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鮮烈にして恐らくさして重要ではない邂逅

お気に入り登録件数が5900件を超えました!


読んでくださる皆様に感謝しています。

今後もよろしくお願いします。

 ノートルベル学園武術科五年生の夏休みは特別である。なにしろ三ヶ月もある。いや、夏休みと規定されているのは八月と九月の二ヶ月間なのだが、五年生は七月の授業がほとんどないのである。よって学生側の感覚からすれば七月から三ヶ月間の夏休み、ということになる。


 もっとも、長い休みだからと言ってゆっくり休めるわけでも、ぐうたらと遊べるわけでもない。なぜなら彼らは武術科の五年生。卒業のために迷宮(ダンジョン)に潜り、十階層を目指して遠征を行わなければならない。というより、そのために七月の一ヶ月間が丸ごと休みになっているようなものだ。


 そのため、彼らにとって夏休みは名ばかりの休みでしかない。毎年、長期休暇になると故郷に帰省していた者たちも、五年生の夏休みは攻略を優先する。まずは卒業しなければならないからだ。


 そしてなにより、最後の夏休みである。


 ノートルベル学園武術科は六年制。しかし学年と学年の間に長期休暇があるため、つまり学年が上がる前に長期休暇があるため、六年生の夏休みというものは存在しない。六年生は夏休みに入る前に卒業してしまうのだ。


 だから、夏休みを得られるのは五年生で最後なのだ。そして最後になると思えば、なんとなくでも感慨深く思えるものである。


 まあ、ほとんどの五年生にとっては忙しい夏休みで、感慨を感じている暇などないだろう。しかし一部の学生、具体的に言うならすでに実技要件を達成している学生たちは卒業のためにあくせくする必要もなく、感慨に浸ろうと思えばそのための時間は十分にある。


 そしてその一部の学生の中に、ルクト・オクスは文句なく入っている。ただし彼の場合、個人的にして深刻な理由のために、ゆっくり休む暇もぐうたら遊ぶ暇もない。借金を、しかも諸事情あって増えてしまった借金を返すためには、しっかりと働かなければならないのである。


 とはいえ、やはり最後で、それゆえ特別な夏休みである。


 なにか特別なことをしよう、とルクトは思った。将来、学園生活を思い出したときに「馬鹿なことをしたもんだ」と笑えるような、そんな特別なことを。


 金がかかるのはダメだ。人の迷惑になることもダメだ。当然である。そして長期間拘束されるのも避けたい。長くても、一週間が限度だろう。さらにできることならば、誰もやったことのないことをやってみたい。


 さてなにかいいことはないだろうかと考えた結果、ルクトはとある事を思いついた。考えていた条件にピッタリと合致するものだ。多少のお金はかかるが、それも日々の生活費とさして変わらない額。


 いける。これにしようそうしよう、とウキウキな気分でルクトはそう決めた。そしてカレンダーを見ながら予定を決める。一週間くらいは時間をとれそうだと思い、ルクトは満足そうに頷いた。


 カデルハイト商会で毎年やっているバイトをつつがなく終わらせると、その翌日、ルクトは郊外に建つレイシン流道場へと足を向けた。コンビを組んでいる同郷の幼馴染、ラキア・カストレイアがここに下宿しているのだ。一週間ほど時間をとって、いわば遊ぶつもりなのでそのことを教えておく必要があるだろう。もちろん一緒に遊びたいというのであれば大歓迎である。


「遊ぶって……。何というか、やっぱり変わったよ、ルクトは」


 苦笑気味にそう言ったのはルクトの話を聞いたラキアだ。彼はヴェミスにいた頃は生き急いで切羽詰っているように見えたし、カーラルヒスで一緒に攻略をするようになってからもお金には厳しい人間だった。少なくとも、稼ぐチャンスを逃すようなマネは絶対にしなかった。


 そんな彼が、一週間程度遊ぶという。以前ならば絶対に考えられないようなことだ。何というか、余裕を持てるようになった、と言えばいいのかもしれない。そしてそれはきっと良いことなのだろう。


「最後の夏休みだからな。浮かれているのさ、オレも」


「本当に浮かれている人間は自分でそんなことを言いはしないと思うが……。まあ、そういうことにしておいてやろう」


「ありがとさん。……それで、ラキも一緒にどうだ?」


「どう、と言われてもな。そもそも何をする気なんだ?」


 そう言われ、ルクトはまだなにをするつもりなのか話していなかったことを思い出す。すぐに教えてしまっても良かったのだが、ルクトは「何だと思う?」と逆に尋ねてみた。


「そうだな……。海水浴、か?」


「ああ、それもいいな」


 カーラルヒスの近くに海はない。ただ、100キロほど南西に行った所にオーフェルという衛星都市があり、ここは海に面している。ちなみにカデルハイト商会のバイトで小麦を運び、塩を買い付けてきたのがオーフェルである。


「またロイたちを誘って行くのもいいかもな」


 二年ほど前になるか。レイシン流道場の一人娘であるクルーネベル・ラトージュと出会った頃、バイトのついでにロイたちと四人でオーフェルまで遊びに行ったことがあった。


 オーフェルまでは片道で100キロもあるから、普通であれば気軽に遊びに行けるような場所ではない。だが、荷物を全て〈プライベート・ルーム〉の中に入れ、集気法にもの言わせて走れば一日で行くことができる。


 もう一度バイトをするのも悪くないし、オーフェルに行けば夏休み中に稼いだ魔石を高いレートで換金できる。それに今年の夏休みは、ロイたちのパーティーも全員揃っているという。毎年夏休みに帰省するテミスとソルが今年は帰省せず、夏休み中攻略を続けるそうだ。連中も誘って海水浴に行けば、きっといい思い出になるだろう。


 悪くない、と思ったルクトは今度話をしてみようと思った。ただ、海水浴は今回彼がしようと思ったことではない。


「それで結局、何をするつもりなんだ?」


「うん、迷宮を登ってみようと思うんだ」


 それを聞いた瞬間、ラキアは一切の動きを止めて固まった。そのまま十数秒沈黙し、それからようやく「……は?」と頬を引くつかせながら声を漏らした。


「うん、迷宮を登ってみようと思うんだ」


 ルクトがまったく同じ台詞を繰り返すと、ラキアは無言で彼の額に手を当てた。


「熱はないぞ、熱は」


「こんな真昼間から酔っ払っちゃダメじゃないか」


「素面だよ、オレは」


 真顔でルクトが抗弁すると、ラキアは今度は無言で彼の頬を引っ張った。


「夢じゃないから。というか、そういうことは自分にやらないと意味がないだろうに」


「そうか……、借金苦でついに頭が……」


「そろそろ怒るぞ」


 戯れあって、閑話休題。


「血迷ったのか?」


「いきなり酷いな……。大真面目だぞ、オレは」


「なお悪い」


 呆れた顔でそういうラキアの言葉は、しかし普通に考えれば尤もなことである。普通、迷宮とは“潜る”もの、つまり下を目指すものなのだ。より下の階層へ行けば行くほど、モンスターがドロップする魔石は大きくなり、より稼ぐことができる。だからこそハンターたちは下を目指すのだ。上を目指すなど、聞いたこともない。


「そもそも、どうやって登るつもりなんだ?」


 普通、ハンターたちは迷宮を登ろうとはしないし、またそもそも登ることができない。なぜなら、迷宮の通路は基本的に下へ下へと向かっているからだ。上へと向かう通路がない以上、空を飛ぶのでもない限り上へ行く手段などないのだ。


 しかし、そんな事情もルクトには関係ない。


「昔の偉い人が言いました。『通路がないならシャフトを使えばいいじゃない』」


〈シャフト〉とは、迷宮の中に乱立している巨大な岩の柱のことである。ルクトはもともとシャフトを移動のために使っていた。もちろんそれは潜るためであったのだが、シャフトは下だけでなく上に向かっても伸びている。だからこれを使えば迷宮の上のほうへ登ることは可能である。


「それができるのはお前だけだ!」


 ただ現実問題としては、ラキアの言うとおりそんな事ができるのはルクトだけだろう。そもそも普通のハンターはシャフトを移動のために使おうとは思わない。


「それは荷物があるからだろ? 身一つならそんなに大変なことでもないぞ」


 だからラキも一緒にどうか、とルクトは幼馴染を誘った。それを聞いた途端、ラキアはなんともいえない顔をした。シャフトを登っている自分を想像したのかもしれない。


「……仮に、落ちたらどうするんだ?」


「え? 普通にリカバリーするけど。〈プライベート・ルーム〉に飛び込んで」


「……わたし(・・・)が、落ちたらどうするんだ?」


「……き、気合と根性でなんとか……」


「なるか!」


 ごもっとも、である。遊びに命はかけられない。結局、迷宮を登るのはルクト一人でやる事になった。ちなみに、海水浴には行きたいそうだ。



▽▲▽▲▽▲▽



 カーラルヒスで迷宮に入るためには、まず受付けで簡単な手続きをしなければならない。そこでは迷宮に入った人物とそこから帰ってきた人物、そしてその時間を記録している。


 悲しい現実ではあるが、迷宮に入ったまま帰ってこないハンターもいる。つまり攻略中に死んでしまったハンターだ。迷宮で命を落とすハンターは、決していなくならない。


 彼らのことは全て記録に残る。つまり、「帰還した日時が記録されない」という記録が残るのだ。基本的に一ヶ月間の記録をつき合わせて帰ってきた記録がないと、そのハンターは死亡したと認定される。だから、受付けで働いている人たちは、記録の上でとはいえ日常的に人の死に接しているのだ。


「あら、ルクト。今日は一人なの?」


 迷宮に入るため受付けをしていると、ルクトはそこの窓口のお姉さん(年齢的にそろそろ“お姉さん”を逸脱し始めているが)からそう声をかけられた。彼女はルクトがソロでやっていた頃からなにかと気をかけてくれた人物である。彼がコンビを組んだときも喜んでくれた。


『これで死ぬ危険性が下がったわね』


 そう言って、大きく安堵の息を吐いてくれたものである。その時「他人事なのに」と内心で苦笑していたら、「自分のことなのにのん気すぎる」と怒られたものだ。


「合同遠征でもないみたいだし、ラキアちゃんはどうしたの? まさかケンカでもしてコンビ解消された?」


「まさか。ちょっと一人でやりたいことがあるだけですよ」


 ルクトがそう答えると、受付けのお姉さんは「わざわざ一人で迷宮に潜るなんて物好きねぇ」と心底呆れた声で言いながら彼に学生証を返した。それを聞いてルクトは苦笑する。彼はこれから迷宮に“潜る”のではなく“登る”つもりなのだが、それをこの場で説明するつもりはなかった。長くなるだけで、どうせ意味などないのだから。説明にも、そして行動にも。


「分かっていると思うけど、無茶だけはしちゃダメよ?」


 卒業も近いんだから、と受付けのお姉さんは念を押す。「もちろん」とルクトが真顔で頷くと、お姉さんはなぜか大きなため息をついた。納得いかない。


 さて迷宮に入ったルクトは、まずは普通に迷宮の中を進む。そして一階層の人気がない場所を目指す。ほとんどのハンターはすぐに下の階層へいけるルートを通るので、人気はすぐに消えてルクトは一人になった。


「よし……、コイツでいいか……」


 広場を貫く巨大なシャフトを見上げてルクトはそう呟いた。見上げる先は闇の中に隠れ、その先端を見ることはできない。シャフトの直径は五十メートルほどもあるだろうか。シャフトのサイズにも色々あるが、これは中の上といったところだ。


 登るに不足なし。胸のうちでそう呟き一つ頷いてから、ルクトはさっそくシャフトを登り始めた。この上で一体なにが待っているのか。たぶん何もないんだろうな、とは思いながら。


 さてシャフトを上り始めて三日。頂点はまだ見えない。もっとも、見えないのは予想の範囲内だが。


 シャフトから見える光景は、さして面白いものではない。ただ、ここにはいつもの白い通路がない。ただ、空漠とした迷宮の闇の中に幾つかのシャフトが浮かぶようにして乱立している。


 高さの感覚が麻痺しそうな場所だ、とルクトは思う。どれだけ上に登ろうとも見える光景に大きな変化はない。潜る場合には白い通路があり、そのおかげで高低差の感覚がはっきりするのだが、ここではどれだけ登っても「登った」という実感が得られない。


 報われないことだ、とルクトは苦笑する。馬鹿なことをやっているという自覚もあった。だが、それでいい。最後の夏休みだ。ハメを外して馬鹿になるのもいいだろう。


 それにシャフトに登ったその全てが無駄だった、というわけでもない。登っているその途中で、なんと〈採取ポイント〉、つまりモンスターを倒すことなくインゴットなどの資源を入手できる場所を見つけたのだ。


 なんでこんな場所に、と思いつつもありがたく採取させてもらった。今まで誰も取りに来なかったせいか、結構な量と質である。それなりの儲けになるだろう。ただし、普通に遠征をした方が当たり前に稼げるが。


「帰りにもう一度来られるといいけど……」


 とはいえ、それ以上はもう来ることもないだろう。シャフトを降るのではなく登った先にある採取ポイントなど、効率が悪すぎる。


 ただ、採取ポイントを見つけたことで「ここもやっぱり迷宮の中なんだな」とルクトは妙に納得した。いや、迷宮の中なのは当たり前なのだ。だが普通迷宮に入るものにとって「迷宮の中」とはすなわち白い通路が続く下部を指し、そしてそれが全てだ。だからこうして迷宮の上部にいると、なんだか自分の世界が広がったみたいでちょっと嬉しかった。


 ただ、三日目にはそんな感慨もすでに去り……。


「飽きたな」


 短く、しかしはっきりとルクトはそう呟いた。登れど登れど先は見えず、しかも同じ風景ばかり。そういうものだろうとは思っていたが、しかしさすがに飽きてきた。


 そろそろ帰ろうかと思いふと上を見上げたとき、ルクトは視界の端に引っかかるものを見た。なんなのか、はっきりとは見えない。ただ迷宮の闇の中に紛れるようにして、何かがある。


「前言撤回、だな。面白くなってきた」


 そう呟いてから、ルクトはシャフトを再び登り始める。見えたものが何なのか。それはまだ分からない。だが、より上のほうに行けば少なくともよりはっきりと見ることができるだろう。


「途中からちゃんと見えてはいたけど、コイツは……」


 ルクトが例のモノにたどり着いたのは、三日目の夜だった。本来ならば、この時間はすでに引き返しているはずだった。予定は七日間。往路に三日半、復路に三日半。それが本来の予定だった。


 しかし、ルクトはその予定を変更しさらに上に登った。理由はもちろん、だんだんとはっきり見えてくる例のモノをもっと詳しく調べるためだった。シャフトを登る機会など、この先恐らくないだろうから。


 遠めに見えていた例のモノ。それを一言で言い表すなら「樹の根」だ。樹の根が広がって何本かのシャフトに絡み付いているのだ。何本もの根が絡み合って綱のようになっており、人ひとりが立って歩けるくらいの太さと幅がある。


 ルクトは登っているシャフトに絡みついたその樹の根に触ってみるが、なんと言うことはない、普通の樹の根っこである。ただし、瑞々しさは感じない。枯れ木、というのが一番似合う状態だ。


 ルクトの目の前にある樹の根。その根を追うようにして彼は視線を動かした。辿っていくその先にあったのは、一本の樹だ。ただし、やはり枯れていて緑の葉は一枚もついていない。ただ、その木は大樹と呼ぶにふさわしい立派なもので、宙に浮かぶようにしてそこにあるその姿は、枯れ果てた姿といえども神秘的で、見る者にある種の畏怖を抱かせる。


 当たり前、といわんばかりに堂々とその樹はそこにあった。とはいえ、迷宮の中に樹があるなど、とてつもない異常事態である。迷宮の中で〈植物〉タイプのモンスターが出現(ポップ)することはあるが、しかし植物そのものが生えているところなど、これまで見たことも聞いたこともない。


「わりと、しっかりしているな……」


 シャフトに絡みつく樹の根を押したり引っ張ったりしながら、ルクトはそう呟いた。これならば乗って歩いてみても、いきなり崩れ落ちるということはなさそうだ。それを確認すると、ルクトは樹の根に足を乗せてそこに立ち、浮かぶようにして佇む大樹のほうへ歩いていった。


 樹の根の上は思ったよりも歩きやすかった。もちろん、白い通路ほどに平らではないが十分に許容範囲内である。


 遮る物のない場所であり、大樹の姿ははっきりと見えている。しかし、距離は随分と離れているように見えた。普通に歩くだけでは、十数分かかるかもしれない。とはいえ急ぐ理由もなく、ルクトは警戒の意味も含めてゆっくりと歩を進めた。


 そんなルクトの行く手に、不穏な空気が漂う。彼が歩く樹の根の上でマナが収束して燐光を放ち始めたのだ。すなわち、モンスターの出現する予兆である。


「ち……!」


 ルクトは鋭く舌打ちをする。彼がシャフトを登り始めてからモンスターが出現し襲い掛かってくることはなかった。それがここへ来てなぜ、という疑問が彼の頭をよぎった。


(いや、ここへ来たから、か……?)


 明らかにこの樹の根の上というのは、迷宮の中において異質な場所だ。もともと迷宮は常識が通用する場所ではないが、そのなかでもさらに異質な場所と思えば、モンスターの出現くらいむしろ当然のことかもしれない。


(なんにせよ、今は迎撃優先……!)


 緊張を高めて太刀の柄に手を添え、ルクトは戦闘態勢へと移行する。そしてモンスターが出現するその瞬間を狙い済まして太刀を鞘から走らせた。


 ――――カストレイア流刀術、〈抜刀閃・翔刃〉


 太刀の刃は空を切るばかりだが、そこから放たれた烈が刃となってモンスターに襲い掛かる。練気法を駆使して放った烈の刃は、出現したばかりの狼タイプのモンスターの身体を易々と切り裂いた。


 モンスターを倒したにも関わらず、ルクトは四肢に力を込めると一気に前に出た。彼の意識は先程倒したモンスターの、さらに後方に向いている。そこには出現の予兆である燐光が、樹の根の上に連なるようにしてルクトを待ち構えていた。


(〈プライベート・ルーム〉を使うっていう手もあるけど……!)


 つまり〈ゲート〉を開いて、襲い掛かってくるモンスターを全て中に隔離してしまうのだ。ここはさして広くもない一本道。モンスターは前方からしかこないだろうし、〈ゲート〉を潜らせるのはさして難しくないように思える。さらにここが決して戦いやすい場所ではないことを考えると、十分にアリな選択肢だ。


 しかし、ルクトは自分で倒すことを選んだ。その理由は、〈ゲート〉を目の前に開くと当たり前に視界が遮られてしまうからだ。モンスターの全てが自分から〈ゲート〉に飛び込んでくれると期待するのは虫が良すぎる。そうである以上、自分で視界をふさいでしまうのはむしろ危険だった。


 狼タイプのモンスターが出現した場所には、魔石が一つ残っていた。やはりあれは普通のモンスターらしい。ルクトは〈ゲート〉をすぐわきに開くと、足で蹴って魔石をその中に入れた。その間も彼の視線は先に、立ちふさがるように連なる燐光に向けられている。


 モンスターが出現する。しかも、十秒ほどの差を付けて次々と。いつものルクトならば「稼ぎが増える」と喜びそうな光景だが、場所が悪すぎる。せめて自由に動けるだけの広さがあれば、とルクトはほぞをかんだ。


 しかし、ないものねだりをしても仕方がない。幸いにして出現のタイミングにはタイムラグがある。その間に一体ずつ手早く倒す。そう決めると、ルクトは前に出た。そのすぐ脇を開きっ放しになっている〈ゲート〉が音もなくついてくる。ちゃんと訓練を続けていた成果もあって、この程度の制御なら片手間にできるようになっていた。


 出現したモンスターに、幸いにして大型のモンスターはいない。狼やスケルトンといったタイプのモンスターを、ルクトは順番に一撃か二撃で撃退していく。その動きは鋭く激しいが、しかしその一方で安定しており無理を感じさせない。


 スケルトンがショートソードを突き出す。ルクトの集中力は研ぎ澄まされており、その動きはまるでコマ送りのようにゆっくりとしていた。彼は太刀を突き出された刃にそっと沿えると、その軌道をわずかに外側に逸らす。


 スケルトンが体勢を崩した。そこで視界に映る映像が速度を取り戻す。ルクトは太刀を下から斜めに斬り上げてスケルトンを屠った。


 燐光に包まれ、マナに還っていくスケルトン。しかしルクトの意識はすでにその次に向いていた。次に襲い掛かってきたのは硬い甲殻を持つダンゴムシのようなモンスターだ。そのサイズは大型犬ほどもある。


 身体を丸め、転がりながら襲い掛かってくるダンゴムシ。足場は随分とデコボコしているというのに、ダンゴムシはまっすぐにルクトのほうに向かってきた。その光景にルクトは舌打ちし、姿勢を低くしてタイミングを計る。


 ダンゴムシが跳ねる。どうやら狙いはルクトの顔面。その攻撃をルクトは身を低くしてかわした。さらにスケルトンがドロップした魔石を回収して〈ゲート〉のなかに放り込む。


 ルクトの後ろでダンゴムシが着地する。しかし、音からしてうまく着地できなかったようだ。どうやら落ちたようである。振り返ってそれを確認することもなく、ルクトはさらに前に出た。


 襲い来るモンスターをルクトは一体ずつ手早く倒していく。決して二体以上のモンスターを同時に相手にはしない。少々強引になろうとも、一対一を何度もする、という形を崩さない。それが一番安全だからだ。ちなみに、倒したモンスターの魔石は全て回収している。妙なところで器用な男である。


 そうして戦うこと、およそ十分。ルクトは大樹の根元(根の上を移動してきたのだが)に到着した。大樹の元に到着すると、理由は分からないが不思議とモンスターの出現は収まった。「もしかしたらここで戦闘をしたくないのでは?」とも思ったが、それはさすがに考えすぎだろう。なんにせよ、もう戦わずに済みそうなのはありがたかった。

「しっかし、見事に枯れ果てているな……」


 大樹を下から見上げてルクトはそう呟いた。遠めに見て分かっていたことではあるが、緑の葉は本当に一枚もない。それなのに、ルクトは大樹からむしろ力強い生命の息吹を感じた。その大樹から濃密なマナの気配を感じるのである。


(本当に何なんだろうな、この樹は……)


 考えてみるが、分かるはずもない。とはいえ興味はそそられるので、ルクトは樹の周りを歩きながらその姿を観察し始めた。


 一周してみて、特に変わったところはない。それで少し登ってみると、大きな枝の影で下からは死角になっていた場所に大きな(うろ)があった。詰め込めば人が三人くらいは入れそうな大きさである。


 その洞の中に降りると、ルクトは若干の息苦しさを覚えた。マナの濃度が高いのだ。ここまでくると、この大樹は迷宮からマナを吸収して圧縮しているようにしか思えなかった。


 ルクトが洞の中に立ちゆっくりと周囲を見回すと、彼の目の前でさらに不思議なことが起こった。


 枝が一本、洞の表面から生えてきたのである。唖然とするルクトの目の前で枝は三十センチほどの長さまで成長し、さらに緑の葉を数枚付けた。そしてあろうことか花を咲かせ、すぐにその花は散ったが、その後に一つの実を残した。ルクトが恐る恐る手を伸ばすと、その実はひとりでに落ちて彼の手に収まる。


 樹の実、と呼ぶにはじつにそれらしくない実だった。「実」と呼ぶよりはむしろ「宝石」と呼んだ方が分かりやすい。大きさは直径が一センチくらいの丸い(ぎょく)で、色は深みがありながらも透明感を覚えさせる藍色。満月が照らす明るい夜空を連想させる色だ。触ってみると、金属的な冷たい硬さはない。表面には星を散らしたような輝きがあり、それがますます夜空を連想させた。


 手のひらの上のソレを、ルクトは半ば呆然としながら摘み上げる。コレが一体何なのか、と彼が頭を捻るより早く、しかし彼の耳に不吉な音が届き始めた。


 軋むような音である。そして何かが耐え切れなくなり、割れて崩れていくような音だ。その音を聞いた瞬間、ルクトは即座に動いた。


 夜色の玉をともかく上着のポケットに突っ込むと、ジャンプして洞から飛び出す。一瞬だけ耳を澄まし視線をめぐらせれば、限界を知らせる耳障りな音が四方から響き、樹の根や幹に亀裂が入っている。


 ルクトは駆けた。のんびりとしている暇はない。そんな事をしていればこの大樹が崩落するのと一緒に落ちてしまうだろう。ルクトはシャフトへと伸びる樹の根の上を全力で疾走した。


 背後で一際大きな音が響く。ついに大樹が崩落したのだ。ルクトが今走っている樹の根はまだ大丈夫だが、しかし後ろから順に崩れて迫ってくる。そして崩れるスピードは、ルクトが走るスピードより速い。


「い!? ちょっ……、ええい!」


 意味不明な声を上げながら、ルクトは大きく跳躍した。その一瞬後、彼が走っていた樹の根が完全に崩れる。


 ルクトが跳躍した先にあるのはもちろんシャフトだ。だが、シャフトには着地に適した平面は存在しない。このままでは岸壁に叩きつけられることになる。しかしそれは織り込み済み。ルクトは岸壁すれすれに〈ゲート〉を開くと、身体を丸めてそこに飛び込んだ。


 ガツン、と腕に衝撃が来る。ルクトはそのまま頭を守るようにして〈プライベート・ルーム〉の中を転がって勢いを殺した。


 身体が完全に止まると、ルクトはゆっくりと手足を伸ばす。色々とぶつけはしたがどれも軽症だ。ルクトは仰向けになると上着のポケットを探り、先程入手した夜色の玉を取り出して目の前にかざした。


 夢では、なかった。少なくとも、ここにこうしてその証拠がある。そう思うと、なんだか笑いがこみ上げてくる。堪える理由もなく、ルクトは声を出して笑った。


 ひとしきり笑うと、ルクトは夜色の玉を上着のポケットに戻して起き上がった。それから開けっ放しになっていた〈ゲート〉から頭だけ出して外の様子を伺う。


 外には何もなくなっていた。シャフトに絡みつく樹の根も、宙に浮かぶようにして佇む大樹も、全てなくなっていた。まるで、最初からここには何もなかったかのようだ。そこにはただシャフトがぼんやりと浮かぶだけの、見飽きた光景しかなかった。そのことに一抹の寂しさを覚えながら、ルクトは〈プライベート・ルーム〉のなかに引っ込んだ。


 メシでも食って寝るか、と思った次の瞬間、ルクトは“トン”と背中を押された。前につんのめるほど強い力ではない。だがルクトは腹の奥に鈍いものを感じた。


 無防備な背中を、誰かに押されたのだ。だれか、ルクト以外の人間がここにいることになる。もしその誰かに悪意があれば、背中を押す代りにナイフを突き立てられていたかもしれないのだ。


「やあ、たしか……、ルクト・オクス君だったね。失礼するよ」


 一体誰が、とルクトが思うより早く件の人物が彼に声をかけた。その声を聞いてルクトはさらに肝を冷やす。以前に一度、聞いたことのある声だったからだ。


 ルクトはゆっくりと振り返る。彼の心臓は警鐘のようにうるさく鳴り響いていた。そしてそこにいたのは、もしやと思ったまさにその通りの人物だった。


「…………御伽……噺……」


 全体的に見て、胡散臭い印象を覚える男だった。ツヤのない黒い髪の毛は無造作に伸ばされており、顔つきはのっぺりとしていて特徴がない。だが、ただ一点、丸眼鏡の奥の目は狂気じみた光を爛々と輝かせ、見る者に強い印象を与える。


 この世に存在する長命種(メトセラ)の一人、二つ名は〈御伽噺〉。去年の夏休み、エグゼリオに行く道中で遭遇した人物だ。本人がすき好んで二つ名を名乗っているため、本名はルクトも知らない。彼の後ろには髪の毛を短く刈り込んだ、目つきの鋭い鋭角的な雰囲気の青年もいる。〈シャドー・レイヴン〉と呼ばれていた青年で、彼ももちろん長命種だ。


「覚えていてくれて嬉しいよ」


 そう言って〈御伽噺〉がにっこりと柔和に微笑む。しかしその笑みを見た瞬間、ルクトは総毛立つのを感じた。反射的に距離を取って腰を落とし太刀の柄に手をかけようとしたその瞬間。


「止めたまえ」


 苦笑を含んだ、〈御伽噺〉の声。その一言で、ルクトは動けなくなってしまった。手を太刀の柄にかけることも、戻して警戒を解くこともできず、彼は中途半端な姿勢で固まった。


「君と争う気はないよ。ノックもせずに入ってきたのは悪いと思うが、なにしろノックをする扉もなかったものでね」


 おどけた口調でそう言い、〈御伽噺〉はクスクスと笑った。だが生憎とルクトはそれに合わせて笑えるような心境ではない。


「……何の用、ですか……?」


「なに、随分と面白そうな能力だったのでね。見学に来てみた」


 硬い声で問いかけるルクトに、〈御伽噺〉は堂々とそう答えた。傲慢とも思える返答だが、今のルクトにそれを咎めるだけの余裕はない。圧倒的な実力差が、その傲慢を正当化していた。


「…………お茶でも、出します」


 睨み合うこと、数秒。ようやくルクトはそう言って上体を起こした。もっとも、睨んでいたのは一方的にルクトだけで、〈御伽噺〉は面白そうに笑みを浮かべていただけだ。後ろに控える〈シャドー・レイヴン〉も、警戒する必要がないと判断したのか前に出てくることはなかった。


「おや、そうかい? すまないね。せっかくだし、ご馳走になるとしようか」


「あちらにゲルがあるので、そちらにどうぞ」


「いやいや、お構いなく。我々はここで十分だよ」


 おどけた調子でそう言うと、二人は〈プライベート・ルーム〉の味気ない床の上に腰を下ろした。そして〈御伽噺〉は「興味深い……」と呟きながら周りを観察し、〈シャドー・レイヴン〉はルクトの動きに意識を向けている。露骨に視線を向けることはないが、それで十分なのだろう。


(どうする、どうする……?)


 お茶の準備をしながらルクトは必死に考えをめぐらせる。何を言えばいいのか分からず、つい「お茶を出します」などと言ってしまったが、しかしこうして考える時間が得られたのは幸いだった。


 二人を隔離するだけならば話は簡単だ。〈プライベート・ルーム〉を区切ってしまえばいい。そして区切った部屋を消せば、二人を外に放逐することができる。また放逐せずとも、区切ったままそこに閉じ込めておくという手もある。


 だが、それをやってしまえば長命種である二人と敵対することになるだろう。しかも片方があのセイルハルト・クーレンズでさえ警戒する相手、〈御伽噺〉である。そんな相手とは絶対に敵対したくなかった。


(餓死するまで閉じ込めておけば……。いや、ダメだ。相手の能力が未知数すぎる)


 仮に閉じ込められたとして、二人がそのまま何もできずに死んでくれると期待するのはさすがに虫が良すぎるだろう。相手は長命種。この世に存在する本物の超越者なのだ。


(戦うつもりがないというのであれば、このまま穏便に帰ってもらうのが一番良い、か……)


 ひとまずそう結論する。なにしろルクトなど戯れに殺してしまえる相手だ。敵意や反感を持たれることは絶対に避けなければならない。ちなみに、敵対の意思がないことを示すためにも、〈ゲート〉は開いたままにしている。


 お湯が沸くと、ルクトは紅茶を淹れて二人に出した。ミルクと砂糖、それにハチミツとドライフルーツも出す。出し惜しみなしである。


「ほうほう、これはなかなかに豪華だ」


〈御伽噺〉はそう嬉しそうな声を出しながら出された紅茶に手を伸ばす。毒などを警戒している様子はない。もっとも、そんな物用意すらしていないが。


「そうそう、そう言えばアーカーシャ帝国の地方都市ベトエイムだが、反乱は上手く行っているようだよ」


 唐突に、〈御伽噺〉はそう言った。およそ一年前、ベトエイムで反乱が起こった。とある事件のせいで騎士団が大きく戦力を低下させた隙を狙ってレジスタンスが蜂起。総督のワルター・ギースを捕らえて即日処刑し、帝国からの独立を宣言した。


 帝国がこの事態を容認するはずもなく、すぐさま近隣の三つの都市に命じてそこからそれぞれ鎮圧軍を出させた。しかし、功を焦ったそれらの三つの部隊は連携を取ることができず、結局ベトエイムの反乱軍によって各個撃破された。


 ベトエイムにしてみれば最初の大きな壁を乗り越えた、といったところか。しかしこれによって独立が確たるものになったわけではなく、次は帝都アーカーシャから皇帝直属の最精鋭部隊が鎮圧に向かうだろう、というのが〈御伽噺〉の見立てだった。


「まあこの流れは当初から想定されていたものだろうし、順調だと思うよ。君にとっても喜ばしいことではないのかね、ロイニクス・ハーバン君?」


 面白そうに笑いながら、〈御伽噺〉は顔面を蒼白にしたルクトにそう問いかけた。ロイニクス・ハーバンとは彼の友人の名前だが、同時にベトエイムで使った偽名でもある。


 それを、〈御伽噺〉が知っている。いや、彼が知っているからといってどうもならないのかもしれないが、しかし〈御伽噺〉という存在の得体の知れなさを思い知らされるには十分だった。少なくとも、一見何も関係ないベトエイムの話のせいで、この場の主導権は完全に彼のものになってしまった。もっとも、〈御伽噺〉相手にルクトが主導権を握れるはずもないのだけれど。


「……ところで、お二人はどうしてこんなところに?」


 上手くないとは思いつつ、ルクトは露骨に話題を変えた。そんな彼の下手な話術に、しかし〈御伽噺〉は上機嫌な様子で面白そうに笑みを浮かべている。


「レイヴンの個人能力が〈バック・ドア〉と言うのだがね、まあ、その関係だと思ってくれればいい」


 ベトエイムの話題をさらに続けることもなく、紅茶を飲みながら〈御伽噺〉はそう答えた。ここはシャフトを登った先。普通であれば誰も来ようなどとは思わない場所だ。恐らくその〈バック・ドア〉という能力を使ってこんな場所に来たのだろうが、しかし能力の詳細については何も話さない。もっとも、普通能力は秘匿するもの。当たり前とも言えた。


「そういう君のほうはどうしてまたこんなところに?」


「最後の夏休みなので、誰もしたことのないことをしてみようと思って……」


 ルクトが正直にそう答えると、〈御伽噺〉は「ほう」と感心したように声を漏らした。


「それは素晴らしい。君の思考が硬直していない証拠だ」


 そう言って〈御伽噺〉は、まるで出来のいい生徒を褒めるようにしてルクトのことを褒めた。しかし次の瞬間、彼の視線が鋭さを増す。


「そしてここまで来た君は、あの枯れた巨木に興味を持ったわけだ」


 そう言われた瞬間、ルクトは「見られていた」と思って身を硬くした。悪いことをしたわけではないのだが、なぜか現行犯逮捕された犯罪者の気分である。


「アレには私も興味があってね。だが、残念なことに詳しく調べる前に崩落してしまった。良ければ君の知っていることを教えてくれないかね?」


 もちろんタダとは言わないよ、と〈御伽噺〉は告げる。


「聞かせてくれたら、君を下まで送ろう。ああ、それとももっと上に行きたいかね?」


「……下、でお願いします」


 ルクトはそう答えた。ここで断るという選択肢は彼にはない。隠すようなことではないし、見られていたのであればなおさらだ。それより、変に隠し立てして〈御伽噺〉に反感をもたれる方が怖い。


 分かった、そうしよう、と〈御伽噺〉が鷹揚に頷く。紅茶を少しだけ飲んでから、ルクトは件の大樹について話し始めた。


 そうは言っても、話せることはそう多くない。シャフトを登っていたらあの樹の根を見つけたこと。その根の先に大樹を見つけ、興味を持ったこと。根の上を歩いて大樹に近づいたらモンスターが連続で出現したこと。大樹の内側に大きな洞があり、そこに入ってみたらマナが濃いせいか多少の息苦しさを感じたこと。


 ただし、その洞の中で手に入れた夜色の玉についてはなにも話さなかった。洞に入って少ししたところで大樹の崩落が始まり命からがら脱出した、ということにした。


「ふむ……、なるほど。『息苦しいほどにマナが濃かった』というのは実に興味深い」


 洞の中と外では明らかにマナの濃度が違った。ということは、マナを圧縮して濃度を高める作用がどこかにあった、ということに他ならない。


「ルクト君はどう思うかね?」


「オレ……、ですか?」


 まるで生徒に質問するかのように尋ねてくる〈御伽噺〉に、ルクトは戸惑いの声を返した。しかし〈御伽噺〉にそれを気にした様子はない。


「うむ。君は実際にそれを体験した人間だし、思いつきでいいので聞かせてほしい」


「そうですね……。もしかしたら根がマナを吸い上げていたのかもしれません」


 それは大樹の洞の中でも考えたことだった。根がマナを吸い上げていたのだとすれば、根に沿ってモンスターが連続で出現したことも説明がつくように思える。それに、何かを吸収する役割を根の部分が負っている、というのはイメージしやすかった。


「ふむ、なるほどなるほど……」


 ルクトの話を聞いた〈御伽噺〉はそう言って面白そうに何度も頷いた。なにがそんなに面白いのか、ルクトにはさっぱり理解できない。チラリ、と彼の隣に座る〈シャドー・レイヴン〉のほうに視線を向けてみるが、彼は涼しい顔で静かにしている。慣れているようだが、話し合いに加わる気もなさそうだった。


 それから〈御伽噺〉はルクトにさらに幾つかの質問をし、彼はそれに完全に思いつきの答えを返した。そもそもルクトだって何も分からないのだ。「分かりません」と答えなかっただけ褒めてほしいくらいだ。


 それに、〈御伽噺〉が自分にこういう学術面で期待しているとは、ルクトも思わない。もしかしたらこうやって質問することで自分の考えを整理しているのかもしれない。


「色々と参考になったよ。ありがとう、ルクト君」


 そう言って〈御伽噺〉はニッコリと笑みを浮かべた。その笑みはどうにも作り物じみていたが、しかしルクトはそれを聞いて肩の荷が下りたように感じた。どうやらこれで終わったらしい。


 しかし、彼のその心の間隙を見透かしたかのように、〈御伽噺〉は笑みを貼り付けたままこういった。


「それで君が知っていることは、本当にこれで全部、なのだね?」


「…………っ!」


 思わず、ルクトは反応してしまった。相変わらず〈御伽噺〉は笑みを浮かべている。しかし丸眼鏡の奥の彼の目は少しも笑っていなかった。


 重い沈黙がのしかかる。冷や汗が吹き出て、なぜか喉が渇いた。唾を飲み込む音が、やたらと大きく聞こえた気がした。焦れたのか、〈シャドー・レイヴン〉がわずかに動く素振りを見せ……。


「止めたまえ、レイヴン」


 そう言って、〈御伽噺〉が片手を上げて彼を制した。


「少々無作法だったね。お茶のお礼にこれ以上は詮索しないことにしよう」


 笑いながらそう言って〈御伽噺〉は立ち上がった。〈シャドー・レイヴン〉もそれに倣う。プレッシャーから解放されたルクトは、思わず大きな息をついてしまう。聞こえているのだろうが、〈御伽噺〉はなにも言わなかった。


「ではルクト君、約束どおり君を下まで送ろう。ああ、遠慮などしないでくれよ。そんな事をされては〈御伽噺〉の沽券に関わるのでね」


 おどけたようにそう言うと、〈御伽噺〉は開きっ放しにしておいた〈ゲート〉のほうに歩いていった。〈ゲート〉から先に外に出たのは〈シャドー・レイヴン〉のほうだった。彼の後を追って外に出ようとした〈御伽噺〉は、ふと思い出したかのようにルクトのほうを振り返り、そしてこう言った。


「……この白い壁の向こうには、一体どんな世界が広がっているのだろうね?」


 コンコン、と〈プライベート・ルーム〉の壁をノックするように叩きながら、〈御伽噺〉は呟くようにしてそう言った。


「……残念ながら、それはオレにも分かりません」


「そうか。では、分かったら是非教えてくれたまえ」


 そう言い残すと、〈御伽噺〉は〈ゲート〉を潜り向こう側へと消えた。長命種の二人が居なくなって一人になった〈プライベート・ルーム〉の中、ルクトはもう一度安堵の息を吐いた。あんな物騒な客を招くくらいなら〈シングル・ルーム〉のままでもいい。心の底から、ルクトはそう思った。


〈プライベート・ルーム〉の外でルクトを待っていたのは、巨大な鴉とその上に乗った〈御伽噺〉だった。〈シャドー・レイヴン〉の姿がないところを見ると、この巨大な鴉こそが彼なのだろう。長命種は個人能力を二つ持っている。〈シャドー・レイヴン〉の能力の一つは〈バック・ドア〉というらしいから、もう一つがこの巨大な鴉に化ける能力なのかもしれない。


「さあ行こう」


 巨大な鴉の背に乗ってルクトは下へと降った。言うまでもないが、その速度は登るときに比べて圧倒的に速い。およそ一時間後には、ルクトは一階層の白い通路の上に立っていた。


「ではまた。機会があれば、ね」


 それだけ言い残して〈御伽噺〉と彼を乗せた〈シャドー・レイヴン〉は去っていった。彼らの姿が迷宮の暗がりの奥に消えると、ルクトはその場にへたり込んだ。身体に力が入らなかった。


「まったく……。長命種はどいつもこいつもとんでもない……」


 そう呟くと、ようやく人心地つけたように思う。


 目の前に佇むシャフトを見上げると、不思議な気分になる。この上で起こった出来事は、いつもの遠征とはあまりにも違っていた。なんだか全てが夢だったかのようにさえ思える。しかし上着のポケットから取り出した夜色の玉が、すべては夢などではなかったと無言のうちに証言している。


「休むか……」


 ルクトはそう呟いた。正確な時間は分からないが、夜ももう遅いはずだ。休むはずだった予定の時刻は、もうとっくに過ぎているだろう。明日の朝は寝坊するかもしれない。だた、こうして一階層まで戻ってこられたおかげで、全体的な予定としては十分な余裕がある。


 パチン、と指を鳴らして〈ゲート〉を開く。


「あ……、採取ポイントによれなかった……」


 そんな事を呟きながら、ルクトの姿は〈ゲート〉の向こうに消えた。


今回は一話だけです。

続きは気長にお待ちください。

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