騎士の墓標3
実技の講義で教官のアシスタントをする件を引き受けた後、さらにもう一時間ほど予定などを話し込んでからルクトはトレイズの部屋を辞した。すでに昼休みは終わり午後の講義が始まっている時間だ。
午後、特に出るべき講義のないルクトはひとまず荷物を置くために寮に向かった。学園の敷地内を寮に向かって歩いていると、訓練場から威勢のよい声が聞こえてくる。武術科の一年生が実技の講義を受けているのだ。
(そういえばレーシー先生は講義に出なくて良かったのか………?)
つい先ほどまでルクトと話し込んでいたトレイズが、あそこで学生を教えているとは思えない。「人手が足りないと言っていたわりに随分余裕じゃないか」とも思ったが、よくよく考えてみれば攻略実習はまだ始まっていない。今はまだ実技教官だけで手が足りているはずでだからこそ、その間にアシスタントを確保したかったのだろう。
寮の自室に着き机の上に鞄を投げ出すと、ルクトは「この後なにをしようか」と少し考えた。夕食までは随分と時間がある。こういうまとまった空き時間があるとき、大抵ルクトは迷宮へ攻略に行く。当然、少しでもお金を稼ぐためだ。
しかし、今日に限っては迷宮へ行くか迷った。アシスタントの話をしたことで、そういえば最近自分は基礎を疎かにしているのでは、と考えてしまったのだ。
無論、毎日太刀を振るってはいる。他の流派と同様、〈カストレイア流刀術〉にも基本となる動き、つまり〈型〉がある。その型の反復を日々繰り返しているのだが、如何せん毎日やっているせいか細かい部分が荒くなってしまっている嫌いがある。
(精度を上げておいたほうがいいか………)
確かにルクトにとっての至上命題は借金の返済だ。しかしだからといって個人鍛錬を疎かにして良いわけではない。特に彼の場合はソロで迷宮攻略を行っている。助けてくれる仲間がいない以上頼れるのは自分だけであり、どれだけ便利な個人能力を持っていようとも技が錆びれば命を落とす。
「……よし。徹底的にやろう」
ルクトはそう決めた。部屋の隅に立てかけてある練習用の太刀を手に取ると、部屋を出て訓練場へと向かった。
石畳の敷かれた訓練場では、やはりというか一年生が実技の講義を受けていた。そのなかに何人か腕に腕章をつけている学生が混じっているが、それがアシスタントである。ルクトもすでに同じ腕章を受け取っており、講義に出る際にはそれをつけることになる。
一年生たちの邪魔にならないよう、ルクトは訓練場の隅っこで練習用の太刀を構えた。この太刀は鋼鉄製だが刃を潰してあり、仮に人に当ってしまったとしても死ぬことはない。たぶん。間違いなく怪我はするだろうが。
改めて周りを見渡し周囲に人がいないことを確認してから、ルクトは目をつぶって意識を集中し始めた。太刀の切っ先で風の流れを感じられるほどになると、薄く目を開け腹の底に落とし込むようにして息を吸い込む。
――――〈集気法〉
大気中の〈マナ〉を集め、体内で〈烈〉に変換する技法だ。〈集気法〉というのはカストレイア流での名前だが、闘術に含まれる流派ならば名前は違っても必ず同じような技法が存在する。なぜなら集気法を使わねば烈を練れず、烈を練らなければ闘術は使えないからだ。
「集気法こそがあらゆる闘術の基本。極端な話、これさえ使えれば武術の心得などなくとも戦える」
かつてルクトが通ったカストレイア流の道場の師範はそう言っていた。それだけ烈による身体能力の強化は有効な手段であり、それゆえ集気法は重要なのだ。
ルクトが集気法で集めたマナはすぐさま烈に変換され、そして体中に充填される。四肢に力がみなぎり、手にした太刀が軽くなったように感じた。
(………やっぱりぬるいなぁ………)
身体能力が強化されたのを実感しながらも、ルクトは内心で不満を漏らした。強化の度合いが迷宮で行った場合のそれに比べて、はるかに程度が低いのだ。
動けるはずなのに動けない。ぬるい。鈍い。こんなはずではない。まるで手足に重りのついた枷をつけられているようだ。迷宮の外で集気法を使うたびにそういう不満をルクトは感じる。
ただし、これは必然的で仕方のないことでもある。集気法とは大気中のマナを集め、体内で烈に変換する技法。つまり周辺のマナの量が多いほど、練り上げる烈の量も多くなるのだ。そして迷宮ほどにマナが濃い場所は、この辺りには存在しない。
迷宮攻略は麻薬のようだ、とルクトは思うことがある。一度迷宮での集気法と強化に慣れてしまうと、それ以下のものではもう満足できないのだ。それどころか思うように動かない身体に不満ばかりがつのっていく。
「……ふっ!」
鋭く呼気を吐き出し雑念を振り払いながら、ルクトは太刀を振るった。それをきっかけにしてさらに集中力を高める。ぬるい強化への不満はすぐに彼の頭の中から消えていく。
太刀を振るうたびに風を切る小気味良い音が響く。だが何度か太刀を振るったルクトは、眉間にシワを寄せて舌打ちした。
(これは、随分と錆付いてるなぁ………)
ルクトは内心で呻いた。いつもはどれだけ体が動くか、今日の調子はどうか、というところに気を使いながら太刀を振るっており、あまり細かい部分の精度は気にしていなかった。しかし今さっき太刀を振るってみた感覚では、知らぬ間に随分と腕が鈍ってしまったようである。
(集気法さえしっかりできていれば戦えるからなぁ………)
集気法は攻撃力に直結している。扱える烈の量が増えれば、そのまま攻撃力の向上につながるのだ。そして攻撃力さえあればそこそこ戦えてしまう。その結果、技の細かい部分が疎かになってしまうのは、あるいは集気法の負の面といえなくもない。
(いや、言い訳だな。これは………)
顔をしかめてルクトは自分を戒めた。集気法による強化だけに頼った戦い方をしていれば、いずれ必ず壁に突き当たる。迷宮を攻略し続けるには、力だけではない巧さがどうしても必要になってくるのだ。
(錆をすべて落とす。いや………)
さらに磨きをかける。そのつもりでやる。そう決意し、ルクトは練習用の太刀の柄を握りなおすのだった。
▽▲▽▲▽▲▽
型を繰り返す。何度も何度も何度も。太刀を振るうたびにその軌道を少しずつ調整し精練していく。
より鋭く、より速く、そしてより正確に。止まることなく型を演じ続けるルクトの姿は、まるで舞を踊っているかのようも見えた。
激しく動いているにもかかわらず、しかしルクトの周りは随分と静かだった。風が渦を巻くようなことはなく、足が石畳を蹴る音もほとんどしない。ただ、太刀が鳴らす風切り音だけがその場に響いていた。
一度太刀を振るうたびに、ルクトの視界の中で大気が切り裂かれて斬線が刻まれる。刻まれた斬線はすぐ溶けるようにして大気の中に消えていく。しかし型を繰り返しているうちに、少しずつだが斬線が消えるまでに時間がかかるようになってきた。そして大上段から振り下ろした一太刀、その切っ先が描く斬線がすぐには消えないのを確認すると、ルクトは構えをといて動きを止めた。
「ふう………」
身体の中の熱を呼気と共に外に出す。辺りを見回すとすでに空が赤くなっている。一年生の実技の講義も終わっているらしく、訓練場は閑散としていた。
(随分長くやっていたな………)
長時間、しかも激しく動いていたわりにはルクトの呼吸は乱れておらず、また疲れているようにも見えない。これも烈による強化の恩恵だ。ルクトは太刀を振るい型を繰り返すのと平行して、定期的に集気法を用いマナを集めて烈を練り上げていたのである。
強化してある状態を保ってさえいれば、この程度のことで体力が尽きたりはしない。もちろん休むことなく動き続ければいずれ反動がくるが、夜しっかり寝て休息をとれば何も問題はない。
「それで、なにか用?」
練習用の太刀を鞘に収めタオルで汗を拭きながら、ルクトは首を捻って視線を横に向けた。そこにいたのは一年生と思しき女子学生だ。隠れて覗き見をしていたわけではないし、見学していることには途中から気づいていた。特に邪魔というわけでもなかったので放っておいたのだが、さすがにこのまま無視しておくわけにもいかずルクトは声をかけた。
「し、失礼しました!あまりにも見事だったので、つい見惚れてしまいました!」
突然声を掛けられた女子学生は一瞬“ビクッ”と身体を硬直させたが、すぐにそういって深々と頭を下げた。
「わ、わたしは武術科一年のカルミ・マーフェスと言いますっ!」
よろしくおねがいします、と女子学生は頭を下げたまま自己紹介をした。元気というか、必死にも見えるその様子にルクトは苦笑をもらした。もっとも、カルミからは見えていないだろうが。
「オレは三年のルクト・オクス。よろしく」
「………ルクト………先輩………?」
ルクトが名乗ると、カルミは思い当たる節でもあるのか顔をかしげながら小首をかしげた。はて初対面のはずだがとルクトがいぶかしんでいると、カルミは何かを思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「ルクト先輩というと、もしかして〈ソロ〉の………!?」
「………不本意ながら多分ソレ」
確かにルクトは一人で迷宮に潜り攻略を行う、いわゆる〈ソロ〉というスタイルだ。普通、迷宮攻略をソロで行うことなどまずないから、このスタイルは大変に珍しい。まして学園は一種の閉じられた環境だ。噂が広がるのは速かろう。ただ、それにしても入学したばかりの一年生が知っているとは少し意外だった。
「ご高名はかねがねお伺いしています。お会いできて光栄です」
「ご高名って、どうせ“ボッチ”とかそんなんだろ?」
「い、いえ!そんな………!」
カルミは慌てたように両手を振ったが、彼女のその慌てようこそが真実を如実に表していた。ルクトにとってはまったく嬉しくない真実だが。
ソロで迷宮攻略を行うハンターは珍しい。珍しいから注目される。だがその注目のされ方というのは珍獣に対するそれで、下手をすれば変人に対するそれだ。ルクトにしてみれば大いに納得がいかない。
(好きでソロやってるわけじゃないっての!)
パーティーを組むのを禁止したのは学園側だ。ルクトとてすき好んでソロというスタイルを選んだわけではない。パーティーを組めるならば組んでいる。決して、ソロのほうが稼ぎがいいから結局一人で攻略することを選ぶんだろうな、とかそんなことは断じて考えていない。
「せ、先輩は、刀を使われるんですか?」
ルクトの雰囲気に少し不穏なものを感じたカルミが、焦ったようにして話題を変える。ルクトが手に持った練習用の太刀に向けられた彼女の視線には、単なる興味以上のものがある。どうやら、カルミとしてはこちらが本題らしい。彼女の手には、学園から借りたと思しき木刀が握られている。
「まあね。見ての通りだ」
そういってルクトは練習用の太刀を軽く掲げて見せた。その太刀を追ってカルミの顔が正面を向く。彼女の目は相変わらず食い入るように太刀に向けられている。
「………ひとつ、お願いがあります」
しばしの沈黙の後、意を決したようにカルミは口を開いた。太刀に向けられていた彼女の目は、今はしっかりとルクトの目を見据えている。
「わたしに剣を教えてください!」
そう言ってカルミは勢いよく頭を下げた。
「あ~、オレの流派はカストレイア流刀術って言うんだけど、つまりそれを教えて欲しいってことか?」
「はい、そうです!」
カルミは頭を下げたまま大きな声でそう答えた。彼女の様子はしごく真剣で、冗談を言っているようには見えない。それだけにルクトは頬を引きつらせ、内心で呆れたように頭を抱えた。
決して、教えられないわけではない。ルクトが持つ免許皆伝とは、すなわちカストレイア流の全てを修めた証だ。教え方の上手い下手を別にすれば、その流派をカルミに教えることは可能だろう。
だから、問題なのはそこではない。
「ダメだ」
「どうしてですか!?」
カルミは勢いよく頭を上げ、諦めきれないという目をルクトに向ける。彼女の目は必死で、ルクトとしては内心で申し訳ない気持ちにもなる。だが教えることはできない。いや、教えないほうが彼女にとっていいのだ。
「オレは、今年を入れてあと四年で卒業する。その間にカストレイア流の全てを教えるのは無理だ」
一つの流派を修めるために、四年という時間が長いか短いかは人それぞれだろう。もしかしたらカルミ・マーフェスは刀術の才能に恵まれ、カストレイア流を修めるのに四年もかからないかもしれない。
しかしそれは四年間ルクトが付きっきりで教えた場合だ。お互いに武術科の学生である以上、遠征と迷宮攻略は避けて通れない。一年のうちはまだいい。しかしカルミが迷宮に潜るようになり、さらに遠征も行うようになれば互いの予定を合わせることは難しくなる。そうなればカルミに刀術を教える時間は作れない。
加えて言えばルクトはこれまで誰かを弟子にとったことはなく、そのため上手に教えられる自信はない。いや、たぶん上手に教えることはできないだろう。感覚でやっている部分を言葉にするのは苦手だ。
中途半端にしか教えられない。ルクトはそう考えたのだ。そしてカストレイア流はルクトの故郷である都市国家ヴェミスの武門であり、ここカーラルヒスに同門の道場はない。ルクトが卒業した後に、引き続いて教えてくれる場所はないのだ。
「だったら、最初から一つの道場に通っていたほうがいい」
中途半端にカストレイア流を習っていると変なクセがついて逆に苦労することになる、とルクトは続けた。幸い学園も学生が道場に通い技を磨くことは奨励していて補助金を出してくれる。普通よりは道場の門を叩きやすい環境だ。
しかし、カルミは少し自嘲気味に笑って首を横に振った。
「………わたしは訓練生上がりです。道場に通う余裕はありません」
「………わるい、無神経なことを言った」
軽い自己嫌悪を感じながらルクトはカルミに謝った。
少し考えれば分ることではないか。初対面の先輩から教えてもらうよりも、しっかりとした道場で習ったほうがいいということは、カルミだってわかっているだろう。しかしそれでも彼女はルクトに頼ったのだ。それはこれからの出費を考えると、道場には通えないと思ったからにほかならない。
ハンターになるには金がかかるのだ。特にカルミの場合は訓練生上がりで、つまり金銭的な援助をしてくれる大人はいない。もちろん彼女もバイトはしているだろうが、二年生になって自由に迷宮に潜れるようになる前に装備を揃えなければならない。学園を通せば普通より安く買えるとはいえ、装備品がそれなりに高価であることは変わりなく、バイト代はそのために貯めておかなければならない。そうなればとてもではないが道場に通う余裕などない。
しかし我流が通用するほど、迷宮は甘い場所ではない。深い階層を攻略するためには、どうしてもしっかりとした技術が必要になる。カルミもそれが解っているからこそ、ルクトに「剣を教えてくれ」と頼んだのだ。
「しっかし、そうは言ってもなぁ………」
カルミの事情はわかった。しかしルクトの考えは変わらない。お互いに学生の身分。四年間でカストレイア流を修めるのは無理だ。中途半端にその流派を学ぶくらいなら、最初から道場で教えてもらったほうが良い。
「………やっぱり、お前にカストレイア流を教えることはできない」
「………そうですか」
ルクトの言葉にカルミは悔しそうに俯いた。そんな彼女の様子に申し訳なさを感じつつ、ルクトは「ただ……」と言葉を続ける。
「オレは来週から週一回、アシスタントとして実技の講義に出るんだ」
その時に教えられることがあれば教えてやれる、とルクトは言った。それを聞いた途端にカルミは顔を上げて目を輝かせる。よく表情がかわる、と呆れ混じりに感心しながらルクトはさらに言葉を続ける。
「あと個人鍛錬の時間が重なれば、その時も声を掛けてくれていいから」
「はい!」
カルミは嬉しさを堪えきれない様子で力一杯返事をした。それから何かを思いついたように目を輝かせ、駆け寄って下から覗き込むようにしてルクトに迫る。
「あの!」
「な、なんだよ」
そう応えるルクトの頬が引きつっているのは、カルミの勢いに気圧されたからだけではない。この後の彼女の言葉を正確に予想したがゆえだ。
「この後、少しお時間よろしいでしょうか!?」
ほうら来た、とルクトは内心で頭を抱えた。だが同時に懐かしくもある。ルクト自身、新しい技を教わった時などは道場から帰ってきてすぐ、メリアージュ相手に挑みかかって返り討ちにされたものである。そういう時、メリアージュは一度として嫌な顔をしなかった。
「わかった、わかった。付き合ってやるよ」
「はい!」
ルクトが苦笑を浮かべながら見る先で、カルミは嬉々として木刀を構える。それから彼女はすっかり日が暮れてしまうまで木刀を振り続けるのだった。