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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十一話 ミジュクモノタチ
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ミジュクモノタチ12

 家を飛び出したシェリアは、宿泊施設が集まっている区画へ走る。走ることには慣れていた。なにしろ、カーラルヒスからオルジュまで八日間ほとんど走りっ放しで帰ってきたのだから。自然に集気法を使いながら、シェリアはオルジュの街を駆けた。


 ルクトがどの宿に泊まっているのか、シェリアは知らない。だがオルジュにある宿泊施設の数は決して多くはない。数えたことはないので正確には分からないが、恐らく三十より多いことはないだろう。それくらいの数ならば、手当たり次第に探すことは十分に可能だった。


 そして十数軒目でシェリアはルクトが泊まっている宿を見つけた。食堂を一緒に営むよくあるタイプの宿屋で、馬をつないだり馬車を片付けたりしておく納屋もある。その分規模は大きく、そのせいか区画の中でも外れ、半分郊外の立地だった。恐らくは土地が安く、その分宿代も安いのだろう。


 受付けのカウンターにいたおばちゃんからルクトが泊まっている部屋の番号を聞く。彼はちょくちょく宿の外に出ているそうだが、今は部屋にいるはずだという。礼を言ってからシェリアはルクトの部屋を目指した。


 教えてもらった部屋の前で、シェリアは一度大きく深呼吸をする。それから扉をまっすぐに見据え、“コンコン”と軽くノックした。部屋にいるという話は本当だったようで、すぐに中から返事が帰ってくる。


「シェリアか、どうした?」


 扉を半分ほど開けて顔を出したルクトは、シェリアの顔を見てそう尋ねた。彼女はそれに「お話したいことがあります」と答える。ルクトは「ふうん」と言って少しだけ探るような視線を見せると、シェリアを部屋の中に招き入れた。


 ルクトが泊まっている部屋は、シェリアの部屋よりも狭かった。置いてあるのは簡素なベッドと小さなテーブル、それに背もたれのないイスだけ。壁に衣服をかけられるようになっているが、ルクトは何もかけていなかった。全て〈プライベート・ルーム〉の中にしまってあるのだ、とシェリアは思った。


「それで、話って何だ?」


 シェリアにイスを勧め自分はベッドに腰かけてから、ルクトはそう切り出した。シェリアはしばしの間両手を膝の上に乗せて俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げルクトの目をまっすぐに見据えた。


「…………お義父さんに、会いにきてくれませんか?」


 やっぱりそういう話か、とルクトは内心で苦笑した。そして前にもこんな話をしたことがあったな、と思い出す。もっとも、今と前とでは随分状況が変わっているが。


「具合、悪いのか?」


 ルクトがそう問いかけると、シェリアは辛そうに顔を歪めて頷いた。血を吐く回数と量が増え、日に日に衰弱していっているという。このままではもう余命幾ばくもない。医者ではないシェリアでさえもそのことが分かるくらい、パウエルの具合は悪かった。


「そうか……」


 シェリアからパウエルの様子について聞くと、ルクトはそう言って手を後ろについて身体を反らし宿屋の天井を見上げた。パウエルの死。父親の死。可能性としてはルクトも考えていたが、どうやら現実のものとなりそうな気配である。


「お願いします! 一目で良いんです。お義父さんに顔を見せてあげてください! じゃないと……」


 本当に死んでしまう。その言葉をシェリアは飲み込んで俯いた。冷静になって考えれば、ルクトが会いに行ったからと言ってパウエルが持ち直す可能性はほとんどない。喜ぶかもしれないが、しかしそれだけだ。「病は気から」というが、しかしパウエルの病状は「気」だけでどうにかなるようなものではもうないのだ。


 シェリアも頭のどこかではそのことをもう認めているのだろう。しかしそこから目をそらし、あるいは無意識のうちにその考えを否定し、「ルクトに会って生きる気力がわいてくれば、義父の病気はよくなる」と思っている。いや、そういう考えに縋り付いている、と言った方がいいかもしれない。


 ただそれだけに、シェリアの説得と懇願は必死だった。彼女にしてみれば、義父のためにできることがコレしか思いつかないのだ。必死にもなろうというものである。


 しかし、そんなシェリアにルクトは冷たい答えを返した。


「会いには、行かない」


 硬い声で、しかしはっきりとルクトはシェリアにそう告げた。彼は、表情は変えなかったが、しかし内心で苦いものを感じていた。だがシェリアはその苦いものには気づかなかった。


「なんで!? どうして!?」


 シェリアはそう金切り声を上げた。いろいろな想いが渦巻くが、そのどれもが上手く言葉になってくれない。結局、ただ叫ぶだけになった。


「親父が会いたいって言ったのか?」


 我ながら卑怯な問い掛けだ、とルクトは内心で自嘲した。もしもパウエル本人が会いたいと言っているのなら、シェリアは最初にそう言っていただろう。だが彼女はその旨を口にすることはなかった。それはつまり、パウエルは息子に会いたいと明言しているわけではないということだ、とルクトはふんだのだ。


「それは……!」


 案の定、シェリアは言葉を詰まらせた。そんな彼女の反応を見て、ルクトは自分の推測が正しかったのだと知る。


「それに、会ったってお互い険悪になるだけだ。親父だって、それが嫌だから会いたいといわないんじゃないのか」


 自分でそう言ってから、ルクトは「嫌な物言いだ」と内心で顔をしかめた。他人をダシにして、自分の心を隠している。反論できないところをつき、相手を納得させるのではなく黙らせようとしている。


『糞餓鬼め、小賢しいわ』


 メリアージュが知れば、そう怒ったかもしれない。それだけがルクトの気持ちを少しだけ軽くした。


「そんなことありませんっ! お義父さんは先輩に、義兄さんに会いたいと思っているに決まっています!」


「ならなぜそれを言葉にしない?」


「それは……、義兄さんに気を使って……!」


「本当にそうなのか?」


 辛い状態であればこそ、なおのこと苦い過去など思い出したくもないはずだ。新しい家族に囲まれ、穏やかな今に安住を求めたいはずだ。妻と二人の娘。完成された家族に異物が入り込むことを拒んだとしても、それはなんら不思議なことではない。


「オレの出る幕じゃない、ってことさ」


「そんなこと……!?」


 シェリアは必死に言葉を探す。だが、反論するだけの材料を彼女は持っていなかった。パウエルはルクトに会いたいとは一言も言っていない。それが全てだった。たった一言がこれほど遠く感じるのは初めてだった。


「……だったら!? だったらなんで義兄さんはわたしと一緒にオルジュまで来たんですか!? 会う気がないなら、お義父さんのことがどうでもいいなら、わたしのことなんて放っておけばよかったじゃないですか!?」


「放っておいて欲しかったのか?」


 逆に問いかけられ、シェリアはまたしても言葉を失った。ルクトが助けてくれなかったら、一緒にオルジュまで行くと言ってくれなかったら、彼女はまだオルジュに到着していなかっただろう。いや、それどころか帰省すると決意することができたのか、それさえもあやしい。


 不利益を被っていたのなら、ルクトの動機を問い詰める正当性も得られただろう。彼が一緒に来てくれたことで、シェリアはすでに十分な恩恵を受けている。それを無視して食い下がるのは彼女には難しかった。


「……それにお前に付き合う理由ならもう説明したはずだ」


『面倒な話が多くなった。それで逃げてみるのもアリかと思った』。オルジュへ向かう旅の途中で、ルクトは確かにそう言った。


「だけどそれは全てじゃないんでしょう!?」


「ああ、全てじゃない。だけど嘘でもない」


 噛み付いてくるシェリアを、ルクトはそう言ってかわした。「じゃあ他の理由も教えてください」と詰め寄る彼女に、ルクトはその場の思いつきで下らない理由をいくつか返す。当然シェリアは怒ったが、しかしルクトの次の一言で黙らされることになる。


「誰も彼もが自分と同じ価値観を持っていると思うな」


「…………っ!」


 なにも言えなくなったシェリアは、しかし俯くことなく勢いよく立ち上がった。その反動で、彼女が座っていたイスが音を立てて倒れる。彼女の目じりからは涙が流れているが、顔を真っ赤にしたシェリアはそれには気づいていない様子だ。今彼女を支配しているのは、烈火のごとき怒りだけである。


『自分と同じ価値観を持っていない』


 それはつまり何なのか。シェリアにとってはパウエルの命こそがなによりも重要だ。しかしその価値観を同じくしていないということは、つまりパウエルの命は最重要ではないということだ。もちろん、大多数の人間にとってはそうだろう。


 しかし、彼が、ルクト・オクスがそれを言うのか。パウエル・オクスの実の息子たる、彼が!


 その想いは、しかし言葉にはならず、シェリアはただ肩で息をしながら仁王立ちをして、射殺さんばかりにルクトを睨みつける。それを見ると、ルクトは怯んだ様子も見せず、ただ少しだけで苦笑した。


「お前が悲しんでやってくれ。オレたちには、もうお互いを気にかける資格なんてないんだよ」


「義兄さん!」


「くどい!」


 思いかけず強い口調でそう言われたシェリアは一瞬だけ身体を強張らせた。その隙にルクトはシェリアの両肩に手を置いて有無を言わせず部屋の外へと押し出す。身体に痛みを感じることは少しもないが、抵抗する暇を与えない鮮やかな手際だった。


「え……? ちょっと……、義兄さん!」


 叫ぶシェリアの後ろで扉が閉じられる。その扉にシェリアは飛びつく。鍵がかけられていたら扉を壊してでも中に入るつもりだったが、幸い扉はすぐに開いた。


「義兄さん!」


 勢い良く部屋の中に入る。しかしそこにルクトの姿はなかった。代りにあったのは、旅の中で見慣れた〈ゲート〉。つまり、〈プライベート・ルーム〉の入り口だ。


「義兄さん、待って!」


 ルクトがどこにいるのか瞬時に察したシェリアは、足をもつれさせながら駆け出す。そして手を伸ばし、その手は手首の辺りまで〈ゲート〉を潜り……。


 そこで、〈ゲート〉は音もなく唐突に消えた。〈ゲート〉に突き入れていたシェリアの手は何事もなくそこにある。その自分の手を、彼女は呆然と眺めた。


「……なんで……」


 一人残された部屋のなかで、シェリアが呆然としながら呟く。


「なんで……!」


 答えが帰ってくるはずもない。溢れる涙を拭おうともせず、シェリアは立ち尽くす。雨が降ればいいのに。なぜかそう思った。



▽▲▽▲▽▲▽



「義兄さん、待って!」


 そう叫ぶシェリアの声を聞きながら、ルクトは〈ゲート〉を消した。それと同時にシェリアの声も聞こえなくなる。静かだ。嫌になるくらい、静かだった。


「くそったれ……」


 一人で〈プライベート・ルーム〉の中に突っ立っていると、ルクトの胸の中に苦いものがこみ上げてくる。そのせいでイライラして仕方なく、我慢する必要のないこの場所で彼は小さく悪態をついた。


 ゲルのなかに入り、そこに倒れこむ。疲れて動きたくなかった。しかも気持ちのいい疲れ方ではない。気分が悪く、ともすれば惨めですらある。達成感など皆無で、残っているのは後味の悪い罪悪感だけだった。


「ああ……、本当にもう……、くそったれめ……」


 寝転がったまま、ダルそうな口調で悪態をつく。本心を隠し、状況証拠から自分に都合のいい推測を組み立て、相手を黙らせた。分かろうとするのでもなく、分かってもらおうとするのでもない。姑息で卑怯なやり口だ。情けなくて不甲斐なくて、疲れたため息しか出てこなかった。


 しかしそれでも。会いに行きたくなかった。理性的で、相手を納得させられる理由は何もない。ただひたすら感情的に会いたくない。いや、会いに行きたいという気持ちにならないのだ。


 会えばいいのに、とそう思っている自分がいるのも確かだ。いや、心のどこかでは「会わなければ」と思っている。だが、それでも会いたいと思わない。なんとなく、会いたくない。自分でも理由になっていないと思うが、それが全てだった。


『だったらなんで義兄さんはオルジュまで来たんですか!?』


 シェリアの言葉が耳の奥でリフレインする。なんのためにオルジュまで来たのか。本当にそのとおりだと思う。自分は何のためにここまで来たのか。なにをするためにここまで来たのか。少なくとも〈プライベート・ルーム〉の中に引き篭もるためではなかったはずだ。


(あの手紙を読んだとき……)


 シェリアから手紙を見せられてパウエルの死の可能性について考えたとき、ルクトは頭の中がグチャグチャになった。自分がどうしたいのか、それさえもよく分からなかった。まとまらない思考の中でふと思ったのが、「カーラルヒスに残ってパウエルの死に目に会えなかったら、自分はともかくシェリアは一生後悔するだろう」ということだった。


 だから、彼女をオルジュに連れて行くことにした。損得だけで考えれば、間違いなく損な選択だ。その場で即決したのは軽率だったかもしれない。ただ、後悔はしていない。


(一つくらい義兄らしいことをしようと思ったわけではないけど……)


 幸せな家族なら、それでいいかと思ったのだ。ルクト自身はそこに加わりたいわけではない。むしろ、突っぱねて遠ざけてきた。しかしシェリアはその家族の一員だ。幸せなら、大切ならそれでいいかと思ったのだ。


 端的に言えば、シェリアのためだ。それは本当だ。しかしやはり、全てではない。そして真っ先に浮かんだ理由が「シェリアのため」であったことに、ルクトは自己嫌悪する。


(この期に及んで他人(シェリア)を言い訳にするとか……)


 はあ、とため息をつく。そして寝転がったまま首を横に動かすと、蓋のついた箱が目に入る。ルクトはノロノロと起き上がるとそこから一つの袋を取り出した。中身は金貨500枚。メリアージュから借りた、5000万シクである。


 オルジュに行くことを決めたとき、父であるパウエルと会うことが頭をよぎった。そしてまた、これが最後のチャンスだと思った。父親との問題、ひいては家族の問題。それを解決するにしろ、何らかの形で前に進むにしろ、これが最後のチャンスだと思ったのだ。


 自分のことは忘れろ、関わるなと言った。しかし、そう言ったにも関わらず他人事だと割り切れない自分が情けない。だが、割り切れないのなら何とかするしかないではないか。


 だから、メリアージュから金を借りた。


 必ずしも必要になると思っていたわけではない。使わずに済むのならそうしたい。ただ、これは一種の決意表明なのだ。借金の借り増しをしてでも、ここで問題を終わらせる。あの時そう決意したのだ。


 家族の問題を金で片付けようとするのもどうかとは思う。もっと綺麗に、話し合って前に進んでいければ、それが一番いいだろう。誰もが笑ってこの問題を終えることができるのなら、この5000万シクに出番はない。ただ、金で片付けるようなことになってもここで終わらせたい。そう思っているのだ。


 しかし、現実たるやこのザマである。父親の問題を、ひいては家族の問題を片付けたいのなら、ヘタレてこんな場所に引き篭もっている場合ではない。分かっている。それは分かっているのだ。


 それでも、もう動きたくなかった。それどころか、頭の片すみでは会わずに済ませるための言い訳を始めている。


 決着なら「忘れてくれ」と言ってもうつけたじゃないか。そもそも関わるつもりなんて最初からなかったんだ。親父も「会いたい」とは言っていない。シェリアだって、ここにつれてきただけで十分に義理は果たした。それにもう「会わない」と言ってしまった。なら、別に会わなくたっていいじゃないか……。


 それは甘美で、しかし人を堕落させる囁きだ。抗うべきだと思いつつ、それでもルクトはそこから動こうとしない。金貨の輝きが、今は目に痛い。結局、ルクトは金貨の袋を箱の中に戻して蓋をした。


(そういえば、ここで一人になるのは久しぶりだな……)


 ラキアとコンビを組んでからは、ソロで遠征をすることもなくなり、そのおかげで〈プライベート・ルーム〉に入る時は常に誰かがいた。しかし、今は一人である。


(〈シングル・ルーム〉に逆戻り……)


 内心でそう呟くと、少し泣きたくなった。



▽▲▽▲▽▲▽



「……この度は本当に……、なんといったら言いか……」


「いえ……、お忙しい中来てくださってありがとうございます」


 重苦しく湿った雰囲気。誰も彼もが黒い服を着ている。喪服を用意できなかった人間は喪章をつけている。そんな中の一人が、涙を堪えた沈痛な声で母に話しかけるのが、シェリアはまるでどこか遠い世界のことのように思えた。


 パウエル・オクスが、死んだ。最期は苦しむ様子もなく、穏やかに息を引き取った。


 葬儀には多くの人が参列した。その人々は、パウエルがこのオルジュで積み上げてきた信頼と実績の証だ。実際、貧しい家庭の葬儀にしてはありえないくらいの人が集まっている。


 しかしその中に、実の息子であるルクト・オクスの姿はなかった。


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