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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十二話 御伽の国
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御伽の国4

 時間は少し遡る。まだ夏休み中のことだ。蒸し暑いとある夜のこと、ルクトは部屋にやってきた“黒い鳥”を中に入れてメリアージュと話をしていた。


「調子はどうじゃ、ルクトよ」


「ぼちぼち、かな」


 いつもの問い掛けに、ルクトはいつものように答える。するとメリアージュもいつものように「おぬしはいつも“ぼちぼち”じゃな」と言って笑った。


「はい、これ今月分」


「うむ、では確かに」


 そう言ってメリアージュはルクトが机の上に並べた金貨を回収する。その様子をルクトは少々物悲しい気分で眺めていた。


 本来なら、借金の返済はもうそろそろ返し終わるはずだった。父親が残しメリアージュが肩代わりしてくれた8000万シク。そしてルクトが返すことになった1億6000万シク(ただし利息なし)。これだけに限って言えば、今回の返済かあるいは来月の返済で返し終わるはずだった。


 しかし、ルクトは借り増しをした。彼が借金返済のために血道を上げていたことを思えば、到底信じられない暴挙である。しかし、事実だ。


 借り増しをしたことに後悔はある。特にこうして金貨が手元を離れていく光景を目にすると、過去に戻ってやり直したい気分にもなる。その上、借り増しと言う重大な決断をしたにも関わらず、ルクトは後一歩を踏み出すことが出来なかった。後悔と言えばそちらの方が強かった。


 とはいえ、もう終わったことである。後ろ向きとはいえ、割り切りも済んでいる。何度同じ場面を繰り返そうとも、自分はきっと同じ決断をするだろう。そう思えば、苦笑して諦めるほかなかった。


「その後、義妹とはどうじゃ?」


 メリアージュにはもう全てを話してあった。故郷のヴェミスから夜逃げした父親のパウエルが別の都市国家オルジュにいたこと。彼が再婚していたこと。カーラルヒスに留学してきた義理の妹シェリアのこと。そして借り増しした5000万シクに関わるその顛末の全てを。


 ルクトがその話をしている間、メリアージュは言葉を挟まず静かに聞き役に徹してくれた。そして全てを聞き終えると、ただ穏やかに「そうかえ」とだけ言った。


『……苦しい、か?』


 数秒の沈黙の後、メリアージュはルクトにそう尋ねた。その問い掛けにルクトは力なく首を横に振ってこう答えた。


『苦しくはないよ。苦い、かな?』


 もうどうやっても取り戻すことはできない。何を取り戻すのか。そもそも取り戻したいと思っているのか。それさえもルクト自身分かっていない。だが、もう取り戻せないことだけは本能的に分かる。そして分かってしまうからこそ、その事実はどうしようもなく苦かった。


 ルクトの言葉を聞くと、メリアージュはやはりただ「そうかえ」とだけ口にした。その言葉は少しだけ寂しそうに響いた。


「シェリアとは、まあ、相変わらず、かな」


 もともと学年が違うこともあり、義妹のシェリアとルクトが会う機会はほとんどなかった。意識して会おうと思えばいくらでも会えるのだが、それをしようとしないのが今の二人の距離感であり関係なのだ。


「ああ、でもこの前、行きつけの工房でばったり会ったよ」


 ルクトの行きつけの工房とは、言うまでもなく〈ハンマー&スミス〉のことだ。研ぎに出していた太刀を受け取りに行った時、ちょうどそこにシェリアがいたのだ。


『え……、ルクト、に……、先輩? なんでここに……?』


 一瞬「義兄さん」と言いそうになったシェリアは、取り繕って「先輩」と言い直した。当然ルクトはそれに気づいたが、彼はただ肩をすくめるとそれ以上そのことについては何も言わなかった。


『この店のことはカルミから教えてもらったのか?』


『そう、ですけど……』


『カルミに教えたのはオレだ』


 ルクトがそう言うと、シェリアは少しだけ不満そうな顔をした。その様子に苦笑を浮かべながら、ルクトは店内に入る。工房主であるダドウィンの姿はない。奥のほうから鎚を振るう音が響いてくるから、作業場で仕事をしているのだろう。彼は仕事の邪魔をされるのを嫌うから、しばらく待った方が良さそうだ。


『……で、お前は何をしに来たんだ?』


 ルクトがそう尋ねると、シェリアは少々面食らった様子を見せた。彼のほうから話しかけてくるとは思わなかったのかもしれないし、彼女の中で今年の春の出来事がまだ消化し切れていないのかもしれない。


 ただシェリアのほうがどうであるにせよ、ルクトのほうは彼女に対して特に思うところがあるわけではない。義兄として義妹の世話をするつもりはないし、彼女もそれを望まないだろう。だが、先輩として後輩の相談に乗るくらいはやってもいいだろう。それが今の二人には丁度いい関係だとルクトは思っている。


 ルクトにとってシェリア・オクスという少女は、言ってみれば小さな悩みの種だった。色々振り回されて迷惑もかけられた。お互いに相容れない部分もある。特に父親であるパウエルについては、この先ずっとわかりあうことはないだろう。


 だがそれでも。ルクトはシェリアのことが嫌いにはなれなかった。迷惑をかけられたし、周りが見えていないと思うことも多々あった。しかし彼女はいつも一生懸命でまっすぐだった。それは美徳だと思う。


 また彼女は“強さ”を持っていると思う。まったくの素人であったにも関わらずハンターを志し、その夢を叶える為にカーラルヒスにまで留学に来たこと。義父の死という悲しい経験をしたにもかかわらず、しかし歩みを止めずにこうして留学を続けていること。それは尊敬に値する強さだと、ルクトは思う。


 だから、と言うのも変な話だが、頑張った分は報われて欲しいと思う。先輩としてなら、そう願うのもいいだろう。


『……新しい武器を買いに来たんです』


 もともとシェリアは武術科の教官から譲ってもらったお下がりの武器を使っていたのだという。ただその武器が先日の攻略でダメになってしまった。それでお世話になっている先輩のカルミからいい武器屋、もとい工房を教えてもらい今日買いに来たのだという。


『ふうん…。で、得物の種類は?』


『ショートソード、ですけど……』


『予算は?』


 シェリアが口にした金額は迷宮(ダンジョン)攻略用の武器の値段としては安すぎる額だった。とはいえ彼女はまだベースキャンプを目指す段階。あまり高い武器を買っても、宝の持ち腐れだろう。


 ふむ、と呟くとルクトは店内に並べてあるショートソードを物色し始めた。さらに何本かを手に取り軽く振るってみる。そしてそのうちの一本をシェリアに渡した。


『特にコレと決めているものがないのなら、ソレにするといい』


 ルクトはこともなさげにそう言った。突然のことにシェリアは戸惑うが、ルクトはお構いなしにさらに言葉を続けた。


『それと、早いうちにもう一本買った方がいいな。それと、余裕があれば盾も』


『……盾は分かりますけど……、なんでもう一本いるんですか?』


『予備。まあ、ショートソードの二刀流って人も結構いるけどな』


 ショートソードは他の武器と比べ軽い。そのおかげで片手でも十分に操ることができる。だから、ショートソード一本では片手が空く。その空いた片手に盾を持つか、あるいはショートソードかダガーなどを装備して二刀流するのかは本人の好み次第といったところか。なんにせよ、ショートソード一本で戦うスタイルと言うのは一般的ではない。


 そんな話をしていると、店の奥から主のダドウィンが現れる。ルクトはさっさと自分の用事を済ませて太刀を受け取ると、一言二言ダドウィンと軽口を叩いて店を後にした。


『それで、君のほうはそれでいいのか?』


 ルクトを見送ると、ダドウィンはショートソードを抱えるようにして持つシェリアのほうに視線を向けた。反射的に彼女は「はい、お願いします」と言って、そのショートソードを差し出した。言うまでもなく、ルクトが選んだショートソードだ。


『ほう、これか。良いものを選んだな』


 シェリアの差し出したショートソードを受け取ると、ダドウィンは厳つい顔を綻ばせた。このショートソードは彼が打った中でも出来がいいと自負しているものだった。


 刀身の密度は均一で歪みが少ない。重心も安定しているので、振るったときに妙な引っ掛かりを覚えることもないだろう。刃は鋭く切れ味もいいが、普通の剣と比べれば刀身が短いので折れにくい。素材こそただの玉鋼だが、それを除けば間違いなく最高の品質だ。


 余談になるが、武器の値段と言うのはほとんど素材によって決まる。だから玉鋼製の武器と言うのは、いくら品質が良くても高値にはならない。今回のショートソードが良い例だろう。


 だから、腕の良い鍛冶師は玉鋼を敬遠する。いくら作っても金にならないからだ。今回のショートソードだって、素材の半分をダマスカス鋼にすれば値段は10倍以上にもなるだろう。作る手間はほとんど変わらないから、こちらの方が圧倒的に実入りがいいのだ。


 そのため玉鋼というのは見習いの鍛冶師が使う素材とされていた。一番安い素材で経験を積み、腕を磨くのだ。そのこと自体は間違っていないとダドウィンも思っている。


 彼が気に入らないのは、だからといって一角になった鍛冶師たちが玉鋼を使わないことだ。玉鋼の武器を使うのは初心者のハンター、つまり武術科の学生、それも低学年の学生たちだ。未熟な鍛冶師が作った武器は、当然質も悪い。そんな質の悪い武器をまだ実力のない低学年の学生たちに使わせることになるのだ。


 それは大人としてどうなのだ、とダドウィンは思う。そう思うからこそ、彼は時間を割いて玉鋼製の武器を作っている。実入りは少ない。だが金銭の問題ではないのだ。少なくとも彼にとっては。


 閑話休題。話を元に戻そう。


 どうやらルクトが選んだショートソードは良いものだったらしい。ダドウィンの言っている事はよく分からなかったが、それだけはシェリアにも分かった。


 なぜルクトは自分に武器を選んでくれたのだろう。シェリアは疑問に思った。彼と自分の関係は、お世辞にも良好とは言えないように思うからだ。シェリア自身、抑えてはいるものの彼に言いたいことの一つや二つはある。


 だとしても、ルクトが良い武器を選んでくれたことに変わりはない。そしてシェリアだけでは彼ほど確かな目利きは出来なかっただろう。そのことには感謝してもいい、いや感謝しなければいけないはずだ。


 ルクトが出て行った扉のほうにシェリアは軽く頭を下げる。もちろんルクトには分からないことだし、そもそも彼はそんなことしなくていいと言うだろう。だからこれくらいでちょうどいい、とシェリアは思った。


「……と、まあそんな感じで武器を選んでやって、それくらいだよ」


 ルクトが贔屓の工房でシェリアと会ったときの話を終えると、メリアージュは楽しそうにただ一言「そうかえ」とだけ言った。


「他には何かあったのかえ?」


「色々ありすぎたよ」


 苦笑気味にルクトがそう答えると、メリアージュは「ほう?」と面白そうに呟いた。早く話せと言う催促である。


「実はこの前、迷宮を登ってみたんだ」


 ルクトがそう言うと、さすがのメリアージュも絶句した。正確には、絶句する気配が“黒い鳥”から伝わってきた。それがなんだか嬉しくてルクトがニヤニヤしていると、“黒い鳥”から「それはまた……」と呆れた声が届けられた。


 ルクトはその時のことを話す。〈シャフト〉を使って迷宮を登ったこと。その途中で〈採取ポイント〉を見つけたこと。シャフトに根を張り宙に浮かぶようにして佇む大樹のこと。その大樹の洞のなかで見つけた、夜色の玉のこと。そして、〈御伽噺〉に遭遇したこと。


「なに、〈御伽噺〉じゃと?」


 その名前が出ると、さすがにメリアージュも声音を変えて警戒を示した。そしてルクトの話を注意深く聞き、ただ話をしただけだと分かると安堵したように一つ息を吐いた。


「まったく……、しばらく動向を聞かぬと思ったらそんなところにおったのか……」


 メリアージュは愚痴るようにそう言った。〈御伽噺〉は長命種(メトセラ)の中でもとびぬけた問題児。名前を聞くたびにまた何かしでかしたのではないかと思ってしまうのだ。彼がなにか問題を起こしたところでメリアージュに責任があるわけではない。だが、長く生きていると「関係ない」の一言で済ませられないことも増えるのだ。


「…………ルクト、アレはちゃんと保管してあるな?」


 メリアージュの問い掛けにルクトはしっかりと頷いて答えた。彼女の言う「アレ」とは、連絡に使うための“黒い石”である。以前ルクトがヴェミスに帰省した際にメリアージュから一つ貰ったのだが、それはこの前お金を借りるために使ってしまった。そこでメリアージュがもう一つ“黒い石”を用意してくれたのだが、それはしっかりと〈プライベート・ルーム〉のなかに保管してある。


 ルクトが頷くのを見て、メリアージュは少し安心したように「ならばよい」と言った。そして真剣な口調でさらにこう続けた。


「何か異変があれば迷わず使え。よいな?」


「うん、分かってる」


 ルクトは真顔でもう一度頷いた。メリアージュがこうも警戒をあらわにする。つまり、〈御伽噺〉とはそういう相手なのだ。


「何事もなければそれが一番良いがな……。それはそうと、おぬしが見つけたという樹の実。少し見せてくれぬか?」


 重くなってしまった雰囲気を変えるためなのか、メリアージュは声に多量の好奇心を滲ませながらそう言った。その様子にルクトは苦笑しながら、例の夜色の玉を持ってきて彼女に見せる。それを見たメリアージュは「ほう……」と声を漏らした。


「本当に、樹の実らしくない樹の実じゃな……」


 その感想はもっともだとルクトも思う。直径一センチほどの丸い球体で、その色はよく晴れた夜空を連想させる深くも透明感のある藍色。そして表面には星を散らしたかのような輝きがある。「樹の実」というより「宝玉」といった方が、よほどイメージが伝わりやすいだろう。


「メリアージュは、コレについて何か知ってることある?」


「なにも分からぬよ。そもそも、おぬしが見たという大樹からしてまだ半信半疑じゃ」


 苦笑しながらメリアージュはそう言った。ルクトが嘘をついているとは思わない。だが、だからと言ってその全てを信じるには、彼の話はあまりに荒唐無稽で非常識だった。


「〈御伽噺〉と話したのであろう? その時、その玉については聞かなかったのかえ?」


「うん、まあ……。何となく、ね……」


 ルクトの答えは歯切れが悪かったが、その心情をメリアージュはよく理解できた。もし〈御伽噺〉がルクトの持つ夜色の玉に興味を持ったとしたら。彼は恐らくルクトを殺してでもそれを手に入れようとしただろう。


〈御伽噺〉は殺人を楽しむような者ではないが、しかし手段としての殺人を忌避する殊勝な人物でもない。所詮は狂人。倫理や常識など、とうの昔に捨てたのが〈御伽噺〉という存在だ。そんな相手にエサをチラつかせるのは危険すぎる。


「……その玉は売るつもりなのかえ?」


「う~ん……、どうしようかねぇ……」


 ルクトが今までこの夜色の玉を売らずにいたのは、メリアージュの意見を聞いてみたかったからだ。しかし彼女も何も知らないという。何もかもが不明なブツで、手元においておいてもどうにもならないなら金に換えてしまうのもいいかと思っていた。しかしその一方でやはり特別なモノのような気もして、さてどうしようかとルクトは迷っていた。


「迷っておるなら、手元に置いておいたらどうじゃ?」


 そう勧めたメリアージュは、もしかしたら予感めいたものがあったのかもしれない。


「じゃあ、そうしよっか」


 軽い調子でルクトはそう決めた。取っておいて邪魔になるようなものではないし、記念として持っておくのもいいだろう。金に困って、はいるが、換金できるものは他にも沢山ある。この夜色の玉が特別なのかは分からないが、ルクトが持っているもので何か特別なモノがあるとすれば、それはこの夜色の玉だろう。


「ただ、『大樹で手に入れた』という話はあまりしない方がいいじゃろう」


 あまり吹聴すると、巡り巡って〈御伽噺〉の耳に入るかもしれない。それでは隠した意味がない。普通ならば「大げさな」と思うかもしれないが、ルクトはそうは思わなかった。〈御伽噺〉は地方都市ベトエイムでの一件を知っていて、なおかつそれをルクトと結び付けてきた。この程度の警戒は、むしろ当然。〈御伽噺〉に目を付けられるとは、そういうことなのだ。


「分かった。途中の採取ポイントで見つけたことにするよ」


 ルクトはそう言った。メリアージュも「それがいいじゃろうな」と頷いた。もっとも、実際に頷いたのは“黒い鳥”だが。


 それからもう暫く話をしてから、“黒い鳥”はルクトの部屋から飛び立った。“黒い鳥”を外に出すために開けた窓からは、涼しい夜風が入ってくる。これから一日ごとに夜風は涼しくなっていくだろう。


 もう一ヶ月もすれば新学期が始まる。ルクト・オクスにとって、留学の最終年度が始まろうとしていた。


「……目指せ、在学中借金完済」


 そう呟いて、ルクトは窓を閉めた。



 ――――借金残高は、あと5500万シク。


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