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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十二話 御伽の国
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御伽の国2

「そろそろ時間だな。次の広場でキャンプにしよう」


 リーダーであるリヒターの言葉に、ウォロジスたちは頷いた。今は遠征の二日目。ここは迷宮(ダンジョン)の七階層。明日中には十階層に到達し、明後日の昼頃に復路につくことになるだろう。ペースとしてはまずまずと言ったところだ。


 迷宮のなかでのキャンプには、幾つかの定石がある。最も重要なのは場所。必ず広場を選ぶこと。これは言われるまでもなく当然のことだ。寝泊りするにはある程度の場所が必要になる。通路に寝袋を並べていては他のパーティーの迷惑になるし、またモンスターが出現(ポップ)したときに危険だ。だからキャンプをするのはできるだけ広い広場が良い、とされている。


 場所を決めたら、次にするのはモンスターの討伐だ。


 モンスターは同じ場所で何度も連続して倒すと、その場所でモンスターが再出現(リポップ)するまでの時間が長くなることが知られている。そのため遠征中は効率的に稼ぐためにも、同じ場所に張り付いて再出現を待つやり方(これは「出待ち」と呼ばれる)はあまりされない。そしてこの傾向は十階層以前でより顕著になる。


 しかしキャンプとなると、事情が異なる。まず優先すべきは安全だからだ。もちろん迷宮の中でモンスターが出現しない、完全に安全な場所など存在しない。しかし再出現までの時間が長くなればなるほど、ハンターたちは休憩の時間を長く取ることができる。


 余談になるが、この「モンスターが出現しない、完全に安全な場所」を提供できるという意味で、ルクト・オクスの〈プライベート・ルーム〉は他の個人能力(パーソナル・アビリティ)とは一線を画した能力であるといえる。荷物の収納やそれによる移動速度の劇的な向上はあくまでも副次的なものに過ぎないのだ。これらの効果がなかったとしても、「安全に休める」というただ一点において、ルクト・オクスはソロでやることになっただろう。


 加えて彼らは食事もしなければならない。そして食事中にモンスターが出現することをハンターたちは嫌がる。ともすれば食料が駄目になってしまう可能性があるからだ。「落ち着いてゆっくりと」などと贅沢を言うつもりはないが、食料を失えば遠征の計画に支障が出る程度の話ではすまない。最悪、命に関わるのだ。そのためモンスターが出現しない、少なくとも出現の可能性が低いある程度まとまった時間というのは、一時間だろうが二時間だろうが、迷宮のなかでは貴重なのである。


 そこで、モンスターの討伐である。つまり、キャンプする広場で何度か連続してモンスターを倒し、次に再出現するまでの時間を長くするのだ。ウォロジスたちのパーティーは三度ほど戦闘を行い、合計で五体のモンスターを倒すと三人ずつに分かれて手早く夕食を食べ、そしてすぐに就寝した。無論、全員が一度に休むわけではなく、モンスターの出現を警戒する不寝番がいて、この不寝番も一定時間ごとに交代する。


 ちなみに、こういう休憩のときに雑談に興じたりするかどうかは、それぞれのパーティーの気風やリーダーの考え方によって異なる。ストレスを軽減する息抜きとして必要と考えるパーティーもあれば、そんなことをするより体力の回復に努め効率よく攻略を行うべきだと主張するパーティーもある。


 ウォロジスのパーティーはどちらかと言えば後者だった。雑談は迷宮の外で酒でも飲みながらすればいい。遠征中はそちらに意識を集中すべきだ、というのがこのパーティーの考え方だった。


 誤解のないように言っておくが、だからと言って彼らは利害関係だけで結びついているわけではなく、遠征から帰ってくれば揃って飲み屋に行くような仲だ。オンとオフをきっちり区別している、と言えばいいのかもしれない。


 そして迎えた遠征の三日目。ウォロジスたちのパーティーは十階層を目指して順調に歩を進めていた。そして、おそらくは九階層であろう。彼らが通路を歩いていると、メンバーの一人が不意に声を上げた。


「……おい、羽ばたきの音がしないか」


 そう言ったのは、メンバーの中でも耳のよさに定評のあるマーシャルだった。ウォロジスはこのパーティーの中では一番の新参者だが、彼の耳に助けられたことは多い。


 そのため、パーティーは一度足を止める。余計な音がしなくなったその場所で耳を澄ますと、確かに鳥の羽ばたきのような音が聞こえた。


「ちっ……、〈飛行タイプ〉か……」


 リーダーのリヒターが忌々しげに舌打ちする。飛行タイプとは読んで字のごとく空を飛ぶモンスターのことだ。遭遇することは少ないが、上を押さえられてしまうので厄介なタイプである。


 普通、モンスターには出現の前兆がある。前兆それ自体は突然に現れるものだが、そこから出現までに数秒程度の猶予があるため、その間にハンターたちは体勢を整えることができる。


 だが飛行タイプのモンスターには前兆がない。いや、実際のところはあるのだろう。だが飛行タイプのモンスターのほとんどは空中で出現し、それからハンターたちに襲い掛かってくる。そのため前兆を見て備えることができず、不意打ちを受けやすいタイプとしてハンターたちには知られていた。


「この先に広場があったな……。よし、そこまで移動するぞ」


「広場に入ればモンスターがおそらく出現するぞ」


 そう言ったのはウォロジスだった。「初めて足を踏み入れる広場にはモンスターが出現しやすい」。ハンターたちが積み上げてきた経験則の一つである。広場に入ってモンスターが出現すれば、接近してきている飛行タイプと合わせて相手にしなければならない。そしてそうなる確率は十分に高い。


「だとしても、この場所で飛行タイプを相手にするよりはマシだ」


「了解した」


 リヒターの言葉に、ウォロジスを含めたメンバーたちは頷く。彼らが今いるのは決して広いとは言えない通路だ。ただでさえ空を飛ぶ飛行タイプは厄介なのに、自由に動けるだけの広さがない通路は戦場として場所が悪すぎる。動ける人間はまだ良いとしても、動けないトロッコはモンスターの体当たりでも受ければ即落下だ。そして物資を失えばパーティー全体の生存に関わる。


 得物を構え周囲を警戒しながら、ウォロジスたちは早足になって通路を進む。トロッコがガラガラと大きな音を立てるが、その音に負けず羽ばたきの音が耳に届く。それを聞いて「随分と大物なようだ」とウォロジスは内心で警戒の度合いを引き上げた。


 ウォロジスたちが進む通路から十メートル程度離れた場所を、大きな影が下から上に横切る。足は止めずに視線だけそちらにやると、宙を飛ぶ大きな獣の姿が見えた。


「〈キメラ〉か……!」


 メンバーの一人が漏らした声に警戒が混じる。彼の言うとおり、宙を飛んでいるのは一般に〈キメラ〉と呼ばれるタイプのモンスターだった。


 ウォロジスは身体能力強化を駆使して視力を強化し、その姿を注意深く観察する。全体的な形骸としては〈翼を持つ獅子〉と言ったところだろうか。牛ほどもありそうな大きな体躯に白い翼が一対生えている。一番の特徴はやはりその翼で、端から端までは最大で四メートル弱はありそうだ。


 キメラの顔が、ウォロジスたちのほうに向く。その顔を見た瞬間、ウォロジスは思わずギョッとした。三つ目、だったのである。普通の二つの目のほかに、額にもう一つ、縦に長いやけに作り物じみた目を持っていた。


「グオオォォォォオオオオ!!」


 キメラの咆哮が響く。低くて腹に響く獣の吼え声だ。そこには明確な殺意と捕食の意思が込められていて、ウォロジスは鳥肌が立つのを感じた。人の頭くらいならば一口で飲み込んでしまえそうなくらい大きく開けられたキメラの口からは、巨大な牙が二本飛び出ている。


「……広場に着いたら三・三に分かれるぞ。前衛は出現するモンスターを素早く処理。後衛は荷物を守りつつキメラを警戒」


 そう言ってリヒターはメンバーを前衛と後衛に分けた。彼のその動じることのない冷静な声が今は特に頼もしく感じられる。ちなみにウォロジスとマーシャルは前衛に入っていて、リヒター自身は後衛だった。


 キメラは上空に位置取り、ウォロジスたちを伺うようにしながら旋回している。仕掛けてこないのであればありがたい。その間に広場を確保する。それが前衛であるウォロジスの仕事だ。


「広場に入る。警戒しろ」


 先頭を進んでいたメンバーの声にウォロジスは無言で頷き、集気法を使って烈を補充する。最初のメンバーが足を踏み入れた時点で、広場の中央付近にはマナの収束に伴う燐光が現れていた。モンスター出現の兆候である。数は二つ。それを確認してウォロジスは内心で舌打ちをした。素早く倒すためにも数は少ない方が良かったのだが、そんな人間側の都合はどうやら斟酌してくれなかったらしい。


(まったく……。甘くないな、ここは)


 ここは迷宮。人を拒みはしないが、しかし毛筋ほどにも気にはかけてくれない、そんな場所だ。そのことを苦笑しながら思い出し、ウォロジスは意識を研ぎ澄ました。


 モンスターが出現する。二体とも〈オーガ〉と呼ばれるタイプのモンスターだ。身長は二メートル近いだろう。がっしりとした筋肉隆々の体躯で、青紫色の肌をしている。手には金棒と切れ味の悪そうな大剣をもっているが、身につけているのは申し訳程度の腰巻だけ。女性が見れば思わず目を背けてしまうだろう。尤もこのパーティーに女性はいないが。


 そして、最も特徴的なのは額から生える無骨な角だ。この角を持つからこそ、〈巨人〉ではなく敢えて〈オーガ〉と呼ばれているのだ。そしてオーガはただの巨人と比べ、動きが俊敏で凶暴性が増している、というのがハンターたちの経験則に基づく意見だった。


 つまり、手強い相手である。しかも、それが二体。その上、背後には空を飛ぶキメラまでいる。厳しい戦いになりそうだ、と思いながらウォロジスは自分の得物である大剣を正面に構えた。


 まずはこの二体のオーガを倒さなければならない。しかもできるだけ素早く、言うまでもなく大きな損害を出さずに。そして荷物を比較的安全な広場の中央に移動させ、それからあのキメラを相手にすることになる。前衛のウォロジスたちがオーガと戦っているうちに、後衛のリヒターたちがキメラを倒してしまうこともあるかもしれないが、それを期待するのは虫が良すぎるだろう。


 しかし、そうはならなかった。


「キメラがそっちに行ったぞ!」


 後ろから響くリヒターの声に、ウォロジスは思わず上空を見上げた。見上げた先にあったのは、宙を駆けるキメラの腹だ。ウォロジスたち前衛の頭上を軽々と飛び越えたキメラは、なんと人ではなくモンスターに、つまり二体のオーガに襲い掛かった。


 それはほとんど一瞬の出来事だった。振りぬかれたキメラの太い前足が金棒を持つオーガの頭部を強かに打ち据える。真横というよりはほとんど上から下に前足を振りぬいたために、オーガは吹き飛ばされるのではなく、身体を半回転させ頭から広場の白い床に叩きつけられた。


 ズシン、と思い衝撃が響く。オーガが叩きつけられた白い床はひび割れ、若干陥没しているようにさえ見えた。オーガ自体はまだマナに還元されてはいないので倒されたわけでないのだろうが、しかしピクリとも動く気配がない。


「グゥガアアァァアア!!」


 仲間がやられて怒ったのか。大剣を持つオーガが大声で吼える。しかしその吼え声もキメラにはなんの効果もなかった。臆することも警戒することもせず、むしろ大口を開けて吼えるオーガのその頭部に、キメラは何の躊躇もなくその牙を突きたてた。


「喰ってやがる……!」


 かすかに恐れが滲む声でそう呟いたのは果たして誰であったのか。唖然とするウォロジスたちのことなど歯牙にもかけず、キメラは押し倒したオーガのまずは頭部を喰らい、そして身体を喰らう。倒されてしまったオーガはマナへと還っていくが、まるでそのマナさえも喰らっているかのようであった。


 一体目のオーガを喰らい終えると、キメラは悠然と身を翻し二体目の、倒れたまま動かないオーガに視線を向けた。これからなにが起こるのか。それはもう考えるまでもなかった。


 ゴクリ、と唾を飲み込んだのはむしろ人間のほうである。そんな人間達のことなど無視するかのようにして、キメラは横たわるオーガの腹に喰らいつく。先ほどまでは少しも動かなかったオーガが絶叫を上げて身をよじる。しかしそれは抵抗にすらならなかった。


 前足でオーガの頭を押さえ付け、食事を続行するキメラ。しばらくするとオーガは絶叫を上げながらマナに還っていくが、やはりそのマナさえも喰らっているかのようである。


 食事中のキメラは無防備な、少なくともそう見える横腹をウォロジスたちにさらしている。オーガに襲い掛かったとはいえこのキメラが敵であることは疑いなく、今このときは好機であるように思えた。だがモンスターが喰われるというかつてない事態に、彼らは動くことができなかった。


 おぞましい、とウォロジスは思った。そして生まれて初めて、モンスターのことを哀れに思う。情けをかける気も、まして助ける気もないが、哀れと思う以外の感情が沸いてこなかった。


「リヒター、こいつは……」


「ああ、おそらくは〈特異体〉だ……!」


 オーガを捕食するキメラを睨むように見据えながら、リヒターはメンバーと言葉を交わす。〈特異体〉とはモンスターを喰らった魔獣、あるいは動物を喰らったモンスターのことである。


「いや、しかしアレはどう見てもモンスターだぞ……!」


 メンバーの一人がそう異論を差し挟む。彼の言うとおり〈翼を持つ獅子〉、つまり〈キメラ〉は自然界に存在する生物ではない。キメラが現れるとすれば、それは迷宮の中だけだ。


「だがモンスターを喰うモンスターなど、聞いたことがない」


 ここは迷宮である。だから〈キメラ〉のモンスターが出現したとしても、それ自体はおかしいことではない。だがそのキメラがモンスターを喰らうというのは異常事態だ。少なくとも彼らはそんな話は聞いたことがない。彼らの知識の中でモンスターを喰らう存在は特異体だけだ。


 しかしそれでは〈キメラ〉という形骸が不自然になる。魔獣が迷宮の中に迷い込んでモンスターを喰らい特異体になった、というのであればまだ理解はできる。だがこのキメラはどう見ても元々はモンスターだろう。もとがモンスターの特異体であるならば迷宮の外にいるべきだ。環境と個体の不一致。それは一体何を意味するのか。


「どのみち、やるべきことはかわらない」


 リーダーの冷静な声がメンバーたちの議論を終わらせる。そしてリヒターは厳しい視線でキメラを見据えたまま言葉を続けた。


「アレがモンスターならここで倒して稼ぎに貢献してもらう。特異体なら、なおのことここで倒さねばならん」


 リヒターの言葉にメンバーたちは頷いた。彼の言うとおりやることは変わらない。戦って倒す。いつもどおり、それだけだ。


 食事を終えたキメラが、低い唸り声を上げながら今度は視線を人間たちに向ける。三つ目からほとばしるのは、強烈な殺意と捕食の意思だ。それに圧倒されないよう、ウォロジスたちは得物を構えて臨戦態勢に入る。


「私も前衛に入る。四人で囲むぞ。後衛が二人になるが、よろしく頼む」


 了解、とメンバーたちは口々に返事を返した。それを聞いてからリヒターは無言で頷いてから「行くぞ!」と言って前に出た。その後ろにウォロジスを含む三人が続く。残った二人は荷物を積んだトロッコを広場の比較的安全な場所まで運ぶ。


 まずはリヒターがキメラの正面に陣取って相手を牽制する。そしてその間に他の三人がキメラを囲むようにして位置についた。その間、キメラは特に動くことはなく、囲むこと自体は簡単にできた。


(飛ばないのか……?)


 キメラの左の翼を見据えながら、ウォロジスは内心でそう呟いた。この翼はハリボテではない。だが今のところキメラは飛ぶ気配を見せていない。それどころか姿勢を低くして四肢に力を滾らせている。


「ガァアアァァアア!!」


 威嚇するように大きな吼え声を上げながらキメラが動いた。狙っているのは正面にいるリヒターだ。かき裂くようにして鋭い爪が生える前足を振るう。だがリヒターは軽く後ろに下がってそれをかわす。


 爪をかわされたキメラは前足を広場の床につくと、今度は身を伸ばして牙をリヒターに突きたてようとする。しかし彼はその間合いを紙一重で見切る。


 キメラとリヒターの視線が一瞬だけ交錯する。見下ろすのはリヒターで、見上げるのはキメラだ。キメラの鼻先とリヒターとの間にはほんの数センチしか空いていない。


 刹那の瞬間、リヒターが嘲笑に似た笑みを浮かべる。そして彼はわずかに身体を正面から逸らしつつ、右手に持つ剣をキメラの右の前足の付け根に鋭く突き刺した。


 赤い鮮血が流れる。身体が伸びきっているキメラはそれを避けることができず、リヒターの剣は半ば以上が突き刺さった。


「今だ! 翼をやれ!」


 キメラの絶叫に負けない大声でリヒターはそう叫んだ。その言葉より早く動いていたのは、ウォロジスだ。


 キメラが翼を羽ばたかせる。だがリヒターが剣を突き刺したまま必死に踏ん張っていて、キメラは宙に飛び上がることができない。結果としてキメラの身体は後ろ側だけ、逆立ちするようにして浮かび上がった。


「おおおぉぉ!!」


 雄叫びを上げながらウォロジスは大剣を振りかぶった。狙いは指示されたとおり翼、その付け根だ。キメラの下半身が浮き上がっていることもあり、ウォロジスは練気法を併用しながら上段から大剣を力任せに振り下ろす。


 ブチブチ、と繊維を引きちぎる感触が手に残る。ウォロジスの大剣はキメラの翼を根元から切断していた。片翼を失ったキメラはバランスを崩し、横向きに倒れる。


 この隙を逃していてはプロのハンターとは呼べない。まだ動いていなかった二人も殺到し、倒れたキメラに次々と得物を突き立てていく。残った片翼はボロボロになり、身体からは止めどなく赤い血が流れていく。


 キメラの身体から力が抜ける。起き上がろうとしていた身体が力なく広場の床に倒れこんだ。全身は傷だらけで、三つ目の内の二つは潰れている。まだ死んではいないが、息も絶え絶えだ。


「これで、とどめ!」


 ウォロジスが大剣を振りかぶり、そして力任せに振り下ろした。ガツン、という硬い手応え。大剣はキメラの首を胴から切り離し、そして広場の床に割るようにして食い込んでいた。


「思ったよりも簡単に済んだな」


 メンバーたちの空気が弛緩する。ウォロジスも軽く揺らすようにして大剣を引き抜き、刀身についた血を払う。


「……倒したのにマナに還らない。本当に特異体だったのか」


 メンバーの一人が呟くようにそう言った。彼の言うとおり、キメラの死体はマナに還ることなくまだそこにある。これでこのキメラがモンスターではなかったことが確定的になった。


「この場で解剖している時間はないな。稼ぎにならないのは惜しいが先に進むぞ」


 リヒターの言葉にメンバーたちは思いおもいの返事を返す。そしてキメラの死体に背を向けて少し離れたところに待機している後衛の二人のほうへ向かう。


 ――――その瞬間、四人の後ろで気配が暴力的なまでに膨れ上がった。


「な……!?」


 声を上げる暇もあればこそ。ウォロジスが振り向いたときには、もうすぐ近くにキメラの顔があった。


 咄嗟に飛び退いて間合いを取る。だが、動けたのは四人いる中の三人。最後の一人、マーシャルはキメラの前足の下にいた。爪で背中をかき裂かれたのか血が流れている。ただまだ死んではおらず、意識もあった。


 どうする、と考える間もない。一旦飛び退いた三人はほぼ同時にもう一度間合いを詰めてキメラに突貫した。


 最初に踏み込んだのはリヒターだ。彼が牽制をしてキメラの気を逸らす。その間に間合いを詰めるのがウォロジス。彼は得物である大剣を斜め下からすくい上げるようにして力任せに振るう。もちろん練気法を併用して、だ。彼の大剣は片刃で、峰の部分が分厚い。こちらを使えば剣というよりほとんど鈍器である。その分厚い峰を、ウォロジスはキメラの顎に叩き込んだ。


 骨を砕く手応え。キメラは顎を砕かれ、さらに上体がわずかに浮いた。リヒターはわずかに浮いたキメラの体の下にもぐりこむと、さらに上体を起こし力任せに投げ飛ばす。その時に剣で一撃くれてやることを忘れない。


 キメラの前足がどかされると、三人目のメンバーがマーシャルの身体を確保して後衛と合流。すぐに応急処置を開始する。彼の背中の傷は深い。致命傷にはなっていないが、早急に手当てしなければ失血多量で命を落とすだろう。


「リヒター、マーシャルを連れて上に戻れ。この場は私が抑える」


「ウォロジス……、いや、しかし!」


 ウォロジスの提案にリヒターは難色を示した。このキメラはここで倒さなければならない。彼の直感は強くそう主張している。加えて仲間を一人やられたのだ。落とし前をきっちりつけてやりたいという気持ちもあった。


「あのキメラは尋常じゃない」


 ウォロジスの声に、わずかながら恐怖が混じった。リヒターはそのことに気づいたが、しかしそれを笑う気にはなれなかった。彼もまた同じ恐怖を感じていたからだ。


 ゆっくりと立ち上がるキメラ。その足元には、首が一つ落ちている。先程ウォロジスが刎ねた首だ。そう、ウォロジスはさっきキメラの首を刎ねたのだ。だというのにこちらを睨みつけるキメラには、当たり前と言わんばかりに首がちゃんとついている。


 新しい首が生えてきた。そうとしか説明しようのない光景である。背中には傷一つない一対の白い翼。この翼も片翼は斬りおとし、もう片翼もボロボロになっていたはずである。さらに体中にあった傷もまったくなくなっている。ついさっきウォロジスが砕いた顎やリヒターがつけた傷も、二人の目の前で急速に回復していく。


 全てが元通りに再生していた。その姿だけを見れば、戦う前とまったく同じだった。ただ無造作に転がるキメラの首が、ウォロジスたちの戦果をむなしく物語っている。


「ここで戦い続けても倒せるかは定かではない」


 倒せないだろう、と思いつつもウォロジスは言葉を選んだ。


「ならばこのキメラのことを他のハンターたちや騎士団に伝えなければなるまい。それにマーシャルもちゃんと手当てしてやらなければ手遅れになる」


 だから早く行け。殿は自分がやる、とウォロジスは言った。リヒターはしばらく苦しそうに逡巡したが、やがて「すまん」と一言残し身を翻した。


 リヒターが後衛に合流すると、マーシャルの応急手当は大体終わっていた。とはいえ、消毒薬をぶっかけて包帯をきつく巻いただけだ。その包帯にも、既に血が滲んでいる。完全な止血はできていないのだ。


「荷物は放棄する。急いで上に戻るぞ」


 四人のメンバーはリヒターの言葉に一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに表情を引き締めて頷いた。一人がマーシャルを背負い、五人はすぐに来た道を引き返す。


「ウォロジスは!?」


「殿を引き受けてくれた。早く行くぞ」


 リヒターの言葉にメンバーたちは悔しそうに奥歯をかみ締めた。殿と言うよりは死に残りといった方が正しいのだろう。仲間の命を犠牲にして生き残るのは、屈辱的かつ禁忌的で嫌悪感をかき立てる。だがこの場で殿を残さないという選択肢はなかった。殿がいなければあのキメラは後を追ってくるだろう。それでは全滅する可能性が高い。


「……オレを……、置いて、いけ……」


 仲間の背に負われたマーシャルが呻くようにそう言った。自分がエサになる。その間に逃げろ、と。彼の覚悟は壮絶で本物だったろう。しかしリヒターは冷徹に首を振った。


「それでは十分な時間が稼げない」


 そのことを理解できてしまうのが、マーシャルの最大の不幸だったのかもしれない。彼は悔しそうに涙を流した。


 荷物を放棄したリヒターたちは来た道を全力で走り帰還を急ぐ。それを追うつもりなのか、キメラは翼を羽ばたかせて宙に飛び上がった。しかし、それをみすみす見逃していては殿は務まらない。


「おおおおお!!」


 雄叫びを上げながら、ウォロジスは跳躍した。飛び上がったキメラを追うための大きな跳躍である。いくら集気法を使って身体能力を強化しているとはいえ、大きくて重い大剣を持ってこれほどの跳躍をすることは普通はできない。しかしそれを可能とするのが、練気法なのだ。


 精一杯腕を伸ばして振るった大剣の切っ先がキメラの翼を捕らえる。切断することはできなかったが、しかし翼を傷つけられたキメラはバランスを崩して広場の床の上に不時着した。


 キメラはウォロジスを睨みつけ、不満と敵意を乗せて低く唸る。翼の傷はすぐに癒えるが、キメラは五人の後を追おうとはしなかった。どうやら、ウォロジスを獲物として定めたようである。


 ウォロジスも大剣を正面に構えてキメラを見据える。彼の孤独な戦いが始まろうとしていた。


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