで帰ったら、根も葉もない噂が立つんじゃないのか?」
結婚を控えた良家の娘が留学先から男を連れて帰ってくる。それだけ見れば、外聞は良くないだろう。少なくとも婚約者の男性があらぬ疑いを持つことは避けられまい。そういうスキャンダルは、特にバレンシア家のような名家にとってはありがたくないはずだ。
「そんなもの、貴方の能力を見せれば一発で解消しますわ」
自信満々にテミスはそう言った。その様子にルクトは肩をすくめて苦笑する。自分のことながら、反論する言葉が見当たらなかったのだ。自分の個人能力の〈プライベート・ルーム〉にそれだけの偉力があることを、ルクトはちゃんと自覚していた。そして自覚しつつもそれを誇る気になれないことが彼の人間性を如実にあらわしている、と言えるかもしれない。
「居残るか故郷に帰るか。どっちかにするって所までは決めてるんだ」
悪いな、と言ってルクトはテミスの誘いを断った。もともとあまり期待はしていなかったのだろう。誘いを断られたテミスだが、彼女に動揺は見受けられなかった。
「残念。ルクトにもフラれてしまいましたわ。ですが、気が変わったらいつでも声をかけてくださいね」
そう言ってテミスは引き下がった。ただ、しっかりと“種”を残しておくあたりしたたかである。これもまた彼女が施されてきた令嬢教育の賜物なのかもしれない。それが時々しか表に出てこないところが、彼女の残念でまた愛すべきところだ。
「ま、ルクトの場合、競争倍率が高そうだけどな」
「ああ、就職活動をしなくてもいいのは羨ましいな」
「ホントよねぇ~」
「お前ら、分かって言ってるだろ……」
ニヤニヤとした笑みを浮かべてからかうようにしてそう言う同級生たちに、少々うんざりした口調でルクトはそう言った。彼への勧誘は一向に減らず、むしろ六年生になってからはさらに増えてきているようにも感じる。しかも合同遠征の窓口でそういう類の話が一切断られるようになると、勧誘の話はルクト本人に直接されるようになってきた。
持ち込まれる話は純粋な勧誘だけではない。いわゆるお見合いの話も持ち込まれてくる。むしろこちらの方が最近では多いくらいだ。しかも見合いのお相手、つまり同年代の女の子から直接誘われることもあり、さすがのルクトも辟易していた。
もっとも、これは自業自得でもある。彼がさっさと態度を明確にしていれば、そもそも勧誘されることなどないのだ。ただ、ルクトが居残るか故郷に帰るか決めかねているのは、それだけカーラルヒスの居心地がいいことの裏返しでもある。
「勧誘といえば、クルルのほうはどうなんだ?」
ソルが軽い調子でそう尋ねた瞬間、一瞬だけ空気が張り詰めた。クルルがこの先どうするのか、それは彼女の想い人であるロイがどうするのかによって大きく左右されるだろう。
だから本質的にはロイのほうに卒業後の進路を聞くべきなのだ。ソルもそれは分かっている。だが、彼に聞いても「故郷に帰るよ」としか言わないし、それ以上のことは上手くはぐらかしてしまうだろう。
だから、クルルを攻める。そしてクルルを揺さぶってロイの反応を見るのだ。なかなかの策士ぶりである。ソルは六年をかけこういう方面で見事な成長を遂げた、と言うべきだろう。役に立つのかははなはだ疑問だが。
「え、ええっと……。か、勧誘ですか……?」
ソルの思惑通り、なのか。クルルは視線を泳がせて言いよどんだ。
「どこかのギルドから『来ないか』って誘われているの?」
そう尋ねたのはロイだった。彼の声の調子はいつもと変わらず、リーダーとしてメンバーの進路相談に乗っているようにも見える。だがこうして自分から聞いたのだ。やはり気になっているのだろう。
「は、はい……。実は……」
そう言ってクルルは幾つかのギルドの名前を挙げた。合同遠征に参加したこともあるギルドだったのでルクトも名前は知っている。そしてそのうちの少なくとも一つは、「大手」と言われる規模のギルドだった。武術科の学生でないとはいえ、クルルは〈エリート〉になったパーティーのメンバー。〈エリート〉と同じ評価を受けたとしても不思議ではない。引く手は多いのだ。
「ふうん……。入らないのかい? 夢だったんでしょう、ギルドに入ることは?」
いつも通りの口調でロイはクルルにそう尋ねた。今でこそ彼女はロイたちのパーティーメンバーとして活躍しているが、ほんの数年前までは入れてもらえるパーティーがなく、ハンターの道を諦めようとさえ考えていた。
そんな自分が大手を含め複数のギルドから勧誘されている。嬉しくないはずがない。しかしその一方でクルルの顔色は優れなかった。
「……誘っていただけることは、素直に嬉しいんです」
それはつまり実力を高く評価してくれたということ。しかしクルルは「ただ」と言っては言葉を濁した。そして少しだけ俯いて黙り込む。言葉を探していると言うよりは、言っていいのか迷っているようだった。
「……ただ、仮に入る事にしたとして、上手くやっていけるのか心配なんです」
やがて意を決したようにクルルはそう言った。いくら最近攻略で活躍できるようになったからと言って、彼女自身が劇的に変わったり成長したりしたわけではない。幸運にも相性のいいメンバーに恵まれたから上手くやってこられたものの、この次のパーティーでも同じように上手くやれるとは限らない。いや、上手くいかない可能性の方が高いとクルルは思っている。ほんの数年前まではパーティーに入れてもらうことすらできなかったのだから。
クルルの個人能力は〈千里眼〉で、彼女の得物は弓。そしてこの組み合わせはかなりクセが強い、と言わざるを得ない。そもそも飛び道具を使うハンター自体が珍しいのだ。ルクトは合同遠征で多くのハンターたちと接しているが、しかしそんな彼であっても迷宮の中で弓を使うハンターはクルル以外に知らなかった。
もちろん、クルルは優秀なハンターだ。でなければ〈エリート〉パーティーの一員になれるはずもない。しかし幾ら優秀であっても、他のメンバーとの相性が悪ければその実力を発揮することはできない。そしてクルルの場合、実力を発揮できるかどうかは、メンバーとの相性にかなり左右されてしまうのだ。
「そこまで深刻にならなくていいと思うよ」
安心させるような口調でロイはそう言った。勧誘した以上、それらのギルドはクルルのスタイルを知っているはずだ。ということは彼女の力を生かせる、少なくともその公算があるということだ。それにギルドに所属しているパーティーは一つではない。あるパーティーと相性が悪いのなら、相性のいい別のパーティーに入れてもらえばいいのだ。
「そうそう。クルルは間違いなく腕利きのハンターよ。それは一緒に遠征したわたし達が保証するわ」
力強くそう言い切ったのはルーシェだった。彼女の言葉に周りのメンバーたちも次々に頷く。クルルがパーティーに加入したことで彼らは一気に十階層に到達し、そのまま実技要件を達成した。彼らにとってクルルは、いないと困る実力者なのだ。
「そう……、でしょうか……?」
「もちろん! だからどのギルドに入ったって大丈夫。ちゃんと活躍できるわ」
ルーシェがそう言って太鼓判を押すと、クルルは少しだけ表情を緩めて微笑んだ。仲間たちから実力を認めてもらえるのは嬉しい。だが心の底から笑うことはできなかった。彼女が本当に望んでいること。それはまた別の事柄なのだから。
(ロイ……。お前ホントにどうするよ……?)
もどかしさを抱えながら、ルクトは友人のほうを見た。優しげな好青年の顔の下で、彼は一体何を考えているのだろうか。
(……ったく、せいぜい悩め!)
諦めと苛立ちを込めて、ルクトは内心でそう毒づいた。これは無責任にアドバイスをしていい問題ではない。結局は当事者たちがよく考えて結論を出すしかないのだ。
お酒の入った席では、話題は簡単に変わっていく。卒業後の進路の話をしていたかと思えば、根も葉もない噂話に興じたり、あるいは過去の笑い話を蒸し返してみたり。なんの脈絡もなく話題はコロコロ変わり、楽しい時間は過ぎていった。
一体誰が想像しただろう。こんなありふれた日常が、ある時突然に終わってしまうだなんて。
今回はここまでです。
続きは気長にお待ちくださいませ。