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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第十一話 ミジュクモノタチ
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ミジュクモノタチ8

お気に入り登録件数が5800件を超えました!


今後もよろしくお願い致します。

 季節は巡り、四月のとある夜。ルクトは一軒のレストランに足を運んだ。学生目当てのレストランではなく、そのため価格帯もすこし高めに設定されている。とはいえ、一般的な家庭が一月に一回ちょっと贅沢を、といった程度の値段だ。格式ばった、ドレスコードが必要な店ではない。


 レストランの中はあえて明かりが抑えられていて、落ち着いた雰囲気になっていた。各テーブルの上には一つずつおしゃれなランプが置かれていて、ほのかに灯るオレンジ色の光が食事を楽しむ人々の顔を穏やかに照らしている。


 ルクトが店内に入ると、すぐに店員が声をかけてきた。人数を聞く店員に対し、ルクトは待ち合わせであることを告げ、入り口から店内を見渡す。待ち合わせの相手もルクトに気づいて手を振っていた。


「お待たせしました、アメリシア先輩」


「ふふ、女性を待たせるなんて男として失格よ、ルクト君」


 テーブルについて軽く頭を下げるルクトに、アメリシア・ルクランジュはからかうようにしてそう言った。ルクトはかつて彼女のパーティーにいわば傭兵として雇われ、一緒に遠征をしたことがある。そんな彼女が今夜の待ち合わせの相手だった。


「会うのが楽しみな相手ならもっと早く来ますよ」


 実際、ルクトが今夜このレストランに来たのは、自ら望んでのことではなく妥協の結果だった。彼のぶっきらぼうなその答えに、アメリシアは「むっ」と顔をしかめる。だが彼女が何か言う前にウェイターがメニューを持ってきた。


「さ、遠慮なく好きなものを頼んで」


 アメリシアの言うとおり、ルクトは遠慮なく幾つかのメニューを選んだ。ちなみに金額は確認していない。普段の彼であれば考えられない暴挙だ。しかし今日は全てアメリシアの奢りである。


「……そういえば、今日は制服なのね」


 注文を受けたウェイターがテーブルから離れると、ルクトの服装を見てアメリシアはそう言った。彼が着ているのは、彼女も去年まで着ていたノートルベル学園武術科の制服だ。


「余所行きの正装なんて持ってませんから」


 というより学生にとっては制服が正装の代わりであろう。特に武術科の場合、在学中にギルドなどに出入りする学生もいるから、制服はシンプルながらも畏まったデザインになっている。これは経済的な理由で正装を用意できない学生に配慮したものだ。「堅苦しい」との声もあるが、迷宮(ダンジョン)に潜っていれば着る機会も少なくなるので、不満の声は小さい。


「ま、そうだろうと思ってこのお店にしたんだけどね」


 そういうアメリシアの服装も、きちんとはしていて良い品物のようだが私服である。すくなくともドレスではない。


 ルクトとアメリシアがしばらく他愛もない雑談をしていると、頼んだ料理が運ばれてくる。料理が並べられていくその間はなんとなく話をする雰囲気ではなく、二人はウェイターが手際よく目の前に料理を並べていく様子をただ無言で見守っていた。最後にグラスにワインを注ぐと、ウェイターは静かに一礼してテーブルを離れた。


「さて、乾杯でもしましょうか?」


「いいですけど、何に?」


 ルクトがそういうと、アメリシアは悪戯げに笑ってグラスを掲げた。


「今日のお金を出してくれたお父様に」


「……お金持ちな先輩のお父上に」


 乾杯、と言って二人はワインの入ったグラスを軽くぶつけた。


「…………それで、さっそく今日の本題なんだけど」


 ソースのかかったステーキを切り分けながら、アメリシアは事務的な口調でそう切り出した。


「ルクト君、わたしと結婚する?」


「しませんよ」


 即答である。ストレートすぎるアメリシアの問い掛け、というよりプロポーズをルクトは一顧だにせずに切り捨てた。彼に一切の動揺はない。というより、ルクトはこの展開を予想していたように見える。


 むしろ大きく反応したのはむしろ周囲のテーブルの人々だった。会話が止んで店内は一気に静かになる。なんとも言えない空気の中、人々の視線を集めているのは言うまでもなくルクトとアメリシアの二人である。


「まあ、そうよねぇ……」


 そう言ってアメリシアは苦笑した。プロポーズを断られたと言うのに、彼女にショックを受けた様子はない。


「じゃ、本題はこれにて終了という事で」


「了解です」


 そう話すルクトもアメリシアも、取り乱した様子はなく至って平静だ。二人とも何事もなかったかのように食事を楽しんでいる。


 当事者である二人が大きな反応を見せないので、周りも次第に興味を失ったのかそれぞれ自分の食事を再開し始める。店内の雰囲気はすぐに元に戻った。


「……一つ聞いていいですか?」


「わたしに答えられることなら。それで、何かしら?」


「結婚云々は先輩が望んでの話ですか?」


「まさか。君とわたしが結婚することを望んでいるのはお父様とお爺様よ」


 アメリシアはあっさりとそうバラした。それを聞いてルクトは「やっぱり」と納得する。十中八九そうだろうとは思っていたが、これで確認が取れた。


「……わたしも一つ聞いていい?」


「なんです?」


「ルクト君はなんで今日の話を承諾したの?」


「〈水銀鋼の剣(メリクリウス)〉の……、合同遠征でお世話になっている窓口の人に泣き付かれたんですよ。『一度だけでいいので受けてください』って」


 武術科の五年生になり年が変わった頃から、ルクトを食事やお茶に招きたいという話が多くなった。そしてそれらの話を持ってくるのは、決まって年頃の娘を持つ名家や名門。この中にはギルドのマスターや幹部も含まれている。中にはいっそ潔く「お見合い」と公言しているところもあった。


 要するに、ルクト・オクスを勧誘するための活動がいよいよ本格化してきたのである。むしろよく今まで待った、というべきなのかもしれない。


「今までこういう話はなかったの?」


「『合同遠征の窓口を変えないか』って話は今までにも何度かあったんですけどね」


 ただ、それをしつこく迫られることはなかった。あまりにしつこくアタックをかけてルクトの機嫌を損ね、その結果合同遠征からハブられでもしたら、とそんなことを考えていたのかもしれない。


 まあそれはそれとして。ただ、ルクトが直接食事やお茶など誘われることは少なかった。やはり彼の機嫌を損ねることや、あるいは事態を見かねた学園が仲裁に入ってくることを恐れていたのだろう。


 ではそれらの話がどこに持ち込まれたのかというと、それは合同遠征の窓口であった。


『この窓口は本来そういうものではないのですが……』


 そう言って窓口担当のイズラ・フーヤは困惑の表情を浮かべた。無表情がデフォルトで同じギルドの同僚たちでさえ表情を変えたところを見たことがないイズラが、である。もちろんルクトだって初めてみた。ちなみにこの日、〈水銀鋼の剣〉はこの話題で持ちきりだったそうだ。


『ともかく、このままでは本来の業務に支障が出ます』


 これらの話を持ち込んだ者たちは、ルクトにしていたような遠慮をイズラにまですることはなかったのだろう。詳しいことはルクトも知らないし、またイズラも教えてはくれなかったが、もしかしたらかなりしつこく食い下がったり、あるいは脅迫まがいに強要してきたりした相手もいたのかもしれない。


 もっとも、〈水銀鋼の剣〉は合同遠征の一切を取り仕切っている。そんなギルド相手にすき好んで喧嘩を吹っかけるヤツもいないだろうから、そこまで酷い者はいなかったはずである。ただ純粋に数が多かったのだろう。イズラが本業に支障が出る、と判断するくらいには。


『それで、ルクト様。本当に申し訳ないのですが、一度でいいのでどれか受けて下さいませんか?』


『一度でも受けちゃうと、その後もズルズルと、ってことになりませんかね?』


『「このようなことが度々あると、合同遠征のほうに支障が出る」。こう説明すれば今後は一切を断ることができます』


 屁理屈ではあるが、しかし「合同遠征に支障が出る」と言われては相手は引き下がらざるを得ないだろう。いざ中止になったときに、その責任を取らされるのは誰だって嫌なはずだ。


 そういうわけでルクトは御呼ばれすることになったのだが、相手は選び放題である。とはいえ断るという結論はひとまず決まっていたので、彼は断りやすい相手を選んだ。それが多少なりとも面識があり、かつ色恋沙汰を考えるほどにはお互いに親しくないアメリシア・ルクランジュだったのである。


「そっかぁ……、そんな事情がねぇ……。ま、分かってはいたけど『できれば二人きりで』なんて言われたからちょっと期待しちゃった」


 お父様とお爺様はすごく期待していたみたいだけど、とアメリシアは苦笑を滲ませながら話した。ちなみに「二人きりで」と注文をつけたのは、その方が断りやすいと思ったからだ。乗り気で必死な大人が周りにいると、そのまま強引に、ということも考えられる。


 それに「期待しちゃった」とは言っているが、アメリシアにもその気はなかったはずだ。そうでなければ、ああもストレートに「結婚する?」などと尋ねないだろう。十中八九断られるだろうと思っていたし、また断られてもいいと思っていたから、事務的にさっさと本題を片付けたのである。


「……それにしても、わたしが言ったとおりになっちゃったわね」


 お互いに話すべきことを話し終え、二人は楽な気持ちで食事を楽しみ始めた。その中で、ふとアメリシアはかつて迷宮の中でルクトと話したことを思い出していた。彼女はかつて「卒業が近くなれば、結婚や婚約を申し込まれることが多くなる」とルクトに話していたのだが、その予測は今日見事に的中している。


「そうですね」


 ルクトもその時のことを思い出して苦笑した。あの時、「どうしましょう?」と聞いた彼に、アメリシアは「その時になってから悩みなさい」と答えたものだ。そして今まさに“その時”になっているわけだが、どうすればいいのかはいまだにさっぱりである。いや、お断りする方針は決まっているのだが、上手く断る方法がさっぱり分からないのである。


「もうすでに婚約者がいます、って答えればいいじゃない」


「すぐにバレますよ、そんな嘘」


「え、故郷から連れて来たっていう子、婚約者じゃないの?」


「……違いますよ」


 一瞬だけいいよどみ、ルクトはそう答えた。実際、ラキアは同郷の幼馴染ではあるが婚約者ではない。彼女の父であるジェクトから「婚約者にどうか」という話はされたが、正式にそうと決まったわけではないのだ。


「ふうん……。じゃあ、周りの早とちり、か……」


 そう言いながらアメリシアはワインのボトルを取ってグラスに注ぐ。彼女が言うには、ルクトが故郷から年頃の娘を連れてきたことは、カーラルヒスの名家名門には少なからず衝撃だったそうだ。その衝撃が、あるいはお誘いの数の増加に関係しているのかもしれない。


「……そういえば、アーカイン先輩はどうしました?」


 これ以上余計なことを聞かれて余計なことを答える前に、ルクトはそう言って話題を変えた。アーカイン・ルードはアメリシアが学生の頃に所属していたパーティーのリーダーだった男である。ルクトをパーティー外メンバー、つまり傭兵として雇いたいと言ってきたのも彼である。


「アーカインなら、故郷の都市に帰ったわ」


 それを聞いてルクトは「おや?」と思った。アーカインは家庭に少し複雑な事情を抱えており、そのため「故郷には帰りたくない」とかつて話していた。ルクトがなぜソレを知っているのかといえば、本人から直接聞いたからである。てっきりカーラルヒスに残ったものと思っていたが、なにがあったのか。


「故郷のお父上から手紙が来たそうよ」


 ルクトの疑問を察したのか、アメリシアはそう言った。


『お前が故郷に、家に帰りたくないと思っていることは知っている。それを咎めようとは思わない。私にも責任のあることだ。ただもしお前が故郷を愛しているのなら、どうか帰ってきてその力を都市のために使って欲しい。家に帰って来いとは言わない。ルードの名を捨ててくれてもいい。ただこの都市に、アルネビアに少しでも良い思い出があるのなら、どうか帰ってきて欲しい』。そんな内容だったそうだ。


「そうですか……。先輩は帰ることにしたんですね……」


 驚きはある。ただ、それよりもなるべくしてそうなったように思う気持ちの方が強かった。


「アーカインはクソ真面目だもの。ああいうふうに言われたら、もう帰りたくないなんて言えないわ」


「そうですね……、何となく分かります」


 そう言って、ルクトとアメリシアはお互いに少し困ったかのような笑みを浮かべた。それからどちらからともなくグラスを掲げて軽く打ち鳴らす。二人とも何も言いはしなかったが、アーカインの門出に捧げる乾杯である。


 それから二人は他愛もない話をしながら食事を楽しんだ。ルクトはお世辞にも話題が豊富とはいえなかったが、アメリシアのほうは話術も巧みで、そのおかげで二人の雰囲気は終始楽しげだった。


 食後のデザートを食べ終えてしばし余韻を楽しむと、二人は会計を済ませてレストランの外に出た。日中は随分と暖かくなったが、夜になるとまだ少し寒さが残る。ただ、アルコールが入っているせいか、涼しい風が気持ちいい。


「今日はありがとうございました。結構、楽しかったです」


 店から出ると、ルクトはアメリシアに礼を言った。楽しかった、というのも嘘ではない。実際友達として付き合うのなら、アメリシアはいい友人になるだろう。


「そう、ありがとう。セッティングした甲斐があったわ」


 まあ、お店を予約しただけなんだけどね、とアメリシアは茶目っ気をまじえて笑った。それにつられてルクトも笑う。


「家まで送りましょうか?」


「一人で大丈夫よ。これでも武芸者ですもの。それに、そんなことをするといらぬ誤解を招くわよ?」


「それは勘弁してほしいですね……」


 そう言ってルクトは苦笑した。結局、二人はレストランの前で別れた。とある夜の話である。



▽▲▽▲▽▲▽



 四月の終わりごろ、すっかり暖かくなり気候は随分と春らしくなった。雪が溶けた後の枯れた風景はあっという間に緑で彩られ、大地は生命の賛歌を大声で歌っているようだった。そんな、夜風さえも甘く匂いそうな春の晩、寮の談話室でくつろいでいるとルクトは寮監に呼ばれた。


「ルクト、客だ」


 さて誰だろうか、と思いながらルクトは談話室を出て寮の玄関へ向かう。そこで待っていたのは思いがけない人物、シェリア・オクスであった。


 ルクトの父の名前はパウエル・オクスという。このパウエルが借金苦でヴェミスから夜逃げし、流れ着いた先のオルジュで再婚したのがシェリアの母であるミーナだ。


 だからシェリアはルクトにとって義理の妹にあたる。ただそれはあくまでも字面の上での関係であって、これまでルクトがシェリアに義兄らしいことをしてやったことは一度もない。なにしろ、一緒に暮らしていたわけではなく、二人ともカーラルヒスに留学してきてノートルベル学園で知り合い、そこで義兄妹だと判明したのだから。


 ルクトがパウエルの実子だとわかると、シェリアは彼に義父との和解を求める。しかしその結果は彼女が求めたようにはならなかった。それどころか、シェリアにしてみれば手酷く突っぱねられたと感じていても無理はないだろう。


 そして、おそらくはそれが原因なのだろう。それ以来、シェリアはルクトに近づかなくなった。ルクトの方も自分から彼女に関わろうとはせず、結果として二人の距離は空いたままになっていた。


 そんな彼女が今になってなぜ、とルクトは内心で首をかしげる。しかもシェリアは思いつめた表情をしており、またそわそわとしていて落ち着かない。どうやら何事かあったらしい。しかしそれならばなおのこと疎遠になっている、いや確執のあるルクトのところにやって来るのかわからない。問題が起こったのならばルクトよりも信頼できる者、例えば慕っている先輩であるカルミなどを頼るべきではないだろうか。


「シェリアか。どうした?」


 これ以上考えても仕方がない。そう思ったルクトはシェリアに声をかけた。彼の姿を認めると、シェリアは一瞬ハッとした顔をする。どうやら足音などにもまったく気づいていなかったらしい。何があったかはわからないが、随分と思いつめているようだ。


「先輩……」


 どこか呆然とした様子のまま、シェリアが小声でそう呟く。そして彼女の目じりから涙が一筋、流れ落ちる。それを皮切りにして、彼女は声を上げて泣き出した。


「おいおい、一体どうしたんだ!?」


 なぜ泣かれるのかまったく心当たりのないルクトは動揺した。まさか逃げ出すわけにも行かずシェリアのほうに近づくと、彼女はルクトに縋り付くようにして泣き続ける。


「お義父さんが……、お義父さんが……」


 嗚咽に混じってシェリアはただそれだけをかろうじて口にした。当然、ルクトにはなんのことなのかさっぱり分からない。だが、シェリアの義父がパウエルであることは彼も当然知っている。


(どうやらまた厄介ごとらしい……)


 内心で苦笑気味にルクトはそう呟く。それでもシェリアを突き放すことはできなかった。ただ彼女が落ち着いて泣き止むのをルクトは辛抱強く待った。


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