ミジュクモノタチ5
~前回までのあらすじ~
迷宮の通路を崩落させてしまったサミュエル。彼は〈エクスカリバー〉を使わなくても大丈夫なようにするため、闘術の特訓をする。そしてルクトとラキアはその特訓に協力するのだった。
「サミュエルじゃないか。今日もこれから特訓か?」
十二月の半ば。空は久しぶりに青くはれていたが、そのせいで今朝は一段と寒いように思える。集気法を使って身体を温めながら通りを歩くラキアは、迷宮入り口の上に立つ会館の前に最近見知った顔を見つけると躊躇うことなく声をかけた。
「……ああ。タニアと待ち合わせだ」
ラキアの姿を認めると、サミュエルは少しだけ顔をしかめてそう言った。彼がこの特訓をすき好んでやっているわけではないことは、ラキアも承知している。なにしろ「実力が足りない」と言われてやっているのだ。いい気分はしないだろう。
ただ実際に手合わせをしてみて、それでもサミュエルは前向きに取り組んでいるように感じた。乗り気ではないが、腐っているわけでもない。もがきながらでも前に進もうとする彼の態度が、ラキアは嫌いではなかった。
「お前も、その……、特訓に顔を出しに来たのか?」
「いや、今日からルクトと遠征だ」
そっちと同じく待ち合わせだよ、とラキアは言った。そんな彼女の様子を見てサミュエルは眉をひそめる。遠征に必要な荷物を彼女が何も持っていなかったからだ。だがすぐにその理由に思い至り、不機嫌そうに「ああ、そうか」と呟いた。なんのことはない。全てルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉の中に収納済みなのだ。
「ふふふ……。稼ぐぞ……。今回で借金完済だぁ……」
そう言いながら薄く笑うラキアに、サミュエルは軽く引く。人にはそれぞれよんどころない事情があるものなのである。
「そ、それなら僕の特訓になんて付き合わないで、攻略に集中すればいいじゃないか」
それがハンターとして正しいようにサミュエルには思える。ましてラキアは同じパーティーのメンバーでもない、ほとんど赤の他人なのだ。わざわざ他人の特訓に首を突っ込んでくる彼女が、サミュエルには物好きにしか見えなかった。
だがサミュエルがそういうと、ラキアは急に真面目な顔になって「それは違う」と言った。
「わたしはここに武芸修行のために来たんだ。お金儲けのために来たわけじゃない」
もともとラキアがカーラルヒスに来たのは、そこでレイシン流を学ぶためだ。しかしそれだけでは勿体無いと、最近彼女は考えるようになっていた。
せっかく故郷の都市を離れて外に出たのだ。ここでしかできないことをもっとやっておきたかった。多くの留学生がいる、世界の坩堝みたいなこの都市で。そしてその一つが、ヴェミスにはない流派との立ち合いなのだ。
「たくさんの経験をして帰りたいんだ。それはこの先きっと、かけがえのないものになると思うから」
遠くを見つめてそう話すラキアに、サミュエルはただ一言「そうか」とだけ応じた。彼の視線はラキアとは反対に足元に落とされている。
ノートルベル学園武術科の卒業証書を持ち帰り、武芸者としての自分の経歴に箔をつける。それが、サミュエルがカーラルヒスまで留学してきた最大の理由だ。彼のみならず、武術科に留学してくる学生のほとんどがこれを目標にしている。そんな中、武術科に入るわけでもなく、ただ純粋に武芸修行のためにカーラルヒスにやって来たラキアの言葉は、サミュエルにとってひどく新鮮で眩しく感じられた。
「それに、わたしは女だから」
いずれは結婚し、そして子供を生むことを求められる。そうなればもう自由に動き回ることはできないし、迷宮攻略だって制限されるようになるだろう。家に入ることを求められるから、ではない。いくらハンターが実力主義だとはいえ、妊婦が迷宮に潜るなんて非常識すぎるからだ。そして一度遠ざかってしまうとそのままずっと、ということもよくある。
「きっと、この留学が最後の時間だ」
二年の予定であるこの留学を終えれば、ラキアは二十二歳になる。結婚の適齢期としてはギリギリだ。ギルドや騎士団などの幹部かその候補にでもなればこの限りではないのだが、なんにしてもラキアには縁のない話である。やはり、故郷に帰れば結婚を考えなければならないだろう。彼女にその気がなくとも、父であるジェクトから相手を紹介されれば無下にはできない。
もちろん結婚したからと言って、それが今までの全てを否定するわけではない。折り合いを付けつつ、望む生き方をするのは可能だろう。だが一人で自由に動き回れるのは、この留学が最後だろうとラキアは覚悟している。だからこそ、悔いを残したくないのだ。
(生臭い話だ……)
ラキアの話を聞いて、サミュエルはそう思った。無論、社会とはそういうものだと彼も知ってはいる。しかし目の前で当事者からそういう話をされると、納得するより先に戸惑いを感じてしまう。そして、そんな反応をする自分がまるで青臭い餓鬼のように思えてくる。それが何となく不愉快で、サミュエルはわずかに顔をしかめた。
(……だけど僕もいずれは……)
結婚しなければならないだろう。自分の隣に立つ女性を想像する。思い浮かぶのはただ一人だけだ。
「それはそうとサミュエルのほうは、今日はタニアと二人っきりなのか?」
「……いや、あとでウチのパーティーのリーダーも来るはずだ」
ニヤニヤとした笑みを見せるラキアに、からかわれている気配を感じたサミュエルは憮然としつつそう答えた。なまじ結婚などということを考えたものだから、余計に敏感になっているのかもしれない。
「ほう……。それで、リーダーさんは強いのか? 得物は?」
「強いかは……、どうかな……。得物は片手剣と盾だ」
少し言いよどみ、視線を逸らしながらサミュエルはそう答えた。そんな彼の反応を見て、ラキアはおおよそのことを察する。
きっとサミュエルはそのリーダーに純粋な闘術では勝てないのだろう。それを言いたくなくて言葉を濁したに違いない。まだ短い付き合いでしかないが、ラキアも彼の性格をだいたい把握しているのだ。
「そうか。そのリーダーさんとも手合わせをしてみたいな」
わずかに笑いを含みながら、ラキアはそう言った。その言葉にサミュエルは「お気楽な思考だ」と皮肉を言いたくなったが、先程彼女の話を聞いている手前軽々しくそんな事も言えない。結局、黙っていた。
「ごめんごめん、サミュエル君。待った?」
二人が取りとめもなく雑談していると、サミュエルの待ち人であるタニアが小走りになってやって来た。そしてサミュエルに声をかけてから、彼の隣にいるラキアにも軽く頭を下げて挨拶をする。
「ラキアちゃんは今日も特訓に?」
「いや、今日からルクトと遠征だ」
ラキアの答えにタニアは少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべ「気をつけて」と声をかけた。
「それじゃあ、私たちは行くね」
「ああ、頑張ってくれ。……それと、タニアたちのリーダーに『今度手合わせをしたい』と伝えておいて貰えると嬉しい」
そう言うラキアにタニアは苦笑を浮かべながら「分かった」と答え、それからすぐにサミュエルと連れ立って会館のほうへ向かって行った。その背中を見送りながら、ラキアは胸の中で「頑張れ」と応援する。彼らの特訓に協力することにしたのは多分に自己中心的な理由だが、それでもちゃんと成果が出てほしいとも思っている。
もっとも、結果を出さなければ、と思っているわけではない。そしてこれはルクトも同じだろう。勝手に強くなれというのが彼の基本的なスタンスで、ラキアの立ち位置も似たり寄ったりである。そもそも彼女自身、人の心配をしている余裕はない。自分のことで精一杯なのだ。
「悪い、遅れたか」
ルクトが待ち合わせ場所に現れたのは、サミュエルとタニアが迷宮に向かってから少ししてのことだった。合流すると二人は会館へ向かい、迷宮に入るための受付けの列に並んだ。すでに同じく遠征に行くらしいパーティーがいくつか列を作っている。
「そういえば、わたしの借金はあと幾らだ?」
受付けを待っている間、ラキアはルクトにそう尋ねた。ルクトは「20万だ」と即答。ことお金に関してはさすがに記憶がいい。
「よし、今回で全部返すぞ……!」
20万シクなら一回の遠征の稼ぎで十分にまかなえる。手取りは減るかもしれないが、借金がなくなるなら安いものだ。
「よし、走るぞ」
受付けを終え迷宮の中に入ると、ラキアは厳かにそう宣言する。異論は認めない。稼ぎ優先を掲げるならば、移動時間は短縮してしかるべき。ならば、走るしかない。
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なぜ走るのかと問われれば、ラキアは「走れるからだ」と答えるだろう。言っておくが、哲学的な要素は何もない。要するに、合同遠征では走っているのに普通の遠征でのんびりと歩いていては、怠けているようで嫌なのだろう。難儀な思考である。
ただ走るだけではない。もちろん、ショートカットもする。しかも今までやっていたように、上の通路から下の通路に飛び降りるだけではない。これまでは幅があったり高低差が大きすぎたりしたことでショートカットに適さなかった場所も、〈プライベート・ルーム〉の擬似瞬間移動を使うことで利用が可能になったのだ。
さらに、ここでラキアの個人能力である〈マーキング〉が役に立った。ショートカットで気をつけなければならないのは、普通に歩いていくよりも急にモンスターが強くなること、そして現在位置が分からなくなってしまうことだ。
前者は、新しい階層に挑むときに普通に歩いていけば特に問題にはならない。だが、後者は厄介だ。浅い階層でも道に迷うことはあるし、その場合の危険度はモンスターの比ではない。だから地道にマッピングをして場所とルートを特定し、それでようやくショートカットに使えるようになる。
だが〈マーキング〉を使えば、その手間を大幅に短縮できる。〈マーキング〉とは、要は目印だ。つまり迷宮の中に目印を付けていくことができる能力なのだ。マッピングが不十分でも、ソレと分かる目印があれば現在位置の大まかな確認は可能である。最悪、どちらに進めばいいのかさえわかればいいのだから。そして戻るだけなら〈マーキング〉を追っていけばいい。
さらに迷宮の中に乱立する、巨大な岩石の柱である〈シャフト〉も使って移動する。もちろんシャフトの最初と最後に〈マーキング〉しておくことも忘れない。ただ、ラキアは最初シャフトを使って下へ潜ることに難色を示した。その理由は、「落ちたときにリカバリーする手段が自分にはないから」。
「だったら〈プライベート・ルーム〉のなかで待っていればいい」
ルクトはそう言ったが、ラキアは簡単には納得しなかった。どうも人任せで進むのは嫌らしい。これまた難儀な思考である。
しかし最終的にはラキアが折れた。なぜならば「稼ぎ優先」だからである。移動時間は短縮してしかるべき。そのために走るというのであれば、そのためにはシャフトだって使うべきなのだ。
「むう……。仕方がない、か……」
少しむくれた様子でそう呟き〈ゲート〉の向こう側に消えていくラキアの背中を、ルクトは苦笑しながら見送った。なんというか、借金を背負ってから彼女は随分と素直になった気がする。げに恐ろしきは金の力、いや借金の力か。
閑話休題。それはそれとして。
シャフトを伝って下の階層へと潜るやり方は、ルクトにとっては慣れた方法だ。もちろんソロでやっていたからこそ慣れることができたのであって、それを考えると少々黄昏た気分にもなるのだが、「素早く下へ潜る」という一点においてこの方法は非常に優秀だった。
朝の九時前に迷宮に潜り始めたルクトとラキアの二人は、午後の四時過ぎには十階層の大広間まで到着していた。これは合同遠征の時よりも速い。彼らは二人しかいないために途中の戦闘で相応の時間をかけている。なのに合同遠征より速く到着できるということは、純粋な移動時間を大幅に短縮できている、ということだ。
「たった一日、いや一日もかからず十階層に到達、か……。なんというか、信じられないな」
恐ろしくすらあるよ、とラキアは苦笑しながらそう言った。一日で十階層に到達するだけなら合同遠征でも同じことをしているが、こちらは「人数を集めて力押し」というイメージが強い。もちろん〈プライベート・ルーム〉が無ければ不可能ではあるが、それでもたった二人でそれ以上のことができてしまった。それがラキアには呆れたことのように思え、また同時に空恐ろしくも思えた。
「どうする? 今日はここまでにするか?」
疲れた様子を見せるルクトに、ラキアはそう尋ねた。彼女はシャフトを移動している最中に〈プライベート・ルーム〉の中で休んでいるから体力的にまだ余裕があるが、動きっぱなしのルクトはそろそろ体力の限界だった。もちろん戦闘ではラキアの方が率先して戦っていたのだが、休憩なしで動き続けるのはさすがにきつい。だが、彼女の提案にルクトは首を横に振った。
「……いや、時間的にまだ余裕がある。地底湖まで行こう」
ただし歩きで、とルクトが付け加えるとラキアは苦笑しながら頷いた。さらに、ここまでと同じように戦闘時には彼女が前に出て戦いルクトの負担を軽減する。まあ、ラキアが突っ込むのはいつものことだが。
十階層の地底湖に到着すると、早速〈プライベート・ルーム〉を使って水を抜き、そこにいるモンスターを全て平らげる。これにて本日の攻略は終了だ。二人はそそくさと〈プライベート・ルーム〉の中に引き上げた。
「あぁ、疲れた……」
安全圏である〈プライベート・ルーム〉の中に入ると、ルクトは一気に疲れた様子を見せた。さすがに迷宮の中では気を張っていたようである。そもそも迷宮の中でこれほど疲れ果ててしまうのはタブーなのだが、こうして安全に休める場所があるからこその強行軍である。
「ルクトは休んでいてくれ。夕食の支度はわたしがしよう」
疲れているルクトを気遣ってか、ラキアはごく自然にそう言った。だがそれを聞いた途端、ルクトはギョッとした顔になった。「包丁で指を切るから料理はしたくない」と自己申告していたのは、ほかならぬラキア本人である。
「……大丈夫か?」
真顔でそう尋ねるルクトにラキアは憤慨しながら薄い胸を張り、堂々とこう宣言した。
「失礼だな! わたしだってお湯を沸かすぐらいできる!」
痛い沈黙。怒ればいいのか、呆れればいいのか、それとも安心すればいいのか。ルクトは結構本気で悩んだ。黙り込む彼を見てさすがにバツが悪かったのか、沈黙のなかラキアは居心地悪そうに視線を逸らした。
「ま、まあ、じゃあ頼むわ……」
「う、うむ! 任せておけ!」
ヤケクソ気味に元気を出して支度を始めるラキア。その姿にルクトはそこはかとない不安を覚えるが、さすがにお湯を沸かすぐらい問題ないだろう。そしてそれ以上のことをする気力は、そしてさせる気力はなおのこと、ルクトにはなかった。仕方がないので遠征用に買い込んでおいた保存食をそのまま食べることにする。
「でも、それだけじゃ味気ないので……」
ルクトはそう言ってだらしなく顔を綻ばせると、〈プライベート・ルーム〉のなかに設置された移動式住居ゲルの中から包を一つ持ってきた。中身はアップルパイ。今朝、買っておいたものだ。もう冷たくなっているが、もともと熱々を食べるようなものでもない。何よりすきっ腹に嗅ぐアップルパイの甘い香りは暴力的かつ蠱惑的で、顎の奥から唾液がにじみ出てくるのをルクトは感じた。
「ルクト、なんだそれは!?」
アップルパイの香りを嗅ぎつけたのか、ラキアもまた満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。彼女の後ろに視線を向けてみれば、どうやら無事に水をコンロ(魔導具)にかけることはできたようだ。ちなみにちゃんとヤカンを使っていて、水の入った皮袋をそのままコンロにかけるようなことはしていない。
「ちょっとしたお楽しみ。少しは息抜きをしないとな」
アップルパイだけでなく、クッキーやビスケットなども今回の遠征のお楽しみ用に買い込んである。それらは明日以降に出す予定だ。ちなみにドライフルーツや果物のハチミツ漬けなどもストックしてあるが、こちらはいざという時の保存食も兼ねているのでできれば出したくない。ハチミツは結構高いのだ。さすがに悪くなる前に食べはするが。
「おお……! おおお……!」
感動のあまり声も出ない様子のラキア。大げさなその様子にルクトは苦笑する。スレンダーな体型からは想像もできないが彼女は結構な大食いで、また食べることが好きなのだ。
「コレ食ってまた明日から頑張るか」
「うむ、うむ!」
一日動き回ったせいか、甘いアップルパイはまさに五腎六腑に染み渡るように感じた。決して噛まずに飲み込んだわけではないけれど。それにしても疲れたときの甘味というのは、本当に麻薬じみた魔力を持っている。
夕食を食べ終えお腹が満ちると、次第にまぶたが重くなってくる。無益に睡魔と争う理由も無いので二人はさっさと寝袋の中に入って横になった。
「かせぐぞぉ……」
寝ぼけていても意識はまだあるのか、それとも本当に寝言なのか。どちらにしても不明瞭なラキアの言葉を聞いて、ちょっと心配になってしまうルクトであった。