ミジュクモノタチ11
拝啓
天気がよくなるほどテンションが下がるこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。新月は花粉症で死にそうであります(笑)
えー、そんなわけで四月ですね。
そして増税です。
しかしご安心ください!
「403 シングル・ルーム」は増税後も変わらず無料でありますwwwww
皆様奮ってお読み頂ければ嬉しく思います。
―前回までのあらすじ―
「パウエル危篤」。
その知らせにシェリアは動揺する。彼女から手紙を見せられたルクトは、一緒にオルジュへ行くことを決意する。
「ここがオルジュ、か……」
カーラルヒスを出発してから八日目。ルクトとシェリアはついに目的地である都市国家オルジュに到着した。以前にシェリアがキャラバン隊と一緒にカーラルヒスまで行った時は片道で三週間かかった。今回かかった時間はその三分の一と少し。非常識な早さ、と言っていいだろう。全てはルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉の偉力である。
時刻はお昼過ぎ。オルジュの正門から伸びるメインストリートは多くの人が行き交い活気に溢れている。春の清々しい陽気も重なって、生命力に満ちてはつらつとした雰囲気だ。この都市のどこかに今にも死にそうな危篤の病人がいることが、まるで嘘のようにさえ感じられてしまう。
「……それじゃあ、オレは宿を探してそっちに泊まるから」
ルクトは隣に立つシェリアにそう言った。その途端、シェリアは驚いたように彼のほうを振り返った。
「先輩は、ウチに来ないんですか……?」
「行かない」
ルクトにはっきりとそう言い切られ、シェリアは下唇を噛んで俯いた。言いたいことはたくさんある。だが、その全てを飲み込んでシェリアはゆっくりと頭を上げた。
「先輩、ありがとうございました」
ルクトの目をまっすぐに見てシェリアはそう礼をいい、一つ頭を下げた。そして二つに折りたたんだメモをルクトに差し出す。そこにはシェリアの家の住所と簡単な地図が記されていた。
「随分と準備がいいな」
メモを受け取ったルクトは、苦笑しながらそう言う。そんな彼にシェリアは少しだけ得意げな笑みを向けた。なんとなくこうなる気がしていたのだ。
「是非、後で来てください」
そう言うシェリアに、ルクトは苦笑だけを返した。シェリアもそれ以上言い募ることはしない。ここで言い争いになって話をこじらせては意味がないし、なにより時間の無駄である。
最後にシェリアから宿泊施設のある場所を聞いてからルクトはそちらの方に向かって歩き出した。人ごみに紛れていくその背中に、シェリアはもう一度深々と頭を下げる。ルクトがいなければ、こんなにも早くオルジュに帰ってくることはできなかった。彼のおかげで短縮できた時間は、シェリアにとって黄金よりも価値のあるものだ。
(ありがとうございました……、に、義兄さん……)
少しだけ恥ずかしそうに、シェリアはその言葉を付け足した。義理の兄。言うまでもなく、シェリアから見たルクトのことだ。今まで一度もそう呼んだことはないし、多分そう呼べばルクトは眉をひそめるのだろうけれど、しかし彼がシェリアの義理の兄であることは動かしようない事実だ。
ルクトが義兄でよかった、とシェリアは思う。義兄でなければ、パウエルの息子でなければ、ルクトがオルジュまで付いて来てくれることはなかっただろう。
もちろん、パウエルとルクトの間に確執があることは知っている。現にルクトはシェリアと一緒に家に帰ることなく、一人で宿を探しに行ってしまった。しかし、それでも彼がオルジュにまで来てくれた事は紛れもない事実だ。
なにが彼を動かしたのか、シェリアには分からない。だが、もしかしたらひょっこりと顔を出してくれるのではないかと彼女は期待していた。だからこそ暇を見つけてあのメモを用意しておいたのだ。
「早く家に帰らないと……」
ルクトを見送るとそう呟いてシェリアの表情が硬くなる。パウエルが、義父が心配だ。早く家に帰りたい。歩き出したシェリアはだんだんと早足になり、そして最後には駆け出した。
焦っているのか、集気法が上手く使えない。呼吸が苦しい。喉の奥が、肺の奥が痛い。それでもシェリアは足を止めずに走る。
やがて見えてくる小さな我が家。年季の入った木製の扉を開け、シェリアは家の中に飛び込んだ。
「ただいま! お義父さんは!?」
「シェリア!? あなた、なんで……?」
家の中で家事をしていたミーナが、突然帰ってきた娘に驚いて声を上げる。だが手紙を送ったときからいずれシェリアが帰ってくることは予期していたのだろう。すぐに動揺は去り、ミーナは真剣な表情を浮かべた。
「お母さん、お義父さんは……!」
両肩にかけていた大きな二つの鞄をイスの上に置き、外套を脱いで同じイスの背もたれにかける。一連の動作をしながらも、シェリアは視線をミーナから外さない。
「……あまり、良くはないわ」
顔を曇らせ視線を逸らしながらミーナはそう言った。そんな母の様子を見てシェリアのなかで悪い予感がどんどん大きくなっていく。
「結核で血を吐いた、って……」
シェリアの言葉にミーナは無言で頷く。それを見てシェリアは顔を歪めた。手紙には確かにそう書いてあった。だが、信じたくはなかった。できることなら嘘だと言って欲しかった。
「それで、お義父さんは……?」
「部屋で寝ているわ」
こっちよ、と言ってミーナはシェリアを案内する。連れて行かれた先は、ミーナとパウエルの寝室だ。ミーナは「コンコン」とドアをノックしてから部屋の中にいるパウエルに声をかけた。
「あなた、シェリアがカーラルヒスから帰ってきたわ」
そう言いながらミーナはドアを開けた。部屋の中から漂ってくる空気の臭いに、シェリアは思わず顔をしかめる。腐臭、というのは言いすぎだろう。だがこれが強くなっていけばそう言わざるを得ない、そんな臭いである。少なくとも、不健康な臭いだ。
部屋の中の様子はミーナの背に隠れてよく見えない。だがその臭いだけでシェリアは嫌な予感を強くした。顔を強張らせながら、シェリアは意を決してミーナに続いて部屋に入る。
「シェリ、ア……?」
弱々しい声が耳に届く。それが義父の、パウエルの声であることを理解するのにシェリアは数秒を要した。そして理解すると今度は愕然とする。その声は擦れていて張りがなく、まるで別人の声のようだったからだ。
そしてベッドの上に横たわる義父の姿を見たとき、シェリアは冷や水を浴びせられたかのような衝撃に襲われた。いや、衝撃などという生ぬるいものではない。それはもはや恐怖だ。
痩せこけた頬。生気のない目。油気のない髪。水分を失いまるで枯れ枝のようになった細い腕。カーラルヒスに留学したのはおよそ一年半前のことだが、ベッドに横たわるパウエルの姿はまるで十歳も年を取ったかのようだった。
危篤、という言葉が頭をよぎる。確かにシェリアはパウエルが危篤の状態にあると思い、急いでカーラルヒスからオルジュに帰ってきた。だが危篤であるとは、今にも死にそうな状態であるとは一体どういうことなのか、今の今まで彼女は分かっていなかったと言わなければならない。
「どう、して、ここに……?」
パウエルは弱々しい声でそう言いながら、細くなってしまった腕を伸ばす。その手をシェリアは慌てて掴んだ。冷たい、カサカサとした手だ。パウエルのその手をシェリアは自分の両手で包み込んで暖める。そうしないとこのままどんどん冷たくなって、最後には氷のようになってしまうのではないかと心配だった。
「お母さんから手紙が来たの。『お義父さんが血を吐いた』って……」
「ミー、ナ……」
シェリアの話を聞いて、パウエルは妻の名前を呼んだ。彼の声の響きには若干非難の色が混じっている。「必要ないと言ったのに」と言いたいのだろう。
「ごめんなさい、あなた。でも、シェリアには知らせるべきだと思ったの」
ミーナが微笑みながらそう言うと、パウエルは諦めたように少しだけ笑った。彼だってこうしてシェリアが駆けつけてきてくれたことは嬉しいのだ。
「それとね、お義父さん。実はルクト先輩が、義兄さんがオルジュに来てるの」
「ルクト、が……?」
ルクトの名前がシェリアの口から出ると、パウエルは驚いたように目を見開いた。「自分のことはもう忘れてくれ」と彼に言ったのは、他でもないルクト本人だ。その彼がオルジュにいることは、パウエルにとってシェリアが帰ってきたこと以上に予想外だった。
「うん。手紙を見せたら『一緒に行ってやる』って……」
「そう、か……。ルクト、が……」
万感の思いを込めてそう呟くと、パウエルは目を瞑った。その顔は穏やかで満足げだ。そんな父の様子を見て、シェリアはこう言った。
「わたし、先輩、じゃなくて義兄さんを呼んで来ようか? 頼めばきっと……!」
会いに来てくれる。シェリアはそう思った。ルクトとパウエルの間に確執があることは知っているが、しかしそれでもルクトはオルジュにまで来たのだ。ここまで来たということはパウエルに会いたいという気持ちが多少なりともあるはずなのだ。そうでなければ、まったく避けたいのであれば、こうしてオルジュにまで来ることなどなかっただろう。
「…………来ない、よ、きっと。あの、子は」
しかしパウエルは静かに首を横に振った。確証はないが、しかし確信はある。それは親としての勘だ。ルクトは、きっと来ない。
「でも……!」
「いい、んだ……、シェリ、ア。いい、んだ……」
さらになにか言おうとした娘を、パウエルはそう言って宥めた。シェリアが来てくれた。そしてルクトがそれを助けてくれた。それだけで十分だった。
「それ、より……、学園のことを、聞かせて、くれないか……?」
そう言ってパウエルは話題を変えた。シェリアはすこし不満そうな顔をしたが、義父に尋ねられるままにカーラルヒスでの生活を話した。一時間ほど話すと、離れていたミーナが戻ってきた。
「話はそろそろ終わりにして少し休んでください、あなた。シェリアも帰ってきてからまだ何もしていないでしょう? 荷物を整理して、少し休みなさい」
部屋はそのままにしてあるから、とミーナは優しい声で言った。それに頷いてシェリアはイスから立ち上がった。そしてパウエルに一声かけてから彼女は部屋を出る。
シェリアが自分の部屋に入ると、ミーナの言ったとおりそこは留学する前のままになっていた。決して広くない、いや狭い部屋だ。机とベッド、それにタンスがあるがそれで手一杯である。
変わらない自分の部屋に懐かしさを覚えながら、シェリアはベッドの上に荷物を置いた。そして自身もうつ伏せにベッドに倒れこむ。頭に浮かぶのは、変わり果てた義父の姿だ。
(お義父さん……)
苦いものがこみ上げてくる。そしてさまざまな考えが頭をよぎる。もっと早く帰ってくる方法はなかったのか。いや、そもそもカーラルヒスに留学するべきではなかったのではないか。無意味と知りつつ、シェリアは考えることを止められなかった。
「お姉ちゃん……?」
ドツボにはまり始めていた自罰的思考を断ち切ったのは、部屋の入り口から聞こえてきた幼い妹、リーサの声だった。顔をそちらに向けると、リーサは扉の影に隠れるようにして、少し不安そうな顔をしながらこちらをうかがっている。その様子に、シェリアはふっと笑みを漏らす。
「おいで。リーサ」
そう言ってシェリアが呼ぶと、リーサはパッと笑顔を浮かべて彼女に駆け寄った。そしてほとんど体当たりするようにして体ごとぶつかってくる。シェリアはそれを受け止めると、妹を抱き上げて自分の膝の上に座らせた。リーサの小さな身体を後ろから抱きしめると、暖かくてお日様の匂いがする。それが嬉しくて髪の毛に頬を寄せると、リーサはくすぐったそうに笑った。
「……大きくなったね、リーサ」
「お姉ちゃんはきれいになった」
「ふふ、ありがと」
リーサを膝に乗せたままにして、二人は離れていた時間を埋め合わせるようにたくさんのことを話した。結局、荷物の整理は何もできなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
シェリアがオルジュに帰省して五日。パウエルの容態は一向に良くなっていなかった。それどころかむしろ急速に悪化していた。辛いはずなのに、しかし本人は至って穏やかな表情をしている。まるでシェリアに会ったことで最後の未練がなくなったかのようだった。
「死んじゃう……。お義父さんが死んじゃう……!」
パウエルの死。可能性としては考えていた。だが、その可能性がここへきて一気に現実味を帯びてきた。それがシェリアの胸を締め付ける。
「やっぱり、義兄さんを呼んで来ようよ……!」
病床のパウエルにシェリアはそう訴えた。この五日間、ルクトからは何の音沙汰もない。それがシェリアには信じられなかった。
どれだけ確執があろうともパウエルとルクトは血の繋がった実の親子だ。そしてルクトはパウエルが危篤であることを知っている。どれだけ危機的な状況なのか正確には知らないにしても、少なくとも血を吐いたことは手紙で知っているのだ。その上、彼はここオルジュに来ている。会おうと決意すれば、すぐにでも会いに来られる場所にいるのだ。
それなのに、会いに来ない。それがシェリアには苛立たしい。その一方でパウエルは目に見えて弱っていく。
(義兄さんが……、義兄さんさえ会いに来てくれれば……!)
義父はまた良くなるかもしれない。何の確証もないが、シェリアはそう考え始めていた。良くなるというのは大げさだとしても、パウエルが喜ぶことは間違いないだろう。そうすればそれをきっかけとして少しでも容態は快方に向かうのではないだろうか。
しかし「ルクトを呼んでくる」と言うシェリアに、パウエルはただ静かに首を横に振るばかり。そして穏やかな声でこう言うのだ。
『ルクトがシェリアを助けてくれた。私にはそれで十分だ』
パウエルはそう繰り返すばかり。しかしこの日、シェリアはついに我慢できなくなった。
「わたし……、義兄さんを呼んでくる!」
そう言うとシェリアはパウエルの寝室を飛び出した。その背中をパウエルは苦笑しつつも暖かい表情で見送る。
「……ルクトさん、来ると思う?」
洗濯したタオルを持ってきたミーナがシェリアと入れ替わるようにして部屋に入ってくる。話は聞こえていたのだろう。シェリアの走る足音が聞こえなくなると、おもむろに彼女は夫にそう尋ねた。
「……来ない、だろう、ね」
少し寂しそうにしながらパウエルはそう言った。会いにきてくれれば嬉しい。会いたいとも思う。だが、パウエルはそれを口に出すことはしなかった。
「……昔から、一度こうと決めたら、絶対に退かない、子でね……」
自分のことはもう忘れてくれ、とルクトは言った。それはつまり、もう関わらないでくれという意味だ。そう言った以上、ルクトが自分の方からパウエルに関わることはないだろう。それをなじる権利は、パウエルにはない。シェリアに付き合ってオルジュにまで来てくれた。それで十分である。
「……そういう、ところは、アイナに、そっくり、だった……」
遠い昔を懐かしむように、パウエルはそう言った。それを聞いたミーナは彼が横たわるベッドの傍らのイスに座った。
「そのアイナさん、って……」
ミーナにとってその名前は初めて聞く名前だ。だが、話の流れからすれば一体誰なのかは明らかだった。そんな彼女の予想を裏付けるかのように、パウエルは横になったまま穏やかな表情で一つ頷いた。
「ルクトの、母親で、……つまり、私の、前の妻、だ……」
「そう……。それで、どんな人だったの?」
ごく自然にミーナはそう尋ねた。これまでミーナは、いやパウエルも彼の死んだ前妻、つまりアイナの話は避けていた。ミーナは聞こうとはしなかったし、パウエルも自分から話そうとはしなかった。
一種の禁忌だった、と言っていい。生きているならともかく、もう死んだ人間のこと。神経質になる必要などないと分かっていた。だがミーナもパウエルも触れずに済むそれに、今まであえて触れようとはしてこなかったのだ。
比べられたくなかった。比べたくなかった。昔を懐かしんでほしくなかった。昔を懐かしみたくなかった。過去にとらわれてほしくなかった。過去を見るのは苦痛だった。ただ今が、大切だったから。
「さっぱりと、した、性格でね……。私より、むしろ彼女、の方が、商人に向いて、いた気が、するよ……」
少し呼吸を辛そうにしながら、パウエルはそう言った。即断即決ながら、その決断は小気味良くて清々しい。時に頑固に思えるほど意志が強く、一度決めたことは並大抵の理由では曲げようとしなかった。結婚する前を含め、それで喧嘩になったことは数知れない。だがそれでもなぜか嫌いになれない。気づけばまた一緒にいる。アイナとはそういう女性だった。
彼女ならば、どれだけ巨額の借金を背負っていようとも子供を見捨てて逃げるような真似はしなかっただろう。いやそもそも彼女ならば、身を滅ぼすほどの借金などしなかったに違いない。店の経営が成り立たないのならさっさと店をたたんで、明るい笑顔を浮かべながらまた別の生き方を探す。アイナなら、きっとそうした。
「強い方だったのね……」
「ああ……。眩しい、くらいに……」
それにひきかえ、自分は弱い人間だったとパウエルは思う。一度手にした自分の店を諦めることができず、結局何もかも失った。そして今もまた、家族を残して先立とうとしている。今度こそ守ると誓ったのに。
「あなたは、ちゃんと私たちを守ってくれたわ……」
パウエルの心のうちを察したかのように、ミーナは穏やかな口調でそう言った。震える手を必死に押さえ付けながら。
「……あり、がとう。少しは、気が、楽になった、よ……」
「さ、少し休んで。ルクトさんが来たらちゃんと起こすわ」
「そう、だね……。そう、するよ」
冗談交じりの会話をしてから、パウエルはベッドの上で目を瞑り、ミーナはイスから立ち上がって部屋を出た。部屋のドアを閉めると、ミーナは目じりを拭う。鼻の奥が痛い。だが、パウエルには悟られなかったはずだ。
「お母さん……?」
低い位置から幼い声。視線を下げると、リーサがすぐ傍にいた。ミーナは無理やり笑顔を作ると幼い娘を抱き上げた。
「どうしたの?」
「お父さんは?」
「今、眠ったところよ。少し休ませてあげて?」
「えぇー」
「ふふ、台所に行きましょうか。おやつがあるわ」
おやつと聞くと、むくれていたリーサは途端に笑顔になった。早く早くと急かす娘を宥めながら、ミーナは台所へ向かった。
(後もう少しだけ、こんな日常が続きますように……)
そう、願いながら。