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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十一話 ミジュクモノタチ
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ミジュクモノタチ13

 ――――パウエル・オクスが、死んだ。


 葬儀は故人の遺言通り質素に行われた。ただそこに参列した人の数は、葬儀の規模に不釣合いだった。多くの人がパウエル・オクスを惜しみ、その死を悲しんで涙を流した。


「パウエルには、いつも助けられていました……。本当に、惜しい人を亡くした」


 そう悔しそうに泣きながら話したのは、キャラバン隊で一緒に仕事をしていた男だ。仕事柄一緒にいる時間は長く、ともすれば家族よりも彼のことを知っているかもしれない。危険な都市の外を旅し、苦楽を共にした男は手を強く握り締め搾り出すようにして少ない言葉を口にした。


「本当に、本当にすみません、奥さん! 私があの時もっとちゃんと手当てをしていればこんなことには……!」


 地面に頭をこすり付けるようにしてそう謝るのは、パウエルが狼に噛み付かれたとき、真っ先に駆け寄ってきた男だ。傷が膿んで、それが高熱の原因になり、そこから肺炎を経て結核になった。すべての元凶は最初の傷にある、ともいえるだろう。


 だからこそ彼は自分がもっとちゃんと傷の手当をしていれば、と悔やんだ。パウエルが病床に臥せっているときから何度も見舞いに来て、その回復を強く願っていた。だがその願いは、結局叶わなかった。


「いや、一番の責任は私にある。彼が、パウエル君が働きすぎていることは分かっていたのに……」


 奥方、本当に申し訳ない、とひれ伏す男の肩に手をかけて謝るのは、パウエルが働いていた商会の彼の上司だ。誰をキャラバン隊として交易の実務にあてるのかなどの一切は彼が取り仕切っていた。


 隣の都市まで旅をしなければならないキャラバン隊は、言うまでもなく過酷な労働だ。そのため常に同じメンバーが選ばれるわけではない。メンバーを入れ替えながらローテーションを組んで行われるのが普通だ。しかし、パウエルは本人の希望もあってキャラバン隊に入る頻度が他の人よりも圧倒的に多かった。理由はもちろん、給金がいいからである。


 しかし上司のほうもパウエルに甘えていたといわなければならないだろう。きつく、また危険な仕事であるキャラバン隊は希望者が少なく、人選にはいつも苦労していたのだ。そんな中、いつも手を上げてくれるパウエルの存在はありがたかった。


 パウエルの病気の治りが鈍かった理由の一つとして、医師は疲労の蓄積を上げていた。その疲労は言うまでもなくキャラバン隊の仕事によるものだ。その疲労が彼を殺した、というのは言いすぎだろう。しかし「目が行き届いていなかった」とのそしりは免れまい。


「お二人とも、顔を上げてください。きっと、誰のせいでもありませんから……」


 沈んだ声で、ミーナは二人の男にそう言った。彼女は比較的冷静だった。彼女はパウエルが息を引き取ったとき、その晩をひたすら泣いて過ごした。そして次の日からは涙を見せず、あれこれと動き始めたのである。もしかしたら看病していたときから、少しずつ覚悟を決めていたのかもしれない。


 二人がミーナの傍を離れると、入れ替わり立ち代り多くの人が彼女のもとにやって来て慰めとお悔やみの言葉をかける。やはり故人の同僚や仕事仲間が多いが、それ以外の、つまりプライベートでしかパウエルと付き合いのなかった人も多い。


 これらの人々は、パウエルがオルジュで積み上げた実績と勝ち得た信頼の証である。しかしその中に、ルクト・オクスの姿はなかった。


「シェリアちゃん、大丈夫かい……?」


 葬儀に訪れた人々は、隅っこに座るシェリアにも慰めの言葉をかけた。しかし彼女は俯いたまま小さく頷くだけで、一言も話そうとはしなかった。かけられる言葉も、聞こえてはいるが頭に入らない。まるで雑音のように耳を通り過ぎていく。


 現実感が、なかった。これが現実だとは思えなかった。


 だからなのかもしれない。彼女はまだ、一滴の涙も流していない。



▽▲▽▲▽▲▽



「死んだ、か……。随分とあっけないもんだな……」


 パウエルの葬儀を強化した視力で遠くから眺めていたルクトは、小さな声でそう呟いた。思うところは、ある。ただ、悲しいという気持ちは沸いてこなかった。代りにあるのは、取り戻せないという苦さだ。結局、ルクトはパウエルが生きている間にもう一度彼とあって話をすることをしなかった。


 逃げてしまった、と思う。そう思うと惨めで、ただひたすらに苦い。そしてパウエルが死んでしまった今、もうやり直すことはできない。


 後悔は、もちろんある。なんのためにオルジュまで来たのか。何のためにメリアージュから5000万シクを借りたのか。ここで父親との問題に、家族との問題にケリをつけるのではなかったのか。


 もう、どうしようないことである。しかし「後で悔いる」とはよく言ったもので、そんな事ばかりが頭の中をぐるぐると回っていた。


 しかしその一方で、割り切った部分もある。ただし、後ろ向きにだが。きっと何度同じ状況に置かれても、自分は同じ選択をするのだろう。そう思い、ルクトは自嘲気味に唇の端を歪ませた。


「……さて、と。これからどうすっかねぇ……」


 そう呟き、ルクトは無理やり頭を切り替えた。いつカーラルヒスに帰るのかについて、シェリアと具体的な話はまだしていない。だがパウエル・オクスは死んだ。一つ大きな節目を迎えた、と言っていいだろう。


 ――――果たしてシェリアは帰るのか、残るのか。


 それはつまり「留学を止めるのか、止めないのか」ということであり、さらに突き詰めて考えれば「ハンターになるのか、ならないのか」ということだ。


「酷いヤツだな、オレは……」


 自嘲気味にルクトはそう呟いた。義父を失ったばかりの少女に、この先の人生を左右する選択を迫る。だがシェリアにとっても、この選択は避けては通れないものだ。


「そしてオレも、か……」


 苦虫をかみ締めるようにして、ルクトはそう呟いた。実の父親であるパウエルとは結局、会って話をすることもなく死に別れてしまった。しかし彼の家族であるミーナ、シェリア、リーサは健在だ。特に、末の妹であるリーサとは半分とはいえ血が繋がっている。今の今まで兄らしいことは何もしていないが、しかし血の繋がりがあることは覆しようのない事実だ。


「『血は水より濃い』、か……」


 かつてシェリアが口にした言葉を思い出す。あの時ルクトは「恩は血よりも尊い」と返した。その言葉を彼は今も信じている。しかし、シェリアの言葉もまた真実なのだろうと思う。


(あー、違う違う。そういうことじゃない……)


 小難しく考えるのはやめようと思い、ルクトは頭を振った。つまり、だ。家族はまだ残っている。ならば、家族の問題にカタをつけなければならい。


 認めよう。パウエルと向き合うことからは逃げてしまった。それはもう取り返せないしやり直せない。しかしそれを悔いているのならば、少しでも前向きに動かなければならない。情けないのが嫌なら、惨めなのが嫌なら、みっともなくても足掻くしかないのだ。


「いい加減、餓鬼じゃないんだから……」


 自分にそう、言い聞かせる。もう一年もすれば卒業である。卒業したからと言って大人になるわけではないと思うが、しかし社会的には大人と見られるだろう。いずれにしても、いつまでも子供のままではいられない。そして、いるつもりもない。


 そのためには。そのためにも。ここできちんとカタをつけておかなければならない。他でもない、自分が納得するために。


「ま、明日以降にするか……」


 いぜん人気の多い葬儀を遠目に見て、ルクトはそう呟いた。あそこに入っていく気はなかった。いや、ないのは資格なのだろう。会って話し合うことをしなかった自分に、あそこで父の死を悼む資格はないのだ、とルクトは思った。決してヘタレたわけではない、と言い訳しながら。



▽▲▽▲▽▲▽



 パウエルの葬儀から二日目。シェリアの家を弔問に訪れる人も少なくなり、家は閑散とし始めていた。人々のざわめきが去った家は静かだった。寂しくなるくらいに。人が一人減るとはどういうことなのか。その現実が、シェリアの肩にのしかかる。


「シェリア、大丈夫? ちゃんと食べてないでしょう?」


 ミーナはいっこうに減らないシェリアのお皿の上の料理を見て、娘にそう声をかけた。パウエルが死んで以来、彼女はまともに食事を取っていない。口数が減って表情もなくなり、俯いて座っていることが多くなった。


「……食欲、ない」


 シェリアがかろうじてそれだけ答えると、ミーナはため息をついて彼女のお皿を下げた。沈む空気を敏感に感じ取ったのか、幼いリーサも不安そうな顔をして俯いている。その小さな頭を、ミーナは安心させるように優しく撫でた。


「……お母さんは、悲しくないの?」


 シェリアは俯いたまま呟くようにしてそう尋ねた。聞くべきではないと分かっている。悲しんでいるに決まっていると知っている。だがいつも通りに振舞う母親の姿を見ていると、まるで義父の死が軽くなってしまうようでたまらなかった。


「……悲しいわ。本当に」


 ミーナは家事をする手を止めてそう答えた。そして再び手を動かしながら「でもね」と言葉を続ける。


「私は母親なの。二人の娘がちゃんと悲しむためなら、私は後でいいわ」


 だから今は悲しんでいいのよ、とミーナは言った。その言葉にシェリアは小さく頷く。だが、まだ涙は流れてこない。そんな娘の様子を見て、ミーナは心配そうな顔をした。


 ちょうどその時、玄関のほうから“コンコン”とノックする音が聞こえた。どうやら客人らしい。弔問だろうかと思いつつミーナは返事をして玄関を開けた。


「どちら様でしょうか?」


 玄関の外に立っていたのは、会ったことのない若い男だった。髪の毛と瞳はどちらも黒で、身長は平均よりも少し高いくらいだろうか。身体の線は細いが、不思議と頼りない感じはしなかった。


「ルクト・オクス、といいます」


 その名前を聞いた瞬間、ミーナは「あっ!」と思った。そう言われてみれば、確かに彼はパウエルと似ている。しかしまさか彼がここを訪れるとは思わなかった。


「……ご用件は夫の、パウエルの弔問でしょうか?」


 ミーナはそう尋ねるが、しかしルクトは自嘲気味に苦笑しつつ首を横に振った。


「そのつもりがあるなら、もっと早く来ていますよ。今日は娘さんに少しお話が……」


 娘、ということは恐らく話があるのはシェリアのほうだろう。何も接点がなく、またまだ幼いリーサに用があるとは思えない。それに、シェリアが留学先であるカーラルヒスから帰ってくるのにルクトが同行したという話は本人から聞いている。


「……ともかく、中へどうぞ」


 そう言ってミーナはルクトを家の中へと招き入れた。案内したのはシェリアもいる居間。小さなこの家に、応接間などという気の利いたものはないのだ。


「シェリア、お客さんよ」


 ミーナの声に反応して、俯いていたシェリアがゆっくりと顔を上げる。そして母の後ろにいる男の姿を見ると、驚いて目を見開いた。


「……義兄、さん……?」


「よう。元気そう、でもないか」


「……なんで、いまさら……」


「むしろいまさらだから、だな」


 鈍く輝きのない瞳で見上げそう尋ねるシェリアに、ルクトは苦笑気味に答える。


「……何の用、ですか……?」


「カーラルヒスにはいつ帰るつもりだ? それとも帰らないつもりなのか?」


 ここに残るつもりなら退学届けを持っていくぐらいのことはしてもいいとルクトが言うと、シェリアは何かを堪えるようにして手を強く握りながら俯いた。力が入っているのか、身体が小刻みに震えている。


「今……、そんな話をするんですか……?」


「むしろ今しないでいつするんだ?」


 ルクトがそう言った瞬間、シェリアはイスを後ろに倒しながら勢い良く立ち上がった。さっきまで虚ろで力がなかった目には、今は激しい怒りが燃えている。青白くなっていた頬も怒りのためか薄く朱がさしている。そして、立ち上がったシェリアは勢いそのままに右手を振るった。


 避けようと思えば、避けられただろう。だがルクトは避けようとはせず、シェリアの右手が自分の頬に打ち込まれるのを甘んじて受け入れた。


 パチンッ! と乾いた音が響く。シェリアは右手を振りぬいた姿勢のまま肩を上下させて荒い呼吸をする。怒りに染まった目は相変わらずだが、その目じりには大粒の涙が溜まっていた。


「お義父さんが死んだんですよ!? 義兄さんは悲しくないんですか!?」


 叫ぶシェリアの目から涙が零れ落ちる。


「悲しくはないな」


 逃げてしまった後悔はある。だがパウエルの死そのものについては、特に悲しいという感情は起こらなかった。まったくの無関心でいられたわけではないが、動揺するほど強い衝撃を受けたわけでもない。ただ「そうか」と思うだけである。


「……ッ! 義兄さんは!! 義兄さんはお義父さんに会ってもくれなくて! お葬式にも出てくれなく! その挙句にいつ帰るのかなんて……! 自分のことばっかり!」


 泣きながら嗚咽混じりにシェリアは叫ぶ。


「なんで! なんでお義父さんに会ってくれなかったんですか!? 会ってくれればお義父さんだって……! 家族なのに! 義兄さんなんて……、義兄さんなんてもう義兄さんなんかじゃない!」


 支離滅裂だった。なにを叫んでいるのか、シェリア自身もよく分かっていないのだろう。そして最後には、ただ声を上げて泣くばかりになる。溢れ流れる涙を拭おうともせず、彼女は声を上げて泣いた。そんな彼女をミーナが少しだけ安心した様子で抱きしめる。


 そんな親子の様子を見てルクトは少しだけ困ったふうに苦笑した。なんとなく、こうなる気はしていた。見続けるのも悪いかと思い視線をそらすと、今度は不安そうに彼を見上げているリーサと目があった。


「……なあ、お父さんとお母さんとお姉ちゃん、みんなの事、好きか?」


 その問い掛けに、リーサは不安そうな表情のまま、しかししっかりと首を縦に振った。それを見てルクトは微笑を浮かべる。


「そっか」


 なら、いいや。そう思った。


 しばらく時間が経ち、ようやくシェリアが落ち着いた。目を真っ赤に腫らした彼女はミーナに促されてイスに座る。その同じテーブルにはルクトもいた。


「……見苦しいところをお見せしました」


「いえ、こちらが性急だったのでしょう」


 軽く頭を下げるミーナにルクトはそう応じた。しかしその後、「ですが」と言葉を続ける。


「ですが、留学を続けるのかどうかは近いうちに答えを出さなければならない問題です」


 ルクトは「いつカーラルヒスに帰るのか?」とは聞かなかった。より直接的に、問題の本質を言葉にする。それは「留学を続けるのか、それともここで止めるのか?」ということであり、さらに突き詰めて考えれば「まだハンターになる気があるのか?」ということだ。


 ルクトの言葉を聞いて、シェリアが身体を強張らせる。彼女はハンターになるつもりだった。ハンターになって家族を助け、守るつもりだった。そのつもりでノートルベル学園に留学したのだ。


 だが義父であるパウエルが死んでしまったことで、状況は変わってしまった。大黒柱を失ったこの家は、主要な収入源を失ったのである。


「……お恥ずかしいことですが、ウチにはもう余裕がありません」


 辛そうにしながらミーナはそう言った。学園の授業料ならばシェリアは自分で払うだろう。他の学科なら無理だろうが、武術科ならばそれも可能だ。そしてオルジュで暮らすミーナとリーサの二人だけなら、ミーナの決して多くない収入でもなんとかなるかもしれない。ほかに特別な事情がないならば。


「ジノサの、わたしの前の夫の借金がまだ残っているんです」


 言いにくそうにしながら、ミーナはそう事情を明かした。パウエルが文字通り命を削りながら身を粉にして働いても、ジノサが残した借金を完済することはできなかった。具体的な金額は明かさなかったものの、今のままでは自力での返済は不可能な額なのだろう。そうなれば待っているのは奴隷に落とされる運命だけである。


「当座は、まだ何とかなります」


 実はパウエルが勤めていた商会が、まとまった額の見舞金をくれたのだ。彼の上司だった男が掛け合ってくれたのである。ミーナだって働いているし、このお金があれば一年、ともすれば二年くらいは大丈夫かもしれない。だが、その先の見通しは立たない。


「つまり、シェリアにはこのままオルジュに残ってもらい、働いてもらうほかない、と?」


 その問い掛けにミーナはなにも答えなかったが、その沈黙がなによりの肯定だった。重苦しい沈黙の中、シェリアは俯いたまま膝の上で手を強く握り締める。


 今のままならば、ミーナの言うとおりオルジュに戻って働くほかないだろう。しかしシェリアが働いたからと言って生活が楽になるとは思えない。「女は家庭に入るもの」というのがこの都市の根強い考え方で、そのため女性の仕事は少なくまた給金も少ない。


 この先に待っているのは、長く苦しい借金返済のための生活だ。ともすれば借金のために望まぬ結婚さえもしなければならないかもしれない。そう考えると絶望する。将来には何の希望もなかった。


(お金が、お金さえあれば……!)


 そう強く思った。お金さえあれば、シェリアはこのまま留学を続けハンターになることができる。ハンターになれれば、女が普通に働くよりはるかに高額の収入を得ることができるだろう。そうすれば母を助けてこの家族を守ることができるのに。


 だがそのためには、どうしてもお金が足りない。当座を凌ぐための、少なくともシェリアが学園を卒業するまで時間を稼ぐだけのお金が、どうしても足りない。


「金ならある」


 まるでシェリアの心を読んだかのように、ルクトはそう言った。驚いて顔を上げる彼女の目の前で、ルクトは鞄から膨らんだ布の袋を取り出してテーブルの上に置いた。彼はその袋の口を開けると、中身の金貨を何枚か取り出しテーブルに並べる。


「全部で金貨500枚。5000万シクあります」


 これだけあればどうですか、とルクトはミーナに尋ねた。


「……頂いた見舞金とあわせれば、借金を全て返しても幾ばくかは残ると思います」


 ミーナはそう答えた。それはつまり、このお金があればシェリアは留学を続けられるということだ。見えてきた一縷の希望に、シェリアの目に光が戻り始めた。そんな彼女を見てルクトはわずかに笑みを浮かべた。


「……このお金……」


「差し上げる、わけではありません。そして、返せない相手に貸すつもりもありません」


 そう言ってルクトは試すような視線をシェリアに向けた。5000万シクという大金を返済する力はミーナにはない。もし可能性があるとすれば、シェリアがハンターになって稼いだ場合だけだろう。だからこそ、ルクトはミーナではなくシェリアを見ている。自分の運命を自分で選んで見せろ、と。


「……貸して、下さい……」


 数十秒の沈黙の後、シェリアはそう言った。そして顔を上げ、ルクトの目を正面から見据え決意を込めてこう言った。


「必ず、返します。だからこのお金をわたしに貸してください!」


 ルクトを見据えるシェリアの目はまだ赤く腫れている。だが強い意志と決意を秘めたその目を、ルクトはいい目だと思った。


「……明後日、もう一度来る。それまでに準備をしておけ」


 そう言ってルクトは立ち上がった。気分は、しかし完全には晴れなかった。



▽▲▽▲▽▲▽



 ルクトがシェリアの家を訪ねたその日の晩、今度はミーナが彼の泊まっている宿を訪れた。受付に尋ねると、どうやら部屋にいるらしい。部屋の番号を聞くと、ミーナは階段を上った。


 部屋の扉をノックしても、返事はなかった。しかし手をかけてみると鍵はかかっておらず、少しだけ開けて中をうかがうと室内に人影があった。ミーナが扉を開けて中に入ると、ルクトが視線を寄越す。


「……わざわざ、何か用ですか?」


 ルクトはどうやら食事中であったらしい。小さなテーブルの上には三品ほどの料理とワインのボトルが一本置いてある。


「……昼間のこと、まだお礼を言っていなかったと思って」


 本当に助かりました、ありがとうございます、とミーナは深々と頭を下げた。それを見て、しかしルクトは少し不機嫌そうな顔になった。


「いいですよ、別に。大したことじゃないですから」


 そう言ってルクトはワインが入っているコップを煽る。その横顔からは、達成感よりもむしろ後悔の方が強いようにミーナには見えた。


「それと、あの5000万シク。まだ証書を書いていませんでしたね。なんでしたら今から……」


「いりませんよ、そんなもの」


 ぶっきらぼうにそう言ってルクトはミーナの言葉を遮った。「本当に大したことじゃないですから」と。それを聞いてミーナは確信する。彼にこのお金を取り立てる気はないのだ、と。そのありようは、どうしようもなく彼女の夫と重なる。


「……パウエルが最初にわたしとシェリアを助けてくれたときも、あの人は同じことを言いました。『大したことじゃない』って。でも、わたし達はそれで救われたんです。あの時も、そして今も」


 だから、ありがとうございます、とミーナは言った。それを聞いてルクトは少しだけ笑った。そして自分はベッドに座りなおし、空いたイスをミーナに勧める。


「……オレのことは?」


 ミーナがイスに座ると、ルクトはコップにワインを注ぎながらそう尋ねた。それに対しミーナは「夫から聞いています」と答える。それを聞いてルクトは「なるほど」と言ってワインを少しだけ飲んだ。


「オレと親父の問題は、突き詰めて言えば金の問題でした」


 その問題にカタをつけるために、ルクトはオルジュまで来た。そしてあの5000万を貸すことで、彼なりにカタをつけたつもりだ。しかしそのカタのつけ方が、ルクトにはどうにも不満だった。


「金で始まった問題を、結局オレは金でしか解決できなかった」


 それがなんとも気に食わない。結局、根っこの部分では自分とパウエルは同じなんだと思ってしまう。こうはなりたくないと思っていたその相手だというのに。


「……お父さんに似るのは嫌、ですか?」


「嫌ですね」


 ルクトは意地の悪い笑みを浮かべつつ即答した。しかしミーナのほうもそれを予想していたらしい。ニッコリと笑みを浮かべてさらにこう言った。


「それじゃあ、もっといい男になるしかありませんね」


 それを聞いてルクトは笑った。聞きようによっては「お父さんを超えなさい」と言われているようだ。


「まるで、母親みたいなことを言うんですね」


「母親ですから、当然です。娘が二人もいるんですよ?」


 それを聞くと、ルクトは愉快そうに喉の奥を鳴らして笑った。


「もう帰った方がいいんじゃないですか?」


 ひとしきり笑うと、ルクトはミーナにそう言った。なにしろ娘が二人もいて、しかも一人はまだ幼いのだ。ミーナも「そうですね」といってイスから立ち上がる。


「ああ、それと。取立ては忘れたころに行くので、そう伝えておいてください」


「はい、分かりました」


 楽しげな苦笑を浮かべながら、ミーナはそう言った。そして部屋の扉を開けてからもう一度ルクトのほうに向き直る。


「それじゃあ、さようなら」


「ええ、さようなら」


 部屋の扉が閉まる音を聞きながら、ルクトはワインを煽る。うまい、と思った。


というわけで。

「ミジュクモノタチ」いかがでしたでしょうか?


サミュエル君よりルクト君の方がメインだった気もしますね(笑)

まあ、主人公だから当然といえば当然ですがwwww


ルクトと父親の問題は、どうにも綺麗に片付けることができませんでした。

もちろん、ルクトはなにも悪くありません。悪いのは全面的にパウエルのほうでしょう。


ですが、最後の最後まであと一歩を踏み込めませんでしたね、彼。

そんな、ミジュクモノタチのお話でした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 話の内容と後書きのテンションが噛み合っていないように感じました。
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